⇒ドキュメント回廊

☆処暑の候 花ブログ2題(再録)

☆処暑の候 花ブログ2題(再録)

     きょう23日から二十四節気でいう「処暑」。きのうの金沢は35度の猛暑日だったが、朝の風や夜のムシの鳴き声に秋の気配を感じる。庭ではタカサゴユリが白い花を付けている。近所には満面のアサガオも。これまでのブログの再録にはなるが、処暑の花を描いてみる。

   2019年8月22日付「タカサゴユリは敵か味方か」より。わが家の庭にタカサゴユリ(高砂ユリ)が咲き始めた。「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」の花の美しさは見事だ。ヤマユリのような高貴な香りはないが、人目をひく花だ。

   タカサゴユリをよく見かけるのは斜面地で、日陰でも日なたでも同じように咲いている。肥料分の少ない斜面地でもすくすくと繁殖するチカラ強い植物である。植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗って、わが家の庭に落ちて育ったのだろう。旧盆が過ぎたこの時節は花の少ない季節で、茶花として重宝している。

   しかし、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」のホームページには「侵入生物データベース」の中で記載されている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。「学名」はLilium formosanum、「英名」はFormosa lilyだ。面白いのは「備考」だ。「近年各地で繁茂しているが花がきれいなためなかなか駆除されない。少なくとも外来種であることを周知する必要がある」と。そのきれいな容姿に国民はだまされてはいけない。「侵入生物」であることをもっと宣伝して駆除せねば、との苦々しい思いが伝わる文章ではある。

          2020年6月13日付「加賀千代女と酒飲み男」より。『朝顔やつるへとられてもらい水』の俳句で有名な江戸時代の俳人、千代女(1703-75)は加賀国松任(現・石川県白山市)に生まれ育った。自身も小さいころから、この句を耳にすると夏休みのイメージがわくくらい有名だった。昨年の話だが、古美術の展示販売会で千代女の発句が展示されていると聞いて、会場の金沢美術倶楽部へ見学に行ってきた。

   面白い句があった。『男ならひとりのむほど清水かな』の掛け軸はまるで滝を流れるような書体だった。掛け軸にじっと向き合っていると、千代女のくすくすと笑い声が聞こえてきそうになった。酒飲みの男が一人酒でぐいぐいと飲んでいる。それを見て千代女は「酒はまるで水みたい」と思ったに違いない。はたと気がついた。冒頭の『朝顔やつるへとられてもらい水』に面白い解釈が浮かんだ。

   自らの体験だが、若いころ飲み仲間数人と朝まで飲んでいて、「朝顔みたいだ」と互いに笑ったことがある。深酒で赤くなった顔と、青白くなった顔をつき合わせるとまるで朝顔の花のようだった。以下は想像だ。千代女がある夏の朝、自宅の外の井戸に水くみに出ようとすると、朝まで飲んでいた酔っ払い男たちが井戸で水を飲んでいた。あるいは、井戸の近くでへべれけになって寝込んでいた。近づくこともできなかった千代女はしかたなく近所に水をもらいにいった。そして、男たちのへべれけの顔や姿から井戸にからまる朝顔をイメージした。そんなふうに解釈するとこの句がとても分かりやすい。

   私は俳句好きでもなければ、たしなんでもいない。酒はたしなんでいる。顔は赤くなる。

⇒23日(月)午前・金沢の天気     はれ時々くもり

☆ワクチン接種完了もコロナ禍との戦いは尽きず

☆ワクチン接種完了もコロナ禍との戦いは尽きず

   石川県内の新型コロナウイルスの感染者で、感染力が強いとされる「デルタ株」の占める割合が今月に入り74.9%になった(石川県公式ホームページ「新型コロナウイルス」)。それにともなって、若年層(19歳から30歳)向けに県が開設した大規模ワクチン接種センターの新規予約が、国からのワクチンの供給が滞り、一時停止されたと報道されている。ワクチンはモデルナ社製だが、世界的に需要が高まり、供給がひっ迫している。

