⇒トピック往来

★IRTイフガオ考~4~

★IRTイフガオ考~4~

 世界遺産でもあるイフガオの棚田でブランド米と呼ばれるのが、「WONDER」の米。赤米で、粒が日本のジャポニカ米と似てどちらかといえば丸い。値段は1㌔100ペソ。マニラのマーケットでは米は1㌔35ペソから40ペソなので、ざっと3倍くらいの値段だ。この米をアメリカのNGOなどが買い付けてイフガオの棚田耕作者の支援に動いているという。もう一つ、「棚田米ワイン」も味わった。甘い味でのど越しが粘つく。アルコール度数は表示されてなかったが25~30度くらいはありそうだ。ブタ肉のバーベキューと合いそうだ。イフガオでは棚田米に付加価値をつけて販売する動き出ているのだ。こうした取り組みが一つ、また一つと成功することを願う。

      「イフガオ棚田の誇り、それは人々が平等な関係でつくりあげたことだ」

 イフガオでは何人かの「親日家」と話すことができた。親日という意味合いは、かつて日本の大学で留学経験があり、日本とフィリピンの関係を前向きに考えているとの意味だ。「私は純イフガオでございます」と話しかけてくれたのはフィリピン大学のシルバノ・マヒュー教授だった。国際関係論が専門で、日本には2度にわたって13年の留学経験を持つ。イフガオ州立大学で開催した国際フォーラム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」では、「THE IFUGAO RICE TERRACES: A Socio-Cultural & Globalization Perspective」のタイトルで講演もいただいた。

 「純イフガオ」という通り、本人はイフガオ族の出身で両親はいまでもイフガオで田畑を耕している。彼に、ICレコーダーを向けて、イフガオの問題についてインタビューした。快く答えてくれた。質問のその1は、今回のフォーラムの開催の意義について感想を聞いた。

 「(世界遺産、あるいは世界農業遺産など)文化遺産に関するシンポジウムで本当に意義のあることは、例えば日本とフィリピンが国境や社会を超えて語り合う、あるいは、知恵・知識・技術などの諸問題について情報を交換し、お互いに知り合うことだと思います。これこそがグローバリゼーション、国際化であり、学問の世界、行政の世界、NPOやNGOにはそれぞれの立場がありますが、やはり文化遺産を保全・維持するためには、日本とフィリピン、あるいはアジア地域でもいいのでグローバルに話し合う会議を開催することは大変大事だと私は思います」

 質問その2はイフオガの問題について、「フォーラムの講演でマヒュー教授は、今、イフガオの人たちが抱える一番の問題は、田んぼをつくる人たちの田から心が離れてしまっていることではないかという印象を受けたのですが、そういう解釈でよいか」と質問を投げた。

 「イフガオ族には歴史上、王政というものはなかった。奴隷のような強制労働はなく、人々は平等な関係と意志で営々と棚田をつくり上げた。われわれイフガオの民はそのことに誇りに思っている。しかし、現代文明の中で、世界中どこでもそうだと思いますが、イフガオでもそうした昔のことを忘れてしまっています。昔と今とのギャップがどんどん開いていくと、保存する価値は薄くなってしまいます。ですから、例えばイフガオの人が、自分は別の所に住みたいと言って、祖先から伝えられた土地を忘れて離れていってしまうという問題を解決する方法があればいいと切に願っています」「日本でも同じようなことが農村地域で起きていると昨日のフォーラムで指摘がありましたが、日本とフィリピンで共通するこの問題をどのようにそれを防ぐかです。もちろん国際化した中では、どこにでも行けるようになっていますが、せっかく昔々の祖先につくってもらったものはやはり大事にしなければならないと思います」

 質問その3として、「日本の能登と佐渡、イフガオが今度どのように交流を持てばよいか。日本に期待することは何か」と。

 「まず、日本とイフガオということより、ご承知のように、フィリピン全体に対してイフガオは文化的にも少し特別な部分を持っています。イフガオ族の文化と、日本の昔の文化には共通点があると思います。そういうものを忘れないために、交流が必要です。これから、遺産の保存技術も含めた日本の優れた技術、あるいはお互いの考え方や価値観に関する交流をすれば、もっともっと文化遺産の保存に役立つと思います。日本の知恵とイフガオの知恵をお互いに考えながらやると、もっと効果的かと思います。そういう意味で、これから本当に日本とフィリピンが文化遺産保存のコンソーシアムという形で定期的にやれば、あるいはもうもっと広く言えば、アジアの文化遺産を一緒に考えながらやっていったら、組織化することも含めて進めばいいと思います」

