⇒トピック往来

★漆黒の地球に浮かぶ金の明かり 輪島塗「夜の地球」を大阪万博で展示へ

★漆黒の地球に浮かぶ金の明かり 輪島塗「夜の地球」を大阪万博で展示へ

  「漆黒」という言葉がある。真っ暗な状態を「漆黒の闇」と表現したりする。もともと漆で塗られた盆や椀などのつやのある黒さを表現する。その漆黒をベースに地球に見立てて制作された輪島塗作品がある。作品名は「夜の地球 Earth at Night」。この作品が大阪・関西万博(4月13日-10月13日)で展示されるとニュースで知り、おととい(23日)輪島市へ見学に行ってきた。

  作品は石川県輪島漆芸美術館で常設展示されている。同美術館は世界で唯一の漆芸専門の美術館で、輪島塗の伝統的な名品をはじめ、人間国宝や芸術院会員などの作品、アジアの漆芸作品なども所蔵している。「夜の地球」は正面入り口左側エントランスホールの特別展示室で公開されていた。高さ1.5㍍、重さ200㌔にも及ぶ地球儀。球体そのものは直径1㍍で、漆黒の地球に光るのは蒔絵や沈金で加飾され金粉や金箔で彩られた夜の明かりだ。地球儀そのももは直径1㍍で、周囲には東京、北京、ロンドン、ニューヨークの4都市の夜景パネルもある。輪島塗の漆黒と金の輝きの技で表現された宇宙に浮かぶ夜の地球、この幻想的な姿にロマンを感じたのは自身だけだろうか。(※写真は高さ1.5㍍の輪島塗地球儀。後ろの作品は画面右がニューヨーク、左はロンドンの夜景パネル=同館のポストカードより)

  「夜の地球」のパンフレットとビデオには製造工程が詳しく解説されている。制作は木地を作るところから加飾まで輪島塗技術保存会の職人37人が集まり、5年がかりで仕上げた。保存会会長の小森邦衛氏(髹漆の人間国宝)が陣頭指揮を執った。そもそも地球儀をつくるきっかけは、輪島市役所から「ふるさと納税」の寄付金で、輪島塗のブランド力を高める象徴的な作品を制作してほしいとの依頼だった。保存会で議論し、かつて創られたことがない、制作に困難なもの、国内外に通じる普遍性などをテーマに議論して地球儀をつくることになった。保存会では佐賀県武雄市を訪ね、同市に伝わる18世紀のオランダ製の地球儀を基に設計した。

  ビデオには球体の制作から始まる製造工程が紹介されている。材料は能登産のアテ(能登ヒバ)。薄板を曲げて接着し乾かす作業を繰り返し、大小295本の輪を6つのブロックに組む。それをろくろびきの技術者が丸く削り、中心軸に通して真球をつくる。球体に下地や中塗りを施した後、2回にわたり熱を加える。加熱すれば内側と外側の温度差や収縮が生じ、特殊な構造が壊れるリスクもあった。担当者は木材の乾燥施設で、状態を確かめながら数日かけて施設内の温度を最大70度まで上げ、球体を硬めた。仕上げは蒔絵と沈金。その表現には作り手の個性が出るものの、今回は試作を繰り返し、互いが歩み寄ることで統一感のある作品にたどり着いた。

  2022年春から輪島漆芸美術館に展示。去年元日の能登半島地震で美術館の展示用ガラスケースが割れるなどしたが、地球儀は数㌢動いたものの作品そのものに被害はなかった。ビデオで小森氏は「この地球儀は平和な世界になってほしいという思いを込めて制作した」とメッセージを発している。

⇒25日(土)夜・金沢の天気    あめ

☆能登震災をデジタルアーカイブに 復興へつなぐ「防災教育に」「未来へ」

☆能登震災をデジタルアーカイブに 復興へつなぐ「防災教育に」「未来へ」

  去年元日の能登半島地震と9月の記録的な大雨による避難者は合わせて145人(地震14人、豪雨131人)となっている(1月21日時点・石川県危機対策課調べ)。去年2月末の避難者は1万1400人余りだったが、その後に仮設住宅への入居も始まり、数はずいぶんと減った。そして公費解体なども進み、徐々にではあるが被災地の風景が変わりつつある。一方で思うのは災害の記憶の風化という現実だ。