   ただ、ワクチンを接種したからといって安心できるだろうか。自身は7月18日に2回目のワクチン接種を終え、今月4日に抗体検査をした。ファイザー製ワクチンは、発症予防効果は95%とされているものの、効果には個人差があると言われている。自身の場合、ワクチン接種後の副反応がなかったため、本当に抗体ができたのかどうか、数値で調べてみたいと抗体検査を思い立った。接種を受けた金沢市内の病院で採血、その血液は検査機関で分析された。保険適用外で税込み6000円。きのう結果が書面で届いた。

   検査の項目名称は「SARS-CoV-2 抗S抗体定量 」。説明書などによると、ワクチンを打つと、スパイクタンパク質(Sタンパク質)の抗体を獲得する。Sタンパク質はコロナウイルスのトゲトゲの部分だ。このトゲトゲの構造に人体の免疫系が強く反応することで、ウイルスの感染に対する抵抗力、つまり抗体が獲得できる。その抗体獲得を示す抗体値が「定量」として示されている。結果は定量が「778.00 U/mL」で、判定は「陽性(+)」と書かれてあった。基準値は「0.80未満」が陰性の判定なので、数字的には大きく超えている。ひとまず安心したが、それにしても「陽性」という表現が釈然としない。ほかに適切な言葉がないものか。

   検査結果の書面を見て、接種後2週間余りでどのくらいの抗体値ができるものなのか、その中央値が知りたくなり、病院に電話で問い合わせた。すると、検査担当者は、「日本ではそのデータはまだない」とつれない返事だった。もう一つ質問した。接種してから日数が経過すると抗体値が減少するので、ファイザー製ワクチンを使用したイスラエルでは接種後5ヵ月経った60歳以上に3回目の接種を行っている。日本ではいつから3回目接種を行うのか、と。返事はこうだった。「抗体値が減少していても、感染源に触れると抗体は増加するものだ。また、3回目接種に関しては政府の方針が定まっていない」と。

   ワクチン接種を終えたからといってコロナとの戦いは終わったわけではない。この戦いはさらに続く。(※写真はファイザー社のワクチン=同社の公式ホームページより)

⇒12日(木)午後・金沢の天気     くもり

★オリンピックを妙に盛り上げた選手たち

★オリンピックを妙に盛り上げた選手たち

          きのう閉会した東京オリンピックのことを海外メディアはどのように評価しているのだろうか。イギリスBBCのスポーツ編集長は「Tokyo Olympics : Sporting drama amid a state of emergency but how will Games be remembered?」との見出しで記事を書いている。印象の深いのは最後の下りだ。「パンデミックという事態であっても、オリンピックを否定することはできなかった。そのことに安堵した人も、失望した人もいたはずだ。そして、東京オリンピックの開催が正しかったのかどうかは、今後ずっと議論されていくだろう。しかし、不安に満ちた時代でも、スポーツ選手はこれまでと同じように、その元気な姿で我々を励ましてくれる存在であり続けた。それだけは確かなことではないだろうか」

   17日間、自身がテレビでオリンピック競技を視聴して、印象に残っているのは、番組での解説やコメントなどスタジオのバックで流れていた、桑田佳祐の『波乗りジョニー』だった。もともと、テレビCMに流れる、日本の夏を象徴する曲だった。夏のテーマソングがそのままオリンピックのテーマソングのようになり、盛り上げてくれた。

   逆説的な意味でオリンピックを盛り上げてくれたのは韓国選手団だったのかもしれない。選手団は選手村入りすると、さっそくにバルコニーに掲げた横断幕だった。豊臣秀吉の朝鮮出兵に抗した李舜臣将軍の言葉にちなんだと連想させる、「臣にはまだ5000万国民の応援と支持が残っています」とハングルで書かれていた。IOCは政治的宣伝と勧告し、横断幕は7月17日に撤去された。

   さらに韓国選手団は、選手村の食材は放射能で汚染されている可能性があるとし、独自に給食センターを設置して選手らに配給した。選手村の食材の一部が福島県から調達されたものであったことから、「放射能フリー弁当」を自国で調達すると、「復興五輪」のネガティブキャンペーンを展開した。

