⇒トピック往来

★腑に落ちない

★腑に落ちない

  元プロ野球選手、松井秀喜氏のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井氏が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

  高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

  その松井氏がプロ野球で一時代を築いた長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞を受賞することが確実となったと報じられている。両氏は、巨人時代の監督と選手の枠を超えて「師弟関係」にあり、「ミスター&ゴジラ」の国民栄誉賞ダブル受賞。だが、この時期になぜ国民栄誉賞なのか、腑に落ちない。長嶋氏に対してはその功績から、むしろ受賞するのが遅いくらいだろう。松井氏の場合は昨季現役を引退したばかりだ。ほかにふさわしい候補者がいたのではないか、と。

  調べてみると、これまでプロ野球選手として国民栄誉賞に選ばれたのは王貞治氏と衣笠祥雄氏だ。王氏は世界最多の756本塁打、衣笠氏は世界新記録の2131試合連続出場といずれも「世界一」の栄誉を浴している。賞を辞退したイチロー選手(現ヤンキース)も、大リーグでシーズン最多安打はじめ数々の記録を更新している。松井氏の功績もこれに匹敵するのだが、なぜこのタイミングなのか腑に落ちない。長嶋氏だけでもよかったのではないか。

  大リーガーのパイオニア的な存在という点ならば、野茂英雄氏だろう。新人王や2度のノーヒットノーランを達成している。松井氏は大リーグ移籍後、本塁打王や首位打者といった主要な個人タイトルは獲得していない。実績面では野茂氏と松井氏に勝るとも劣らない。

  松井氏の身上は「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と父親かから教わった言葉をそのまま体現した。本人がホームランの数より、連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。野球の天才というより、努力の天才なのだ。ここで国民栄誉賞をもらってしまっては、人生あとがなくなる。

⇒2日(火)夜・金沢の天気    くもり

☆道路の価値

☆道路の価値

金沢市から石川県穴水町までの能登半島を走る能登有料道路(82.9㌔)が3月31日正午から無料となった。道路の名称も、「ふるさと紀行 のと里山海道(さとやまかいどう)」として新たなスタートを切った。このほか、能登有料道路から七尾市の和倉温泉方面に向かう田鶴浜道路(4.8㌔)、手取川にまたがる川北大橋有料道路(4.8㌔)も同時にフリーとなった。

  能登有料道路の全線開通は1982年なので満30年となる。これまで片道で普通車1180円、大型車4210円(全線利用)がかかっていた。この道路は、石川県における能登地区と加賀地区の格差是正などを目的に県が建設した。1982年の全線開通以降は、1990年から県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。

  ここで道路の価値というものを考えてみたい。というのも、債権放棄してまで無料化する意味とはどこにあるのか、という点である。新聞各紙が報じている、31日の無料化セレモニーでの谷本正憲知事の発言。「(無料化は)能登に足を運んでいただく交流人口を拡大し、能登から通勤する定住人口を増やす大きな足がかりを得て、企業立地の追い風にもなると思う」。県は独自に試算している。七尾市の横田料金所付近の1日の交通量について、これまでの約6000台から1.6倍増えて約1万台となり、利用増が見込まれる、と。この数字には注意する必要がある。というもの、「利用増」は平行して走る国道159号や249号の利用者が無料になったので機に利用するのであって、利用する新たな人々が増えるとは考えにくい。すなわち、交流人口の拡大とは意味合いが違うのではないか。能登から金沢方面へ通勤することで定住人口が増えるとの発言があったが、これもどうだろう。すでに、国道159号や249号を使って通勤している人はいる。また、企業立地の追い風になればよいが、無料化そのもので立地を決意したという話は聞いたことがない。

  無料化による経済効果は果たしてあるのだろうか。逆に、無料化で能登から金沢方面への買い物客が増え、能登中心に展開する食品スーパーなど小売業が苦境に立たされるのではないかとの報道も目立つ。

