⇒トピック往来

★自民「まだまし」大勝

★自民「まだまし」大勝

 それにしても実に淡々とした選挙だった。国民に選択を迫るようなキャッチフレ-ズがあったわけではない。新たな時代の気分が醸成された訳でもない。自民が絶賛されるような公約を打ち上げわけでもない。第46回衆院選挙の投票率(小選挙区)は、59%前後となりそうで、前回(2009年8月30日)より10ポイントほど下落し、第41回(1996年10月20日)と並んで戦後最低水準に落ち込んだようだ。要は面白くない選挙だった。

 その理由のいくつかを考えてみる。民主が分裂したこと。さらに、政党の離合集散で12政党が候補者を出し、まさに多党乱立。前回の「政権選択」といった明確な選挙の構図に比べ、争点が分かりにくかったことだろう。

 自民は第44回(2009年9月11日)の郵政選挙以来の大勝で、単独過半数(241議席)を大幅に超えた。それほどに魅力ある公約を打ち出しての勝利だったのか。「民主政権はひどかった。自民の方がまだまし」というが、今回の大勝の背景ではないだろうか。

 私自身、選挙にはなるべく行くようにしている。そうしないと選挙の実感がわかないからだ。一票を投じると、その選挙がよく見える、選挙を考えるものだ。きょう午後1時過ぎに、自宅近くの投票場(小学校)に行った。毎回同じ時間に投票に行っている。駐車場の混み具合は前回並みだった。投票場は体育館だが、これまでは、入り口で上履きを脱ぎ、スリッパに履き替えて入場したが、今回はビニールシートが床の上にはってあり、上履きでも行けるようになっていた。周囲を観察すると、心なしか、高齢者の姿が少なかった。20代とおぼしき、若い人がいた。出口では地元のテレビ局が出口調査を行っていた。

 午後9時、金沢市の開票場となっている中央市民体育館に行った。同9時30分から開票作業が始まった。ここでは、2階の開票場の様子が3階から見渡すことができる=写真=。新聞社やテレビ局の調査スタッフがざっと60人近く開披台調査を行っていた。双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。石川1区(金沢市)の場合、自民の馳浩(はせ・ひろし)氏と民主の奥田建(おくだ・けん)氏、維新の小間井俊輔(こまい・しゅんすけ)氏、未来の熊野盛夫(くまの・もりお)氏、共産の黒崎清則(くろさき・きよのり)氏の候補者5人がいる。双眼鏡で覗くスタッフが「ハセ、ハセ、オクダ、ハセ、コマイ…」などと読み上げる。それを、別のスタッフが○でチェック記入して、多い候補者が50ポイントなるまで読み上げる。すると、「馳50、奥田23、小間井22、熊野7、黒崎6」などと数字が出てくる。この時点で、いったん終了し、別の開票者の手元をチェックする。

 午後9時50分に選挙管理委員会が開票速報の第1回をボードに貼り出した。各候補者はまだゼロとなっていた。が、この時点である新聞社と系列のテレビ局の合同の開披台調査では、「馳1000、奥田430、小間井400、…」の数字を掴んでいた。

 北陸は「保守王国」とも言われ、自民が比較的強い。ただ、石川1区(金沢市)の投票行動は選挙全体の縮図のようなところがあり面白い。石川1区の選挙結果(確定票)を分析してみる。当選の馳(自民)は99,544票、2番目の奥田(民主)47,582票、小間井(維新)41,207票、熊野(未来)10,6291票、黒崎(共産)8,969票だ。2009年の前回では奥田12万5千、馳11万7千だった。これまで3回の衆院総選挙では馳、奥田はそれぞれ10万票前後で競ってきた。つまり基礎票がそれぞれ10万なのだ。

 ところが、今回は奥田、小間井、熊野でほぼ10万票、ということは奥田のもともとの基礎票10万を3人で分け合ったカタチとなった。馳が伸びたのではなく、奥田が半減したのだ。乱暴な言い方をすれば、「自民まだまし、民主には幻滅、維新に少し期待」という有権者の思いが数字に表れた、とも言える。裏返しで言えば、自民は数字の上では大勝だが、これは敵失での勝利だ。むしろ、本格的な政変の始まりなのかもしれない。