  たとえば、新聞・テレビメディアによる被災地に関する報道の扱い。ことし元日には「あれから1年」の特集や特番があったが、それ以降は能登地震に関連する記事の扱いが小さく、そして掲載頻度も少なくなっているようにも思えるのだ。もちろん、地元メディアは連日のようにそれなりの扱いで報じているが。全国ニュースはいわゆる「トランプ2.0」に注がれていて、能登地震に対する日本人の記憶はこのまま薄れていくのではないか。

  そんな中で能登地震を映像や画像で残して将来につなげようという動きも出ている。地元メディア各社の報道(1月22日付)によると、被害やその後の復興の様子について、画像などで記録する「デジタルアーカイブ」のホームページが公開されているという内容だ。さっそくサイトをチェックした。「のと・きろくとまなびと」と名付けられたデジタルアーカイブだ。金沢大学の研究者などでつくる一般社団法人「能登里海教育研究所」(石川県能登町)がホームページで公開している=写真・上=。研究員や地域の人などが撮影した写真があわせて35点あり、撮影した日付のほか場所が地図で示されている。

  見る側のサイドに立った工夫もされていて、たとえば発災当時とその後の様子が比較できるようになっているものもある。能登町小木地区の九十九湾沿いの写真は、地震の翌日に撮影されたものと11ヵ月後に撮影されたものが掲載されていて、比較できるようになっている。直後の画像には陥没した海岸線に車が何台も落ちている様子がリアルに映っていて=写真・下=、自身も見るのが初めてだった。このほか、ドローンで被災地の様子を撮影した写真などもある。今後も随時、写真や動画などを増やしていくようだ。

  このデジタルアーカイブをつくった狙いはタイトルにある「まなび」から分かるように、掲載された画像を学校での防災教育などで活用してもらうことを想定していて、申請などの手続きもなく、ダウンロードして利用できる。教育研究所らしい発想でつくられたものだ。

  こうした動きに触発されたのか、石川県もデジタルアーカイブに動いている。馳知事はきのう(23日)県庁での記者会見で、地震と豪雨の被災状況や復旧の記録を残す写真や映像、文書などの資料を2万点を収集していると説明。デジタルアーカイブとして今月29日にまず500点、年度内(3月末まで)に追加で500点を公開する。馳知事は「震災の経験と記憶を記録し、未来へつなげたい」と語っていた。

  能登地震の被災状況を未来につなげたい、学校教育に活かしてほしい、さまざまな想いを込めたデジタルアーカイブが動き出している。多様な視点でこの災害を人々の記憶にとどめるツールとしてさらに広まってほしい。

⇒24日(金)午後・金沢の天気    はれ

☆気候変動対策「パリ協定」さっそく離脱 「トランプ様が戻ってきた」

☆気候変動対策「パリ協定」さっそく離脱 「トランプ様が戻ってきた」

  トランプ氏がアメリカ大統領に就任し、ホワイトハウスに入ったとのニュースが流れていたので、ホワイトハウス公式サイトをチェックする。すると、トップページは「AMERICA  IS  BACK」のタイトルで左手で指さすトランプ氏の得意のポーズが映っていた=写真=。この公式サイトを含めホワイトハウスの模様替えが大変だったようだ。メディア各社の報道によると、前任のバイデン氏の退去からトランプ氏の入居までのタイムラグは6時間で、その間にすべての部屋を掃除し、新たな主(あるじ)が好む執務室にしつらえ、好みのカーテンや家具をそろえ、お気に入りのシャンプーや歯ブラシまで用意したようだ。まさに、「AMERICA  IS  BACK」は「トランプ様が戻ってきた」と読める。

