⇒トピック往来

★岩城流ネオ・ジャパネスク

★岩城流ネオ・ジャパネスク

 オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督、岩城宏之さんは口癖のように「ベートーベンは嫌いだ」と言いながら、去年の12月31日、東京文化会館でN響有志とベートーベンの交響曲1番から9番までを一人で連続して指揮するというクラシック界での偉業を成し遂げた。その岩城さんが今度はこの偉業の連続記録に挑戦する意志を固めたらしい。
岩城氏の挑戦は続く

 去年10月にお会いしたとき、「なぜ1番から9番までを」と伺ったところ、岩城さんは「ステージで倒れるかもしれないが、ベートーベンでなら本望」とさらりと。岩城さんは72歳、休憩を挟んだとは言え9時間にも及ぶ演奏、しかも胃や喉など25回も手術をした人である。体力的にも限界が近づいている岩城さんになぜそれが可能だったのか。それは「ベートーベンならステージで倒れても本望」という捨て身の気力、OEKの16年で177回もベートーベンの交響曲をこなした経験から体得した呼吸の調整方法と「手の抜き方」(岩城さん)のなせる技なのである。そして、残りの人生の大晦日を毎年、ベートーベンの1番から9番に捧げるというのだ。

 大晦日の「第九」コンサートは世界中で行われているが、1番から9番を同一指揮者で演奏するのは世界でたった一つのコンサートである。この岩城さんの志(こころざし)は正月を迎える新しいスタイルになる可能性を秘めている。1番から9番をじっくり聴き、哲学する音楽家ベートーベンを心ゆくまで楽しむというスタイルである。経済産業省は新しい国家商標に「ネオ・ジャパネスク(新日本様式)」を提唱している。メード・イン・ジャパンに代わる新しいブランドを創造するというのだ。アニメが世界のスタンダードに躍り出たように、日本発の1番から9番のベートーベンチクルス(連続演奏会)は世界のスタンダードになり得る、まさにネオ・ジャパネスクではないのか。「マエストロ・イワキのベートーベンを聴きに年末はトウキョーに行こう」。そんな言葉が世界のクラシック通の間で交わされ始めているに違いない。私には聞こえる。

⇒14日(土)午前・金沢の天気

☆松井、生まじめな北陸人

☆松井、生まじめな北陸人

 きのう(10日)アメリカ大リーグでヤンキースとマリナーズが今シーズン初対戦。ヤンキースの松井秀喜選手とマリナーズのイチロー選手がともにタイムリーヒットを放ちました。「4番」松井選手は1回1アウト1塁、3塁のチャンスでセンター前にタイムリーを放ち先制点。松井選手は北陸出身だけに、テレビのプロ野球ニュースはチャンネルを変えて何度でも見てしまいます。

 松井選手のイメージは高校時代から鮮烈です。1992年(平成4年)、星稜は4年連続11度目の甲子園出場を果たし、2回戦であの物議をかもした「連続5敬遠」(対明徳義塾戦)があり、高校野球ファンでなくても松井選手を知ることになったのです。華々しい経歴の松井選手ですが、私は「まじめな北陸の子」と思います。質問をされればきちんと答える、答えないと気がすまない、相手に悪いと思うーそんなタイプです。これは高校時代から一貫しています。松井選手に似たまじめタイプの北陸人がもう1人、ノーベル賞の田中耕一さん(富山市出身)です。偉ぶったり、権威をかざしたりはしません。2人には北陸人に通じるキャラクタ-の共通性があるのです。

 松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てそうです。「努力できることが才能だよ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。北陸から眺める松井選手の活躍はこの言葉の延長線上にあるように思えてなりません。

⇒11日(水)午前・金沢の天気

★ドクターと電子カルテ

★ドクターと電子カルテ

 先日、風邪をこじらせ金沢の病院(独立行政法人)に行きました。この病院では去年11月、電子カルテが導入され、各科に分散していた患者のカルテが一つの端末(パソコン)で閲覧できる「1患者1カルテ」が実現しただけでなく、同じ端末で心電図やX線写真なども瞬間に見ることができるようになりました。また、診察が終了した時点で診療費が計算されるので、不評を買っていた「会計30分待ち」も解消されたのです。

 待合室で順番を待っていると、面白いことに気がつきました。内科には第8診察室まであって、たとえば、「○○さん、1シンにお入りください」と医師のアナウンスがあると、呼ばれた患者は第1診察室に入るわけです。よく聞いていると、第5診察室の医師は「○○さん、5バンにお入りください」と言っている。本来なら「5シン」とするところを「5バン」と言っているのはなぜか。「5シン」だと「誤診」の意味もあり、ゴロが悪い。だから、あえて「5バン(番)」と…。これは私の推測です。念のため。

 もう一つ待合室で気付いたことがありました。待合室にはモニターがあり、医師が30分ごとに予約を受け付けた患者の数がどこまで診察を終えているか棒グラフで表示されます。電子カルテがスタートした去年11月に行った時は、ある医師の進ちょく率がとても遅れていました。午前11時なのに午前9時00分-9時30分の受け付け分の表示となっているのです。つまり、1時間30分は遅れていたのです。