⇒16日(日)夜・金沢の天気   はれ   

★スペースデブリ

★スペースデブリ

  何の利用価値もなく、地球の衛星軌道上を周回している人工物体のことをスペースデブリ(space debris)と呼ぶそうだ。debrisは破片または瓦礫(がれき)と訳される。つまり、宇宙ゴミのことだ。宇宙開発に伴ってその数は年々増え続けている。耐用年数を過ぎ機能を停止した、または事故・故障により制御不能となった人工衛星から、衛星などの打上げに使われたロケット本体や、その部品、多段ロケットの切り離しなどによって生じた破片など。多くは大気圏へ再突入し燃え尽きたが、現在も4500㌧を越える宇宙ゴミが残されている(「ウイキペディア」より)。

 昨日、北朝鮮が弾道ミサイルの技術を使って、自前の運搬手段で人工衛星を打ち上げた世界10番目の国になったと報じられた。最初に打ち上げたのはソビエト(当時、1957年)で、韓国も人工衛星を打ち上げているが、自前のものではなく、ランキング上では北朝鮮に抜かれた格好だ。

 今回のニュースで感じるのは「タイミング」ということである。韓国は11月29日に人工衛星「羅老(ナロ)」の打ち上げを中断した。その直後、北朝鮮は今月12月1日に、人工衛星「光明星3号」の2号機を搭載した銀河3号ロケットを12月10日から22日までの間に打ち上げると発表した。今年4月13日に同型ロケットの打ち上げ失敗しているので、今回の打ち上げは失敗の原因を分析し、性能を向上させた上での満を持した再チャレンジとも推測できる。発射時期のこのタイミングは単なる偶然か。

 韓国の「中断」、北朝鮮の「成功」で、政権を世襲した金正恩第一書記は今ごろ優越感に浸っているだろう。今年を「強盛国家」建設の年と位置づけているので、その求心力を高めることにも成功したことになる。

 それにしても、北朝鮮は今月10日、1段目のエンジン制御システムに技術的欠陥が見つかったとして、発射予告期間を29日まで1週間延長すると発表していた。その舌の根も乾かない2日後の短期間で発射できたのか。発射にまつわる情報操作だったのか、なぜそのようなことをしなければならなかったのか、など次々と疑問が浮かぶ。

 今回の北朝鮮の打ち上げ成功で、アメリカ本土にまで到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成に一歩近づいたとも言われ、世界の新たな脅威がまた一つ増えたことになる。そして、「衛星」については「実質的な衛星の役割をできない非常に初歩的な水準」とも指摘されている。つまり、スペースデブリがまた一つ増えたことになる。

⇒13日(木)朝・金沢の天気   はれ

★続・総選挙の新「第3極」

★続・総選挙の新「第3極」

 昨日のブログ「総選挙の新『第3極』」の続き。滋賀県の嘉田由紀子知事が27日午後に大津市で記者会見し、衆院総選挙に向けて、「卒原発」を基本政策に掲げた新党「日本未来の党」の結成を発表した。これに呼応し、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は合流を表明し、当日「生活」を解党した。新「第3局」が一気に創られた。

 昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。

 面白いのは、代表代行に飯田哲也氏が就いたことだ。飯田氏は、もともと日本維新の会代表代行の橋下徹氏(大阪市長)の脱原発ブレーンで「環境エネルギー政策研究所」所長である。橋下氏は石原慎太郎氏の「太陽の党」との合流の折に「脱原発」方針を後退させている。つまり、脱原発の橋下支持派を分断する。おそらくこの一連のシナリオを描いたであろう小沢氏は、脱原発をテコにして「橋下崩し」の一手を打った。

 さらに面白いのは、記者会見で嘉田氏は「国民の生活が第一の小沢一郎代表が、連携する気持ちをお持ちならば、方向性としてはありうる」との表現で連携を呼び掛けたことだ。この表現は実に計算されている。嘉田氏を知る誰しもが抱く疑念はおそらく、「嘉田さんは、海千山千の小沢さんと本当にうまくやっていけるの…」という点だろう。だから、嘉田氏はラブコールの姿勢ではなく、ちょっと突き放した表現「よかったらどうぞ」で、あくまでも主導権は嘉田氏が執るとのスタンスを崩さなかったのだろう。

