⇒ドキュメント回廊

☆花の命は短くも、コロナは散らず

☆花の命は短くも、コロナは散らず

   このところの雨風で桜吹雪が舞い散り、自家用車に花びらがこびりつく。給油スタンドで洗車すること2回、毎年のことながらようやく桜の季節が終わったと実感した。自宅の庭先には、ヤマシャクヤク(山芍薬)とイチリンソウ(一輪草)が競うように白い花を咲かせている=写真=。

   山芍薬の白い花は丸いボール型に咲く、「抱え咲き」の花である。3日か4日で散ってしまう。花の命が短いだけに、実にけなげで清楚な感じがする。名前の由来の通り、もともと山中に自生している。根は生薬として鎮痛薬として利用される。山の芍薬はかつて乱獲され、今では環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に登録されている。花言葉は「恥じらい」「はにかみ」。日陰にそっと咲く。   

   写真手前のイチリンソウ(一輪草)は「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるように、早春に芽を出し、白い花をつけ結実させて、初夏には地上からさっと姿を消す。一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける様子が「春の妖精」の由来だろうか。1本の花茎に一つ花をつけるので「一輪草」の名だが、写真のように群生する。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こす。

   それにしてもなかなか咲かない花が、新型コロナウイルスの対策に伴う給付金だ。当初の「減収世帯へ30万円」から急きょ実施が決まった「1人一律10万円」。花の大きさにたとえると、減収世帯30万円はヤマシャクヤクのようで清楚さを感じたが、一律10万円はイチリンソウのよう。小さな花がたくさん咲いてにぎやかしく思えたが、少々毒があるようで世の中が落ちつかない。

   麻生財務大臣が今月17日の会見で「手を上げた方に1人10万円」と述べ、自己申告制で辞退もできると発言したことで物議をかもした。政府では、住民基本台帳で各家庭に申請書を送り、振込先の口座を書いて返送してもらい、送金となる。ただ、全国民を対象にした給付である以上、いわゆるネットカフェ難民といわれる人たちや、ホームレスの人たちなど住所がない人たちにはどう対処するのか、などの課題もある。

   当たり前のことだが、お金は花のようにきれいに咲かない。花は約束したように季節に咲いてくれるが、お金の約束はなかなかできない。ただ、花の命は短い。

⇒20日(月)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆猿回し芸、能登への想い

☆猿回し芸、能登への想い

   奥能登・珠洲市の旧家で、江戸時代から伝わるという「猿回しの翁(おきな)」の陶器の置き物=写真・上=を見せていただいたことがある。翁は太鼓を抱えて切り株に座り、その左肩に子ザルが乗っている。古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。大きな河川のない能登などでは古くからため池による水田稲作が行われていて、猿使いたちの巡り先だった。猿使いたちは神社の境内などで演じ、老若男女の笑いや好奇心を誘った。代々床の間に飾られるこの猿回しの翁の置き物は、その時代の農村の風景を彷彿(ほうふつ)させる。

   その猿回しの翁とそっくりな人物と出会った。職業も同じ、「猿舞座」座長の村崎修二さん。2006年5月に友人の紹介で金沢大学の角間キャンパスで猿回し芸を披露してもらったのが最初だった。きょう午後、村崎さんから久しぶりに電話をいただいた。「コロナ騒ぎで世の中は自粛ムードなので芸人は大変ですよ」と開口一番に。続けて「昭和天皇の崩御のときも猿回しと伊勢神楽と狂言は自粛しなかった。それはね、それぞれが神様を持ち歩く人たちだから」と。人を惹きつける語り口調は相変わらずだった。本人は72歳になり、生まれ故郷の山口県周防に戻っている。

