★花よりボランティアの日曜日
金沢では平年より8日早く3月29日にソメイヨシノが開花した。そしてその初めての日
曜日、本来ならば金沢の兼六園などは花見の客でにぎわうころだ。ところが「異変」が起きている。
写真は、きょう(1日)午後0時25分に撮影した金沢城の沈床(ちんしょう)園の様子だ。がらんとしている。人通りもまばら。三分咲きほどの桜の枝が、緩やかな春風に揺れている。金沢市民ならば、この季節に目にする沈床園での花見宴会のにぎわいがない。宴に備えてのブルーシートを敷いての陣
取りもいない。市民は花見を忘れたかのような静けさだ。
一方、けさ午前6時20分、金沢市袋畠町の県産業展示館4号館前には大型バスが20台余りが横付けされていた。能登半島地震の被災地へ向かうボランティアのシャトルバスだ。きのう土曜日も市民ら880人を乗せて輪島市や穴水町の32ヵ所の避難所に向かった。きょうは人数ではさらに多いだろう。また、バスではなく、直接乗用車で向かうボランティアグループも相当多いはず。支援の輪の広がりに心強さを感じる。
ところで、金沢城沈床園の閑散とした状態はこうしたボランティアの結集の裏表の現象と言える。「こんなとき(震災後)に花見宴会の気分ではない。自粛しよう」ということだろうか。しかし、個人的には「花よりボランティア」というより、「花もボテンティアも」である。自治体の首長ならば公人として少々の批判はあるかもしれないが…。要は周囲がとやかく言う必要はない。自分の心に正直に行動すればよいだけである。
それにしても、沈床園は静かすぎる。で、冷静にその理由を考えてみた。30日付の朝刊各紙をチェックすると、「開花」の記事は隅に追いやられている。あるいは写真がない。とくかく目立たない扱いなのだ。テレビも同様にお天気コーナーで少し触れただけだろう。例年ならば各社は競って中継に入る。ところがその中継車は被災地にはりつけとなっている。石川県の人々の耳目は震災に集まっていて、開花宣言を知らないのではないか、というのが話のオチだ。
⇒1日(日)午後・金沢の天気 くもり
地震では灯ろうが多数倒れる被害があり、「もしや」と思い、墓地に入った。案の定、3基に1つの割合で倒れる、ずれる、割れるなどの状態だった。ふと見ると、傾きつつも絶妙のバランスで難を免れた墓石があった。高さ40㌢ほどの円筒状である。手前の枯れた竹の切り株が垂直に立っているのでそれと比べると傾き加減が分かる。イタリアのピサの斜塔は傾斜角5.5度。傾きはだいたい同じかと思われるが、この墓石は円筒とは言え、バットのように上部に膨らみがついているので重心はピサの斜塔より上になる。つまり、その分鋭く傾いているということになる。
じつはもう一つ。絶妙なバランスを保つ石積み(ケルン)が能登にある。輪島市の沖合い49㌔に浮かぶ舳倉(へぐら)島で、漁に出た漁船の目標にしようと、あるいは岩礁が多いため沖に沈んだ難破船の供養のためにと住民が石を積み上げつくった築山だ。この写真を撮影したのは14年ほど前。ご覧の通り傾きつつも日本海の風雨に耐えている造形芸術ではある。
余震があり危険として、これまで正式なボランティアの受け入れはなかった。いわば、きょう28日が初日である。午前8時に金沢を乗用車で出発し、寸断された能登有料道路を避けて下道を走行する。午前10時すぎに到着した。参加したのは私を含め金沢大学の職員、学生あわせて5人(男性3、女性2)。門前小学校で設置されたボランティアセンターで登録し、保険の手続きをする。センターの指示で家屋倒壊の被害がもっとも多かった道下(とうげ)地区に。何しろ25日の地震で50の家屋が全壊した。その後も余震で被害が拡大している。
ろう復旧作業に金沢大学の学生ボランティアをどこにどう派遣すればよいのか、現地のボランティア受けれグループとの打ち合わせをするためだ。
は出せない。
庫裏などは無事だった。
泊りをしている家族もいる。この寒さはこたえているはず。
潟では59人が死亡、4800人以上が負傷し、新幹線が脱線した。今回の能登でも庭で倒れた灯篭の下敷きになって52歳の女性1人が亡くなっている。
ヒトは都市化する動物であるとすれば地域の過疎化は当然至極、流れに棹をさす地域再生に向けた研究自体は無駄である。しかし、商品経済にほだされて、都会へと流れ生きる現代人の姿がヒトの一時的な迷いであるとすれば、自然と共生しながら生きようとするヒトを地域に招待し応援することは有意義である。私なりにこの命題を自問自答していたとき、これまで聴こうとしなかった7番の第1楽章と第2楽章に耳を傾けたみた。第2楽章の短調の哀愁的な響きにヒトの営みの深淵を感じ、目頭が熱くなるほどの感動を得た。そして、ベートーベンの曲想の壮大なスケールに気づき、7番の主題は「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」のテーマそのものではないのか、と考えるようになった。ここから「つまみ食い」の愚かさを知り、第1楽章から第4楽章までをトータルで聴くようになった。1月上旬のことだった。
聴いているベト7は2002年9月にオーケストラ・アンサンブル金沢が石川県立音楽堂コンサートホールで録音したものだ。指揮者は岩城宏之さん(故人)。はまり込んだきっかけは、岩城さんがベートーベンのすべての交響曲を一晩で演奏したコンサート(2004年12月31日-05年1月1日・東京文化会館)での言葉を思い出したからだ。演奏会を仕掛けた三枝成彰さんとのトークの中で岩城さんはこんな風に話した。「ベートーベンの1番から9番はすべてホームラン。3番、5番、7番、9番は場外ホームランだね」「5番は運命、9番は合唱付だけど、7番には題名がない。でも、7番にはリズム感と同時に深さを感じる。一番好きなのは7番」と。
ミツバチの集団失踪が相次いでいる。アメリカでのこと。全米養蜂協会によると、元気だったハチが翌朝に巣箱に戻らないまま数匹を残して消える現象は、昨年の10月あたりから報告され始め、フロリダ州など24州で確認された。しかし、ハチの失踪数に見合うだけの死骸は行動圏で確認されないケースが多く、失踪したのか死んだのかも完全には特定できないという。そんな中、原因の一つとされているのが、養蜂業者の減少で、みつの採集などの作業で過度のノルマを課せられたことによる“過労死説”だ。国家養蜂局(NHB)が緊急調査に乗り出した。ハチを介した受粉に依存するアーモンドやブルーベリーといった140億ドル(約1兆6000億円)規模の農作物への深刻な影響が懸念され始めた。(3月1日・産経新聞インターネット版より)
家人を列につけさせ、私は無料開放された兼六園にカメラのアングルを求めて入った。お目当ては兼六園の中でも見栄えがする、唐崎(からさき)の松の雪つりである。ごらんの通り、青空に映える幾何学模様の雪つりである。このほか、冬桜を撮影して列に戻った。思ったほど列は進んでいない。