⇒トピック往来

★GIAHS北京対話-上-

★GIAHS北京対話-上-

 中国・北京に来ている。この国際フォーラムのテーマが面白い。「Dialougue among agricultural civilization」。中国で開催されているので中国語訳は「農業文明之間的対話」となる。国連食糧農業機関(FAO)が主催する「GIAHS国際フォーラム」のことだ。やぶっからにローマ字が出てきて読みにくいが、GIAHSについては以前の「自在コラム」で書いた。

         里山イニシアティブとの相乗効果
 GIAHSは、Globally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS). 「世界農業遺産」とも呼ばれる「世界重要農業資産システム」のことだ。GIAHSは地域の環境を生かした伝統的な農法や、生物多様性が守られた土地利用システムを後世に残し、また世界に広めることを目的に、FAOが2002年に設立した。現在、世界遺産にも登録されているフィリピンのイフガオ州の棚田など8件が認定されている。

 昨年12月、先進国では初めて日本として、石川県能登半島の4市4町、それに新潟県佐渡市が同時に登録申請した。GIAHSは世界遺産の陰に隠れて目立たない存在だが、国連大学サステイナビリティと平和研究所などが生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、昨年10月、名古屋市)で注目された里山イニシアティブとの相乗効果を高めようと動いて日本の申請が実現した。

 フォーラムの討議はきのう9日から始まり、きょう午前、申請者の武元文平氏(石川県七尾市長)と高野宏一郎氏(新潟県佐渡市長)がそれぞれ能登と佐渡の農業を中心とした歴史や文化、将来展望などGIAHS申請の背景を英語で紹介した。その内容を要約する。能登の七尾市など4市4町は、1300年の歴史を持つため池と棚田の稲作、沿岸部での製塩技術などを「里山里海」「半農半漁」の生業(なりわい)、ユネスコの無形文化遺産として登録されている農耕儀礼「田の神をもてなすアエノコト」を申請書に盛り込んだ。武元氏は「能登の8つの市と町がいっしょになって農林水産業をベースとした持続可能な地域づくりを行いたい」「GIAHS認定を契機として先祖から引き継いだ生物多様性や自然環境を守り、新たな価値を創造して次世代につなげたい」と述べた。

 高野氏は、国際保護鳥トキの放鳥で減農薬の稲作農法が広まったことを紹介し、「トキの餌場となる水田が増え、農家は収入も増えた。生物多様性と農業のよい循環が起きている」とブランド化の成果を説明した。「トキを守ることは人間の生活の糧を守ることと位置づけたい」と生物多様性と農業の将来戦略を語った。

 会場からは、「エコツーリズムも盛んになり、よいことだが、人が都会から押し寄せ、環境破壊などが起こらないか」などの質問があった。きょう10日午後4時半からGIAHS認定に関する運営委員会があり、能登と佐渡の登録が承認される見込み。あす11日午前にも認証状の授与式がある。

※写真(下)は会場からの質問に答える武元七尾市長(左)と高野佐渡市長(右から3人目)

⇒10日(金)午後・北京の天気  くもり

☆日本を洗濯‐6‐

☆日本を洗濯‐6‐

 5月11日から3日間、宮城県の仙台市と気仙沼市を中心に取材した。5月11日は震災からちょうど2ヵ月にあたり、各地で亡くなった人たちを弔う慰霊の行事が営まれていた。気仙沼市役所にほど近い公園では、大漁旗を掲げた慰霊祭があった。大漁旗は港町・気仙沼のシンボルといわれる。震災では漁船もろとも大漁旗も多く流されドロまみれになっていたものを市民の有志が拾い集め、何度も洗濯して慰霊祭に掲げられた。この日は曇天だったが、色とりどりの大漁旗旗は大空に映えた。

          「想定外」という死語を使う愚

 その旗をよく見ると、「祝 大漁」の「祝」の文字を別の布で覆い、「祈」を書き入れたものも数枚あった=写真=。おそらく、市民有志がこの大漁旗の持ち主と話し合いの上で「祈 大漁」としたのであろう。漁船は使えず、漁に出たくとも出れない、せめて祈るしかない、あるいは亡き漁師仲間の冥福を祈ったのかもしれない。持ち主のそんな気持ちが伝わってきた。