   世界から批判されたのは、7月23日の開会式を生中継した韓国のテレビ局だった。MBCは、ハイチの選手団が入場した際のテロップで「大統領の暗殺によって政局は霧の中」と、マーシャル諸島を選手団を紹介するテロップには「アメリカのかつての核実験場」と、ウクライナの選手が入場する際にはチェルノブイリ原発事故の画像が使われた。不適切放送として批判を浴びた(7月26日付・CNNニュースWeb版日本語)。

   メダル以外に大会をいろいろと盛り上げてくれた選手もいる。男子テニスのダニール・メドベージェフ選手(ロシア五輪委員会)は7月28日、東京の暑さの中で「オリンピックの試合中に暑さで死亡した場合、いったい誰が責任を取るのか」と審判に問いただした。世界2位ランクの選手のひと言で、国際テニス連盟は暑さ対策として、29日の第1試合の開始時間を当初予定していた午前11時からを午後3時に変更した。その29日の準々決勝で、メドベージェフ選手はスペインの選手にストレ-ト負けを喫した。ラケットを破壊し、無観客のスタンドに放り投げた(7月29日付・AFP通信Web版日本語)。何かと話題の多い選手だった。

   オリンピックを多様に盛り上げてくれた人たちだった。「そして笑って もう一度 せつない胸に波音が打ちよせる」。2024年のパリオリンピックもぜひ盛り上がってほしい。

(※写真は8日の東京オリンピック閉会式で映し出された2024年のパリ五輪の映像=NHKテレビ)

⇒9日(振休)午後・金沢の天気     はれ後くもり

☆オリンピックにARIGATO、あすから「五輪ロス」が

☆オリンピックにARIGATO、あすから「五輪ロス」が

           最後はビジョンに「ARIGATO」の文字が映し出された=写真・上=。この東京の暑い最中に選手たちはよく耐えた。「ARIGATO、よく頑張って、スポーツの醍醐味で見せてくれた」と国民の一人として思うことだ。新型コロナウイルスのパンデミックが広がる中での東京オリンピックの閉会式は静かに幕を下ろした。

   午後8時からテレビで閉会式の模様を視聴していた。注目していたことが一つあった。それは、広島市の松井市長がIOCのバッハ会長に書簡を送り、(原爆が投下された8月6日午前8時15分に)選手村などで黙とうを呼びかけてほしいと求めていた。これに対し、今月2日午後、IOCから、黙とうを呼びかけるなどの対応はとらないといった返答が広島市にあった。その理由についてIOCは「歴史の痛ましい出来事や様々な理由で亡くなった人たちに思いをはせるプログラムを8日の閉会式の中に盛り込んでおり、広島市のみなさんの思いもこの場で共有したい」と説明していた(8月2日付・NHKニュースWeb版)。それは閉会式でどのようなプログラムなのか。

   このことかと思ったのが、新型コロナウイルスで亡くなった世界の死者への葬送のパフォーマンスと日本各地の盆踊りだった。アイヌ古式踊や、沖縄県の琉球エイサー、岐阜県の郡上踊りなどの映像が新国立競技場のスクリーンで流された。確かに、旧盆に全国各地で催される盆踊りは亡くなった人々への供養や弔いの踊りである。しかし、普通に考えても、「ヒロシマの祈り」とは意義付けが異なる。

   そこで、今度はバッハ氏の閉会宣言に「祈り」の言葉が込められるのか、7分間のスピーチを最後まで聞いていた。「パンデミック以来初めて、全世界が一つになった。何十億の人が心を一つにし、喜びと感動の瞬間を共有した。これが希望をもたらし、未来を信じる気持ちを与えてくれた」との言葉には自身も心が動いたが、「祈り」「ヒロシマ」についてのワードは宣言になかった。結論、広島市長への回答は「葬送のパフォーマンスと盆踊りプログラム」だった。

   東京オリンピックの17日間はテレビを堪能した。スケートボード女子で13歳の西矢椛選手の日本史上最年少の金メダリストに=写真・下=、卓球の混合ダブルスで水谷隼・伊藤美誠選手が「チャイナの壁」を突破して日本の卓球界に初の金メダル、地元びいきかもしれないが、レスリング女子で川井梨沙子・友香子の姉妹選手がそろって金メダルを獲得した。そして、野球の日本とアメリカの決勝戦。この17日間は十分に楽しませてもらった。

