⇒ドキュメント回廊

☆伊勢志摩の肝(きも)-中

☆伊勢志摩の肝(きも)-中

 2日目は伊勢神宮の内宮(ないくう)=写真・上=と外宮(げくう)を訪れた。いにしえより「お伊勢さん参り」は日本人の心をつかんで離さなかった聖地巡礼の場だ。おそらく我が家の遠い先祖たちも参拝しただろうと想像すると緊張感も湧いてくる。

   伊勢神宮の常若(とこわか)の精神とは何か

  チャーターしたタクシーの運転手がガイドを買って出てくれた。外宮、内宮の順で回った。外宮の境内にある「風宮(かぜのみや)」。神職が落ち葉がきをしていた=写真・下=。白木の社と白装束が相まってなんとも凛とした光景だった。風宮は別宮(わけみや)という格式で正宮に次ぐ序列だとか。もともとは末社だったが、1281年の元寇(蒙古襲来)の時に神風を起こし日本を守ったとして「昇格」したとのこと。神様にも論功行賞があって面白い。

  有名なスポットでありながら、何も知識がなかったことに愕然としたことが多々あった。その一つが「式年遷宮」だ。実際に見ての第一印象がどの社殿も「新築物件」ということ。茅葺の屋根、ヒノキの柱などがみずみずしい。125の社殿がすべて建て替えられた。テレビなどのメディアで流される式年遷宮のイメージでは、皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)の主だった社殿だけかと勘違いしていた。パンフによると、宮社だけでなく714種1576点におよぶ神様の衣装や服飾品、さらに太刀や鏡など調度品もすべてリニューアルしているのだ。

  伊勢神宮は20年ごと定期的に。飛鳥時代の持統天皇が第1回目の式年遷宮(690年)を実行し、平成25年(2013)10月の式年遷宮は実に62回目だった。1300年余りの歴史がある。ちなみに、出雲大社の遷宮は概ね60年に一度。これは伊勢神宮のように式年(定められた年)ではなく、社殿に損傷が進んだ時に行う、流動的なもので60年目安ということらしい。

  それにしても、総建て替えで要するヒノキだけで1万5千本。式年遷宮全体の費用は建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円(330億円が伊勢神宮の自己資金、220億円が寄付)とされる。「なぜ20年なのか」とガイドの運転手に尋ねると、「ここでは常若(とこわか)の精神と言うんです」と。「常若」、初めて聞いた言葉だ。さらにこう説明してくれた。「建物がいまだ使えても、いずれ老朽化します。老朽化は神道では穢(けが)れでなんです。式年遷宮によって、建物を新しくすることにより神様の生命力を活性化させる。これが常若なんです」

  確かに昔は人生50年と言われ、建築の技術を次世代に伝えるには20年というサイクルが適当だったのかもしれない。また、全国の神社の総元締的な存在の伊勢神宮である。古材で使用可能なものは、たとえばヒノキの柱などは鳥居として末社に下げ払いされる。リサイクルとして全国に波及する効果は大きい。

  ふと思った。おそらく参拝したであろう先祖たちはこの伊勢神宮に来て、何を思っただろうか。式年遷宮=常若の意味を自ら考え、家督を早く息子に譲ろうと考えたかもしれない。あるいは、自宅を建て替えようと考えたかもしれない。私は、今の日本に必要なのは、この常若の精神ではないかと考えた。若者たちに活躍するチャンスを与える。起業やベンチャー、なんでもいい、税制や資金面で支援を受けて、若者が総活躍する社会だ。伊勢神宮はいろいろなことを考えさせてくれる。

⇒4日(水)伊勢志摩の天気   はれ

  

★伊勢志摩の肝(きも)-上

★伊勢志摩の肝(きも)-上

  ゴールデンウイークに伊勢志摩ツアーを楽しんでいる。伊勢志摩といえば、そう今月26、27日に開催される伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の開催地でもある。JR名古屋駅から近鉄名古屋線に乗り換えて、終点の賢島(かしこじま)駅で降りるとものものしい警備体制の様子が見える。道路には随所に警察の警備車両が配置され、機動隊員が立っている。集落の細い道では自転車に乗った警察官も見えた。

「夫ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」

  駅周辺を散策しようとタクシーに乗り込む。海と山が入り組むリアス式地形ではカーブが多くアップダウンの道路が続く。どの道路でも左右の雑木などがきれいに刈り込みがされている。タクシーの運転手は「路上からの警備の見通しを効かせるために整備したんですよ」と解説してくれた。この警備体制は夜中も実施されているようだ。これだけ睨みを効かせると、テロリストも近づけないだろうと想像する。先の運転手によると、6機分のヘリポートがすでに設置されている。現地ではサミットに向けた準備が着々と進んでいる。

  それにしても、英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だ。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。

  テーマパーク「志摩スペイン村」で昼食をとった。入口でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が出迎えてくれる。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する二人。まっすぐな理想主義を掲げる主人公のドン・キホーテと対照的に、大食漢で肥満、現実派の従者サンチョ・パンサ。二人のキャラは人間性を表現する永遠のテーマだろう。レストランで、スペイン産イベリコ豚のパエリア、小エビのアヒージョ、アサリのオーブン焼き、それにスペイン産の赤ワインも注文して、束の間の食事を堪能した。