  むしろ価値があるのは「のと里山海道」というネーミングではないかと思っている。「里山」という名称の道路名は聞いたことがない。初ではないか。そして海道もなかなか響きが良い。瀬戸内の『しまなみ海道』や『とびしま海道』をほうふつとさせる。能登有料道路では沸かなかったイメージが膨らんでくる。能登半島は2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定された。その認定名が「Noto’s Satoyama and Satoumi」 。つまり、海外から見れば、Satoyama and Satoumiの日本の代名詞が能登となる。そのSatoyama and Satoumiが道路名にも冠せられた、ということになる。そのように解釈すれば、さらにイメージは膨らむ。

  日本海に突き出た能登半島。さまざまな歴史と文化を背負ってきた半島。道路名が変わっただけで、イメージも変われば、これこそ新たな道路価値なのである。ただ、惜しむらくはところどころの道路看板にローマ字表記がほしい。そうすれば、Noto’s Satoyama and Satoumiの価値とつながる。

⇒1日(月)朝・金沢の天気    はれ

★看板の価値

★看板の価値

  先日、地元の新聞に掲載されたニュースだ。テレビの全国放送などでも取り上げられた金沢市の不動産会社の「名物看板」が市の屋外広告物設置基準に違反しているとして、是正指導を受けて今年秋までに撤去することになった。

  是正指導を受けたのは、私が通勤している金沢大学角間キャンパスの近くにある「のうか不動産」で、学生たちの評判はよい。学生たちが部屋のカギを紛失すると、合鍵を持参して夜中でも対応してくれるというのだ。問題となった看板は、人目を引く宣伝をしたいと2009年1月から設置を開始し、大学周辺を中心に40基ほどある。その看板は私自身も気にはなっていた。

  看板の文言は実によく練られている。その特色をひと言で表現すれば、「場の表現」だ。たとえば、交差点では「右へならえの人生に疲れたあたなも右折してください」と。右折すれば40㍍でその会社がある。飲料の自動販売機の横にある看板では、「ノドが乾いたら、人生が乾いたら」と表現する。強烈なのは、警察の交番に隣接するビルでは、交番の真上部分に、「『苗加』を『なえか』と読んだ人、タイホします」と書かれた看板=写真=がある。金沢の名字で「苗加」を「のうか」と呼ぶ。交番を絡めたこの表現は、ある種のパロディではある。著作権上は問題ないのだが、警察への「おちょくり」ととらえる人もいるかもしれない。また、この表現で警察の気分を悪くしないかとおもんばかる人もいるかもしれない。その看板を見て、人々が微笑むか、考え込むか。良くも悪しくも、これが看板の価値というものだ。

  冒頭の全国放送というのは、2012年11月9日放送のフジテレビ「めざましテレビ」。兼六園の近くのコインパーキングに、「兼六園までほふく前進であと5分」と表記された同社の看板がある。実際の距離はおよそ300㍍。はたして5分で兼六園まで行けるのか、元自衛官のお笑いタレントが実際に匍匐前進を試みた。すると、結果は15分ほど、3倍もさばを読んでいた。そこで、同社の担当者に表記の数字と実際にかかった数字にかい離があると意地悪く質問するという設定。担当者は「まさか本当に匍匐前進する人がいるとは思わなかった。人の印象に残るような看板をつくりたかっただけ」と笑って答えた。もちろん、テレビ局側もそのリアクションを計算しての演出である。

  ところで、全国放送にもなった名物看板が金沢市の屋外広告物設置基準に違反しているとして今秋までに撤去することになった。言葉の表現が問題視されたわけではない。大きいものでは縦横4㍍ほどになる看板もあり、現在ある屋上看板や野立看板、壁面広告30件のうち、25件が設置面積や高さなどで基準を満たしていないというのがその理由。2年ほど前から撤去かサイズ変更の指導を受けてきたという。基準を満たさない屋外広告物は撤去費用が必要なため、新しい看板への更新時や老朽化した場合などに改善・撤去するケースが多い。ただ、同社の看板は有名すぎて、他の違反した業者が市の指導の折に「あの看板の場合はどうなんだ」と引き合いに出すケースがあり、市と同社が協議して撤去となったようだ。

