⇒ドキュメント回廊

★ 「令和元年」回顧=日韓亀裂

★ 「令和元年」回顧=日韓亀裂

   今の日本と韓国の関係性をたとえるなら、「信なくば立たず」という言葉に尽きる。もともと、孔子が、政治を執り行う上で大切なものとして「軍備」「食糧」「民衆の信頼」の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いたことに由来する。相互に信頼があってこそ成り立つ、人と人、人と国、国と国の関係性だが、残念ながら現在の日韓ではこの関係性は成り立たない。

          「信なくば立たず」、亀裂状態が続く日韓関係

   その発端は2018年10月30日、朝鮮半島から内地に動員された元「徴用工」といわれる人たちが、日本企業を相手取って損害賠償を求めていた裁判で、韓国の最高裁は賠償を命じる判決を言い渡した。これに対して、日本政府は1965年の日韓請求権ならびに経済協力協定で、請求権問題の「完全かつ最終的な解決」を定めているので、韓国の最高裁が日本企業に対する個人の請求権行使を可能としたことは、「国際法に照らしてありえない判断」(安倍総理)と強く批判している。「徴用工」は強制的に労働をさせられたいう意味合いでくくられているが、果たして実態はどうだったのか。出稼ぎで日本にやって来た人たちも多くいた。いまのままでは、戦前に日本で働いた朝鮮半島の労働者はすべて「徴用工」であり、受け入れ企業すべてが賠償請求の対象になる。

   2018年12月20日、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。火器管制レーダーは、ミサイルで対象を攻撃するために距離や高さ、移動速度を計測するためのもので、通常のレーダーとは全く違う。当時の岩屋防衛大臣が翌日21日の緊急記者会見で、このレーダー照射の一件を公表した。火器管制レーダーを照射したのは韓国海軍の駆逐艦「クァンゲト・デワン」。P1は海上自衛隊厚木基地所属。P1は最初の照射を受け、回避のため現場空域を一時離脱した。その後、状況を確認するため旋回して戻ったところ、2度目の照射を受けた。P1は韓国艦に照射の意図を問い合わせたが、応答はなかった。照射は数分間に及んだ。防衛省ホームページには、撮影した動画が掲載されていて、経緯が紹介されている。

   ことしに入ってさらに韓国側の「あおり」外交がエスカレートする。8月23日、韓国側からGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄(延長拒否)を決定したと発表した。その理由が、日本側の不誠実な態度が韓国の国家的自尊心を喪失させ、日韓の信頼関係が失われたとしていた。そして、GSOMIA破棄についてにはアメリカ側からの理解を得らているといると説明した。これは、日本側が8月2日に韓国を「ホワイト国」から除外する決定をしたことへの趣意返しだった。韓国側の輸出管理制度に不備があり、軍事転用される可能性があるフッ化水素、レジスト、フッ化ポリイミドの3品目を個別許可とし、優遇措置(一般包括許可など)を停止するというものだった。 

   ところが、韓国側は11月22日、破棄を決定していたGSOMIA(軍事情報包括保護協定)について失効期限(23日午前0時)の直前に回避を決めた。日米韓の安保協力を重視するアメリカ側の強い圧力で韓国側が土壇場で折れたカタチだが、米韓関係にしこりが残った。その6日後の28日、北朝鮮はEEZに向けて弾道ミサイル2発を打ち上げた。

⇒28日(土)午後・金沢天気    はれ

☆ 「令和元年」回顧=迫る危機

☆ 「令和元年」回顧=迫る危機

      石川県には「森林環境税」がある。給与所得者の場合、毎年500円が給与から天引きされ、住んでいる市町へ納付される。会社などの法人も負担していて、年間で2億円余りになる。これが、手入れ不足の森林の整備や放置竹林の除去など、クマやイノシシなどの野生獣の出没を抑止するための里山林の整備などに充てられている。

       「中山間地ハザード」は日本の課題モデル

   それにしても、日本の森林は危機的な状況かもしれない。森林の所有者が高齢化し、後継者が都市生活者となる中、森林に整備の手が入らずが荒れ放題になっている。豪雨などによる大量の倒木が自然災害をより深刻なものにしている。さらに、イノシシやクマ、ニホンジカ、サルなどによる農作物などへの被害は年々増え続け、里山だけでなく市街地にまで広範囲化している。 

