⇒トピック往来

☆完結・イタリア行

☆完結・イタリア行

 イタリア・トリノ冬季五輪の聖火が日本時間の9日にトリノに入ったとのニュースが流れていた。ローマのクイリナーレ宮を出発してから60日余りイタリア各地を巡って、たどり着いたようだ。私がイタリアを離れたのが1月22日。ミラノのマルペンサ空港はトリノの空の玄関口だが、オリンピックまで20日を切っていたのに空港は「オリンピック歓迎一色」ではないように思えた。

  いまはもっと盛り上がっているかもしれないが、当時の空港にはごらんのようなポスターが散見されるだけだった。そういえば、オリンピックのチケットも7割しかさばけていないとの不人気を伝えるニュースも当時は流れていた。確かに、ローマでもフレンツェでもミラノでもテレビが多少煽っているだけで、オリンピックらしいムードは感じられなかった。

  それでは、1998年の長野五輪のときに東京や大阪、福岡がオリンピック一色だっかというと、東京は少しその雰囲気があったにせよ、大阪や福岡には別の空気がただよっていたかもしれない。おそらく冬季五輪は「北のスポーツの祭典」あるいは「地域オリンピック」なのである。

  帰りの空路はシベリア上空を通過した。下の写真は1月22日午後4時ごろ、ハバロフスク周辺の上空、高度11000㍍からの撮影である。蛇行する川は凍りついている。果てしない雪原、白魔の世界を感じた。

  トリノ五輪までに書き上げようと目標にしていた数種類の調査・報告書もなんとか大学に提出できた。当初さんざん聞かされていた盗難にも遭わず、「子どもギャングがいる」といわれた地下鉄にも乗った。ただ、物乞いには数回つきまとわれた。それを差し引いても十分にお釣りが来るくらい、イタリアの都市は魅力にあふれている。 これで「イタリア行」を終える。

⇒10日(金)朝・金沢の天気  くもり

★続々々々々・イタリア行

★続々々々々・イタリア行

  イタリア人はけばけばしく見えるものを高級そうに見せる天才かもしれない。ミラノの中心にあるドゥオモは、イタリアの代表的なゴシック建築でバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ教会建築として知られる。このドゥオモの前の広場とスカラ座の間を結ぶアーケードのある商店街ガレリア(長さ200㍍、高さ32㍍)=写真・上=には世界のブランドが集まる。ミラノ市が管理している。つまり、この威容を誇るテナントの大家さんが行政というわけだ。そして、その行政の指導の下、しっかりした「まちづくり」が垣間見える。

   その一端がご覧の写真である。マクドナルドといえば、ハンバーガーの「マック」の愛称で知られ、日本でも世界でも同じあのロゴマークでおなじみである。ガレリアのマックのロゴはブラックとゴールドのツートンカラーである。向かい側のメルデスベンツも同じ配色である。実はこのガレリアではどんな世界的な企業であれ、ロゴは同じ色が条件となっているのだ。

  それぞれが独自の色を強調すれば、ミラノの中心商店街ガレリアはけばけばしい色に染め上げられてしまい、まちづくりのコンセプトそのものが失われてしまう。そこで、ロゴをかたちと色で大切にしたい企業側とそれを許さない市側の丁々発止があったことは想像に難くない。逆にそこで行政が折れるようでは、ミラノ市全体の「まちづくり」が頓挫、あるいは歯抜けになるに違いない。

  世界の有名ブランドであっても、ミラノ独自の色に合わせて従ってもらうという、「まちづくり」に対する行政サイドの強いメッセージをここガレリアで感じた。そして、こんな感じのマックが世界にひとつくらいあってもいい、と思った。

 ⇒9日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆続々々々・イタリア行

☆続々々々・イタリア行

  イタリア人のデザインはわれわれ日本人には真似ができないほどに洗練されている。もともとイタリア人の素質なのかもしれない。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロといった名だたる天才芸術家を生む土地柄である。フィレンツェ周辺で生まれている。

  ルネサンスという時代が彼らを生んだのか、彼らがルネサンスという時代をつくったのか、という議論にもなる。フレスコ画という壁画技法がイタリアで、ジョット(1266-1337年)によって確立され、たまたま、その技法が生乾きの漆喰の上に塗るという一人一仕事の作業だった。したがって、それまで復数人の工房でなされた仕事が個人の仕事となり、才能ある個人の名が売れる時代と重なる。個人の発想や力量を競う時代になった。それがルネサンスを開花させたバックグラウンドだとの説もある。

