⇒トピック往来

☆先端はフロンティア

☆先端はフロンティア

 春の嵐のように北陸地方は荒れ模様だ。きょうは思いつくままに書く。金沢大学里山プロジェクトの代表研究者、中村浩二教授は常日頃、「大学らしからぬことをやろう」と周囲に話している。中村教授が先頭に立って、2006年10月に三井物産環境基金を得て、能登半島の最先端に「能登半島 里山里海自然学校」を開設した。これまでの、あるいは今でも、大学の在り方は、学問や勉強をしたい人は大学の門をたたけば入れてあげるというスタンスだ。中村教授の「大学らしからぬこと」は、能登へ出掛けようと言い切って実行したこと。この点がこれまでの大学の流儀と全然違うところだ。

 石川県珠洲市で廃校になっていた「小泊小学校」という学校施設を借りして、研究と交流の拠点をつくった。このとき、地域の人からこんなことを言われた。輪島の人は「奥能登の中心と言ったら輪島やぞ。なんで輪島につくらんがいね」と。そして、珠洲の人は「珠洲の中心は飯田やがいね。なんで辺ぴな小泊みたいなところにつくるのや。なんで飯田につくらんがいね」と。中村教授を始めとして我われは天邪鬼(アマノジェク)でもあり、なるべく過疎地へ行って拠点を構える。そうすることによって、新たな何か発見があると考えたのだ。買い物や人集めに便利だとか考えて中心に拠点を構えて何かをやろうとするのはビジネスの世界だ。研究の世界ではそうはいかない。まず、人気(ひとけ)のいない過疎地で研究拠点を構え、そこでじわじわと地域活性化の糸口をつかんでいく、あるいは大学の研究のネタを探していく。足のつま先を揉み解すと血行がよくなり体の全体がポカポカしてくるのと同じだ。

 いま、能登半島の先端の珠洲市は風力発電やマグロの蓄養など環境を生かした産業づくりに頑張っている。すると、周辺の自治体も負けてはいられないと、木質バイオマスや里海を生かした施策に乗り出してきている。先端が中心を刺激するというスパイラルが我々が理想としていたことだ。

 さらに、先端は研究のフロンティアでもある。珠洲の人が「辺ぴなところ」と呼んだ片田舎の小学校だが、もしこれがテナントビルだったら「満室御礼」だ。1階に「能登半島 里山里海自然学校」。ここでは生物多様性の研究をしている。2階は科学技術振興調整費による「能登里山マイスター」養成プログラム。これは環境人材の養成、いわば社会人教育の拠点。ここで35人の人材を育成している。来月から3期生20人余りが新たに受講にやってくる。5年間で60人を養成する予定。さらに3階には「大気観測・能登スーパーサイト」(三井物産環境基金の支援)が入り、黄砂の研究をしている。

 先端に拠点を構えたから、研究のフロンティアとしての価値が見出され、続々と研究者が集まってくるようになった。「大学らしかぬこと」とは研究のチャンスを冒険的に見出すことと考えると分かり易い。

※廃校だった小学校を研究交流拠点としてリユースし、校庭では黄砂採取の気球が上がる。

☆抜けた指輪の話

☆抜けた指輪の話

 来年2010年は国際生物多様性年である。この年の10月には、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋市を主会場に開催されるが、そのほかの地域でも環境と生態系を世界にアピールする好機ととらえ、COP10の関連会議を誘致する動きが起きている。石川県でも国際生物多様性年を盛り上げようと去年9月、金沢大学に事務局を設け、石川県、奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット、NPOなどが協働して、「能登エコ・スタジアム2008」を実施した。里山里海国際交流フォーラム(9月13日・金沢市)を手始めに3つのシンポジウム、5つのイベント、2つのツアーを実施し、4日間で延べ540人が参加した。異彩を放ったのは、この期間中に生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)のアハメド・ジョグラフ事務局長が能登視察に訪れたことだった。
                         
 ジョグラフ氏は名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入り、16日と17日に能登を視察した。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープと金沢大学の能登学舎、能登町の旅館「百楽荘」で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(同市西部小学校長)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job(よい仕事)」を連発して、持参のカメラでビオトープを撮影した。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校に植樹する「グリーンウェーブ」を提唱している。翌日、金蔵地区を訪れ、里山に広がる棚田で稲刈りをする人々の姿を見たジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山に多様な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々の姿に感動したのだった。

