★09総選挙の行方~4
石川1区の開票所=写真=を見学に行ってきた。金沢市の市民体育館。かつて取材で何度か訪れたことがあるが、一般の「参観人」としては初めて。体育館の3階から1階で行われている開票の様子を眺めることができる。3階にはざっと60人はいる。ただ、参観人は数人、あとは圧倒的にマスメディアの関係者で占める。腕にそれそれのメディアの名前を記した腕章を付けている。
開票所に行く、「静かなる大変革」を実感
公職選挙法第6条2では、選挙の結果を有権者に速やかに知らせるように努めなければならないとしており、開票所は公開されている。ただ、テレビ各局は午後8時から一斉に「選挙特番」を放送するので、不思議な感じがする。携帯電話のワンセグ放送で視聴すると、開票所に到着した午後9時ごろ、全国200人余りにすでに「当確(当選確実)」が出ていた。ところが、この金沢市の開票所は開票のスタートが午後9時30分なのである。都市部の開票はだいたい午後9時ごろからなので、「メディア開票」がずっと先行していた。
新聞とテレビのメディアは実際の開票所での開票データではなく、あくまでも推測で当確を出すわけである。9時20分ごろに開票所3階にやってきた年配のご婦人が「もう開票の半分は終わった頃かと思って見にきたのに、(開票は)今からとは…」といぶかしげに、「広報」の腕章を付けた係員に尋ねていた。当確という文字は、「○○候補の当選はおそらく確実でしょう」という推測の意味を含んでいる。メディアが数字の根拠として持っているデータは、投票所の前で行う出口調査の結果である。各メディアによって数字は異なるが、それぞれの選挙区で数千のサンプルを採取している。その出口調査の結果と、投票前にすでに行っている電話調査の結果を突き合わせ、さらに選挙区を取材する担当記者の感触などを含め総合的な判断で当確を出す。ところが、出口調査でも電話調査でも「互角」「競っている」「その差数%」という微妙な数字がある。その場合は、リアルな数字の読み込みが必要である。開票所では実際、どの候補者がどれだけの数字を取っているのか、である。
実際に開票台で仕分けされる票を目で確認する調査を「開披台(かいひだい)調査」とメディアは称している。バードウォッチングの要領で双眼鏡で、仕分けしている開票係の手元を読んでいく。どの候補者の名前が票に記されているか調査する。メディアは一つの開票所にウオッチャーを10人から15人を貼り付ける。私が金沢市の開票所3階を訪れたのは、そのメディア開披台調査の様子を観察することで、接戦が予想された石川1区の自民・馳浩氏と民主・奥田建氏の勝負を見極めたかったからである。ウオッチャーが候補者名を読み上げる。それを記録係が記入していく。私はそのウオッチャーたちの声を聞きながら当落の目星をつけ、1時間ほどで開票所を出た。
自宅に帰る。深夜、開票終了。奥田氏が125,667票、馳氏は117,168票とその差8499だった。開披台調査とほぼ同じ割合の差だった。そして自民119議席、民主308議席と国会の勢力図がひっくり返った。自民の大敗。おそらく安倍晋三氏、福田康夫氏の「総理の座」の放り投げあたりから自民に対する有権者の幻滅感が漂っていた。不況対策も実感できず、国の借金は800兆円にも膨らんでいる。こうなれば、自民党に降りてもらうしかない、そんな冷静な有権者の判断が下ったのだ。これほどの歴史的な大差がついたのに、選挙期間は有権者の熱狂は感じられなかった。「静かなる大変革」とでも言おうか。これから新たな政治と経済、そして社会のドラマが始まる。
⇒31日(月)朝・金沢の天気 くもり
26日付の朝日新聞では、テレビの選挙報道が前回より「半減している」と報じていた。解散した日から1週間の間で、NHKや民放が取り上げた選挙に関する映像を時間で計測したデータの05年と今回の比較である。それを見ると、テレビ朝日の場合、前回がトータルで25時間、今回は16時間ほどなっている。フジテレビなどは3分の1だ。全体でデータを眺めると確かに今回はトーンダウンしている。テレビはある意味で正直だ。視聴率という数字が取れない、あるいは「絵にならない」(映像的に面白くない)と判断すると取り上げないものだ。確かに、前回は「刺客」「小泉敵情」の取り上げが過熱して、「テレポリティクス」と揶揄(やゆ)されたように、テレビが選挙を誘導しているとの批判の声もあった。テレビはその反省に立って、今回自重しているのか。「否」である。テレビはそんな殊勝な業界ではない。数字が取れると思えば、どこまでも食いついて行く。要は、選挙では数字が取れない、「酒井法子で行こう」と視聴者の心を読み取っているのである。
さて、公示日に候補者が出そろった。中で、興味深い顔ぶれも。比例代表北信越ブロックで、民主党は元自民党参院議員で国家公安委員長や内閣府特命担当大臣(防災担当)を歴任した沓掛(くつかけ)哲男氏(79歳)を、単独で名簿登載した。沓掛氏は金沢市在住で、もともと建設省技監を務めた官僚だ。3年前、議員会館を訪ねたことがある。大学のプロジェクトの立ち上げに際して、協力を求めに訪れたのだが、非常に丁寧な応対で、「お昼でもどうかね」と誘っていただいた。「政治家らしからぬ」柔軟さが好印象だった。