 この呼びかけを受けて、「国民の生活が第一」はこの日の夕方、常任幹事会を開き、解党を決めた。小沢氏は「『未来の党』と合流し、いっしょに選挙を戦う」と記者たちに表明した。小沢氏は、前衆院議員だけで50人の勢力を有する党を4ヵ月余りで惜しみなく解党し、これまで誰も予想だにしなかった嘉田氏という新しい党の顔を獲得した。平成5年(1993年)の衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創り出し、そこをバネに細川政権の樹立へと動いた当時と様相が似てきた。これが、小沢流の政治のダイナミズムなのだろう。 

 さらに「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の河村たかし氏(名古屋市長)も合流する。「みどりの風」や、社民党の離党者、阿部知子氏らもこの日に参加を表明した。「女性の顔」と「脱原発」は日本を変えるか、小沢氏は次なる勝負に出た。

⇒28日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆総選挙の新「第3極」

☆総選挙の新「第3極」

 今朝7時35分ごろ、金沢市内の平野部で霰(あられ)が降った=写真=。自宅近くでも1分間ほど降り、登校の子どもたちが騒ぎながら小走りで学校へと急いだ。きょうの朝刊も騒がしい。「卒原発」を掲げる滋賀県の嘉田由紀子知事が、新党結成に動き出したことでもちきりだ。きょう27日午後、記者会見するという。

 各紙を読むと、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らとの連携を模索しており、脱原発を旗印とした「第3極」勢力の結集につながる可能性がある、と書かれている。仕掛け人は小沢氏だろう。ここで「小沢構想」を深読みすれば、2つのことが浮かぶ。1つ目は、第2次新党ブームともいうべきトレンドだ。

 平成5年(1993年)7月18日に実施された衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が前年に結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創りだした。それまでは、社会党が「土井たか子ブーム」を巻き起こしていたが、新党ブームに押されて議席数を半減(70席)させた。理念や政策、政治手法が異なった8つの党・会派をまとめるために、政界再編・新党運動の先駆者として国民的に人気の高かった細川氏を担ぎ上げて新政権を樹立したのは、新生党代表幹事だった小沢氏の功績だった。今回の選挙では、「安部」「石原」「橋下」の男の顔は見えるが、女性の顔が見えない、さらに狼煙が上がっている脱原発の顔が政治の舞台で見えない。そこで、政局のトレンドを読むことに長けた小沢氏は「新たな女性の代表」「脱原発」のシンボルとして嘉田知事を担ぎ上げようとしているのだろう。

 小沢構想の2つ目は「橋下崩し」だろう。嘉田氏は昨日の会見で、日本維新の会の橋下徹氏について、「太陽の党と合流して、私も『(卒原発の)仲間を失った』と述べさせていただいた」と、すでに連携できない関係にあることも強調している。嘉田氏は「関西の水」の守護者でもある。若狭の大飯原発で大事故が起これば、 関西1200万人の「水がめ」である琵琶湖は汚染され甚大な被害をもたらす、というのが嘉田氏の「卒原発」の柱だ。選挙戦でここを強調すれば関西の有権者は「嘉田新党」になびく、つまり勢いに乗じる維新の会を分断できると考えているのだろう。

 ある意味で、「小沢構想」は一義的に「脱原発」という争点のテーマを浮き上がらせた、つまり有権者に明確な選択肢を与えたことになる。月並みな言葉だが、新「第3極」は有権者の間で漂っていたもやもや感を随分すっきりさせてくれた。午後の記者会見が注目される。

⇒27日(火)朝・金沢の天気  あめ・あられ

★解散・総選挙への一日

★解散・総選挙への一日

 きょう(14日)午前、石川県内のある市長と面談する機会があった。市長は元県議会議員で、「政局」を読むに敏感だと定評があるので、あえて水を向けてみた。「年末の解散、総選挙など政局はどう動きますか」と。即答だった。「結局、民主党は大分裂を起こして選挙突入だね」と。この後、午後の党首討論で「16日に解散してもよい」との野田総理の発言が出て、解散(11月16日)・総選挙(12月4日公示、16日投開票)の嵐が吹き始めた。

 市長が「大分裂」と言ったのは、決議支持率が低迷する中の解散・総選挙では民主の苦戦が必至で、すでに同党の一部議員による新党結成や、有力議員の日本維新の会への合流など離党の動きが出ている。そこで、13日の民主党常任幹事会で「党の総意」として年内解散に反対する方針で合意していた。にもかかわらず、野田総理は党の分裂を覚悟で、「16日解散」を表明したのである。市長の読みは的中したことになる。