 当時、待ちあぐねた患者が看護師にその理由を尋ねると、看護師は「先生は不慣れなもので…」と返事に困っていました。その医師は丁寧な診察で評判なのですが、パソコンのキーボード入力が苦手らしく電子カルテの入力に時間がかかっていたのでした。あれから6ヵ月余り、その医師はどうなったか。驚くなかれ、ほぼリアルタイムで棒グラフが表示されているではないですか。世間では、「キーボード適応年齢は45歳まで」と言われています。見たところ50歳半ばの医師。おそらく、特訓したのでしょう。やればできる。その努力の跡がモニターに浮かんで見えました。

⇒10日(火)午前・金沢の天気

☆散居村で育むリアル教育

☆散居村で育むリアル教育

 きのう8日、「散居村(さんきょそん)」で有名な富山県砺波市へタケノコ掘りに行ってきました。散居村は平野部の水田に点在する家々のことで、それぞれに屋敷林(地元では「カイニョ」と呼ぶ)があり、家構えや庭木に至るまでそれぞれが独自の造形を凝らしています。どれ一つとして同じものがない、まさに日本の居住文化ではアパートやマンションと対極をなすのではないかと思います。

 その散居村で子育てグループを世話しているのが森満理(もり・まり)さんです。自らの住宅=古民家を「まみあな(狸穴)」と称して、「出会う、関わる、気遣い合う、支え合う」ということを実践している女性です。その森さんの自宅竹林でのタケノコ掘りです。
炊き上がりを待つ 

 ここに集う子どもたちが元気なのです。写真をご覧ください。タケノコご飯の炊き上がりを今か今かと待つ子どもたちです。炊き上がり後は想像に難くありません。子どもたちは元気に「おかわり」と茶わんを差し出していました。子どもらしい姿を久しぶりに見たような気がしました。

 森さんたちの活動は、テレビゲームやパソコンなどバーチャルな環境にどっぷり浸かっている今の子どもたちに自然や農業、手作業というリアリティーを体験させることで、心あるいは精神のバランスを取ることを教えているのです。まるで、「マンション」VS「散住村」のように「バーチャル」VS「リアリティー」の対極の構図にも見えます。人はこうした対極を体験することで複眼的な思考やバランス感覚を養うのです。

 ドイツの哲学者、ショーペンハウエルの寓話から生まれた「ヤマアラシのジレンマ」という心理学用語があります。寒い日、互いを温め合おうとする2匹のヤマアラシ。近づきすぎれば互いに傷つき、離れすぎれば凍える。そんなジレンマです。今の子どもたちはバーチャルの世界で妄想や攻撃的な感情を膨らませ、トゲがどんどんと長く鋭くなっているようにも思えます。人と人との適切な距離を保てなくなっているのです。森さんたちの活動は地道ながら、子どもたちの教育のあすを示唆する大きなテーマでもあるのです。

⇒9日(月)午後・金沢の天気

★金沢の庭好きと資産価値

★金沢の庭好きと資産価値

 ドイツの詩人、ヘルマン・ヘッセは無類の庭好きだった。死後、庭に関するヘッセの詩やエッセイを集めて「庭仕事の愉しみ」(草思社)が出版された。「青春時代の庭」という詩が載っている。その一部引用である。「あの涼しい庭のこずえのざわめきが 私から遠のけば遠のくほど 私はいっそう深く心から耳をすまさずにはいられない その頃よりもずっと美しくひびく歌声に」。梢のざわめきが美しい歌声に響くほどヘッセは庭をめでたのである。

 ヘッセに負けず劣らず庭好きなのが金沢人ではないかと私は思っている。兼六園というお手本があるせいか、生垣や植栽にいたるまで庭に凝る人が多い。その真骨頂が雪の重みから枝折れを防ぐ「雪吊り」だろう。枝のためにざわざわ庭師を雇い、あの円錐形の幾何学模様を描くのである。もちろん自分でする人も多い。

 実は、この金沢人の凝り性が住宅地の資産価値を高めているという。ある不動産関係者の話である。先ごろ発表された公示地価がことしも値下がりしたが、金沢南部(犀川以南)の丘陵地の地価は依然として強気で、北向きの宅地ですら坪(3.3平方㍍)42万円の値がつく。その理由は、図書館や有名進学校が点在する文教地区であると同時に、植栽のある住宅が多い地区というのがその理由だという。

 住み替えが常識であるアメリカでは資産価値を高めるために芝生の手入れをしているらしい。しかし、金沢のこの地区は決して高級住宅街ではない。ただ、猫の額ほどの土地であっても五葉松などを植え、隅に茶花などを配した庭づくりをして、ヘッセのように楽しんでいるのである。それが結果的に資産価値を高めているのであればそれは喜ばしいことではないだろうか。