  外に出て、テーマパークを散策すると女性の叫び声が聞こえてきた。しかも、一人ではない、阿鼻叫喚の地獄での人の叫びのように聞こえた。「ピレネー」というジェットコースターでの絶叫だった。ピレネー山脈のような山あり谷ありのレールを最高時速100㌔で走行する。上下左右に体が振り回されるので、見ているだけでも恐怖を感じる。若い係員に「気絶する人はいないの」と尋ねると、「ボクはまだ(気絶した人を)見たことないですね。速すぎて、乗ってみるとそんなに怖くはないと思いますよ」と。

  さて、このピレネーに挑戦してみるか、と心が揺れた。もし、ドン・キホーテだったら人間のチャレンジ精神を掲げて挑んだかもしれない。しかし、恐怖感と同時に、スペイン料理で腹が満たされ、ひょっとしておう吐するかもしれないと現実感もあった。結局乗るのはやめた。自分はサンチョ・パンサに人間性が近いなと内心思った。

  夕方、鳥羽市にある相差海女文化資料館を訪れた。相差は「おおさつ」と読む。かつて記者時代に能登半島・輪島市の海士町や舳倉島を訪れ、海女さんたちを取材し、ルポルタージュを描いたので、伊勢志摩の海女さんたちにも以前から関心を寄せていた。同市国崎では海女さんたちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、深くはやく潜るために石を重りにした石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。かつて輪島でも夫婦舟といって、石を抱いて船に海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。輪島と同じ漁法だ。写真(下)にあるセイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。

  もう一つ同じだと感じた点がある。当地の言葉で「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」がある。輪島でも「亭主の一人や二人養えんようでは・・・」という言葉を聞いた。腕っぷしの強さ、自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だ。

⇒3日(火)伊勢志摩の天気   くもり  

  

★2015ミサ・ソレニムス~下

★2015ミサ・ソレニムス~下

     これが果たして国と国の外交の在り様なのだろうか、と考えさせる。年末(28日)に日本と韓国の外務大臣同士が決着した慰安婦問題である。「最終的かつ不可逆的な解決」。不可逆とは「もとに戻れないこと」である。ところが、蒸し返すような政治的な動きが韓国国内で激しい。

~TVメディアの表現の自由を守る主体は誰なのか~

     きょう31日のニュース。慰安婦だった韓国人女性らが日本政府を相手取り、1人当たり1億ウォン(1000万円)の慰謝料を求めて申し立てていた民事調停について、ソウル中央地裁は31日までに訴訟に切り替えることを決めた、という。原告らは2013年8月に民事調停を申し立てたが日本側が応じず、ことし10月に訴訟の手続きに入っていた。慰安婦問題をめぐる日韓合意は「問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」としており、訴訟の結果に影響を与える可能性があるが、ただ、考えようによっては、ソウルの日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像が撤去された後に支払われる、韓国側が設立する財団法人に日本政府が10億円を支援することになっており、「その金をこっちによこせ」と訴えた側が叫んでいるようにも解釈できる。訴訟の和解条件として、韓国政府が彼女たちの窓口になるのだろうが、そう簡単ではないだろう。なぜなら慰謝料の次なる要求は安倍総理の直接謝罪が想定されるからだ。「最終的かつ不可逆的な解決」と両政府がすでに合意しているので難しいだろう。民間の動向に右往左往しているのが韓国の政治の現状ではないだろうか。

      国とメディアの在り様も問われた。「出家詐欺」を扱ったNHK報道番組「クローズアップ現代」をめぐる問題で、11月6日に、「重大な放送倫理違反があった」とする放送倫理・番組向上機構(BPO)の検証委員会の意見が公表され、新聞・テレビのニュースでも大きく報じられた。意見書はBPOのホームページで公開されていて、その内容は、「情報提供者に依存した安易な取材」「報道番組で許容される範囲を逸脱した表現」など厳しいコメントとなった。NHKも最終報告書を公表し、番組に携わった記者ら15人を処分した4月28日、その同日に総務大臣名で文書による厳重注意の行政処分がNHKに対してあった。5月8日にBPO放送倫理検証委員会が審議入りする前に行政指導に踏み切ったのである。このことについて、BPOの意見書の「おわりに」の章で、「政府が個別番組の内容に介入することは許されない」と総務省を批判している。また、新聞メディアなども紙面では、むしろ政府の「介入」を問題視している。

      このBPOは、NHKと民放が2003年に政治介入を避けるため放送倫理上の問題に自主的に取り組むために設立した。2007年には放送局への調査権などを付与した放送倫理検証委員会を新設するなど機能を強化した。現在、論点となっているのは、BPOと政府・政権与党が放送法をどう位置づけるかの意見が対立である。放送法の4条に記載されている「報道は事実をまげないですること」などの放送番組基準は倫理規範だとするのか、放送の内容を制約する定めだとするのか。というのは、現在でも総務省は放送法を根拠に行政処分ができるとの立場をとっている。

