☆文明論としての里山2
先回述べた国際スローフード協会設立大会が1989年にはパリで開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。伝統的な食材、地域の食の教育、小生産者、これらは、市場原理主義のグローバルマーケットの渦の中で無視されてきたアイテムである。市場では競争を前提として、経済主体の多数性、財の同質性(一物一価)、情報の完全性、企業の参入退出の自由性という4つの条件が担保されないと相手にされない。つまり、市場では「死ね」と宣告されたも同然なのである。こうした地域のアイテムを必死に守ろうというのがヨーロッパにおけるスローフード運動なのである。
混沌とした状況の中から
日本でも食の問題が起きた。どこの国で生産されたのかも不明な食材や加工食品を、安全性を二の次にして安価というだけで市場に流す。そのため価格では太刀打ちできない国内の小生産者は生産を止め、地域そのものが疲弊していく。地域の労働の担い手は都会に出て行く。土地を離れた労働者は現金収入によって生活をする非熟練労働者になる。彼らを待ち受けているのは結局、失業と貧困である。 これまで、「国民の経済」に歪みや偏りが起こると政府は、税金や補助金や社会保障給付というカタチで所得の再配分を行ってきた。ところが、一部を除いて世界的な不況となると自動車産業などグローバル企業でさえ赤字決算に陥る。日本を始め欧米は軒並み巨額な国債発行で財政をしのいでいが遅かれ早かれ国家自体が破綻する。民主党政権が、郵貯の民営化にストップをかけたのも、再び郵貯を「国債消化機関」として復活させようとしているからだとの見方もある。資本主義だけではなく、政治も国家も疲弊している。
混沌とした中である現象が起きている。その現象の先陣を切っているのは芸術家たちだ。「大地の芸術祭」は3年に1度、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の里山で開催される。越後妻有は1500年にわたって棚田など農業にかかわってきた。市場原理主義の流れの中で、農業は切り捨てられ、広い大地は見捨てられ過疎地となった。しかし、そこが今や芸術の舞台となった。760平方㌔の里山に330を超えるアートを仕込む作業。一人の女学生が各戸を訪問して、手ぬぐいを何枚か集めて縫って、刺繍を描く作業。最終的に4500人のおばあさんと子供たちの協力で1万2000枚の手ぬぐい刺繍が完成した。また、廃校になった分校に残されていた卒業式の送辞、答辞、スナップ写真、あるいはいろいろな文集を再構成した。校舎に入ると、ここで過ごしたであろう子供たちのざわめきが聞こえて、子供たちが走っているような錯覚に陥る。美術が時間を形象化したと高い評価を受けた。「大地の芸術祭」は8万人そこそこの地域に50日間に数十万人の人が訪れる一大芸術祭の様相を呈してきた。
「大地の芸術祭」の総合ディレクターである北川フラム氏は昨年(08年)9月の金沢での講演でこう述べた。「私たちは都市の時代で20世紀を生きてきた。都市がすべてを解決してくれると思っていた。けれども都市が傷み、病むにつれて、美術も病み、傷んできた。そのときにもう一度、美術が持っている場所を発見する力、人と人をつなぐ力、場所と人をつなぐ力というものが越後妻有で起きだしたということ」「ちなみに、イギリス、オランダ、フランス、オーストラリア、フィンランドは、もう大地の芸術祭はベニスのビエンナーレを超えたランクでいろいろ手伝ってくれている。もしかしたら21世紀の美術というのはそこで、つまり里山、そういう生活の中で生き返るのではないだろうか」と。そして最後に「芸術は里山に救われた」とも。
⇒29日(火)夜・金沢の天気 くもり
プロテスタントの教義は、身分は低くとも自分の仕事に誇りを持って専念しなさいと人々を諭した。これがカルヴァンが説いた予定調和説の「あらかじめ神が決めたこと」だ。プロテスタントの教会には階級序列がなく、人々にも上昇志向や贅沢志向というものがなかった。こうした生真面目な精神性が、高い生産性と「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義の蓄積へと間接的に連なって行く。一方、カトリック社会では階級序列があり、より高い階級へ上昇できる可能性がある。すると、今の仕事はより高い地位に就くための通過地点にすぎないと考える人々は実入りのよい仕事に目を向け、現状の仕事に専念しなくなる。その結果として生産性は低くなる、とウェーバーは分析したと覚えている。
東大のイチョウは校章にもなっているだけあって、キャンパス全体を黄色く染めるくらい本数は多い。そのイチョウと赤門がコントラスを描いて、これも見ごたえのある風景だ。青森から訪れたという女子高生が記念撮影に夢中だった=写真=。
