⇒トピック往来

☆世界農業遺産の潮流=7=

☆世界農業遺産の潮流=7=

  中国・浙江省紹興市で開催された「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)で意外だったのは、中国側からの「中国にあるGIAHSに対する誤った認識」(通訳)という言葉だった。中国では政府主導(中央政府、省政府など)でGIAHSを進めており、「誤った認識」など中国にはないという印象があった。  これについて触れたのは、閔慶文・中国科学院地理科学資源研究所研究員だった。

          GIAHSをめぐる課題の共有について

  閔研究員は、中国のGIAHSの特徴について、1)小規模の自家庭経済型、2)特殊な遺伝子保護型、3)多様性生物共生型、4)優れた景観生態型、5)持続的な水・土地資源利用型、と5つのタイプがあると説明し、中国ではGIAHS地域を奨励し保護するために、1)多主体参画の仕組み、2)動的保全の仕組み、3)生態や文化報償制度、4)有機農業、5)グリーンツーリズムやエコツーリズムなど観光産業を進めていると述べた。その上で、「中国の重要農業文化遺産(GIAHS)の保護に関する誤った認識もある」と述べた。その「誤った認識」とは「現代農業開発との対立」、「農家生活レベル改善との対立」、「農業文化遺産地の開発との対立」との3点だ、と。

  「現代農業開発との対立」とは、農業の生産性を高めるには大規模化や機械化など進める必要があるのにどうして伝統農業や生産性が低い農業を守らなくてはならないのか、という相対する意見。「農家生活レベル改善との対立」は、GIAHSで地域の伝統農業に誇りが持てたとしても当の農作物がブランド化して、農民たちの収入が増え、生活が良くなるのか、若者たちが魅力を感じてその伝統農法を継承してくれるのかという意見。そして、「農業文化遺産地の開発との対立」は、認定区域では伝統的な景観などにこだわり、新たな土地開発ができないのではないかという意見である。閔研究員は、「対話を重ね成果を上げればこうした対立した認識も薄まると思う」と述べた。

  中国側のこうした懸念は実はそのまま日本にも当てはまる。日本では「対立認識」というわけではないが、ある意味、冷ややかな反応がある。「GIAHSは、昔の農業に戻れということか」、「GIAHS栄えて、農業滅ぶ」などは農業関係者からも聞く話である。化学肥料や農薬、除草剤を使わない農業を進めて、生産性が落ちて、それで生物多様性が高まったとして、それは誰のための農業ですか、その農業に未来はあるのですか、と。

  確かに、日本の食料自給率が40%に落ちている。日本の農業を再生させるのが優先なのに、「昔ながら里山の農業」を唱えてみても、どれほどの効果があるのか、「農業ミュージアム」なら理解できる。そもそも農業の大規模化など国際的な取り組みを奨励してきたのは国連の食糧農業機関(FAO)ではないか、と。

  話は変わる。2010年10月、生物多様性条約第10回締約国会議(CBD/COP10)が名古屋市で開催された。そのいくつかのセッションの中で、(財)妻籠を愛する会の理事長、小林俊彦氏の講演の言葉が印象に残っている。「生物多様性条約というのは国際版生類憐みの令だね」。「生類憐みの令」は五代将軍・綱吉が動物愛護を主旨とする60以上の諸政策、法令のこと。綱吉が「犬公方(いぬくぼう)」と陰口されたように専制的な悪法として定着しているが、その保護対象は「猿」「鳥類」「亀」「蛇」「きりぎりす」「松虫から」「いもり」にまで及んでいたとされる。また、捨て子禁止や行き倒れ人保護といった弱者対策が含まれていたという。日本を統一するための戦(いくさ)はとっくに終わっていたものの、あぶれた武士たちによる辻斬りや剣を互いにかざす殺伐とした世相を戒める法で、当時とすれば画期的だったと見直されてる。

  ことし7月、佐渡市で開催された「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)の立食パーティーで地元の農業者の方と話す機会があった。農薬を減らし生き物を増やす田んぼづくりを率先している。「数年前までは反収(1反=約10㌃当たりの米の収穫高)を上げることばかり考えて農業をやっていた。今は生き物を増やす工夫をしながら、おいしいコメをつくることに専念している。トキがうちの田んぼにエサを突きにくることを楽しみにしている。本当の美田というのは生き物がいる、にぎやかな田んぼのことだと気がついた」

