⇒トピック往来

★北アルプス国際芸術祭 信濃の大地と自然が生み出す神秘なアート

★北アルプス国際芸術祭 信濃の大地と自然が生み出す神秘なアート

   長野県大町市で開催されている「北アルプス国際芸術祭2024」に来ている。アートディレクターの北川フラム氏が総合ディレクターを務める。国際芸術祭は去年秋に「奥能登国際芸術祭」を鑑賞して以来。北アルプスの雪の山々をイメージしてきたが、曇り空だったこともあり、あの雪の連なりの風景はまだ見れていない。水や風、植物など信州の自然を題材にした作品を楽しみにツアーバスに乗り込んだ。印象に残った作品をいくつか。

  北アルプスの雪解け水と湧き水に恵まれる大町は湖が多い。その一つ、木崎湖畔にたたずむ仁科神社の鎮守の森に、無数のプラスティックレンズが吊り下がる空間がある。その数は2万個にも及ぶ。カナダを拠点とするアーティスト、ケイトリン・RC・ブラウン&ウェイン・ギャレットによる作品『ささやきは嵐の目のなかに』=写真・上=。まるで、森の中に大粒の雨が注いでいるように感じる。レンズから森を眺めると、まったく別の森の風景が広がる。

  まるで空と大地が一体化する神秘な風景のようだ。北アルプスを仰ぎ見る田園に囲まれた鎮守の森の中に鎮座している須沼神明社の神楽殿。絹に木版で描いた羽衣のような布が風にたなびく様子は天空に流れる「雲海」を感じさせる。宮山香里氏の作品『空の根っこ -Le Radici Del Cielo-』=写真・中=。羽衣のような布は、空に流れる雲のようでもあり、大地に根差した根っこのようでもある。神楽殿は神々の来臨や神託を願う歌や舞いの儀式が営まれる、聖と俗、常世と現世の「神と人との接点」のステージだ。「隔たり」ではなく「つながり」の世界を感じさせる。 

  大町には豊かな里山が広がる。かつて麻の産地として栄えた美麻地区にある1698年築の茅葺き屋根の民家「旧中村家住宅」は国の重要文化財でもある。麻を使ったカーテンをくぐった先にあるう厩(うまや)では、かつて麻畑だった場所で採取した植物を焼成しガラスのなかに閉じ込めた、芸術的なタイムカプセルのような作品が広がる。佐々木類氏の作品『記憶の眠り』=写真・下=。佐々木氏は身近な自然や気候に思いを寄せ、保存や記録が可能なガラスを使った作品を制作している。この地区の暮らしをかつて支えていた麻栽培はいまは行われてはいない。大町の記憶がガラスの中で眠っている。

  公式ガイドブックの中で、北川フラム氏は「土地と自然という私たちのベースになる基本の調査を現場で具現化するというアートの根本に、世界ではじめて取り組んだ作家の恐るべき想像力と先見性を、ぜひ見てください」と述べている。

⇒24日(木)夜・長野県大町市の天気 くもり

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」

  9月21日に線状降水帯も発生して48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた奥能登。被害が出たのは家屋や道路、橋梁、森林などのほかに農地がある。今月3日付のブログでも述べたが、がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部では、町野川の周囲の田んぼでは流れ込んだ河川水で横倒しになった刈り入れ前の稲が一面に広がっていた。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外だろう。元日の能登半島地震で田んぼに亀裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登では作付け面積は例年の6割ほどと言われていただけに、農家にとっては二重の災害だ。

  先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。

  この光景を見て正直な話、胸騒ぎがした。元日の地震で地盤が緩み、豪雨で一部土砂崩れが起きたのだろう。千枚田がある能登半島の外浦は海岸と山が接したいわゆるリアス式海岸で、山崩れやがけ崩れがよく起きる。輪島市の「土砂災害ハザードマップ」=図=をチェックすると、千枚田の真ん中を通る国道249号(赤線)から上手の山の斜面は土砂災害特別警戒区域(赤塗)となっている。千枚田がある白米町では、「大ぬけ」と今でも地元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。