   きょう出席した会議での話だが、能登半島の先端、珠洲市で2018年度に捕獲・処分されたイノシシは1600頭、隣接する輪島市では2000頭に上る。イノシシの成獣を処分すると1頭当たり3万円が支払われる。処分したイノシシの多くは、捕獲した人が所有する山林に埋める。いま問題となりつつあるのは、埋める場所がもうなくなりつつあることだ。最近海岸に流れ着くイノシシの死がいが報告されるようになっている。担当者は「海岸の崖から転落したというより、埋める場所がなく、不法投棄されたのではないか」と案じていた。

   各自治体では億単位のお金をつぎ込んで捕獲獣の処理施設を造り始めている。ただ、地域の高齢化でイノシシなど野生獣を捕獲する人は年々減少していくだろう。一方で、イノシシのメスは一頭で平均26匹前後の子を産むとされる。

   手が入らなくなった中山間地におけるもう一つの問題は、ため池である。川がない地域などで農業用水を確保するために中山間地にため池が造成された。中には中世の荘園制度で開発された歴史あるため池も各地に存在する。農業の担い手がいる地域では、梅雨入り前にため池の土手を補修するなど共同管理している。問題となっているのは、担い手がいなくなったため池である。大雨によってため池が決壊すれば、山のふもとにある集落は水害と土砂災害が一気に襲ってくることになる。農水省がことし6月発表した、自然災害で人的被害が生じる恐れがある「防災重点ため池」は全国6万3千ヵ所に及ぶ。農業用ため池全体(16万6千ヵ所)の実に4割を占める。

   ため池を放置すれば土砂崩れや水害のリスクが高まる。沼地化して、その後に樹木が生えて原野に戻っていくこともある。一方でため池は生き物の楽園でもある。能登半島はコハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどの飛来地としても知られる。これらの水鳥はため池と周辺の水田を餌場としても利用している。また、ため池は絶滅危惧種であるシャープゲンゴロウモドキやトミヨ、固有種ホクリクサンショウウオなど希少な昆虫や魚類の生息地でもある。ため池の管理が大きな曲がり角に来ている。

   森林を放置すれば獣害、ため池を放置すれば自然災害。中山間地におけるハサードであり、日本の課題モデルではないだろうか。

(※写真は、共同管理がなされている、石川県七尾市の漆沢の池。400年以上も前に造られ、農水省の「ため池百選」に選ばれている)

⇒27日(金)未明・金沢の天気    あめ

★「令和元年」回顧=ONE TEAM

★「令和元年」回顧=ONE TEAM

    今年話題となった言葉を選ぶ「2019ユーキャン新語・流行語大賞」の年間大賞に、ラグビーワールドカップの決勝トーナメントに進出した日本代表のスローガン「ONE TEAM」が選ばれた。予想通りだった。多国籍を超えて、日本チームとして結束しているところが見事だった。国歌斉唱では外国人選手も「君が代」を歌い、むしろグローバルさを感じたものだ。

      「ONE TEAM」が教えてくれた次なる可能性  

    この「ONE TEAM」の在り様は、日本の将来の進路ではないかと考える。急速に進む少子高齢化で働き手や担い手が不足する中、日本の多国籍化を進めていく。国際化と言うと共通の理念が求められるが、目標に向かって結束する場合は多国籍化でよいのではないか。多国籍化が求められるのは、スポーツだけでなく、研究開発やマーケット戦略、生産性や教育分野など幅広い。市民生活でもあえて日本人の社会に溶け込む必要はない。日本の法律の下でお互いに暮らし安さを追求すればそれでよい。そんなことを想起させてくれたのが「ONE TEAM」の戦いぶりだった。

    そこで、「ONE TEAM」を多国籍型の移民政策だと想定してみる。実は「ONE TEAM型移民政策」はすでに動いている。政府は、2020年を目途に留学生受入れ30万人を目指す「留学生30万人計画」を外務省や文部科学省に指示して推進している。たとえば、金沢大学でも2023年までに外国人留学生2200人の受け入れを目指している。法務省は留学生に在留資格を発行していて、留学生がさらに国内の企業へ就職する場合は在留資格の変更許可を出している。2018年の許可数は2万5942人で、前年に比べ3523人、15.7%も増加している。日本の大学で専門性を身につけた留学生が日本の企業で就職するケースは今後増えるだろう。