  そのホワイトハウスでのトランプ大統領の初仕事の一つが、気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」から再び離脱すると発表し、大統領令に即日署名したことだった。パリ協定は2015年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で採択され、「産業革命前からの気温上昇を1.5度以内に抑える」という目標を掲げている。トランプ大統領は就任演説で「中国が平気で汚染を続けているのに、アメリカが自国の産業を妨害することはしない」と説明し、「不公平で一方的なパリ協定から即時離脱する」と宣言したのだった。第1次トランプ政権の2020年にパリ協定から離脱したが、2021年に就任したバイデン前大統領が初日に復帰。トランプ氏は大統領選でエネルギー開発の推進のため再離脱すると公約に掲げ勝利した経緯がある。

  EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」は、2024年の世界の平均気温は初めてパリ協定の基準を超えて1.6度高くなったと発表した。徐々に進む気候変動はアメリカにも大きな被害をもたらしているとの指摘もある。今月中旬に発生したカリフォルニア州ロサンゼルス周辺の大規模な山火事について、NOAA(アメリカ海洋大気局)は「気温の上昇、干ばつの長期化、乾燥した大気などの気候変動が、アメリカ西部の山火事の危険性と範囲を増す重要な要因となっている」と述べている(1月14日付・BBCニュースWeb版日本語)。  

  この山火事について、トランプ氏はこれまでSNSなどでカリフォルニア州の知事(民主党)の不手際で被害が拡大していると、「知事の責任」を印象付けるかのように強調していた(同・読売新聞Web版)。本来なら大統領として山火事について気候変動の側面からも取り組むべきで、パリ協定と真摯に向き合うべきだと思うのだが。次に火の粉をかぶるのは自身ではないだろうか。

⇒21日(火)午前・金沢の天気     はれ

★能登の文化遺産の保護訴え 世界に広げるレジリエンス支援の輪

★能登の文化遺産の保護訴え 世界に広げるレジリエンス支援の輪

  歴史的建造物などの保存に取り組むアメリカの非営利団体「ワールド・モニュメント財団」(WMF・本部ニューヨーク)は16日付の公式サイトで、緊急に保存や修復が求められる「ウオッチ」(2025年版)のリストに能登半島地震で被災した能登地域の文化遺産を掲載している。その主旨をこう説明している。

「After a devastating earthquake in January 2024, restoring historic buildings in this hard-hit region can spur cultural, social, and economic recovery. Inclusion on the 2025 Watch will support the Noto Peninsula Heritage Sites’ transformation into a model for community resilience.」(意訳:2024年1月に発生した壊滅的な地震の後、この大きな被害を受けた地域の歴史的建造物を修復することで、文化的、社会的、経済的回復に拍車をかけることができます。ウオッチ2025への掲載は、能登半島の遺産がコミュニティのレジリエンスのモデルへと変貌するのを支援するものです)

  ウオッチ2025では世界各地の25の文化遺産に支援が必要と訴えていて、「Noto Peninsula Heritage Sites, Japan」はその一つ。能登のページに掲載している写真は、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている輪島市門前町の黒島地区。被災した古民家が崩れかけている。黒島地区は江戸時代に北前船船主が集住した地区で、貞享元年(1684)に幕府の天領(直轄地)となるなど歴史ある街だ。幕府から立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝い始まった祭礼とされる「黒島天領祭」(8月17、18日)は連綿と続いていて、自身が大学の教員時代に学生たちを連れて何度も祭りに参加した。

  元日の震災後、現地を見たのは去年2月5日だった。黒島の中心にあった旧・角海家住宅(国の重要文化財)などは全壊の状態だった。かつて北前船が寄港した黒島の港は海岸が隆起して陸地となっていた。WMFが世界に呼びかけ、寄付金を募って危機にひんする能登の文化遺産を保護する支援するプロジェクトだ。被災地の文化遺産は時間とともにさらに劣化していく。世界に復興支援の輪が広がることを期待したい。

⇒17日(金)夜・金沢の天気     くもり

☆阪神淡路大震災から30年、能登地震1年 被災地との心のギャップどう埋める

☆阪神淡路大震災から30年、能登地震1年 被災地との心のギャップどう埋める

  「1995年1月17日」、いまから30年前のことだ。午前5時46分、金沢の自宅で睡眠中だったが、グラグラと揺れたので飛び起きた。テレビをつけると最大震度7に見舞われた神戸の悲惨な映像が映し出されていた。当時民放テレビ局の報道デスクで、着の身着のままで出勤した。テレビ朝日の系列局だったので、同じ系列のABC朝日放送(大阪)に記者とカメラマンを応援に出すことを決め、取材クルーを現地に向かわせた。見送りながら、無事を祈ると同時に、日本の安全神話が崩壊したような無念さが込み上げてきたことを今でも覚えている。「いよいよ日本沈没か」と。