 ジョグラフ氏がまぶたに焼き付けた能登のSATOYAMAとSATOUMI。このツアーはCOP10の関連会議を石川に誘致する第一歩だった。では、どのようなプロセスを経て、ジョグラフ氏は能登を訪れたのだろうか。実は、3人の仕掛け人がいる。谷本正憲知事、中村浩二教授(金沢大学)、あん・まくどなるど所長(オペレーティング・ユニット)である。その年の5月24日、3人の姿はドイツのボンにあった。開催中だった生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)にジョグラフ氏を訪ね、COP10での関連会議の開催をぜひ石川にと要請した。あん所長は谷本知事の通訳という立場だったが、身を乗り出して「能登半島にはすばらしいSATOYAMAとSATOUMIがある。一度見に来てほしい」と力説した。このとき、身振り手振りで話すあん所長の右手薬指からポロリと指輪が抜け落ちたのだった。3人の熱心な説明に心が動いたのか、ジョグラフ氏から前向きな返答を得ることができた。この後、27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官にもCOP10関連会議の誘致を根回し。翌日28日、日本の環境省と国連大学高等研究所が主催するCOP9サイドイベント「日本の里山里海における生物多様性」でスピーチをした谷本知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など様々な取り組みを展開していくと述べた。同時通訳を介してジョグラフ氏は知事のスピーチに聞き入っていた。能登視察はその4ヵ月後に実現した。

 能登視察はジョグラフ氏にとって印象深かったのだろう。その後、生物多様性に関する国際会議で、「日本では、自然と共生する里山を守ることが、科学への崇拝で失われてしまった伝統を尊重する心、文化的、精神的な価値を守ることにつながっている。そのお手本が能登半島にある」と述べたそうだ。能登のファンになってくれたのかもしれない。

  ※この文は橋本確文堂が発行する季刊誌「自然人」(第20号/春)に寄稿したものを採録したものです。

☆ガレリオの墓

☆ガレリオの墓

 ことしは「天文学の父」ガレリオ・ガリレエ(1564~1642)の当たり年なのだろう。先月(12月)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。今度はガレリオが失明した原因を解明するため、埋葬地を掘り起こして遺体をDNA鑑定することになったと報じられた(23日付・朝日新聞シンターネット版)。ことしはガリレオが望遠鏡で天体観測を始めて400年にあたることから、調査が決まったという。以下、記事の要約。

 イタリアの有力紙「コリエレ・デラ・セラ」を引用した記事は、フィレンツェの光学研究所を中心に英ケンブリッジ大学の眼科の権威やDNAの研究者らが調査に参加する。フィレンツェのサンタ・クローチェ教会に埋葬されている遺体の組織の一部からDNAを採取するという。ガリレオは若い頃から遺伝性とみられる眼病に悩まされ、晩年に失明。地動説を唱えたことでローマ法王庁の宗教裁判で有罪となり、軟禁生活を送った。死後95年たってサンタ・クローチェ教会に埋葬されてた。

 一方で困惑の声も上がっているという。ガリレオ研究の第一人者でフィレンツェ天文台のフランコ・パッチーニ教授は朝日新聞の取材に「なぜ博物館にある指を鑑定せず遺体を掘り起こしてまで調べるのか。彼も不愉快だろう。そっとしておくべきだ」と語った。

 ガレリオの墓は06年1月に訪れた。サンタ・クローチェ教会にはガレリオのほか彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。このサンタ・クローチェ教会大礼拝堂の正面壁画「聖十字架物語」の修復作業が金沢大学と国立フィレンツェ修復研究所、そして同教会の日伊共同プロジェクトとして進行している。金沢大学が国際貢献の一つとして位置づけるこのプロジェクトの進み具合を視察・報告するため、同教会を訪れた。

 修復現場はどうなっているのかというと、鉄パイプで組まれた足場は高さ26㍍、ざっと9階建てのビル並みの高さである。平面状に組んだ足場ではなく、立方体に組んであり、打ち合わせ用のオフィス空間や照明設備や電気配線、上下水道もある。下水施設は洗浄のため薬品を含んだ水を貯水場に保存するためだ。それに人と機材を運搬するエレベーターもある。つまり「何百年に一度の工事中」なのである。ガレリオの墓は教会大礼拝堂にある。墓を解体して、遺体を掘り起こすというのはおそらく相当の作業だろうが、教会とすると、修復作業の工事中であり、ガレリオの墓の掘り起こしもタイミング的には観光的なダメージはないと読んだのだろうか。記事を読みながら、そんなことをふと思った。