    事例がある。金沢市にある繊維会社(インテリア、スポーツ衣料)は、社員52人のうち28人が外国人だ。留学生を積極的に採用している。生産管理と品質管理、営業は専門性を持ったベトナムや中国人スタッフが担当。金沢本社とアジアの生産工場を往復するマネジメントのスタッフもいる。こうした海外に生産拠点を置く企業だけでなく、サービス産業やITベンチャー企業も外国人採用枠を増やしているのだ。会社の中で互いに技術やアイデアを競い合う多国籍型の会社組織が当たり前の時代になりつつある。

     もう一つの「ONE TEAM多国籍型移民政策」は、今年4月から施行された改正出入国管理法(入管法)だろう。高度な試験に合格し、熟練した技能を持つ人は長期就労も可能になり、家族の帯同も認める(特定技能2号)。地域の企業がグローバル展開するには、有能な外国人技術者を獲得し、そして地域に定住してもらう政策が必要となる。石川県内にはそれを積極的に進めている自治体がある。

     自治体の首長はこう語った。「有能な外国人技術者を雇用すると妻子を伴ってくるケースが多い。その子どもたちの教育環境を整えることで、企業はそれを誘い文句に、海外からの優秀な技術者をスカウトしやすくなる」と。首長に「では、どのような教育環境が必要なのですか」と突っ込んで尋ねると、「それはインターナショナルスクールのような教育環境だろう」と明快だった。

     地域にインターナショナルスクールの教育環境を整えること、それが海外から技術者を呼び込む「試金石」になる。地域の企業も国際的な大競争の時代にさらされている、そこをどう生き残るかまさに地域の未来課題でもある。「ONE TEAM」が示唆するテーマは実に深い。

⇒26日(木)朝・金沢の天気    はれ

☆「令和元年」回顧=台風余波

☆「令和元年」回顧=台風余波

    4月30日「平成の大晦日」の夜は金沢のワインバーで過ごした。ワインの話で盛り上がっているうちに、カウントダウンが近づいた。5月1日まであと10秒。カウンターの客が「9、8、7、6、5、4、3、2、1」と声をそろえた。「令和」が始まった。すると、ソムリエがシャンパーニュを振る舞ってくれた。改めて、令和の幕開けに乾杯した。2019年における感動の一場面だった。平成の世と同じく、令和も戦争のない平和な時代であってほしいと願うばかりだ。まずは、「令和元年」を振り返ってみる。

       「台風19号」がさらなる風評被害を呼ぶとしたら・・・

     北陸に住む一人としてショックだったのは、10月の台風19号の大雨で長野県千曲川の堤防が決壊し、長野市にある新幹線車両センターの北陸新幹線の車両が水に浸かった画像だった。豪雪にも強いと頼っていた北陸新幹線だけに、10編成、120車両が並んで水に浸かっている様子は痛々しかった。13日の始発から東京-金沢間すべて運休となった。10月13日から25日までの全面運休。石川県の調べで、県内の主な温泉地と金沢の主要なホテルだけで2万1700人のキャンセルがあったという。中小のホテル・旅館、ゲストハウスなど含めれば、おそらくその2倍の数字になるだろう。

    北陸新幹線の東京-金沢間は同月25日には台風前の9割の本数で運転再開し、11月30日には定期列車の本数が台風前と同等になった。北陸人としてはホッとした。ところが、先日東京に出張があって山手線に乗ると、電光掲示板に「【北陸新幹線 お知らせ】北陸新幹線は、台風19号の影響で、暫定ダイヤで運転しています。時刻等の詳細はJR東日本ホームページをご確認ください。」と表示されている。ホームページをのぞくと、東京-長野間で一部減便となっている。でも東京-金沢は100%なのだ。

    もし、「金沢へカニを食べに行こう」と思い浮かべている人がこの掲示板を見たらどう思うだろうか。「台風19号の影響がまだ続いているのならあきらめよう」となるのではないか。関東にも相当なダメージを与えた台風だけに、「台風19号」そのものが風評被害となるのでは。JR東日本を責める訳ではないが、表現の仕方を工夫してほしいと思ったのは北陸に住む一人としての偽らざる気持ちだ。