 午後2時46分に黙とうが始まった。一瞬の静けさの中で、祈る人々のさまざま思いが交錯したに違いない。被災者ではない自分自身は周囲の様子を眺めそう思いやるしかなかった。1本100円の白菊の花を手向けた。メディアの取材もあった。慰霊祭の主催者へのインタビュー、NHKは中継を行っていた。取材が終わり、現場をさっさと引き揚げる記者とカメラマンが多い中で、2人の記者が祭壇に向かって手を合わせていた。取材者であり、当事者ではない記者が祈りをささげる光景というのはあまり見たことがない。「ひょっとしてこの記者たちも被災者なのかもしれない」との思いがよぎった。自然な祈りのような気がした。

 公園から港方向に緩い坂を下り、カーブを曲がると焼野原の光景が広がる。気仙沼は震災と津波、そして火災に見舞われた。漁船が焼け、町が燃え、津波に洗われガレキと化した街となっている。リアス式海岸の入り江であったため、勢いを増した津波が石油タンクを流し、数百トンものトロール漁船をも陸に押し上げた=写真=。以前見た関東大震災の写真とそっくりだ。「天変地異」という言葉が脳裏をよぎった。今回の地震と津波は「想定外だった」という言葉をメディアを通じてよく聞く。よく考えれば、1923年9月1日に関東大震災を経験しているわれわれ日本にとって、「想定外」という言葉は死語に近いようなものだった。100年の間に想定外が2度起こることはありうるのだろうか。自らの責任を回避するために使っている、あるいは使っていただけなのだ。

⇒7日(火)朝・金沢の天気   はれ

★日本を洗濯-5-

★日本を洗濯-5-

 「伝統なき創造は盲目的であり、創造なき伝統は空虚である」。昭和20年代の戦後の混乱期、文部大臣相をつとめた哲学者、天野貞祐(1884-1980)の言葉だ。敗戦でこれまでの価値が大きく変わり、人々は戸惑っていた。過激な思想や宗教が跳梁跋扈した時代だった。そのときに、天野は新しい時代を生き抜く行動のヒントとして冒頭の言葉を考えた。これは今という時代も貫ぬく。

        「日本は安全である」という勘違い

 前回のブログでも取り上げた、ユッケを食べた4人が死亡した焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件。肉の生食用に関して、料理人は表面をトリミングする(削る)、タタキのようにあぶるといった調理法を施してきた。これは、痛い目にあった経験を元に生をより安全に食べるという知恵、ないし工夫としてあみ出されたものだ。長くつとめた職人なら誰でも知っているようなトリミングの手法を、「食のベンチャー企業」と称する若い会社がコストカットしたことが原因だろう。また、腸管出血性大腸菌「O-111」が肉の卸側にあったのか、店側にあったのかという点が調査のポイントになっていて、責任のなすり合いの様相を呈している。が、最終的には提供した店側の問題であることは言うまでもない。新たな食の産業を興そうという若社長の志(こころざし)には敬服するが、「伝統なき創造は盲目的である」の言葉が一方で響く。

 老舗料理店がなぜ生き残ってきたかというと、味の良さのほかに調理法をきちんと守り、世間を騒がすような食中毒事件を過去起こしてこなかったという点に起因するのかもしれない。その老舗の信頼を揺るがせたのが「船場吉兆」事件だった。2007年に賞味期限切れや産地偽装問題が発覚し、翌年には客の食べ残し料理の使い回しが問題となった。結局廃業に追い込まれた。老舗が基本を忘れるとどのようになるかという見本のような事件だった。ちなみに、いま老舗と呼ばれる料理店が客足が減り次々と廃業に追い込まれている。時代ととともに人々の味覚や視覚は微妙に変化する。それを鋭敏に嗅ぎ取って料理のメニューや店構えに生かす「創造」というものがなければ、単なるカビた店に過ぎない。まさに、「創造なき伝統は空虚である」。

 戦後、日本人はその生真面目さで、生産現場でコスト(手間暇)をかけ、安全性と利便性を追及してきたらこそ、日本の安心安全は実現された。その時代がしばらく続き、いつのまにか「安全が当たり前」と人々は信じ込んでしまった。「価格が安いものは危ない」というのはひと昔前までは常識だった。ところが、われわれ消費者側もそうした経済的な価値判断をいつのまにか忘れてしまっている。「安いのは店の真心サービスだから」とか身勝手に想像してはいないだろうか。これを「平和ボケ」ならぬ、「安全ボケ」と呼ぶことにする。外国産は危ないが、「日本にあるものは安全」という勘違いが蔓延している。