※写真は、サンタ・クローチェ教会大礼拝堂にあるガレリオ・ガリレエの墓

⇒23日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆過疎地がホープ・ランドに

☆過疎地がホープ・ランドに

 「過疎の村を応援するミュージカルがある。地球温暖化や生物多様性もその内容」と聞いて、ミュージカルとしては骨っぽいと興味がわいて、先日(1月10日)、金沢市文化ホールに観劇に行ってきた。ざっと500人の入り。環境という地味なテーマの割には多いと思ったら、環境保全に取り組んでいる大手住宅メーカーがしっかりとスポンサーについていた。

 なかなかの深みのあるストーリーだった。公演は、劇団ふるさときゃらばん(東京都小金井市)による「ホープ・ランド(希望の大地)」=チラシ・写真=。地球温暖化で、海に沈んでしまった赤道直下の島・モルバルの人々が手づくりの船に乗ってニッポンにやってくる。酋長がニッポンの友人、実業家オカモトから、過疎というニッポン特有の病気で、見捨てられ、荒れはてた山里があると聞いたからだ。過疎という病はニッポン人しから罹らず、モルバル人には感染しないから大丈夫と、夢と希望を持ってやってくる。南国の底抜けに明るい人たちだ。

 ニッポンの山里ムジナモリに無事着いたモルバル人たち12人は荒れ果てた限界集落の様子にカルチャーショックを受けながらも、島での経験から緑を育む大地と水と太陽の光があれば人間は生きていけると信じている。一方、過疎の病に罹ったニッポン人たちは、山里では仕事(工場やオフィス)がないのでお金が稼げず生きていけないないと思い込んでいる。ムジナモリの村の長(おさ)トンザブロウ夫妻の指導でモルバル人たちは荒れた棚田や畑を耕してコメや大豆をつくり、山の下刈りをして山菜やキノコが出る豊かな里山をつくり上げていく。順風満帆のシーンだけではない。イノシシに棚田が荒らされ、深刻な状態に陥って、「イノシシとの戦争」を始める。さらに毒キノコにあたって踏んだり蹴ったりの場面も。この毒キノコのシーンでは、山仕事が大好きだが、モルバル人に先祖伝来の田畑を耕させることを良しとしない、頑固者のガンちゃんの悪巧みが明かされる。

 そんな緊張した物語がありながらも、実業家オカモトがイノシシの肉を販売するショップを提案したり、水車を利用した発電でテレビが見れるようになったり。そしてトンザブロウの息子シュンスケがモルバルの娘と恋仲になって、過疎の村ムジナモリは少しずつホープ・ランドになっていく。

 ミュージカルとはいえ、生物多様性に対する考えがしっかり入っている。オカモトの秘書マリコは都会育ちで、木の下刈りの場面では「緑は切らずにそのままにしておいた方がよいのでは」と釈然としない。それに役場の職員(合併して市職員)のコウジまでもが同調したので、トンザブロウはコウジの頭をコツンを叩いて、「おめえまで何いっている」としかるシーンがある。山は「弱肉強食の世界」で、放っておけば荒れて光が入らなくなり植物の多様性が失われる。イノシシやカモシカ、クマが里に降りてくるのもヤブと化した里山を動物の領域と勘違いして出没するのだ。うっそうとした山は若返りがきかないので二酸化炭素の吸収力も弱い。「豊かな山は人がつくっている」とトンザブロウは諭す。

 さらに、なぜイノシシが棚田を荒らすのか、という疑問に答えている。イノシシの好物はミミズ。そして、イノシシが泥地で転げ回って体に泥を塗る場所を「ぬた場」という。泥まみれになった後は近くの木で体を擦り、毛並みを磨く。つまり水田はイノシシにとってお風呂になのだ。ミュージカルとして盛り上がってくるのは「イノシシとの戦争」のシーンからだ。

 個人的には満足度は高かった。「地球温暖化を大人と子供と一緒に考える」とチラシにあり、親子連れの姿も多くあった。しかし、私の横に座った小学生たちには恐らく言葉もシーンも断片的にしか理解ができなかったのか、所在なげで落ち着かなかった。また、モルバル風にアレンジした日本語のしゃべりがお年寄りには聞き辛かったかも知れない。熱心に鑑賞していたのはお母さんたちだった。

