★GIAHS国際会議の視座‐2
GIAHS認証までの多様なプロセス
フランスのモンペリエ第2大学(理工系)で生態学の博士号を取得したパルビス氏は天然資源管理や持続可能な開発、農業生態学に関する著書(2008「Enduring Farms:Climate Change,Smallholders and Traditional Farming Communities(困難に耐える農家:気候変動、小規模農家と伝統的農村社会)」など)もある。スピーチを聞けば論理を重んじる学者肌だと理解できる。そのパルビス氏は目を輝かせながら、のぞき込んだのが能登の水田で採取した昆虫標本だった=写真・上=。そして、「この虫を採取したのは農家か」「カエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるか」と矢継ぎ早に質問もした。当時、視察対応の窓口だった私の第一印象は「虫好き、生物多様性に熱心な人」だった。その年の10月に開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(名古屋市)の会場でもお見かけした。
2011年6月、北京で開催されたGIAHS国際フォーラムに出席した。同フォーラムは2007年のローマ、2009年のブエノスアレス、そして2011年の北京と3回目。パルビス氏はこの一連の会議の主催側だった。前年12月、FAOに申請した「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」と「SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis(トキと共生する佐渡の里山)」が審査される会議。GIAHS認定に向けて日本から初めての申請だった。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの代表、中村浩二教授は能登における里山
里海の人材養成についてプレゼンテーションを目的に出席、私は発言する立場にないオブザーバー参加だった。佐渡や能登の自治体、農林水産省、国連大学高等研究所、石川県庁など含め日本から総勢16人の参加だった。
フォーラムの2日目(6月10日)の午前、能登地域4市4町のGIAHS申請者の代表の武元文平七尾市長(当時)、高野宏一郎佐渡市長(同)がそれぞれ英語で15分ほど申請趣旨についてプレゼンを行った。午後のsteering committee(運営委員会)で議題の一つとして新たな認定の同意をもとめ、拍手で採択された=写真・中=。正直言って「拍子抜け」という感じだった。国連教育科学文化機関(UNESCO)の世界文化遺産登録などのように、その諮問機関(国際記念物遺跡会議=ICOMOS)が一つ一つ厳格に審査を行うとのイメージがあった。同じ国連の機関である食糧農業機関が認定する世界重要農業資産システム(GIAHS、通称「世界農業遺産」)なので、プレゼン後の審査もさぞ厳しいものがある、のだと。日本側では別室で開かれ
た運営委員会を傍聴すらできないと当初思われていた。ところが、中村教授がパルビス氏に傍聴は可能と尋ねると「No problem」の返事だった。運営委員会の雰囲気は緊張ではなく、各国のテレビ局などメディアも入るオープンな場だった。認証式は翌日11日午前に行われた=写真・下=。
ここで、そんな甘々な認定ならば「わが地域も申請したい」と考える向きもあるだろう。ところが、むしろ大切なのでは認定までのプロセスなのである。公募ではなく、推薦である。国の機関と学術機関が推薦すること、日本の場合は農林水産省と国連大学がそれに相当する。中国の場合は、農業省と中国科学院。そして、FAO、農水省、国連大学による事前の現場視察、申請書類の提出、会議の場でのプレゼンテーション、運営委員会ので採択となる。冒頭述べた、昆虫の標本をくいるように見つめるパルビス氏の様子は事前視察の1シーンである。
⇒24日(金)夜・金沢の天気 はれ
上記のようなパルビス氏の思い入れもあり、てっきり2013年のGIAHS国際フォーラムはカリフォルニア開催と思っていた関係者も多かったと思う。逆に言えば、谷本知事のトップセールスが熱心だったのだろう。国際会議を誘致する知事のトップセールスの腕前はこれだけではない。2008年5月24日、ドイツのボンで開催中だった生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を知事は訪ねた。このときすでに、2010年のCOP10の名古屋開催が内定していたので、「2010国際生物多様性年」のオープニングイベントなど関連会議を「ぜひ石川に」と売り込んだのだ=写真・上=。このとき、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長(当時)が通訳にあたり、「石川、能登半島にはすばらしいSatoyamaとSatoumiがある。一度見に来てほしい」と力説した。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にCOP10関連会議の誘致を根回した。