 うがった見方だが、今回食中毒事件を起こした会社自体がこの安全ボケになっていなかっただろうか。「日本の卸会社の肉は大丈夫…」と。放射状汚染にしても、食中毒にしても、「見えない敵」と戦うことの難しさが露呈している。この世に絶対安全がない以上、コストをかけ忠実に安全への知恵を磨くこと、そしてそのサービスを受ける側は疑うことだろう。

⇒25日(水)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-4-

☆日本を洗濯-4-

 このブログで何度か紹介した畠山重篤氏の東京講演の情報が入った。気仙沼で森と海の連環に取り組んでこられた畠山さんが、森・里・海の連環、森づくりの循環、生物多様性、農林漁業の振興など多様な観点から震災復興と地域再生をテーマに話す予定。5月22日午後1時半から、国連大学 ウ・タント国際会議場(東京都渋谷区)で。

     「利益優先」「コスト削減」この言葉の呪縛    
 
 ブログのシリーズ「日本を洗濯」は、大震災を通して、あるいは日常から垣間見える日本の矛盾の断面を考えている。今回は「薄利多売」という経営を考える。北陸を中心に展開する焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」の砺波店で集団食中毒が発生し、生肉のユッケを食べた男の子(6歳)が4月29日、腸管出血性大腸菌「O-111」に感染して死亡した。福井市の同チェーン店でも食事をした未就学の男児がO-111に感染し、死亡しており、その関連性が報じられている。焼き肉チェーン店の食中毒は珍しくないが、死亡となると話は別だ。

 以下記事を拾ってみる。「焼肉酒家えびす」の20店舗に肉を卸販売している東京都板橋区の食肉販売業者は生食用の肉は扱っておらず、加熱用の肉を扱っていた。卸した肉の包装などにも生食用とは記載されていない。焼き肉チェーンを経営する金沢の会社も「生食用でないことはわかっていた」と認めた、という。つまり、生食用ではない肉をあえてユッケに仕立て商品として提供していたということになる。

 私自身このチェーン店を何度か利用したことがある。100円メニューが誘客のキャッチフレーズ。店構えを今風に派手に見せて、若い学生たちをアルバイトで安く使い利益を確保する、典型的な薄利多売の経営だと一目瞭然の店だ。日本一の焼き肉チェーンを目指し、昨年は横浜にも出店した。資本金は4000万円、売上は18億円(2010年3月期)、従業員数は正社員90人、パート・アルバイト400人。 社長は43歳の若さだが。今回の焼き肉チェーンの食中毒による死亡事故は、利益追求にひた走る「経営のきしみ」にも思える。もちろん、安全性に配慮しながら成功している焼き肉チェーンは全国にあまたある。

  翻って、今回の大震災による福島第1原発の事故を考えてみる。地震による津波で、外部からの電源と発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源の双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉の冷却機能が失われ、炉心溶解などで大量の放射能物質が放出された。この事故で初めて知ったのだが、原子炉が6基並んで建設されている。さらに2基が2013年度と14年度の稼動を目指して計画中だった。常時6000人の従業員が第1原発働いていた。

 うかがった見方をすれば、福島第1原発は「電力の安定供給」という言葉に名を借りた、東京電力の壮大な「コストカットの現場」と化していたのではないのか。原子炉事故のリスクを分散させるのではなく集中させ、人を大量に投入して安価な電力の生産現場を構築する。そこに見えるのは危機意識ではなく、コスト意識の構図ではないのか。東電が事故当初打ち出した「計画停電」はその裏腹である。電車を止め、信号機を止め東京を混乱に陥れた。東京大停電(ブラックアウト)になったらどうすると「脅し」をかけて家庭や事業所、病院に停電を強いた。これは本来、発想が逆だろう。ブラックアウトにならないように、コストをかけてでもリスクを分散させて、電力の安定供給策を取るのが公共の事業のあり方ではないのか。

 食の安心・安全や、電力の安定供給という基本を逸脱させた経営とは何だったのか。利益優先、コスト削減、こんな言葉に多くの経営者は呪縛されているのだろうか。

⇒1日(日)朝・金沢の天気   くもり

★日本を洗濯-3-

★日本を洗濯-3-

 節電ムードで夜がこれまでより薄暗くなった東京の街の印象を、知人がこう言った。「ようやくパリ並みになったじゃないか。これまでが明る過ぎたんだ」と。東京やニューヨークしかり、都市は膨張し輝度を競った。文明の象徴だった。今回は電力をテーマに考えてみる。

