★能登半島地震 地域再生は可能か~5 祭りがある日常へ
まさに春の嵐、石川県内では早朝から強風と大雨の注意報が出ている。案じるのは能登の被災地だ。震源近くの珠洲市大谷町へ向かう途中に山のがけ崩れ現場があり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っていた=写真・上、3月16日撮影=。珠洲市にも大雨注意報が出ていて、土砂崩れによる二次災害が起きるのはないかとの不安が心をよぎったりする。また、川べりの民
家の場合、下流に「土砂ダム」が出来て住宅が水没するのではないかと考えたりもする。山のふもとにある集落では、このようなリスクを背負った状態のところがいくつかある。大量の雨をもたらす梅雨の時季までに対策が必要ではないだろうか。
話は変わる。元日の地震で被害が出た奥能登だが、一部地域では「日常」に戻りつつある。奥能登の日常とは、祭りのこと。夏から秋にかけて祭りがどこかで毎日のようにある。子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らし、大人やお年寄りが神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。このような祭りの光景が奥能登では毎日ように見ることができる。キリコ祭りは2015年4月に、日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定されている。
その祭りシーズンの訪れを告げるのが、能登町宇出津(うしつ)の「あばれ祭り」だ。メディア各社の報道によると、「あばれ祭り」の開催について話し合う会議が今月27日に開かれ、7月5日と6日に実施する方針を確認した。あばれ祭りは、2日間にわたって40基のキリコが繰り出し、広場に集まって、松明(たいまつ)のまわりを勇壮に乱舞するのが
見どころだ=写真・下、日本遺産公式ホームページより=。また、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。
記事によると、会議では「小規模な開催をしてほしい」という声もあったが、「地震からの復興を応援してくださった方に頑張っとるぞという姿を見せたい」「祭りまで中止となると、人口減が加速する」などと開催を支持する声が多く上がった(28日付・北陸中日新聞)。ただ、祭りは志納(寄付金)によって賄われていて、これまで祭りを支援してくれた人々の中には被災者もいることから、例年より寄付金が少なかった場合は内容の変更を検討する(同)。
奥能登には「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」という言葉がある。祭りは地域・集落、そして家族・縁者にとっての価値観の共有でもあることから、日常生活でも優先されてきたイベントだ。その祭りが新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年と21年は軒並み中止となった。3年ぶりでようやく祭りが復活、そして、ことし元日に能登町宇出津は震度6弱の揺れに見舞われた。
上記の記事にある「頑張っとるぞという姿を見せたい」という声は、祭りのある日常の姿をはやく取り戻したいという能登の人々の心意気のようにも感じる。
⇒29日(金)午前・金沢の天気 あめ
能登に本社を置く企業は4075社。売上高で見ると、製造業が3分の1を占め、医療や宿泊業などのサービス業、建設業と続く。地震で工場設備や宿泊施設に被害が出ている。地場産業である繊維や輪島塗などの工芸は2割の企業が生産再開のめどが立っていない(28日付・日経新聞)。ファンドは政府系の中小企業基盤整備機構や地域経済活性化支援機構のほか、石川県、地域金融機関の北國銀行、北陸銀行、のと共栄、興能信用金庫、県信用保証協会、商工中金が出資する。中小企業庁は来月4月1日に七尾商工会議所に職員を派遣し、「能登産業復興相談センター」を開設して、ファンドの活用を助言する(同・北國新聞)。このほかにも、出資する金融機関は相談窓口を設ける。
着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすとされる。また、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。