   電話での話は、猿回しという伝統芸を復活させた経緯から始まった。日本の霊長類研究の草分けである今西錦司氏(故人)が村崎さんと民俗学者の宮本常一氏(故人)に「おサルの学校」をつくってほしいと依頼したことがきっかけだった。江戸時代から連綿と続いた周防の猿回しが途絶えたのは昭和42年(1967)。佐々木組という一座が最後に演じた場所が能登半島の輪島市大西山町だった。かつて、猿回しの旅の一座を無料で泊めてくれる家を善根宿(ぜんこんやど)と呼んでいたが、戦後の高度成長期、そのような善根宿は全国的に少なくなっていた。能登は猿回しの旅芸人を快く迎えてくれた最後の場所だった、と。

   その後、今西氏らの支援を受けて、昭和52年(1977)に「周防猿まわしの会」が結成され復活する。平成19年(2007)3月25日に震度6強の能登半島地震が発生。4月21日、村崎さんの一座が相棒の安登夢(あとむ)を伴って、被災地の輪島市門前町を慰問ボランティアに駆けつけた。跳び上がって輪をくぐる「ウグイスの谷渡り」などの芸を披露。被災地のお年寄りたちを喜ばせた。このとき、村崎さんは観客の前で重大なことを言った。「安登夢は15歳、人間の年齢ならば還暦は過ぎている。きょうが引退の公演です」と。

   電話の話はこれまで何度か聞いたことがあったが、実に鮮明に周防猿回しと能登の関係、そして自分史について語っておられた。「できたらまた能登に行きたい」と。体調を崩され、デイケアにも通っているが、私への電話はそのメッセージだった。「心から歓迎します」と伝え、電話の別れを惜しんだ。(写真・下は村崎さんと安登夢の共演=2006年5月・金沢市)

⇒12日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆蟄居生活、グランドカバーの攻防

☆蟄居生活、グランドカバーの攻防

  新型コロナウイルスの感染を警戒して自宅にこもるような生活を「巣ごもり」とメディアでは紹介され、自らは「蟄居(ちっきょ)」と言っている。江戸時代の武士に科せられた刑罰で、閉門の上、自宅の一室に謹慎する。TBS番組『水戸黄門』で黄門様が蟄居の武士と障子戸ごしに対話するシーンがあったのを覚えている。現代では都会を退いての田舎暮らしを謙遜してそう言ったり、外出をなるべく避けて家で暮らすことを指す。

   一昨日の土曜日、そして昨日の日曜日はまさに蟄居生活だった。不要不急な外出を避け、買いだめした食材を自宅で食べ、パソコンとテレビで国内外のニュースをチェックしブログを書き、読書、掃除と洗濯をする。ただ、そのような中で戦いに挑んだのが「グランドカバーの攻防」だった。分かりやすく言えば、「草むしり」だ。

   ソメイヨシノの開花ごろから雑草の勢いが増す。庭にはグランドカバープランツ(地べたに生やす植物)があり、芝生とスギゴケの2つのゾーンで、手入れをしている。ところが、油断すると雑草に覆われる。スギナ、ヨモギ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどは通年で生えてくる。最近はチドメグサの勢いが強い。チドメグサは茎全体が横にはって、節から根を出し、どこまでも広がる=写真=。これが芝生ゾ-ン、スギゴケ・ゾーンに侵入し、急速に増殖する。

   雑草には専用の除草剤はあるのだが、使いたくないので手作業での草取りだ。手作業は地味だ。芝生ゾーンでは、芝生の根に絡まるようにして生えているので、しかたなく芝生の根ごと除草することもある。スギゴケの場合、スギゴケをかき分けて、チドメグサの茎を捜し出して抜く。1日に2時間ほどの戦いを終えると爽快感がある。ただ、敵もさるもの、こちらの気の緩みうかがってまた攻防が始まる。持久戦ではある。

   ひと昔前なら、「年寄くさい」と一笑に付された話ではある。が、金沢の街も雑草が生い茂っている公園や住宅、道路をよく見かけるようになった。雑草をあまり気にしない人が多くなったのか。あるいは、行政は公共施設の美化に予算をさけなくなったのか。このままでは街全体のグランドカバーの攻防はじわじわと雑草にやられてしまうのではないか。