 GIAHSが単なる「農業ミュージアム」でないことは生物多様性をその評価の柱に据えていることからも分かる。田んぼを生産現場ととらえるのか、自然の恵みの場ととらえるのかによっても農業への視点は異なる。GIAHSの先にあるのは持続可能な農業、あと100年、500年の農業を展望をどう切り拓くのかである。今回のワークショップで日中で共通する課題の共有ができた気がする。

※写真の上、下とも中国・浙江省青田県で

⇒9日(日)朝・金沢の天気   くもり

★世界農業遺産の潮流=6=

★世界農業遺産の潮流=6=

 今回の中国・浙江省行きではいろいろと見聞きした。そのメモ書きからいくつかを紹介する。

 中国の3高 中国のマンションの建設ラッシュはピークを越えたと言われているが、地方ではその勢いは止まっていないと思った。中国・浙江省青田県方山郷竜現村の水田養魚を見学した(8月31日)。その山あいの村でも、マンション建設が進んでいた。さらに新築マンションの看板がやたらと目についた=写真=。中国人の女性ガイドがバスの中でこんなことを披露してくれた。「日本でも結婚の3高があるように、中国でも女性の結婚条件があります」と。それによると、1つにマンション、2つに乗用車、そして3つ目が礼金、だとか。マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は現在12円なので円換算で12万円となる。1戸88平方㍍のマンションが人気というから1056万円だ。それに乗用車、そして礼金。礼金もランクがあって、基本的にめでたい「8」の数字。つまり、8万元、18万元、88万元となる。この3つの「高」をそろえるとなると大変だ。

 「ろ&B」わさび 紹興市でも青田県のホテルはバイキング形式で刺し身のコーナーがあり、マグロは人気だった。醤油は少々甘口だったが、問題は「チューブ入りわさび」だった。これが、むせ返るほど辛い。半端ではない辛さだ。チューブには「S&B」とのマークが入っていたので、日本でおなじみにエスビー食品だと思っていたら、これが辛すぎする。何か変だと思いながら、涙目でよくロゴを見ると「ろ&B」=写真=とも読め、明らかに「S&B」とは異なる。辛味成分(アリル芥子油-アリルイソチオシアネート)の調合が明らかにおかしいと思いつつも、ただこの刺激が慣れてくるとなんと脳天に心地よい。周囲も「これ以上食べると脳の血管がおかしくなるかもしれないと」と言いながら食べていた。

 「国連」幼稚園 水田養魚の竜現村は、100年以上も前からヨーロッパや中南米に出稼ぎに出掛ける人多い。村は山や石も多いため、耕作を広げには限界があり、若者たちの多くはスペインやブラジル、イタリアなどの国に行き、中華料理レストランを開いたり、石彫りなどの商売をしているという。彼らの子どもは故郷の竜現村に戻り、祖父母が育てている。この村の幼稚園児は10ヵ国余りから来ており、そのため「国連」幼稚園と呼ばれているそうだ。

 榧子(ひし)の実 帰りの土産を買おうと、杭州空港で免税店に入った。視察に訪れた紹興市の会稽山(かいけいざん)の「古香榧林公園」でも食べたカヤの実が袋入りで売っていた。これが500㌘入り398元もする=写真=。日本円でざっと4800円だ。アーモンドチョコレートなどより格段に高い。確かに現地では、カヤの実を炒って粉末にしたものは寄生虫の虫下しや小児の夜尿症によいとされていると聞いたが、高額だと思った。榧の寿命は1000年に及ぶ。スギやヒノキと比べて成長が遅く、30cm伸びるのに3、4年かかり、直径1㍍ほどの成木になるまでには300年とも。「不老長寿」の木なのだ。そんな木から実ったものならばこそ当地では重宝されるのだろう。

⇒7日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆世界農業遺産の潮流=5=

☆世界農業遺産の潮流=5=

 水田で養殖をしている魚が稲を突くと、稲についた害虫が田んぼの水面に落ち、それを魚がエサとして食べる。まさに稲と魚の共生、そんな光景を見学しようと「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」3日目(8月81日)と4日目の現地視察は、浙江省麗水市青田県を訪れた。紹興市からバスで4時間余り、直線距離にして230㌔ほど南に位置する。

           GIAHS認定第1号「青田県の水田養魚」の取り組み

 青田県の水田養魚は2005年5月、国連食糧農業機関(FAO)から初めてGIAHS認定を受けたグループの一つ。視察は3日目が青田県方山郷竜現村で、4日目は小舟山郷の2ヵ所で行われた。双方とも海抜300㍍から900㍍の山間。青田県の水田養魚は600年以上の歴史があるといわれる。水田に入り込んだ川魚が成長することはよくあるが、青田県の人々は600年にわたって。田んぼでの養魚に知恵と工夫を重ねてきた。