⇒25日(水)午後・金沢の天気     はれ

☆落ち葉の季節、ツワブキの花

☆落ち葉の季節、ツワブキの花

        11月になり、朝は冷え込み、落ち葉が舞っている。兼六園では雪吊りの作業が始まっている。まさに金沢の晩秋の風景だ。この頃になると、自宅庭の隅にツワブキが黄色い花を咲かせる。花は菊のよう。緑色の葉はフキに似ていてつやつやと輝きを放つ。晩秋に彩りを添えている。

   ネットで検索すると、ツワブキはつやのあるフキの葉である「艶葉蕗(つやはぶき)」が転訛したとの説があるようだ。そして花言葉は「謙遜」や「困難に負けない」など奥深い言葉が並ぶ。ツワブキには「石蕗」の漢字が充てられている。確かに近所でも、庭の石組みの間などに植えられている。いろいろ特徴のある植物だが、うれしいのは花の少ないこの時期に咲いてくれることだ。さっそく活けて床の間に飾ってみた。

   床の間は掛け軸がメインなので、あまり大きくない葉と花の方が落ち着きと品が保てる。掛け軸の添えとして床にちょっとしたワンポイントを付ける感覚ではある。葉を3枚、花を切り3つにする。信楽焼の花入れに、まず葉を入れ、そして花を添える。「野に咲く花のように」が床の間の花の基本なので自然な形状を心がける。

   掛け軸は短冊で『開門多落葉』。門を開けば落ち葉多し。冬も近づき、勢いがあった樹木も落ち葉を散らす。季節の移ろいと、もののあわれの風情を感じさせる短冊ではある。その掛け軸の下にささやかに咲くツワブキがある。床の間を見て、ふともの思いにふける。

   落ち葉の季節を自分の人生に重ね合わせてしんみりとするは必要はない。同じ地面でも目線を変えれば、石組みのすき間の中からささやかに花を咲かせ、つやつやとした葉を見せてくれるツワブキがある。こだわりを捨て切り、その日一日を粛々と生きる。ただひたすらに、ありのままに「よし、生きる」との前向きな心境になれば、別の風景も見えてくるものだ。「日々是好日」という言葉があるではないか。

⇒3日(日)夜・金沢の天気    くもり

★インターネットの巨大隕石論、その後

★インターネットの巨大隕石論、その後

   自宅近くにあった大型書店が閉店し、コンビニエンスストアになった=写真=。これまで利用してきた書店だけに、「長い間のご愛顧に感謝しますとともに、皆様にご不便ご迷惑をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます。」と書かれた貼り紙が心寂しい。76年の老舗デパートの閉店も最近あった。既存の販売システムがインターネット通販などに押されて姿を消す現象が北陸でも顕著になってきた。

   「インターネットの巨大隕石論」は、ソニーの元会長、出井伸之氏が20年も前に述べたたとえだ。6500万年前、メキシコのユカタン半島に落ちた巨大隕石が地球上の恐竜を絶滅させたといわれるように、インターネットを現代の産業社会に落ちた隕石にたとえた。ネットが流通やメディアなど既存産業にも打撃を与え、ネット社会に対応した改革が出来なければ、いずれ絶滅する。出井氏のたとえをそのように解釈している。冒頭で述べた大型書店の閉店はその光景をイメージさせる。    

   新聞・テレビのマスメディアも同じ光景になるのか。アメリカの現状は想像を超える。アメリカではネットへの広告費のシフトが急速に進み、2008年のリーマン・ショック以降、212の新聞が廃刊になっている。新聞記者も激減した。1990年代に5万6千人とされたが2014年には3万8千人に減った(アメリカ連邦通信委員会=FCC)。「取材の空白域」や「メディアの過疎地化」といった現象がアメリカ各地で起きている。2010年7月、カリフォルニア州ベル市の不正給与問題は「空白域」で起きた事例として知られる。新聞だけでなく、ネット動画配信が普及したアメリカでは視聴者によるコードカッティング(Cord Cutting)と呼ばれる「テレビ離れ」が深刻で、テレビ業界の経営が危ぶまれている。

   FCCは2017年7月、地域におけるテレビ局と新聞社の兼業を禁止するメディア法の規制緩和に踏み切った。これによりテレビ局と新聞社のM&A(合併・買収)で、取材網の共通化やネット事業への投資など多様なメディア展開が可能となった。アメリカにおける既存メディアは生き残りへ必死の戦いを繰り広げている。