   新型コロナウイルス感染で不要不急な外出は自粛するが、この際、自宅や周囲の公園の美化清掃を行政が市民に呼びかけてはどうだろう。          

          と、書いたところで、ニュースが飛び込んできた。安倍総理はようやく緊急事態宣言の発令の意向を固めた、とメディア各社が報じている。緊急事態宣言はロックダウン(都市封鎖)かと以前から騒がれているが、法的強制力と罰則を伴う外出禁止令などが発令される海外の緊急事態宣言とは違い、日本の場合はあくまでも「自粛要請」であり、法的拘束力も罰則もない。緩い。

⇒6日(月)朝・金沢の天気      はれ

★未明にグラグラ、能登で震度5強

★未明にグラグラ、能登で震度5強

   先ほど金沢の自宅で就寝しているとグラグラと揺れを感じた。一瞬「関西か」「能登か」と思い浮かんだ。1995年1月17日の阪神淡路大震災、2007年3月25日の能登半島地震のときもも同じような揺れを感じたからだ。スマホでNHKニュースを確認すると「能登地方で震度5強」の速報が出た。能登に住む知人にショートメールで「どうだった」と確認すると、「ガタガタと揺れたが、家は大丈夫」と返信があった。

   テレビのNHKを確認すると、「午前2時18分に輪島市で震度5強、穴水町で震度5弱、マグニチュード5.5、七尾市や中能登町、志賀町、能登町、高岡市、富山市などで震度4、金沢市などで震度3」と報じられている。   

   テレビ画面で表記されている震源(✖印)は2007年3月25日の能登半島地震のときと同じ場所、輪島市門前町沖だ。このときは輪島市と穴水町でマグニチュード6.9、震度6強だった。写真はそのときの輪島市門前町の様子だ。この地区だけで200余りの住宅が全壊したと記憶している=写真・上、2007年3月26日撮影=。明け方になるにつれて全容が明らかになるだろう。地域のみなさんの無事を祈りたい。 ⇒記述:3月13日午前3時24分現在

        震源地近くで震度5強だった輪島市門前町に住む知人に8時50分に電話して、街の状況を聞いた。「13年前に比べると棚から物がそれほど落ちていない。瓦が落ちたとか壁が崩れたということもない。ただ、総持寺の石灯籠が一部崩れたらしい。13年前と比べるとおとなしい地震だった」と。この地域ではけが人も倒壊家屋もなかったと聞いて少し安心した。気象庁が午前4時30分から行った記者会見をネットのライブ中継で視聴していた。今後1週間ほど最大震度5強程度の地震に注意が必要とのこと。 ⇒記述:3月13日午前9時19分現在 

  新聞各紙は夕刊で被害状況を詳細に伝えている=写真・下=。JR七尾線、のと鉄道は一部で区間運休となった。輪島市の小学校などでは図書館で棚から落ちた大量の書籍類が散乱、給食室でも食器棚から皿など食器が落下した。能登地域では地震に人的被害や火災の発生はなかった。 ⇒記述:3月13日午後7時50分現在 

        世界の金融・経済も大揺れだ。12日のニューヨーク株式市場のダウ終値は前日比2352㌦安の2万1200㌦、下げ幅は9日につけた2013㌦安を超え、過去最大となった。ドイツやフランスの株価指数は12%強下落し、イタリアの指数は17%近く値下がりした。新型コロナウイルスの感染拡大が直撃している。13日東京株式の日経平均も一時1830円を超え、取引時間中の下げ幅としてはバブル経済末期の1990年4月以来、30年ぶりの大きさになった。日経平均の終値は12日より1128円58銭安い、1万7431円なった。終値が1万8000円を下回るのは2016年11月以来となる。(13日付・日経新聞Web版)。 ⇒記述:3月13日午後8時10分現在 