  この阪神淡路大震災をきっかけにテレビ局系列の研修会や仲間内での勉強会で災害報道の在り様について議論するようになった。キーワードは2つ、「風化」と「既視感」だった。テレビ局の役割として、この震災を風化させてはならない。ニュース特集やドキュメンタリー番組などを通じて、復興の問題点など含めて取り上げて行こうという主旨の発言が相次ぎ、研修会は熱くなった。(※写真は、黒煙が上がる阪神淡路大震災の災害の様子=写真提供・神戸市役所)

  一方で既視感という、視聴者や読者が有するハードルについても議論になった。「いつもいつも同じ映像シーンを流している」「以前に視聴した番組と同じ」「以前どこかで読んだ記事」などと、視聴者や読者から指摘されることをメディアは嫌がる。なので、新たな映像や、これまでとは別の視点でのニュース特集や番組に取り組むことになり、ディレクターや記者、カメラマンは懸命になった。が、時間の経過とともにネタ切れとなり限界も見えてきた。

  この風化と既視感は情報化社会の特性のようにも指摘されることがあるが、むしろ人間の特性だとの指摘は昔からあった。266年も前にイギリスの経済学者アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。日本人に限らず、災害に対する人々の心の風化や記憶の風化は人としての自然な心の営みと説いている。18世紀中ごろのイギリスはまさに産業革命のただなかで、都市部への人口集中や資本家と労働者の対立など激動の世紀の中で、平静さを求める人々の心情を読み解いたのだろうか。

  ただ、被災地の人々の心情は変わらない。「忘れてほしくない」という言葉に尽きるだろう。被災地の復旧や復興は一般に思われているほど簡単には進まない。最近では、被災者への「共感」、あるいは「意識の共有」という言葉がよく使われるようになってきた。また、クラウドファンディングというネットを通じた支援もあるが、被災地の人々と一般の人々の意識のギャップをどうしたら埋めることができるのか。阪神淡路大震災から30年、能登半島地震から1年、いろいろと考えさせられる。

⇒14日(火)夜・金沢の天気     あめ

★能登・二重被災地の冬景色~下~

★能登・二重被災地の冬景色~下~

  輪島市を巡ると去年元日の能登地震(同市で最大震度7)、そして9月の奥能登豪雨(同48時間で499㍉)の爪痕がいたるところで見えてくる。輪島漁港に近い丘の中腹にある住宅街では、倒壊した民家が駐車場の車に覆いかぶさっている現場があった=写真・上=。周辺の家々も軒並み全半壊の状態だった。現場とすぐ横の同市鳳至町では震度6強が観測されている。震度7の地区を含め同市全体では181人が亡くなり(関連死80人含む)、住家6237棟が全半壊となった(2025年1月7日時点・県危機対策課調べ)。

  復旧道半ばも復興プロジェクト始動へ 雪と波と雲の白さが醸す風景 

  240棟が焼け、東京ドームの広さに匹敵すると広さといわれる4万9000平方㍍が焼失した朝市通りの周辺地域。ここは公費解体による撤去作業がほとんど終わっていた。復旧・復興に向けて動きも始まっている。地元メディアの報道によると、震災からの復興計画を進めている行政の復興まちづくり計画検討委員会は先月20日に計画案をとりまとめ、市長に提出した。目玉となるプロジェクトに「朝市通り周辺再生」を掲げ、商店街や住まいの共生を目指して市街地整備を行う。行政は市民から意見を求め、ことし2月中に正式決定する。復興は10年計画で、上下水道などのインフラ整備などを進める「復旧期」、朝市通り周辺の新たな街づくりを進める「再生期」、地域資源を活用した新たな観光や産業を創出する「創造期」を段階的に定め、復興プロジェクトを推進していくという。