★加賀藩と日本は同じ宿命

★加賀藩と日本は同じ宿命

 国連安保理の常任理事国入りに向けて、小泉総理がアジア・ヨーロッパを歴訪中です。日本とすれば悲願にも似た涙ぐましい努力と言えます。

 何年か前、軍事ジャーナリストの田岡俊次さんの講演が金沢であり、「今の日本は江戸幕府時代の加賀藩と同じだ」との言葉が印象的でした。講演の要旨はこうです。東西の冷戦に終止符が打たれ、西側の代表アメリカが名実ともに世界のナンバー1となりました。これは、天下分け目の戦いといわれた関が原で東軍が勝って、徳川家康が幕府という統治機構を築いたことと重なります。加賀の前田利家は豊臣側にくみし、しかも、病床の利家は、見舞いに来る家康を「暗殺せよ」と家臣に言い残し亡くなるのです。遺言は実行されませんでしたが、「謀反の意あり」と見抜かれ、利家の妻・まつは江戸で人質となり、その後も加賀藩は百万石の大藩でありながら外様大名の悲哀を味わいます。日本も太平洋戦争でアメリカに宣戦布告して、4年後に占領統治されます。いまだに国連憲章の「旧敵国条項」は生きています。

 前田家は、徳川家の警戒心を解くことに腐心しました。このため、自らの金沢城に臨戦時の司令塔となる天守閣は造りませんでした。また、三代藩主の利常は、江戸城の殿中でわざと鼻毛を伸ばし、立ち居振舞いをコミカルに演じたことは地元石川ではよく知られています。ここまでやって加賀藩は300年続いた幕藩体制を生き抜いたのです。田岡さんの「日本は加賀藩と同じ」という論拠は、地元では実に理解しやすい話なのです。

 ODAをせっせと貢ぎ、ゴールデンウィークも返上で各国を根回しに歴訪する小泉さんの姿はまさに、かつての加賀藩主の姿に思えてなりません。

☆クマと出合ったら…

☆クマと出合ったら…

 ことしもクマが出没する季節になりました。クマは雑食性の猛獣ですので、人間とは共存できませんが、棲み分けがきるよい知恵がないものかといつも思います。去年の話ですが、クマに関するエピソードをいくつか見聞きしました。

 去年10月、金沢市の山のふもとの集落で柿の木に登っているクマが発見され、行政から射殺の依頼を受けた猟友会のメンバーが駆けつけました。メンバーから聞いた話です。クマは見るからに痩せていて、一心不乱に柿の実を食べていました。すぐ撃ってもよかったのですが、「せめて腹いっぱい柿を食べさせてから」と思い待ちました。お腹がいっぱいになり、木から降りてきたところでズドンと銃声が響きました。死んだクマに駆け寄ってみると、クマの目に涙がにじんでいました。

 クマが里に出没すると人の対応もさまざまです。去年の秋、富山県はクマに襲われ負傷した人が22人(去年10月時点)にもなりました。同じ北陸でも石川と福井は負傷者が一ケタに止まりました。クマに追いかけられて取っ組み合いとなったり、棒やカマで反撃したりとなかなか気丈な人が多いのが富山県です。私が新聞で見た限り、クマと「格闘」した最高齢は富山県上市町の77歳のおばあさんでした。

 ちなみに、金沢大学のオフィスで机を並べている女性は北海道でヒグマの調査をしてきた人です。彼女によると、北海道のヒグマは北陸のツキノワグマより体が大きい分、人の「死亡率」も高いとか。クマと出合ったら反撃せずに逃げるのが一番だそうです。

★50歳エイ・ヤッと出直し

★50歳エイ・ヤッと出直し

 ことし1月にテレビ局を退職し、4月から金沢大学の「地域連携コーディネーター」という仕事をしています。大学にはさまざまな「知的な財産」があって、それを社会に還流させていこうというのがその趣旨です。一口に「知的な財産」と言っても、それこそ人材や特許など有形無形の財産ですから、それを社会のニーズに役立てようとすると、そのマッチング(組み合わせ)は絡まった細い糸をほぐすような作業である場合もあります。この事例については差し支えない範囲で紹介していきます。

 ところで、「よくテレビ局を辞めたね。もったいない」とテレビ業界の仲間や友人から言われます。私自身、以前から「50歳になったら人生を見直す」と公言してきましたので「想定の範囲」なのですが、周囲からは奇異に見えるかもしれません。まず、性格的に言って、一つの仕事を最後まで務め上げて云々というタイプではありません。幼いころから寄り道や道草、よそ見が好きでよく親に心配をかけました。

 それともう一つ、50歳という年齢です。人生の折り返し点で、ニワトリのように強制換羽(きょうせいかんう)が必要なのです。ニワトリは卵を産み始めてから8ヶ月ほどで卵の質が落ちてきます。この時点で、絶食させられます。毛が抜け、衰弱したところでエサを豊富に与えると、また、良質の卵を産むようになるのです。人もまた同じ仕事を続けているといつか周囲が見えなくなったり、アイデアが枯渇したり、その延長線上に嫉妬、やっかみが出てくるのです。それは人生の劣化の始まりです。その年齢が50なのです。そのとき、「家族が大切…」と言いながら現状を続けるのか、収入減を家族に理解してもらい別の道を歩むのか、それぞれの選択です。私の場合、後者を選んだというわけです。