⇒ドキュメント回廊

★2014ミサ・ソレニムス~3

★2014ミサ・ソレニムス~3

  東洋英和女学院大4年の学生22歳が、ホステスのアルバイト経験を理由に日本テレビからアナウンサーの内定を取り消され、採用を求めた民事訴訟できょう26日、東京地裁で和解勧告が行われたと報じられた。

   ~ テレビ局の力量が問われる、アナウンサー内定取り消し問題 ~

 和解協議は非公開で、詳しい内容は不明だが、双方の代理人が出席し、日テレ側から学生側に和解案が提示されたとみられる。学生は来年4月のアナウンス職での入社を求め、日テレも徹底抗戦の構えを見せていたが、入社もしくは金銭での補償を含んだ提案で、強硬姿勢を崩したかっこうだ。第2回の口頭弁論は予定通り、来年1月15日となっているが、年明けにも引き続き和解協議が行われる予定だという。

  そもそもなぜ内定が取り消されたのか、その理由が理解できない。ホステスのアルバイトがよくないというのならば、募集段階からホステスなど風俗のアルバト経験者は不可と明示すべきだろう。もちろん、日テレが内定を取り消したのは、採用後に週刊誌などでスキャンダルとして掲載されることを恐れたのだろうことは想像に難くない。それだったら、アナウンス職での採用であっても、しばらくは表(画面)に出さなければよい。人事の裁量権でなんとでもなる。要は、筆記試験、社員面接、重役面接、社長面接など難関を突破したのだから、つまり会社が見込んだのだからアルバイト経験だけで切り捨てることは無理がある。逆に、そうした経験をキャラとして使いこなせばよい。それがテレビ局の技量というものだ。

  さらに話を総合すると、学生は2015年度入社のアナウンサーとしの採用内定通知を渡され、ことし3月に、人事担当者に以前、母親の知り合い筋の銀座のクラブで短期間アルバイトをしていたことがあるとを告げた。すると、4月に入り、クラブでホステスをしていた経歴は、アナウンサーに求められる清廉性に相応しくないとの理由で、内定辞退を求める文書が送られて来たという。学生が辞退しないと答えたところ、5月末に内定取り消しの通知が届いた。

  一部のメディアで紹介されていたが、フジテレビの亀山千広社長が11月28日の定例記者会見で、今回の日テレの内定取り消し問題について、「(フジの場合は)内定を出した以上は採用すると思う」と独自の見解を話し、清廉性については視聴者がどう見るかに委ねたいと語ったという。これが本筋の話しだろう。

⇒26日(金)夜・金沢の天気     あめ

  
  
  

  

  

☆2014ミサ・ソレニムス~2

☆2014ミサ・ソレニムス~2

  11月18日に実施した金沢大学の学生131人の意識調査では、メディアや政治に関する内容も問うた。とくに最近の近隣国との緊張した関係を学生たちはどう感じているのだろうかと気になったからだ。「尖閣諸島や竹島など領土問題で、日本と中国・韓国との関係悪化が指摘されていますが、中国に親しみを感じますか」という問いには、「まったく感じない」または「あまり感じない」を選んだ学生が合わせて54.9%だった。「とても感じる」「やや感じる」の15.3%を大きく上回った。「韓国に親しみを感じますか」との質問でも、「まったく感じない」「あまり感じない」が51.9%で、「とても感じる」「やや感じる」は24.4%だった。つまり、学生たちの半数以上は近隣国とに親しみを感じないというのだ。

  ~ 近隣国に親しみ感じない学生半数、しかし、「外交努力で友好」望む73% ~

  一方で、「安倍総理や現役閣僚の靖国神社参拝が、中国や韓国の反発を招いていますが、靖国問題をどう思いますか」という質問には、回答した125人のうち、「戦争犠牲者を弔うのは当然」など肯定的と判断される意見が73件、「他国を刺激するので参拝すべきでない」など否定的とみられる意見の20件を上回った。「亡くなった人をお参りして周囲が騒ぐのはおかしい。でも他国の反応は想像がつくので考えて行動すべきだ」など中立的と判断される意見は19件あった。以上の数字だけでを読めば、大方の学生たちは日本にいろいろと干渉する隣国に随分と不快感を持っているようにも思える。

  別の角度から数字を眺めてみる。いわゆる「ヘイトスピーチ」が問題になっている在日特権を許さない市民の会(在特会)の主張をどう思うか聞くと、「反対」「どちらかというと反対」との答えが33.6%で、「賛成」「どちらかというと賛成」は29.8%。「わからない」が36.6%だった。