 きょう午後の党首討論の様子をテレビで視聴して、どちらが役者が上か考えた。総理は衆院小選挙区の「1票の格差」を是正するための「0増5減」の法改正を今国会で成立させ、かつ来年の通常国会で「比例代表定数の40削減」(民主案)など大幅な定数削減を条件にあげ、それを自民党の安倍総裁が確約すれば「16日に解散してもいい」と提案したのだった。安倍総裁は即答できなかった。党首討論後に自民党は定数削減に関しても協力する考えを表明、これで解散の条件が整ったと言える。

 役者とすれば野田総理が上だろう。これまで「近いうち解散」を言いながら延び延びとなっていて、12日の衆院予算委員会では石破自民幹事長から「うそつき」とまで。そこまで言われて、総理は攻勢に出た。今度は、自民党に定数削減の確約を迫ったのである。解散は総理の専権事項であり、野田氏は主役を演じきった。それにしても異例の「解散宣言」だった。

 きょう午後8時前、知り合いの新聞記者からメールが届いた。「12月16日の晩」に選挙調査で学生を紹介して欲しいとの依頼だった。「開披台(かいひだい)調査」のアルバイトである。選挙でで出口調査は知られているものの、開披台調査は一般では聞きなれない。投票が締め切られる午後8時以降、各投票場から投票箱が続々と開票場に集まってくる。そして9時過ぎごろから実際の開票が始まる。投票箱が開けられ、票がばらまかれる台は「開披台」と呼ばれる。その票を自治体の職員が候補者ごとに仕分けしていく。調査のアルバイトはペアを組んで、その職員の手元を双眼鏡で覗き、どの候補者が何票得ているかカウントする。「A候補が50、B候補が40、C候補が10」というように、軸となるA候補が50になるまでカウントして、その他の候補の数字と比較する。

 こうしたペアが同じ開票場に10数組配置され、それぞれ異なった開披台を調査する。電話でデータ集計本部に連絡される。この調査では、A候補が2000になった時点で、実際の開票終了時との集計誤差はプラス、マイナス3%にまで高められるとされる。この調査に、大学生らが新聞-テレビの1系列で全国で数千人規模でアルバト動員される。

 総選挙になると、「元新聞屋・テレビ屋」の血が騒ぐ。2012年末まで政局は一気に走る。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   雷雨

★現代版「竹取物語」

★現代版「竹取物語」

 新聞記者時代に新人研修として新聞用紙の生産現場を訪れたことが記憶にある。富山県高岡市にある中越パルプ工業伏木工場だった。1978年(昭和53年)のことだ。鉄製の狭い階段をアップダウンしながら工場をひと回りした。覗き込んだ大きなタンクの底にある白い液体、これが紙になるのか、と。日本の経済成長を支えてきたのは、ある意味で紙だ。新聞というメディア、紙幣だってそうだ、契約文書、書籍、チラシ、そしてテッシュペーパーやトイレットペーパーなど生活用品にいたるまで。しかし、紙幣や文書、書籍は別として、われわれのイメージとして、紙は「使い捨て」の代名詞でもある。

 その紙から、里山の問題を考えさせるセミナーが昨日(10月31日)、金沢大学角間キャンパスであった。企画したのは香坂玲准教授。講師は、中越パルプ工業の西村修・企画営業部長。同社は、竹紙(たけがみ)を生産している。竹の伐採や運搬、原料チップの加工など、竹は木材に比べ効率が悪く、コスト面で不利とされてきたが、あえてそれに挑んだ。地域の住民や、チップ工場などの協力を得ながら集荷体制を築き、竹パルプ10%配合の製品を開発。さらに工場設備を増強し、2009年は国産竹100%の紙を販売。封筒やはし袋、コップといったほかに、パンフレットやカレンダー、名刺やノートなど使用用途を広げるために工夫をこらしてきた。現在、年間で2万㌧(67万本相当)の竹を使う。日本の竹のみを原料とする紙を「マスプロ製品」として生産する唯一の会社といってよい。

 では、なぜパルプ原料を竹にこだわるのか。モウソウ竹などは、タケノコなどの食材や、竹垣など家屋、また工芸品などとして現在でも広く使われ、日本人の食と生活、文化に密接している。が、そうした「竹の需要」は全体的に減っている。また、竹林を管理する人が高齢化し、後継者も少なくなっている。その結果、放置された竹林が森林を侵食して荒廃させる問題が全国的に起きている。金沢大学の山林でも、竹林は年間6㍍のペースで広がっていると指摘する人もいる。さらに、金沢のかつてのタケノコの産地だったいくつかの山々はすっぽりと竹に覆い尽くされてもいる。根が浅い竹林では豪雨による土砂崩れの事例も聞く。