★「団子まき」まで中止とは

★「団子まき」まで中止とは

  「団子(だんご)まき」をご存じだろうか。金沢市などの寺では、釈迦をしのぶ涅槃会(ねはんえ)の法要がこの時節に営まれる。釈迦の遺骨に見立てた団子は僧侶らが米粉で作る。法要の後に団子がまかれ、参拝者は無病息災のご利益があるとされる団子を一生懸命に拾い集める。参拝者の中には、お守りとして身につける人もいる。子どものころ、競うように拾い集めたことを思い出す。

  懐かしい心の風景でもある団子まきが中止されると、きょう菩提寺からはがきが届いた。「恒例の涅槃会法要は3月22日とご案内致しましたが、昨今の新型コロナウイルス事情に鑑み、特に県内でも複数の患者が発生した事を重く受け止めて、今回は開催を自粛する方が良いと判断致しました。誠に残念ではありますが、予防と安心のためです。」と。確かに毎年境内には何十人と近所や檀家の人が集まるので、「やむなく中止」とせざるを得なかった和尚の苦渋の決断が伝わる。

  さらに別の行事の中止のお知らせもメールで届いた。茶道の利休忌の中止の案内だ。お茶の社中で3月29日に予定されていた。茶道を大成した千利休の遺徳をしので毎年営まれる。床の間に利休が描かれた掛け軸をかけ、茶を供え、一同で薄茶をいただく。利休忌ではしのぶだけではなく、「廻り花」「茶カブキ」などといった茶の湯の修練に励む大切な行事でもある。それをあえて中止するとなると、主宰者は相当の決断を要したはずだ。

   きょう石川県で5人目となる感染確認が発表された。5人とは言え、会を催す主宰者にとってナーバスにならざるを得ないだろう。勤め先の大学ではきょうも学術イベントの中止の知らせが相次ぎ届いた。新型コロナウイルスが日常の暮らしや職場環境、そして伝統文化や行事にまで暗い影を落としている。いま金沢はそんな状態だ。

⇒27日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆いよいよ「自分ごと」に

☆いよいよ「自分ごと」に

   新型コロナウイルス問題がいよいよ「自分ごと」になってきた。来月24日に金沢市内のホテルで予定していたある報告会を中止にすることにした。自身が事業の総括報告、そしてパネルディスカッションの司会をつとめる予定だった。8つの大学の事業関係者に出席を呼びかけた矢先だった。

   中止を決断したきっかけとなったのは大学からの通達だった。きょう午後、「新型コロナウイルス対応」という書面が教職員全員にメールで届いた。「新型コロナウイルス感染症の発生状況が落ち着くまでの間は、以下の対応を実施する。」との書き出しで、「・できるだけ人込みの多い場所を避ける」「・不要不急の出張は中止する」「・イベントについては、可能な範囲で中止、延期又は規模縮小を行う」と。この通達をもとにスタッフと相談し、中止することを決めた。

   やってやれないことはない。ただ、スタッフからの意見は「通達が来ているのに、なぜあえて実施するのかという風当りも強まるのではないか」と。事業の報告書を作成中なので、後日関係者に郵送することで報告会に代えることにした。この通達の直後から学内イベントの中止の知らせが次々とメールで届いている。

   さらにショックだったのは能登に住む関係者からのメールだ。今月29日に能登で研究発表の審査会があり、出席を予定している。その審査会の主催者あてにコメントがメールで届いた。「大変申し訳ないと思うが、金沢市及び、感染経路内で活動されている方々の奥能登再訪は現在慎んで戴きたい」と。金沢市内では4人の感染者が出ている。「金沢の人間には能登に来てほしくない」という警戒心が能登の人々の心に広がっているのだろう。自分自身が警戒されているのだが、ある意味、当然と言えば当然かもしれない。

   冒頭で「自分ごと」と述べたが、中国・武漢からクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ。そして、日本各地から金沢での4人の感染者と事態が接近してきた。きょうは自らイベント中止の決断をし、そして能登の在住者からは「金沢の人間は能登に来てほしくない」のメールが届いた。コロナウイルス問題は、実に濃厚な自分ごとになった。

