⇒ドキュメント回廊

☆横行するフィッシング詐欺メール

☆横行するフィッシング詐欺メール

   このところパソコンに金融機関などを装ったEメールが頻繁に届く。金融機関とは全く関係のないページに誘導し、暗証番号などを入力させることにより個人情報を不正に取得するという、いわゆる「フィッシング詐欺」のメール。「VISAカード」や「三井住友カード」など多くの人が持っていそうなカード名を使っていて、キャッシュレス社会に対応した詐欺だ。

   きょうのEメールで「VISAカード 重要なお知らせ」が届いた=写真=。「VISAカード利用いただき、ありがとうございます。このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました」と。さらに、「ご回答をいただけない場合、カードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい」。お願いと脅しの文言を織りまぜて、暗証番号などを入力させる魂胆だ。手が込んでいる。

   ショートメールでは一時期、宅配業者を装った詐欺メールがよく届いた。スマホのSMSに「お荷物のお届けにあがりましたが不在のため持ち帰りました。ご確認ください」と、宅配業者の不在通知のようなショートメールが届いた。これも実に巧妙だった。荷物を送る際は送り先の電話番号を記すので、不在の場合はスマホにショートメールが入っていても違和感がない。この盲点をついた詐欺メールだ。「スミッシング詐欺」とも呼ばれている。

   県内に住む知人はスミッシング詐欺に引っかかった。ある携帯キャリアから、「ご利用中のキャリア決済が不正利用されています。至急こちらのURLから確認してください」とのメールがスマホに届いた。メールにあったURLからサイトを開き、IDとパスワードを入力した。たまたまその様子を見ていた家族から指摘を受けて、携帯キャリアのショップに行きパスワードを変更して難を免れた。

   あの手この手でEメールやSMSに詐欺メールが相次ぐ背景にはキャッシュレス決済が多様化、複雑化していることがあるのではないか。とくに、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった昨年4月7日に東京、神奈川、埼玉など7都府県に緊急事態宣言が初めて出され、緊張感が高まった。他人も触れる現金(紙幣・硬貨)を手にすることに警戒感が増し、シニア世代もキャッシュレス決済へと動いた。そのことからさらにキャッシュレス決済にからむ犯罪やトラブルが増加した。シニア世代は焦りや危機感で、つい次の行動に出てしまうものだ。自戒の念を込めたい。

⇒20日(土)夜・金沢の天気       くもり

★「ブリ起こし」の雷鳴とどろく 北陸に冬の訪れ

★「ブリ起こし」の雷鳴とどろく 北陸に冬の訪れ

   きのう(11日)から雷鳴がとどろいている。北陸ではこの時節の雷を「雪出し」や「ブリ起こし」などと言う。いよいよ冬の訪れである。とくに金沢は雷が多い。気象庁の雷日数(雷を観測した日の合計)の平年値(1991-2020年)によると、全国で年間の雷日数がもっとも多いは金沢の45.1日だ。雷がとどろけば、落雷も発生する。石川県の消防防災年報によると、県内の落雷による火災発生件数は年4、5件だが、多い年(2002年)で12件も発生している。とくに12月から1月の冬場に集中する。

   雷が人々の恐怖心を煽るのはその音だけではなく、落雷はどこに落ちるか予想がつかないという点だ。これが怖いので、自身のパソコンは常に雷ガードのコンセントを使用している。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合でも「雷サージ」と呼ばれる現象が広範囲に起きる。いわゆる電気の津波だ。この雷サージがパソコンの電源ケーブルから機器内に侵入した場合、部品やデータを破壊することになる。いわゆる「雷害」からパソコンを守るためにガードコンセントは不可欠なのだ。このコンセントは金沢市に本社があるメーカーが製造したもの。北陸で雷害のケースと実情を研究し耐雷対策に取り組んできた企業の製品なので信頼を寄せている。