⇒27日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆ウグイスの初鳴き

☆ウグイスの初鳴き

  きょう(25日)朝、自宅の庭の梅の木を見ると満開になっていた=写真=。金沢はすっかり春めいてきた。ただし、肌寒い。朝、青空駐車場の車のガラスは凍りついた状態になっていて、しばらく車を温めた。9時ごろだった。突然、ホーペケキョとウグイスの鳴き声が聞こえた。ぎこちない、初鳴きだ。

  以前、このブログでウグイスの鳴き声について書いたことを思い出して、検索すると、2006年5月4日のブログでヒットした。そのとき、こう書いていた。「五月晴れとはまさにきょうの空模様のことを言うのであろう。風は木々をわずかに揺らす程度に吹き、ほほに当たると撫でるように心地よい。今朝はもう一つうれしいことがあった。ウグイスの鳴き声が間近に聞こえたのである。おそらく我が家の庭木か隣家であろう。ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄な旋律として耳に入ってきた。」

  それてしても、日付が5月4日となっていて、ウグイスの鳴き声を話題に取り上げるには時期がずれていると思い、金沢地方気象台の「生物季節観察」のデータをネットで検索した。すると、ウグイスの初鳴の平年は3月24日、もっとも早いのは2月20日(2007年)、もっとも遅いのは4月23日(1984年)とある。ということは、当時、我が家の周辺で私が耳にしたのはこれが初鳴きではなく、たまたま初めて耳にしたのがこの時期ということになる。しかも「ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄…」と書いているので、ぎこちなさはすでに取れている。

  2005年4月28日にブログを開設してから2880日余り。ウグイスの鳴き声に季節を感じ、あれこれとブログに書けることは「幸い」である。ブログは人生の充実度を高めてくれている。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

  

☆能登の「グローカルな風」

☆能登の「グローカルな風」

   昨日のブログ「能登の風景を変える人々」の続き。金沢大学の能登における役割を考えたい。能登半島の先端で金沢大学は何を行っているのか、そのメリットは何かとよく尋ねられる。学内からもだ。2006年10月に廃校だった校舎を珠洲市から借り受けて始めた「能登半島 里山里海自然学校」。三井物産環境基金の補助金を得て、生物多様性と地域づくりをテーマにプログラムを展開した。このメリットは、常駐研究員を置いて、レジデント型研究の実績が積み上がったことだった。絶滅危惧種のホクリクサンショウオを能登半島の先端で確認したり、地元でコノミタケと重宝されるキノコがDNA解析で新種と判明し、「ラマリア・ノトエンシス」(能登のホウキダケ)と学名をついたりと、そこに研究者がいなければ、地域の人たちの協力がなければ陽の目をみなかったことが次々と生態学的なアカデミックな場に登場させた。

  次に翌年10月、「里山マイスター」育成プログラムという社会人の人材養成カリキュラムをつくった。文部科学省の科学技術振興調整費という委託金をベースにした。これで、常駐するが教員スタッフ(博士研究員ら)が一気に5人増えた。対外的には、「地域づくりは人づくり」と言い、学内的には「フィールド研究」といい、地域貢献と学内研究のバランスを取った。当初予想しなかったのだが、このプログラム(5年間)の修了生62人を出すことで、大学は大きなチカラ=協力者を得たことになった。この62人は卒業課題論文を仕上げ、パワーポイントでの発表を通じて審査員の評価を得、またプレゼンテーション能力を磨いた若者たち(45歳以下)である。そして、その後もアクティブに活動している。

  ことし、2月20、19日に世界農業遺産(GIAHS)セミナーを珠洲市で開催し、GIAHS事務局長のパルビス・クーハムカーン氏をローマから招いた。2日目、有機農業(個人経営)、企業農業、里山のデザイナー、菓子職人らマイスター修了の若者たち含め6人がそれぞれ10分ほど発表した=写真=。ビジネスベースでは軌道なかなか乗らないものの、里山で取り組む「夢」を真顔で語ったのだ。一つひとつの発表にコメントしたパスビス氏は最後に「あなたたちのその夢をぜひ実現してほしい。その成功が世界の若者をどれだけ勇気づけることか。バイオ・ハピネス(Bio-Happpiness)、自然と和して生きようではないか」と励ました。世界では若者の農業離れが進んでいる。若者を農村や里山に戻すには、新しい価値観が必要、それがバイオ・ハピネスという生き方というのだ。