 マヒュー教授の提案は具体的だった。共通する文化があれば、国境を越えて、グローバルに話し合いましょう、知恵を出しましょうと。そして国内問題や政治問題として矮小化しないこと。問題の解はその先に見えてくる。

⇒22日(日)夜・金沢の天気  はれ

☆IRTイフガオ考~3~

☆IRTイフガオ考~3~

 フィリピンは多民族国家だが、9400万人の人口の8割はキリスト教徒という。それは、16世紀から始まるスペインの植民地化や、20世紀に入ってからのアメリカの支配による欧米化でキリスト教化されていったからだ。イフガオ族は歴史的にこうしたキリスト教化、地元でよくいわれる「クリスチャニティ(Christianity)」とは距離を置いてきた。それはルソン島中央を走るコルディレラ山脈の中央に位置し、宣教もしにくかったということもあるが、拒んできたからだとも言われている。なぜか。

         棚田保全をどのように進めたらよいのか、現地で考える

 いまでもイフガオ族には一神教には違和感を持つ人が多いといわれる。コメに木に神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、一神教は受け入れ難い。一方で、それゆえに少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が徹底されてきた。今回の訪問では、14日に現地イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)を開催したが、発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」と。

 世界遺産としての棚田景観が後継者不足による棚田放棄、転作による景観維持への影響があるとし、2001年には「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に登録されている。そこまでなる耕作放棄の問題は深刻なのだ。もちろん、日本の地方の田畑も同様である。同じイフガオの棚田が展開するキアンガン市の村で農業青年と言葉を交わした。伝統的な農法は一期作だが、品種改良の稲で二期作化も進んでいる。しかし、稲作では食べるので精一杯、「No hope」と言った青年もいた。現実的な話ではある。確かに耕運機が入らず機械化されにくい棚田での労働はきついだろう。ところが、棚田を見学にやってくる観光客を乗せるトライサイクル(3輪車)は1時間30ペソである。この30ペソは現在のルート換算(1ペソ=1.75円)として50円余りだ。小売で精米1㌔の値段では35ペソなので、若者にとってトライサイクルは稲作より魅力的なのだろう。バナウエにしても、青年たちは農業から観光業(土産物販売、リライサイクルによる観光案内、宿泊業、木彫りなど土産物製造など)に従事する人たちが増えている。

 ここで考えなければならないのは、観光業に収入に依存をすればすれほど、今度は担い手がいなくなり耕作放棄で棚田が荒れ、その結果として観光地としての魅力が薄れる。そうすれば観光客そのものが減少するという、まるでデフレスパイラルの現象に陥ることは目に見えている。フォーラムでは、さまざまな提言や研究があった。

 農村のツーリズムを研究しているカゼム・バファダリ氏(FAO特任研究員、立命館アジア太平洋大学講師)は農家が潤う観光に転換をと提言した。「イフガオの農家も農業だけでは生活できない現状がある。しかし、素晴らしい環境で景色もいい、世界的に有名なので、このキャパシィーを農家が潤うツーリズムとして再構築すれば、農家の人も元気になる。日本の能登半島では、農家がホストとなる農家民宿の取り組みがある。イフガオの棚田ではこの農家民宿が見当たらない。地元の主導する観光、CBT(Community Based Tourism)として、これからの可能性は十分ありる。イフガオバージョンの観光プランを提案してみたい。イフガオのライステラスのモデルは可能ではないか」。イフガオでは従来型の観光にとどまっているので、体験や農家で宿泊するノウハウを取り入れてはどうかとの提案だった。

 佐渡市から参加した高野宏一郎市長は棚田保全について提言した。「今回のイフガオ訪問では、erosionと言いますか、大事な遺産が耕作放棄などで傷んでいるのを見て少し心が痛みました。しかし、きょうのフォーラムでは地域の研究者や行政の方々の熱気のあるparticipantというか、守ろうとする意欲に、これは大丈夫だなという自信が持てました。イフガオの棚田再生に必要なのは、どのようにコストを循環型にするか、つまりイフガオの田んぼの価値を認めてもらう世界中の人にお金を出してもらいながら保全していく方法です。たとえばプレミアム米を販売し、その売上の一部を棚田の保全のために使うという方法は佐渡でも行っている。そのノウハウならばわれわれも協力できます」と。

