⇒トピック往来

★福島から-中-

★福島から-中-

  三井物産環境基金の交流会シンポジウムで、緊急地震速報のアラームが携帯電話に一斉に鳴り響いたのは午後4時24分08秒だった。キューキューという鈍いアラーム音だ。会場が騒然となった。「栃木で地震が発生」とある。まもなく、シンポジウム会場の「ラコッセふくしま」4階ホールでも軽い揺れを感じた。日光市では震度5強の地震だった。

     安心と安全のパーセプションギャップ

  この地震速報の前後でパネルディカッションが熱気を帯びていた。そのキーワードは「徐前の費用対効果」だった。飯館村村長の菅野典雄氏は、放射能で汚染された土壌の改良、つまり除染に関しては、国家プロジェクトでやってほしいと述べた。つまり、避難している村民が戻ってきて、仕事や生活ができるような環境は、除染が大前提である、と。費用3200億円(20年間)をかけて除染を急いでいる。「放射能とは長い戦いになる。しかし、除染をすれば数値は下がる。これ(除染)をやらなければ避難している村民に戻ろうと言えない」、「それを『費用対効果』で語る政治家がいるのは残念だ」と述べた。

  さらに、村長は「このままでは勤労意欲の問題にもかかわる。村に戻って農産物などモノづくりを始めなければ」と。モノは売れないかもしれないが、「つくれる」ことが人の気持ちを前向きにさせる、と。「除染・帰村」が村長の方針だ。

  これに対し、放射線病理や放射能疫学が専門の鈴木元・国際医療福祉大学教授は、「除染に関してはグランドデザインやプランが必要」と述べた。除染の暫定基準値は「仮」の数字で科学的ではない。「不安をあおっただけではないか。何も全域除染する必要はないのではないか」と。「元に戻る」ことは、元の生産活動形態を戻すことでなくてもよいのではないか、と。その一例として、チェルノブイリでジャガイモやナタネが生産されている。これは食料を生産するのではなく、セシウムを除いてエタノール、つまりバイオエタノールを生産するすために栽培されている事例を上げた。村に必要なのはこうした、再生のための産業デザインであって、「除染ありきではないのではないか」と提案したのだ。冒頭のアラームはこのときに鳴り響いたのである。

  また、鈴木教授は、「安心と安全のパーセプションギャップ(perception gap)が起きている」と強調した。リスクの受け止め方は人によって異なる。原発事故で、科学的に安全であっても、安心ではないという認識のずれが起きているいう。その安心を優先させるために膨大なコストをかける必要があるのか、との問いである。

  村長の言葉も印象的だった。「(原発事故で)故郷を追われて出た者の気持ちとして、すくなくとも全部除染してほしい。住民同士が寄り添う気持ちはこうした環境から生まれる」

⇒26日(火)朝・福島市の天気  はれ

☆福島から-上-

☆福島から-上-

  福島市に来ている。積雪はJR福島駅周辺で25㌢ほどだろうか=写真=。新聞やテレビのニュースを見ていると、地吹雪や視界不良で磐越自動車道が一時交通止めになったり、山形新幹線が一時立ち往生、南会津町でスキー大会が中止、きょう25日の国公立大学2次試験で会津大学の試験時間を2時間繰り下げたと報じている。

       飯館村村長の「までいライフ」

  福島を訪れたのは、三井物産環境基金で助成を受けた団体の交流会に参加するためだ。金沢大学は2006年から3年間「能登半島 里山里海自然学校」事業、2009年から3年間「能登半島における持続可能な地域発展を目指す里山里海アクティビティの創出」事業で支援を受けた。この支援で画期的だったのは、能登半島の最先端で廃校となっていた小学校校舎(3階建て)を借り受け、その後も大学の能登における地域人材の養成やフィールド研究(大気観測など)、地域交流の拠点となっていることだ。つまり、三井物産環境基金の助成金が「シードマネー」となり、能登での研究や地域貢献活動が広がったのである。

  交流会のテーマは「民間の力を活かした福島復興を考える」。同基金は2005年から「地球気候変動問題」や「生物多様性および生態系の保全」、「水資源の保全」、「表土の保全・森林の保護」、「水産資源の保護・食糧確保」、「エネルギー問題」、「持続可能な社会の構築」の6分野で研究や活動、復興(2011年度から)の支援を行っていて、きょうの交流会には助成を受けたNPOやNGO、大学などの機関などから100人余りが参加した。