      テレビの在り様が問われたのは、1993年のテレビ朝日の椿発言問題だった。テレビ朝日の報道局長が「非自民政権が生まれる報道をするよう指示した」と放送業界の勉強会で発言した。それが新聞記者にスクープされて、国会で証人喚問、さらに放送免許の不交付が検討されたのだ。以後、厳重注意など放送局への行政指導が増えた。この流れを受けて、テレビ局側(NHK、民放)は「自ら律する」とBPOをつくった。そのような経過を踏まえれば、今さら「放送法」の放送番組基準は倫理規範だから政府・政権与党の介入を許さないとするのは国民に理解されるだろうか。

      これを突き詰めると、誰がテレビメディアの表現の自由を守る主体なのかという論点が生まれる。BPOなのか、国民なのか、新聞社なのか、と。なぜなら、4月17日、自民党の情報通信戦略調査会が自民党本部にNHKの副会長とテレビ朝日の専務を呼んで、当時問題となっていた「クローズアップ現代」と「報道ステーション」についての説明を聴いた。これが政権与党の「政府が個別番組の内容に介入」(BPO意見書)とされた。では、なぜテレビ局側がなぜ、「これは政治権力の不当な介入だ」と抵抗しなかったのか。もし抵抗して、それでも強引に2氏を自民党本部に呼びつけたのであれば、これは明らかに不当な介入だ。だが、抵抗した形跡はない。となると、なぜ自民党本部に出かけて行ったのだろうか。「政府が個別番組の内容に介入」という意識がテレビ局側にあったのだろうか。問いたいのはその点なのである。BPOはテレビ業界の守護神ではない。

⇒31日(木)午後・金沢の天気   はれ

☆2015ミサ・ソレニムス~中

☆2015ミサ・ソレニムス~中

      金沢市内多くのセルフスタンドで「レギュラー111円(会員)」という価格になっている。昨年末は145円前後だったので30円余り安くなっている。例年だと年末価格となり、少しは上げるのだが安値を更新しているようだ。最近のニュースをチェックすると、世界的な原油の供給過剰で来年も原油安は続くとみられていて、年明けも値下がりが続くとの予想されている。

 ~ガソリン1㍑111円、金沢おでん「かに面」1個1800円の経済~ 

   きょう30日、大納会を迎えた東京株式市場で日経平均株価の終値は1万9033円71銭だった。3日続伸して年内の取引を終えた。年間では9%高と4年連続の上昇となり、19年ぶりに1万9000円台に乗せたまま年を越す。ことし1年の相場を眺めてみると、日経平均株価が一時2万円を回復し、日本株の復活を印象づけた。その最大のエンジンは、円安や原油安を背景とした好調な企業業績だろう。最高値は6月24日につけた終値2万0868円03銭だった。ところが、夏には中国株が急落、いわゆる中国ショックに見舞われ、国際経済が翻弄された。

    同じく30日のニューヨーク株式市場は、大企業で構成するダウ工業株平均が下落しているようだ。原油の先物価格が大きく値下がりし、業績悪化が危惧され、シェブロンやエクソンモービルといったエネルギー関連の株が売られている。この原油の価格動向が2016年の経済の明暗を分けるのではないか。「オイルショック」の到来するのか。1973年(第1次)と1979年(第2次)のオイルショックは原油の供給が逼迫して、価格高騰して世界の経済混乱した。今回はロシアやアメリカ、アラブ諸国など産油国が混乱する、石油危機の可能性だ。

    不思議なのは、中国ショックで、いわゆる「爆買い」中国人の観光客が減ったのかというとそうでもない。身近な例だと、国の特別名勝である兼六園は中国人の人気スポットだ。兼六園の名称そのものが、中国の古典『洛陽名園記』から取られている。宏大と幽邃(ゆうすい)、人力と蒼古(そうこ)、水泉と眺望、それぞれに相矛盾する美のコントラストを兼ね備えた名園というところから由来している。兼六園を散策すると、四方八方から中国語が聞こえ、レンタルで和服を着た中国人女性たちがはしゃいで歩く姿も時折見かける。これこそ、兼六園の新たな見所(みどころ)ではないかと思ってしまう。

    兼六園の入園者数は昨年度(平成26年度)の総入場者203万人、今年度は4月-11月末の8ヵ月間で230万人となり、年度換算288万人という予想もある。実に4割増である。中国人観光客だけが増えているのではない。後で述べる北陸新幹線の開業効果もあるだろう。それよりも、欧米の旅行者を含め、全体のインバウンドが増加している。面白いデータをサイト内で見つけた。世界の旅行口コミサイトの「トリップアドバイザー」(日本法人版)が昨年6月に発表した「トラベラーズチョイス 世界の人気観光スポット2014~ランドマーク・公園編~」によると、アジアの公園トップ25のうち広島平和記念公園が2位、兼六園が5位、奈良公園が6位の順で選ばれている。ちなみに1位はシンガポール植物園だった。以前の2013年版で兼六園は欄外だった。Kenrokuenが一気にランクインた理由と背景は何だったのか。