⇒12日(祝)午前・金沢の天気   ゆき

★金蔵というところ

★金蔵というところ

 能登半島にある輪島市の金蔵(かなくら)という在所は不思議なところだ。緩やかな傾斜の棚田と5つの寺がある。人口は160人ほど。時がゆったり流れているようなそんな空間なのだ。ただ、日本人のDNAを呼び覚ますかのような強烈な原風景が目に飛び込んでくる。「そこにたたずむと涙で目が潤む」と金蔵を初めて訪れた知人が言った。その金蔵が「にほんの里100選」(朝日新聞社、森林文化協会主催)にこのほど選ばれた。推薦した身としては、「選ばれた」ということが素直にうれしかった。

 朝日新聞のホームページで自薦・他薦の募集があったのは07年12月のこと。大学でかかわっている「角間の里山自然学校」の名前で申請した。推薦文は以下のような短文だった。

「能登半島の山間地。棚田が広がり、160人余りが住む。集落に寺が5つあり、寺と棚田の風景は日本の里山の原風景のよう。8月に万灯会が催され、2万本のロウソクがともされる。人々は律儀に田を耕し、溜め池を守っている。その溜め池にはオシドリがやってくる。夜の星座が近くに見える。そして、人々は道で出会えば、見知らぬ人にも軽く会釈をする。「能登はやさしや土までも」と言われるが、金蔵の人々にはそんなやさしさが感じられる。古きよき日本の風景と人が残る里である。」(推薦文・07年12月29日)

 選定の記事が掲載された6日付の紙面を読むと、全体で4474件の応募があったようだ。候補地としてはおおよそ2000地点。書類審査、現地調査を経て100に絞り込まれた。その選定の基準となったのが「景観」「生物多様性」「人の営み」の3点。冒頭のようなノスタルジックな原風景だけではなく、生物多様性という環境的な視点や、人の営みという持続可能な社会性が必要とされた。金蔵の場合、地元のNPOが中心となって、はざ干しによるブランド米の取り組みやお寺でのカフェの営業、ワンカップ酒の小ビンを2万個も集めた万灯会の催しなど棚田と寺を活用した地域づくりに熱心だ。金蔵の人たちと話していると、人間関係が砂のように希薄となった1万人の町よりも、金蔵の160人の方が生き生きして勢いがあるのではないかと思ったりもする。万灯会ともなると百人近い学生たちがボランティアにやってくる。

 この土地には歴史の語り部、世話好きがいて、そしてよそ者や若者が集まる。金蔵はそんなところである。

⇒7日(水)午後・金沢の天気  くもり

★喜べないレギュラー99円

★喜べないレギュラー99円

 大晦日、恒例の我が家の大掃除で私の役目は三つあった。一つは換気扇の掃除。ファンにこびりついた油分との闘いなのだが、パーツをばらして組み立てるのに時間がかかる。ガスレンジを覆うようにして天井から吊り下げるタイプの換気扇でボルトやビスのたぐいがやたらと多い。掃除をする人の身になって製造されていないと毎年、憤慨している。二つめが台所のシンクと排水パイプをつなぐL字状のつなぎ目の掃除。最後に愛車のガソリンを満タンにして終わりだった。今回のブログのテーマは大掃除ではない。ガソリンだ。

 31日の夕方、いつも利用する金沢市内のガソリンスタンドに向かった。電飾看板の「レギュラー99円」の文字が目に飛び込んできた。先の夏ごろまでは1リットル180円もした。幾分安くなったとはいえ、これまで5000円札を入れて、30数リットルしか入らなかった。それが徐々に下げて、先日は1リットル105円で入れた。それがあっさり100円を割ったのである。「現金会員」という条件つきでの「レギュラー99円」ではあるものの、円高を実感した。家計が助かる。

 しかし、ガソリンが安くなって、これで安心だろうか。そうではない。「レギュラー180円」を経験した消費者心理というものはそう簡単に警戒心を解かないものだ。では、消費者心理はどこに向かっているのかというと、燃費のよいハイブリッド車への買い替えにシフトしている。安くなったからといって、いまさら燃費性能のよくない大型車を乗り回す気にはなれない。ただ、燃費のよい大型車には関心は向くだろう。これは何も車だけではない。洗濯機や冷蔵庫など家電製品でもデザインやブランドではなく、たとえば洗濯機ならば水が節約できて、消費電力が少ないものを選ぶようになってきた。