  GIAHSは国連の食料農業機関(FAO)が認定している。能登など認定されたサイト(地域)は国際評価を受けたことになる。今回の世界農業遺産(GIAHS)セミナーはある意味で、能登の里山で農業やビジネスに取り組む若者たちと、認定機関FAOをつないだことになる。このセミナーを主催した中村浩二教授は「能登の里山は世界の里山とつなっがている。能登の若者たちが世界に目を向けることで、能登の新たな可能性を引き出すことができる。グローバルでもローカルでもない、グローカルに生きよう」と挨拶した。新しい価値観、それは国際ビジネスの最前線に立ち、グローバルに世界を飛び回ることだけではない。それには限界があり、なにしろコストがかかる。むしろ、同じ課題を抱える地域の者たちが世界中から生き抜く知恵を集める作業が必要になると、中村教授はいうのだ。世界の流れはすでにその方向に向かっている。

  不思議なことに。上記を裏付けることがある。「SATOYAMA」と「NOTO」は国際的に通用する言葉になっている。2010年10月、生物多様性条約第10回締約国会議(開催地:名古屋市)で「里山イニシアティブ」採択された。その後、2011年6月、GIAHS「NOTO‘s Satoyama and Satoumi」が認定された。この条約やFAOに関わりのある190ヵ国余りの担当者はこの言葉をマークしている。そして、能登の里山を訪れる海外からの研究者や行政担当者が数年随分と増えているのだ。その受け入れを大学、そして協力してくえる自治体、里山マイスターの受講生・修了生(JICA出身者が多い)が担っている。この現象を「能登のグローカルな風」と個人的に称している。

⇒13日(水)朝・金沢の天気    はれ

★能登の風景を変える人々

★能登の風景を変える人々

   先月9日、水戸市に出かけた。平成24年度「地域づくり総務大臣表彰」を受けるためだ。金沢大学が能登半島の先端で展開する「能登里山マイスター」養成プログラム運営委員会(代表:中村浩二教授)が授賞したのだ。中村教授に随行者として同行した。このブログでも何度となく紹介したが、「地域づくりは人づくり」、この地道な5年間のプログラムを振り返ってみる。

   日本海に突き出た能登半島に金沢大学の能登学舎(石川県珠洲市)がある。しかも、地元の人たちが「サザエの尻尾の先」と呼ぶ、半島の先端である。ここに廃校となっていた小学校施設を市から無償で借り受けて、平成18年から研究交流拠点として活用している。学舎の窓からは、日によって海の向こうに立山連峰のパノラマが展開する。この絶好のロケーションで、環境に配慮した農林漁業をテーマに社会人のための人材育成が行われている。

   能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い討ちをかけるように、平成19年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2000棟もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。震災の発生する2月前に文部科学省科学技術振興調整費(当時)のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に「能登里山マイスター」養成プログラムを申請していた。5月に正式採択されたが、喜びよりもミッション遂行の責任の重さがずっしりと肩にのしかかってきたとの思いだった。石川県が仲介役となって、金沢大学と石川県立大学、そして奥能登にある2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の6者が「地域づくり連携協定」を結び、同年10月に開講にこぎつけた。連携する自治体は、広報やケーブルテレビを通じて受講生の募集業務やプログラムを受講する職員の推薦、移住してくる受講生の窓口の役割を担ってもらった。実際、このプログラムを受講した移住組は14人に上った。