   ほとんどの競技場が無観客での開催だったので、魂の抜けたようなひっそりとした大会ではないかと想像してもいたが、テレビの映像技術が臨場感を湧き立たせ、そして世界の選手たちがオリンピックに魂を吹き込んだ。あすからコロナ禍のニュースばかりに日々に戻り、「五輪ロス」が始まるかもしれない。

⇒8日(日)夜・金沢の天気       くもり

★ワクチンは「論より証拠」 次は抗体検査

★ワクチンは「論より証拠」 次は抗体検査

   きょう2回目のワクチン接種を金沢市内の病院で受けた。午前9時30分ごろ、病院に到着して受付窓口に。指定されたイスに着席すると、小型ワゴンを押しながら女性看護師2人が近づいてきた。1回目(6月27日)と同じ方式で、接種を受ける側は座ったままで、看護師が会場内を移動して接種する。病院に入って、5分後には接種が完了した。

            接種後は15分間、9時50分までイスに座り経過観察。用紙には「気分が悪くなってきた。座っているのがしんどい」「息切れがする。咳が出る」「じんましんや皮膚のかゆみがでてきた」などの体調の変化や自覚症状を感じた場合にはスタッフに告げてくださいとある。知人の何人かからは、「2回目がしんどかった」と副反応のことを聞いていたので身構えていた。

   15分間で思いついたことだが、2回目の接種を終えて2週間経つと抗体ができて新型コロナウイルスにはかかりにくくなると言われている。だったら、東京オリンピックの競技会場はほとんどが無観客となっているが、2回接種済みで2週間後の人たちは観戦可能としてはどうだろうか。接種後には「ワクチン予防接種済証(臨時)」を各病院が発行する。このシートを「パスポート」の代わりに使えばよいのではないだろうか。何しろ、ワクチン2回接種済みは2576万人で人口の20%、うち65歳以上の高齢者は1917万人と54%だ(7月15日現在、総理官邸公式ホームページ)。無観客は少々もったいない気がしないではない。。

   接種から15分間経過したが体調の変化や症状もないのでイスから立ち上がり、出口の受付へ。前述の「ワクチン予防接種済証(臨時)」をシートに貼ってもらった。副反応もなく、これで完了。すると、一枚のチラシが渡された。「新型コロナウイルス抗体検査のおしらせ」とある。読むと、「ワクチンをうった効果が感じられない」「効果を数値で確かめたい」「本当に抗体ができているのか」と思っている接種者向けに血液検査をして、抗体を持っているかを調べる、とある。料金は保険適用外で税込み6000円だ。

   さらに説明によると、ワクチン接種でヒトの細胞内にスパイクタンパク質(ウイルスのトゲトゲの部分)をつくる。このトゲトゲの構造に人体の免疫系が強く反応することで、ウイルスの感染に対する抵抗力、つまり抗体が獲得できる。スパイクタンパク質だけではウイルスとなることはないので、感染はしない。

   この抗体検査ができるのはきょうから2週間以降で、検査によって「過去の感染」や「抗体の有無」が確認できるという。論より証拠。この際、勉強だと思って抗体検査を受けてみることにした。

⇒18日(日)夜・金沢の天気      はれ

★書架にある立花隆氏の本を眺め、悼む

★書架にある立花隆氏の本を眺め、悼む

   ジャーナリストの立花隆氏が、ことし4月、急性冠症候群のため亡くなっていたことが分かったとメディア各社がけさ報じている。80歳だった。いわゆる「文春砲」、雑誌ジャーナリズムの先駆けをつくった人だ。1972年、テルアビブの空港で日本赤軍の3人が銃を乱射し24人が死亡した事件で、現地の警察に拘束されていた実行犯の岡本公三容疑者への一問一答の記事を「週刊文春」に掲載し、当時社会に衝撃を与えた。