   落雷から自宅を守るために金沢では避雷針を付けている家庭が多い。ただ厄介なのは、雷は空から地上に落ちる際、まれに横から落ちてくるケースもある。2018年1月に金沢のテレビ局の送信鉄塔で落雷による火災が発生し、石川県内の一部地域を除く38万世帯で15時間も電波が止まるという放送事故があった。鉄塔にはてっぺんに避雷針は設置されていたが、雷が横から落ちて、鉄塔内で気中放電(スパ-ク)が発生、ケーブルが発火して電波が停止した。

   ところが、落雷があった送信鉄塔の近くには別のテレビ局の送信鉄塔があったが、ここには落雷はなかった。同じ域内にあるテレビ鉄塔で落雷があった、なかったの違いはどこにあったのか。業界関係者から聞いた話だが、落雷がなかった鉄塔には「消雷装置」が設置されていたのだという。「消雷装置」は初めて聞いた言葉だった。電気を通さない数十㌢の特殊なガラス管を避雷針に設置し、雷の原因となる大気中の電子の移動を打ち消す装置。金沢工業大学の教授が開発し、実証実験を経て製品化されている。雷ガードのコンセントにしても、消雷装置にしても「必要は発明の母」である。

   雷だけでなく、金沢は年間を通して雨の日が多く、年間の降水日数は170日余りと全国でもトップクラスだ(総務省「統計でみる都道府県のすがた」) 。天気も変わりやすく、朝晴れていても、午後には雨、ときには雷雨もある。そのような気象の特徴から 金沢では「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉がある。「必要は言葉の母」でもある。ただ、新型コロナウイルス感染が続くこのご時世では「弁当忘れてもマスク忘れるな」かもしれないが。

(※写真は、北陸電力公式ホームページ「雷情報」より)

⇒12日(金)午後・金沢の天気    あめ

☆「カニの宿」漁業6次化 北陸のトップランナーは

☆「カニの宿」漁業6次化 北陸のトップランナーは

   前回のブログで福井県民のカニへの愛着の話を書いた。すると、ブログを読んでくれた金沢の知人から、「愛着だけじゃない、カニビジネスも石川よりずっと進んでいる。漁業の6次化では北陸ではダントツだよ。6日付の日経を参考に」とメールが届いた。

   そこで日経をチェックする。「漁業『6次化」で価値創造」の大きな一面見出しで特集「データで読む 地域再生」が組まれていた。記事によると、消費者の「魚離れ」や資源減少などで漁業算出額が減少している中、1次産業の漁業者が「捕ったものを売る」から「売れるものを創る」へと転換し、いわゆる漁業の6次産業化を進める動きが進んでいるというのだ。北陸経済面にその6次化は「北信越    福井県1位」との見出しで詳細な内容が紹介されている。

   以下、本文からの引用。福井県は漁業者の6次化が19.9%と高い。そのベースは漁師が経営する民宿が県内に350件以上あることだ。これは県内の漁師の4人に1人が民宿を経営していることになる。「漁師の宿」ではカニやフグ、カワハギなどの魚料理を提供している。県行政はPRだけでなく、古くなった宿の補修なども支援している。北信越の漁業の6次化は福井に次いで石川12.2%、新潟11.1%、富山2.9%と続く(出所:農林水産省)。

   確かに、かつて福井の漁港近くを歩いたことがあるが。「カニの宿」の看板が目立つ。料理も「ゆで・焼き・刺し・鍋」といった様々な料理が味わえると看板が出ていた。漁業はしけなど天候などに左右されやすい。そこで、メインのカニなどを食材に民宿や直営食堂、加工品を手掛けることで、安定的な収入を得ることができる。こうしたサービス産業に進出することで、逆に消費者のニーズを捉えることができる。6次化の2番目は石川。能登半島の富来漁港では、漁師たちが経営する回転ずしが人気だ。