   能登の地域再生を目指す人材像を3タイプに分けて、毎週土曜に講義と演・実習を2年間受講する形式を取った。その3つのタイプとは、「環境に配慮した農林漁業人材」、「付加価値をつけ流通させるビジネス人材」、「地域リーダー人材」である。事業の最大の成果は、修了生62人(45歳以下)のうち52人が奥能登に定着し(定着率84%)、能登を活性化する多様な取り組みの中心として活躍していることである。たとえば、農林漁業人材では、水産加工会社社員(男性)が同社の新規農業参入(耕作面積26㌶)の中心的役割を果たし、地域の耕作放棄地を減少させている。製炭業職人(男性)は高付加価値の茶道用の高級炭の産地化に向けて、地域住民らともに荒廃した山地に広葉樹の植林運動を毎年実施している。この男性は平成22年度の地域づくり総務大臣表彰で個人表彰を受けた。

   定着率が高いのは、2年間のカリキュラムを通して、受講生同士の情報交換や仲間意識といったネットワークづくりが奏功したのだと分析している。また、追い風もある。平成23年6月、国連食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が世界農業遺産(GIAHS)に認定され、持続可能型社会のモデルとして国内外で注目され始めている。5年間で終了した「能登里山マイスター」養成プログラムの後継事業として、平成24年10月から能登「里山里海マイスター」育成プログラムが大学と自治体の出資でリニューアルスタートとした。受講生は40人余り。東京から通いで学んでいる女性たちもいる。マイスター修了生の活動の輪がさらに広がり、近い将来、能登の風景を明るく変えてくれるに違いない、と楽しみにしている。

※写真は、農産物の販売実習の風景

⇒12日(火)夜・金沢の天気    はれ

★黄砂で霞み、移ろう季節

★黄砂で霞み、移ろう季節

  8日に能登半島の七尾市に所要で出かけた。金沢もそうだったが、どんよりと空がかすんでいた。一時雨が降ったが、雨が上がってもどんよりとした土色のかすみが空を覆い、晴れ上がることはなかった=写真=。黄砂がやってきた、と直感した。毎年この季節はかすむのである。ただ、ことしの黄砂は目と鼻に刺激が強いのだ。

  その後、金沢地方気象台は今年初めて金沢市で黄砂を観測したと発表した(9日)。健康への影響が問題視されている微小粒子状物質(PM2・5)の大気中濃度は、石川県内の5観測地点のうち4ヵ所で国の環境基準値を上回った。PM2・5は金沢に隣接する野々市市の観測地点で7日にも、国の基準を超えた1日平均で1立方㍍当たり35.2マイクロ㌘が観測されている。「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」と石川県も発表しているが、PM2・5と黄砂がダブルでやってきたので、思いは複雑だ。

  きょう10日は大安の吉日。午後から友人の結婚式がJR金沢駅前のホテルであり、出席する。念のために金沢地方気象台の予報(午前7時58分発表)をチェックすると、「寒冷前線が通過し、冬型の気圧配置となる見込みです。このため、石川県では、雨で昼過ぎから次第に曇りとなるでしょう。また、昼過ぎまで雷を伴う所があるでしょう」と。確かにきょうは朝から強い風雨と、そして黄砂のせいか土色で空はかすんでいる。荒れ模様での結婚式になりそう。こんなお天気でのお祝いのスピーチはだいたい決まっていて、「雨降って、地固まると昔から申しまして…」となる。めでたい。

  金沢の冬は「雪吊り」に始まり、「雪吊り外し」で終わる。北陸の雪は湿気を含んで重い。庭木の枝に雪が積もると折れてしまう。そこで、木の幹に高い竹棒をくくりつけ、てっぺんからパラソル状にわら縄を下して枝に結び、折れないように補強するのだ。ことしの積雪は例年に比べ少ないが、それでも通算20回は雪かきに出ただろうか。例年と違ったのは、しんしんと積もるというパターンではなく、ゲリラ的に積もるという日が多かった。3月に入って、北海道ではきょうも防風雪だそうだ。それにしても、今月2日、北海道湧別町で地吹雪で乗用車が雪にはまり動けなくなった父親(53)が長女(9)をかばい凍死した事故があった。痛ましい。

  今月に入り、近所では「雪吊り外し」が始まっている。植木職人たちが竹棒を外すパタン、パタンという音が聞こえる。さまざまな冬の思い出と出来事を人々の記憶に残し、季節は春へと確実に移ろっている。