 イフガオと佐渡、能登の共通の問題をそれぞれに理解し合えたフォーラムだった。いくつか具体的な提案もあった。交流のスタートに立てたと思いがした。

※(写真・上)バナウエでは耕作放棄された土地の一部で宅地化が進んでいる、(写真・下)土産物で売られているキリストの12使徒の最期の晩餐の木彫。イフガオでもクリスチャニティは徐々に進んでいる

⇒21日(土)夜・金沢の天気   くもり

★IRTイフガオ考~2~

★IRTイフガオ考~2~

バナウエはルソン島中央を走るコルディレラ山脈の中央に位置するイフガオ族の村だ。2000年前に造られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれ、イフガオ族が神への捧げものとして造ったとの神話があるという。村々の様子はまるで、私が物心ついた、50年前の奥能登の農村の光景である。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。車が通ると車道に木の枝を置き、タイヤが踏むバキッという音を楽しんいる子がいる。家はどこも掘っ建て小屋のようで、中にはおらくそ3世代の大家族が暮らしている。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。器用にガケに登るニワトリもいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は冒頭に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。イフガオの今の光景である。

           世界遺産であり、危機遺産でもあり

 つぶさにその様子を観察していると一つだけ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子供の後をついてきたり、子供が犬を抱きかかえたり、「人の友は犬」という光景ではないのだ。今回の訪問に同行してくれた、イフガオの農村を研究しているA氏にそのことを尋ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ。それが理由ですかね…」と答えた。人という友を失ったせいか、その運命を悟っているのか、犬たちに元気がない、そしてどれも痩せている。気のせいか。

 世界遺産の登録(1995年)、世界農業遺産(GIAHS)の認定(2005年)でイフガオの棚田でもっとも観光客が訪れるバナウエ市。13日、ジェリー・ダリボグ市長を表敬に訪れた。訪れたのは、同日オフガオ視察と交流に合流した同じ世界農業遺産の佐渡市の高野宏一郎市長、それに金沢大学の中村浩二教授、石川県の関係者、国連食糧農業(本部・ローマ)のGIAHS担当スタッフだ。バナウエは人口2万余りの農村。平野がほとんどない山地なので、田ぼはすべて棚田だ。バナウエだけでその面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)に及ぶ。市長によると、残念ながらその棚田は徐々に減る傾向にある。耕作放棄は332㌶もある。さらに驚くことに専業の農家270軒だという。マニラなどの大都市に出稼ぎに出ているオーナー(地主)も多い。耕作放棄された棚田を農家が借り受ける場合、最初の2年間は収穫の100%は耕作者側に、以降は耕作者とオーナーがそれぞれ50%を取り分とするルールがある。市長は「棚田の労働はきつい上に、水管理や上流の森林管理など大変なんだ」と話す。農業人口の減少、耕作放棄など、平地が少ない能登とイフガオで同じ現象が起きていると感じた。

 バナウエの棚田を見渡すと奇妙な光景もある。棚田のど真ん中にぽつりと一軒家が立っていたり、振興住宅のように数十軒が軒を並べたり、棚田が一部に宅地化して、世界遺産や世界農業遺産の景観と不釣り合いなのだ。A氏に聞くと、ここ10年余りで棚田に造成されたものだという。実は人口自体は増える傾向にある。観光業者を営む人々が増えているのだ。統計によると、2001年にイフガオを訪れた観光客は5万3000人、2010年では10万3000人と倍増した。国内の観光客は一定して5万人ほどと変わらないが、2004年ごろから外国人客が急増し、2008年からは国内客を上回るようになった。バナウエでは沿道に土産物店が軒を連ねる。バイクの横に1人乗りの籠(かご)をくつけた、「トライサイクル」と呼ばれる3輪車が数多く走り回っている。ジープニーと呼ばれる派手なデザインの小型バスも。イフガオではトライサイクルの料金は1時間30ペソ(マニラは60ペソ)だ。精米されたコメが1㌔おおよそ35ペソで市販される。コメをつくりより、トライサイクルを走らせた方が稼げると考える若者が増えている。