  交流会の基調講演では、飯館村村長の菅野典雄氏が「日本人の忘れもの」と題して、合併しない「自主自立の村づくり」を基本に、小規模自治体の機動力を活かした子育て支援や環境保全活動、定住支援など施策を述べた。そのキーワードは「までいライフ」。「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」という意味の方言の「真手(まで)」と「スローライフ」の組み合わせた造語だ。この「までいライフ」を村のモットーとして掲げている。ところが、4期目在任中の2011年3月15日の原子力事故が発生した。福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村など3千世帯、1万人)が計画的避難区域に指定され、飯館村民の9割に当たる4000人が村外へ避難し、村役場も福島市へに移転した。村長は講演の締めくくりに、「支援してほしいことは人でも金でもない。『忘れないでください』とだけ言いたい。我々は前に向き進んでいく。それを見守ってほしい」と。

⇒25日(月)夜・福島市の天気   はれ
  

☆七種粥の誤解

☆七種粥の誤解

  2月6日付「唐土の鳥」の続き。金沢市の料亭「大友楼」の主人・大友佐俊さんが加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を実演した。古い料亭の土間での行事なので、周囲の薄暗さが、時代が江戸か明治にタイムスリップしたような感じになった。

  大友さんによると、室町期に書かれ、元旦から大晦日までの宮中行事100余を記した『公事根源』に、「延喜11年(911)」の年に「後院より七種を供す」と記述があり、当時すでに宮中で唐土(中国大陸)からの厄病を運ぶ鳥の退散を期する七草の行事が行われていたようだ。この季節の風習は行事は、徳川期に入っても「若菜節句」と称して幕府の年中行事に取り入れられ、諸大名が将軍家へ登城してお祝いを述べ、将軍以下全員が「七種の粥」を食したようだ。次第に諸大名から武家へ、商家へ、庶民へと広まった。ただ、現在では「七種の粥」が一般の家庭で行われている話は見たことも聞いたこともない。食糧自給や予防医学の発展で、人々の健康体が保てるようになったからかもしれない。あるいは、「唐土の鳥」という迷信の正体が黄砂ではないのかと知れ渡るようになったからではないか、とも推察している。

  ところで、大友楼での「七種の粥」の実演を見せてもらい、後刻、その粥を食した。この粥がなんとも言えない「絶品」なのである。粥の味付け、米のふっくら感、七草の刻みと歯触りが何とも言えず上品で旨い。そして、粥というものに対する偏見、あるいは誤解が吹き飛んだ。今回初めて「粥は料理だ」と気がついた。

  その粥を、大友楼では輪島塗のさじ(スプーン)で食する。輪島塗が唇と舌に触れるときの滑らかか触りはこれ自体が味になっているから不思議だ。参加者が絶賛する。「お粥さんと輪島塗がこんなに合うとは…」と。かつて、こんな話を聞いたことがある。赤ちゃんが食事をミルクから離乳食へ切り替える際のエピソードで、金属製のスプーンではどうしても受け付けなかったが、輪島塗の小さなスプーンを使用したら赤ちゃんが受け入れてくれたというのである。その赤ちゃんの気持ちが分かるくらいに、粥とマッチしているのである。料理と食器のまさにアリアージュ(適合)ということか。

  これまで何度も粥を食した。小さいころ、腹痛を起こした時で、母親に食べさせてもらった記憶がある。長じて、宴席の締めで粥を食したこともある。粥は胃袋にやさしい、補助食というイメージが強かった。この偏見、ないし誤解が粥というものを「あれば料理ではない」と脳裏にすりこんでしまったのだろう。自身の人生で初めて、お粥というものの本来の料理としての「食い初め」となった。少々大袈裟か…。

※写真は、大友楼の七種粥と輪島塗のさじ

⇒9日(土)朝・金沢の天気   ゆき

★「唐土の鳥」

★「唐土の鳥」

 あす7日は旧暦に1月7日、七草粥の行事が各地で行われる。先日、「シニア短期留学in金沢」というスタディ・ツアーに同行し、金沢市の大友楼という老舗料亭で行われた加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を見学した。

