⇒トピック往来

☆能登エコ・スタジアムの風窓1

☆能登エコ・スタジアムの風窓1

 「自在コラム」の内容に環境に関することが増えた。これまでは論評だったが、ついに自らの手で環境イベントを行なうことになった。それが、里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」。 9月13日から15日(16日にオプション)にかけて、能登半島で環境に関するイベントを行なうのだが、ひと言では説明しにくい。そこで、パンフレットに書いた前文を引用してみる。

       里山里海を実感する旅

  ~里山里海(さとやまさとうみ)という言葉が最近よく使われるようになってきました。日本ではちょっと郊外に足を運べば里山があり里海が広がります。実はそこは多様な生物を育む生態系(エコシステム)であるとことを、私たち日本人は忘れてしまっていたようです。二酸化炭素の吸収、生物多様性、持続可能な社会など、環境を考えるさまざまなキーワードが里山里海に潜んでいます。「能登エコ・スタジアム2008」ではこれらのキーワードを探す旅をします。それを発見したとき、あなたが見える里山里海の風景は一変するはずです。~

  では、何をするのかというと、メインの行事は14日と15日に実施する環境に関するイベント。どれも、近くのお寺や民宿、廃校を再利用した宿泊施設で一泊して行なうので、参加実費はリーズナブル。14日朝、JR金沢駅からバスが出て、15日夕方にバスで金沢駅に帰る。バス代は無料。どちらかというと家族旅行、グループ旅行、あるいは社員旅行に適しているのでは、と思っている。それでは厳選の5コースを。

 ●Aコース「能登バイオエコツーリズム」
 能登地域はバイオマス基地へと発展する可能性を秘めている。そこでこのセッションでは、バイオマス燃料の調達・製造から、エコストーブによる燃焼、そして試作品ストーブを使ってのエコクッキングまでを体験する。体験を通じてバイオマス利用のあり方について考える。つまり、ペレット製造から、それを使って、エコクッキングの体験をするというシナリオ。(参加実費1泊4食:1人9600円)

 ●Bコース「キノコ山を利用した里山保全」
 能登町「春蘭の里」は里山を活用した体験観光を推進しており、その目玉に「きのこ狩り」がある。地域で山林を管理することが新たな観光資源を生み、里山を維持されていく。このコースでは春蘭の里の活動を通して「キノコ山を活用した里山保全」の可能性を探る。里山の保全活動が体験できる。廃校を利用した宿泊施設「こぶし」は、いつでも汗を流せるように深夜電力を使用した「24時間風呂」が売り。(参加実費1泊4食:1人7200円)

●Cコース「金蔵里山コミュニティ交流」
 輪島市山中、五ヶ寺のたたずまいと棚田の景観が美しい金蔵集落をめぐり、棚田の仕組みや地域文化の保全・活用の取り組みを住民のガイドのもと学ぶ。また金蔵集落や農山村地域の将来像を多角的に展望する。日本の里山の原風景が広がる金蔵集落に一つの持続可能社会のヒントが秘められている。稲はざ、里山、そして、くっきりと広い星空が楽しめる。(参加実費1泊4食:1人6300円)

 ●Dコース「能登の里海エクスカーション」
 三方を海に囲まれた能登半島、入口にあたる口能登では砂丘海岸が続き、奥能登に移ると断崖絶壁の外浦海岸、風光明媚な内浦海岸と風景は変化に富む。そして、人によって開かれた里も歴史、文化を異にする。能登の海岸を巡りながら「里海」をテーマに能登を理解する凝縮の2日間。見所は能登の塩づくり。実はそれが縄文時代から始まっていたということがこのコースは明らかになり、それが能登のルーツと重なることに気づく。塩づくりと能登の歴史を探る旅。(参加実費1泊4食:1人9300円)