問われているのはメディアなのか。新聞各社の世論調査が圧倒的な「民主勝利」を早々と伝えている。ところが、最近出始めているインターネットによるアンケート調査は結果がまったく違う。
初日は、金沢からバスで出発し、石川県七尾市の能登演劇堂で開催された「環境国際シンポジウムin能登」に参加した。ノーベル平和賞を受賞した国連組織「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)のラジェンドラ・パチャウリ議長の基調講演を楽しみにしていたが、博士は体調不良を理由に欠席。その代わり、ビデオレターが上映され、その中で「今、何かの手を打たなければ、多くの生態系が危機にさらされる」と訴えていた。翌朝は船に乗り、ぐるりと能登島を回る七尾湾洋上コースと能登島をバスで巡るコースに分かれてのエクスカ-ション。能登島のカタネという入り江にミナミバンドウイルカのファミリーの親子(5頭)がコロニーをつくっていて、船からは、時折背ビレを海面に突き出して回遊する様子を見ることができた。午後からは、奥能登・珠洲で実施されている「生き物田んぼ」を見学し、直播(じかまき)の水田で水生昆虫の調査の説明を聞いた=写真=。両日とも雨にたたられずに済んだ。
今からちょうど120年前の明治22年(1889)5月、東京に滞在していたアメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)は能登半島の地形とNOTOという地名の語感に惹(ひ)かれ、鉄道や人力車を乗り継いで当地にやってきた。七尾湾では魚の見張り台である「ボラ待ち櫓(やぐら)」によじ登り、「ここは、フランスの小説でも読んでおればいい場所」と、後に著した「NOTO: An Unexplored Corner of Japan」(1891)で記した。ローエルが述べた「フランスの小説」とは、当時流行したエミ-ル・ガボリオの「ルコック探偵」など探偵小説のことを指すのだろうか。ローエルの好奇心のたくましさはその後、宇宙へと向かって行く。
なぜ蓄養かというと、市場では小さなタコは値がしない。すくなくとも1キロは必要で、キロ1000円が相場。難しいのは、水温が上がるとタコが弱ってしまうこと。このタコ牧場では海水をそのまま汲み上げている。太平洋側に比べ、日本海側は海水温が一定していない。そこで、水温が高くなるころを見計らって、大きなものから出荷する調整も必要とのこと。タコを飼うのも簡単ではない。
大宮神社の狛犬は、獅子(ライオン)が千尋の谷に子供を落として、その子供を見守っているという姿で、左手の子は千尋の谷に落ちて仰向けになり、右手の子供は崖を這い上がっているという構図=写真=になっている。説明書きには、台座に使われている岩は富士山から運んだ溶岩であると記されている。これが黒く、ゴツゴツした感じで、崖というイメージにぴったり合っている。
戦後長らくアメリカの占領下にあり、1950年に朝鮮戦争が、1959年にはベトナム戦争が起き、戦時の緊張感を沖縄の人たちも同時に余儀なくされ、日本への復帰は1972年(昭和47年)5月15日である。しかも県内各地にアメリカ軍基地があり、沖縄県の総面積に10%余りを占める(沖縄県基地対策課「平成19年版沖縄の米軍及び自衛隊基地」)。時折、新聞で掲載される沖縄の反戦や反基地の気運は、北陸や東京に住む者にはリアリティとして伝わりにくい。沖縄は今でも闘っている。
沖縄県立博物館・美術館のメインの展示は「アトミックサンシャインの中へin沖縄~日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(4月11日-5月17日)。ニューヨーク、東京での巡回展の作品に加え、沖縄現地のアーチストの作品を含めて展示している。「第九条と戦後美術」というテーマ。作品の展示に当たっては、当初、昭和天皇の写真をコラージュにした版画作品がリストにあり、美術館・県教委側とプロモーター側との事前交渉で展示から外すという経緯があった、と琉球新報インターネット版が伝えている。さまざまな経緯はあるものの、美術館側が主催者となって、「第九条と戦後美術」を開催するというところに今の「沖縄の気分」が見て取れる。
ミミガーやピーナツ豆腐、チャンプルーがどんどんと出てくるのかと思ったら、そうではない。食前酒(泡盛カクテル)、先付け(ミミガー、苦瓜の香味浸し、ピーナツ豆腐)、前菜(豆腐よう和え、塩豚、島ラッキョ、昆布巻き)、造り(イラブチャー=白身魚)、蓋物(ラフティー=豚の角煮)などと、確かに金沢の料理屋で味わうのと同じように少量の盛り付けで、しかも粋な器は見る楽しみがあった。日本料理のスタイルで味わう琉球料理なのだ。
6年ぶりに沖縄を入り、このチャンプル文化にある種のイノベーションを感じた。イノベーションとは、発明や技術革新だけではない、既存のモノに創意工夫を加えることで生み出す新たな価値でもある。先のレストランでの琉球会席でも、和食を主張しているのではなく、和のスタイルに見事にアレンジした琉球料理なのである。その斬新さが「おいしい」という価値を生んでいる。沖縄の場合、独自の文化資源を主体にスタイルを日本、中国、東南アジアに変幻自在に変えて見せるその器用さである。これは沖縄の観光産業における「チャンプル・イノベーション」と言えるかもしれない。