  石破内閣の小里農水大臣が10日、輪島市を訪れ千枚田を視察した。案内したのは棚田の維持活動に取り組む白米千枚田愛耕会のメンバーだった。小里大臣は視察のあと記者に質問に答え、「1月の地震から復旧・復興に取り組んでいた矢先の豪雨災害で心を痛める思いだ。地震の被害に対して支援してきたが今回の新たな被害についても同じような形で支援したい」と述べ、能登半島地震での支援の枠組みを活用して壊れた水路や設備の修繕の費用などを能登の農業を支援していく方針を示した(10日付・NHKニュースWeb版)。

  千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な棚田だ。震災と豪雨後に「持続可能な棚田」をどう復元していくのか、国際的にも注視されているのではないだろうか。

⇒13日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

☆ノーベル平和賞が授与される日本被団協 「被爆者の証言活動は唯一無二」と評価

  「ノーベル平和賞」という言葉で思い出すのが、もう50年前の1974年に受賞した佐藤栄作元総理だ。佐藤氏の受賞は、非核三原則の宣言や核拡散防止条約(NPT)に署名したことが当時高く評価された。そしてきのう(11日)、ノルウェーのノーベル賞委員会はノーベル平和賞を広島と長崎の被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)に授与することを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。

  平和賞の授賞を発表したノーベル賞委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は授賞の理由を次のように述べている(「ノルウェー・ノーベル委員会」公式サイトの動画より)=写真・下=。以下抜粋。

  「広島、長崎での被害を生き抜いた被爆者の証言活動は唯一無二のものである」「歴史の証人として個人の体験を語り、自らの経験に基づく教育キャンペーンを張り、核兵器の拡散と使用に対する警告を発することで、核兵器に対する反対運動を世界中に広げ、定着させることに貢献してきた。被爆者の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」

  うがった見方をすれば、今回の被団協への平和賞授与は、現在世界は核の脅威にさらされているとの警鐘なのかもしれない。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、ロシアは核兵器の使用をほのめかすなど脅しを繰り返している。ノルウェーやスウェーデン、フィンランドの北欧はロシアと隣接している。ノルウェーはNATOにすでに加盟していたものの、 中立国を掲げていたスウェーデン、フィンランドはロシアのクライナ侵攻を機に相次いでNATO入りした。それほど北欧では切迫感があるのだろう。

  もう一つ、ノーベル賞委員会の日本政府に対するメッセージかもしれない。核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」は2021年1月に発効したものの、日本は批准も署名もしていない。むしろ、条約に一貫して反対してきた。なぜ反対してきたのか。日本政府は「条約に核兵器を保有する国々が参加しておらず、日本が加わっても、核廃絶にはつながらない」を繰り返してきた。アメリカの「核の傘」に入っている気兼ねがあるのか。被爆国であり、核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのか、と。

  きょう12日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会で、立憲民主党の野田代表が石破総理に対し核兵器禁止条約について「せめてオブザーバー参加をしてはどうか」と質した。すると、石破氏は「核のない世界を究極的にはつくりたい」と述べたものの、「現実として核抑止力は機能している」と言及。オブザーバー参加ついての返答は避け、核の力で相手の攻撃を思いとどまらせる核抑止力を強調していた。石破氏は佐藤元総理、そして被団協のノーベル平和賞を受賞をどう受け止めているのだろうか。

⇒12日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆超高齢化社会の妙薬となるか レカネマブ治療開始へ

☆超高齢化社会の妙薬となるか レカネマブ治療開始へ

   認知症のアルツハイマー病の新薬として注目されている「レカネマブ」の公定価格「薬価」が決まった。1瓶200㍉㌘で4万5777円に設定。2週間に1回、1時間かけて点滴する。投与量は体重によって変わるが、体重が50㌔の人では年間298万円となる。厚労大臣の諮問機関・中央社会保険医療協議会が薬価や対象範囲について議論し、きのう13日に取り決めた。今月20日から公的医療保険の適応対象となる。