   1974年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。現職総理の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、退陣のきっかけをつくった。その後、「ロッキード事件」が発覚。田中氏や丸紅、全日空の役員らが受託収賄、贈賄などの罪で起訴される歴史的な疑獄事件となった。ジャーナリストとしての粘り強さ、徹底した調査報道は際立っていた。

   書棚を眺めて立花氏の本を手に取る=写真=。権力者の不正を追及するだけではなく、「科学する心」を持ったジャーナリストだった。宇宙や医療、脳、インターネットといった分野でも数々の著書を残している。科学・技術の最前線に立った人間がその体験を精神世界でどう受容し、その後の人生にどう影響したのか人物像も追っている。

   書棚の本をいくつかを紹介する。インターネットの普及期に読んだ『インターネットはグローバル・ブレイン』(1997)は示唆に富んでいた。著書名の通り、地球を生命体と見立てればインターネットは頭脳であり、プラットフォームやブログサイトなどはその神経細胞の一つというものだ。その細胞を活性化させることは、いかにして質の高い内容をアップロードし続けるかにある。自身はその後、この「インターネットはグローバル・ブレイン」というタイトルを会話や意見交換などで使わせてもらっていた。それが高じて、幻冬舎ルネッサンス新書『実装的ブログ論 日常的価値観を言語化する』(2017)を出版するきっかけにもなった。

   『臨死体験』と『証言・臨死体験』(文藝春秋社)は人間の脳の最期の姿を現すものだった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。この本を読んだのは1997年だった。17年後にこの本のことを思い起こすことになる。

   2014年2月、乳がんを患っていた妻の最期に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。医師から臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、妻の左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、若くして逝った悔し涙だったのかなどと、その涙の意味をそれからずっと考えていた。ふと、以前読んだ『臨死体験』を思い出した。あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙だったに違いない、と。今でもそう思っている。書籍を通じてだが、教示いただいた立花氏に感謝している。そして、氏も臨終の際は光の輪の幸福に包まれていたことを祈る。

⇒23日(水)朝・金沢の天気    はれ

★夏至の長い一日

★夏至の長い一日

   けさ目覚めて時計を見たら、午前4時40分だった。部屋のカーテンはしているが、外が明るく感じて、その後、なかなか寝付けなかった。そうか、きょうは夏至か。これから盛夏がやってくる。ある意味できょうは熱い一日だった。

   午前と午後は外出したが日中は30度を超える暑さだった。半袖にして正解だった。そして、暑さを感じたニュース。きょうの東京株式市場で日経平均株価は前週末比953円15銭(3・3%)安と急落した。下げ幅は約4ヵ月ぶりの大きさとなった。一時は1168円安だった。18日にアメリカのFRB(連邦準備理事会)の高官が2022年後半への利上げの前倒しを示唆する発言をしたため、世界的に景気回復が鈍化するとの懸念から売りが膨らんだ(6月21日付・日経新聞Web版)。自動車や機械など世界の景気に連動しやすい輸出企業の株が売られた。コロナ禍でのワクチン接種も広まり、景気回復へと向かう矢先で冷や水を浴びせられた。

   暑さが増すとともに、ガソリン価格も増している。金沢市内の自宅近くのカソリンスタンドではレギュラーの価格が1㍑あたり155円だった。前の週より2、3円アップしている。欧米ではワクチン接種が進展して、経済回復への期待が高まりがガソリンが値上がり基調となっていると報じられていた。新型コロナウイルスの感染拡大が広まった昨年4月は不要不急の外出自粛でリモートワークや「巣ごもり」の生活スタイルが広がって、金沢市内で1㍑あたり120円前後だった。その前の3月は130円、2月は1㍑140円だったので、月あたり10円ほど価格が落ちていた。それにしても、コロナ禍でこれほど価格が上下するものだろうか。不思議だ。

   きょうの夕方からは自宅の草むしり(除草)をした。この時季、雑草は勢いを増している。昭和天皇のお言葉に「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」という有名なフレーズがある。植物もまさに活き活きと生を育んでいる。草と向き合い、日没の午後7時半ごろまで作業を続けることができた。夏至の長い一日だった。