 七草は、大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)のこと。これを台所の七つ道具でたたき=写真=、音を立てて病魔をはらう行事で、3代藩主利常の時代から明治期まで行われたという。面白いのは、たたくときの掛け声だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトノー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 おそらく、病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、黄砂のことではなかったか。現代で解釈すれば、まさに今問題となっている中国の大気汚染だ。石炭火力発電所に先進国では当たり前の脱硫装置をつけるが、中国では発電施設の増強が優先され設置が遅れている。だが、それより発電施設の増強が優先される、その結果、大都市やその周辺では、空も河川も汚染にむしばまれている。特に大気汚染が深刻なのは、北京市や河北省、山東省、天津市などで、肺がんやぜんそくなどを引き起こす微小粒子状物質「PM2・5」の大気中濃度が高まっているようだ。

 その大気汚染が偏西風に乗って日本にやってきた。金沢でも車を外に置いてくとフロントガラスがうっすらとチリが積もったようになる。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と言いたい。ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。

⇒6日(水)朝・金沢の天気    くもり

☆メディアの信頼度

☆メディアの信頼度

  きょう(5日)のコラムの内容は、新聞やテレビでは大々的に報じられていない話だ。扱ったとしても、新聞各社はとも控えめに、紙面の片隅に掲載されていた。「メディアに関する全国世論調査(2012年)」の記事だ。公益財団法人「新聞通信調査会」が毎年行っている調査。昨年11月24日に公表された調査結果(調査は9月)によると、メディアの情報を「全面的に信頼している」場合を100 点、「普通」50 点。「全く信頼をしていない」は0 点、として点数をつけてもらったところ、平均点が最も高かったのは「NHK テレビ」で70.1 点、次いで「新聞」が68.9 点、「民放テレビ」が60.3 点となっている。新聞は初めて70点を割り込んだ。

  前年(2011)に比べNHKは4.2点、新聞3.1点、民放テレビは3.5点それぞれ下げたことになる。新聞、テレビ、ラジオ、インターネットの情報信頼度が、いずれも調査を始めた2008年以来最低となった。気になるのはメディアとしてのインターネットは53.3点取っている。ラジオは58.6点なので、その差は5点。民放テレビとも7点差だ。年代別の結果で、20代、30代ではインターネットとラジオ・テレビの差がさらに縮まる。これは、テレビ・ラジオの経営者としてはショックだろう。「信頼度がインターネットとそれほど変わらないのであれば、われわれの存在価値はどこにあるのか」などと自問せざるを得ない。

  新聞にしても然りだ。百数十年の歴史を有し、報道の王道を歩んできた新聞各社が、60年のNHKの後塵を拝している。ただ、調査項目で「情報源として欠かせない」「情報が役立つ」「情報量が多い」の3つでは、新聞がNHKや民放テレビを上回っている。

  調査では、新聞離れ、テレビ離れが進んでいることも裏付けている。新聞の朝刊や夕刊を読む人は3.9点減少の79.2%で、初めて80%を切った。朝刊を読む人は70代以上を除く全ての年代で減っている。電子新聞の利用は前年より3.6点増の5.2%の増えている。新聞離れというより「紙離れ」なのかもしれない。「インターネットニュースを見るサイトは?」の問いでは、ポータルサイトが85%、新聞社の公式サイトは26%だった。

  今回初めての調査項目として原発関連があった。「原子力発電に関する新聞の報道は?」の項目で、「政府や官公庁、電力会社が発表した情報をそのまま報道していた」の問いで「そう思う」63%を占めた。逆に、「いろいろな立場の専門家の意見を比較できた」の問いで、「そう思わない」が47.6%を占めた。読者の率直な視線だろう。新聞と原発の在り様が問われいてる。

 調査内容は30項目。調査は18歳以上の5000人を対象に実施し、3404人(68.1%)から回答があった。調査方法は訪問留置法(調査員が対象者を訪問して調査票を渡し、後日再訪して記入済みの調査票を回収)。

⇒5日(土)夜・金沢の天気   はれ

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

   ユネスコ無形文化遺産に登録されている「奥能登のあえのこと」は、田の神をもてなす農耕儀礼として知られている。毎年12月5日、その家の主(あるじ)は田んぼに神様を迎えに行く。あたかもそこに神がいるがごとく身振り手振りで迎え、自宅に招き入れる。お風呂に入ってもらい、座敷でご馳走でもてなす。田の神は目が不自由であるとの設定になっていて、ホスピタリティ(もてなし)が行き届く丁寧な所作が特徴だ。もてなし方は土蔵で執り行うパターンなど、その家々によって流儀が異なる。田の神に恵みに感謝し、1年の疲れを癒してもらうコンセプトは同じだ。