 水田の水温が10度以上になるころに、生石灰をまいて軽く消毒し、薄い塩水で洗った稚魚を放流する。魚に寄生虫が繁殖しないよう、山からクスノキや松の枝を拾ってきて水田に浸す。魚はエサを探すとき、水面を波立てて、泥を掘り返す=写真・上=。これよって養分や生長空間を稲から奪うコナギやタイワンヤマイやコナギなどの水田雑草を魚が食べる。また、このときに稲も揺らすので、葉についた害虫が落ちる。これも食べる。魚のふんは天然の肥料なる。病虫害駆除、水田の除草と代替肥料に役立ち、稲作のじゃまにもならず、一枚の水田からコメと水産品の両方を生産することができる。これまでの実践経験から、養殖が稲作の収穫量を、稲作が漁獲量を押し上げるという相乗効果も工夫している。こうしてGIAHSが認定する「稲と魚との共生システム」をつくり上げてきた。

 方山郷の水田の稲穂を手に取って見ると、コシヒカリのようなジャポニカ米より少々長粒で大きい。10㌃当たり730㌔の収穫と説明があった。すると佐渡市からの参加者からは「うちは570㌔だ。これはすごい」と驚きの声が。水田で養殖する魚は「田魚」と呼ばれるコイの一変種で、色は黒、赤、黄、白の4種類。ウロコが軟らかい。活き魚で1㌔100元(現在1元=12円)、また「田魚干」として人気があるワラとヌカで燻し、さらに炭火で乾燥させたものは1㌔300から400元と贈答用としても人気がある、という。この村では田魚を嫁入り道具にする習わしがある。また、田魚の踊りもある。

 では、GIAHS認定で地域がどうかわったのか。小舟山郷=写真・下=の水田養魚組合の組合長から話が聞けた。郷では1980年代には4000ムー(畝=6.67㌃)もあった養魚の田んぼは2006年には2400ムーに激減した。そのころの養魚(生)の価格は1㌔20元だった。仲卸の業者が個別に買い付けにきていた。GIAHS認定を境に徐々に値上がりし今年2012年には1㌔100元となった。2006年に水田養魚組合を組織し、組合による農家からの買い入れや共同出荷、干乾しの加工も手掛けている。魚も住める安心安全な米として、米は1㌔6元(市場価格)で中国では高値だ。最近では菓子メーカーと契約話が進んでいる。養魚水田の面積を増やす方向だ。

⇒2日(日)夜・関西空港の天気    くもり  

★世界農業遺産の潮流=4=

★世界農業遺産の潮流=4=

 「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」の2日目(8月30日)と3日目は現地視察が行われた。最初に訪れたのが、紹興市が次のGIAHS認定に向け動いている会稽山(かいけいざん)の「古香榧林公園」。当地では、秦の始皇帝も登った山として知られる。ここでは昔から榧(カヤ)の木が植栽されている。ざっと4万本、中には樹齢千年以上のものある。カヤ(学名:Torreya nucifera)は、イチイ科の常緑針葉樹。材質は弾力性があり加工しやすい、樹脂が多く風合いが出る。碁盤や高級家具、木彫の材として用いられてきた。

        カヤの木、千年の知恵と活用

 また、種子は食用となる。当地では、そのままではアクが強いので数日間、灰汁につけてアク抜きしたのちに煎る。実際食べてみると、歯触り味ともにアーモンドのようなだった。果実から取られる油は高級な天ぷら油の食用として、虫下しの漢方にも用いられるという。間伐材や枝は燻して蚊を追い払うためにいまでも使われている。

 世界農業遺産(GIAHS)に申請する上での売りは、成長は遅いが寿命が長い、このカヤの木を接ぎ木などの方法で植栽する技術や、暮らしと密着した2次加工の知恵など「木と人の総合的なかかわり」である。FAOによるGIAHSの認定基準は農業生産、生物多様性、伝統的知識、技術の継承、文化、景観が対象となる。その評価基準からすれば、伝統的知識、技術の継承、文化などの評価点は高いのかもしれない。それにしても驚くのは、認定前からGIAHSを意識した公園整備やDVD、解説書の作成にかける周到な準備である。