 こうした兆候は1995年に世界遺産に登録されたころからすでに出始めており、2001年には世界遺産としての棚田景観が後継者不足による棚田放棄、転作による景観維持への影響があるとし、「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に登録されている。

⇒13日(金)夜・バナウエの天気  くもり

☆IRTイフガオ考~1~

☆IRTイフガオ考~1~

 昨夜(11日)フィリピンのマニラに入った。金沢から直線距離にしてざっと300㌔だ。成田からマニラへは1時間30分遅れ、入国管理のチェックに長蛇の列、荷物の渡し場ではベルトコンベアーが故障、、チャーターしていたタクシーが見当たらずさらに遅れた。結局マニラ市内のホテルに到着したのは真夜中の3時10分ごろ(現地時間2時10分ごろ)。同行してくれたフィリピン出身の研究生が「これがマニラよ。マニラ」と。夜中のマニラは少々ものものしかった。コンビニの「セブン・イレブン」はガードマンがどの店にも常駐していた。信号待ちで車が停まると、少女が手作りのネックスレのよなものを売りに来た。初めてのフィリピン、初日からカルチャーショックを受けた。それにしても、フィリピンは新旧、貧富がはっきりと浮かび上がる都市だ=写真=。

           マニラからイフガオへの道

 12日午前、日本の大手総合商社のマニラ支店長にフィリピンの現地情報について話をうかがう機会に恵まれた。マニラ首都圏(メトロマニラ)の人口は1800万人、第二はメトロ・セブで230万、ダバオ130万人である。一極集中の度合でいえば、東京よりマニラの圧倒的だ。ただ産業では、総合プランドといえるものはなく、OFW(Oversea Filipino Worker)と呼ばれる海外出稼ぎによる送金収入がGNPの10%にもなる。したがって全体に貧しい国であり、たとえば新車購入台数は人口9500万人のフィリピンは15万台、2700万人のマレーシア60万台に比べれば一目瞭然となる。マニラ市内を走る乗用車のほとんどは日本メーカーのものだが、多くは中古車ということになる。中古車だけではない。かつて、上野-金沢間を走っていた寝台特急「北陸」がフィリピンでは「リコール・エクスプレス」と称され、マニラ駅とナガ駅間378㌔を1日1往復走っているという。日本を走っていた時と同じ青い塗装のままで。支店長の話は機知に富んで刺激的でもあった。

 さて、フィリピンに来た目的はマニラではない。さらにマニラから車で8時間かけて移動する。その理由は。能登の里山里海(農山漁村)が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定された(昨年6月)。半島の立地を生かした農林漁業の技術や文化、景観が総合的に評価されたものだ。これを受けて、昨年より石川県の地域連携促進事業の一つとして、「世界農業遺産GIAHS『能登の里山里海』実施支援」プログラム(代表・中村浩二教授・学長補佐)を実施している。つまり、大学としてもいろいろとできることはやりましょう(社会貢献)との意味合いだ。今回のマニラ訪問は事業の柱の一つである世界農業遺産の他地域(サイト)との交流をはかろうとの狙い。マニラはその一歩。ルソン島北部のイフガオの棚田に行く。1995年にユネスコの世界遺産にも登録されているイフガオの棚田は世界農業遺産の代表的なサイトだ。そこの関係者とネットワークをつくりたいとの計画している。ちなみにIRTはIfugao Rice Terracesの現地略称だ。

 あす13日から14日で、イフガオの棚田で視察とフォーラムを開催する。現地の自然保護協会の関係者やフィリピン大学、イフガオ州立大学などの研究者との交流を通じて、能登サイトとのネットワークづくりの道筋をつける。今回の現地交流(イフガオ棚田視察とフォーラム)では、同じ世界農業遺産の佐渡サイトから高野宏一郎市長、そしてローマに本部がある国連食糧農業機関(FAO)のスタッフも参加することになっている。イフガオ、佐渡、能登の3サイトが集まり相互理解を深め、今後の協力体制を話し合う。ささやかながら能登の明日に向けた新たな取り組みになればと、マニラに来て、能登を想う。