回答を得た社のうち、すでに事業を再開しているのは融資先(401社)のうちの3割強、事業を再開する意向なのは1割弱に当たり、1割弱は再会するかどうかまだ分からないという状態だった。調査途中の段階だが、信金の理事長は再開済みや再開の意向を持つ融資先の割合について、「思っていたよりも多い」との印象を語った。しかし、未回答の各社が半数以上あり、回答した社より事業再開が厳しい状況にあると予想され、「安堵はできない」とも話した(26日付・北陸中日新聞記事)。
その後、外国人たちはどこをめぐったのかは知る由もない。それ以降、ダークツーリズムという言葉が妙に頭に残っている。日本では余り使われていない言葉だが、欧米では被災跡地や戦争跡地などを訪ね、死者を悼むとともに、悲しみを共有する観光とされている。能登半島地震は世界のメディアでも大きく報道さ
れている。インバウンド観光客がダークツーリズムに能登を訪れても不思議ではない。ただ、日本では「被災地への物見遊山はやめとけ」としかられそうだが。(※写真・上は、イギリスBBCの特派員が震災の様子を輪島市の現場から中継で伝える=1月4日付・BBCニュース)
今月23日に金沢市金石港で開催された「出張輪島朝市」はとても盛況だった。「活気に満ちた呼び声、オレンジ色のテント、復興に向けて輪島朝市が再スタートを切りました」とテレビ局のリポーターが中継で伝えていた。午前中の4時間の営業で、メディア各社によると1万3千人の来場があった。30ほどの店に、雨の中で順番待ちの客が長蛇の列をなした。店には岩のりやアジやホッケの干物といった、朝市らしい品が並んでいた=写真・上=。
な話ではないだろうか。出張朝市は、金沢市に避難した輪島市朝市組合の有志が中心になって企画し、次回はゴールデンウイーク期間中(4月27日-5月6日)に開催されるようだ。話題性だけでなく、店の数を増やし、商品数を増やして「買うてくだ―」のにぎやかな輪島朝市を再現してほしいものだ。
よる「出張朝市」がきょう金沢市金石1丁目にある金沢市漁協の荷さばき場で開かれた。震災から83日目の「初売り」でもある。現地に行ってみた。
天皇陛下が奥能登を訪れるのは2018年8月以来ではないだろうか。皇太子だった当時、珠洲市で開催されたボーイスカウト日本連盟主催の国際キャンプ大会「日本スカウトジャンボリー」に出席された。その時のあいさつのお言葉で、「能登の地は、長い時間を掛けて自然と調和した人の営みが造り上げた里山里海を有しています」と述べられた。その能登の里山里海が元日の震災に見舞われた。
「輪島の朝市」に到着。4万9千平方㍍が焼失し、多くの犠牲者が出た焼け跡に向かって黙礼をされた。天皇陛下にとって朝市は、学習院高等科1年生の頃に訪問されたことのある思い出の場所でもあり、現地でどのようなお気持ちだったのか。このあと、坂口市長の案内で避難所に移動された両陛下は被災者の人たちを見舞われた。
では、なぜ倒壊した民家などが手つかずの状態になっているのか。考えうるのは、能登には空き家が多くあることだ。今回の地震では石川県全体で全半壊・一部損壊が7万3500棟に及んでいて(3月15日現在)、このうち全半壊の2万3700棟については自治体が費用を負担して解体ならびに撤去する。政府が能登半島地震を特定非常災害に指定したことから、いわゆる「公費解体」が可能となった。県ではこの作業を来年秋の2025年10月までに終える計画だ。ただ、問題がある。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われるが、空き家の場合は所有者と連絡がつかない、あるいは所有者が誰なのか不明というケースが多いのだ。
23.5%、珠洲市は20.6%、能登町は24.3%となっている。ちなみに県内で空き家率がもっとも高いのは、原発が立地する志賀町の28.1%だ。
って津波被害の状況を視察し、被災者とも懇談する。輪島市と珠洲市の間の移動は、自衛隊のヘリコプターを使う。夜に帰京する。天候などによっては訪問が延期となる可能性がある。
元旦ということもあって自宅でくつろいでいるときの地震だった。被災地をめぐると、住宅だけでなくガレージも車ごと押しつぶされたような状態になっているケースが目につく。住宅再建のほかに車も新規に購入するなど、対応に迫られるだろう。そして、被災した中小企業や個人事業主にとっては住宅のほかに店舗や工場の再建もあり、負担はさらに重くなることは想像に難くない。(※写真は、七尾市の老舗商店街「一本杉通り」で倒壊した和ろうそくの店舗=2月3日撮影)