   、    「全国一斉」という発想を崩して見える可能性      

 石原東京都知事は、「節電」ではなく「無駄」を省けと主張している。そのヤリ玉に上げているのが自動販売機とパンチコ店だ。自動販売機は果たしてどこまで必要だろうかと問いたくなる。先日、能登半島の先端にある大学の施設に、ある飲料メーカーが自販機の設置を打診してきた。結局「近くに店があり、飲みたい人はそこで購入すればよい」との判断で設置を断った。空き缶の放置問題や、自販機そのものが原色で景観上もなじまい。一つ置けば、「当社も」と別の飲料メーカーも来るだろう。都知事の真意は、こうしてわずかな利益を競って不要不急のモノがはびこる日本の社会の悪しき断面を指摘したのだ、と考えている。

 話を「節電」に戻す。蓮舫・節電啓発担当大臣は「節約・倹約」を訴えている。しかし、今回の問題は節電よりむしろ「ピーク崩し」「集中排除」だろう。恐れられている東京のブラックアウト(停電)は、電力消費がピークに達した時であり、いくら節電を訴えても、ピーク時の電力消費量を抑えることができなければ意味がない。つまり、消費量が低い真夜中にあえて冷房を止めて寝苦しい思や、暖房を止めて寒い思いをしてまで節電する必要はない。もちろん節電するに越したことはないが、今回の問題の趣旨とは様相が異なる。

 個々の節電よりむしろ、政策的にどう電力消費のピーク崩しを行うかだろう。たとえば、最近は盆休みやゴールデンウイークの休暇日の選択の幅が広がり分散型となってきた。このため、JRの乗車率や高速道路の混雑も随分と平準化している。これに倣う。電力需要量は土曜と日曜、祝日が少ない。そこで、会社や製造業は週5日間を月曜から金曜の固定ではなく、土曜と日曜を取り込んだ選択制で操業し、電力需要を均(なら)すのである。つまり、「全国一斉」という発想を崩せば、電力消費量を抑えることができるのではないか。

 そもそも、電力需要のピークを生むのは「真夏のエアコン」だろう。そこで、消費電力が少ないエアコンや冷房効果を高めるペアガラス(複層ガラス)を導入する家庭はエコポイントをもらえるようにする。また、短期的には消費電力が少ないLED(発光ダイオード)照明を。長期的には電力網のスマートグリッド化は必要だ。電力の送配電網をIT化して、太陽光や風力発電を家庭や地域で生かしていく。こうした未来型の省エネの発想を政策として進めることだ。

 東西に長い日本では、真夏の電力消費は地域によってタイムラグがある。ところが、静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。そこで、東西の電力を接続し、電力会社がいつでも電力の貸し借りができる体制をつくるべきだろう。もちろん、相当の工事費用はかかることは想像に難くない。

 菅総理は4月1日の記者会見で「すばらしい東北、日本をつくる夢を持った計画を進めたい」と述べ、津波対策のために高台の住居から海沿いの事業所に通勤する都市構想を例示した。被災地だけでなく、この際、日本を再構築する発想と政策を具体的に提示すべきだ。

⇒26日(火)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-2-

☆日本を洗濯-2-

 震災で日々伝えられていることをつぶさに読み、視聴すると物事は大胆にスピーディにやった方が評価は高まる。「石原軍団」と称される石原プロモーション(渡哲也社長)が4月14日、東日本大震災で被災した宮城・石巻市を訪問し、大規模な炊き出しを行ったと報じられた。20日までの1週間分で、カレーやおでんなど1万5000食を被災者に振る舞った。トラックにして28台分に及ぶ。渡社長らは寝袋で泊まり込んだ。1995年の阪神・淡路大震災でも石原軍団が活躍した。

         情報発信に問題はないか、そのタイミングやネーミング

 「トモダチ作戦」と呼ばれる在日アメリカ軍による被災者の救援活動も印象に残る。沖縄の普天間基地から来たヘリコプターや貨物輸送機などが、物資を厚木基地から山形空港や東北沖にいる空母ロナルド・レーガンなどに輸送した。また、一時使用できなくなった仙台空港の瓦礫の撤去作業など行った。ロナルド・レーガンは原子力空母であり、平時だったらメディアでも問題視されいたことだろう。それを差し引いてもその迅速な救援活動は好印象で伝えられた。