⇒26日(水)夜・金沢の天気    あめ

☆「雪中四友」のころ

☆「雪中四友」のころ

  「雪中四友(せっちゅうしゆう)」という言葉がある。厳冬のこの季節でも咲く4つの花、ロウバイ、ウメ、サザンカ、スイセンのことだ。我が家でもこの時節、床の間に飾る花はロウバイとスイセンの「ニ友」である=写真=。晴れ間を見計らって庭に出て、2種の花を切ってくる。黄色い花のロウバイは「蝋梅」と漢字表記され、ほのかな香りも楽しめる。

         もう一つの花、スイセンも可憐に咲き誇っている。学名の「Narcissus(ナルシサス)」はギリシャ神話のエピソードに由来するそうだ。美しいがゆえに、「自己愛」「神秘」といった花言葉がある。二友はそれぞれに花の個性を放っているものの、二友を引き立てる「雪中」の状況がいまだにないのは心もとない。

   金沢地方気象台は昨年12月6日に初雪を観測と発表しているが、正確には「みぞれ」を観測したのだ。みぞれは、雨と雪が混在して降る降水のこと。北陸に住む者の感性では、本来の雪とは表現し難い。それはさておき、1月半ばに入ったきょう現在でも、雪がなし状態が続いている。ご近所さんとの年初のあいさつは「雪が降らんで、いい正月やね」だったが、最近は「雪が降らんで、これはこれで気味悪いね」に変わってきた。

   積雪に備えて庭には雪吊りを施し、路面凍結でも走行できるように自家用車もスタッドレスタイヤに交換している。心の準備はでてきているのに、その雪がない。肩透かしをくらった格好だ。そんな話を友人たちとすると、「何を狼狽(ろうばい)しとる。大寒は今月20日やろ、心配せんでもこれからドカッと降るわな」と笑われた。

   雪に対する北陸独特の感性がある。雪害に対するリスク管理は個人の責任である。そのために、雪害と正面から向き合う。大雪が降れば、地域の人たちは道路の除雪するために協働し、屋根雪下ろしに互助もいとわない。

   逆に、雪をよく知るがゆえに雪をめでる。冬のこの時期に、雪見茶会が開かれる。抹茶をいただきながら、雪見障子ごしに庭をめでる。雪吊りの庭の雪景色はまさに造形と自然の融合デザインではある。少しは雪が降ってほしいものだ。

⇒15日(水)夜・金沢の天気    あめ

☆「令和元年」回顧=いのちの歌

☆「令和元年」回顧=いのちの歌

       大晦日の『NHK紅白歌合戦』が令和元年のフィレナーレを飾った感じだった。紅白初出場の竹内まりやの「いのちの歌」が胸にしみた。「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに 胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ この星の片隅で めぐり会えた奇跡は どんな宝石よりも たいせつな宝物・・・」。人と人の出会いの喜び、命をつなぐことの大切さ、平和の切望、実に生命感があふれていた。

    民主主義を死守し、地球環境を叫ぶ、地球の「いのちの歌」

   この1年を振り返ってみて、まさに生命感が躍動した年ではなかっただろうか。香港の民主主義は生きている、そう実感した。逃亡犯条例が中国政府と間で成立すれば、中国に批判的な香港の人物がつくられた容疑で中国側に引き渡される。そう懸念した香港の学生や市民が動いた。10月に改正案は撤回されたものの、香港政府はデモの参加者にマスクの着用を禁止する緊急状況規則条例「覆面禁止法」を制定した。顔を出させることでデモの過激化を抑圧する効果を狙ったものだろう。これがさらに学生たちを抗議活動へと動かした。

   そして、実施さえも危ぶまれていた香港の区議会議員選挙が11月24日に予定通り行われ、452議席のうち政府に批判的な民主派が80%を超える議席を獲得して圧勝した。あの騒乱の中で投票率が70%を超えて過去最高となり、「香港の躍動する民主主義」を世界に知らしめた。