 ●Eコース「環境教育指導者養成講座」
 別名、「プロジェクト・ワイルド、エデュケーター認定講習会」。人間と環境との関わり合いや生物多様性、生態系の仕組みを体験的に学べる環境教育プログラム「プロジェクト・ワイルド(PW)」。さまざまな教育現場ですぐ活用できるPWの指導者を養成する。自然体験プログラムとして、夜の星空観察会、能登ワイナリーでの農業体験も行う。参加資格18歳以上。「四季の丘」という廃校を利用した宿泊施設で自炊型の合宿を行なう。もちろん、養成講座なので修了すると認定書(履歴書記載が可能)がもらえる。夜はバーベキュー。翌朝は穴水のワーナリーでワインづくり体験。(参加実費1泊4食とPWテキスト代:1人12000円)

  さらに詳しく知りたい方はこちらへ

 ⇒9日(土)夜・金沢の天気   はれ

★ダウンバーストの不気味

★ダウンバーストの不気味

 時代が動くとき、あるいは世の中の潮目が変わるとき、これまで聞いたことがないような言葉が飛び交ったり、新しい言葉が続々と生み出されたりする。この意味で「言葉は時代のセンサー」と考えている。先日の「異常気象」でも実感した。「ダウンバースト」「ガストフロント」がそれだ。

 先月(7月)28日に金沢市を襲った豪雨は午前5時から8時までの3時間で254㍉だった。報道によると、県が「百年に一度」と想定している規模の雨量は2日間で260㍉なので、まさに「想定外」の降りだった。金沢市災害対策本部が2万世帯5万人に避難指示をした。27日から日本海から北陸地方にかけて東西に前線が停滞し、28日に南からの暖かい湿った空気が流れ込んできた。このため、大気が不安定となり、雲が急速に発達し、短時間で激しい雨をもたらしたというの金沢地方気象台の見解だ。

 大雨の前日の27日、「ダウンバースト」という現象が起きた。航空自衛隊がある石川県小松市。午後3時半ごろ、突風が吹き荒れた。航空自衛隊小松基地が観測した最大風速は35㍍で、「強い台風」の分類だ。このため、神社の高さ4㍍の灯ろうが倒れたり、電柱が倒壊したり、民家70棟の窓ガラスが割れるなど被害が及んだ。このとき、小松基地が発表するのに使った言葉が「ダウンバースト」だった。積乱雲から急激に吹き降ろす下降気流、これがダウンバーストの意味。

 さらに「ガストフロント」は同じく27日、福井県敦賀市や滋賀県彦根市で起きた。午後1時ごろ、最大瞬間風速21㍍余り。敦賀では「西の空が急に暗くなって雨が強くなって、突風がきた」。このため、イベントの大型テントが横倒しになった。福井地方気象台では突風の原因を「ガストフロント」と説明した。非常に発達した積乱雲が成熟期から衰退期かけて発生する雨と風の現象。小型の寒冷前線のようなものでその線に沿って突風が吹く。つまり、北陸に前線が停滞し積乱雲が発生、ガストフロント現象が起き、その前線となった金沢では豪雨が、小松、敦賀、彦根では風速21㍍から35㍍のダウンバーストが発生した、とも言えそうだ。

 夏の嵐はこれまでもあった。ただ「想定外」の規模でやってくるところに、何か「気候変動」のようなものを感じる。ことし5月に訪れたドイツ。シュバルツバルトの森が季節はずれの大嵐で1万㌶もの森がなぎ倒されてた。いまだに残るその爪痕を目の当たりにした。そして、今回、金沢で尋常でない豪雨を経験し、実感が伴った。

 金沢で講演(08年6月7日)した地球環境学者のレスター・ブラウンは近著「プランB3.0」でこう述べている。「温暖化がもたらす脅威は何も海面の上昇だけではない。海面温度が上昇すれば、より多くのエネルギーが大気中に広がり、暴風雨の破壊力が増すことになる。破壊力を増した強力な暴風雨と海面の上昇が組み合わされば、大災害につながる恐れがある」

 豪雨、突風…。有り余る大気中のエネルギーの発散現象なのか。

⇒2日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆続・地球世直し水戸黄門

☆続・地球世直し水戸黄門

 「地球世直し水戸黄門」、レスター・ブラウン氏にはそんな言葉がふさわしいかもしれない。レスター氏の講演(6月7日・金沢市)で印象に残るフレーズをノートからいくつかピックアップしたい。