  学生たちに近隣国との在り様を尋ねた。「近隣諸国との緊張状態が続く東アジアのなかで、日本はこれからどうすべきだと思いますか」という質問には、「外交努力で友好に務める」を選んだ学生が73.1%を占めた。「外交的圧力をかける」は13.8%、「軍備を増強して備える」は4.6%だった。つまり、近隣諸国とぎくしゃくし、親しみを感じられない学生が半数をしめながらも、外交努力すべきだという人が多く、冷静でバランスのとれた考え方の学生が多いのである。

  そして、「日中戦争の発端となった満州事変以来の戦争は侵略だったと思いますか」との質問には、「思う」「やや思う」が57.7%、「思わない」「あまり思わない」は17.5%だった。25.2%が「わからない」と答えた。戦争を引き起こしたことには日本に非があると思っている学生が半数以上だ。これは上記の「外交努力で友好に務める」73.1%の意識のバックにあるように推察できる。

  ジャーナリズム論を履修している学生に対する意識調査ということで、学生のスタンスを勘案しなければならないが、若者の政治や世の中への関心は決して低くない。消費増税など身近な話題から国際問題まで幅広く関心があると感じた。

⇒25日(木)午後の金沢の天気  ゆき  
 

★2014ミサ・ソレニムス~1

★2014ミサ・ソレニムス~1

  昨夜(23日)金沢市の石川県立音楽堂コンサートホールで催された、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の演奏に聴き入った。石川県音楽文化協会などの主催で、もう52回目となり、県内では季節の恒例のイベントとして定着している。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と進むちうちに心が高まった。80分の演奏時間は、決して「長い」とは感じなかった。むしろこの一年の出来事が思い出され、脳裏が高揚感と清明感にあふれたのは私だけだろうか。今回のコンサートを聴きながら2014年を振り返るよいチャンスにもなった。「2014ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

      ~ 学生たちは総選挙に何を思ったのか、意識調査から推察したこと ~

  ことし1年の世情のニュースで衝撃だったのは、年の瀬の予期せぬ衆院選挙が。安倍内閣の支持率が下がっていたこのタイミングで、消費税増税の延期を国民に問うというシナリオで描かれた選挙だった。自民単独で290議席を確保した。民主党がアベノミクス(安倍政権の経済政策)の破たんを訴えたが、代案が見えてこないので国民は現政権をある意味で冷静に支持したのだろう。ただし、投票率は戦後最低に下がり52%だった。

  大学で学生たちに授業(メディア論)を行ったいて、いつも気になっているのが若者の政治参加のことだ。若者たちに政治参加する意欲や気持ちが失われれば、民主主義も早晩危ういと日頃感じているからだ。そんな折、12月14日の投開票の衆院選を、大学生はどう考えているのだろうかと調査する機会に恵まれた。朝日新聞社と北陸朝日放送の協力を得て、11月18日に金沢大の学生に、メディアや政治に関する意識調査を実施した。その中から、衆院選に関する質問についての回答を今回紹介する。回答者は私が担当する「ジャーナリズム論」の受講生131人。

  授業で選択式や自由記述の質問に答えてもらった。131人のうち男性は105人、女性26人で、18歳と19歳が112人を占め、文系が43人、理系が88人だった。

  「最近、気になるニュースは何ですか?(複数回答可)」という質問(回答は記述式)に対しては、「消費増税」の問題を30人が挙げ、最も多かった。続くのが「衆院の解散総選挙」に関する19人だ。このほか、「GDP(国内総生産)のマイナス成長」や赤サンゴ密漁をはじめ日中や日韓関係に関する問題が挙がった。「消費増税の先送りについて民意を問うという安倍総理の衆院解散について、党利党略という指摘がありますが、あなたは今回の衆院解散をどう思いますか」と聞くと(回答は選択式)、「賛成」または「どちらかといえば賛成」が計29.0%で、「反対」と「どちらかといえば反対」の計26.7%を上回った。ただし、44.3%は「わからない」と答えた。「党利党略という指摘」との説明がなければ賛成がもっと多かった可能性がある。質問の仕方が違うが、朝日新聞社の11月の世論調査では、「この時期の解散、総選挙」について「賛成」は18%、「反対」が62%だった。つまり、意識調査に参加した多くの学生たちには選挙権はないが選挙に賛成する傾向があった。その理由とは何だったのか。