 ここまで中国がGIAHSにかける意味合いは何だろう。中国には1958年から実施されている戸籍制度がある。すべての国民は「農業戸籍」(農村戸籍)と「非農業戸籍」(都市戸籍)に分けられており、社会保障や教育、医療などは、どこに戸籍があるかで変わってくる。行政サービスは戸籍地でなけらば受けられない。ところが、都市に産業立地が集中し、都市と農村の格差が広がっている。それでも人々の農村から都市への流失が起きている。これは日本でも同じだ。中国政府とすると、農村の生産基盤に付加価値をもたらすことで農村の生活基盤を安定させたい。おそらくそのような思いがGIAHSに傾注する一つの要因になっているのもしれない。

 この後、王羲之が書いた「蘭亭序」にちなんだ公園「蘭亭」(紹興市)に赴いた。353年、王羲之と当時の名士たち41人がこの地で集まり、曲水(曲がりくねった小川)の両側に座り、清流に流された酒盃が自分の前で止まったら即興で歌を詠むという宴会を楽しんだとされる。その様子が再現されて、人気スポットになっていた。竹林は京都のお寺のような雰囲気だった。

⇒1日(土)夜・浙江省青田県の天気 くもり

☆世界農業遺産の潮流=3=

☆世界農業遺産の潮流=3=

 世界農業遺産(GIAHS)の名称は「世界遺産」と混同されやすい。世界遺産は1972年にUNESCO総会で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が採択され、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ遺跡、景観、自然などをテーマに、文化遺産(日本では法隆寺、姫路城、古都京都、白川郷、原爆ドームなど)と自然遺産(屋久島、白神山地、知床など)がある。世界農業遺産は、国連食糧農業機関(FAO)が2002年に制定したもので、「Globally Important Agricultural Heritage Systems」。頭文字を取って「GIAHS(ジアス)」と呼ぶ。これを日本語に訳すると、「世界重要農業遺産システム」となるが、これでは理解しづらく国民に浸透しないと、2011年6月に能登と佐渡が認定を受けた折、認定に向けて働きかけをしてきた武内和彦国連大学副学長(東京大学サステイナビリティ学連携研究機構長・教授)らが一計を案じて、一般の略称である「世界農業遺産」をひねり出した。従って、世界農業遺産と呼ぶのは日本だけで、中国では「世界農業文化遺産」などと呼んだりしている。

              レジリエンスを特徴にする日本のGIAHS

 今回のワークショップの日本側の発表で一つのキーワードとなったのが「レジリエンス(resilience)」だった。レジリエンスは、環境の変動に対して、一時的に機能を失うものの、柔軟に回復できる能力を指す言葉。生物の生態学でよく使われる。持続可能な社会を創り上げるためには大切な概念だ。2011年3月11日の東日本大震災を機に見直されるようになった。「壊れないシステム」を創り上げることは大切なのだが、「想定外」のインパクトによって、「壊れたときにどう回復させるか」についての議論をしなけらばならない。よく考えてみれば、日本は「地震、雷、火事…」の言葉があるように、歴史的に見ても、まさに災害列島である。しかし、日本人は大地震のたびにその地域から逃げたか。東京や京都には記録に残る大震災があったが、しなやかに、したたかに地域社会を回復させてきた。ある意味で日本そのものがレジリエンス社会のモデルなのだ。

 レジリエンスと日本の世界農業遺産のかかわりついて述べたのは、国連大学サステイナビリティと平和研究所シニア・プログラム・コーディネーターの永田明氏だった。FAOによるGIAHSの認定基準は農業生産、生物多様性、伝統的知識、技術の継承、文化、景観が対象となる。さらに、日本の特徴として加味するのは3つある。1つ目は「レジリエンス」(自然災害、気象・気候、病虫害、市場価格、消費者ニーズへの対応)、2つ目は「地域の主体性」(農林漁業の従事者、企業、行政、NPO、ボランティア、都市住民の連携可能性、コミュニティ、高齢者の参画など)、3つ目はトータルな6次産業化(観光との有機的な連携の可能性、農山漁村の歴史・文化の活用、農林水産物のストーリー性の創出など)。加味する意味合いは、日本は先進国で初めて認定されたがゆえに、その特徴を出そうという意味合いでGIAHSの付加価値を高めることに意義がある。

 世界に誇ってよい日本の農山漁村文化があまたある。生物多様性や社会の復元力(レジリエンス)、そのような価値を世界に広める場がGIAHSだと実感した。

⇒31日(金)朝・浙江省青田県の朝 はれ

 