⇒10日(日)朝・金沢の天気    風雨

☆ともかく、ネット選挙

☆ともかく、ネット選挙

  インターネットの活用を選挙で解禁する公職選挙法改正案が今の国会でようやく成立しそうだ。随分と待たされたとの感じがする。今回は本当だろうなとの猜疑心もよぎる。これまで、ネット選挙解禁についての論議は何度もありながら、政治の混乱の中で法案は提出されてこなかった。たとえば、2010年の参院選挙の前に、自民、民主、公明の与野党は候補者・政党が選挙期間中にホームページやブログを更新できるとする合意していたのに、である。

  インターネットの活用を選挙で解禁するにあたり、ネックとなっていたのは、現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じていたからである。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていないのだ。

  7日に自民党総務部会で了承された公職選挙法改正案を、報じられたニュースをもとにチェックしてみる。その骨子(ポイント)は5つある。◆電子メールを除き解禁。今夏の参院選から適用、◆メール送信は政党と候補者に限る。アドレス表示を義務づけ、虚偽表示には罰則。送信先の同意が必要で、同意を得た記録を保存する、◆落選運動をする際はアドレス表示を義務づける。虚偽表示には罰則、◆選挙運動用の有料ネット広告は原則禁止、◆選挙後のネットを利用したあいさつ行為を解禁…となる。

  ソーシャルメディアの国内での広がりを背景に、法案では、候補者や政党以外の有権者だれでも、ホームページ(HP)やフェイスブック(FB)、ツイッターを活用した選挙運動ができる(解禁する)。HPなどにはメールアドレスなどの連絡先を明記することを義務づけ、別人を語る、いわゆる「なりすまし」を防ぐ。ただし、メールを送信する選挙運動は、なりすまし対策が難しいために政党と候補者に限定される。さらに、政党と候補者は送信先の同意が必要で、たとえば、メールマガジンを購読者に送る場合は、送信することを事前に通知して拒否されないことを条件としている。さらに、規定に違反したり第三者がメール送信をした場合は、2年以下の禁錮か50万円以下の罰金を科し、公民権停止の対象となる。

  今回の改正案で面白いのは、候補者を当選させないための「落選運動」も事実上認めていることである。たとえば、選挙期間中(公示・告示から選挙当日)に「あの人の街頭演説はヘタだった」と有権者がFBで書くのは自由だ。ただ、アドレスや氏名の明記を義務づけ、罰則も定めた。アドレスの表示義務を果たしていないHPなどは、プロバイダー(接続事業者)が、中傷を受けた候補者らからの削除要求に応じるが、賠償責任までは負わないという免責も規定されている。

  有権者にとって、メールで知人に特定の候補者の投票を呼びかけたりはできないので、解禁とは言いながらも物足りなさも感じる。今回の改正案では、「なりすまし」メールを過度に恐れている節も見受けられ、もどかしい。が、まずはネット選挙をスタートさせることだ。

⇒9日(土)朝・金沢の天気   はれ

★その舞台裏はさぞ…

★その舞台裏はさぞ…

  全国的には大きなニュースになってはいないのだが、金沢ではあるニュースが話題を呼んでいる。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の指揮者で、音楽監督の井上道義氏が北朝鮮の国立交響楽団の招待を受け、現在訪朝している。8日には、ベートーベンのシンフォニー第9番のタクトを振るというのだ。

  これに関して、現地で共同通信の記者のインタビューを受けた井上氏は「政治的に解決できないことが(両国間で)あるとしたら、僕らみたいなのが穴をあけ、互いの疎通を図ることが必要だ」「第九は平和を望む内容の曲。(演目として)僕から持ちかけ(北朝鮮側が)すんなり乗ってくれた」「音楽だけでなく、できることがある人は何とかつながりを持ち、この国にいろいろな情報を入れてあげないといけない」と話した(8日付・北陸中日新聞)。