  現代のイタリア人にとって幸いなのはそうした先人たちの技法やセンスを毎日のように観察できることであろう。ローマやフィレンツェ、ミラノそのものが美術館である。そして先達のモチーフは街にはあふれる。上の写真はミケランジェロの「アダムの創造」である。このデザインがローマにはレンタルバイクの広告になり、そしてミラノではサッカ-チームのポスター にもなる。その時代と発想と感性でイタリアのデザンが磨かれているのだと思う。もちろん意地悪な見方をすれば、名画のモチーフに乗っかった「あやかりデザイン」と言えなくもない。 

⇒8日(水)朝・金沢の天気   くもり

☆ちょっと気になった言葉3題

☆ちょっと気になった言葉3題

  言葉にその時代の感性が含まれていると、なぜかしらその言葉が記憶に残るものである。最近、耳にしたり読んだ人々の言葉で脳裏に残っているものをいくつか。

   「金沢の街並みの景観をぶち壊しているのは屋根の上のあの無粋なアンテナなんです。あれを変えようと思ってここ10年努力してきました」。地上波デジタル放送用の平面小型アンテア=写真=を次々と開発している創大アンテナ(金沢市)の高島宏社長がある研究発表会(2月3日・加賀市)の冒頭に語った言葉だ。美術学校を出た高島氏にとって屋根の上のまるでイバラのようなテレビアンテナが気に障っていた。そこで一念発起して平面アンテナの開発に取り組み、アンテナをいまでは切手サイズほどにした。

  「日本の外交で先端を走って一生懸命になっているのは、外務省というより経済産業省だと思う。各国とのWTO(国際貿易機関)協定では本当に汗を流していると思うね」。馳浩代議士(文部科学副大臣)が金沢大学の林勇二郎学長との対談(2月4日・金沢市)で語った言葉。大学のあり方をめぐる話がいつの間にか政治、外交にまで広がって「時事放談」に。詳しい対談の内容は3月下旬に発行される金沢大学社会貢献情報誌「地域とともに」で。

  「私は今、ベートーベンの交響曲全曲演奏会に取り組んでいます。ベートーベンの前衛精神に挑戦する気持ちで、死ぬまで続けるつもりです」。朝日賞を受賞した指揮者の岩城宏之さんのスピーチから(1月28日付・朝日新聞)。昨年の大晦日、東京芸術劇場でのベートーベン演奏を9時間半に渡ってインターネットで配信する事業に私も携わり、演奏終了後に岩城さんとひと言ふた言。その際も上記の言葉の趣旨をはっきりと語っておられた。「死ぬまで…」との言葉は受け止め方によっては悲壮感が漂うが、5番「運命」にひっかけた岩城さん流の「しゃれ」だと私は解釈している。

⇒6日(月)朝・金沢の天気  ゆき 

★続々々・イタリア行

★続々々・イタリア行

  イタリアではハンカチをプレゼントされることを忌み嫌う。他国の人がその習慣を知らずに贈った場合、数十セントで「買う」。そうすれば、贈られたことにはならない。なぜそこまでするのか。「ハンカチは涙(悲しみ)を運んでくるもの」との思いがイタリア人には強いからだ。ミラノで読んだ邦人新聞「月刊・COMEVA」の記事を引用した。 

   ミラノはローマやフィレンツェと違い、真新しいビルも建ち並び随分と活気があるとの印象だ。黒尽くめのファッションをまとったモデルのような女性たちが街中をかっ歩している。女性が生き生きとしている街だとも思った。ただ、気になることが一つあった。木を燃やしたようなにおいがどこからとなく漂ってくるのである。ずっと気になっていたが、ついに発見した。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の間近で。

  ご覧いただきたい(写真・上)。屋上の煙突から煙がもくもくと立ち上っている。この他にもいくつか煙突を発見した。石炭などの化石燃料ではなく、木質なのでにおいがやさしい。これでピザを焼いているのか、とも思ったりした。

   それにしてもミラノの街は美しい。裏路地に入っても、ご覧のように整然として美的な空間が醸し出されている(写真・下)。木々の緑があれば、また異なった空間になるのだろう。しかし、葉を落とした街も青空が広がり映える。

⇒4日(土)午前・金沢の天気  くもり

☆続々・イタリア行

☆続々・イタリア行

  ローマから目的地のフィレンツェへと高速新線「ユーロスター」に乗り込んだ。日本から持ち込んだ国際ローミング機能付きの携帯電話をパソコンにつなぐと車内でもメールを開くことができた。少し前まで、ヨーロッパは通信事情が悪いと聞いていたが、随分とインフラが進んでいる。