 それにしても不思議に思うこと。それは当然やっているだろと思いつく人が行動を起こしていないことだ。甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市は民主党の小沢一郎元代表のかつての選挙地盤だった。その小沢氏が岩手入りしたのは3月28日だった。岩手県知事と会談した。それ以前もそれ以降も小沢氏の被災地にかかわる動きはメディアを通しては見えてこない。小沢氏の公式サイトをのぞいても、4月27日に予定していた「第62回小沢一郎政経フォーラム」の延期のお知らせ以外は、被災地での活動が記載されていない。

 日本相撲協会は3月24日と25日に東京都内で街頭募金活動をした。25日に上野の松坂屋前で募金箱を首からぶらさげた高見盛が「首が重い」と善意に感謝した様子がテレビで映し出されていたが、それ以外、力士が被災地で炊き出しを行ったというような大相撲協会の救援活動が見えてこない。力士には東北出身者も多いはずである。そのくらいのことは当然していると思ったのだが。

 物事にはタイミングというものがある。タイミングが悪いとあらぬ誤解を受けたりする。4月12日、日本政府は福島第1原子力発電所の事故評価をチェルノブイリと同等の「レベル7」に引き上げると発表した。当初は「レベル4」だと発表していた。ここに来て一気に「レベル7」に引き上げた。これが国内外に不信を招いた。「日本政府は原子炉について事実を公開していないのではないか」、「何らかの事故に対する隠蔽工作があったのではないか」・・・。結果的に、「やはり日本政府は隠していたのか」との不信を煽る結果になった。

 もう一つ、ネーミングの問題がある。地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と命名した。その後、日本政府は4月1日の閣議で震災の名称を「東日本大震災」とすることで了解した。新聞やテレビはこれ以降、「東日本大震災」の名称に統一した。政府とすれば、広範囲な名称で激甚災害の大きさを強調した方が今後復興に向けた取り組みで行いやすいと判断したようだ。ところが、これが海外からすると「日本の東半分は地震でやられた」との印象を与えている。今回の震災では原発事故とセットで被害を受けたとのイメージもあり、日本海側の東北地方や北海道などでも外国人旅行客が激減するなど風評被害が起きている。

 震災をめぐる一連の動きで感じるのは、情報の発信力やコミュニケーション能力の落差である。発表のタイミングや、情報の伝え方は誤解や過剰反応を生む原因にもなる。逆に、うまく伝えれば評価を上げたり、汚名返上にもなりうる。野球賭博や八百長問題があったとしても、大相撲協会は力士を被災地に派遣して、避難所でちゃんこ鍋の炊き出しなどの救援活動をすると喜ばれるのではないだろうか。

⇒24日(日)朝・金沢の天気  はれ 

★日本を洗濯-1-

★日本を洗濯-1-

 明治維新の立役者、坂本龍馬が姉の岡上乙女に宛てた文久3年(1863)6月29日付の手紙で「日本を今一度洗濯いたし申すことにすべきこと神願」と書いた。同月に起きた長州藩と、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強四国との間の武力衝突(下関攘夷戦争)について、幕府は列強の船を江戸で修復させ、再び下関に送り出していることを知り、「幕府側の腹黒い売国奸物官僚」の仕業と憤った。他国の武力を使って長州を成敗させるほどに幕府は腐敗していると感じ、「日本を洗濯」と述べたものだ。今回の東日本大震災を通して、日本の政治や経済のあり様がさまざまな矛盾というカタチで噴出し始めている。それをいくつか取り上げてみたい。この際、日本を洗濯しよう。

         外国人の帰国ラッシュから透ける「人を安使いする社会」

 震災後から始まった外国人の帰国ラッシュ。身近でも、能登半島の観光施設で働いていたアメリカ人女性が最近タイに移った。両親から勧められたらしい。「日本にいては危ない」と。悲惨な津波の様子や原発事故は世界中のテレビで繰り返し流れている。それを視聴すれば、普通の親だった日本にいる娘や息子の身を案じるだろう。まして、政府が帰国を勧めれば、在日外国人の日本脱出は当然の成り行きだ。ただ、そこから浮き上がってくる問題がある。