 竹林を放置するのではなく、活用できないか。西村氏は「竹の活用用途を考えた場合、多くは量的に期待できない。紙原料だったら、竹を大量に使う」と同社が社会貢献としてこの事業に取り組んでいることを強調した。ただ、難点はまだ生産コストが高いこと。普通紙の倍以上はかかる。同社では、寄付金付き国産材活用ペーパーとして「里山物語」を商品化している。用紙価格に上乗せた寄付金を、NPO法人を通じて里山の再生と保全活動をサポートするために使っている。使い捨ての紙であるがゆえに必要とされる大量の竹、その薄い紙に込めた製紙会社の里山保全への想いが伝わってくる。現代版「竹取物語」といえないか。

⇒1日(木)朝・金沢の天気  雷雨

★愛されるキノコ

★愛されるキノコ

 能登半島の秋はキノコのシーズンだ。けさ(13日)、金沢から能登有料道路、主要地方道「珠洲道路」を経由して、半島の先端・珠洲市に着いた。沿道のあちこちに車が止まっていた。おそらくキノコ狩りの車だ。また、沿道近くの山ではビニールテープが張り巡らされている。これは、ナワバリ(縄張り)と言って、山林の所有者が「縄が張ってあるでしょう。立ち入ってはいけません」とキノコ狩りに人々に注意を促すものだ。つまり、マツタケ山の囲いなのだ。

 キノコ狩りのマニアは、クマとの遭遇を嫌って加賀地方の山々を敬遠する。そこで、クマの出没情報が少ない能登地方の山々へとキノコ狩りの人々の流れが変わってきている。本来、能登地方の人々にとっては迷惑な話なのだが。

 能登の人たちが「山のダイヤ」と呼ぶキノコがある。コノミタケだ。ホウキダケの仲間で暗がりの森の中で大きな房(ふさ)がほんのりと光って見える。見つけると、土地の人たちは目が潤むくらいにうれしいそうだ。「ありがたや」と拝むお年寄りもいるとか。1㌔7000円から1万円ほどで取り引きされ、マツタケより市場価値が高い。高値の理由は、コノミタケはスキヤキの具材になる。能登牛(黒毛)との相性がよく、肉汁をよく含み旨味で出て、香りがよい。能登の人たちは、キノコのことをコケと呼ぶが、コノミタケとマツタケをコケと呼び、それ以外はゾウゴケ(雑ゴケ)と呼んで区別している。加賀からキノコ狩りにやってくる人たちのお目当ては、シバタケだ。アミタケと呼ぶ地域もある。お吸い物や大根のあえものに使う。でも、能登に人たちにとってはゾウゴケなのだ。コノミタケへの思い入れはそれほど強い。

 能登で愛されるコノミタケは能登独特の呼び名だ。でも詳しいことは分かっていなかったので、金沢大学の研究員が調べた。能登町や輪島市の里山林に発生しているコノミタケの分類学的研究を行ったところ、ホウキタケの一種でかつて薪炭林として利用されてきたコナラやミズナラ林などの二次林に発生していることが分かった。研究者は鳥取大学附属菌類きのこ遺伝資源研究センターや石川県林業試験場と協働で調査を進め、表現形質の解析および複数の遺伝子領域を用いた分子系統解析を進めたところ、コノミタケが他のホウキタケ類とは独立した種であることが確認されのである。そこで、ラマリア・ノトエンシス(Ramaria notoensis、能登のホウキタケ)という学名を付け、コノミタケを標準和名とすることを、2010年5月に日本菌学会第54回大会(東京)で発表した。

 学名は付いた。しかし、コノミタケは発生量が減少傾向にある。発生地である薪炭林の老齢化や荒廃化により生息地が縮小しているのだ。

⇒13日(土)朝・金沢の天気   はれ

☆イチゴと給食問題

☆イチゴと給食問題

 ヨーロッパでのスローフードや村づくりに関するコラムをこれまで2回書いてきた。それに関連して、10日付の新聞各紙の紙面やWebで目に留まったニュースを一つ。

 ドイツで9月25日から28日にかけて、東部のブランデンブルグ州やザクセン州計5州の学校や幼稚園で園児や小学生1万1千人以上が給食の食材からノロウィルスに感染し、下痢や吐き気などの症状を訴え32人が入院する過去最大規模の食中毒事件が起きた。ドイツ政府がロベルト・コッホ研究所などに委託した調査で、給食に使われた中国産の冷凍イチゴからノロウィルスが検出された。