   日本のメディアの現状はどうか。元毎日新聞役員の河内孝氏が2007年に日本外国特派員協会で講演した「Lonesome Dinosaurs(ロンサム・ダイナソーズ=寂しげな恐竜たち)」をネットで知り、著書『新聞社-破綻したビジネスモデル』(新潮社、2007)を購入した。部数至上主義で走ってきた新聞ビジネスがネットの時代に立ち行かなくなる理由を克明なデータをもとに解析したものだった。12年経って現状はどうか。確かに、新聞各社は広告収入も部数も徐々に落ちてはいるが、宅配によって新聞の販売収入でなんとか経営的には維持している。

   ネットで読むニュースの情報源の多くは新聞とテレビの既存メディアだ。既存のメディアがなくなれば、フェイクニュースがあふれる、まさに暗黒の世界になる。アメリカが先行している、新聞社とテレビ局とのM&Aへの動きを日本でも始めるべきではないだろうか。民放テレビでは、系列のテレビ各局を傘下に入れる放送持株会社があるが、共倒れになる可能性もある。生き残りをかけた取材網の共通化やネット事業への共同参画といった点で、テレビ局と新聞社のM&Aが必要ではないだろうか。

⇒15日(火)夜・金沢の天気     くもり

☆台風の最中、正常化の偏見

☆台風の最中、正常化の偏見

    きょうは朝から雨風が絶え間なく吹き寄せている。金沢では午後から相当荒れそうだとTVニュースで報じているので、緊張する。午前中に7都県の140万人以上に避難指示や勧告が出され、9月の台風15号の被害を受けた千葉県市原市では竜巻によって住宅が倒壊するなどの被害が出ているようだ。窓から外庭を見つめていると、ムクゲの花が一輪咲いているのに気がついた。風で花が散ってはもったいないとの衝動にかられ、ハサミをもって風雨の庭に出て、小枝ごと切ってきた。

    ムクゲは、白の一重花に中心が赤い、いわゆる底紅(そこべに)という種類だ。茶道の三千家(表、裏、武者小路)の祖とされる千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。アカジクミズヒキとともに活け、和室の床の間に飾る=写真=。ムクゲは早朝に咲き、一日でしぼんで落ちてしまうことから、花の命は短く、「ムクゲ花、一日の栄」と茶席では言ったりもする。私自身はムクゲはたくましい花だと感心している。花一輪は短命でも、次から次と咲き続け花期が長い。ただ、きょう摘んだ花は最後の一輪かもしれない。

    以下は勝手な解釈だ。千宗旦が好んだとされる底紅はそのたくましさにあるのではないか。宗旦は千利休の孫にあたる。利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられ、利休の先妻の子・道庵と後妻の子・小庵は地方に逃れる。京に戻ったのは数年後で、徳川家康や前田利家らが取りなした。小庵は秀吉から利休の遺品を下賜され、京の千家の後を継ぐ。道庵も京に戻り、利休の出身地である堺の千家を継ぐが、道庵の没後に絶えてしまう。秀吉の没後、小庵は家康に仕えて、その後、小庵の子・宗旦に千家を譲る。それぞれは短命ながら、必死に茶道を継いできた。そうしたファミリー・ヒストリーを宗旦は底紅にイメージを重ねたのかもしれない。

   ブログを綴っているうちに風雨がさらに強くなってきた。ニュースでもよく使われるようになった防災用語に「正常化の偏見」や「正常性バイアス」という言葉がある。目の前に危険が迫ってくるまで、その危険を認めようとしない人間の心理傾向、あるいは危険を無視する心理のことを指すようだ。ということは、台風の最中に庭に出て、花をめでようとする行為はまさに正常化の偏見の極みか。

⇒12日(土)午後・金沢の天気   あめ

★『人間到る処青山あり 極鮨道』

★『人間到る処青山あり 極鮨道』

   昨夜(11日)は金沢のすし屋に入った。サザエのつぼ焼きから始まって、藻塩(もじお)を少しふってつまむバイ貝、アジの炙(あぶ)り、甘エビ、マグロ、アナゴと海の幸が彩りよく次々と出てくる。新鮮な素材と、店主のスピード感ある包丁さばきや握りの技術、そして6人掛けの小さなカウンターが絶妙な食の空間を醸し出す。