⇒12日(木)午後・マニラの天気  はれ

☆最期の物語を演出

☆最期の物語を演出

 それにしても見事、あるいは完璧だった。今月17日8時30分の死去から19日正午の発表まで、51時間余り及ぶ情報統制である。北朝鮮の金正日総書記の死亡は完璧に伏されていた。逆に言えば、情報社会とは無縁、スパイすら入れない密閉体制なのである。

 一方で、発表までに51時間余りという時間を費やす必要があったのかどうか。考察するヒントとなるニュースがいくつかあった。韓国中央日報インターネット版(日本語)によると、韓国の国家情報院の元世勲院長が20日、「北朝鮮が金正日総書記死去の時間と発表した17日午前8時30分に金総書記の専用列車は平壌竜城駅に停車中だった」と報告したと複数の与野党情報委員が伝えた。さらに引用すると、元院長は「金総書記は15日に現地指導をはじめ色々な行事があり、列車の動線を確認したが16~17日の2日間は動かなかったものと把握している」と説明した。金総書記が「走る野戦列車の中で重症急性心筋梗塞により死去した」という北朝鮮当局の公式発表とは違い、「待機中の列車」あるいは「第3の場所」で死去したということだ。ただし元院長は、「金総書記がどこかに行こうと列車に乗ってすぐに死去した可能性はある」と付け加えたという。

 日本の新聞各紙が伝えている、北朝鮮の朝鮮中央通信が19日報じた18日付の「金正日同志の疾病と死去原因に対する医学的結論書」の全文は以下の通り。「金正日総書記は心臓および脳血管疾病により長期間治療を受けてきた。強盛大国建設のため超強行軍で重なった精神、肉体的過労で、17日に走行中の野戦列車内で重症急性心筋梗塞が発生し、深刻な心臓性ショックが合併した。発症からすぐに全ての救急治療対策を講じたが、17日午前8時半(日本時間同)に逝去した。18日に行われた病理解剖検査では、疾病の診断が完全に確定された。」

 これらのニュースを突き合わせると、北朝鮮サイドは「金総書記は走行中の列車の中で心筋梗塞」と発表しているが、韓国側では「列車は16日、17日とも動いていない」と認識している。つまり走行中の列車の中での容態悪化ではなかった、と。その死から発表まで51時間余の時間がかかったというのも、ひょっとして「強盛大国建設のため超強行軍で重なった精神、肉体的過労で、17日に走行中の野戦列車内で重症急性心筋梗塞が発生」という「偉大な指導者の最期の物語」を描くストーリー構成に時間がかかったということか。とすれば、これまもまたある意味で見事な演出国家ではある。※連日、北朝鮮の関連ニュースを伝える日本の新聞各紙

⇒23日(祝)朝・金沢の天気   くもり

★拉致問題の原点

★拉致問題の原点

 能登半島の風光明美さはリアス式海岸と呼ばれる、谷が沈降してできた入り江が見所となっている。ところによっては、リアス式海岸のことを別名で溺れ谷(おぼれだに、 drowned valley)ともいう。海と谷が複雑に入り組んだリアス式海岸は歴史的な伝説も生んだ。たとえば「義経の舟隠し」という名所が能登半島には3ヵ所もある。鎌倉幕府からの追手を逃れて奥州(東北)に落ちのびる際、天候が荒れ、能登の入り江の奥深くに48隻の舟を隠したとされる。

 そうした能登のリアス式海岸を悪用したのが、北朝鮮による拉致事件だった。1977年9月19日、東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さん(当時52歳)は、能登の宇出津海岸から北朝鮮に拉致されてた。久米さんを能登に連れていった在日朝鮮人が、入り江にいた北朝鮮の工作員に引き渡したとされる。複雑に入り組んだリアス式海岸は工作員の絶好の隠れ場所となっていたのだ。

 その拉致を日本で指揮した大物スパイも能登のリアス式海岸から入ってきた。1973年に輪島市の猿山岬から不法入国し、以後東京、京都、大阪に居住した北朝鮮のスパイ・辛光洙 (シン・ガンス)だった。それらのスパイを統括で指揮したのが金正日総書記だったといわれる。たまたまだが、能登の海岸を車で走り事件現場を通る。ここが拉致問題の原点の場所かと単純に考える。