 「選挙の最大の争点は何だと思いますか」という問い(記述式)では、回答した117人のうち55人が「消費増税」関連を書いた。続いて「アベノミクス」についての16人。このほか「憲法改正」「女性議員の登用」などが挙がり、「わからない」が26人だった。上記の数字から以下推察した。

 解散賛成が反対を上回った点について。円安で食料品を中心に値上がりしており、仕送りで生活する学生にとって消費増税はダブルパンチだ。そこで、増税延期への民意を問うというのだから選挙には賛成が多いのだろう推測した。気になるニュースや争点の質問でも増税やアベノミクスへの関心が高い。学生のアルバイトの時給がこのところ値上がり傾向で、アベノミクスを実感しているのは学生かもしれない。

  学生たちは自民や民主ほかの政治的な主張には耳を傾ける傾向は薄い。ただ、現実問題として政治が学生たちの生活にどうかかわるのかといった点では関心があるだろう。調査後に学生たちに感想を聞くと、「衆院選の争点が何かという設問が書きづらかった」(男性)、「政治に関する質問は、普段考えないので難しかった」(女性)という声があった。おそらく学生たちにとってこの意識調査が政治への関心の入り口になってほしいと個人的に期待したい。

⇒24日(水)朝・金沢の天気    くもり

  

  

☆目に留まった言葉

☆目に留まった言葉

 過日のコラムで、金沢市の東山界隈を元旦に歩いた様子を記した。茶屋街で知れた東山だが、寺院も点在している。その日、ある寺院の門前に貼りだされていた言葉がふと目に留まった。「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」と=写真=。「蓮如上人」とあるので、室町時代に浄土真宗を全国に広めたとされる高僧のありがたい言葉だ。

 念仏を唱えたことすらない身なので、言葉の仏教的な意味合いは測りかねる。それでも目に留まったのは、勝手にいろいろと解釈し、現代的な意味合いが浮かんだからだった。こう解釈してみた。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない」と。「アラ還」の同年代を見渡しても、日常の中で、趣味を大切にして生きている友人たちや家族思いの心優しい友人たちは多くいる。ただ、世の矛盾と闘っている、あるいはチャリティ(慈善活動)に身を投じている、といった信念というものを感じる人はめったにお目にかかったことがない。もちろん自分のその一人だ。

 情報があふれ、「アベノミクスで株価がどうだ」「2020年 東京オリンピックだ」「2015年春 北陸新幹線開業だ」「靖国参拝で中国、韓国がどうだ」などといったニュースに目と心を奪われている日々ではないか。

 自宅に戻ってインターネットで「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」を検索してみた。出展は『蓮如上人御一代記聞書讃解』とあり、この言葉に続きがあった。「信はなくて紛れまはると日に日に地獄がちかくなる、紛れまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。うち見は、信不信見えず候。遠くいのちをもたずして今日ばかりと思へ、と古き志の人申され候」

 ホームページの出展は省くが、以下の現代意訳が丁寧に付いていた。「真実の信心が得られないまま、世間の事に紛れ果てていると、日に日に地獄が近付いて来る。紛れ果てている証拠に、地獄そのものの生活が展開してしまうものである。外からは人の信・不信は見えないものである。しかしその当人にははっきりと自己の信・不信は明らかだと思われる。命というものが長々と続くものとは考えずに、今日只今だけの命と思って聞法に励むべしと先師はおっしゃっておられるが、まことにその通りではなかろうか」と。

 さらに私の勝手解釈が続く。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない。こうした情報過多の日常に埋没していると、自身に死が近づいていることすら分からなくなってしまう。自らの生き様を見極めることができるのは、決して他人ではなく、自分自身ではないか。人生は長くない、日々にいかに生きるか、目を凝らせ、考えよ、自らの信念を探せ」と。

⇒9日(木)朝・金沢の天気    はれ

★2013備忘録‐3

★2013備忘録‐3

  ことし1年はある意味で能登が注目された1年だった。3月31に能登有料道路が「のと里山海道」=写真=として無料化した。全長83㌔は信号機もなく、料金所という停止のバリアもなくなり、時速80㌔での走りは爽快である。ただこの無料化に関しては経緯がある。1982年の全線開通以降、1990年から石川県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。つまり、116万県民が1人当たり1万1600円ほど負担したのである。