 たとえば、日本全国の繊維産業で中国から「研修生」と称する数万人規模の労働者がいる。3年の間研修と実習を行うが、研修というより現場になくてはならない労働力となっている。この労働者の大半が帰国し、ニットを中心とする縫製業の中小企業が操業がままならない状態に陥っているという。繊維産業以外でも、飲食店やコンビニなどがある。たとえば、牛丼の吉野家は14日の決算発表の会見で、首都圏で働く外国人アルバイトの4分の1に相当する約200人が退職したと明らかにした。これ以外にも、自動車部品業界でも多くの中国人ほか外国動労者が帰国したと報じられている。

 日本企業が安価な外国の労働力に頼り切っていた中で今回のようなことが起きた。もちろん、その背景には日本の若者が中小零細企業に見向きもしなくなっていたという状況もあるだろう。一方で高校、大学の就職は「超氷河期」と呼ばれている現実がある。細かな理由はどうあれ大きな矛盾、ひずみが生じている。

 日本を脱出している外国人の多くは正社員ではなく、アルバイトである。能登半島で働いていた女性もパートだった。報道では、コンビニのローソンでは、中国に帰国した正社員は1人もいなかったものの、アルバイトに関しては急きょ、人材派遣会社を通じて日本人のアルバイトを補填したという。ここから見えてくるのは、日本企業は研修生やアルバイト、パートとった労働力を安易に使っているから、外国人も不安定な研修生やアルバイトには見切るをつける。つまり、外国人が逃げたのではなく、見切りをつけられたのだ。これは外国人だけに限らない。日本の派遣労働にも通じる。労働形態の多様性はあるべきだと考えるが、雇う側に「人を便利に安く使う」という発想に慣れきっていることが根底にあるのではないか。

 おそらく、外国人が去るとき、日本人経営者は「君たちがいなければわが社は困る」と正面切って慰留できなかっただろう。研修生やアルバイトにそう言えるはずもない。今回を一時的な現象とせずに、日本再生のために雇用そのもののあり方を再考する機会にすべきだと考える。

⇒15日(金)朝・金沢の天気   はれ

★畠山重篤氏の無事

★畠山重篤氏の無事

 「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんの安否の続報を書く。畠山さんの消息が知りたいと切望している方々は多いと思う。15日付の『自在コラム』で畠山さんの安否について書いたところ、3件ものコメントが寄せられた。前回のブログで引用した『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトでの記事を今回も紹介する。畠山さんに関する新しい情報が入っている。畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。読みやすくするために、掲載順番を新しいものを上にする。
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⇒ 03-15-16:00|OM小屋 さん|娘さんの畠山愛子さんから皆様へのメッセージ 本日午前に、父畠山重篤、長男哲と直接話すことができ、祖母をのぞいてですが、一家が無事であることが確認できました。祖母小雪は、震災当時気仙沼鹿折におり、亡くなったとのことです。現在唐桑地区は通信網が一切遮断されており、唐桑からの発信は全くできないそうです。父からの電話も、室根からかけているとのことでした。舞根地区で重篤の自宅の高台に非難していた2,30名の地域の皆さんはいま避難所(おそらく唐桑小学校)へ移動されたそうです。父重篤には、全国各方面からご心配と励ましをいただいている事も伝えました。父からも皆様へお礼と引き続き被災者へのご支援をお願いしますとのことです。携帯のバッテリーが不足しており、短時間での会話だったため、今わかっている情報は以上です。今後も連絡が取れ次第、ご報告します。畠山哲の家族、耕、信も無事です。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 ※写真は、2010年8月7日、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムでの畠山重篤さんの講義の様子。
 
⇒16日(水)朝・金沢の天気 はれ

☆畠山重篤氏のこと

☆畠山重篤氏のこと

 気仙沼市在住で、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動の提唱者、畠山重篤さんのことを今月12日付の『自在コラム』で書いた。畠山さんの消息が知りたいと思い、ネット上で探した。「畠山重篤」「安否」で検索すると、『牡蠣復興および被災地救援対策会議』のサイトに当たった。カキの愛好家がカキ養殖業者を支援するサイトだ。ここに畠山さんの親戚という人(「オイスターマイスター(OM)小屋めぐみさん」)が、畠山さんの娘さん(「愛子さん」)からの情報として安否情報を以下のように掲載している。
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⇒ オイスターマイスター小屋 さん(畠山氏親戚)が気仙沼の知り合いとメール(11日18時頃)。海から離れた少し高台の学校の三階に取り残された先生から情報。二階まで水没。車等周りの物は全て流され孤立。畠山氏含め親戚の牡蠣漁師は全員連絡取れず。他家族とも連絡取れず。自分は学校の先生になっていたので高台の三階にいた。以上メールで。ただし現在連絡が途切れている。