  国連世界食糧計画(WFP)と国連食糧農業機関(FAO)は毎年、緊急の食料援助を必要とする国をリストアップしている。2007年5月にリストアップされたのは33カ国。このうち17カ国は内戦と紛争で、食料援助しようにも、その活動が阻まれるところ多い。つまり、援助部隊が襲撃されることもある。そんな国は間違いなく破綻に向かう。

  レスター氏は講演で「これら破綻に向かっている国の中にパキスタンがある」と力を込めたのか。パキスタンは核保有国だからだ。仮に、暴動が蔓延し、無政府状態になった場合、誰がその核兵器を管理するのか、とレスター氏は問題を投げかけたのである。一国のフード・セキュリティーを超えて、アジアの安全保障の問題になりかねない。

  この講演が気になって、レスター氏の近著「プランB 3.0」(ワールドウオッチジャパン)を読み込むと、「平和基金とカーネギー国際平和財団は『”破綻国家”は世界政治の脇役から、まさに主役になった』と指摘している」と記されている。かつての国際政治は核軍縮であったり、デタント(政治的な緊張緩和)がキーワードだった。それが、破綻国家が国際政治の主役に躍り出たとういことだろう。その典型的な例がパキスタンなのである。

  国際政治はイデオロギーや資源戦争、国境紛争を民族紛争、宗教戦争のレベルを超えて、気候変動による食糧不足、食糧高騰、内戦、政情不安、そして破綻国家という図式でもはや国際政治の主流になった。

  ところで、きょう(28日)早朝から金沢はバケツの底が抜けたような大雨に見舞われた。金沢市や白山市付近では1時間に120㍉を超える激しい雨となった。市内を流れる浅野川は数カ所で氾濫し、竹久夢二ゆかりの湯涌(ゆわく)温泉の旅館街でも土砂崩れた起きた。そして、午前8時50分に浅野川流域の2万世帯余りに、市から避難指示が出された。このゲリラ雨はひょっとして気候変動のせいか。

 ⇒28日(月)朝・金沢の天気   雨

★地球世直し水戸黄門

★地球世直し水戸黄門

 6月7日に環境学者のレスター・R・ブラウン氏を招いて、「2008環境フォーラムin金沢」を開催した。510人の方々が、「地球温暖化と人類文明の危機」をテーマにしたレスター氏の講演に耳を傾けた。

 その講演会でのこぼれ話。レスター氏はペットボトルの水を嫌がった。水をわざわざペットボトルに入れなくても、水差しでよい、石油を原材料にする経済の仕組みはもう転換すべきだとはレスター氏の主張だ。そして講演20分前には瞑想に入り、スニーカーで登壇した。

  金沢の前は上智大学、その前は中国、金沢の翌日はソウルと世界を駆け回って、地球温暖化問題を訴え続けている。その情報は新しく、数字も正確。その講演の一部始終を聴いたある友人の感想は、「レスター・ブラウンは現代の『地球世直し水戸黄門』といった雰囲気があるね」と。

  このフォーラムの模様はきょう(21日)午後4時からCS放送「朝日ニュ-スター」で放送される。番組タイトルは「地球温暖化と人類文明の危機~レスター・ブランの警鐘~」(90分)。

⇒21日(祝)午前・金沢の天気  はれ

☆暑気払い、ショートな話題

☆暑気払い、ショートな話題

 ガソリン高騰、連日30度を超える猛暑、うだる暑さ。こんなときにこと、軽いタッチでブログを書いてみよう。題して「暑気払いブログ」を…。
 
         ベートーベンと能登通い
 
 この「自在コラム」でも何度か取り上げたベートーベンの話を再度。昨年10月から、金沢大学が運営する「能登里山マイスター」養成プログラムに携わっていて、能登通いが続いている。車で大学から片道2時間30分(休憩込み)をみている。何しろ能登学舎があるのは能登半島の先端、距離にしてざっと160㌔にもなる。早朝もあれば、深夜もある。体調がすぐれないときや、疲れたときもある。運転にはリスクがつきまとう。同乗者がいればまだよいが、怖いのは一人での運転である。眠気が襲う。