   「板子一枚、下は地獄」と言われるように、漁業は常に危険が伴う労働環境だ。そのため、日本でも慢性的な人手不足に陥っている。そのリスクを分散するために6次化への道を急いでいる。北陸では福井が「カニの宿」「漁師の宿」をフラッグに掲げてトップランナーを走る。越前ガニのブランドは強し。(※写真は「福井県観光連盟」ホームページより)

⇒9日(火)夜・金沢の天気     くもり時々あめ

★「カニ見十年、カニ炊き一生」のエピソード

★「カニ見十年、カニ炊き一生」のエピソード

   前回のブログで書いたカニの話の続き。ズワイガニにはご当地の呼び方があって、島根など山陰地方では松葉ガニ、福井では越前ガニと呼ぶ。石川では「加能(かのう)ガニ」と称している。加能とは、加賀と能登の略称で、加賀と能登の沖合で獲れたズワイガニという意味だ。カニには「加能ガニ」の青いタグが付けられ、タグには「輪島港」など水揚げ地も記されている=写真、7日に近江町市場で=。

   カニを食べると寡黙になる、とよく言われる。にぎやかな会食の場もカニが出て来ると、なぜか皆がカニ食べることに集中して静かになるものだ。カニの脚を関節近くで折り、身を吸って出す。会食の場はパキパキ、ズーズーと音だけが聞こえる。ただ、食べる姿はまるでカニとの格闘のようにも思える。これを外国人が見たらどう思うだろうか。「おいしいもの食べているのに、なぜ寡黙なのか、そして闘争心を燃やしているのか。やはり日本人は不思議」と感じるのではないか。

   さらに深堀りする。自身は北陸出身なので、カニとは幼い頃から格闘してきた。東京や大阪、名古屋などの出身者はカニとの縁が薄いせいか、会食するとその「初心者ぶり」が分かる。まず、食べ方が慣れないせいか、「カニは好きだが食べにくい」「身をほじり出すのが面倒だ」という話になる。料理屋で出されたカニには包丁が入っていて、すでに食べやすくしてある。これを「食べにくい」と言っている。初心者ぶりがその言葉から見える。

   そんなカニの宴席でつい話してしまうのが、「カニ食い競争」のエピソードだ。「私の友人で丸ごと一匹を5分間で食べる名人がいるんです」と。ずっと以前の話だ。福井市内の居酒屋で包丁が入っていない越前カニを福井の友人とそれぞれ食べた。意識したわけではないが、お互いがその食べ方を見合っていると、いつの間にか福井と石川のカニ食い競争の様相になってきた。パキパキと脚を折り、ズボッと身を口で一気に吸い込み、カシャカシャと箸で甲羅の身を剥がす。福井の彼はタイムで言えば5分間で食べた。そのとき、自身はまだ甲羅に手をかけた状態で、食べ上げるのに7分近くかかった。さすが越前ガニの本場の人はカニを食べ慣れていると妙に感服した、という話だ。

   福井の人々のカニに対する執着心は、石川では考えられないほど強い。福井では「カニ見十年、カニ炊き一生」という言葉がある。カニ料理のポイントは塩加減や茹で加減と言われる。単に茹でてカニが赤くなればよいのではない。カニの目利きが上手にできるには十年かかり、カニを満足に茹で上げるには一生かかるという意味だそうだ。さらに驚くのは、独特の技術を持っている。金沢の近江町市場などでは、脚の折れたカニは商品価値が低く、「わけあり商品」の部類に入っている。ところが、福井の漁協では、水揚げした段階で折れたカニの脚を集めて、脚折れカニに接合するプロがいる。カニという商品をそれだけ大切に扱っているという証(あかし)でもある。

   前述の福井の友人はカニを堪能し、地酒をこころゆくまで飲んで、最後にそばを食べて仕上げる。カニとそばの食文化は越前の人にはかなわない、と思っている。

⇒8日(月)夜・金沢の天気       くもり

☆カニ、雪吊り、紅葉 金沢の立冬の風景

☆カニ、雪吊り、紅葉 金沢の立冬の風景

   きょうは二十四節気の「立冬」にあたる。冬の気配が山や里だけでなく、街にも感じられるころだ。ただ、金沢は快晴で気温も昼過ぎには20度近くあった。それでも、金沢の街の景色は着実に冬に向かっている。