豆腐といえば四角とだいたい相場は決まっている。中に、能登の「ちゃわん豆腐」のように丸型もある。この豆腐はなんとサーフボード型なのだ。ネーミングが面白い。「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」。2パック入っていて298円だ。受け狙いの流行商品だろうと思ったら、商品開発に5年も費やしたこだわりの味だという。味は濃厚でまるでクリームチーズかプリンのようだ。
ニュージーランドの経済の中心地オークランドの街を歩くと、不思議なことにマネーの活況ほどに街は騒がしくないのである。投資家の間では有名なニュージーランドドル建て債券は5%~6%を維持している。それだけ高金利で世界中からマネーを集めているので、さぞ都市開発も盛んだろうと思い、ホテルの部屋(18階)から街を見回してみた。クレーンが立っているのを確認できたのは2カ所だけ。ホテルの周囲は新しい高層ビルが建ち並んでいるので開発ブームは過ぎ去ったという感じだ。
それではどこに投資の金が回っているのかと思う。確かに、ハントリーでは新しい石炭火力発電所が建設されるなどインフラ投資が行われている。また、クイーンズタウンのリゾート開発にもマネーが回っているのだろう。しかし、現実をよく見ると「祭りは終わった」という印象だ。そのせいか、ニュージーランドドルは下落している。去年11月末には1NZ㌦=87円だったレートは、12月末に80円程度まで下落し、ことしに入って72円程度まで下がり、今月76円で持ち直してはいる。もともと市場規模が小さく急降下しやすいのだ。
新聞で「BBQ is kiwiana」という文が目に止まった。BBQはバーベキューのことなので、バーベキューならキーウィの肉、かといぶかった。このKiwianaを英和辞書で検索しても出てこないので、現地の日本人ガイド氏に聞くと、笑いながら「そうですね、日本語で近いのは『ニュージーランド名物』とでもいいましょうか…」、「あえて訳せば『バーベキューはニュージーランド名物』ですね」と。
ランドの先住民であるマオリ族からキーウィと名付けられたそうだ。ニワトリくらいの大きさで、飛べない。たくましい脚を持ち、速く走る。しかし、ヨーロッパからの移民とともにやって来たネコやネズミなどの移入動物の影響でキーウィは一時絶滅の危機に瀕したこともある。体の3分の1ほどの大きさの卵を抱くのはオスの仕事である。そこで、kiwihusband(キーウィハズバンド)と言えば、面倒見のよい夫のたとえだとか。
の若者たちは黒地にシダの模様のロゴがついたTシャツを着ていた。上の写真のように、チームのロゴは葉の裏側が銀色のシルバーファーと現地で呼ばれるシダなのである。この夜、オールブクラックスは34対27で勝利し、薄暗いバーではほの白く光るシダが歓喜で揺れていた。
続いてニュージーランド航空の機体の尾翼をご覧いただきたい。2本のゼンマイをかたどった模様がニュージーラーンド航空のマークである。シダの新芽の巻きの部分は「コル」と言って、先住民のマオリ族は縁起がよい、あるいは発展性があるという意味を込めている。マオリ族の工芸品店ではグリーンストーン(緑石)を加工してペンダントやネックレスとして販売されている。
極めつけは下の写真である。マオリ族のダンスが楽しめるディナーショーに参加したときのこと。コーヒーのコーナーに飾りつけられていたクロスである。どこかで見た懐かしい図柄である。そう日本の風呂敷のデザインである唐草文様だ。これはマオリの伝統的な文様なのだという。唐草文様はもともとギリシャやペルシャから伝わった文様で、ブドウの木のつるなどをかたどったデザインとされる。ところがよく見ると、マオリ族のそれは巻きが2重、3重になっていて明らかにゼンマイ、つまりシダ植物である。
アに着いた(8月18日)。ロトルアには、温泉が数十㍍も吹き上げる有名な間欠泉がある。日本の別府市と姉妹都市だそうだ。
クライストチャーチを後にして8月16日はクイーンズタウンを訪れた。湖畔沿いに街がつくられ、雪のサザン・アルプスが背景に連なる。雑誌などでよく見る北欧かスイスの街のようなイメージだ。南緯45度、地球儀をひっくり返してみれば、北緯45度は日本の北海道・稚内、何となく北国であることが想像できる。が、ヨーロッパと比較するとイタリアのミラノやフランスのルグノーブルに相当し、北欧とは遠い。
関空からのフライト。セーターや厚手のズボンやコート、靴を持参したので大きいほうのトランクは34㌔にもなった。10時間半でニュージーランド南島のクライストチャーチ国際空港に着いた。現地の時間は午後0時30分、到着を告げるアナウンスでは日中気温は7度。金沢だと2月下旬ぐらいの気温だ。機内でさっそく上着を羽織った。