 ガソリンの高騰は家計を直撃しただけではなかった。石油という地球資源がどれほど貴重なものか身にしみて分かったのである。さらに、二酸化炭素と地球温暖化という問題にだれしもが関心を持つようになった。去年7月に金沢を直撃したゲリラ雨(3時間で254㍉、5万人に避難指示)などは、地球温暖化による気候変動を連想させた。ゲリラ雨は金沢だけでなく全国的に猛威を振るっている。「自然からの警告」と受け止められるようになったのではないだろうか。

 ここで話はアメリカに飛ぶ。ピックアップトラックなど燃費性能が劣る大型車を中心に生産してきたビッグスリーは破綻が懸念され、公的支援を受けることになった。が、果たして蘇生できるのだろうか。低所得者に住宅ローンを組ませ、その債権を束にして証券化するといったサブプライムローンの行き詰まりがビッグスリーの経営にも影響を与えたかのようにいわれるが、それ以前から破綻の懸念は指摘されていた。ここ数年のアカデミー賞では、リムジンではなくハイブリッドの日本車でやって来てくるハリウッドスターが増えている。レオナルド・デカプリオはその代表選手だ。すでに、かっこよさの基準がアメリカでは崩れつつあったのだ。

 では、その日本車のシンボル、トヨタはどうか。確かに年の瀬に6000億円の黒字から1500億円の赤字決算の大幅修正があり、世界を驚かせた。トヨタの赤字の理由は「無理なグローバル化」にあったといわれている。世界各地に50近くもの工場を稼動させている。アメリカではピックアップトラックの生産販売もしている。ただ、トヨタの場合は2兆円ものキャッシュによる内部留保があり、ビッグスリーにように「赤字決算=経営危機」という図式にはならない。「売れる車」「つくるべき車」とそうでない車の選別作業と製造ラインの再構築が始まるのだろう。

 「レギュラー99円」。円独歩高の恩恵である。家計は助かるが、素直に喜べない背景を大晦日に考えてみた。さて新年。総選挙、経済不況とすべての案件が年越した。未来をあきらめてはいけない。これから社会の変革が始まる。ピンチはチャンスである。

⇒1日(祝)未明・金沢の天気  くもり

☆寝まり牛起きて猛進す

☆寝まり牛起きて猛進す

 これから世界を変えていくのは、おそらく「100年に一度」の経済不況だ。この状況は従来の価値観を崩し、イノベーションを起こす転機になるだろう。この変革は発想の転換をわれわれに迫る。都市集中から地域分散へ、化石燃料からバイオマスや太陽光などの新エネルギーへ、外需頼みから内需喚起へ、そしてグローバルな市場主義から地域経済主義へと発想の切り替えだ。面白いことに、さまざまな企業が農業参入を試み、そして農と商と工の連携を模索している。地域や里山や里海というフィールドに人々が再び復帰する。近い将来そんな日がくるかもしれない。

 「金沢大学の地域連携」の一年を振り返る。大きく三つある。一つは、能登半島に大きく展開したということ。二つには、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD-COP9、ボン)に参加し、石川県と国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットなどと連携して、COP10関連会議の誘致に向けて足がかりをつくったこと。三つ目として、里海とトキの研究事業に新たに着手できたということだ。

 一つ目の能登半島に展開するプログラムでは、「能登半島 里山里海自然学校」と「能登里山マイスター」養成プログラムに加え、大気観測・能登スーパーサイト(黄砂研究)のチームが能登学舎に仲間入りし、能登における環境研究は3本柱となった。このほかにも能登で展開する研究チームと協力体制をつくり、「能登オペレーティング・ユニット」といった学内機構化を目指すバックグラウンドができた。こうした研究プログラムを地域に紹介し理解と協力を得るため、11月から12月にかけて輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の4ヵ所で地区懇談会も開催した。あわせて190人の参加があり、援軍を得た喜びがあった。

 石川県と国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットとの関係構築も大きな一歩だ。2010年のCOP10では関連会議を誘致するが、それに先立って生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)のアハメド・ジョグラク事務局長を能登視察(9月16日、17日)に招待できた。1泊2日で能登を回ったジョグラフ氏は輪島市金蔵(かなくら)地区で棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神をここに見た」と高く評価したのだった。金蔵はいわゆる限界集落の村。それでもよき日本の里山の景観を維持し、自然と調和しバランスを保っている。