   レカネマブを開発したエーザイは今月20日から商品名「レケンビ」として販売を開始する=写真、エーザイ公式サイト=。この薬を使用できるのは認知症を発症する前のいわゆる「軽度認知障害」の人や、アルツハイマー病の発症後の軽度の段階の人で、年間で最大3万2000人の使用が見込まれている。

   今回、中医協が価格を決定したわけだが、おそらくエーザイ側は「安すぎる」と不満に思っているだろうか。というのも、エーザイはアメリカの製薬会社「バイオジェン」と共同で開発した。そのアメリカでは、高齢者向け公的医療保険「メディケア」が保険適用の対象とし、価格を体重75㌔の患者に換算して1人当たり年間2万6500㌦ と設定している。きょうの為替相場は1㌦143円なので、ざっと379万円だ。体重の違いもあるだろうが、日本では298万円、アメリカでは379万円となると、同じ商品なのにこの価格差はいったい何だとアメリカ側も疑問を持つだろう。

   患者の負担は薬価だけではない。アルツハイマー病は、脳内に異常なタンパク質「アミロイドβ 」が蓄積することで神経細胞が傷つき、記憶力や判断力などが低下するとされる。レカネマブの治療は軽度の認知症であることが条件だが、そのためにアミロイドβ の蓄積量を調べる検査が必要となる。2通りあり、一つはアミロイドPET(陽電子放射断層撮影)での測定と、二つめが脳脊髄液を採取して測る。いずれも保険適用外である。

   そして、レカネマブによる点滴治療は2週間に1度、原則として1年半の間、病院に通い続ける。さらに、どこの病院でもよいというわけではない。副作用を早く見つけるため、脳の画像診断などの検査ができる医療機関で治療が行われることになっていて、対応できる医療機関は限られる。 

   冒頭で述べたように今月20日からレカネマブを使った治療が始まる。超高齢化社会といわれるこの世の中で、レカネマブは「呆け封じ」の妙薬なのかもしれない。一方で、それだけのコストと手間がかかるのなら面倒だと、「呆けた者勝ち」と治療を避ける人たちもいるだろう。レカネマブをめぐる新たな社会現象が起きるかもしれない。

⇒14日(木)夜・金沢の天気     くもり

☆「たかがどぶろく、されどどぶろく 」 ブームの背景を読む

☆「たかがどぶろく、されどどぶろく 」 ブームの背景を読む

   きょう、能登半島の中能登町で開催された「どぶろく宣言」セレモニーというイベントに参加した。どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれている。簡単に造ることはできるが、明治時代にできた酒税法によって自家での醸造酒の製造を禁止されいて、現在でも一般家庭で法律上は造れない。

   そのどぶろくが全国的にちょっとしたブームになっている。構造改革特区制度を活用した「どぶろく特区」が全国の市町村で増えている。特区では、農家レストランや民宿を経営する農家が酒造免許を得て造ることができる。ご当地の観光資源や「ふるさと納税」の返礼品として活用されている。

   もう一つブームの背景となっているが美容効果だ。どぶろくの旨味成分である「アルファ-EG」というタンパク質が皮膚のコラーゲン量を増やすという作用があり、ふくよかなつやつやした美肌になるという。冒頭の「どぶろく宣言」のイベントでも、どぶろくを愛用している地元の画家、書家、フードコ-ディネーターの女性3人が「どぶろく美容トーク」と題して、その効果について語った=写真=。会場には女性も多く訪れ、熱心に話を聴いていた。

   イベントを主催した町の観光協会どぶろく地域おこし推進プロジェクトでは、「アルファ-EG」が皮膚のコラーゲン量を増やすことを学術的に実証した金沢工業大学バイオ・化学部応用バイオ学科の研究者を招いてセミナーを開催するなど、どぶろくと美容効果をアピールしている。

   そもそもなぜ中能登町が熱心にどぶろくを発信しているのか。もともと、全国の神社では稲作の収穫を神に感謝する新嘗祭などの神事でお神酒として造られてきた、伝統の酒でもある。現在も全国30社余りで連綿と造り続けていて、北陸で4社、そのうちの3社が中能登町にある。町はどぶろく特区にも認定されていて、こうしたどぶろくの伝統を地方創生に活かせないかと活気づいている。