⇒21日(月)夜・金沢の天気     はれ

★エレキと運命をともにした「寺内タケシ」の人生

★エレキと運命をともにした「寺内タケシ」の人生

   昭和40年代のエレキギターブームで人気を集め、「エレキの神様」の愛称で親しまれたギタリストの寺内タケシ氏が、18日夜、横浜市内の病院で肺炎のため亡くなった。82歳だった(6月19日付・NHKニュースWeb版)。自分自身にとってはエレキギターは青春の思い出の一つだけに、いまでも、「寺内」「テラウチ」と見たり聞いただけで、つい「タケシ」と連想してしまう。

   エレキギターの音色が最初に耳に入ってくるようになったは、アメリカのバンド「ザ・ベンチャーズ」の来日(1965年1月)だった。自身はまだ小学生のころだ。ヒット曲「パイプライン」や「急がば廻れ(Walk, Don’t Run)」に刺激を受けたものだ。続いて、イギリスのバンド「ザ・ビートルズ 」の来日(1966年6月)に心がかき立てられた。

   音楽に興味がわいて、中学生になりブラスバンド部に入った。トロンボーンを始めた。ブラスバンド部で同じくエレキギターを趣味でやっていた仲間と知り合い、2年生のときにエレキギターとドラムによる独自のバンドを結成した。バンド名を「Bombs」とした。激しい音を出すので、「爆弾のようなバンドだ」と周囲からなじられ、bomb(爆弾)をバンド名にした。ビートルズのように歌えるボーカルがいなかったので、ベンチャーズのインストゥルメンタル・サウンドが中心だった。

   バンド「寺内タケシとブルージーンズ」にのめり込んだのは、いわゆる「テケテケ」と特徴のあるギターテクニックだった。とくに、ベートーベンの交響曲第5番をエレキギターで演奏する「レッツ・ゴー 運命」は当時エレキギターを志す誰しもが目指した曲でありテクニックだった。自身はサイドギターを担当し、ベンチャーズとブルージーンズの演奏曲を秋の文化祭で披露することにして練習を重ねた。公演も無事成功し、当時は「エレキの若大将」気取りだったかもしれない。

   ただ、そのころ教育界ではエレキギターは「不良の温床」と見なされていたようだ。中学3年とき学校の担任から「高校受験もあるのでことしは止めた方がよい」と指導された。その後、全国の多くの学校でいわゆる「エレキ禁止令」が広まった。寺内氏は、偏見を解いてもらおうと1974年から全国の高校を回る「ハイスクールコンサート」を始めた。ライフワークとして2016年まで続け、訪れた学校は1500ヵ所にもおよんだ。エレキギターと運命をともにした人生だった。

⇒19日(土)夜・金沢の天気      くもり

★『青山緑水』生命力あふれる自然の情景

★『青山緑水』生命力あふれる自然の情景

   二十四節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」のころ。穂先の尖った針のような部分を「芒(のぎ)」と呼んで、稲や麦など穀物を意味する言葉だ。かつて芒種は梅雨入り前に稲の田植えや麦を刈取る、野良仕事の季節の目安でもあった。いまは稲の品種改良も進んで5月のゴールデンウイークごろが田植えの時季になっている。

   芒種にちなんだわけではないが、我が家の和室も障子戸を外して簾(すだれ)をかけた。床の間の掛け軸も『五月晴れ』から『青山緑水』に取り換えた=写真=。山の木々は青々と輝き、山から流れ出る川水に緑が映える。生命力あふれる自然の情景を感じさせる。掛け軸の下の花入には、庭に咲いていたシモツケ、ズイナ、ツキヌキニンドウの3種を生けた。

   禅語辞典をくってみると『青山緑水是我家』という書もある。各地を行脚して歩く禅の修行僧の境涯を表現したもの。自然界では人の奢り高ぶった気持ちは通用しない。自然を我家として修行に励むことで、人は全ての生き物と同じように大自然の中に生かされているということを改め感じ、悟りをひらく。