 これまで里山の生物多様性や保全活動などを通して地域とかかわってきたが、里海にも目を向けた。手始めは「七尾湾創生プロジェクト」(環境省の事業助成)。これも大学単体ではなく石川県、国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットなどと協働して進める。来年2月22日には環境省などとシンポジウムを開催する段取り。また、トキの分散飼育地に石川県、島根県出雲市、新潟県長岡市の3ヵ所が選ばれた(12月19日)。石川県能美市の「いしかわ動物園」に来年度、2つがい4羽のトキがやってくる。中村浩二教授が研究代表となり、トキが能登で生息するための生態学的な調査、地域合意形成のための調査を県からの委託で始めている。能登は本州最後の1羽のトキがいた場所だ。「まだ、生態学的な環境は十分残されている」と中村教授は強調する。環境に配慮した農林業が広まることでトキが生息する環境は再生できる。「トキが再び能登の空を舞う」をキーコンセプトに地域との連携を図っていく。

 来年は「能登半島における里山里海復権と持続可能型の地域再生」をさらに追求していきたい。この復権という意味合いはそこで人の生業(なりわい)が成立する、端的にいえばビジネスができるということである。われわれはよく「自然との共生」を口にする。が、目指すべきはむしろ「自然との調和と活用」だろう。活用しなくなったから里山や里海が荒れた。つまり自然が持つ価値が失われた。もう一度、そこに価値を見出すことが必要になってきた。それが復権への行程の一歩だ。

 「寝まり牛」は起きて猛進する…。新年をそんなダイナミックな変革の年にしたい。文章は少々粗いが、備忘録として書いた。

※写真は、伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」(小松市)で展示されている牛をモチーフにした竹細工

⇒31日(水)朝・金沢の天気   あめ

☆旅館的ホスピタリティ

☆旅館的ホスピタリティ

   年の瀬のちょっとした休日を利用して加賀市の山代温泉へ家族旅行に出かけた。冬の料理は彩りが鮮やかだ。「香箱蟹 琥珀ゼリー」(ズワイガニのメスの剥き身と二杯酢のぜリー固め)=写真=から始まって、「寒鰤山椒焼 焼大根」「鯛の白山蒸し」「ずわい蟹宝楽焼」など海幸が豊かだ。ズワイガニの甲羅に熱燗を入れて「甲羅酒」としゃれ込んだ。

  食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。

  あえのことで、もてなす相手は「田の神」である。神社で執り行うのではなく、それぞれの農家が毎年12月5日と2月9日に行う。この日、羽織袴の主(あるじ)は襟をただして田の神をお迎えし、そしてお見送りする。ここで読者のみなさんは「田舎の農耕儀礼をなんでわざわざユネスコの無形文化遺産に」と思うかもしれない。でも、ここからが見所なのである。実は田の神は稲穂で目を傷め不自由であるとの設定になっている。まず、田に出迎えに行き、その家に田の神を招き入れる。敷居が少々高ければ、「お気をつけください、敷居が高くなっておりますので・・・」と、田の神が転ばぬように配慮しながら案内して進む。

  家の中ではまず座敷に上がって一服していただく。お風呂に入ってもらい、ご馳走を召し上がっていただくという手順になる。食前に甘酒、煮しめ、ブリの刺身、酢の物など能登の山海の幸が並ぶ。料理は二の膳、三の膳の献立をすべて口頭で判りやすく、そしてどの料理がどの位置にあるかきちんと説明する。主は自ら目が不自由だと仮定して、イマジネーションを働かせながら田の神をもてなすのである。ここが形式化した儀礼とは決定的に違うところなのだ。相手の身になって、自らの感性でもてなす。傍から見ればジェスチャーだ。言葉や所作に手を抜けば単なる田舎芝居に見える。が、磨きがかかったもてなしを演じ切れば名優のごとく、どこに出しても恥ずかしくない。見ていてすがすがしい。

  稲作や農業に感謝の気持ちが薄れつつある昨今、あえのことの後継者も減り、伝承農家は十指に足りぬほどになった。しかし、千年も続いているといわれるあえのことの精神・文化は風土としてこの地に染み渡っている。「能登はやさしや土までも」。能登を訪れ人々と語らうと、食も心も和むのだ。