   2025年1月には全国どぶろく研究大会の誘致が決まり、全国80銘柄のどぶろくを集めて飲み比べのイベントなど開催するようだ。どぶろくは酒マニアのおじさんの酒というイメージがあるかもしれないが、ここまでくると能登の新たな地域資源として応援したいという気持ちになる。「たかがどぶろく、されどどぶろく」 どぶろくの新たな一面だ。

⇒12日(火)夜・金沢の天気    くもり

☆伊東豊雄氏の「建築美と人と自然が繋がる建物空間」とは

☆伊東豊雄氏の「建築美と人と自然が繋がる建物空間」とは

   巨大洞窟のようなオペラハウス、曲線や光の美しいデザイン。「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞受賞者(2013年)の伊東豊雄氏の講演が金沢であり、聴きに行った=写真・上=。ちなみに、金沢21世紀美術館を手掛けた妹島和世氏と西沢立衛氏の建築家ユニットも2010年にプリツカー賞を受賞している。

   金沢市は11月を「金沢・建築月間」と定めていて、伊東氏の講演はその一環。テーマは「人と自然が繋がる建築」。講演は、竪穴式住居などの自然と一体化した建物の紹介から始まった。その竪穴式住居は農耕の進展とともに、人間に上下関係などの社会秩序が生まれ、建物も幾何学的なものになっていった。伊東氏は強調した。「日本の伝統的な建築は自然と親密な関係を保ってきた。しかし、近代主義的な建築は自然との乖離を深めている。私の求める新しい建築は近代主義建築の先に自然との親しい関係を回復することである」

   自然との関係性を建築に活かした事例がいくつか紹介された。その一つが岐阜市の「みんなの森・ぎふメディアコスモス」(2015年完成)。自然エネルギーを最大限活用し、消費エネルギーを2分の1にした建築だ。天井から「グローブ」という傘のようなものがぶら下がっている=写真・中、みんなの森・ぎふメディアコスモス公式サイトより=。グローブは全部で11あり、仕切りを造ることなく、自然とブースごとで空間が分けられるカタチとなっている。グローブは白い素材で作られていて、日中に天井から入って来た光を、図書館内に分散させるという働きがある。そうすることで、照明に使用するエネルギーを削減する仕組みになっている。

   伊東氏の講演で印象に残った言葉は、人が建築物をつくる理由について。「人に生きる力を与える」「人と人を結ぶ」「心の安らぎを得る」「快適さを保証する」「身を護る」。建築の価値や意義はじつに多様なのだと知った。スライドで「多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)」(2005年完成)が映し出された。空と周囲と調和した建物空間があり、外から中が見える。このような建物の中で読書をしたいとだれもが心を動かすかもしれない。(※写真・下は多摩美術大学公式サイトより)

   環境を生かしたその地域でしかできない建物空間。そのような「美しい建築」を伊東氏は創り続けている。御年82歳。

⇒19日(日)夜・金沢の天気    あめ

★カメムシの天国 人家に集団侵入 その時ヒトは…

★カメムシの天国 人家に集団侵入 その時ヒトは…

   最近気になること。このところ冬のような冷え込みの日もあるものの、いまだにカメムシがうろうろしている。きょうも玄関のガラス戸あたりを動き回っていた。

   越冬の準備のため、しかるべき「すきま」が家屋にないかウロウロとしているのだろう。よく考えると、カメムシとはよく「対話」をしていると感じるときがある。それは、踏まぬよう、踏まれぬようと互いに気遣う関係性でもある。「カメムシ君よ、ちょっと臭いよ」、「アンタかて私を踏んだやろ」、「そらすまんかったな。これから気つけるわ…」

   中でもよく見かけるのがクサギカメムシ。体長13㍉から18㍉。臭木(クサギ)につくカメムシとして知られ、果樹類・豆類・野菜類を吸汁するなど食性は幅広い。体色は暗褐色で、不規則な小斑点があり、ポピュラーな種類。暖地では年2回産卵。越冬場所を求めて屋内に集団で侵入する(※アース製薬公式サイト「害虫なるほど知恵袋」より、写真も)。