  昨年1月に訪れたフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田にも田の神ブルル(Bulul)が祀られている。イフガオ族の人々に稲作を教えたのがブルルとの言い伝えがある。木彫りのブルルが田の畦(あぜ)に置かれ、米づくりをするイフガオの人々と稲の実りを見守っている。能登でもイフガオでも、稲作は神からの授かりものという概念に、モンスーンアジアにおける文化の共通性を感じる。

 能登の里山里海とイフガオ棚田はともに国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されている。世界に12あるGIAHSサイトの関係者が集っての国際フォーラムがことし5月下旬、能登半島で開催される。隔年開催の同フォーラムはこれまでローマ、ブエノスアイレス、北京で開かれている。フォーラムの開催にあたっては、昨年5月、石川県の谷本正憲知事がローマにあるFAO本部にグラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、石川県での開催を提案し、受け入れられた。いわば、国際会議のトップセールスだった。ちなみに、前回(2011年6月)のフォーラムは、FAOと中国科学アカデミーなどが共同で北京で開催した。

 GIAHS国際フォーラムの目的は、各国のGIAHSサイトが国際的なパートナーシップを確認するとともに、それぞれのサイトが有する独自の伝統的な農業システムや農業の生物多様性や文化を互いに学ぶことにある。これによって、「小規模、先住民、地域社会」の単なる遺産として忘れ去られがちな独自の伝統的な農業システムが、歴史で磨かれた人類の知識と経験を国際的に意見交換するというグローバルな意義づけを持つことになる。

 もう一つ、この国際フォーラムでは、FAOが新たなGIAHSサイトを認定する。報道によると、800年の伝統を有する静岡の茶生産の伝統農法「茶草場」の認定に向けて、掛川市など5市町がFAO日本事務所(横浜市)に申請書を提出した(2012年12月29日付・中日新聞ホームページ)。また、中国では、雲南省の「プーアル茶」産地が認定に向けて動いている(2012年9月、浙工省紹興市で開催されたGIAHS国際ワークショップで中国側発表)。日本と中国の茶どころのほか、スペインのイベリコ豚の産地も希望している(2011年6月、北京国際フォーラムでの報告)。

 伝統的な農産品ブランドがGIAHSの仲間入りを目指す能登での国際フォーラムは国内外で注目を集めそうだ。冒頭で述べた、能登の農耕儀礼「あえのこと」とイフガオ棚田のブルルをテーマに文化交流や研究が進むことで、これまでと違った視点の文化価値が生まれることにもなる。そして能登地域にとっても、フォーラムを通じた国際発信という意味ではまたとないチャンスが巡ってきたといえる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気    ゆき

★「2013」を見渡す

★「2013」を見渡す

  元旦の朝は雪かきで始まった。水気がたっぷり含んだ重い雪で、スコップですくうと腰にずっしりくる。その後、家族で初詣に出かけた。兼六園横の金沢神社。菅原道真公を祀っていて、予備校に通う高校生とおぼしき受験生が集団でお祓いをうけていた。神社のある小立野台から市内が一望できる。これは私の癖(くせ)で、その場に立つと左から右へ水平に見渡す。風景だけでなく、たまに「時空」が重なっても見える。「2013」という年を見渡すと、何と壮観なことか。経済から外交、そして地域、職場、家庭までその「在り様」がパノラマのように広がって見える。

 経済の在り様はすさまじい光景だ。特に海外。中国のGDP成長率は、2010年には12%台、2011年に9%台、2012年には7%台となった。「世界第2」の経済力を誇ったとしても、中国の経済成長にもはや「奇跡」はない。今後、4%、3%とうまくソフトランディングすれば見事だが、経済成長に乗り遅れた人々の不満が反比例して高まる。習近平総書記が年末に河北省の貧しい農村に足を運び、脱貧困と脱腐敗を誓ったと日本のメディアでも報じられているが、裏を返せば、格差の実態はかなり厳しい状況になっているのだろう。昨年9月に尖閣諸島の領有をめぐり中国で吹き荒れた反日デモで、日系のスーパーやデパートで略奪が起き、日本車を叩き壊す光景をテレビで見てしまった我々日本人は、格差を生んだ共産党政府に不満を持ち、将来に希望が持てず、居直り暴徒化する若者たちがこの国にこれほど多いのかとも実感した。