  この検討委員会には地元の若手経営者らも出席し、朝市通りの「にぎわい創出」の提案を行っている。市内外の新たな事業者を受け入れる賃貸型店舗を整備することや、建物の高さや色に制限を設け朝市通りの外観を統一すること、海産物の共同加工場を併設した公設市場を整備することなどを要望している。じつに具体的なプランではないだろうか。

  朝市通りをめぐって、海岸線に向かった。袖ヶ浜は例年夏になるとキャンパーでにぎわうところだ。今回、面白い景色に気が付いた。雪が積もった砂浜は白く、そこに打ち寄せる冬の波は白波だ。そして、海の向こうには白雲が覆っている。陸と海と空が 一体となった「白銀の風景」のように感じた。

⇒11日(土)夕・金沢の天気    くもり

☆能登・二重被災地の冬景色~中~

☆能登・二重被災地の冬景色~中~

  強い冬型の気圧配置の影響できょうも北陸など日本海側で雪が積もりそうだ。午後6時までに予想される降雪量は多いところで石川県加賀地方で20-30㌢、能登地方30-40㌢となっている(気象庁)。前回ブログで取り上げた金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の大雪では、道路を管理する国交省が昨夜午後9時から一部26㌔を通行止めとして集中除雪を行うようだ(地元メディアの報道)。ただ、地震で損壊した道路は車が通れるようになったものの、左右や上下の蛇行状態になっていて除雪もそう簡単ではないかもしれない。

   降雪の中で進む「豪雨仮設」の建築作業 テント村でくつろぎ 

  きのう見て回った二重被災地・輪島市の積雪の様子の続き。雪のため住宅などの公費解体の現場では作業を中止しているところが多くあった。逆に、作業があわただしく行われている現場もあった。同市杉平町でアパートのような木造2階建ての建築が進められていた。数えると12棟ある。工事看板を見ると、「西ノ草仮設住宅」とある。西ノ草はこのあたりの地名だ。そこで、現場を見守っていた作業スタッフに「雪の中たいへんですね」とさりげなく尋ねると、「能登豪雨の仮設住宅です」と答えてくれた。工事看板をさらに見ると、完成が「2月下旬」とあるので、あと50日ほどだ。着手したばかりの現場もあり、作業をはやく進めなければとの緊張感が現場に漂っていた。

  石川県危機対策課のまとめによると、9月の奥能登豪雨で輪島市、珠洲市、能登町を中心に1600棟余りの住宅が全半壊や床下・床上浸水の被害を受け、現在も140人が避難所での生活を送っている(10月7日時点)。さらに、豪雨で金沢などへ移った家族なども多くいるとみられることから、輪島市と珠洲市では「豪雨仮設」の設置を進めている。県の資料によると、輪島市では上記の西ノ草仮設住宅を含め4ヵ所で264戸、珠洲市では1ヵ所22戸、合わせて286戸の設置を準備している。

  輪島の市街地を抜けて千枚田の方向に向けて走行すると、「テント村」のようなものが見えてきた。旧「深見小学校」の校庭にインスタントハウスが8棟=写真・下=。中をちらりとのぞくと、畳が敷かれ、ダンボールベッドがあった。公費解体の作業員やボランティアらしき人たちが出入りしていた。地域の人たちが旧小学校と校庭のインスタントハウスを使って宿泊施設としていて、夕朝食もあるのようだ。テント村の近くには仮設の「居酒屋」もあった。近くにある「ねぶた温泉」という民間施設もことし7月から日帰り入浴を再開している。車の気温計に目をやると外気温は1度だ。体を温める方法はいくつかありそうだ。

⇒10日(金)午後・金沢の天気   くもり

★能登・二重被災地の冬景色~上~

★能登・二重被災地の冬景色~上~

  積雪は5㌢ほどだったが、けさ今季初めての「雪すかし」をした。水分を含んだザラザラの雪だったのでスコップを地面にあててそのまま側溝に持っていく。「雪すかし」は「雪かき」のことで、同じ北陸でもいろいろな言い方がある。そして、雪の状態によって、「すかし」方が異なる。これは雪文化なのだろうか。