★世界農業遺産の潮流=2=

★世界農業遺産の潮流=2=

 世界農業遺産(GIAHS)の国際ワークショップが開催されている紹興市は中国・浙工省の江南水郷を代表する都市とされる。市内には川や運河が流れ、 その水路には大小の船が行き交っている。歴史を感じさせる建造物や石橋などと共に見える風景は「東洋のベニス」だろうか。人口60万人の水の都だ。

     「国策」としてGIAHSを推進する中国の思惑

 紹興と言えば「紹興酒」、中国を代表する酒だ。ワークショップが開催され、われわれの宿泊場所ともなっている「咸亨酒店(Xianheng Hotel)」は、「酒店」の名の通り、紹興酒の造り酒屋がルーツ。『阿Q正伝』を表した文豪、魯迅の叔父が1894年に開業した酒屋として中国では知られる。その咸亨酒店が出しているのが紹興酒「太雕酒(たいちょうしゅ)」。8年間貯蔵し熟成された上質の紹興酒は琥珀色、さらに熟成18年ものとなると赤黒くふくよかな味わいなのだ。これが浙江料理と呼ばれるラインナップに合う。とくに豆腐料理。浙江の豆腐は独特のにおいがする。「豆腐」の意味がなとなく理解できる。このにおいはすぐ慣れる。

 前回のブログで中国にいることを知った友人からメールが届いた。「こんなややこしい時期に中国に行って大丈夫か」との助言である。28日と29日の両日の街の様子など見た限りでは、テレビのニュースにあるような政治的なスローガンを掲げた喧騒は見当たらない。また、現地の浙江日報(28日付)を広げても、日本関係の記事は国際面に「日否決東京都登島申請」などと通常の記事扱いである。宿泊しているホテルの1階に「日本料理」の店もあるが、客は入っている。

 話を世界農業遺産のワークショップに戻す。国連の食料農業機関(FAO)はGIAHSサイトを100から150ヵ所で認定したいと述べている。このGIAHS認定で一番熱心なのは中国だろう。すでに世界で12件が認定されているが、このうち中国は4件。「Rice-Fish Agriculture(水田養魚農業)」(浙江省青田県)、「Hani Rice Terraces System(ハニ族の棚田群のシステム)」(雲南省ハニ族イ族自治州など)、「Wannian traditional rice culture system(万年の伝統的な稲作文化の仕組み)」(江西省万年県)、「Dong’s Rice Fish Duck System(トン族の稲作・養魚・養鴨システム)」(貴州省従エ県)である。これに、昨日の中国側の発表によると、来月(9月)に雲南省の「プーアル茶」の産地と内モンゴルの「乾燥地農業」が認定され、2件加わる。さらに、浙江省のカヤの林「会稽山の古香榧林」を準備中だ。広大で農業の歴史がある中国は有利だ。ここれほどまでになぜ中国はGIAHSに積極的なのだろうか。

 中国側の参加者のスピーチだ。「山に住んでいると、その山の景観や価値というものは分からない。下りて振り返って眺める、他の山から自分の山を眺めて初めて自分の山の価値が分かるものだ」と。GIAHS認定では、日本の場合(佐渡と能登)は地域の自治体が名乗りを上げて、申請書きを行う。中国は政府が主導している。農業振興という面もあるが、ハニ族やイ族、トン族といった少数民族への配慮もあるだろう。少数民族が守ってきた伝統の農業に国際評価をつける、その「山の価値」を見直してもらい、プライドを持たせるという明確な意図があるように思える。日本の地域活性化というレベルを超えた「国策」という勢いを感じたのは自分だけだろうか。 ※写真は、水郷の都・紹興をイメージした咸亨酒店の中庭

⇒30日(木)朝・中国の紹興市の天気  はれ 

☆世界農業遺産の潮流=1=

☆世界農業遺産の潮流=1=

 中国・雲南省のプーアル茶は世界に愛飲家がいる。加熱によって酸化発酵を止めた緑茶をコウジカビで発酵させる熟茶と、経年により熟成させた生茶があり、高いミネラル濃度によって飲むと血圧が下がり、血液循環が良くなると日本でもファンが多い。そのプーアル茶の産地が新たに世界農業遺産(GIAHS)に認定され、来月(9月)にFAOから認定を受けることになったようだ。