 アメリカの有り様も異様な光景だ。減税の打ち切りと歳出カットが重なる「財政の崖」の突破の展望が見いだせない。むしろ気になるのは、この国に内在する人種問題だ。昨年11月の大統領選で、民主党のオバマ大統領が激戦州の大半を制し再選を果たした。その選挙は、「白人」対「黒人・テラィーノ」のまるで、人種的な分裂ではなかったのかと思わせるほどに支持層がくっきりと分かれた。昨年12月、コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件で、オバマ大統領が銃の所持規制を訴えると、共和党支持の全米ライフル協会(NRA)が、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきだ」と記者会見で反撃したのが印象的だった。1992年5月、黒人男性に集団で暴行した白人警察官への無罪評決がきっかけに、焼き打ちや略奪、銃撃戦へと連鎖し、60人以上ともいわれる死者を出したロサンゼルス暴動があった。この国の「人種問題の活断層」である。

 国内に視点を当てる。第二次安倍内閣は「右傾化」政権と国内外のメディアで報じられている。では、右傾化した政策を取るのかというと別の次元のように思える。かつて右翼の大統領で知られた、アメリカのニクソン大統領は1771年7月、電撃的に中国を訪問すると発表し世界を驚かせた。その流れで日本は中国との国交回復を実現したのは周知のこと。また、ニクソンは保守派が「まるでスイカ(外は緑、内は赤)」と嫌った環境保護庁を創設し、あのレーガン大統領は規制緩和や減税を大胆に進めた。安部内閣も案外、政策的には民主・野田政権時代よりもソフトではないか。外交面では協調姿勢を打ち出し、ロシアは森喜朗・元総理に、中国は高村正彦・自民副総裁に、韓国は額賀福志郎・元財務大臣に、そしてアメリカは大統領と面識がある安倍総理自身でフォローしようと手を打っている。

 ただ、経済では「モラルハザード」を案じる。銀行の株式保有の上限を定めた「5%ルール」をめぐり、金融庁が打ち出した規制緩和案。一般の事業会社への出資上限を10~15%に引き上げ、経営再建中の会社には全額出資も可能にすることが柱になっている。もともと、民主時代につくられた中小企業金融円滑化法(モラトリアム法)で、40万社に総額95兆円をばら撒きした、とされる。この融資によって数年後景気が回復して、経営が安定したときに返済してもらうというロジックだったが、1年の時限立法が2年延長され、ことし3月に期限切れとなる。倒産続出が予想されることから、金融庁が新たに「5%ルールの撤廃」を打ち出した。融資を受けている会社が返済不能の場合は、いわゆるDES(デット・エクイティ・スワップ)が行われ、「貸出」が「資本」に変わる。つまり、「債務の株式化」である。銀行の保有割合が100%になる可能もある。こうなれば、おそらく経営陣は「あとは銀行にお任せ」のモラルハザードが頻発し、銀行の「毒薬」になる可能性もある。

 地域の光景も見える。2015年春、北陸新幹線金沢開業で東京とは電車1本でつながる。年ごとに「新幹線開業」が地域の経済、政治、文化面のアイコンになっている。とくに経済はバラ色の夢を試算している。北陸経済連合会が昨年11月に出した「北陸新幹線 金沢-敦賀間の早期開業による経済効果」によると、同年時点では「金沢止まり」で北陸全体で交流人口が年2930万人見込め、新幹線が金沢から敦賀へと延伸すれば交流人口がさらに年間280万人増加する、と。

 北陸新幹線への期待は、地価調査(2012年9月)でも分かる。金沢市中心部の商業地(香林坊2丁目)は地価が5.4%上昇し、上昇率は全国の商業地の中で9位に入った。JR金沢駅周辺の商業地4地点でも地価が上がった。一方で地域間の競争も激化しそうだ。昨年10月、富山市と長野市が観光PRで協力する「集客プロモーションパートナー都市協定」を結んだ。「海の富山」と「山の長野」を互いにPRし、観光客の増加を目指す。その背景には、新幹線が当面「金沢止まり」であることを念頭に、富山と長野が途中駅として埋没しないようにとの狙いもあるようだ。

 北陸新幹線は40年ほど前に計画され、ようやく見えてきた。ただ、熱いのは北陸だけではないのか。東京など太平洋側から見れば、それほど魅力的に思えないのではないか。「何で今ごろ、新幹線は珍しくも何ともない」との声も聞こえそうだ。