   大雪で雪崩が懸念の土砂崩れ現場 仮設住宅も通路が確保できるか

  奥能登では平地で20㌢余り積もっているとニュースで知って、去年元日の能登地震、そして9月の奥能登豪雨の被災地はどうなっているのかと思い、きょう現地の様子を見に、二重被害が大きかった輪島市に向かった。金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」は多いところで30㌢ほどの積雪だった。路面は除雪されていたが、道路の両サイドが雪で覆われていて=写真・上=、時折吹く強風でその雪が車のフロントガラスに吹き付ける。

  輪島市街地の入り口に当たる熊野トンネル周辺では地震による土砂崩れが起きた。このため、落石から通行する車を守る屋根「プロテクター」が設置されている。プロテクターの上をよく見ると、土砂崩れの跡がスコップの底のようにわん曲になっていて=写真・中=、今後さらに雪が積もると雪崩が発生し、道路を塞ぐのではないだろうかと案じた。

  さらに進み、市街地の手前にある河原田小学校グラウンドの仮設住宅(44戸)に行くと、20㌢ほどの積雪だった=写真・下=。住宅と住宅の間隔が2.5㍍ほどあり、この程度の雪だったら住宅の出入りに問題はなさそうだ。が、1㍍くらいの大雪になるとどのように除雪すればよいのか。小型除雪車は入れるかどうか。さらに雪捨て場をどこに設定すればよいか。他人事ながら心配になる。

  金沢地方気象台によると、あす10日にかけて警報級の大雪となる恐れもあるとして交通障害などへの警戒を求めている。輪島市内をめぐったが、積雪による二次災害を案じてか、全半壊の住宅などの公費解体の作業がストップしているところもあった。

⇒9日(木)夜・金沢の天気    くもり  

☆2025能登レジリエンス元年~⑦

☆2025能登レジリエンス元年~⑦

  去年元日の能登地震の被災地にさまざまな復興支援の手が差し伸べられている。地元メディアの報道をチェックしていて、「これは効果がありそう」と思ったのが、東京国立博物館が都内の博物館や美術館に呼びかけて企画している展覧会「ひと、能登、アート」=写真・上=。この企画に賛同する20余りの各館が文化財などを自ら選んで展示する。雪舟の水墨画「秋冬山水図」(国宝)や黒田清輝の洋画「湖畔」(重文)、菱川師宣の肉筆画「見返り美人図」などそうそうたる名品100点余りが展示されるようだ。

   美術・文化財で復興支援 等伯「松林図屏風」も能登に里帰り

  展覧会場は石川県立美術館(11月15日-12月21日)、金沢21世紀美術館(12月13日-来年3月1日)、国立工芸館(12月9日-来年3月1日)で、金沢での3ヵ所となる。展示品はそれぞれの会場で異なるので、一定期間(12月13-21日)では3ヵ所を見て回れる。収益の一部は被災者へ義援金として寄付される。東京国立博物館では「所蔵する文化財に復興への祈りを込めたメッセージを託す事業を実施します」と述べている(同館公式サイト「プレスリリース」より)。

  能登支援展の記事やプレスリリースを読んで気になったのは、東京国立博物館が所蔵している国宝、長谷川等伯の水墨画「松林図屏風」のことだ。織田信長や豊臣秀吉が名をはせた安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539-1610)は能登半島の七尾で生まれ育ち、33歳の時に妻子を連れて上洛。京都の本延寺本山のお抱え絵師となり創作活動に磨きをかけた。妻子を亡くし、等伯56歳のときに松林図屏風を描いたとされる。靄(もや)の中に浮かび上がるクロマツ林はいまも能登の浜辺でよく見かける風景だ。(※写真・下は国宝「松林図屏風」=国立文化財機構所蔵品統合検索システムより)