                       GIAHSを活用する日本と中国の期待

 きょう29日から中国・浙江省紹興市で開催されている「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)の席上で中国側から披露された。昨年6月、国連食糧農業遺産(FAO、本部ローマ)が制定する世界農業遺産に「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」が認定された。この国際的な評価をどう維持、発展させたらよいか、ワークショップでは中国と日本のGIAHS関係者120人が集まり、GIAHSに認定されたサイト(地域)の現状や環境保全、将来に向けての運営管理など意見交換するものだ。日本から農林水産省、東京大学、国連大学、石川県、佐渡市の関係者17人が参加した。石川県から泉谷満寿裕・能登地域GIAHS推進協議会会長(珠洲市長)、金沢大学の中村浩二教授、渡辺泰輔・石川県環境部里山創成室長らが出席している。

 ワークショップで泉谷会長は「能登は過疎・高齢化による耕作放棄地や後継者不足などに問題を抱えているが、世界農業遺産の認定によって、環境に配慮した農業やグリーンツーリズムへの関心が高まっている」と現状を説明。また、来年5月ごろに、石川県でFAO主催のGIAHS国際フォーラムが開催されることを報告した。中村教授は「能登の里山里海を未来につなぐため人材養成を行っている」と大学の取り組みを説明した。

 佐渡市の山本雅明生物多様性推進室長はこう佐渡の取り組みを紹介した。かつて、佐渡の水田は経済性や効率性を優先した土地改良が進み、大規模化、低コスト化が進む中、ため池がダムに変わり、土の水路がコンクリートへと変化し、カエルやドジョウなどトキの餌となる生きものたちの多様性が失われつつあった。また、かつてはトキを育んだ小規模な水田は効率性や農家の高齢化等を理由として、耕作放棄となり、トキの野生復帰とその餌場となりうる水田の保全にも危機が訪れていた。水田を餌場として活用する新たな農業への挑戦は、「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」から始まった。これは水田を餌場とするトキを守るため、生きものを育む農法を農業技術として同市が認証するシステム。水田に江(え)という「深み」を設置したり、冬期湛水、魚道の設置などの実施は、水田に棲むドジョウやカエルなどの小さな生きものの命を守り、生態系の再生を促し、トキの生息環境の向上につながると考えた。そして、農薬・化学肥料を大幅に削減することを加え、佐渡から新しい生物多様性保全型農業を創出した。

 中国では、積極的にGIAHSサイト(地域)を増やそうとしている。少数民族や農家に誇りを持たせ、生産の意欲や新たなツーリズムを開発しようというのだ。農村から大都市へ出稼ぎが相次ぎ、農村が空洞化する懸念があるからだ。双方が知恵を出し合い、手のかかる、高品質の農産物をつくり、世界のあすの農業を切り拓く。日本と中国のそんな思惑が交差する会議の印象だった。

⇒29日(水)夕・中国の紹興市の天気  はれ
 

☆いきもの俳句

☆いきもの俳句

 俳句の同好会に入っている。時間が合わず、実際に参加するチャンスも少ないが、投句をしたり、なんとか名前だけは連ねている。私が俳句にするテーマは庭や田んぼの虫や草花、山の木々や鳥たちが多い。生き物たちは季節感を感じさせるので、自分で「いきもの俳句」と呼んでいる。そんな中からいくつかを紹介する。

⇒ 田の五輪 競泳一位は 源五郎 (2012年7月句会)
 ロンドンオリンピックが始まった。実にテレビがにぎやかだ。同じように夏は田んぼもカエルの鳴き声やホタルが舞ってにぎやかだ。田んぼや池の泳ぎの名手といえばゲンゴロウだろう。後脚をうまく動かして、泳ぎがうまく素早い。見ていて飽きない。田んぼのオリンピックでは競泳で金メダルだ。

⇒ 人気なき 児童公園 若葉冷え (2012年5月句会)
 少子化の時代、児童公園にはかつてのように子どもたちのにぎやかな声が響かない。もちろん場所によっては子どもたちが楽しく遊んでいる公園もある。子どもたちの姿が見えない公園は雑草が伸び放題になって、荒れているところが心なしか多いように思う。大人の管理の目が行き届いていないのだ。そんな公園には親は子どもたちも遊ばせないだろう。そんな人気のない公園は、若葉がまぶしい5月になってもどこか「寒く」感じる。