   きのう(6日)冬の味覚、ズワイガニの漁が解禁された。けさの地元紙の朝刊一面を飾っていたのが「最高級の加能ガニ初物 『輝』1号 500万円」(北國新聞)や「加能ガニ 最高級ブランド デビュー 金沢の初競り、ギネス記録並ぶ」と派手な見出しだ。それぞれに写真も大きく掲載されている。オスのズワイガニは鳥取では「松葉ガニ」、福井では「越前ガニ」、石川では「加能ガニ」と称され、地域ブランドのシンボルにもなっている。ただ、石川の加能ガニの知名度はいま一つ。そこで県漁業協同組合では重さ1.5㌔以上、甲羅の幅14.5㌢以上、甲羅が硬く身が詰まっているものをことしから最高級品「輝(かがやき)」として認定することで全体の底上げを狙っている。その「輝」の第一号が昨夜の初競りで500万円の値がついた。記事によると、重さ1.88㌔、甲羅の幅15.6㌢だった。

   ちなみに、松葉ガニの最高級ブランド「五輝星(いつきぼし)」は2019年に500万円で落札され、ギネスの世界記録にも認定されている。上記の「ギネス記録並ぶ」の意味はそれと同額で並んだとの意味だ。きょう午後、金沢市民の台所、近江町市場に行ってきた。店頭に並ぶカニは庶民の食卓に上るものだ。それでも、1匹7万5000円の値札のものが数匹並んでいた=写真・上=。店員が「輝の一歩手前のヤツですがどうですか」と声をかけきた。よく見ると、値札には重さが1.4㌔、甲羅の幅14.5㌢と書かれている。甲羅の幅はセーフだが、体重が100㌘足りないため、「輝」の認定には漏れたようだ。それでも1匹7万5000円は庶民にとっては高根の花だ。県内のズワイガニの漁期は、メスの香箱ガニが12月29日まで、オスの加能ガニは来年3月20日まで。いまは「ご祝儀相場」もあるだろうから、もう少し値段が落ち着いてから買い求めることにした。

   近江町市場からの帰りに兼六園近くを車で通った。コロナ禍も収まりつつあり、日曜日ということで観光客でかなりのにぎわいだった。とくに、金沢21世紀美術館と交差点の対角線上に位置する真弓坂口は混雑していた。入り口の左右のマツの木に雪吊りが施されている=写真・中=。

   金沢の雪はさらさら感のパウダースノーではなく、湿っていて重い。このため、庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。この季節にテレビのニュースで放映される雪吊りは「りんご吊り」という作業だ。五葉松などの高木に施される。松の幹の横にモウソウチクの柱を立てて、柱の先頭から縄を17本たらして枝を吊る。パラソル状になっているところが、アートでもある。兼六園の800ヵ所で雪吊りが施される。

   ついでに、兼六園近くの紅葉の名所も走行した。金沢市役所近くにある「しいのき迎賓館」(旧県庁)と「四高記念館」に挟まれた通りで、「アメリカ楓(ふう)通り」と呼ばれている=写真・下=。紅葉が青空に映えてこの季節の人気スポットだ。樹木のアメリカ楓は別名で、正式には「モミジバフウ」。原産地がアメリカだったことからアメリカ楓と呼ばれている。空を見上げると赤と青のコントラスが目に映える。そして、下の道路を見ると落ち葉がたまっている。まもなく始まる道路の落ち葉かきがアメリカ楓通りの冬支度でもある。