   16歳の環境活動家、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの活動にも強い生命感を感じる。なんと言ってもパンチの効いたスピーチだ。「You have stolen my dreams and my childhood with your empty words. And yet I’m one of the lucky ones. People are suffering. People are dying. Entire ecosystems are collapsing.」(あなたたちは空虚な言葉で、私の夢を、私の子ども時代を奪った。それでも、私は幸運な者の1人だ。人々は苦しんでいる。人々は死んでいる。生態系全体が崩壊している)=国連気候アクション・サミット2019(9月23日)でのスピーチから引用。

         地球温暖化対策に本気で取り組んでいない大人たちを叱責するメッセージだ。「私たちが地球の未来を生き抜くためには温暖化対策が必要なんです」と必死の叫び声が聞こえる。

    竹内まりやが歌う「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに・・・」「泣きたい日もある 絶望に嘆く日も」「この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく・・」の歌詞を聞いていて、香港の民主主義を守り抜く行動、地球環境を復元させる必死の叫びと重なって聞こえる。まさに地球の「いのちの歌」ではないか、と。

⇒31日(火)夜・金沢の天気   

★ 「令和元年」回顧=実名報道

★ 「令和元年」回顧=実名報道

   大学でメディア論の講義をしていて学生たちからよく意見が出されたのは実名報道に関してだった。きっかけはこの事件。ことし7月18日に発生したアニメ制作会社「京都アニメーション」への放火で、社員70人のうち36人が死亡した。京都府警は8月2日に10人の実名による身元を公表し、同月27日に25人、その後10月11日にさらに1人の身元を公表した。警察側の判断では、葬儀の終了が公表の目安だった。    

      京アニメ事件、犠牲者の実名報道が問いかけること

   府警は同時に「犠牲になった35人の遺族のうち21人は実名公表拒否、14人は承諾の意向だった」(9月10日付・朝日新聞Web版)と説明している。その拒否の主な理由は「メディアの取材で暮らしが脅かされるから」だった。遺族側が警戒しているのはメディアという現実が浮かび上がった。

   警察側の身元の公表を受けて、メディア各社は実名を報道した。さらに、現場記者は被害者側のコメントを求め取材に入った。8月3日付の朝刊各紙をチェックすると、「亡くなった方々」として、実名だけでなく、年齢、住所(区、市まで)、そして顔写真もつけている。その写真は、アニメ作品の公式ツイッターやユーチューブからの引用だった。遺族から提供を受けたものもあった。

   マスメディア(新聞・テレビなど)の実名報道と遺族への取材について、学生たちは「被害者遺族にさらなる苦痛を与える取材はやめるべき」や「実名か匿名かは遺族の意向が最優先されるべき」、「いまのマスコミは加害者の名前を報道することには慎重になっているが、被害者の名前は当たり前にように軽く報道している感じがする」と辛口のコメントが多い。さらに、「被害者の実名報道が遺族に対するメディアスクラム(集団的過熱取材)の原因ではないか。被害者遺族への取材や実名報道にこだわる理由がわからない」とさらに手厳しい意見も。

   確かにメディアスクラムは以前からさまざまに批判を浴びている。「報道被害」という言葉も社会的にはある。記者が玄関のドアホンを鳴らしただけで、生活を脅かされたと敏感に感じる遺族もおそらくいる。遺族の心境は「そっとしておいてほしい」のひと言だろう。

   メディア側でもメディアスクラム化を避けるために、代表取材というカタチをとったりする。実際、京都アニメーション事件では、報道各社の代表者が、取材拒否の意向が明確な際はその意向を共有するよう努めることや、新聞・通信社とテレビの各1社を選び、代表社が遺族に取材の意向を尋ねる形式を取った。

   学生たちの意見は批判的なコメントが多かったが、一人の読者・視聴者の立場からすると、やはり実名であることが記事内容の真実性が伝わる。ただ、被害者や遺族へのコメントが必須かどうか。事件の状況が理解できれば、被害者側の心情は察するに余りあるものだ。ケースバイケースだが、被害者側のコメントはなくてもよい。