       「里山海道」から「和食」まで能登の豊富な資源

  5月には国連食糧農業機関が主催する世界農業遺産(GIAHS)国際会議が七尾市で開催された。20ヵ国600人が参加する会議では新たに日本から、静岡「茶草場農法」、熊本「阿蘇の草原と持続的農業」、大分「国東半島宇佐の農林漁業循環システム」が認定を受け、能登と佐渡に加えて国内5地域(サイト)となった。会議では「能登コミュニケ」が採択され、先進国と途上国のサイトが交流するという勧告が盛り込まれた。その流れをつかんで、金沢大学ではJICA草の根技術協力事業として、フィリピン・ルソン島のイフガオ棚田に、能登で実施している人材養成プログラムを移出することになった。「能登は一周遅れのトップランナー」と想いながら、毎週のように通っている。

  9月、能登から幕内力士が誕生した。穴水町出身の遠藤だ。秋場所の番付で昭和期以降で「最速」と注目を集めた、何しろ、春場所でデビューして、3場所でのスピード出世なのだから無理もない。同じ能登出身の力士に第6代横綱・阿武松緑之助(おうのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)がいる。良く言えば慎重、立合いで「待った」が多く、江戸の庶民はじれったいことをすると、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と相手をなじった、という。遠藤には、こうした郷土の先輩のようにひと癖もふた癖もある関取になってほしい。

  12月、ユネスコの無形文化遺産に「和食文化」が登録された。世界の食文化では「フランスの美食術」「地中海料理」「メキシコの伝統料理」「トルコのケシケキ(麦かゆ食)の伝統」がすでに登録されている。和食文化の登録のポイントは、日本人の「自然を尊重する」という精神が和食を形づくったとのコンセプトを挙げている。大きく4つ。1つに多様で豊かな食材を新鮮なまま持ち味を活かす調理技術や道具があること、2つ目に主食のご飯を中心に汁ものを添えて魚や肉、豆腐、野菜を組みあわせた栄養バランスに優れたメニュー構成、3つ目に食器に紅葉の葉などのつまものを添えて季節感や自然の美しさを表現している、4つ目が年中行事とのかかわりで、正月のおせち料理や秋の収穫の祭り料理など家族や地域の人の絆(きずな)を強める食文化だ。手短に、ここで言うことのころ「和食」とは高級料亭のメニューではなく、家庭の、あるいは地域の郷土料理、能登で言うゴッツオ(ごちそう)なのである。そのポイントを能登の人たちはもってPRしてもよいのではないか。

⇒30日(月)午後・金沢の天気   くもり

  

☆2013備忘録‐2

☆2013備忘録‐2

  新しく世界農業遺産(GIAHS)サイトとして認定されたのは、「静岡の茶草場農法」(静岡県掛川市など)、「阿蘇の草原と持続的農業」(熊本県)、「国東(くにさき)半島宇佐の農林漁業循環システム」(大分県)、「会稽山の古代中国のトレヤ(カヤの木)」(中国・浙江省紹興市)、「宣化のブドウ栽培の都市農業遺産」(中国・河北省張家口市)、「海抜以下でのクッタナド農業システム」(インド・ケララ州)の6つだった。国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)、日本の農林水産省などが主催した「世界農業遺産国際会議」がことし5月、能登半島・七尾市で開催された=写真=。

        世界農業遺産を次世代につなぐプラットフォームとして

  国際会議には、FAOトップのグラジアーノ・ダ・シルバ事務局長をはじめ、農林水産省の副大臣など国内外の関係者600人(20ヵ国)が参加した。2年に一度の国際会議では冒頭の新たなサイトの認定だけでなく、「能登コミュニケ(共同声明)」が採択され、「先進国と開発途上国の間の認定地域の結びつきを促進する」ことなどの勧告が出された。

  このコミュニケを今後の能登にどう活かせばよいのか。「能登の里山里海」のGIAHSサイト認定(2011年6月)は、いわば、能登の暮らしそのものが国際的に高く評価されたということであり、能登地域の住民や自治体にとって大きな自信となっている。今回の世界農業遺産国際会議の成功は、その自信をさらに深めることとなり、その結果、能登地域では、世界農業遺産に対する地域住民や自治体の関心や、認定を活用した地域づくりへの機運や意欲が高まりを見せている。このチャンスを活かし、もう一歩踏み込んで、「能登の里山里海」を世界に発信できないか、金沢大学里山里海プロジェクトの代表、中村浩二教授と思案をめぐらしていた。

  アイデアがもたらされたのはことし5月上旬だった。JICA国際協力機構の北陸支部からの「草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)」の案件だった。この事業は、地方自治体やNGO、大学、公益法人などの団体による、開発途上国の地域住民を対象とした技術協力を、JICAが政府開発援助(ODA)の一環として実施している。ここでいう「技術協力」とは、人を介した協力を通じて、知識・技術や経験・制度などを移転することを指している。これが我々の腑に落ちた。