 2011年の年の瀬。その年末のギリギリに北朝鮮からニュースが飛び込んできた。19日に発表された金総書記の死亡。まず脳裏を駆け巡ったのは、拉致の主犯の死亡、そして拉致被害者らは帰国できるのだろうか、ということだった。

 19日のテレビで拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんが「私たちには大事な家族を強引に連れていった、拉致をした張本人。独裁者がいなくなって、ある意味でほっとした」と語っていた。また、新潟市で横田めぐみさん(1977年拉致)の父親の横田滋さんは「次に北朝鮮の政治を担う人が前の政権を否定して新しいことを始めるのか、混乱が続くのかわからない」と複雑な心中をのぞかせていた。

 ヨーロッパの経済混乱、極東アジアの新たな火種になるかもしれない金総書記の死、そして東日本震災、原発事故、大きな課題を背負ったまま。2012年へあと10日余り。※写真は、金正日総書記の死亡を伝える20日付の各紙

⇒20日(火)朝・金沢の天気  くもり

☆生物と農業の多様性

☆生物と農業の多様性

  国際社会が協力して生物多様性保全に取り組む「国連生物多様性の10年」のキックオフシンポジウムの2日目(18日)、記念フォーラムが開催された。両日で繰り返し述べられた「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」について確認しておきたい。

 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)での最大の成果は、名古屋議定書とともに、条約の今後10年間の活動の方向性を示す愛知ターゲットを採択したことだといわれる。名古屋議定書は、正式には「ABS(遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分)に関する名古屋議定書」との名称。以下が骨子となる。▽資源を利用する場合は、事前に原産国の許可を得る、▽資源を利用する側は、原産国側と利益配分について個別契約を結ぶ、▽資源に改良を加えた製品(派生品)の一部は利益配分の対象に含めることができる。対象に含めるかどうかは契約時に個別に判断、▽不正に持ち出された資源ではないかをチェックする機関を各国が一つ以上設ける。

 愛知ターゲットは略称で、正式には「新戦略計画2011-2020」。▽戦略目標 A…各政府と各社会において生物多様性を主流化することにより、生物多様性の損失の根本原因に対処する、▽戦略目標 B…直接的な圧力を減少させ、持続可能な利用を促進する、▽戦略目標 C…生態系、種及び遺伝子の多様性を守ることにより生物多様性の状況を改善する、▽戦略目標 D…生物多様性及び生態系サービスから得られる全ての人のための恩恵を強化する、▽戦略目標 E…参加型計画立案、知識管理と能力開発を通じて実施を強化する。以上の5つの戦略目標があり、さらに20の目標がそれぞれに分類分けされている。たとえば、戦略目標 Cでは「2020年までに、少なくとも陸域及び内陸水域の17%、また沿岸域及び海域の10%、特に、生物多様性と生態系サービスに特別に重要な地域が、効果的、衡平に管理され、かつ生態学的に代表的な良く連結された保護地域システムやその他の効果的な地域をベースとする手段を通じて保全され、また、より広域の陸上景観又は海洋景観に統合される」(目標11)と数値化された目標がある。また、戦略目標 Eでは「2020 年までに、各締約国が、効果的で、参加型の改訂生物多様性国家戦略及び行動計画を策定し、政策手段として採用し、実施している」(目標17)と国家戦略と行動計画の実施をうたっている。愛知ターゲットの実効性を確認するため、2014年に中間報告を行うことになっている。

 記念フォーラムでは面白い場面があった。パネル討論で、生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏が上記の名古屋議定書と愛知ターゲットについて話した後、国連食糧農業機関(FAO)土地・水貢源部長のパルビス・クーハフカン氏=写真・右=は「ジョグラフ氏とは兄弟のようなものだ」と自己紹介をした。この言葉が実はとても意味がある。パルビス氏は世界農業遺産(GIAHS)の事務局長もある。切り出した話が「生物多様性はすなわち食糧の多様性である」と。以下、話を要約する。現在世界の70%の人口は都市住民である。この傾向が強まれば、それだけ食べ物は単純化されていく。人類の栄養バランスは今後大きな課題となる。中国・雲南省のハニ族は140種類もの米をつくっている。一方で、農村は若者の人口の流失で耕作が維持できなくなりつつある。これは世界的な傾向だ。大規模経営の農業ではなく、世界の地域に根付き地域に必要な食糧や食材を提供してきた小規模経営の農業を見直す転換期にある。つまり農産物の遺伝子資源を守り、持続可能なかたちで発展させるということだ。日本で里山や里海の重要性が強調され始めているが、生物多様性の目指すところも、食物の多様性を目指すことも同じことである。