   それにしても、ことしはカメムシのことが話題になる。先日、能登半島の中ほどにある神社のイベントに出かけた。すると、壁や窓ガラス、畳などあちらこちらにいた。畳をほうきで掃いても次々と出没する。神社の宮司は「例年の数倍以上いる。踏まないように気をつけてください」と呼びかけていた。農業被害も予想されることから、石川県農業試験場は、夏場にイネの害虫である斑点米カメムシの大量に発生するとして注意報を出したほどだ(7月6日付)。

   ただ、最近思うことだが、人は虫に敏感になりすぎているのではないだろうか。とくに、家の中に虫がいてはいけない、という風潮だ。ゴキブリを捕獲するためにあちこちに粘着性のある虫取り箱を仕掛け、ダニを駆除するために浴びるほどの殺虫剤をまいている。虫さえいなければ清潔だと思っている。その結果、虫嫌いの子どもたちが家庭内で培養されているのではないか。このテーマに結論は出ない。ただ、あまりヒステリックにならないように、そんなことを考えたりした。

⇒18日(土)夜・金沢の天気     あめ

★きょう立冬 冬の訪れ告げる兼六園の雪吊りとカニ

★きょう立冬 冬の訪れ告げる兼六園の雪吊りとカニ

   きょう8日は二十四節気の「立冬」にあたる。冬の気配が山や里だけでなく、街にも感じられるころだ。晴れ間もあり、きょう夕方までの金沢の最高気温は17度だった。日陰に入ると肌寒さを感じた。

   金沢に住む者にとって、冬の訪れを告げるのは何と言っても兼六園の「雪吊り」ではないだろうか。毎年11月1日から雪吊りが始まり、唐崎松(からさきのまつ)などの名木に施される=写真、撮影は去年11月=。木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。まるで天を突くような円錐状の雪吊りはアートのようにも見える。

   金沢の雪はさらさら感のあるパウダースノーではなく、湿っていて重い。庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。唐崎松に施されるのは「りんご吊り」という作業で、このほかにも「幹吊り」(樹木の幹から枝に縄を張る)や「竹又吊り」(竹を立てて縄を張る)、「しぼり」(低木の枝を全て上に集め、縄で結ぶ)など樹木の形状に応じてさまざまな雪吊りの形式がある。

   雪吊りの話から逸れるが、先日、兼六園近くを車で通ると、インバンド観光客がグループ、家族連れで多く訪れていた。兼六園はミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得てからは訪日観光客の人気は高まっていたが、2000年の新型コロナウイルス感染のパンデミックで下火に。最近ようやくコロナ以前に戻ったようだ。兼六園の雪吊りはインバウンド観光の人たちにとっては珍しく、熱心にカメラを向けているに違いない。

   話は変わる。今月6日に解禁となったズワニガニ漁だが、まだ口にしていない。強風など天候不良のために、解禁日からきのうまで石川県内全域で漁船が出漁を取り止めたようだ。きょう夜、ようやく出漁するとメディア各社が報じている。となれば、あすの午後にはスーパーの売り場などに雄の加能ガニ、雌の香箱ガニが並びそうだ。雪吊りとカニ、金沢の景色は着実に冬に向かっている。

⇒8日(水)夜・金沢の天気    くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

   奥能登国際芸術祭が開催されている珠洲市の正院地区の道路を車で走っていると、田んぼに羽を休めるコハクチョウの群れが見えた=写真・上=。毎年この時季に舞い降りて来る。この日は、ざっと30羽はいただろうか。1枚の田んぼに水がはってあり、地元の愛鳥家の人たちが11月初旬に飛来するコハクチョウのために予め準備していたのだろう。

   能登半島は川がない地域も多く、農業用水を確保するために中山間地に「ため池」が造成されてきた。その数は2000もあるとされ、中には中世の荘園制度で開発された歴史あるため池も各地に存在する。コハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどがため池や周辺の水田を餌場として飛来する。ため池や田んぼは水鳥たちの楽園でもある。越冬のためにシベリアから飛来したコハクチョウたちは3月になると北へ帰って行く。