金沢で開催された国際生物多様性年のクロージングイベントは翌年の「2011国際森林年」にちなんだ式典でもあった=写真・下=。印象的だったのは、各国の大使クラスの参加者が参加した兼六園への散歩コース。雪つりを終えていた兼六園の樹木を眺めながら、海外からの来賓たちが「木の保護の仕方が独特。300年以上生きている木があることは驚き。これこそ日本の遺産だ」と絶賛していた。
北海道旅行の4日目(5月6日)は札幌を巡った。朝は気温が5度と低く、吐く息が白い。市内全体がガスがかかった感じで、テレビ塔(147.2㍍)=写真・上=もかすんで見える。オホーツク海に停滞している低気圧の影響で上空に寒気が流れ込んでいるためらしい。午前中のニュースでは、北海道の東部が雪に見舞われ、帯広では積雪3㌢となり、5月としては2008年以来の積雪を観測した、と。3日に新千歳空港に到着してからずっと春冷えで、まるで冬を追いかけてきたようだ。
の新聞を読んでの印象だ。それにしても、1855年産のワインはロシアからの相当前向きなメッセージではないだろうか。
こうした北海道の海陸の接点が重視され、金融や輸送の関連企業が続々と小樽に集まってくることになる。もう一つの国指定重要文化財である旧・日本郵船小樽支店=写真=は、日露戦争直後の明治39年(1906)に完成した。石造2階建て、ルネッサンス様式の重厚な建築だ。この建物が注目されたのは、日露戦争の勝利だ。明治38年(1905)9月5日締結のポーツマス条約で樺太の南半分が日本の領土となり、翌年明治39年の11月13日、その条約に基づく国境画定会議が日本郵船小樽支店の2階会議室で開かれたのである。このとき、ロシア側の交渉団の委員長が宴席のスピーチで「北海道は日本の新天地なり」と褒めちぎったといわれる。すなわち、北海道内の物流の結節点だけでなく、大陸貿易の窓口としての機能に期待が膨らんだのである。
道央自動車道を走り、登別から小樽に着いた(4日)。予約しておいた小樽運河沿いのホテルにレンタカーを停め、周辺を散策した=写真・上=。2007年8月にも家族で小樽に来ているので、5年9ヵ月ぶりになる。で、小樽はどうのように変わったのか印象を述べてみたい。
きしていると、中国語の会話をしながらワイワイと歩くグループとよく会う。海外からも観光客を呼び込む戦略も成功しているのだろう。
ば、北海道どこでも味わえるのではないか。その土地で磨かれた文化としての食はどこのあるのだろうか。
定的となったのか、熱が出るやら咳き込むやらで体長不良に陥った。季節は春とは言え、今回の寒さは、地元紙の北海道新聞にも「札幌 21年ぶり5月の雪観測」(3日付)と1面の見出しで、2日夜に札幌でみぞれが降り、積雪(1㌢未満)を観測した、季節外れの戻り寒波を記していた。タマネギやジャガイモを作付する道内の農家が「寒い春」の影響で低温と日照不足を案じる声も記事にされていた。
登別温泉に到着して。さっそく地獄谷を見学に行った。硫黄のにおいが立ち込め、いまも水蒸気を噴き上げている。「地熱注意」の看板も目につく。下に降りると、薬師如来の御堂がある。看板が書きに江戸時代に南部藩が火薬の原料となる硫黄を採取した、とある。そしてところどころに、閻魔大王の像やら漫画風のキャラクターが温泉街を彩っている。そして、楽しそうに写真を撮影しているグループの中には中国語が飛び交っている。
昨日から金沢では時折、雷が鳴り、荒れ模様の天気となった。そしてきょう27日は先ほど7時50分ごろに激しく「あられ」が降った。数分間だったが叩きつけるような激しい降りだった。金沢地方気象台の気象予報では、きょう27日は、上空に強い寒気を伴う気圧の谷が本州付近を通過するため、石川県では昼前まで雨や雷雨となる所がある、と。
オーウェルの意図は旧ソ連のスターリン体制への批判だった。人間の歴史にとって進歩的な動きと見える現象が、時を経て大きなマイナスをもたらしている事実が洋の東西を問わずままある。いまでいえば北朝鮮のこの事態だろう。国内の人民を虐げ、貧困に落とし込んで、周辺国まで恫喝する。人類に苦痛を与えている、と言ってよい。
禍はどうやら西の空からやってくるようだ。中国大陸から飛んでくる黄砂、そして最近話題の微小粒子状物質「PM2・5」、そして鳥インフルエンザ。さらに、北朝鮮のミサイルだ。金沢市の老舗料亭「大友楼」の「七種(ななくさ)粥」の行事を思い出した。
3月27日公表された厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所の「2040年の将来推計人口」データは確かに衝撃的だった。2010年の国勢調査との比較だが、日本は一気に少子・高齢化が進む。石川県内の人口は2010年の国勢調査で117万人だが、2040年には100万人を割り込み97万人に減る。小松市の2つ分の人口に相当する20万人近く減るというのだ。そして冒頭で述べた珠洲市など奥能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では、人口がほぼ半減する見通しだ。