    ことし3月14日に金沢開業した北陸新幹線の効果を地元メディア(新聞・テレビ)がことし一年の総括として検証する番組を流している。東京からのアクセスが2時間30分。JR西日本の発表によると、3月14日の金沢延伸から9月13日までの北陸新幹線利用者は482万人。前年同期に在来線特急に乗車した人のざっと3倍だ。1日の利用者は2万6千人。シルバーウィーク中(9月18-23日)は24万人の利用があり、前年同期の4倍以上を記録している。こうした効果が果たして来年2016年以降も継続するのかどうか。

    最近驚いたことがある。金沢駅のおでん屋に入った。冬のおでんだねでもある「かに面」を注文した。午後5時ごろだったが、店員は「売り切れ」という。そして、価格を見ると1個1800円もするのだ。それまでは、1個500円前後だったと記憶している。このかに面はズワイガニの雌のコウバコガニ(小さいカニ)の殻に、カニから取り出した身や卵やミソを詰めて蒸し、おでんのだしで煮たもの。もともと金沢のおでんの中では高級品。ところが3倍以上も価格が跳ね上がっている。季節限定の商品でしかも、ことしはコウバコが獲れる少ないとなれば価格は跳ね上がってもしかたがない。原価計算をしてみる。金沢市内のスーパーではコウバコのゆでたものを1匹500円前後に売っている。売れ残ったものをおでん具材の業者が閉店後にまとめ買いして加工して、おでん屋に卸したとしてもせいぜいが700円ほどではないか。(※写真は金沢市内のおでん屋で若い女性たちの行列ができている。お目当ては「かに面」・12月12日午後8時ごろ)

    ホテル料金にしてもそうだ。「平日で泊まってもこれまでに3倍だ」と大阪から金沢に来た知り合いが驚いていた。その後、知人の口調は「ぼったくりと評判が広がれば金沢は持ちませんよ」と鋭くなった。こんなことで、来年の金沢の観光は持ちこたえることができるのだろうか。そして日本、そして世界の経済は。

⇒30日(水)夜・金沢の天気    あめ

★2015ミサ・ソレニムス~上

★2015ミサ・ソレニムス~上

  今月23日夜、金沢市の石川県立音楽堂で催された、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)のコンサートに聴き入った。石川県音楽文化協会などの主催で、53回目。県内では、すっかり年末の恒例のイベントとして定着している。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と演奏は進み、聴き手の高揚感も高まる。80分の演奏時間は、「長い」とは感じられない。というのも、この一年の出来事が走馬灯のように思い出されたからだ。今回のコンサートは2015年を振り返るよいチャンスにもなった。このブログでも年末恒例となった「ミサ・ソレニムス」と題して、自らのこの1年を回顧したい。

     ~間垣は能登の風景、「あえのこと」は能登の心の風景~

  今月2日から5日間、「シニア短期留学in金沢」を実施した。地域での学びをテーマに全国からシニア世代の6人が参加した。そのツアーの中で、参加者が口々に「こんなところ初め見た。まるで、別世界ですね」と感動したのが、NHK連続テレビ小説「まれ」のロケ地となった輪島市大沢地区だった。大沢地区の独特の風景はなんといっても間垣(まがき)。冬の日本海の強風から集落の建物を守るため、集落を囲むように、まるで城壁でもつくるかのようにぐるりと「ニガタケの塀」を取り巻く。強風をしなやかに受け止め、風圧を和らげる。先人の知恵だ。最近は高齢化でニガタケの塀を修復することも大変。そこで、2011年から金沢大学の学生ボランティアたちが間垣の修復作業に2年間携わった。その甲斐あって、以前の景観がすっきりと元に戻った。その後、NHKのロケ地に選ばれた。そんな経緯も話しながら、間垣と冬の能登の住まい、コミュニティと景観など解説した。

  間垣の風景を見学した後は、能登半島に古くから伝わる、伝統行事「あえのこと」を見学に行った。2009年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたこの行事は日本におけるホスピタリティ(もてなし)の原形としても注目されている。訪れたのは珠洲市若山町洲巻の築380年の古民家だった。奥能登の農家の家々では毎年12月5日のこの日、自らの田んぼの神様を家に招き入れてご馳走でもてなす。お迎えする田の神さまは目が不自由と伝えられ、田の神さまが転ばぬように手を引くようにして家に招き入れ、御膳の料理も一つ一つ色やカタチまで丁寧に説明する。目の不自由な田の神さまにどのような振る舞いをすれば、満足いくもてなしができるか、農家の主(あるじ)は工夫を凝らす。

  ホスピタリティの名詞はホスピタル、つまり療養所。能登のホスピタィティは「もてなし」から「癒し」の領域にまで高まり、それが精神的な風土になっている。「能登はやさしや土までも」という言葉は江戸時代の文献に記されている。能登半島の先端、珠洲市の里山で「あえのこと」を見学して、参加者の中には「間垣は能登の風景、そして、あえのことは能登の心の風景ですね」と感想を漏らしていたのが、印象的だった。

⇒26日(土)夜・金沢の天気     みぞれ

☆夏安居(げあんご)