⇒ 蝌蚪(かと)を追う 靴下のオーナー 千枚田 (2012年4月句会)
 棚田のオ-ナー制度で知られる輪島の千枚田。水を張った水田にさっそく都会から来た親子が田んぼに入っていた。よく見ると、一組の母と男の子は初めて田に入ったのか、靴下をはいている。その足元には蝌蚪(かと=おたまじゃくし)がうようよといる。男の子は田んぼを動き回るうちにじゃまになったのか靴下を脱いで、気持ちよさそうに田んぼではしゃいでいた。

⇒ 開花日は 桜一輪 兼六園 (2012年4月句会)
 ことしの春は4月に入っても雪の降る日があり、兼六園の桜(ソメイヨシノ)の蕾(つぼみ)は硬かった。金沢地方気象台が開花宣言したのは4月10日のこと平年より6日、昨年より3日それぞれ遅い開花となった。その日、兼六園を訪ねたが数輪が咲いているだけ。でも、ようやく春の訪れが目に見えてきた。

⇒ 蔵人の 麹揉む手や 庭の梅 (2012年1月句会)
 造り酒屋を訪ねる。ムッとする麹室(こうじむろ)の室温は43度を指していた。酒蔵の職人たち=蔵人(くらんど)が、蒸し米を揉み床でほぐし、種麹が入った缶を持った 手を高く上げて、揉み床に沿って移動しながら缶を振り、麹の胞子(種)をまいていく。さらに蒸し米に胞子が均一に付着するように揉み込む。根気の入る仕事だ。麹室から出て、庭を見ると紅梅が咲き始めていて、麹を揉む蔵人のほてった赤い手と同じ色だと思った。

⇒30日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆佐渡ベクトル

☆佐渡ベクトル

 佐渡の金山跡=写真・上=に入った(16日)。当時の坑道の様子が手に取るように分かる。鉱脈に沿って掘り進んでいくと大量の地下水が噴出したので、掘り進むために水上輪(手動のポンプ)が導入されていた。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したアルキメデス・ポンプを応用したもの。長さ9尺(2.7m)、上口径1尺(30.3㎝)、下口径1尺2寸(30.9㎝)位の円錐の木筒で、内部がらせん堅軸が装置されていて、上端についたクランクを回転させると、水が順々に汲み上げられて、上部の口から排出されるようになっていた。

 金山を中心に相川地区などは一大工業地となり、島の農業者は米だけに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能が盛んになった。島内の能舞台は33ヵ所で国内の3分の1は佐渡にある計算だ。金山の恩恵を受けたのは人間だけではない。小規模の米作農家も祖先伝来の土地を保有し続け、さらに農地拡大のため山の奥深くに棚田を開発した。人気(ひとけ)の少ない田んぼは生きものが安心して生息するサンクチュアリ(自然保護地域)となった。結果的に、臆病といわれるトキにとって佐渡はすみやすかったに違いない。

 そのトキがいまでは佐渡の人々に農業の展望、知恵と夢を与えている。7月16日から18日の日程で開催された「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)=写真・中=に参加した。同会議の佐渡市での開催は初めてで、期間中、日本、中国、韓国の3ヵ国を中心にトキの専門家や農業者ら400人が参加した。2008年9月のトキ放鳥に伴い、トキとの共生を掲げた地域づくりが住民に浸透し始め、2011年6月に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に登録されたことで、佐渡の人々の視野が世界に広がった。今回の国際会議はその意気込みを示すものだ。

 もちろん、それまでの地道な取り組みは評価に値する。日本で絶滅したトキという鳥を島全体で野生に返す取り組みを進めていたことが大きな背景となっている。さらに、「朱鷺と暮らす郷認証米」の取り組みで、米という日本人の主食を作る田んぼでの生態系の再生を進め、食と環境のつながり、環境を守る農業の役割をわかりやすく発信してきた。その米の販売が好調で収入を上げる効果となり、今では1200haを超える環境保全型の稲作に取り組む。農業、食、環境をキーワードとし、消費者を巻き込んだグリーンツーリズムも盛んだ。

 この認証米制度では認証要件が重要なポイントと言える。特に、佐渡市の示す「生きものを育む農法(減農薬)」の実施と、「生きもの調査」を義務づけていることだ。この取り組みは、農業の視点だけで見ると、作業やコストの負担が増加させている。しかし。この農業が順調に拡大している。佐渡の全稲作面積の実に2割(1200ha)にも達している。さらに、生きものの豊かさを検証し、トキの生息環境を把握する科学的データの評価手法も導入されている。「トキのGPSデータとモニタリングデータ」は研究機関の行った生物調査や農業者の「生きもの調査」を役立てるため、佐渡市で整備済みの「農地GIS」を改修して、環境省のトキモニタリングデータや新潟大学などで行われている生物種と密度調査を組み込むシステムだ。これにより、生き物を育む農法が、生物へ与える効果やトキが好む餌場の把握が科学的にできる。