   珠洲の海岸を歩くとクロマツ林が所々に広がっている=写真・中=。日本海の強風に耐え細く立ちすくむクロマツを眺めていると、逆境に耐え忍ぶ自然の姿にむしろ寂寥感を感じてしまう。この能登の海岸のクロマツ林を描いたとされるのが長谷川等伯の国宝「松林図屏風」。もやに覆われ、松林がかすんで見える傑作である。

   等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。京都で画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争い。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツに等伯が心を重ねたのはこの心象風景だったのだろうか。

   今月4日付のブログで「能登の民家は特徴がある。黒瓦と白壁」と書いた。すると、ブログをチェックしてくれた知人から「どんな風景なんだ。ブログでアップしてくれよ」とメールが届いた。そこで、能登半島の中ほどにある七尾市中島地区の民家の外観を撮ったものがあったので載せてみた=写真・下=。この風景は、金沢と能登半島を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の横田インター付近に見え、移動中の車中から横目で眺めることができる。

   家屋は旧加賀藩の農家の特徴といわれた「東造り(あずまづくり)」の建築様式。切妻型の瓦屋根は、建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。左右にある蔵は黒瓦と白壁のコントラスが鮮やかだ。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれる。七尾市と珠洲市は瓦の産地で、耐寒性に優れると重宝されてきた。もう10年も前のことだが、新潟県の佐渡島に渡ったとき、神社仏閣や古民家の屋根が黒瓦だった。佐渡の人に尋ねると、「佐渡ではかつて北前船を通じて能登から瓦を仕入れていた。いまでも能登瓦と呼んでいる」と。このとき初めて能登瓦という言葉を耳にした次第。

⇒6日(月)午後・金沢の天気   くもり

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~13 歴史をアートに

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~13 歴史をアートに

   珠洲市の観光のシンボルは見附島(みつけじま)ではないだろうか。この名前は弘法大師(空海)が佐渡島から能登半島に船で渡って来たときに名付けたとの言い伝えがある。その見附島を見渡す松林の中に、シュー・ジェン氏(中国)の作品『運動場』=写真・上=がある。

   白い砂利石を利用して、道が複雑につながる。ここは歩けるのだが、作品を鑑賞にきた人の多くは見附島と迷路のような白い道をセットで眺めている。歩いている人は少ない。ガイドブックによると、この道は世界各地で起きたデモ行進の痕跡をトレースしたものだという。確かに、道はまっすぐであったりくねくね横に逸れたりと、確かに複雑に動くデモ隊の行進のようなルートだ。それが妙に見附島につながっているようにも見え、過去と現在がつながったような、複雑で面白い風景を描いている。

   海岸べりの公園に万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑がある。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった家持は能登を巡行した。最後の訪問地だった珠洲では、朝から船に乗って出発し、越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。当時は大陸の渤海からの使節団が能登をルートに奈良朝廷を訪れており、日本海の荒波を乗り切る造船技術が能登では発達していたとされる。家持が乗った船も時代の最先端の船ではなかったのかと想像する。

   海に面する薄暗い船小屋にカラフルな糸のグラデーションがぼんやりと浮かんでている。城保奈美氏(日本)の作品『海の上の幻』=写真・下=。作品は家持が詠んだ歌にインスピレーションを得て、色とりどりのレース糸の重なりの中に家持が渡ったであろう海に「幻」が浮かび上がることをイメージしている。この幻とは、蜃気楼を意味している(ガイドブックより)。

   それにしても、大伴家持と蜃気楼、じつにダイナミックな発想から創られた作品だ。蜃気楼は春から初夏にかけて立山連峰から富山湾に流れ込む冷たい雪解け水が海面の空気の温度を低くして層となり、海上の空気との温度差ができることで光の屈折で起きる現象とされる。ガイドブックによると、作者は「富山県出身」とあり、実際に蜃気楼を見て育ったアーティストなのだと理解した。

⇒5日(日)夜・金沢の天気    はれ