☆夏安居(げあんご)

    今回も庭での話。先日、草むしりをしていて、夏安居(げあんご)という言葉を思い出した。30度を超す暑さの中、地面と向きあい、手を動かしていると、頭の中で湯気が湧き立つような不快感がよぎって、家に入った。汗びっしょりで、シャワーを浴びても、腕から汗がたらたらと落ちた。もし、変に頑張っていたら熱中症で倒れて病院行きだったかもしれない…。「夏安居とはよく言ったものだ。夏は家の中にいるのが一番」とつい言葉が出た。

  夏安居は仏教用語。インドの夏は雨期で、仏教僧がその間外出すると草木虫などを踏み殺すおそれがあるとして寺などにこもって修行したことに始まる(三省堂「大辞林」)。雨安居(うあんご)という言葉もある。もう少し解説すると、夏は動植物たちの営みが盛んな季節なので、そんな草原や山中に人間が入ってもろくなことがない。だから夏は寺に戻り、修行をするのがよい、という意味だろう。

  仏教は頭の中でつくり上げたイマジネーションなどではなく、山の暮らしの中で動植物の観察の中から、自然と人がどう共存するかという知恵のようなもの。修行僧が山にこもるのも、自然から教えを請うためだ。ところが、夏は動物や虫たちの動きが活発になるので、刺されたり、噛まれたり、暑さで体調を崩したりするので無視しない、寺に戻り修行せよということになる。いわば経験則だ。

   現代風に言えば、熱中症が怖いので、外出は避け、家のエアコンで涼んで酷暑が去るのを待とう、それが自分なりの「夏安居」の解釈だ。還暦を過ぎて何事も無理しないという勝手解釈でもある。夏安居、なんて奥深く、使い勝手がよく、有難い言葉であることか。草むしりやをやめて、エアコンの効いた室内から庭を眺めながら、ウイスキーの水割りを飲んで、ついうとうとしてしまった。外気温は33度だった。

⇒10日(月)朝・金沢の天気    はれ

★2014ミサ・ソレニムス~7

★2014ミサ・ソレニムス~7

  このシリーズの締めくくりに家族のことを記す。ことし2月11日に妻・良恵(享年55歳)が逝去した。10歳のころより茶道(表千家流)をたしなんでおり、その立ち居振る舞いに凛としたものがあった。2012年6月ごろ、右の胸に「しこり」があると言い、金沢市内の乳腺クリニックに行き、抗がん剤治療をした。同年11月に右胸の切除と再建手術を行った。しかし、翌2013年9月に肺への転移が見つかった。切除したものの、10月にはさらに脳への転移が見つかり、転移が拡散したのだった。

  亡くなった後に我が家を改めて見渡すと、種々のお茶花が庭にあり、想いを込めて完成させた茶室があった。私は草むしりをしていると心が落ち着くので、季節を通じて土と向き合う。ただ、お茶花に造詣がないので、うっかりと妻が丹精込めたものを根ごと抜いてしまい、よくしかられものだ。今後同じ轍を踏むまいと、これまでの罪滅ぼしの意味も込めてフラワーマップをつくっている。四季がめぐるたびに、その可憐な花を愛でてやりたいと思っている。

  ことし12月7日、我が家の茶室=写真=で、妻の追善茶会を開いた。招いたのは金沢大学の文化資源学の研究者と留学生(修士課程)たちだった。実は昨年の11月に、同じく研究者と留学生を招き茶会を開き、妻が日本の茶道について英語で解説した。妻は「来年も留学生のみなさんのために茶会が開けたら」と楽しみにしていた。今回、妻の追悼の意味を込めて、昨年の参加者を招いて追善茶会を開いた。茶会には3人の協力を得た。妻の親友で茶人の稲垣操さん、山本泉さん、そして北陸大学の英語の講師をされて自らもお茶をたしなんでおられる小川慶太さん。今回、小川さんに茶道に関する通訳をお願いした。参加者にお点前をしてもらい、シャカシャカという茶筅(ちゃせん)の感触も楽しんでもらった。昨年と同様和やかな雰囲気の茶会となった。亡き妻の願えかなえることが何よりの供養だとおもった。

  2月の妻の臨終に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、その涙の意味をそれからずっと考えていた。若くして逝った悔し涙だったのか、などと。以前読んだ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家の立花隆氏の『臨死体験』『証言・臨死体験』(文藝春秋社)が書斎にあるのを思い出し、ページを再度めくった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。もしそうであれば、あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙ではなかったのかと最近思うようになってきた。いや、そうであってほしいと思っている。

⇒30日(火)午前・金沢の天気    くもり
  

  

☆2014ミサ・ソレニムス~6

☆2014ミサ・ソレニムス~6

  フィリピンのルソン島、マニラから北へ車で8時間ほどでイフガオに着く。ことしは2度訪れた。3月と11月。JICA草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)『イフガオの棚田』の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(通称:イフガオ里山マイスター養成プログラム)。イフガオの棚田は、ユネスコの世界文化遺産(1995年登録)、そして世界農業遺産(2005年認定)にもなっているが、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念され、独自の生活・文化を継承していく人材の養成が急務となっている。