  金沢大学の里山里海プロジェクトが能登で実施している「能登里山里海マイスター」育成プログラムは人材養成、つまり社会人教育プログラムなのだ。これを7年続け、これまで84人が巣立っている。次なる目標を、国際的な視点を持ちながら地域の直面する課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成に置いている。

  このノウハウ移出を同じ世界農業遺産であり、世界文化遺産(ユネスコ登録)でもあるフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田で実施できないか。実は、これはフィリピン大学の教授たちから請われていたことでもある。1月に同大の教授2人を能登に招き、里山マイスターの修了生たちと意見交換してもらった。自然と共生(生物多様性)の視点、地域におけるビジネスを実践している彼らの話に熱心に耳を傾けていた。この後、「この人材養成プログラムをぜひイフガオでやってもらえないだろうか」とオファーがあった。若者の農業離れが進むイフガオで、世界遺産の国際価値を活かして未来につなげる若者の人材教育が必要だと痛感した、という。

  能登とイフガオで人材養成プログラムを実施することの意味は、相互交流や技術協力、学術交流などさまざまにリンクする。世界農業遺産を次世代につなぐプラットフォームにできないか、ついそこまで期待を膨らませてしまった。5月30日、世界農業遺産国際会議の現地視察で同席させていただいた農林水産省の審議官にこの「夢」をこぼした。すると、同省の海外技術協力官の方を紹介いただき、アドバイスもいただいた。その後、6月25日に提案者が石川県、実施者が金沢大学という協力の枠組みで、「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」の申請にこぎつけた。9月上旬に内定の知らせがあった。

  いくつかの意味付けがあると考えている。大きくは国際会議のコミュニケの履行だろう。さらに、地域のグローバル人材の育成も含んでいる。国際的なネットワークづくりの端緒をつかんで、能登地域の活性化をはかることにもなる。「能登の里山里海」の豊かな価値を地域住民自身が評価し、夢ある未来を描き、地域の課題に取り組むマインドの醸成につなげ、世界につながる魅力ある地域の創造により、若者の都市部への流出を防ぎ、都市部からの移住の促進につなげていく。また将来、本事業が育成する人材が中心となり、自然と共生し、持続可能な社会モデルを実現し、世界へ発信する「国際協力交流センター」の機能が能登に生み出されることを期待したい。夢はさらに膨らむ。

⇒29日(日)午前・金沢の天気    はれ

★2013備忘録‐1

★2013備忘録‐1

  寒波が来て、28日は金沢の自宅周辺でも5㌢ほどの積雪となった。その晴れ間には雪を頂いた松の木が青空に映えて晴れ晴れとした気分にさせてくれる=写真=。2013年を振り返れば、自身のこと、家族のこと、地域のこと、政治のこと、経済のこと、外交のこと、実にいろいろな展開があった。忘れないうちに書き留めておきたい。「2013備忘録」をシリーズで。

   あるアメリカ人女性の志(こころざし)

  ことし1月、知り合いのアメリカ人女性から「推薦状を書いてほしい」という相談の電話を受けた。聞けば、彼女はコロンビア大学の大学院に入りたいので推薦文が必要なのだという。私が彼女と初めて面識を持ったのは2010年だった。金沢大学が能登半島で運営している「能登里山マイスター」養成プログラム(Noto Satoyama Meister Training Program)に聴講生として彼女は入ってきた。このプログラムは、能登で生計を立てたいと願う若者たちの人材養成(Capacity building of Young Leaders)を行う。2年間のカリキュラムで、ここでは、環境に配慮した農林漁業や、山や海の自然資源を活用したビジネスを学ぶ。受講の可否を決める面接で印象的だったのは、彼女は能登を世界に向けて情報発信するいろいろなビジョンを持っていたことだった。

  彼女は2007年、中等教育のALT(外国語指導助手)として能登に赴任した。2009年からは、能登半島の先端に位置する珠洲市にある株式会社塩田村で雇用され、伝統的な産業である「塩づくり」を学ぶチャンスを得た。彼女はさっそく世界に向けた情報発信に取り掛かる。奥能登の揚げ浜式の製塩法は日本の重要無形民俗文化財に指定されている。しかし、英語での解説が不足していた。彼女は、同社のホームページでその資料や道具を英語で解説するコーナーをつくった。日本人ですら理解できないような道具の名前や機能について、作業に当たる高齢者から丹念に取材して、分かりやすく英語で解説した。さらに、プロモートビデオ『Agehama Shiki Introductory Video』を、自らナレーションを担当して英語版を完成させた。また、塩田をテーマにしたドキュメンタリー映画の制作に積極的に参加し、自らも出演した。