⇒27日(土)午前・加賀市の天気  あめ 

★竹で復元、内灘砂丘

★竹で復元、内灘砂丘

 整備された竹林にはすがすがしさを感じる。日本人のメンタリティに合う。しかし、薮(やぶ)と化した竹林は手の施しようがない。はやり切るしかない。今回は竹を利用した取り組みを紹介する。

  金沢大学地域連携推進センターが主催する「金沢大学タウン・ミーティング in 内灘」が12月20日、内灘町役場で開催された。金沢大学はタウン・ミーティングを平成14年度からこれまで石川県内7地区(輪島市、加賀市、鶴来町、珠洲市、能登町、羽咋市、穴水町)で開催しており、今回で8回目.。地域からの話題提供の中で、内灘町のボランティア団体「クリーンビーチ内灘作戦」代表の野村輝久さんが「内灘砂丘を蘇らせる」と題して、角間の里山から切り出したモウソウチクを利用した砂丘の復元運動を紹介した。

  内灘海岸は砂が盛り上がった砂丘で有名だが、最近は平らな砂浜になりつつある。そこで砂丘を復元しようと野村さんたちが取り組んでいるのが里山でやっかい者となった竹の利用だ。ことし2月、内灘のボランティアの人たちが100本ほど竹を切り出した。150センチほどに切りそろえ、さらに竹を割って、砂丘地に垣根をつくった。砂丘地につくる竹垣のことを地元では静砂垣(せいさがき)と呼ぶ。

  当初の予定では、砂はゆっくりと3年ほどかけてたまっていくだろうと予想していたが、今年設置した静砂垣はかなり埋まり、一部ではすでに砂丘ができ、美しい風紋が描かれていた=写真=。3年間で1キロメートルの静砂垣を作るこの計画。角間の里山自然学校だけでなく石川工業高等専門学校やいしかわフォレストサポーター会、河北森林(もり)づくりの会などとも協力体制がスタートしており、活動の輪がどんどん拡がっている。さらにクリーンビーチ内灘作戦の皆さんは伐採しても竹垣に使えない部分をチップ化し、河北潟の水質浄化や肥料としての利用も考えているようだ。

  写真家でもある野村さんは「風紋のある砂丘の景観こそ内灘のシンポル。復元活動を続けて生きたい」と話をしめくくった。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   あめ  

☆「それでも地球は動く」

☆「それでも地球は動く」

 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に登録されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、この教会の聖堂には「近代科学者の父」と呼ばれるガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。写真は2006年1月にサンタ・クローチェ教会を訪れたときに撮影したガレリオ・ガリレイの墓である。この偉人の棺の上には望遠鏡を持ち、空を仰ぐ大理石の胸像が配置されている。カトリック教会から異端者として審問にかけられ、自説を取り消さなかったため、軟禁され8年後にこの世を去った(1642年)。裁判の後、ガリレオはつぶやいたという。「それでも地球は動く」

 けさ(23日)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。記事を一瞥しただけでは、これまでローマ法王庁は地動説を認めてこなかったのかと勘違いするが、そうではない。1992年に前の法王ヨハネ・パウロ2世が、1633年に有罪とした宗教裁判の非を認め謝罪している。では、なぜベネディクト16世が地動説を認めたことがニュースになったのか。ことし1月17日、ベネディクト16世はイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学で記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言していたことを問題視する学生が大学を占拠するという騒ぎがあり、講演は中止になった。それ以降、べネディクト16世がいつ地動説を認めるのかということにメディアが注目していたというわけだ。

 記事によると、ベネディクト16世は21日、ローマ法王庁で信者らを前に、ガレリオについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」「ガレリオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と述べた。ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのはこれが初めてという。

 話はガレリオ裁判に戻る。1633年の裁判は2度目だった。容疑は1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って「天文対話」を発刊したというものだった。判決は終身刑、その後、軟禁に減刑されたが、死後も名誉は回復されずにカトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公が、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、トスカーナ大公の願いがかなったのはガレリオの死後95年たった1737年のこと。埋葬は冒頭で紹介したサンタ・クローチェ教会の聖堂で行われた。

 以前の自在コラムで「科学には『常識』がない」との尾関章氏(朝日新聞論説副主幹)の言葉を引用させてもらった。時代の支配者が常識をつくる。科学はその常識を打ち破る。「それでも地球は動く」と自説を曲げない不屈の精神が時代を変えていく。一つの記事からそんなことを考えた。

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