★国史跡の「利家とまつ」前田家墓所の石灯篭など100基倒壊 本格復旧へ調査始まる
グラグラと金沢の自宅が揺れた。午後10時47分ごろ。NHK速報によると、輪島市門前町走出と志賀町香能で震度5弱、金沢で震度3だった。震源は能登半島の西方沖でマグニチュードは6.4だった。輪島市門前町走出と志賀町香能 は元日の地震で震度7を観測した地点だ。
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前回ブログの続き。元日の能登半島地震の影響はさまざまな場所で起き、そしてさまざまなケースがある。金沢には野田山墓地があり、山頂から山腹にかけて墓石が並ぶ。年代物と思われる古いものや最近のものまでさまざまだ。金沢の山沿いは震度5弱だった。野田山墓地を見渡す限りでは、地震で崩れている墓石はさほどないよう見える。ただ、よく見ると墓石がズレていたり、石塔の一部が欠けたりしているものも多くある。

中でも目立って石灯篭などが倒れていたのが、国の史跡でもある「加賀藩主前田家墓所」だった。加賀百万石の礎を築いた前田利家の墓碑や、横にある正室まつの墓碑は無事だったが、両墓碑の入り口などにある石灯篭の笠の部分が崩れたりしていた=写真、1月14日撮影=。金沢市文化財保護課の調査によると、前田家墓所全体では石灯篭を中心に100基余りの石像物が倒れたり、割れたする被害が確認されている(26日付・地元メディア各社の報道)。このうち、まつや2代藩主利長などの墓にある石灯篭6基については5月末に石工職人が滑車で起こするなど復元作業を終えている。
現地の看板「野田山墓地由来記」によると、野田山墓所は天正15年(1587)に利家が兄・利久をこの地に葬ったことから墓地としての開発が進み、慶長4年(1599)には利家がまつられ、以降14代藩主と正室ら家族の墓地となった。前田家墓所の墳墓は84基あり、全体で敷地面積が8万6千平方㍍にもおよぶ。文化財の価値を保全するためには、建立当時と同じような石材や工法が求められるため、金沢市では文化庁の担当者らと協議を重ねながら、倒壊した石像物などの本格復旧をめざし調査を進める。このため、同市では12月補正予算案に3510万円を計上した。「利家とまつ」前田家墓所の復旧作業がこれから本格的に始まる。
⇒26日(火)午後・金沢の天気 あめ
元日の能登半島地震の影響はさまざまな場所で起き、そしてさまざまなケースがある。その典型がこの事例だろう。地元メディア各社の報道によると、今月23日午後7時20分ごろ、金沢市に隣接する内灘町の県道沿いの電柱から出火し、消防がまもなく消し止めた。周辺の10戸ほどが3時間ほど停電した。近くの住人から「家が突然停電し、外の電柱が燃えている」と110番通報があった。
きょうその現場を見てきた。出火した電柱は地震による液状化被害が大きかった同町宮坂地区にある。出火した電柱は傾きが進み、近くにある工場敷地内の細い電柱との電線同士が接触して発火したようだ=写真・上=。この周辺ではこの電柱だけでなく相当数の電柱が傾いている。中には目算で20度ほども傾いているのではないかと思えるものもある。北陸電力の関連会社では、電柱の建て替え作業を進めているが、内灘町だけでなく能登でも相当数の電柱が傾いていて施工が間に合わないのだろうか。
ている。今回の地震で道路がいたるところで隆起したり陥没したりしている。地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾いている。道路が15度ほど斜めになっているところもある。
別の被災者の話。元日の夕方の揺れで、慌てて外に出た。「家にまだ人がいます。誰か助けてください」とひたすら叫んでいた。すると一台の車が止まった。小学生の子供ら家族が乗っていた。30代くらいの女性が車の中から出てきて、「これを履いてください」と長靴をくれた。靴を履かずに靴下で外に出ていたことに気がついていなかった。女性は「東京に帰りますので」と言い、そのまま去った。そのときお礼も十分にできずにいた。その長靴の恩はいまも忘れられない。色とりどりの円模様が入った黒長靴だ。「お礼をしたい」と繰り返し話していた。
きのう夕方、金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」を走っていると、「スノータイヤ 早めに装着」と電光掲示板が出ていた=写真=。ノーマルタイヤからスノータイヤへの履き替えを促している。寒波が吹き込むと、のと里山海道の路面は凍結や積雪におおわれる。海岸沿いの道路は凍結し、山沿いの道路は積雪となる。なので、スノータイヤへの交換は北陸の冬では必須だ。冬の時季、のと里山海道や北陸自動車道で事故が多いのが県外ナンバーの車だ。スタッドレスなど冬用タイヤを装着していなかったために追突やスリップ事故などに遭遇する。そもそも、凍結や雪道での運転に慣れていないせいもあるだろう。話が逸れた。