※写真は、金沢神社の初詣風景。1日午前9時30分ごろ

⇒1日(火)午前・金沢の天気   ゆき
 

★2012ミサ・ソレニムス~7

★2012ミサ・ソレニムス~7

ことし一年で目立った漢字を一字あげるなら、「脱」ではないだろうか。「脱原発」「脱法ハーブ」「脱会派」「脱獄アプリ」「デフレ脱却」など、政治から経済まで幅広く使われている。脱原発は衆院総選挙の公約にも使われた。この「脱」という漢字の意味はいろいろである。好ましくない状態から抜ける(「脱出」)、組織からや仲間から抜ける(「脱退」)、抜け落ちる{脱落})、身に着けてるものを取る(「脱衣」)、含まれているもの・つまっているものを取り除く(「脱臭」「脱水」)、原稿などを仕上げる(「脱稿」)など。では、これはどのような意味で解釈したらよいか。「脱亜」である。

       近隣とどう付き合うか、かみ合わない輔車唇歯の関係

 「近隣外交」という言葉ほど面倒なものはないと、日本人の多くは思っているのではないだろうか。尖閣諸島をめぐる中国側の執拗な動きは連日のように報道されている。「(日本)政府は29日、中国が東シナ海での大陸棚設定について、今月14日に国際機関の大陸棚限界委員会に申請した案を検討しないよう、同委員会に求めた。大陸棚は領海の基線から200カイリまでが基本だが、地形の特徴にもよる。中国は、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると主張。日本は、尖閣諸島が固有の領土であるため全く受け入れられないと表明した。」(12月29日付・朝日新聞ホームページ)

 127年も前、隣国に対する憤りの念を持った人物がいた。福沢諭吉である。主宰する日刊紙「時事新報」(1882年3月創刊)の1面社説にこう書いた。「・・独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し・・」(1885年3月16日付、本文はカタカナ漢字表記)。全文2400字に及ぶ概要はこうだ。「日本は明治維新でアジア的な古いあり方を脱ぎ捨て、西洋近時の文明を取り入れた。”脱亜”の主義である。日本にとって不幸なことは、隣の支那(中国)も朝鮮も儒教主義にとらわれ近代化を拒否している。西欧文明が迫っている中で昔のまま変わらず独立を知らない」「日本を含めた3国は地理的にも近く”輔車唇歯(ほしゃしんし)”(お互いに助け合う不可分の関係)の関係だが、今のままでは両国は日本の助けにはならない。西欧諸国から日本が中国、朝鮮と同一視され、日本は無法の国とか陰陽五行の国かと疑われてしまう。これは日本国の一大不幸である」(鈴木隆敏編著『新聞人福澤諭吉に学ぶ~現代に生きる時事新報~』より引用)

 当時、日本は旧態依然とした「アジア的価値観」から抜け出した、つまり「脱亜」を果たした唯一の国だと福沢は評した。そして、輔車唇歯の関係にある隣国とどう付き合っていけばよいかと考えた末に、近隣との付き合いは「謝絶するものなり」と明け透けに述べたのである。その前年、福沢らが支援していた、朝鮮における「維新の志士」金玉均ら独立党が起こした武装蜂起「甲申事変」(1884年12月)が清国軍の介入で鎮圧され、独立党関係者が大量処刑されるといった時代背景があった。単なる傍観者ではなく、朝鮮近代化の思想的な支援活動をしてきた福沢の挫折でもあった。

 では現代における「脱亜」感情とは何か。それは領土問題だろう。領土問題は、イギリスとアイルランド間の北アイルランド問題や、カナダとデンマークが共に領有を主張しているハンス島問題など世界にあまたある。問題は、その解決方法だろう。武力ではなく、どう平和裏に解決するかだ。もちろん、当事国同士での外交で解決されるのが望ましいが、解決することが困難な場合には、国際司法裁判所 (ICJ) への付託ができる。ただし、国際司法裁判所への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができない。

 前述したように、中国が国際機関の大陸棚限界委員会(CLCS:Commission on the Limits of the Continental Shelf)に、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると申請した。それだったら、同じように、中国は日本が尖閣諸島を実行支配しているのは歴史的にも根拠がないとICJに付託提案を日本にすればよいのではないか。おそらく日本政府は応じる。

 韓国が国際法上の根拠もないまま実効支配している竹島も同様だ。1954年9月、日本は竹島領有権問題のICJへ付託を初めて韓国に提案したが、韓国側は拒否。1962年3月にも日本から付託を提案したがこれも韓国側が拒否。そして、ことし2012年8月10日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸したのをきっかけに、同月21日に日本が3度目のICJへの共同提訴を韓国に提案が、韓国側はこれも拒否した。

