★土砂崩れ国道249号 隆起した海岸にバイパス道路が完成
きょう能登半島地震で震度6強の揺れに見舞われた被災地の輪島に友人と2人で出かけた。友人の知り合いの自宅が輪島にあり、一度現場を見ておきたいとの話が出たので、こちらから誘った。自身も、海岸沿いの大規模な土砂崩れで通行止めになっていた国道249号が、隆起した海岸線にバイパス道路を新設し、きのう2日に開通したことをニュースで知り、現場を見たいと思っていた。
金沢から能登に行く主要道路「のと里山海道」は半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、道路の盛り土の部分の崩落個所が多くある。この里山海道の修復は国直轄で行われ、大きく崩落した個所は盛り土で修復するのではなく、新たに鉄橋を架ける工事が進められていた。
金沢から1時間半余りで輪島に到着。倒壊した漆器製造販売会社「五島屋」の7階建てのビルを見た。この現場を初めて目にしたのは2月5日だったが、当時とほとんど状況は変
わっていないように見えた。続いて千枚田を見に行った。一部田起こしが行われていたが、ほかに地割れが入った田の修復作業も行われていた。
隆起した海岸に新設された国道249号の迂回路は千枚田の近くにある。迂回路は幅5㍍の1車線で、長さは430㍍ほど=写真=。近くにはすれ違い用の待避所も設けられている。ただ、「緊急車両等・地域住民以外 通り抜けできません」と看板があった。そこで近くで車を止めて歩いて周囲を撮影した。印象的だったのは、地震で隆起した海岸の岩場は白く、そこを走るアスファルト道路は黒く、そして海と空は青く、じつに絶妙なコントラスが描かれていた。
迂回路の入り口には別の看板もあり、地震や大雨、波の高いときなどは通行止めになると書かれてあった。梅雨時期の大雨で再び土砂崩れが起きるかもしれない。そして問題は冬の海だ。強烈な寒波で海岸線には高波が押し寄せる。道路を設置した国交省では道路脇に積まれた土のうをさらに積み上げることで高波の対策を講じるようだ。今回の迂回路の完成が復旧・復興への弾みになることを願う。
⇒3日(金)夜・金沢の天気 はれ
別の数字もある。石川県教委の発表(4月27日)によると、今月12日時点で奥能登2市2町の児童・生徒の数は小学生が1266人、中学生が770人だった。 去年5月時点と比べ小学生が453人、中学生が191人、合わせて644人減少していることが分かった。単純に計算すれば、小中合せて児童・生徒数が24%減少したことになる。震災をきっかけに奥能登を離れた家庭が増えたと推測される。
と知ったのは、きょうの新聞紙面で取り上げられていた「能登復興建築人会議」の記事だった。
いが、最近では行動範囲を広げて、能登地方でも出没事例が多くなっている。令和1年から5年の目撃情報によると、能登地域の9市町の全域で情報が寄せられている=図・石川県公式サイト「クマ出没分析マップ」=。
きょう午前11時の開店時間に店に入ると、店主の高市範幸さんがそばをこねていた=写真・上=。しばらく様子を見学させてもらう。慣れた手つきで薄くのばしたあと、包丁で細く切る。ニ八そば。そば打ちを再開できた充実感なのだろうか、喜びなのだろうか、本人の表情が終始にこやかだった。
る。そばをかみ締めると風味が口の中に広がる。いつもながらのうまいそばだ。
言葉で初めて発表して衝撃が走ってから10年だ。消滅する、しないは2020年から2050年にかけて20代から30代の若い女性の人口が半減するか、しないかが基準で、半減する場合は将来的に「消滅の可能性がある自治体」と定義している=図・上=。
が能登地区になる。
とくに地震の被害が大きかった奥能登では、「九六の意地」という言葉がある。間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家を建てるのが男の甲斐性(かいしょう)とする風土だ。黒瓦と白壁、そして九六の威風堂々とした建物が奥能登で立ち並んでいる。奥能登の4市町(輪島、珠洲、穴水、能登)の被災地では、建物の構造がしっかりしていて揺れには耐えたが、裏山のがけ崩れで横倒しになった住宅をよく見かけた。そこで思ったのが、九六の家に住んでいる人たちはコンパクト化した仮設住宅で不便ではないだろうか、という懸念だった。(※写真は、裏山のがけ崩れで倒壊した大きな民家=1月30日、珠洲市で撮影)
伝説の続き。その時忠の子孫が輪島市町野町の時国家とされる。2軒ある時国家のうち丘の上にある「上時国家」は去年8月まで一般公開されていたので、これまで何度か訪ねた。入母屋造りの主屋は約200年前に造られ、間口29㍍、高さ18㍍に達する。幕府領の大庄屋などを務め、江戸時代の豪農の暮らしぶりを伝える建物でもある。国の重要文化財指定(2003年)の際には、「江戸末期の民家の一つの到達点」との評価を受けていた。
網野氏が読み解いた膨大な上時国家文書8千点余(石川県指定文化財)が、元日の地震で家屋の下敷きになった。厚さ約1㍍におよぶ茅葺の屋根が地面に覆いかぶさるように倒壊した。メディア各社の報道によると、今月20日に国立文化財機構文化財防災センターのスタッフ、石川県教委や輪島市教委の職員、大学教授ら20人が「文化財レスキュー」活動を行い、主屋と離れを結ぶ廊下に保管されていた古文書を運び出した。一部に水ぬれやカビが見られ、現地で修復作業が施されるようだ。
け崩れが起き、集落が孤立した。さらに、がけ崩れで谷川がせき止められる「土砂ダム」ができ、各地で民家や集落が水に浸かった。また、隆起して白くなった海岸線が何㌔にも渡って続いていた。このリアルな能登の被災地の状況を知ることができたのはテレビ映像より、むしろドローンによる画像だった。(※写真は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)
数字だけを眺めると、たとえば珠洲市の断水は当初4800戸(1月4日時点)だったので、遅い早いは別として徐々に復旧している。先日(4月15日)、1930棟の住宅が全半壊した穴水町を訪ねた。仮設住宅の近くを通ると、洗濯物が干してある様子が見えた=写真=。ささやかな光景だが、生活実感が見て取れ、地域の復旧へと動き出しているようにも思えた。