 確かに、これまで生物多様性は環境問題であるとの観念が強かった。農山村が荒廃することで失われた生物多様性も多々あることは生態学者が指摘してきた。地球課題となった生物多様性の保全と多様な農業の再生というベクトルをどううまく組み合わせるのかこれが人類の知恵の出しどころということなのだ。

⇒19日(月)朝・金沢の天気   くもり

★「歴史的な旅に出る」

★「歴史的な旅に出る」

 「国連生物多様性の10年」のキックオフイベントが17日午後、石川県立音楽堂(金沢市)であり、記念式典と基調講演に出席した。「国連生物多様性の10年」は去年10月の名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、NGOの提言をもとに日本政府が国連に提唱し採択されたもの。国連は今年から2020年までの10年間を生態系を守る集中的な行動期間と定めた。COP10では、生態系保全のためにそれぞれの国が2020年までに実行すべき目標を定めた「愛知ターゲット」を採択していて、金沢でのキックオフイベントで目標達成に向けてスタートを切ることになる。

 式典は30ヵ国から政府関係者が集まりにぎやかだった。でも、なぜ金沢で開催するのか、と疑問符がつく。歓迎レセプションで谷本正憲石川県知事と、武内和彦国連大学副学長(東京大学教授)がその理由を明かした。キックオフイベントは環境省と国連大学などが中心となって5月に東京で開催する方向で準備が進んでいた。ところが3月11日に東日本大震災、そして福島の原発事故などがあり、中止となった。「愛知ターゲット」を何とかスタートさせたいと思いを募らせた関係者に浮かんだアイデアが、昨年12月「国際生物多様性年クロージングイベント」を開催した金沢市でキックオフイベントができないか、だった。会場はどこでもよいという訳にはいかない。生物多様性という意味合いが地域で理解され、これに協力的で、国際会議の開催経験があり、しかもそれなりの開催費も負担する自治体となると絞られてくる。知事はどうやら武内氏らに懇願され最終的に引き受けたらしい。

 記念式典でアフメド・ジョグラフ生物多様性事務局長=写真=は「次世代を担う子どもたちの間でも生物多様性の認知度は低い。分かりやすく説明することから始める必要がある。日本の良寛は最後に残すことは何かと問われ『春の花、丘になく鳥、秋の紅葉』と言った。愛知ターゲットの達成に向けてこれから国際社会は歴史的な旅に出る。選択肢はない」と呼びかけた。また、2012年10月にハイデラバードでCOP11を開催するインドのヘム・パンデ環境森林省担当局長は「インドも生物多様性の恩恵を受けている。COP11のスローガンを『もし私たちが自然を保護すれば、自然は私たちを守ってくれる』としたい」と述べた。

 2008年5月にボンで初めてジョグラフ氏を知り、COP9とCOP10でのスピーチを、また金沢大学でもスピーチ(2009年5月)をいただいた。その中でも、今回のジョグラフ氏の「歴史的な旅に出る。選択肢はない」の言葉が一番強く印象を受け、覚悟のようにも聞こえた。

⇒18日(日)朝・金沢の天気  くもり

☆天からの雪便り

☆天からの雪便り

 昨夜から金沢でも雪が降り、きょう17日朝は自宅周辺で20㌢ほど積もった。北陸に住む感覚から述べると、「冬のご挨拶」だ。毎年この時期、12月半ばになると初回の積雪がある。これが「そろそろ雪を本格的に降らせますので、みなさん心の準備と積雪の備えをよろしくお願いします」という自然からの挨拶のように思える。