⇒ OM小屋 さんより|畠山重篤の娘、畠山愛子です。3月11日22時時現在、メールで、一家は高台の自宅に避難して生きているということです。その後は連絡がとれません。舞根地区は壊滅状態で、自宅も孤立していると思われます。舞根だけでなく、唐桑の避難所も含め情報が全くないので、唐桑の多くの場所が孤立していると思います。唐桑が孤立しているであろうことを広めてください。

⇒ 03-14-19:48|OM小屋 さんより|畠山愛子さまより以下のメッセージがありました(安否の掲示板より); メッセージをいただいた皆様へ 畠山重篤一家について全国各方面から沢山のご心配と励ましのメッセージをいただき、また情報の拡散などご協力をいただき本当にありがとうございます。その後、家族とはまだ直接連絡はできておりませんが、唐桑の孤立状態は解消されたとのことですので、少し安心しました。ここで、皆様にお願いです。現地では引き続き通信の混乱が続いておりますので、現地家族への安否確認のご連絡は控えていただければと思います。私自身東京にいるので、確認の連絡をぐっとこらえて、現地からの連絡を待っている状態です。家族と直接連絡が取れ次第この掲示板にてすぐにご報告いたしますので、ご協力お願いします。
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 支援者のサイトでの、しかも具体的な地名が入った情報なので畠山氏の消息にはリアリティがある。無事を祈りたい。

⇒15日(火)朝・金沢の天気 くもり

★福沢諭吉と上野戦争

★福沢諭吉と上野戦争

 チェーンメールが飛び交っている。昨日もこのようなメールが知人より届いた。「■お願い■ 関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日(3月13日)18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!こんなことくらいしか関西に住む私たちには、祈る以外の行動として出来ないです!このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!1人1人が意識し、電気の使用を少し控えるだけで、助かる命があるかも知れません。ご協力お願い致します。」

 この巨大地震の被害は甚大であり、あるい意味では国難でもある。知人は善意でこのメールを知り合いに届けた。このメールを疑問に思った知人がさらに、次のようなメールを受け取った知人らに回した。

 「件名の趣旨、大変理解できますが、周波数が違うのに、その様なことが可能なのかと疑問に思い、関西電力のHPを見ました。以下に転記致します。○このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。○今回の震災復旧に際して、当社名でお客さまに節電に関するチェーンメールを送ることはございませんので、ご注意ください。○当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通を行っております。○平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いておりますが、今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするような状況にはございません。」と。

 そして疑問に思った知人はさらに以下の注釈をつけた。「[注]東日本と西日本では、電気の周波数が違います。従って、関西電力の電気を東日本に送るには、周波数を変換しないといけません。この周波数変換施設の容量には上限があります。」と。感情論ではなく冷静にメール対応することで、チェーンメールの知人らに諭した。チェーンメールを最初に送ってきた知人から再び、「先日お送りしたメールですが、混乱を招くような内容を発信してしまったこと、軽率だったと反省しております。以後、正確な情報か見極めたうえで行動したいと思います。」とお詫びのメールが流れてきた。

 メール情報が飛び交うのは、それだけ人々の心が揺れているからだ。このような場合、われわれはどう心の動揺を抑えたらよいのか。一つのエピソードがある。1868(慶応4)年5月、新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を開始した。慶応義塾を創設した福沢諭吉はこのころ、芝新銭座の有馬家中屋敷(現在の東京都港区浜松町1丁目)で英語塾を開講(のちに慶応義塾)していた。福沢は、噴煙があがるのを見ながらも、塾を休むことなく、塾生たちに英書『ウェーランドの経済書』を講義した。

 挿絵は、戦火を眺め動揺する塾生を背に粛然と講義を行う福沢の姿である。師が動揺しては塾生も動揺する。自らの使命を遂行することが肝要と自信に言い聞かせていたのだろう。

 ※写真は、2009年に開催された福沢諭吉展で市販された挿絵より。

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