 この前向きな取り組みが支援する企業や組織を増やしている。たとえば、組合員数388万人の「コープネット事業連合」が認証米のコンセプトに賛同し、組合員に販売にしている。ちなみに「朱鷺と暮らす郷」は1㌔550円余り=写真・下=。トキの野生復帰活動を契機に始まった生物多様性の保全を重視した独自の農業システムは、日本の新たな農業の姿となり、また、世界の環境再生モデルとなりえる。農業経済を縦軸に、生物多様性の環境を横軸に突き進む佐渡市の試みを、たとえば、右肩上がりの「佐渡べクトル」と呼ぶことにしよう。

 海では、映画「オーシャンズ」に登場したコブダイが大きなコブを見せて、島の北端では日本一のトビシマカンゾウの大群生地が島を飾る。徳川幕府に伐採を禁じられた島には多くの森が残り、杉の巨大林を形成している。トキという鳥の再生を願って昭和30年代からドジョウを田にまき、無農薬の水稲作りをしてきた地道な取り組みが今では世界で有数の環境に配慮した島づくりにつながっている。佐渡べクトルは先鋭である。

⇒20日(金)夜・金沢の天気  あめ

★中谷宇吉郎の言葉

★中谷宇吉郎の言葉

 人は死すれど、言葉は後世に伝わる。物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れたころにやってくる」を遺した。同じく物理学者の中谷宇吉郎も「雪は天から送られた手紙である」と。自らの研究で業績を遺したからこそ価値ある言葉として伝わり、名言として広まる。

 中谷宇吉郎の研究業績と人となりを紹介する「中谷宇吉郎雪の科学館」=写真=を昨日訪ねた。宇吉郎の出身地である加賀市片山津温泉に建物がある。館内を巡ると、北海道大学で世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出したこと、雪や氷に関する科学の分野を次々に開拓し、その活躍の場をグリーンランドなど世界各地に広げたことが分かる。館内では、アイスボックスの中でダイヤモンドダストを発生させる実験も行っている。意外だったのは、多彩な趣味だ。絵をよく描き、とくに随筆では日常身辺の話題から科学の解説まで幅広い広い。海外で学術学会があるたびに蓄音機とレコードと踊りの小道具を持参し、パーティ後に日本の踊りを披露していたとのエピソードがあるくらい。陽性な人柄が目に浮かぶ。『霜の花』など科学映画の草分けとしても知られる。

 研究と多趣味、その中から湧き出る泉のように言葉も脳裏をよぎったのだろう。それを書き留めては随筆として残した。科学館では、その中からいくつかを紹介している。転記する。

 「科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作る。それで何百万人という無辜(むこ)の人間が殺されるようなことがもし将来この地上に起こったと仮定した場合、それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである」(『日本のこころ』文芸春秋新社・昭和26年)

 「奈良朝から、千年以上も、同じ田に、同じ米をつくって今日までつづいている。千年以上のの連作ということは、世界の農業者の常識を超越したことである」(『民族の自立』新潮社・昭和28年)

 このブログを書いていて思い出した。中谷宇吉郎と言えば、「立春の卵」という随筆で知られる(『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫)。戦後間もない昭和22年、立春に卵が立つという迷信があり、それを新聞社が大々的に取り上げた。そこで、「卵は立春に限らず、いつでも立てることが出来る。新鮮な卵の表面にある3点以上の出っ張りを足として卵を支え、卵の重心をそこに落とすべく、少しだけ根気よく作業すれば、生卵であっても、ゆで卵であっても…」と説いた。そして「人間の盲点があることは誰も知っている。しかし人類にも盲点があることはあまり知らないようである。卵が立たないと思うぐらいの盲点は大したことではない。 しかし、これと同じようなことが、いろんな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである」と記した。科学を一般の人々に分りやすく伝える方法として随筆を書いたのだった。

 館内を一巡して、雪の結晶を蒔絵にした輪島塗の文箱=写真=が展示されていた。昭和16年(1941)に学士院賞を受賞した折、親戚が贈ったものと記載されてあった。「中谷ダイヤグラム」と呼ばれるさまざまな雪の結晶はまさに芸術である。それを精緻に表現している作品だと感じた。

16日(祝)朝・金沢の天気  はれ