  ~ フィリピンのイフガオと能登から発信する若者と里山の未来 ~

  そのため、金沢大学がフィリピン大学オープン・ユニバーシティ、ならびにイフガオ州大学と連携し、能登で実践している人材育成のノウハウを「イフガオ里山マイスター養成プログラム」として、現地の実情に応じた、魅力ある農業を実践する若手人材を養成するプログラムを実施している。地域での問題解決をソフト事業として移出するモデルとしても注目されている。

  3月25日にイフガオ州大学で、受講生20人を迎え開講式を執り行った。受講生は、棚田が広がるバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3つの町の20代から40代の社会人。職業は、農業を中心に環境ボランティア、大学教員、家事手伝いなど。20人のうち、15人が女性となっている。応募者は59人で書類選考と面接で選ばれた。

  受講した動機について何人かにインタビューした。ジェニファ・ランナオさん(38)=女性・農業=は、「最近は若い人たちだけでなく、中高年の人も棚田から離れていっています。そのため田んぼの水の分配も難しくなっています。どうしたら村のみんなが少しでも豊かになれるか学びたいと思って受講を希望しました」と話す。インフマン・レイノス・ジョシュスさん(24)=男性・環境ボランティア=は、「これから学ぶことをバナウエの棚田の保全に役立てたいと思います。そして、1年後に学んだことを周囲に広めたいと思います」と期待を込めた。ビッキー・マダギムさん(40)=女性・大学教員=は、「イフガオの伝統文化にとても興味があります。それは農業の歴史そのものでもあります。そして、イフガオに残るスキル(農業技術)を紹介していきたいと考えています」と意欲を見せた。

  9月には受講生のうち10人が能登で研修を受けにやってきた。ツアー前半のハイライトは能登見学だった。輪島市の千枚田では、棚田のオーナー田を管理する白米千枚田愛耕会の堂前助之新さんがオーナー制度の仕組みを説明。イフガオ受講生は愛耕会のメンバーの手ほどきで稲刈りを体験した。イフガオの稲は背丈が高く、カミソリのような道具で稲穂の部分のみ刈り取っており、カマを使って根元から刈る伝統的な日本式の稲刈りは初めて。イフガオの民族衣装を着た受講生たちは、収穫に感謝する歌と踊りを披露した。歌声は田んぼに響き、楽しく、そして美しいと感じる稲刈りとなった=写真・上=。

  能登ツアーの後半のハイライトは、能登のマイスター受講生やOBとの交流である。20日と21日は能登里山里海マイスター育成プログラムの2期生の修了課題発表会(22人発表、通訳・早川芳子氏)に参加し、能登マイスターの受講生の環境に配慮した米作りや、土地の食材を活かしたフレンチレストラン、古民家の活用などついて耳を傾けた。21日午後からはイフガオ里山マイスターの受講生5人が現在取り組んでいる「ドジョウの水田養殖」や「外来の巨大ミミズの駆除・管 理」などについて発表した。これに能登の受講生やOBがコメントするなど、研究課題の突き合わせを通じて、相互の理解を深めた。

  11月、イフガオを訪れて受講生のプレゼンに磨きがかかっているのに驚いた。受講生たちの研究の中間発表がイフガオ州知事らを前に開かれた。アマラ・ダーエンさん=民間事務職員=の研究テーマは「伝統的な薬用植物」。イフガオの集落の多くは人里離れており、伝統的な薬用植物を自前で調達してきた。咳止めや糖尿病に効くといわれる薬用植物を10種類採取し、専門家の意見を聞きデータ収集。市販も視野に。ジェネリン・リモングさん=自治体職員(農業)=の研究テーマ「市販飼料と有機飼料による養豚の比較」。市販の飼料による 養豚より、伝統の有機飼料の養豚の方がコストも発育も優れていることをデータにより示した。マリヤ・ナユサンさん=保育士=の研究テーマは「離乳食に活用する伝統のコメ品種」。保育士の立場から、離乳食の歴史を調べる。乳児の発育によいイフガオ伝統コメ品種を比較調査している。マイラ・ワチャイナさん=家事手伝い・主婦=の研究テーマは「伝統品種米の醸造加工」。親族が遺した伝統のライス・ワイン製造器を活用し、イネ品種や、イースト菌の違いによる酒味やコクを調査。売上の一部を棚田保全に役立てる販売システムを検討している。発表は理路整然として、そして熱意があった。イフガオ州知事のハバウエル氏=写真・下=が「州の発展に役立つものばかりだ。ぜひ実行してほしい。予算を考えたい」と賛辞を送った。

 イフガオの棚田で若者たちの取り組みの姿がほのかに見え始めた。若者の農業離れは、日本だけでなく、東アジア、さらにアメリカやヨーロッパでも起きていることだ。一方で、農業に目を向ける都会の若者たちもいる。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=持続型農業)を学びたいと農村へ移住してくる若者たち。ただ農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、その取り組みが能登とイフガでも始まったのである。