   ところでローマからフィレンツェを回って気がついたことがある。上の写真はバチカン宮殿の「ラファエロの間」にある「アテネの学堂」である。37歳で逝ったラファエロはこの絵で自画像も描いたが、彼の先輩であるミケランジェロも描いた。それが下の悩んだ様子の人物である。ミケランジェロは陽気でもてたラファエロとは違って気難しい性格だったといわれる。そして下の写真はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあるミケランジェロの墓である。真ん中の女神の彫刻も悩んでいる様子を描いている。

   おそらく当時の人々にとっては、 この悩みの姿こそがミケンランジェロの象徴的な姿だったのだろう。若い頃にけんかで顔を殴られ、鼻が曲がってしまい、 このためもあって容姿に劣等感を持ち、気難しい性格になっとの言い伝えもあるが、定かではない。しかし、その気難しさが芸術の深みや、創作への意欲をかきたてたのではないか。

  私に芸術論を述べる資格はない。見た目の瑣(さ)末な話を取り上げたにすぎない。

⇒2日(木)朝・金沢の天気  くもり

☆続・イタリア行

☆続・イタリア行

  「イタリア行」は、金沢大学が国際貢献と位置づけているフィレンツェの教会壁画の修復プロジェクトの現状を取材するのが目的だ。旅程を終え、22日に帰国した。後日、金沢大学の社会貢献情報誌「地域とともに」(3月発行予定)でリポートを掲載する予定だ。以下、イタリアで考えことや見聞したことをシリーズで。

  目的地のフィレンツェを前にローマを訪れた。写真は円形闘技場「コロッセオ」から見た凱旋門だ。ローマは遺跡の向こうに遺跡が見える、街そのものが歴史だ。この凱旋門は、312年に「ミルヴィオ橋の戦い」で勝利したことを記念して315年に作られた凱旋門だといわれる。凱旋門の高さは25㍍。帝政ローマ時代の凱旋門の中では一番大きい。フランスのエトワール凱旋門のモデルにもなっていて、ユネスコの世界遺産(文化遺産)の一つである。

  そしてローマの街を歩くと、その広告が面白い。 写真はバイクのレンタルの広告だが、図柄は何かの美術書で見たことがあるものだ。指先を軽くタッチする、映画「ET」のモデルにもなったといわれるあの名画、ミケランジェロの「アダムの創造」である。名画のモチーフが普通に使われていて、ある意味で奥深い。

  ローマの街には石畳の道路が多い。これが風情でもある。ただ、トランクのキャスターが時々、石と石の間にはさまり不便さをかこったりもする。そんなことを差し引いても、ローマの街は魅力的である。

⇒25日(水)夜・金沢の天気  くもり

★イタリア行

★イタリア行

  「海外へ行く」と周囲に言うと、すでにその場所へ渡航経験のある人ならは土地の名所とか、グルメの店の情報などを教えてくれるものだ。しかし、今回は国の名前を告げたとたんに「気をつけた方がいい」「人を見たら○○と思えだよ」とさんざんな評価だ。イタリアのことである。

  イタリアといえば、ローマ、ミラノ、フィレンツェなど世界史にその名が出てくる都市が多くあり、独自の文化と産業がある「まばゆい国」というイメージがある。ところが実際に渡航経験のある人から話を聞くと、10人中9人が「物取り」の経験談。子どもの集団に囲まれ強引にバッグを取られた。バッグが人混みの中で切られ貴重品を取られた。女性から声をかけられしどろもどろしているうちにバッグごと取られた。中には、「イタリアでは日本語の被害届があると」と被害後の対処方法までアドバイスをしてくれる人も。

  中には武勇伝もある。金沢大学のスタッフの女性は2年前、妹と旅行に出かけた。ローマの地下鉄で子どもの集団に囲まれ、強引にバッグを取られそうになった。すると妹はその少年の手首をむんずと掴み、「こらっ~」と地下鉄中に響きわたるくらいの大声を出して睨みつけた。すると集団はスゴスゴと別の車両に逃げていった…。

  それでは何のためにイタリアへ。金沢大学のイタリア美術史の教授がフィレンツェの教会で、幅8㍍、高さ21㍍にも及ぶ壁画の修復作業に携わっている。1380年ごろにフレスコ画法で描かれたルネサンスの傑作であり、ビルでいえば7階建てにも相当する巨大な文化遺産だ。この修復プロジェクトの現状を取材して、後日、大学の社会貢献誌でリポートを掲載する予定。

  その現地の教授もメールで、「治安の悪さは決して改善されていませんから、充分な準備と覚悟で出発して下さい」と。さてどうなることやらイタリア…。

⇒15日(日)朝・成田の天気  はれ 

  