  私は、そうした彼女の意欲的な活動を評価し、2012年1月に金沢大学で教材として使うビデオ『GIAHS能登の里山里海』の英語版の作成協力を依頼した。この映像は、10分の解説映像だが、彼女は能登での体験をフルに生かして完成させた。英語を学ぶ学生たちにGIAHSを解説する際にこの英語版を活用、また、能登のGIAHSを調査に訪れる海外からの研究者にこのビデオを視聴してもらっている。その評判はとてもよい。ナレーションに能登を愛する気持ちがこもっているからである。 それは彼女の表現力でもある、

  2012年5月、彼女はナビゲーターとして、NHKワールドTVに出演。能登の伝統文化や貴重な民俗を世界に英語放送として発信した。彼女の夢は、地域の活性化のため、企業活動を改善できるような仕事に就くことである。 私は、彼女には、一次産品に二次(加工)、三次(サービス)の付加価値をつけ、景観や文化資源を環境ブランドとして展開していく事業センスが必要と考える。世界の事例からそれらを学び、その知見を広め、地域と世界をつなぐ橋渡し役として成長してもらいたいと考えている。そして、彼女はそのための努力は決して惜しまないだろう。現在コロンビア大学大学院で地域ビジネス論を学んでいる。

⇒28日(土)夜・金沢の天気   ゆき 

★拉致「宇出津事件」の現場

★拉致「宇出津事件」の現場

 「舟隠し」。地元では昔からそう呼ばれていた場所だ。石川県能登町宇出津(うしつ)の遠島山公園の下の入り江だ。山が海に突き出たような岬で、入り組んだリアス式海岸は風光明媚(ふうこうめいび)とされるが、歩くにはアップダウンがきつい。この辺りでは15世紀ごろ城があり、入り江では水軍の舟が隠されるようにして配置されていたことから、「舟隠し」と名がついた。狭い入り江で両サイドでうっそうと木々で囲まれている。辺りは昼でも暗い。

  ここで国際事件、北朝鮮による拉致事件の第1号事件が起きた。政府の拉致問題対策本部のホームページなどによると、政府が拉致被害者として認定しているのは17人。その第1号ともいえるのが「宇出津事件」だ。

  事件の経緯はこうだ。1977年9月18日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん(当時52歳)と在日朝鮮人の男(同37歳)は、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能都町(現・能登町)宇出津(うしつ)の旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時。2人は黒っぽい服装で宿を出た。怪しんだ旅館側は警察に通報し、石川県警からの連絡で能都署員と本部の捜査員が現場に急行した。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。この年の11月15日、横田めぐみさん(当時13歳)が日本海に面した新潟の町から姿を消した。

 男の東京の自宅など捜索した石川県警は押収した乱数表から暗号を解読し、県警は警察庁長官賞を受賞した。しかし、当時、肝心の事件は公にはされなかった。ここからは推測だ。1973年8月8日、韓国の政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部(KCIA)により日本の東京都千代田区のホテルから拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後ソウル市内の自宅前で発見された事件、いわゆる金大中事件があった。事件後、警視庁はKCIAが関与していたと発表、日本と韓国の主権侵害問題に発展した。韓国側はKCIA職員かどうかも認めず不起訴処分とし、国家機関関与を全面否定していた。KCIAの組織的犯行と韓国側が認めたのは2006年7月のことだった。金大中の拉致事件が解決していない段階で、このどさくさに紛れ、北朝鮮が次々に日本人を拉致していたことになる。

⇒12日(木)朝 金沢の天気    はれ

★「里山海道」への道~下

★「里山海道」への道~下

   石川県の谷本知事のトップセールが奏功し、国連国際生物多様性年だった2010年のクロージングのイベント(生物多様性条約事務局、日本政府主催)が12月18、19日の両日、石川県で開催された。この国際生物多様性年のキックオフイベントは1月11日にベルリンで、10月18-29日の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)は名古屋市で開催された。石川でのクロージングイベントは締め括りであり、2011年の国際森林年への橋渡しのイベントでもあった=写真・上=。COP10では「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、里山が国際用語として認知された。そして、能登半島がSATOYAMAのエクスカーション(視察旅行)の公認コースになった。