  この眠気対策に、イヤホンをしてベートーベンを聴いている。この話を同僚にすると、「えっ、クラシック。逆に眠くならない」と言われる始末。ところが、私の場合は「特異体質」なのか覚醒する。交響曲の3番、5番、6番、7番、8番などはドーパミンがシャワーのように降り注いでくるのを実感できる。さらに都合がよいのは、演奏時間が3番47分、5番30分、6番35分、7番33分、8番26分、しめて171分だ。すると、能登の片道2時間半にはお釣りがくるくらいに楽しめるというわけ。こんな調子だから、能登通いは苦痛どころか楽しい。バスだとさらに山並み田園の景色が楽しめる。

  話は横道にそれる。5月にドイツを訪れたとき、オーバタールのホテルで前田幸康氏とあいさつをさせていただく機会に恵まれた。前田氏は加賀藩前田家の末裔の方で、ドイツのフライブルク弦楽四重奏団のチェリストである。帰国して、お礼のメールを差し上げた。その折、一つだけ質問を試みた。「前田さんは、ベートーベンのシンフォニーの中で一番のお気に入りはなんでしょうか」と。演奏者はベートーベンと一番近い存在であり、ぶしつけな質問を承知だった。後日、丁寧なメールをいただいた。

  「交響曲の中で何がというご質問であれば、6番の田園と申し上げましょう。自然描写の素晴らしさ、その裏付けが出来たのが1974年に私自身このハイリゲンシュタットというベートーヴェンの散歩道を歩いた時でした。(ウイーン郊外)まさにのどかな丘陵地帯、緑が多く当時ではブドウ畑につながり、鳥のさえずり、若い私は田園風景とその描写に、『なるほど』と感激をいたしました。これこそ作曲家の技術と感性の相互作品と思いました。」

  追想する風景にその感性が潜み、それを見事に描き切っているのは田園である、と。短文ながらも、前田氏の的確な表現である。

 ⇒20日(日)午前・金沢の天気   はれ

★Keith Jarrettの調べ

★Keith Jarrettの調べ

 「麦屋弥生」という女性とは面識はなかった。6月16日付の朝刊を読んで、「もしやこの人か」と思った。岩手・宮城内陸地震(6月14日発生)で、宮城栗原「駒の湯温泉」で被災し亡くなられた。

 3年前の冬だった。金沢の行きつけのスナックに入ると、珍しくジャズピアノのキース・ジャレット(Keith・Jarrett)のCDがかかっていた。キース・ジャレットは1975年に初めて、当時のPLで「ケルン・コンツェルト」を聴き、すっかりファンになった。鍵盤を回すような軽快な旋律、そして興に乗って発せられるキース・ジャレット自身の呟きが、いかにも即興ライブという感じで、心に響く。

 「このCDはマスターの趣味」と尋ねると、「最近よく店に来てくれる女性がこれかけてと持ってきてくれたもの。元JTBにいて、いま金沢で観光プランナーの仕事をしているとか。なかなかセンスのいい女性でね」とマスター。「同好の士だよ。お話をしてみたいな」と返した。それだけのことだった。CDアルバムのタイトルは「The Melody At Night、With You」。その後もスナックにはたびたび通ったが、キース・ジャレットのCDを持ち込んだ女性とは言葉を交わすチャンスは巡ってこなかった。

 その人は、「観光・交流による地域づくりプランナー」の肩書きを持つ麦屋弥生(むぎや・やよい)さん。日本交通公社に勤め、その後独立して温泉観光地の再生や自治体の観光振興計画の策定に携わった。2004年4月から、金沢市を拠点に「観光・交流による地域づくり」のフリープランナーとして活躍した。

 先日、そのスナックに久しぶりに足を運んだ。マスターと3年前のことを話し、そのCDをかけてもらった。故人が好きだったという曲を改めて聴くと、静かな夜想曲(ノクターン)のような曲だった。面識はなかったが、彼女はどれだけキース・ジャレットに癒されたことだろうと想像した。聴き入っているマスターのメガネの奥には涙がにじんでいるのが見えた。麦屋弥生、享年48歳。

⇒12日(土)夜・金沢の天気  はれ

 