⇒7日(日)夜・金沢の天気      はれ

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

★名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~下~

   「奥能登国際芸術祭2020+」はきのう5日で63日間の会期を終了した。芸術祭実行委員会のまとめによると、来場者は4万8973人(速報値)だった。新型コロナウイルスのパンデミックで開催が1年延期され、さらに石川県にはまん延防止等重点措置が出され、開会の9月4日から30日までは原則として屋外の作品のみの公開だった。さらに、9月16日には震度5弱の地震に見舞われた。幸い人や作品へ影響はなかったものの多難な幕開けだった。後半の10月以降は屋内外の作品が公開され、24日までの会期が11月5日まで延長となった。

    アートもSDGsも「ごちゃまぜ」 風通しのよさが地域を創る

   芸術祭のほかに珠洲市は、SDGsの取り組みにも熱心だ。内閣府が認定する「SDGs未来都市」に名乗りを上げ、2018年6月に採択された。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」はSDGsが社会課題の解決目標として掲げる「誰一人取り残さない」という考え方をベースとしている。少子高齢化が進み、地域の課題が顕著になる中、同市ではこの考え方こそが丁寧な地域づくり、そして地方創生に必要であると賛同して、内閣府に応募した。

   採択された後、同市は「能登SDGsラボ」を開設した。市民や企業の参加を得て、経済・社会・環境の3つの側面の課題を解決しながら、統合的な取り組みで相乗効果と好循環を生み出す工夫を重ねるというもの。簡単に言えば、経済・社会・環境をミックス(=ごちゃまぜ)しながら手厚い地域づくりをしていく。そのために、金沢大学、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体などがラボに参画している。

   こうしたごちゃまぜの風通しのよさは行政や地域の経済人、それに地域の人々と触れることで感じることができる。ことし6月に東証一部上場の「アステナHD」が本社機能の一部を同市に移転したものその雰囲気を経営者が察知したことがきっかだった。そして、社会動態も好転している。今年度の上半期(4-9月)は転入が131人、転出が120人と転入がプラスに転じた。多くが若い移住者だ。

   芸術祭実行委員長である珠洲市長の泉谷満寿裕氏は「芸術祭は『さいはて』の珠洲から人の時代を流れを変える運動であり、芸術祭とともに新たな動きを産み出していきたい」ときのうの閉会式で述べていた。能登半島の尖端のこうした動きこそアートだと感じている。(※写真は『私たちの乗りもの(アース・スタンピング・マシーン)』フェルナンド・フォグリ氏=ウルグアイ)

⇒6日(土)夜・金沢の天気     はれ

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

☆名残惜しむ「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~上~

   能登半島の尖端、珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭(9月4日-11月5日)の最終日に鑑賞してきた。名残惜しさと芸術の秋が相まって楽しむことができた。

   代々の生活がにじむアート

   芸術祭で8組のアーティストが作品を創作しているのがスズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」。日本海を見下ろす高台の旧小学校の体育館を活用している。その入口にこれも作品かと思うほどに人目をひくのが樹木だ。強風に吹かれて曲がっているのだ=写真・上=。能登の厳しい自然環境を感じさせる。

   このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだったが、道具や用具=写真・中=などは時代とともに使われる機会が減り、多くが家の蔵や納屋に眠ったまま忘れ去れていた。市民の協力を得て蔵ざらえしたこれらの道具や用具を用いて、アーティストと専門家が関わり、民族博物館と劇場が一体化したシアター・ミュージアムが創られた。芸術祭終了後も常設施設として残される。   

   市内の旧家もアートの展示会場になっている。古民家の家財道具を寄せ集め、天井から生える木のように見せる作品「いえの木」=写真・下=。金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム「スズプロ」が制作した。作品をよく見ると、旧式の扇風機やテレビに混じって「小作米領収帳」が見えた。その土地で何代にも渡り生きてきた人々の生活がにじみでている。

   美大の学生たちは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深め、地道なフィールドワークを行っている。日本海を見渡すこの地で、奥能登でしか表現し得ないアートとは何か、実に壮大なテーマではある。