   カウンター向こうの壁に『粋』と墨書の大額が飾られている。その右下に『人間到る処青山あり 極鮨道』と。店主に、「じんかんいたることろせいざんあり すしどうをきわめる」と読み方を確かめると、「そうです。ほとんどのお客さんは『にんげん』と読まれますが、『じんかん』で正解です」と。世の中どこで死んでも青山(墳墓の地)はあるから、夢を達成するためにあえて郷里を出る。鮨道(すしどう)を極める。店主自らの書である。

   店主はもともと千葉の出身で、東京銀座の寿司店で修業を積んだ。金沢は縁もゆかりもなかったが、旅行で訪れた金沢の近江町市場に並ぶ魚介類の豊富さと鮮度の高さに惚(ほ)れ込んだ。すし屋として独立するなら金沢でと決めて単身で移住した。『人間到る処青山あり 極鮨道』は自らの決意の書でもある。北陸新幹線金沢開業の1年後の2016年3月開店にこぎつけた。しかし、金沢で「鮨道」を極めるには超えなければならない難関が待っていた。開店仕立てのころ、江戸前の銀シャリの味が金沢の食通の人に馴染まず、酢の配合が定まるまで試行錯誤の日々だったという。

   この話を聞いて、人間到る処青山ありの意味は単なる場所の移動ではなく、専門分野の技術革新(イノベーション)と解釈できないだろうかと直感した。専門分野に自らが閉じこもるのではなく、その専門性をベースにして広い視野に立ち、自らの可能性と生き様を追求する。江戸前の技術で北陸の食材を輝かせ、これまで金沢では味わえなかった「すし文化」を醸し出している。

   店主が秋田の日本酒を出してくれた。「美酒の設計」という銘柄で、酒米「山田錦」を55%まで精米した純米吟醸だ。透き通るような香味と洗練された酒質はまさに「上善(じょうぜん)水の如し」をイメージさせてくれる。そしてネーミングがいい

。試行錯誤を繰り返しながら美酒を醸すことに苦心しただろう。それをあえて気取らずに、醸造という科学の成果との意味を込めて「美酒の設計」とした心意気が、この店の雰囲気とも調和する。実に楽しい夜だった。

⇒12日(祝)朝・金沢の天気    はれ

★松本で国宝二つ、そば一つ

★松本で国宝二つ、そば一つ

   北陸新幹線で長野駅に行き、それから在来線で1時間ほど。松本駅に着いた。松本城をゆっくり見学したいとの思いにかられ、東京出張の折、予定を変更した。

   松本城は400年余りの風雪に耐えた国宝である=写真・上=。黒門をくぐり天守閣に入る。鉄砲蔵で火縄銃など見ながらさらに上階へ。斜度61度の急階段は袴姿の殿様も大変だったろうなどと想像しながら天守6階にたどりついた。ここは周囲を見渡す「望楼」で、さらに天井には城の守り神「二十六夜神」が祀ってあった。権勢を誇る城というより、常在戦場を心得る場だったのだろう。

   それにしても感心したのは天守閣の床や階段が磨き上げられていることだった。ボランティアガイドのシニア男性に尋ねると、市内の中学生や市民が年に10数回集い、床を糠袋を使って磨いているそうだ。市民が誇りに思い、愛される城なのだと実感した。

   もう一つ国宝を訪ねた。松本城の近くにある「開智学校」だ。令和に入り、文化庁が答申した。1876年(明治9年)の建設。漆喰塗りの外壁を持つ2階建ての屋根上に八角形の塔を載せたデザインで、まさに洋風と和風の伝統意匠を織り交ぜた建築物だ=写真・中=。当時の学校建築としては先駆的で画期的だったろう。校舎は1963年(昭和38年)まで、実際に小学校として使われていた。展示品も見学した。この学校では1901年(明治34年)から丁稚奉公や芸妓の稽古などに出て学ぶ時間や機会がない子供たちのための夜間学校や、障害を持った子供たちのための教育など行ってきた。まさに「だれ一人取り残さない」教育の場だった。

   松本見学の締めくくりは信州そばだった。城の近くで50年余りそばを打っているという店に入った。思いが一つあった。出雲そばとの比較だ。昨年11月、国宝・松江城の近くの店で名物「割子そば」を食した折、出雲のそばは松江藩初代の松平直政(徳川家康の孫)が、信州松本から出雲に国替えになって、そば職人を信州から一緒に連れて来たと聞かされていた。出雲そばと信州そばは歴史的なつながりを確かめたかった。