☆コウノトリのいる風景

☆コウノトリのいる風景

 能登半島の先端の水田にコウノトリが飛来しているというので、先日、観察にでかけた。昼過ぎだったが、あいにくお目にかかれなかった。近所の人の話だと、午前か夕方の方が現れる確立が高いという。

 飛来しているコウノトリには足環がないことから、兵庫県豊岡市で野生放鳥されているコウノトリではなく、どうやら大陸から飛んできたらしい。2005年7月にも飛来が確認されていて、3年ぶりということになる。近所の人の話が面白い。この水田地帯にはサギ類も多くエサをついばみにきている。羽を広げると幅2mにもなるコウノトリが優雅に舞い降りると、先にエサを漁っていたサギはサッと退く。そして、身じろぎもせず、コウノトリが採餌する様子を窺っているそうだ。ライオンがやってくると、退くハイエナの群れを想像してしまった。サギ類はコウノトリ目サギ科の鳥である。

 今回のコウノトリの滞在は前回より長い。前回は2週間ほど姿を見せただけだった。今回は、5月中ごろからなのでもう2ヵ月ほどになる。おろらくいつか飛び立っていくだろう。今度くるときは、パートナーを連れてきてほしい。近所の人たちは、そんな話をしている。(写真は、坂本好二氏撮影・6月9日)

⇒9日(水)夜・金沢の天気  はれ

☆ドイツ黙視録‐5-

☆ドイツ黙視録‐5-

  5月27日、アイシャーシャイド村の生け垣の景観を眺めながら、愛用のICレコーダーで聴いたベートーベンのシンフォニー第6番「田園」。その日の夕方、生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の関連会議が開かれるボンに入った。午後7時半から開催される、ボン市長のベルベル・ディークマン女史主催のディナーレセプションに出席するためだ。会場となったのはボン大学付属植物園だった。18世紀に造られたという宮殿とその庭園がいまは植物園になっている。ハスの池からはカエルの鳴き声が聞こえ、ここにいても「田園」の心象風景がぴったりくる。おそらく、レセプション会場を選定するにあたって、COP9の開催地を相当意識してこの場を選んだのだろうと、市長の心意気を感じた。25ヵ国80人ほどがガーデンパーティーを楽しんだ。

           ボンの謎、ベートーベンとワイン

  このパーティーが始まる前、少し時間があったのでボン大学近くにあるベートーベンの生家=写真・上=を訪ねた。夕方であいにく閉まっていた。外観だけの見学となった。ベートーベンの誕生は1770年12月16日。通称「ベートーベンハウス」は、注意していないと見落とすくらい街に溶け込んで、日本でいう町家という感じ。ガイドブックに載っていた、ベートーベンが使ったバイオリンやピアノ、ラッパのように大きな補聴器をぜひ見たいと思ったのだが。それにしても、ベートーベンは意外と「都会っ子」だったのだと認識を新たにした。

  その時代をウイキペディアなどで調べてみた。18歳のベートーベンはケルン選帝侯マキシミリアン・フランツが開いたとされるボン大学の聴講生となる(1789年5月)。その翌年90年にボンに演奏にやってきたハイドンと出会う。1792年11月、ハイドンに師事する許しを選帝侯から得て、ボンからウィーンへ旅立つ。青年ベートーベンは人生の選択をしたのである。フランス革命が派手に展開し、ルイ16世がジロンド派による人民投票でわずか1票差でギロチン台に上がったのは3ヵ月ほどたった93年1月21日のことである。

 ベートーベンが大学の聴講生だったころによく通ったという書店兼レストラン(現在はレストランのみ)=写真・下=が今でもあり、ボン市長主催のガーデンパーティーの後に訪れた。奥の広まったホールの一角に、ベートーベンがよくすわっていたという座席があった。その場所にベートーベンの肖像がかかっている。読書会によく参加していたらしい。1389年に創業したというその店の自慢は牛肉をワインで漬けて煮込んだもの。それに自家製の白ワイン。かつてベートーベンも愛飲したというシロモノで、味わい深く飲んだ。

