★被災者にこそ情報を
きょう(16日)の休日、金沢の自宅でパソコンに向かっているとグラリときた。12日午後11時半ごろにも能登半島で地震2の地震があったので、その関連と思った。しかし、きょうの地震は断続的に、時間的に長く感じた。
揺れが収まり、しばらくして能登半島地震の学術調査でお世話になった、輪島市門前町の岡本紀雄氏から電話があった。「能登の学校の方は大丈夫だったの、珠洲が結構揺れたようだけど…」と。書き物を急いでいたので、テレビの地震速報を見ていなかった。岡本氏は地震にはとても敏感に反応する。何しろ、阪神淡路大地震(震度7)と能登半島地震(震度6強)を体験し、自らを「13.5の男」と称している。
=午前10時13分、新潟県柏崎市など震度6強=
気象庁の地震速報をWEBでのぞくと、震源は能登半島ではなく、新潟県上中越沖となっている。金沢は震度2だった。やはり断続に3回の震度6強が揺れがあった。これが長く感じた理由だった。 能登半島・珠洲市も震度5弱。相当の揺れである。能登に住んでいる岡本氏に言われて初めて相当に広範囲な揺れであったことが理解できた。そこで、珠洲市に拠点を置く「能登半島 里山里海自然学校」の常駐研究員に電話を入れた。彼はすでに学校に到着していて、「特に被害は見当たりません」と。ひと安心した。この校舎では、ことし10月から「能登里山マイスター」養成プログラムという国の委託事業がスタートし、常駐研究員2人と受講生15人が入ることになっている。施設に被害があるとスケジュールに影響するからである。
東京からも電話があった。「月刊ニューメディア」という専門誌の編集長からだった。「宇野さん、そちらも相当に揺れようですが、被害はありませんでしたか」と。能登半島地震の学術研究「震災とメディア」の中間報告の原稿を掲載していただたこともあり、気にしていただいたようだ。「被害はおかげさまでありませんでした」と答えると、「でも宇野さんの研究テーマはこれからも続きますね…」と。確かに、震災とメディアは切ろうにも切れぬ関係である。ワイドショー向けのドラマ仕立て人間ドキュメント、メディアスクラム、風評被害、コンビニ買占め・・・。それより何より、被災地にフィードバックがない情報発信の仕方は、メディアの構造的な問題である。
読売新聞インターネット版はきょうの地震関連でさまざまなことを伝えている。輪島市は、能登半島地震で寄せられた救援物資のうち、未使用の水や食料などを今回の地震の被災地に送ることを決め、トラックへの積み込みを始めた、とのニュースがあった。何の被害も受けなかった人は、このニュースを好意的に感じるだろう。しかし、この情報は被災者には届かないだろう。インターネットを物理的に利用できないだろうし、その余裕もない。もし情報が届いたとしてもまったく役に立たないだろう。被災者にとって必要な情報は、この水や食料がいつ何時ごろ、どこの被災地に届けられるのかという情報だけである。
メディアのすべての記者とカメラマンが被災者と同じ目線を持つ必要はない。ただ、何割かは被災者と同じ目線でニュースを伝えてほしいし、被災者のための情報発信をしてほしい。一番困っている人々に、情報を欲している人々に情報を伝えてほしいからである。
⇒16日(休)午後・金沢の天気 くもり
の分割払いで貸付けられた。つまりリースされたのである。
鍋(なべ)を枚数でカウントするということを知らなかった。これまで、一つ、二つ数えていたのではないだろうか。先日、ぶらりと訪れた石川県穴水(あなみず)町の「能登中居鋳物館」でそんな小さな発見をした。
生産が盛んで40軒ほどの鋳物師(いもじ)がいたとされる。この周囲には真言宗など寺など9ヵ寺もあり、それだけの寺社を維持する経済力があった。2003年7月に開港した能登空港の事前調査でおびただしい炭焼き窯の跡が周辺にあったことが確認され、当時、ニュースになったことを思い出した。つまり、鋳造に使う炭の生産拠点が近場で形成されていた。そして原料となる砂鉄や褐鉄鉱などが能登一円から産出され、中居に運ばれた。その技術は14世紀、朝廷が南朝(吉野)と北朝(京都)に分かれて対立し南北朝の動乱に巻き込まれた河内鋳物師が移住したともいわれるが定かではない。
地元の人たちが「有線」と言っているシステムがある(※4月30日付「メディアのツボ-51-」参照)。同町にケーブルテレビ(CATV)網はなく、同町で有線放送と言えば、スピーカーが内臓された有線放送電話(地域内の固定電話兼放送設備)のこと。この有線放送電話にはおよそ2900世帯、町の8割の世帯が加入する。
そこで、金沢大学近くにあるPCの修理店に持ち込んだ。店員は、OSを再インストールする必要があるという。そして念のために、ハードディスクがどんな状態かみてもらった。すると、反応がない。コツコツと軽くたたいても反応がない。店員は「やられていますね」と。つまり、壊れている。この一言で頭の中が真っ白になった。ファイルなどのデータは全滅。なかには翌日(21日)と次週28日のメディア論の授業で使うパワーポイントも入っていたのだ。
このゴールデンウイークで行われた石川県七尾市の青柏祭(せいはくさい)を見物してきた(5月4日)。この祭りの山車(だし)の大きさが半端ではない。高さ12㍍だ。ビルにして4階建ての高さになる。車輪の直径が2㍍もある。民家の屋根より高い。通称「でか山」がのっそりと街を練る様はまさに怪獣映画に出てきそうなモンスターではある。
とも言われる。先述したように、山車の高さは12㍍、上部の開きは13㍍、車輪の直径2㍍あり、山車としては日本最大級。上段に歌舞伎の名場面をしつらえるのが特徴だ。
4月29日に能登半島地震の被災地、輪島市門前町を訪れた。被災家屋の軒下でツバメが巣づくりをしていた。帰巣本能で飛来したツバメは家屋の様相が一変しているのに戸惑ったに違いない。ツバメは3月25日の能登の震災を知らない。季節は移ろっているのだ。
中越地震でボランティア経験もある地元・輪島市門前町のN・Oさん(52)から聞いた話では、避難所生活が長くなってくると、気力が弱ってくるせいか、お年寄りは外に出たがらなくなる。「外に出て深呼吸するだけでも随分といいのだが」と心配する。
や連絡調整を行うための「金沢大学能登半島地震対策本部」が設置された。今回の学術調査部会は対策本部のセクションとしての位置づけである。