★チラシに映る時代のトレンド

★チラシに映る時代のトレンド

  プロの広報マンだったらおそらくチラシ一枚でも無駄にはしないだろう。時代のトレンドを読み、仲間と論議し、どのようなデザイン、あるいはキャッチコピーだったら人々が気に留めて手に取ってくれるだろうかと試行錯誤を繰り返し、そしてようやく一枚のチラシを世に出す。そのチラシには時代が投影されている。

    きのう6日、石川県立音楽堂を訪ねた。大晦日の「岩城宏之ベートーベン全交響曲演奏」のインターネット配信の際、ホームページでPRしていただたお礼を述べるためである。コンサートの掲示板に貼ってあったチラシが気になり、チケットカウンターで一枚もらった。それが写真のチラシ。

   金沢大学ほか、金沢工業大学、北陸大学、それにプロのオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の4者の管弦楽による合同コンサート(2月19日・金沢市観光会館)。指揮は金聖響氏、「スラブ行進曲」「弦楽セレナーデ」「交響曲第5番」のオールチャコフキーのプログラムだ。学生オーケストラとOEKの合同公演は珍しくない。私が振り向いたのはチラシのデザインだ。

   「金聖響」似の指揮者が力強くタクトを振る姿が描かれインパクトのあるチラシだ。高校生から若い層ならピンとくる人も多いだろう。クラシックをテーマにしたコミック「のだめカンタービレ」(二ノ宮和子著・講談社)がブームだ。それを意識して、あえてチラシのデザインをコミック調にしたという当たりがミソなのだ。このチラシの発案者のY氏は「これだったら、クラシックを聴いたことがない若者でも、これを機会に演奏会場に一度足を運んでみようという気になるのではないか」と期待する。アニメブームという時代がこのチラシに映されている。

   クラシックのファンは人口の数%に過ぎないと言われる。石川、あるいは北陸というマーケットの中でコンサート会場を満席にするのは至難のわざだ。Y氏らはいつもどうすれば会場を埋めることができるかと腐心している。その中からこうした柔軟な発想が生まれてくる。

⇒7日(土)午後・金沢の天気   ゆき   

★続・「拍手の嵐」鳴り止まず

★続・「拍手の嵐」鳴り止まず

  元旦付の朝日新聞に2005年度朝日賞の発表があり、指揮者の岩城宏之さんの名前が載っていた。「日本の現代音楽作品を幅広く紹介した功績」というのがその受賞理由だ。

   日本では、「大晦日にベートーベンの全交響曲を一人で振る」岩城さんというイメージもある。が、海外ではタケミツ(武満徹)などの現代音楽で知られている。2004年4月から5月のオーケストラアンサンブル金沢(OEK)のヨーロッパ公演では、「鳥のヘテロフォニー」(西村朗作曲)がプログラム最初の曲なのに、演奏後、何度もカーテンコールを求められた。また、岩城さんが指揮するコンサートのプログラムにはよく「世界初演」と銘打ってあり、「初演魔」と評されるほどに現代音楽を意欲的に演奏しているのだ。

   現代音楽に恵まれたのは、同時代の作曲家である友人にも恵まれたからで、「武満」や「黛敏郎」の故人の人となりをよく著作で紹介している。そして友人をいつまでも大切にする人だ。2003年9月に大阪のシンフォニーホールで開かれたOEK公演のアンコール曲で「六甲おろし」を演奏した。当時阪神タイガースの地元向けのサービスかと思ったが、そうではなく、18年ぶりに優勝した阪神の姿を見ることなく逝ってしまった「熱狂型阪神ファン」武満氏に捧げたタクトだったのだと後になって気づいた。

   元旦付の紙面に戻る。インタビューに答えて、「…ベートーベンだって当時はかなり過激で反発もあったが、執拗に繰り返し演奏する指揮者がいて定着していった。大衆は新しい芸術の価値に鈍感なものだが、指揮者は何十年かけても未来へ情報(作品)を残す粘り強さが必要です」。過去の遺産を指揮するだけではなく、現代の可能性のある作品を未来に向けて情報発信することが指揮者に求められている、と解釈できないか。スケールの大きな話である。

   パーカッション出身の岩城さんだからこそ、あの複雑で小刻みな現代音楽の指揮が出来るのだろうぐらいにこれまで思っていた。以下は推測だ。岩城さんは武満氏らと現代音楽を語るとき、上記のことを論じ合っていたのではないか。「君らは創れ」「オレは発信する」と…。そうした友との約束を自らの指揮者の使命としてタクトを振り続けている。それが岩城さんのいまの姿ではないのか、と思う。

 ⇒2日(月)朝・金沢の天気   くもり