⇒5日(金)夜・金沢の天気     くもり

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~3~

   海の見えるカナダのバンクーバーを拠点として活動をしているデイビッド・スプリグス氏が能登半島の珠洲にやって来て、最も強いインパクトを受けたのが日本海の荒波だった。その強烈さを作品名『第一波』=写真・上=に。かつての漁具倉庫に真っ赤に染まる大荒波が出現する。手書きで描かれた透明なフィルム層を重ねることで、襲いかかってくるような波の迫力が表現されている。

      臨場感と記憶、そして未来、計算し尽くされた場のアート

   正面から見れば荒波に見えるが、斜めから見るとまったくちがった赤い雲のようにも見え、カタチの認知が変る。「見る」ことの不確実性と流動性の不思議を感得できる。倉庫の内部は薄暗く広いので、近づいて見たり、遠巻きで眺めたりしてこの立体感を楽しむことができる。芸術作品は場の選定が絶対条件だ。スプリグス氏の要望に応じて、海のそばの制作現場を選ぶために関係スタッフが相当のリサーチをかけたことは想像に難くない。 

  この作品は銭湯が場となっている。青木野枝氏の作品『mesocyclone/蛸島 』=写真・中=。場所は蛸島(たこじま)という地名の漁師町にある、「高砂湯」という銭湯だった。30年前に営業をやめている。この漁港近くにある銭湯に金属彫刻の青木氏が展示空間そのものを作品とするインスタレーションを展開した。

   mesocyclone(メソサイクロン)は立ち上る小規模な積乱雲を意味する。脱衣場の床から天井へとつながる鉄の輪が、ゆらゆらと立ち上るような湯気を思い起こさせ、浴場に置いた使いさしの石鹸からかつての銭湯の匂いが漂う。仕事を終え船から下りた漁師たちが汗を流し、ゆったりつかった湯。町の人に愛されていた場の記憶を感じさせる。

   場の作品では、そこから見える風景もコンセプトだろう。シモン・ヴェガ氏の作品『月うさぎ:ルナクルーザー』=写真・下=は海岸近くの児童公園にあり、前回訪れたときは外観しか鑑賞することができなかった。今回は木造の月面探査機の中を見ることができた。感動したのは、コックピッド(操縦席)から見える風景は確かに月面にも見えるのだ。ヴェガ氏が制作した月面探査機は市内の空き家の廃材で創られている。古さび捨てられていくものと宇宙というフォルムが合体し、そして海が月面に見えるという奇妙な感覚。これは作家の「未来は過去のなかにある」というコンセプトを表現しているようだ(奥能登国際芸術祭ガイドブック)。場を活かし、計算し尽くされた作品ではないだろうか。

⇒19日(火)午前・金沢の天気     はれ

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

☆続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~2~

   「奥能登国際芸術祭2020+」で色鮮やかな海をテーマとしているのが、ひびのこずえ氏の作品「Come and Go」=写真・上=だ。作品展示だけでなく、ダンスも演じるパフォーマンスたっぷりの芸術だ。テーマとしているのは能登の海。一般には冬場の鉛色の荒れた海を想像しがちだが、じつにカラフルな構成になっている。

      自然環境と人々の暮らし、能登の森羅万象をアートに

   実際にひびのこずえ氏は能登の海を潜って得た感性で作品づくりをしている。寄せては返す潮の満ち引き、それは出会いと別れでもあり、移り変わりでもある。ここから作品名を「Come and Go」と名付けられたとボランティアガイドから説明を受けた。

   展示作品は海中のイメージを表現している。写真の真ん中に大きなウミガメがいて、海藻や魚、クラゲもいる。ここは海であり、地球であり、そして宇宙をイメージする、まるで無重力空間のようだ。