  ところで、20代後半から難聴に悩まされたベートーベン。確か中学校のころに音楽の先生から学んだ記憶では、父親ヨハンから音楽のスパルタ教育を受け、たびたび頬をぶたれたことが聴覚障害の原因と脳裏に刷り込まれている。ところがウイキペディアでは、若いころ愛飲したワインに起因する新説が出ている。それは、最近の研究で、「ベートーベンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出され、これが肝硬変を悪化させ死期を早めた(ベートーヴェンはワインが好物で常飲していたが、当時のワインには酢酸鉛を含んだ甘味料が加えられており、鉛はこの酢酸鉛に由来する)とも」と。

 当時のワインが聴覚障害を引き起こす原因になったとは信じ難い。が、くだんの店で飲んだあのワインがひょっとして、と思うと少々複雑な気分に陥った。

⇒21日(土)夜・金沢の天気  くもり

★ドイツ黙視録‐4‐

★ドイツ黙視録‐4‐

 前回も述べたようにミュンスターば「ウェストファリア条約」が締結された地。1618年から30年間続いたヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントによる宗教戦争が話し合いによって解決した。そのウェストファリア条約が結ばれた歴史的な建造物が今はミュンスター市役所となっている。その1階の「フリ-デンスザール(平和の間)」=写真=で歴史的な誓約調印が行なわれた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がこのフリ-デンスザールを訪れたのは昨年(07年9月20日)のこと。

        ミュンスターの「平和の間」とダライ・ラマ

  実は、ダライ・ラマはヨーロッパで抜群の集客力を誇る仏教徒だ。ことし5月13日から23日にイギリスとドイツを巡った折、ブランデンブルクの集会には2万人を集めたという。しかも、講演会形式で日本円換算で数千円を払ってである。ダイラ・ラマは、経済のグローバル化が進展するのであれば、それにふさわしい倫理もまた必要と説いたそうだ。ダライ・ラマは1973年に初めてヨーロッパの地を踏んで、毎年のように欧米を訪れ一般市民らと対話を交わしてきた。確固たる人気は、その積み重ねなのだろう。しかも、異教の地で。北京オリンピックの聖火リレーで反中国の狼煙(のろし)が上がり、妨害が先鋭化したのはヨーロッパだった。中国政府がダライ・ラマをバッシングすれば反中国のリアクションがヨーロッパで起きるという構図が出来上がっているかのようである。

  5月23日、そのフリ-デンスザール(平和の間)に入った。ミュンスター市副市長、カルン・ライスマン女史が石川からの訪問団をこの部屋で迎えてくれた。この部屋の家具はオリジナルで、第二次世界大戦の間は疎開して、連合軍の空爆を免れたことなどの説明があった。部屋の壁面にはウェストファリア条約の締結に立ち会った各国の代表の肖像画が掲げられている。何か、「歴史の舞台」という重厚さを感じた。

  その後、ミュンスターで3番目に古いというビアホールに入り、食事を取った。ライスマン女史も同席されたので、ちょっと意地悪な質問を試みた。「中国政府はダライ・ラマ氏について中国政府は中国分断を図る活動家と評しているが、あなたはどう思うか」と。ちょっとためらいながらライスマン女史は「その質問は答えにくい。ドイツ、そしてミュンスターの企業も中国に進出している。そうした事情を察してほしい。ただ、チベットの問題は話し合いで解決してほしい」とだけ。ライスマン女史はキリスト教民主同盟の市議会議員のリーダーで副市長。副市長という立場ではそこから先の言葉は控えたのだろう。

 食後、お別れの握手した折、何か言いたそうだったが、通訳の女性がたまたま離れていて言葉を交わすことができなかった。

 ⇒15日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆ドイツ黙視録‐3-

☆ドイツ黙視録‐3-

 ドイツでミュンスターといば、世界史の教科書に「ウェストファリア条約」が締結された地として出てくる。1618年から30年間続いたヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントによる宗教戦争が講和条約の締結によって終止符が打たれた。つまり、戦争が話し合いによって解決した史上初のケースとなり、内政不干渉など近代国際法の原型ともなった条約、とここまでは世界史で習った。ウェストファリア条約から350周年を祝う行事が1998年10月、ミュンスターで開かれた。条約の調印に参加した各国代表の子孫たちが集まり、単一通貨ユーロの導入(99年1月)に至るまでに結束した欧州連合(EU)の発展を祝ったのである。