 ドイツの連邦消費者保護・食品安全庁の調査によると、給食は世界最大手の給食業者であるフランスのソデクソ社が提供したもので、イチゴはドイツ国内の給食センターで砂糖煮に調理された。しかし、加熱が不十分だったためノロウィルスが死滅しなかったのが原因と分かった。当初食中毒の関連を否定していたソデクソ社は「子どもたちの回復を願う」として陳謝し、補償として被害者に計55万ユーロ(5500万円)相当の商品券(1人5000円相当)を送る予定という。問題のイチゴは回収が進み、被害の拡大は食い止められたが、「中国産」がクローズアップされ政治の舞台でこの問題が取り上げられた。

 現在のイチゴは、18世紀にオランダで南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種が交配されて生まれ、さらにフランスやイギリスで品種改良された(農水省ホームページより)。いわば、ヨーロッパ人の知恵と工夫で栽培された果物である。イチゴのシャルロッテはドイツ人が考案した子どもも大人も好きなデザートだ。今回問題となった「中国産」を、連合・緑の党がやり玉にあげた。「なぜ子どもたちが中国産イチゴを食べているのか。この季節、新鮮な地元のリンゴの砂糖煮を食べればよいのではないか」(エズデミル代表)と。これに対し、政府の食料・農業・消費者保護大臣は「地元の食材を食べるべきだ」と同調した(10日付・中日新聞記事より)。

 上記記事の簡略化された発言内容では前後の言葉のニュアンスが使わってこないが、ドイツの政治関係者がショックを受けているのは、輸入食品の安全性もさることながら、子どもたちに与える給食の食材をなぜわざわざ、東アジアの中国から輸入しなけらばならなかったのかという点だろう。しかも、季節外れの食材をなぜ、と。学校給食の食の在り方を論じている。これは健全な議論である。給食は、栄養価と大量仕入れがカギとなる。レモンを上回るとされるイチゴのビタミンCを摂取し、しかも大量仕入れとなると、旬の地元のリンゴより、中国産の輸入イチゴにドイツの給食業者は魅力を感じたのだろう。スローフード、反ファストフード、反・食のグローバル化の意識が広がるヨーロッパでも、これが足元の学校給食の現実なのかもしれない。

 日本でも同じように学校給食が問われている。食糧自給率が40%の日本で、せめて子どもたちの学校給食だけでも地産地消をと頑張っている自治体もある。しかし、それでも「地産地消率」40%を超えるところは全国的に見ても多くはない。ドイツと同じ問題が起きる要素は日本の方が十分はらんでいる。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   はれ

★ドイツの美しき村

★ドイツの美しき村

  ドイツも田園景観に力を入れている国だ。4年前(2008年)に訪れたアイシャーシャイド村は、生け垣の景観を生かした村づくりが特徴だった。ドイツが制定している「わが村は美しく~わが村には未来がある」コンクールの金賞を受賞(07年)した、名誉ある村である。この制度は40年も前からある。

 人口1300人ほどの村が一丸となって取り組んだ美しい村づくりとはこんなふうだった。クリ、カシ、ブナなどを利用した「緑のフェンス」(生け垣)が家々にある=写真=。高いもので8mほどにもなる。コンクリートや高層住宅はなく、切妻屋根の伝統的な家屋がほどよい距離を置いて並ぶ。村長のギュンター・シャイドさんが語った。昔は周辺の村でも風除けの生け垣があったが、戦後、人工のフェンスなどに取り替わった。ところが、アイシャーシャイドの村人は先祖から受け継いだその生け垣を律儀に守った。そして、人工フェンスにした家には説得を重ね、苗木を無料で配布して生け垣にしてもらった。景観保全の取り組みは生け垣だけでなく、一度アスファルト舗装にした道路を剥がして、石畳にする工事を進めていた。こうした地道な村ぐるみの運動が実って、見事グランプリに輝いたのだった。