   クロージングイベントの表舞台では、国際イベントが打ち上げられる一方、能登の里山をめぐる別の動きが舞台裏で進行していた。12月17日の締め切りを目指して、農林水産省北陸農政局、石川県庁、能登の8市町の行政マンたちが、国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)に提出する申請書類の準備に追われていた。世界農業遺産(GIAHS=Globally Important Agricultural Heritage Systems)の申請書類である。申請名は「Noto’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」。

   GIAHS(ジアス)という言葉を私自身が初めて耳にしたのは2010年6月だった。国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長が案内役となって、FAOのパルビス・クーハフカンGIAHS事務局長が能登を視察に訪れた。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの取り組みを案内してほしいと依頼があり、里山と里海の景観が広がる金沢大学能登学舎(珠洲市)や輪島市金蔵(かなくら)地区を回り、古いたたずまいの農家レストランで昼食をご相伴させていただいた。パルビス氏は里山マイスターの授業で取り組んでいる水田での生物多様性実習について説明を受け、能登の田んぼで採集され昆虫の標本を食い入るように見ていたのが印象的だった=写真・中=。この翌日(6月5日)、国連大学の武内和彦副学長(東京大学教授)やパルビス氏、あん所長、中村浩二金沢大学教授、農林水産省北陸農政局の角田豊局長が出席して「里山とGIAHS」をテーマに金沢市文化ホールでワークショップが開催された。この視察とワークショップがGIAHSへのキックオフであり、1年後にGIAHS認定にこぎつけた。

   2011年6月11日、中国・北京。国連食糧農業機関(FAO)主催のGIAHS国際フォーラム3日目、この日は午前9時からGIAHSの認証式=写真・下=があり、新たに日本から申請していた能登4市4町の「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」のほか、インド・カシミールと中国・貴州省従江の農村の代表にそれぞれ認定書が授与された。同日の夜の懇親会はまるで「世界民謡大会」の様相を呈していた。ホスト国の中国ハニ族の人たちがステージに上がり土地の民謡を歌うと、続いて能登半島・七尾市から武元文平市長に随行してきた市職員が祝い歌「七尾まだら」を披露した。武元氏もステージに上がり手拍子を打った。朗々としたその歌はどこか懐かしい響きがした。そして、ケニア・マサイ族、ナイジェリアの参加者が続々とステージに上がり土地の歌を披露したのだ。最後に佐渡市の高野宏一郎市長が「佐渡おけさ」を歌い、市職員2人が踊り、ステージを締めくくった。会場は盛り上がった。その後、ハニ族の参加者代表が武元氏の元に駆け寄ってきて、「気持ちが通じ合いますね」と握手を求めた。

   能登の里山里海がGIAHS認定された意義は大きい。上述したように、COP10で「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、里山はもはや国際語である。SATOYAMAが海外で広く紹介されたのは1999年のこと。イギリスBBC放送が、NHKのドキュメンタリー番組『映像詩 里山』を動物学者で番組プロデューサーのD・アッテンボロー氏のナレーションで吹き替えて、番組『SATOYAMA』として放送したところ、これが欧米で反響を呼んだ。日本の里山の国際評価として「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」がある。つまり、日本の里山の代名詞として能登と佐渡がある。

   ところで、GIAHSを直訳すれば「世界重要農業資産システム」である。今は通称「世界農業遺産」と呼ばれている。では、最初にそう呼んだのは誰か。国連大学の武内氏である。「石川県の谷本知事とGIAHSの呼び名について話していて、世界重要農業資産システムだと日本国内ではピンとこない。そこで、世界農業遺産だったら知名度が上がるかもしれないと・・・」(2012年7月17日、佐渡市での第2回生物の多様性を育む農業国際会議の基調講演)。

   里山里海をキーワードに「のと里山海道」の名称の由来を出来事を中心にたどってみた。そして来月5月29日にGIAHS国際フォーラムが能登半島・七尾市の和倉温泉で開催される。新たなGIAHSの認定地などが採択される。同フォーラムは、2007年のローマ、2009年のブエノスアイレス、2011年の北京に続き4回目の開催となる。11ヵ国の認定地の人々が「のと里山海道」を伝って能登のフォーラム会場にやってくる。