 局地紛争化するのでなく、国際法に照らして決着するのが「一番すっきりする」と日本人の多くは考える。どのような判定が出されようが、日本はそれに従うだろう。それがルールだからだ。ただ、中国も韓国も領土問題を国際法廷に持ち込まないだろう。「ICJの判事(15人)の中に日本人がいる」などと理由をつけて。現状のままでは日本国内に「脱亜」感情が高まる。

※写真は、福沢諭吉像(慶応義塾大学三田キャンパス)

⇒30日(日)夜・金沢の天気  くもり

☆2012ミサ・ソレニムス~6

☆2012ミサ・ソレニムス~6

ニューヨーク在住のプロ野球、松井秀喜選手(38歳)が日本時間の28日、現役引退を発表した。同市内で記者会見した。会見の様子をテレビで見て、印象的だった言葉。「今の心境は」と追われて、「寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)」。正直者の松井選手らしい本音が出たと思った。市内のホテルの一室を借り切った会見は急だったにもかかわらず80人のメディア関係者が集まり、10台以上のテレビカメラが並び各局が生中継した。通訳をつけずに松井本人が1人で日本語で話した。アメリカのメディアの姿も見られ、会見時間は45分間だった。

     「野球の天才というより、努力の天才」 松井秀喜選手の引退

 松井選手のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井選手が星稜高校の時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

 数々の記録を持つ松井選手だが、彼の記録の真骨頂は何か考えた。2006年5月12日(日本時間)、ヤンキース-レッドソックス戦の1回表の守備で、レフトへの浅い飛球をスライディングキャッチしようとして左手首を負傷、そのまま救急車で病院に向かい、骨折と診断された。これで巨人入団1年目の1993年8月22日から続いていた日米通算の連続試合出場は前日までの1768試合(日本1250試合、米国518試合)でストップした。松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てたそうだ。「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。ホームランの数より、一見して地味に見える記録だが連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。松井選手は野球の天才というより、努力の天才なのだ。地元紙によると、来年3月に第1子が生まれるそうだ。新たな人生が始まる。

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☆東京の青いバラ

☆東京の青いバラ

 衆院総選挙ともう一つ注目すべき選挙が東京都知事選だった。ダブル選挙で目立たなかったが、13年余り続いた「石原都政」の後継指名を受けた猪瀬直樹氏が圧勝した。得票は433万票、投票率は前回より5ポイント高い62%だった。テレビが早々と当選確実を報じた。午後8時過ぎ、猪瀬氏は青いバラの花束を受け取り、勝利を祝った。作るのが不可能とされていた青いバラは、14年の年月をかけてサントリーが開発した。花言葉は「夢 かなう」である。

 猪瀬氏のキャラクターが面白い。国にものを言う前職の石原慎太郎氏とイメージがだぶる。さらに、小泉政権時代に、道路公団の民営化で無駄を徹底的に追及した行動力と改革力は記憶に新しい。そして、今回の選挙では、勝利したにもかかわらず、あえて万歳はせず、「東京は日本の心臓。東京から日本を変える」「東京が日本沈没を防がないといけない」など、官僚や国の規制に立ち向かう姿勢を強調した。前例の踏襲を嫌うタイプという。

 400万票の迫力は人気というより、計算づくの大技だった。以下、各メディアが報じている。マーケティング理論とインターネットを駆使し、アメリカ大統領選挙のような選挙をやろうと、ソーシャル・メディア(SNS)やイメージアップ戦略の専門家らが加わり選挙プランを練った。その名は「プロジェクトi(アイ)」。告示8日前まで出馬について沈黙を続けたが、この時期に27万人のフォロワー(読者)がいるツイッターに頻繁に書き込み、ホームページには告示までに30本以上の動画をアップした。分析を待たねばならないが、こうしたネット利用で若者層の取り込みを図った。

 自民は294席の大勝で過半数を制した。維新の会は54議席。猪瀬氏は自民、公明、維新の会の支持を得ての勝利である。「東の猪瀬、西の橋下、国会(維新の会)の石原」、この強烈な3人のキャラが連合すれば、本当に日本に変革をもたらすかもしれない。少なくとも、この3人が日本をかき回すだろう…。政治が面白い時代に入った。

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