 この村には北ヨーロッパの三圃式農業の伝統がある。かつて村人は、地力低下を防ぐために冬穀・夏穀・休耕地(放牧地)とローテーションを組んで農地を区分し、共同で耕作することを基本とした。このため伝統的に共同体意識が強い。案内された集会場にはダンスホールが併設され、バーの施設もある。ここで人々は寄り合い、話し合い、宴席が繰り広げられるのだという。おそらく濃密な人間関係が醸し出されていた。ベートーベンの6番「田園」の情景はアイシャーシャイド村そのものである。第1楽章は「田舎に到着したときの晴れやかな気分」、第2楽章「小川のほとりの情景」、第3楽章「農民達の楽しい集い」・・・。のどかな田園に栄える美しきドイツのコミュミティーなのである。

 当時、村長から「日本の村はどうだい」と尋ねられたが、ちょっと言葉に窮した。日本の村では、個々の家で生け垣は残るものの、村の景観を地域ぐるみで美しくしようという運動は当時認識が浅かったせいか、聞いたことがなかった。前回紹介した『なぜイタリアの村は美しく元気なのか~市民のスロー志向に応えた農村の選択~』(宗田好史著・学芸出版社)によると、農村振興を狙いとした「美しい村」の認定制度は日本にもある。

 ただ制度は国によって異なる。フランスの場合は、人口2000人未満の地域、最低2つの文化遺産があること、土地利用計画で規制があることなどをクリアしなけらばならない。現在150余りの町村が認定されている。ドイツのアイシャーシャイド村の場合、まず景観を良くする、次いで伝統文化の保全と食文化を振興するという村長の話だった。これは私見だが、美しい村へのアプローチは、「文化から入るイタリア」、「景観から入るドイツ」、「制度から入るフランス」と多様な価値観があって面白い。

⇒8日(月・祝)朝・金沢の天気   はれ

★能登の栗物語

★能登の栗物語

 俳句の同好会に参加していることは以前述べた。俳句は「5・7・5」という字数の決まりごとがあり、季語を入れる。心象風景などを表現するが、面白のは同じものを見ても、見る人によってその心象が違うことだ。自我流の俳句だが、いくつか紹介する。今回は能登に関するものがテーマだ。

⇒ 華やかな マロングラッセや 能登の栗(2012年9月句会)
 金沢市内のデパートの食品売り場や高級洋菓子店で最近、「能登産栗」のマロングラッセが並んでいるのを見かける。能登の山の中で栽培された栗が大きく実り、都会に出てマロングラッセとして洋菓子になり、金紙や銀紙に包まれ華やかに店頭を飾る。まるでシンデレラの物語のようではないか。栽培現場を見ているので私自身もうれしい。ましてや、生産者はわが子のことのように誇らしく思っているに違いない。

⇒ 栗食ひをる 放牧の豚 丸々と(同上)
 能登半島の穴水町で養豚業を営む道坂一美さんは「のと猪部里児(いべりこ)」の商標登録を最近得た。エコフィード(食品残さ飼料化)による養豚を目指し、エサには多種類の野菜やワイン製造過程で出るブドウの搾りかすを使う。秋のこの時季になると放牧場と隣接する森に豚を放ち、落ちているドングリや栗を食べさせる。山のタンニンなどの栄養で肉質がしまる。「里山で生まれた高級食材として付加価値をつけて売り込んでいきたい」と道坂さんは話している。

⇒ カキ殻播く 畑の葡萄 赤々と(同上)
 同じ穴水町では「能登ワイン」のワイナリーやブドウ畑が見学できる。穴水湾で生産されるカキの殻を1年間天日干しにして砕きブドウ畑に入れる。すると能登特有の赤土の土壌が中和され、またミネラルが補強されて、ヤマソービニオンなど品質のよい醸造用ワインのブドウができる。最近、国産ワインのコンテストで銀賞を獲得するなど注目されている。そのブドウの搾りかすを道下一美さんたちが回収して豚に食べさせ大きく育てている。この循環が物語になり、ワインを飲んでも、豚を食べてもおいしく感じる。この話に感動した金沢のワインのソムリエ辻健一さんは、道下さんが生産した豚肉のバーベキューと能登のワインを楽しむ「マリアージュ・ツアー」(2012年11月11日)を企画している。念のため、マリアージュ(mariage)は、男女のお見合いではなく、ワインと食べ合わせのよい料理という意味で使っている。

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