⇒29日(月)朝・金沢の天気   ゆき

★2014ミサ・ソレニムス~5

★2014ミサ・ソレニムス~5

  金沢大学では地域連携推進センターに身を置いて、よく珠洲市に通っている。知人や友人にそのことを話すと、「能登半島の先端で何をしているのか」とよく問われる。きょうはそのことを述べたい。金沢大学が三崎町の旧・小泊小学校の施設を珠洲市から借りて、「能登学舎」=写真・上=を開設して来年で9年目となる。2006年6月、生物多様性調査プログラム「能登半島 里山里海自然学校」を奥能登でスタートさせるための拠点を探していた。当時、珠洲市から紹介された旧校舎の背後に田畑や山林があり、3階の教室の窓からは海が眺望でき、「この場所こそ里山里海を学ぶ環境にふさわしい」と直感したものだった。

    ~ なぜ能登に通っているのか、能登にはすべきことが多様にあるから ~

 金沢大学では角間キャンパスの丘陵地に「角間の里山自然学校」(開設1999年)を設け、教育と研究、社会貢献を推進する「里山里海プロジェクト」(研究代表・中村浩二特任教授)を進めてきた。「能登半島 里山里海自然学校」は能登半島への第一歩だった。里山里海自然学校で実施したことは、生物多様性(植物・昆虫・鳥類・水生生物・キノコなど)の調査を市民と常駐する研究スタッフ(博士研究員)がいっしょになって調査するオープンリサーチ(協働調査)という手法だった。休耕田を利用した水辺ビオトープづくりや、雑木林を整備するキノコの山づくりを、地元のみなさんと進めてきた。このほか、トキやコウノトリが舞う能登の里山復興を目指した基礎研究や、「旅する蝶」アサギマダラの調査を通じた子供たちへ環境教育、郷土料理を通じた食育活動など多岐にわたった。こうした珠洲市の市民の協働活動の実績を踏まえて、NPO法人能登半島おらっちゃの里山里海が2008年に設立された。

 能登は里山里海の自然資源、多様な生業(なりわい)とそれに伴う伝統行事や文化に恵まれているが、一方で過疎・高齢化などの問題に直面している。こうした地域の課題に対応し、地域活性化や再生に活かす地域人材を育てる事業が、2007年に能登学舎でスタートした「能登里山マイスター養成プログラム」だった。養成対象は社会人(45歳以下)で、5人の教員スタッフが駐在して指導している。2年間のカリキュラムで講義と実習を通し、環境配慮の農業や農産物に付加価値をつけて販売する「6次化」のノウハウや、地域の伝統文化や海や山の自然資源をツーリズムへと事業展開する方法などを学ぶ。2012年3月までの5年間で62人が修了、うち14人が県外からの移住者だった。地元自治体(珠洲市、輪島市、穴水町、能登町)から事業継続の要望があり、2012年10月から後継事業として「能登里山里海マイスター育成プログラム」を実施している。首都圏から能登空港を経由して通う受講生や金沢方面からの受講生も増えたため、濃縮したカリキュラムに工夫して月2回・1年間のコースに改編した。2014年9月まで7年間通算して107人の修了生が能登学舎を巣立った。

 ほかにも、里山里海の「いきもの」と人々の繋がりを伝える「能登いきものマイスター養成講座」や、3年間で1000人の学生や研究者を能登に呼び込む調査交流を目的とした「のと半島里山里海アクティビティの創出」などの事業を実施した。こうした人材養成や交流活動の実績が、能登の里山里海とその文化を「SATOYAMA、SATOUMI」として世界に発信する事業活動へと展開している。

 能登学舎を訪れた2人の国連関係者の方を紹介する。まず、アフメド・ジョグラフ氏。2010年の国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、名古屋市)の事務局長を務められた方で、2008年9月に能登半島を視察された折に、能登学舎で「能登里山マイスター養成プログラム」の自然と共生する人材養成の取り組みに耳を傾け、「里山里海自然学校」が造成したビオトープを視察した=写真・下=。続いて、国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(世界重要農業遺産システム=GIAHS)の創始者で事務総長だったパルビス・クーハフカーン氏は2010年6月視察に訪れた。COP10では、日本からの提案で「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、日本の里山が注目されるようになった。2011年6月、FAOの世界農業遺産に「能登の里山里海」が日本で初めて佐渡とともに認定さた。認定に先立つFAOからの現地視察で、生物多様性など自然との調和を掲げた農業人材の育成に取り組む「能登里山マイスター養成プログラム」が、GIAHSコンセプトである持続可能な地域社会づくりに寄与するとして、高い評価を受けた。

 こうした流れを受け、2010年より、国際協力機構(JICA)の研修「持続可能な自然資源管理による生物多様性保全と地域振興~SATOYAMAイニシアティブの推進~」が石川県で実施され、能登学舎は受け入れ拠点の一つとなっている。里山里海プロジェクトの活動の評価と実績が認められ、2013年度からのJICA草の根技術協力事業として、「フィリピン『イフガオの棚田』の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援」事業が採択され、能登で培われた人材養成の手法が海外へ移出展開することになるきっかけとなった。