     ミュンスター・「環境首都」の試み

  そのミュスターでいま注目されるのが環境である。その取り組みを象徴する言葉として、自転車、エネルギー・パス、エコ・プロフィットがある。以下は、ミュスター市環境保全局長のハイナー・ブルンス氏の説明による。同市は、ドイツのNGOであるドイツ環境支援支援協会(DUH)が選ぶ「ドイツ気候保護首都」に1997年と2006年の2回認定された。2004年には国連環境計画暮らしやすい街コンテストで金賞も得ている。とにかく、省エネルギーを徹底している。ミュスターでは住宅でも古い建物が多く、これをリフォームによって高気密・高断熱化することでエネルギー効率を高めようという政策である。窓を2重、3重ガラスにしたり、外壁の断熱材を10㎝から15cmに、また屋根にも断熱材を入れて熱を逃がさない。

  何しろドイツでは9月ごろから徐々に寒くなり、冬は11月から3月と長い。この間は暖房に頼った生活になる。ドイツ全体では、二酸化炭素の排出量の約3分の1が室内暖房や温水利用に起因とすると言われている。しかもエネルギー料金は確実に値上がりしており、暖房費をいかに安く抑えることができるかということに自然と市民の関心も集まる。さらに、市では住宅改修の補助金を、改修前と比較した建築物の省エネルギー率を高めるほど補助金額が高くなる仕組み(1997年‐2005年)にした。ちなみに省エネ率を30%以上にすると、補助金率15%(上限約350万円)だ。また、毎年、「ハウス・オブ・ザ・イヤー」賞を設け、優れた改築を行なった住宅を表彰している。

  2004年、EUは「建築物における総合エネルギー効率に関する指令」によって、ヨーロッパの建築物の所有者は、エネルギー消費量等を示した「エネルギーパス」を住宅の購買や賃貸契約の際に提示することを義務付けた。エネルギーパスは建築物に関する情報の他に、エネルギー需要のレベルや年間の暖房需要量、最終エネルギー消費量、二酸化炭素の排出量などが明記される。これを受けて、ミュンスターでは、住宅のエネルギー消費量を、自主的なレベルで、住民が知ることができる仕組みを作った。これには意外な効果があった。省エネ率が高ければ高いほど家賃が高く取れることにもなり、ビルのオ-ナーたちがこぞって省エネのために改修投資をし、「雇用の創出にもなった」(ブルンス局長)。

  続いて、ミュンスター単科工科大学を訪れた。この大学は「エコ大学」としての取り組みを行なっている。たとえば、学生たちに「窓を開けたら、暖房を消せ」と注意するステッカーを窓に貼っている。乾電池やプリンターカートリッジを所定の箱に入れて電気店に持っていくと、抽選でプレゼントが当たるお楽しみをつける。トイレで流す水を雨水にし、紙タオルを布タオルに替えた。さらにゴミの分別を徹底するなど生きた環境教育を8000人の学生に施している。そして、環境マネジメントシステム「エコプロフィット」の認証を取得した。エコプロフィットは、「統合的環境技術のためのエコロジープロジェクト」の略称。ミュンスター市の主導によって、地域の企業が、環境専門機関の指導を受け、環境保護と光熱費といった経費の削減を実現することを目的にした環境マネジメントシステムのこと。同市内の企業の10%余りが認証を受けている。

  さらに同市にはドイツで最も先進的といわれる熱電供給プラント(天然ガス使用)や、風力発電は22基、ソーラー発電にも取り組んでいる。こうやって、ミュンスター市では1990年を基準に2005年までに21%の二酸化炭素削減に成功し、2020年までに40%の削減を目指している。

  最後に面白い話を聞いた。ミュンスターは別名「自転車の首都」とも言われている。何しろ人口28万人に対し30万台以上の自転車があり、職場や学校に、買い物にと、老若男女、市長もシスターもパトロール中の警官も、多くの人々が自転車で移動している。ブルンス局長ももちろん愛用の自転車で通勤している。

 ⇒3日(火)夜・金沢の天気   くもり