   山中での修行と言えば、一度実物を鑑賞したいと思っている絵画がある。国宝の『出山釈迦図(しゅっさんしゃかず)』(東京国立博物館蔵)。髪やヒゲは伸び、やつれて衣も乱れ、山道を歩く釈迦の姿が描かれている。13世紀の中国・南宋時代のものとされる。これまで図録など見てきたが2つの解釈がある。東博の解説は、「本図は、永い修行にもかかわらず悟りを得られず、山を出る釈迦の姿を描いたものであるが、その精細で写実的な人物表現はきわめて秀逸」とある。一方、先の禅語辞典では「六年の苦行の後、ナイランジャナ河のほとり、菩提樹の下で成道した。梵天の勧請を受け、教化に踏み切ることを決意したが、そのために雪山(ヒマラヤ)を出る姿をあらわすのが出山の図である」(淡交社『茶席の禅語大辞典』)と。

   これまで聞いてきたのは、釈迦は6年の山中の苦行では悟りは得られず、命からがら山村に迷い込んで助けられ、菩提樹の下で悟りを得る。その後、民衆への教化のため俗界に下ったという説である。とすると、釈迦は2度山を出ている。図の姿は悟りを得られず山を出る姿なのか、あるいは、悟りを得て民衆への教化のために俗界に下る姿なのか。絵をじっくり見ながら思いをはせてみたい。とりとめのない話ではある。

⇒6日(日)夜・金沢の天気     くもり  

★「トーチキス」って何だ 時代の変化とカタカナ語

★「トーチキス」って何だ 時代の変化とカタカナ語

          きょう2日、ようやく金沢市のコロナワクチンコールセンターと電話がつながり接種の予約ができた。5月6日から予約が始まり、土日を除いて毎日繰り返し電話をしたがつながらず、「電話うつ」の状態だった。夕方になって繋がってもきょうの予約分はすでにいっぱいになっていて、係員から「あすまた電話をおかけください」と言われ、ショックを受けていた。電話そのものをかけたくなくなる状態だった。

   きょうは正午ごろにつながって、接種券の番号や住所・氏名、指定の病院、日時、当日持参する書類の確認など5分足らずの手続きだった。最後に「ほかに何か問い合わせがありますか」と聞かれたので、「なぜつながらないのか、予約の仕組みがおかしい」と一言文句を垂れようかと一瞬思った。が、電話の相手の男性のしゃがれ声に対応の疲労を察して、「お疲れ様、ありがとう、これで安心しました」と受話器を置いた。

   話はがらりと変わる。東京オリンピック・パラリンピックの「聖火リレー」が31日と1日の両日、石川県内で行われた。テレビでその様子を見ていた。石川県に適用されている新型コロナウイルスの「蔓延防止等重点措置」(今月13日まで)を受けて、公道でのリレーは中止になった。その代わり行われたのが無観客のセレモニー会場のステージで行われた「トーチキス」。ランナーは走らずにトーチで聖火を受け渡す=写真、東京オリ・パラ組織委員会公式ホームページより=。

   それにしても、「トーチキス」という言葉は今回初めて知った。それぞれトーチがまるでキスでも交わすように聖火を渡していくので、「トーチキス」。和製英語なのだろうか。

   昨年の新型コロナウイルスのパンデミック以来、次々とカタカナ語が飛び交っている。「ロックダウン」や「ソーシャルデスタンス」、「クラスター」などはその典型だろう。これらの言葉は聞いただけでなんとなく理解はできるが、戸惑うカタカナ語もある。この3月、テレビのニュースで東京都の小池知事が「ハンマー・アンド・ダンスという言葉があるが、今はダンスの時ではない」と語っていた。「ハンマー・アンド・ダンス(The Hammer &The Dance)」、ネットなどで調べると、ハンマーでたたくように対峙、そしてダンスを踊るように共存を意味する。アメリカでは医療従事者の間でよく使われる感染対策の理論のようだ。

   時代の変化とともにカタカナ語などがどんどんと生れ、移入してくる。そして時代が去れば言葉も死語と化す。言葉は生き物のようでもある。とりとめのない話になってしまった。

⇒2日(水)夜・金沢の天気      はれ