⇒18日(木)朝・金沢の天気    はれ

☆「里山海道」への道~中

☆「里山海道」への道~中

  能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い打ちをかけるように2007年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2千もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。このタイミングで、文部科学省科学技術振興調整費のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に申請していた「能登里山マイスター」養成プログラムが採択された。このプログラムのミッションを地域と連携して遂行するため、金沢大学と石川県立大学、そして能登にある輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の2市2町の自治体の6者が「地域づくり連携協定」(2007年7月13日)を結び=写真・上=、同年10月に「能登里山マイスター」養成プログラムの開講にこぎ着けた。過疎地で大学できること、それは人材養成、あるいは人材開発しかないという中村浩二教授を中心としたチームのアイデアだった。というより、大学の教員・スタッフができることは地域のニーズに応じたカリキュラムをつくり、教育を施す、これしかないのである。

自治体には受講生の募集業務や、移住してくる受講生の居住の窓口として協力を願った。この地域づくり連携協定の締結によって、「里山」ないし「里山マイスター」の言葉と意味合いがさらに広く認知されるようになる。予想外に、都市圏からの移住者の参加(計14人)もあり62人が修了した。「能登里山マイスター」養成プログラムは5年間で終了したが、連携する自治体からの要望もあり、継続事業として2012年10月、能登「里山里海マイスター」育成プログラムとして再スタートしている。

  2008年、今度は石川県が「里山里海」に身を乗り出してくる。同年4月4日、石川県環境部長、水野裕志氏が中村浩二教授の研究室を訪れた。その内容は、5月28日にドイツのボンで開催される生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)のサイドイベントで谷本正憲知事がスピーチを行うチャンスに恵まれた。県としては「里山景観条例」など里山に公益性をもたせるという画期的な内容の条例つくるというアピールを世界に向けて発信したい、と。それに向けて、里山をテーマとしたブレーンストーミングを知事を囲んで行いたいので出席してほしいとの依頼だった。ブレーンストーミングは4月28日午前10時から知事室で行われた。谷本知事は茨城県環境局長など環境畑を経験しており、マツタケの生育環境などについて実に詳しく、中村教授の生物多様性と里山の保全活用に関するレクチャーも熱心にメモをとっていた。

  同じ4月18日、国連大学等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットが金沢市に開設された。石川県と金沢市が誘致した国連大学高等研究所の拠点施設(世界で6番目、国内初)だ。初代所長に、あん・まくどなるど氏が就任した。そのミッションは、環境と持続可能な開発(特に里山・里海の保全活用、伝統文化の継承など)や人材育成活動である。また当時、国連大学高等研究所を中心に日本の生態学者、行政関係者らによる「日本の里山里海評価(JSSA)」(2007-2010年)の作業行われ、この50-60年間で起きた里山里海の変化について調査、検証をしていた。国連は2005年に地球規模の生態系の現状と今後の変化傾向を科学的に診断した「ミレニアム生態系評価」(MA)を公表しており、その後、世界各域でサブグローバル評価が実施され、JSSAは日本初のサブグローバル評価として注目されていた。石川県はその調査拠点の一つでもあった。

  谷本知事のボン行きは、スピーチだけではなく、トップセールスを兼ねていた。5月24日、開催中だったCOP9の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を訪ねた。中村教授がアドバイザ-として、あん所長が通訳としてそれぞれ同行した。知事は、当時名古屋開催がすでに内定していたCOP10での関連会議の開催をぜひ石川にと要請した=写真・中=。あん所長は知事の通訳という立場だったが、身を乗り出して「能登半島にはすばらしいSATOYAMAとSATOUMIがある。一度見に来てほしい」と力説した。このとき、身振り手振りで話すあん所長の右手薬指からポロリと指輪が抜け落ちたのだった。3人の熱心な説明に心が動いたのか、ジョグラフ氏から前向きな返答を得ることができた。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にもCOP10関連会議の誘致を根回し。翌日28日、日本の環境省と国連大学高等研究所が主催するCOP9サイドイベント「日本の里山里海における生物多様性」でスピーチをした谷本知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など様々な取り組みを展開していくと述べた。同時通訳を介してジョグラフ氏は知事のスピーチに聞き入っていた。ジョグラフ氏の能登視察はその4ヵ月後に実現した。

  ジョグラフ氏が能登を訪れたのは2008年9月16日と17日の1泊2日の旅程だった。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入りした。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープと金沢大学の能登学舎、能登町の旅館「百楽荘」で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(当時・小学校長)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job」を連発して、持参したカメラでビオトープを撮影した=写真・下=。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校で植樹する「グリーンウェーブ」を提唱していた。

   能登が印象に残ったのか、ジョグラフ氏がその後、生物多様性の国際会議で能登の取り組みをスピーチの中で紹介しているようだと何度か側聞した。

⇒17日(水)夜・金沢の天気    はれ