☆東京の「金沢町内会」
確かに、同研究所は板橋区加賀1丁目9番10号が所在地だ。加賀といえば加賀藩、つまり金沢なのである。加賀という地名は偶然ではない。かつて、加賀藩の江戸の下屋敷があったエリアなのである。それが今でも地名として残っている。
歴史をたどると、参勤交代で加賀藩は2000人余りの大名行列を編成して金沢を出発し、富山、高田、善光寺、高崎を経由して江戸に入った。金沢-江戸間約120里(480㌔㍍)、12泊13日の旅程だった。そして江戸に入る際、中山道沿いの板橋に下屋敷を設け、ここで旅装を粋な羽織はかまに整え、江戸市中を通り本郷の加賀藩上屋敷(現在の東京大学)へと向かったのである。この参勤交代は加賀藩の場合、227年間に参勤が93回、交代が97回で合計190回も往来した。
ところで、板橋区と加賀藩について調べるにうちに面白い史実を発見した。明治以降の加賀藩下屋敷についてである。新政府になって、藩主の前田氏は下屋敷とその周囲の荒地を開墾する目的で藩士に帰農を奨励した。その中に、備前(岡山)の戦国武将、宇喜多秀家の子孫8家75人がいた。実は、加賀藩の初代・利家の四女・豪姫は豊臣秀吉の養女となり、後に秀家に嫁ぐ。関が原の戦い(1600年)で西軍にくみした夫・秀家とその子は、徳川家康によって助命と引きかえに八丈島に遠島島流しとなる。豪姫は加賀に戻されたが、夫と子を不憫に思い、父・利家、そして二代の兄・利長に頼んで八丈島に援助物資(米70俵、金35両、その他衣類薬品など)の仕送りを続けた。
この援助の仕送りは三代・利常でいったん打ち切りとなった。物語はここから続く。秀家一行が八丈島に流されるとき、二男・秀継の乳母が3歳になる息子を豪姫に託して一家の世話のため自ら島に同行した。残された息子はその後、沢橋兵太夫と名乗り、加賀藩士として取り立てられた、この沢橋は母を慕う気持ちを抑えきれずに幕府の老中・土井利勝に直訴を繰り返し、八丈島にいる母との再会を願って自らを流刑にしほしいと訴えた。同情した土井の計らいで、母に帰還を願う手紙を送ることに成功する。しかし母の返事は主家への奉公を第一とし、これを理解しない息子を叱り飛ばす内容だった。
母に会いたいという沢橋の願いはかなわなかった。が、この話はその後、意外な方向に展開していく。当時の幕府の方針である儒教精神の柱「忠と孝」の模範として高く評価され、幕府は加賀藩に八丈島の宇喜多家への仕送りを続けるよう命じたのである。加賀藩の仕送りは実に明治新政府が誕生するまでの270年間に及んだ。そして、新政府の恩赦で流罪が解かれ、一族は内地に帰還し、加賀藩預かりとなる。一族は浮田を名乗り、前述の加賀藩下屋敷跡と周辺の開墾事業に携わることになる。前田家の援助で浮田一族の八丈島から板橋への移住は成功したのである(「板橋区史 通史編下巻」)。
板橋区史に出ているくらいだから当地では有名な話なのだろう。とすれば、加賀という文字が地名となり、「金沢町内会」と親しみを込めて呼ばれる歴史的な背景が理解できなくもない。
⇒13日(土)夜・金沢の天気 くもり
を想定したのだ。
あの松井秀喜選手はどうなっているのか、楽しみにしていた。きょう(9日)、久しぶりに東京のJR浜松町駅にきた。なんと、松井選手はサッカーボールを持っていた。駅構内の広告のことである。なぜ松井がサッカーボールをと思うだろう。答えは簡単。松井のスポンサーになっている東芝はFIFAワールドカップ・ドイツ大会のスポンサーでもある。その大会に東芝は2000台以上のノートパソコンを提供するそうだ。理由はどうあれ、サッカーボールを持った松井選手というのは珍しいので、その広告をカメラで撮影した。
JR浜松町駅近くに東芝の本社があり、ここでしか見れない、いわば「ご当地ポスター」のようなもの。去年の大晦日に見た松井選手の広告は本物のゴジラと顔を並べていた。
今月6日に開花宣言をしたソメイヨシノはまだ散らずに私たちを楽しませてくれている。花冷えのおかげで葉が出るのが遅い分、花は命脈を保っているかのようである。パッと咲いて、パッと散るの桜の本来の有り様なのだろうが、長く咲き続ける桜も人生に似て、それはそれなりに味がある。
も言おうか…。余談だが、天守閣のように見えるそれは櫓(やぐら)である。なぜ天守閣ではないのか。加賀藩は戦時には指令塔となる天守閣を造らなかったといわれる。初代の前田利家は秀吉に忠誠を尽くし、「見舞いに来る家康を殺せ」と言い残して床で最期を迎える。それ以降、加賀は西側と見なされ、徳川の世には外様の悲哀を味わうことになる。三代の利常はわざと鼻毛を伸ばし江戸の殿中では滑稽(こっけい)を装って、「謀反の意なし」を演じた。ましてや城に天守閣など造るはずもなかったというのが地元での言い伝えである。
の鋭角的なフォルムを優しく植物の桜が覆う。ただそれだけのアングルなのだが、それはそれで見方によっては美のフォルムのように思えるから不思議だ。上から3枚目の桜は石川門にかかる架橋から見たもの。円を描いて、桜が納まる。黒と白のコントラスト。地底から天空を仰ぎ見るような錯覚さえある。
はなく、言葉に気持ちがこもっていた。
一枚を紹介しよう。イタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の壁画に描かれている「聖十字架物語」の一部。フレスコ画である。金沢大学は国際貢献の一つとして、この壁画全体(幅8㍍、高さ21㍍)の修復プロジェクトにかかわっており、ことし1月、現地を訪れた。
。
注文したのが海鮮とろろ丼(950円)。マグロとブリなど魚介類に山芋のトロロをかけたどんぶり、それに油揚げの入った味噌汁と小鉢が一品つく。メニューを見渡すと「団塊世代のカレーライス(辛口)」(700円)というのもある。どんな味かと思いつつも2つ注文するお腹の余裕はなかった。
天然塩」と書いてあった。食塩一つにもこだわった店なのだ。
去年8月6日夜のニュースだった。参院で郵政民営化法案が否決された小泉総理が衆院解散を決意し、それを思いとどまらせようと森氏が官邸を訪ねたが、「殺されてもいい」と拒否された。その会談で出たのが缶ビールとつまみの「干からびた」チーズだった。会談後、森氏は握りつぶした缶ビールと干からびたチーズを取り囲んだ記者団に見せ、「寿司でも取ってくれるのかと思ったらこのチーズだ」「硬くて歯が痛くなったよ」と不平を漏らした。その映像を見たわれわれ視聴者は「小泉は命をかけている、本気だな」との印象を強くした。森氏が記者団に見せた憮(ぶ)然した表情がなければ、総選挙での自民党の大勝はなかったのではないか、と今でも思ったりする。
る講座だ。
藪氏の話が面白い。能面をつけた演者があの高い舞台から落ちないでいられる理由や、小鼓(こつづみ)は馬の皮を用いているが、年季が入ったものは破れる前が一番音がいいといったエピソードはこの世界でしか聞けない話である。その中で、自分なりに「なるほど」と思ったことが、「生霊(いきりょう)」という概念についてである。私的な恨みや怨念という人間特有の精神エネルギーが日常でうずまくことで悲喜こもごもの物語が構成されるのが能のストーリーである。 