   もう一つ議論を呼んだのは、加害者の実名報道だ。マスメディアのWeb版で掲載された逮捕記事などはインターネットの掲示板などに転載されている。問題は、その後、証拠不十分で不起訴となったりするケースもままある。その場合でも容疑者のままネットで掲載されている。いったんネットに上がった実名と犯罪を消去することはおそくら不可能だろう。

   加害者の実名は裁判で判決が確定するまで掲載しないという論もある。しかし、逮捕段階からの実名報道は事件の真実性を担保することであり、匿名での記事は誰も注目しないだろう。

⇒30日(月)夜・金沢の天気    くもり

☆ 「令和元年」回顧=無謀な海

☆ 「令和元年」回顧=無謀な海

   あの北朝鮮からアメリカへの「クリスマスプレゼント」はどうなったのか。このままだと「お年玉」になるのだが。もちろん誰も欲してはいない。また、年末になると日本海は北西の風が吹き、大しけ(荒れ模様)となる。毎年このころ北朝鮮から日本に大量に届くものがある。「お歳暮」ではない、漂着船だ。

   日本海で繰り返される北の理不尽な振る舞い

   報道によると、今月27日に新潟県佐渡市の素浜海岸に打ち上げられた北朝鮮の木造船とみられる漂着船から7遺体が見つかったと第9管区海上保安本部が発表した。同本部によると、北の漂着船から遺体が発見されたのはことし今回が全国で初めてという(29日付・新潟日報Web版)。漂着船はことし1年で150件を超えている。それにしても、素浜海岸は佐渡島の西側、能登半島と向き合った位置関係にあり、能登の海岸に打ち上げられる可能性もあったと考えると他人事ではない。

   北の難破船は構造的な問題でもある。漂着する船のほどんどはイカ網漁船とみられる。北朝鮮の慢性的な食糧不足から国策として漁業を奨励し、「冬季漁獲戦闘」と鼓舞し、大しけでも無理して船を出しているようだ。北朝鮮は沿岸付近の漁業権を中国企業に売却しており、北の漁師たちは外洋に出ざるを得ない状況に置かれているとされる。いくら食糧確保のためとはいえ、古い木造漁船で出漁を煽るとは、難破の悲劇をわざわざつくり出しているようなものだ。ちなみに、日本の沿岸に着いた漂着船から見つかった遺体は2018年が14人、17年は35人、16年は11人(同)。見つかる遺体はごく一部だろう。                    

    問題はまだある。難破した木造漁船の漂着や漂流そのものが問題を引き起こす。転覆した木造船などはレーダーでも目視でも確認しにくいため、日本の漁船との衝突の可能性が出てくる。まさに「漂う危険物」だ。さらに、水難救助法では漂着船の解体処分や遺体の火葬をするのは自治体だ。2018年のまとめで、北朝鮮からとみられる木造船の漂着は201件で前年の2倍だった。そのうち、石川県での漂着船の処分は21件、経費は880万円に上った。最終的に国が全額負担、われわれの税金だ。

    ことし10月7日、北の漁船と衝突事故もあった。能登半島沖350㌔の日本のEEZ(排他的経済水域)で水産庁の漁業取締船と北朝鮮の漁船が衝突した。事故の原因は、取締船が北の漁船に放水して退去するよう警告したところ、漁船が急旋回して取締船の左側から衝突してきた(※写真、10月18日・水産庁が公開した動画映像から)。単なる操縦ミスなのか威嚇による故意の事故なのか、調べの措置がないまま、北の乗組員は救助され僚船に引き取られた。後日、北朝鮮側は「(日本の)意図的な行為」で漁船を沈没させたとして賠償を要求している。

   このような無謀で不合理、理不尽な光景がまた来年も日本海を舞台に繰り返されるのか。 

⇒29日(日)午前・金沢の天気     はれ