   奥能登国際芸術祭には金沢美術工芸大学も出品している。教員・学生60人余りで構成するアートプロジェクトチーム「スズプロ」。市内の広々とした旧家の屋敷を借りて、5つの作品を展示している。スズプロは2017年の芸術祭から参加しているが、今回は新作として『いのりを漕ぐ』という大作を展示している。客間に能登産材の「アテ」(能登ヒバ)を持ち込み、波と手のひらをモチーフに全面に彫刻を施したもの。学生らがチェーンソーやノミでひたすら木を彫り込んだ。

   教員・学生たちのは一年を通して珠洲の祭りや伝統行事に参加しながら地域交流を深めている。そして、日本海を見渡すこの地域の調査研究を行い、ここでしか表現し得ない作品の制作を目指してきた。アテを使ったのも、この木が能登特産の素材だからだ。そして「能登曼荼羅(まんだら)」=写真・下=という作品がある。これは2017年制作の作品だが、その地域研究の成果が凝縮されている。「奥能登を、絵解く」をテーマに、人々の四季の暮らしや生業(なりわい)、祭り行事、喜び悲しみの表情まで実に細かく描写されている。まさに、森羅万象の仏教絵画の世界なのだ。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     はれ

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

★続・「さいはて」のアート 美術の尖端を歩く~1~

         能登半島の尖端、珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭2020+」への2度目の観賞ツアーを企画した。前回は9月4日の開幕と同時に訪れた。16の国と地域から53組のアーティストが参加し、46ヵ所で作品が展示されているが、オープン当時は石川県に新型コロナウイルスの「まん延防止等重点措置」が適用されていて、屋外作品が中心の展示だった。10月1日から措置が解除され、ようやく全作品が公開となり、会期も11月5日まで延長された。2度目の観賞ツアー(今月16、17日)では屋内外の合わせて20点余りを楽しむことができた。

       塩がアートのモチベーションになるとき

   「目にも鮮やか」という言葉の表現があるが、まさにこの作品のことではないだろうか。金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』=写真・上=だ。旧の保育所施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出される。そして、保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩という素材を用いた立体アートが据えられている。かつて、園児たちの声が響き、にぎわったこの場所は地域の人々の幼い時の記憶を呼び起こす。

   案内してくれたボランティアガイドの説明によると、作品制作には10㌧もの塩が使われている。なぜ「塩」にこだわるのか。作者は若くしてこの世を去った妻と妹との思い出を忘れないために長年「塩」を用いて、展示空間そのものを作品とするインスタレーションを制作しているのだという。展示後は鑑賞者と共に作品を壊し、塩を海に還すイベントも企画しているという。

   会場入口に作者のメッセージが掲示されていた。作者は金沢から珠洲を13回訪れ、延べ50日かけて創り上げたと記している。最後にこう書き添えている。「私はここを訪れる人たちが、誰もが過ごしたはずの幼い頃の思いを馳せられるタイムマシンのような空間を作りたい。そして出来ることなら、大切な思い出に想いを寄せながら、未来をみつめる機会となってほしい。そう願っています」

           色鮮やかで、そして塩がモチベーションの作品がもう一つある。ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、塩田千春氏の作品『時を運ぶ船』=写真・下=。作品制作は前回の「奥能登国際芸術祭2017」のとき。そして作者の名前は「塩田」。珠洲の海岸には伝統的な揚げ浜式塩田が広がり、自分のルーツにつながるインスピレーション(ひらめき)を感じて迷わず創作活動に入ったという。塩砂を運ぶ舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。

   ボランティアガイドはもう4年間も作品の説明していて、解説はとても分かりやすく、そして深い。『時を運ぶ船』という作品名は塩田氏が珠洲のこの地域に伝わる歴史秘話を聴いて名付けたのだという。戦時中、地元のある浜士(製塩者)が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、浜士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。技と時を背負い生き抜いた人生のドラマに塩田氏の創作意欲が着火したのだ。

   しばらく「胎盤」の中に身を置くようにして作品を眺めてみる。炎天下で心血を注いでモノづくりをする浜士の心臓の鼓動が聞こえてくるようだった。

⇒17日(日)夜・金沢の天気     はれ