 ただ、この挨拶も度が過ぎるというのもある。ちょうど6年前の2005年12月17日、いきなり金沢市内で50㌢という積雪に見舞われた。こうなると挨拶どころか、ケンカを売っているようにも思える。「人間ども見ておれ、自然をなめるなよ」といった感じだ。すると、人々は「ちょっと待ってくださいよ。二酸化炭素の排出などで地球は温暖化に向かっているのではないですか。それなのになぜ大雪なのですか」と思ってしまう。すると自然の声もさらに荒々しくなる。「地球温暖化は人間が引き起こしていると思っているようだが、オレに言わせれば、地球の寒冷期がたまたま温暖期に入ったわけで、これはオレが差配している自然のサイクルだ。今後雪を降らせないとか少なくするとかは一体誰が決めたんだ、それは人間の勝手解釈だろう。オレは降らせるときはガツンと降らす。2008年1月にはバクダットにも雪をプレゼントしてやったよ」と。北陸という土地柄では、冬空を見上げながら自然と対話ができる。1936年に世界で初めて人工雪を作ることに成功し、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-62、石川県加賀市出身)は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を遺している。

 さて、この時期、雪は生活の一部だ。積雪に備え庭の樹木に雪つりを施す。乗用車のタイヤをスタータイヤに交換する。除雪用のスコップを玄関に用意する。雪靴をゲタ箱に入れておく。慌ただしく準備をして、積雪期を迎える。きょうはさっそく除雪用のスコップの出番だった。道路に面した家の間口分だけ道路を除雪するのが暗黙のルールになっている。しかも、側溝付近の人が歩く側だけだ。不思議なもので、早朝近所の誰か始めると町内の人々が入れ替わりに出てきて除雪する。お昼ごろにはだいたい道路の歩道部分の除雪が終わっている。町内一斉の除雪というのもあるが、これはドカ雪で道路機能がマヒし、除雪車も来ないというときに、非常措置として町内会が音頭を取って実施する。5年か6年に一度ほどある。

 北陸の雪は長野や北海道と違って、湿り気が多く重い。五葉松などの庭木は雪つりがないとボキリと枝が折れる。写真は、きょう9時に撮影したもの。パラソルのように広がった縄が五葉松の枝を雪の重みから支えている。自然に対応する先人の知恵というのはかくも確かで、そのフォルムは美しい。

⇒17日(土)朝・金沢の天気  ゆき

☆九谷をまとった虫たち

☆九谷をまとった虫たち

 赤絵の小紋、金蘭(きんらん)の花模様、まさに豪華絢爛の衣装をまとったカブトムシ…。これらの昆虫を眺めていると、地上ではない、まるで別世界にジャンプしたような感覚になるから不思議だ。能美市九谷焼資料館(石川県能美市)で開催されている、陶器の置物展「九谷焼の未来を切り拓く先駆者たち~九谷塾展~」(11月20日まで)を見てきた。

 九谷焼の若手の絵付職人、造形作家、問屋、北陸先端大学の研究者らが集まり、現代人のニーズやライフスタイルに合った九谷焼をつくろうと創作した作品が並ぶ。九谷焼といえば皿や花器などをイメージするが、置物、それも昆虫のオブジェだ。

 体長9㌢ほどの7匹のカブトムシや3匹のクワガタ、18匹のカタツムリ。それぞれの作品に、金で立体感のある装飾を描く「金盛(きんもり)」や、四季の花で陶器を埋め尽くす「花詰(はなづめ)」、九谷焼独特の和絵の具で小紋を描く「彩九谷(さいくたに)」、小倉百人一首を書いた「毛筆細字(もうひつさいじ)」など九谷焼の伝統技法と色彩表現を結集させている。毛筆細字は九谷焼における、もっとも難易度が高い技法の一つといわれる。

 一般的に昆虫をモチーフとしたアート作品は写実的であったり、グロテスクであったり、アニメ風なのだが、昆虫の形状を忠実に再現し、その完成度の高いボディに九谷の技術を駆使することで、実物以上の存在感を引き立たせる。たとえて言えば、妙齢の女性が色鮮やかな友禅を羽織る、そんなイメージ。つまり色香を放つ。九谷焼の新たなアート分野を開拓しようという意気込みを感じさせる作品展だ。

 写真は九谷焼資料館のチラシを抜粋させてもらった。上が赤絵の小紋、金蘭の小紋・花模様、青粒(あおちぶ)が描かれ、下は金地に極小文字の毛筆細字のカブトムシ。1体の昆虫に九谷350年の技法を惜しみなく注ぎ込んでいる。実物を見れば、もっと衝撃を受ける。

⇒19日(水)朝・金沢の天気 はれ