1年ぶりの接種、8回目だった。医師は右肩にさりげなく接種。これまでは、15分ほど待合室で待機して、何もなければ退室だったので、今回も「このまま15分待っていればいいですか」と医療スタッフに問うと、「そのままお帰りください」とのことだった。新型コロナワクチンは、2023年度までは全額公費負担で無料接種が行われてきたが、今年度はインフルエンザと同じ予防接種扱い。なので自己負担、2300円だった。(※写真・上は、ファイザー社のワクチン=同社の公式ホームページより)
したように楽になった。感染症法に基づく外出自粛要請や濃厚接触者の特定などは廃止となり、マスク着用も個人の判断に委ねられるようになった。ところが、電車やバスの中はもちろんのこと、金沢の街を歩いていてもすれ違うほとんどの人がマスクを着用している。(※写真・下は、2020年4月に当時の安倍総理が1世帯2枚のマスクを配布すると説明=首相官邸公式ホームページ)
田町の仮設住宅では、地震の被災者が住んでいた182戸が近くを流れる河原田川が豪雨で氾濫して一帯が冠水した。仮設住宅に土砂が流れ込み、水が引いても一帯はドロ沼の状態だった=写真・上、9月22日撮影=。この豪雨でほとんどの世帯は近くの小学校体育館などの避難所に身を寄せている。今月15日に現地を訪れると、住宅の床や壁の取り換えや、泥を落とす作業、消毒などが行われていた=写真・中=。
仮設住宅を管轄する石川県庁では、被災者には再入居してもらうことを前提に年内をめどに仮設住宅の復旧作業を急いでいる。それにしても、被災者は元日の震災で避難所生活となり、7月上旬にようやく仮設住宅入居したものの、その3ヵ月後に豪雨で再び避難所生活を余儀なくされている。度重なる自然災害に翻弄され、心痛はいかばかりか。
真・下の㊤=。「スパイスカレー」の看板が見えた。このカレーの匂いに誘われて列ができたのだろうか。キッチンカーの場合は、食品衛生管理者講習を受講し、その後に飲食店営業許可(食品衛生法に基づく許可)を取得すれば開業できるので、震災以降ずいぶんと増えているように思える。
現地では、パワーショベルなど重機が3台が動いていた=写真・上=。行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出している7階建てビルの解体が始まっていた。解体と合わせて、国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っている。解体は当初、上部から段階的に輪切りにして解体していく予定だったが、周囲への安全面に配慮して側面から崩すように作業を変更した。3階以上は年内に、ビル全体は年度内に作業を終えるようだ(17日付・地元メディア各社の報道)。
どで出張朝市などを続けてきたが、最近では「カムバック朝市」を目指して、朝市通りの近くにある輪島市マリンタウンの特設会場で1日限定のイベントを催したり、地元での屋外開催を増やしている。
このニュースを視聴して、つい能登のUFO伝説を思い起こした。羽咋市に伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。「そうちぼん」とは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説では、そうちぼんが羽咋の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたと伝えられている。さらに、眉丈山の辺りには「ナベが空から降ってきて人をさらう」という神隠し伝説もある。また、羽咋の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物には、神力自在に飛ぶ物体について書かれている(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。
どり着き、583歳までの余生をこの地で過ごしたという伝説だ。同町には聖者モーゼが眠るされる伝説の森公園「モーゼパーク」がある=写真・上=。
去年もそうだったが、温暖化のせいなのか紅葉の季節が遅れている。先月下旬に 長野県大町市で開催された「北アルプス国際芸術祭」を鑑賞に訪れときも、ガイドのスタッフが「芸術作品と紅葉の風景が混ざると面白いのですが、ことしの紅葉は1週間ほど遅れてますね」と話していた。山々は薄く色づいていたものの、全体として緑の景色だった。大町市の公式観光サイト「信濃大町なび」を検索すると、「11月10日現在、全体的に紅葉真っ盛りの大町市です。」とある。紅葉シーズンの遅れは全国的な傾向のようだ。
遅い紅葉もさることながら、紅葉の樹木を見て感じることは、色づきが見事ではない。紅葉したばかりなのに、黒ずみが混じっているなど染まりが悪いように感じるのは自身だけだろうか。
える12月5日の迎え行事について、能登町ふるさと振興課に問い合わせると、建物の修復ができない状態が続いていて、迎え行事は中止するとの返事だった。ユネスコの無形文化遺産であり、国の重要無形民俗文化財(1976年指定)でもある民俗行事が見学できないことに残念な思いがした。もちろん、あくまでも一般公開向けの「あえのこと」行事が中止になっただけで、本来の各農家では例年通り行われるのだろう。ただ、他人事ながら不安もある。