   入った店は黒焼きの壺にビワの青い葉が生けられ、白壁に映えて気品が漂っていた。ただ、店にはメニューがない。黙って座っているだけ。日本酒が運ばれて来る。その後、ざるそばが出てきた=写真・下=。出雲そばと信州そばの歴史的な共通性を食感で得たのか。粗切りされたそばはすするのではなく、噛むそばだった。香りがよい。つゆも醤油味が濃いめで独特の甘みが少々ある。これが双方の共通点といえば、そうなのかもしれないと思いながら店を出た。

⇒8日(月)夜・金沢の天気    はれ

☆80歳半ば現場に立つチカラ

☆80歳半ば現場に立つチカラ

   きのう(5日)金沢市で開かれた「ディナーショー」に参加した。市内のクッキングスク-ルが主催した「七夕 シャンソン 和フレンチ」。そのタイトルに魅かれ予約していた。シャソン歌手が定番の「Que Sera, Sera(ケ・セラ・セラ)」などを披露したが、面白かったのは森山良子が作詞した「Ale Ale Ale(アレアレアレ)」。「ああ あの時のあの Ano Ano Ano あの人の名前がでてこない・・・」。高齢者の表層的な表現をうまく歌にして聴衆の笑いを誘った。超高齢化社会になるとこのようなエンターテイメントが創作できるのかとある意味感心した。

   このディナーショーを仕切ったのは、クッキングスク-ル校長の青木悦子さん、御年80歳半ばである。ディナーショーのチラシからメニューも自ら考案しスタッフに細かく指示したものだ。「百万石パリ祭の一皿」と名付けたメニュー=写真・上=は鮎のから揚げ、鶏ハム、海老とキノコのシンフォニーココットパイ包み。青木さん自身も鮎のから揚げを頭からパリパリと食べ、「だからパリ祭と名を付けたのよ」と笑う。「焼きおにぎり茶漬け」は梅肉、ワサビ、そしてアボガドを入れた茶漬けだ。アボガドのまろみが茶漬けとの親和性を醸し、茶漬けをより異次元の味覚の世界へと誘ってくれる。こんなコメントもあった。「男性の味覚は母の味、女性の味覚は旅の味、気が付けば親はなし、ですよ」。アイデアと人生観に満ちた言葉、そして料理への限りなき愛着、恐るべし80歳半ばである。

    青木さんと初めて出会ったのは私の新聞記者時代。石川県内の食文化をくまなく独自で調査し、まとめたものを『金沢・加賀・能登・四季の郷土料理』 (主婦の友社・1982)として出版した。能登の発酵食の独自性や武家文化と加賀料理の関わりなど、食文化から見えてきた地域の在り様は実に新鮮で画期的だった。80歳を過ぎても青木さんの探求心は揺らいでいない。アボガド茶漬けは周囲からアイデアを聞き、工夫を凝らした新作なのだ。   

   80歳半ばで現場に立つチカラを発揮するもう人物をもう一人知っている。86歳、杜氏として造り酒屋で蔵人たちを指導する農口尚彦さんは国が卓越した技能者と選定している「現代の名工」であり、日本酒ファンからは「酒造りの神様」、地元石川では「能登杜氏の四天王」と尊敬される。昨年1月、小松市にある醸造現場を見学させてもらった。開口一番に「世界に通じる酒を造りたいと思いこの歳になって頑張っておるんです」と。いきなりカウンターパンチを食らった気がした。グローバルに通じる日本酒をつくる、と。そこで「世界に通じる日本酒とはどんな酒ですか」と突っ込んだ。「のど越し。のど越しのキレと含み香、果実味がある軽やかな酒。そんな酒は和食はもとより洋食に合う。食中酒やね」。理路整然とした言葉運びに圧倒されたものだ。農口さんの山廃仕込み無濾過生原酒=写真・下=にはすでに銀座、パリ、ニューヨークなど世界中にファンがいる。

   青木さん、農口さんの二人に共通するのは80歳半ばにして自らの技の領域がさらなる広がりを見せていることだ。シャソンと響きあう和フレンチ、そして洋食に合う酒造り。人としての様々な道のりがあったことは想像に難くない。それを乗り越え現役としてものづくりの現場に立つという人生のモデルがそこにある。

⇒6日(土)夕・金沢の天気    くもり