  記事によると、松林図屏風は能登半島の中ほどにある県七尾美術館(七尾市)で開催される今秋の特別展で展示される、とある。しかし、特別展なのに開催期日が明記されていない。さらに、能登唯一の総合美術館であるにもかかわらず、なぜここで展覧会「ひと、能登、アート」が開催されないのかと疑問に思った。そこできょう午前中、県七尾美術館に特別展の開催期日について電話で問い合わせた。すると、以下の返事だった。「震災で建物と設備が被害を受けており、臨時休館がいまも続いています。秋までには修復が完了すると思いますので、めどが立ち次第、開催期日をホームページなどでお知らせします」と。被害がなければ、おそらく七尾美術館が展覧会の中心だったに違いない。

  自身が等伯の松林図屏風を初めて鑑賞したのは2005年の県七尾美術館開館10周年の特別展だった。あれから20年。等伯が心に残る能登の風景を描いた傑作が古里帰りしてくる。またぜひ見てみたい。

⇒8日(水)夜・金沢の天気    ゆき時々くもり

★2025能登レジリエンス元年~⑥

★2025能登レジリエンス元年~⑥

  石川県の馳知事はきのう(6日)の年頭会見=写真=で能登復興に向けた施策を発表した(石川県公式サイト)。「創造的復興の始動」をテーマに7つの項目を挙げている。「1. 能登駅伝の復活」「2. いしかわサテライトキャンパスの拡充」「3. 輪島塗の創造的復興に向けた官・民・産地共同プロジェクト」「4. 県内高校生を対象とした能登で学ぶ防災学習」「5. のとSDGsトレイル(仮称)」「6. 見附島のバーチャル復元」「7. 輪島港、飯田港の機能強化」。そのうちの「能登駅伝」と「輪島塗」を取り上げ、レジリエンスに資するものなのか検証してみる。

   「能登駅伝の復活」 「輪島塗の次世代育成」    馳知事が示す復興ビジョン

  能登生まれの自身は「能登駅伝」という言葉は脳裏に浮かんでくる。昭和39年(1964)9月に国鉄能登線が半島先端まで全線開通したことから、能登に観光ブームが盛り上がった。さらに、同43年(1968)に能登半島国定公園が指定され、これを記念して1968年に始まったのが能登駅伝だった。名勝地を走る駅伝として、箱根駅伝や伊勢駅伝と並ぶ「学生三大駅伝」の一つとされていた。富山県高岡市を出発し、半島の尖端の珠洲市や輪島市などの海沿いを通って金沢市に至る26区間、342㌔を3日間かけてたすきをつなぐ行程だった。ただ、リアス式海岸の能登の道路はアップダウンが続き、当時は「日本一過酷な駅伝」とも称されていた。観光ブームでバスや乗用車の台数が急激に増えことなどから、1977年の第10回で終えていた。

  会見で馳知事は、2025年度に駅伝の運営体制やコースの策定、準備委員会を発足させ、数年後の開催を目指すとし、「能登のすばらしさを国内外に発信するとともに、復興の過程を知ってもらい、参加する学生が能登に関心を持ち続けるよう工夫を凝らしながら、記録より記憶に残る大会にしていきたい」と述べていた。問題は迂回路となっていたり、片側一車線となっている道路インフラの復旧だろう。さらに、震災で廃業が相次いでいるとされる宿泊施設をどう確保するのか。こうした課題を復興プロセスととらえてぜひ能登駅伝を実現してほしい。

  もう一つ注目したいのが輪島塗の復興プロジェクトだ。去年元日の震災で輪島市では多くの工房が被害に遭った。このため次世代を担う若手人材の流出が懸念されている。会見で馳知事は「輪島塗の伝統をつないでいくプロフェッショナルを養成したい」と述べ、2027年度の開設を目指して人材養成施設を同市に設置すると明言。40歳以下の若手を年間5人程度受け入れ、2年かけて輪島塗の制作に必要な技術を習得してもらう。修了生を雇用する輪島塗事業者には奨励金を3年間交付することも検討する。

  馳知事は「輪島塗の新たな世界を切り開いていきたい」とも述べ、漆芸技術に加え、工芸デザイナーらの講義をカリキュラムに組み込み、新商品の開発や販路開拓、そして海外発信のノウハウも学ぶ。輪島塗の新たな時代を担う人材育成に期待したい。

⇒7日(火)午後・金沢の天気   くもり時々あめ