 2014年8月、能登学舎を拠点に「学長と行く能登合宿」が実施された。2泊3日で学生40人余りが能登学舎周辺の小泊地区を中心としたお宅に民泊をさせていただきながら、山崎光悦学長と学生が珠洲市の山林で草刈りなど保全活動を体験した。山に入り作業を行うのはほとんどの学生たちにとって初めての経験だったが、チャレンジする心、精神力というものをこの場で得たようだ。能登の里山里海のフィールドを学生たちの「人間力」を鍛錬する場としても今後とも活用していく計画。これは「COC(地<知>の拠点整備事業)と呼ばれるプロジェクトの一環で、学生たちが地域に学び、地域のニーズと大学の研究を結ぶことで地域の課題解決を目指す、また、社会人の生涯教育を充実させる、3つのプログラムが成っている。珠洲市役所に隣接してCOC事業のサテライトプラザが新たに開設された。今後、金沢大学の学生・研究者が珠洲に行き交う光景がさらに増えることになる。

 2014年10月、珠洲市により寄付された「能登里山里海研究部門」が新たに金沢大学に設けられ、特任准教授と特任助教が能登学舎に着任した。これまでも、能登の里山里海研究を推進してきたが、これらの成果を活かし、さらに多様な専門性をもつ研究者の参画を得て、「能登の里山里海」の学際的評価を行うことになる。とくに、地域の自然や文化資源の調査活動などを通して、地域社会の活性化や自然共生型のライフスタイル、持続可能な地域社会と人づくり、里山里海をテーマとした国際的なネットワークの構築、地域課題の解決に向けた政策の提言などを目指す。こうした研究の成果をシンポジウムなど通じて、市民や行政に還元していく。

 能登学舎から見える里山里海の風景が心なしか明るくなっているように思えます。それは人の往来が少しづつではあるが、にぎやかになっているからだ。県内外、国内外の人々が能登を目指して、学びにやってきている。もうしばらくは能登通いが続く。

⇒28日(日)正午・金沢の天気  くもり

☆2014ミサ・ソレニムス~4

☆2014ミサ・ソレニムス~4

ニュースの仕入れ先は新聞やテレビという時代は確実に終わったようだ。ただ問題がある。先のブログでも紹介した、11月18日に実施した金沢大学の学生131人の意識調査の話にもう一度戻る。

   ~ ニュースなど情報の仕入れ先はインターネットだが、その信用度は別物 ~

 
 「ニュースの情報は主に何を使って収集していますか」という質問に対しては、「テレビ」が50.4%、「インターネット」が43.5%。この2つで9割を超え、新聞は6.1%だった。インターネットでニュースを仕入れる人のうち、「検索サイト(Yahoo!、Googleなど)」を使うのは82.1%、「ツイッター」を使うのは10.4%だった。さらに、「複数のメディアを使ってニュース情報を収集していますか」との問いには、77.9%が「はい」と答えたが、その組み合わせはやはり「テレビとインターネット」が最多で72.5%と圧倒的だった。

 ところで、「新聞を購読していますか」という質問に「はい」と答えたのは30.5%で、そのうち自分で購読している学生は30.0%、家族が購読している学生は62.5%だった。購読しない理由は、「お金の問題」が43.2%を占め、「他のメディアで十分」「時間がない」がそれぞれ19.3%だった。しかし、「もっとも信頼できるメディアは何だと思いますか」という問いには「新聞」との答えが43.1%と最多だった。続いて「テレビ」が35.4%で、「インターネット」は10.8%だった。玉石混交の情報がある中で信憑性も見分けれないという状態に陥っている。

  若者はインターネットという便利な百科事典を持っているようなものだ。携帯電話などの通信費が毎月かかり、その携帯電話でニュースを読めるならわざわざ新聞は購読しないだろう。しかし、その情報の信用性については学生も悩んでいるのではないかと推察する。便利だけれど、どこまで信じればよいのか。だから、新聞社のクレジットがついているニュースを読む傾向もある。

  では、テレビに対する学生の意識はどうか。「1日のテレビの視聴時間は」という質問には、「1時間以上3時間未満」が40.5%、「1時間未満」が37.4%で、「ゼロ」という学生も15.3%いた。「今のテレビについてどう思いますか」(回答は自由記述方式)という質問には、「図などを作ってわかりやすくなっていると思う」「情報をいち早く伝えている」などの肯定的な意見は少なく、「似たような番組ばかりで多様性がない」「つまらない」「意見の偏りを感じることがある」など否定的意見が実に多数を占めた。

  文字情報より映像情報が分かりやすいというのがテレビの魅力だろう。しかし、その時間にリモコンのボタンを押さなければならないし、ダビング(録画)も面倒で結構忘れる。一長一短だ。しかも、番組に多様性が感じられない。どのチャンネルも同じような内容だ。そう感じる学生たちのテレビへのスタンスは厳しいものがある。テレビ番組がインターネット化でも自由に視聴できるように、アーカイブ化の取り組みなどこれからが勝負どころだろう。もちろん、ライツ(著作権)という大きなハ-ドルがある。

⇒27日(土)夜・能登地方の天気    はれ