  井上氏の訪朝は石川県議会2月定例会(7日、一般質問)でも取り上げられた。自民党の議員が「芸術家であっても北朝鮮に対する厳しい目に気付くべきだ」と。芸術家はそれ(訪朝)を「使命」と言い、議員はそれを「甘え」と言い、この話は結論が出ない。
  

  その北朝鮮は政治の舞台では暴走している。国連安全保障理事会の制裁決議が採択(7日)を受け、北朝鮮側はきょう8日、1953年の朝鮮戦争休戦協定を破棄し、南北直通電話も遮断すると、テレビ画面でアナウンサーが声高にぶち上げた。「停戦白紙化」「ワシントンを火の海にする」など、アメリカの韓国の合同軍事演習を意識して挑発的なアナウンスメントを繰り返している。

  まさに瀬戸際外交だが、その裏で、金正恩第1書記は平壌の競技場で北朝鮮とアメリカ人の選手が参加したバスケットボールの試合を、NBAの元スター選手デニス・ロッドマン氏とともに観戦(2月28日)、「バスケ外交」を展開している。

  井上氏の第九演奏の指揮もその政治的な外交演出の一つなのだろう。いわば芸術の政治利用と言ってよい。その視点で見れば、井上氏の訪朝は果たして是だったのか…。硬軟織り交ぜた北朝鮮の「仕掛け」には驚嘆する。それにしても、北朝鮮の国立交響楽団による「第九」の演奏が今回初演というのだから、その舞台裏はさぞ…。

⇒8日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆福島から-下-

☆福島から-下-

  2月25日に福島市で開かれた三井物産環境基金交流会シンポジウムは、除染と復興、放射能と人の心情、安心と安全のパーセプションギャップなど問題が凝縮されていて、迫力のある内容だった。パネル討論が終わり、さらに分科会=写真=に出席した。テーマは「除染と健康、放射能と対峙するには」。放射能の土壌や健康への影響、そして除染の状況、今後の課題について、鈴木元・国際医療福祉大学教授、野中昌法教授が専門家の立場から口火を切った。

      放射線リスクは「安全のお墨付き」より「値ごろ感」

     鈴木教授の専門は放射線病理、放射線疫学。最初に「低線量遷延被ばく、内部被ばくの健康リスクとどう付き合うか」と題して話した。「遷延被ばく」とは、福島第一原発の事故のように、環境中にばらまかれた放射性降下物からのゆっくりとした被ばくのこと。「内部被ばく」は放射性物質が含まれている飲み物や食べ物、空気体内に摂取したり吸ったりすることで起きる被ばくのこと。鈴木教授は、放射線リスクは「ある」「ない」で論じられるが、この世にゼロリスクはない。「リスクは低ければ低いほどよい」と一般的に認識されるているが、低めるに当たり失うものを考慮しないと、誤った価値判断に陥る。「低線量被ばく、内部被ばくは、急性被ばく(たとえば原爆による被ばく)よりリスクが何百倍も高い」との話が広まっているが、これを裏付ける疫学的なデータはない、と述べた。以上の点から、専門家としては「安全のお墨付き」というものを与えることはできないが、放射線リスクの「値ごろ感」というものを伝えることができる。そのために、「個々人、あるいは地域のみなさんに『受容レベル』を価値判断するための材料を提供できる」と慎重な言い回しで語った。

  いくつかの事例が紹介された。原爆による人体への影響を調査している放射線影響研究所(広島市)による「原爆被爆生存者調査結果」によると、肺がんや消化器がんなどの固形がんは、被爆後15年ごろから増え始め、現在も続いている。被ばく線量とがんのリスクについてはこのようなデータがある。日本人男性ががんで死亡する確率は30%とされる、10歳の男の子が100ミリ・シーベルトの急性被ばくをしたとすると、30%だった生涯のがん死亡確率が32.1%、つまりプラス2.1%になる。女の子だと、20%だったのが22.2%になる。被曝量が10ミリ・シーベルトだと、その10分の1に減り、男の子は30%が30.2%、女の子は20%が20.2%になる。50歳の男性と10歳の男の子を比べると、7倍ぐらいの差になり、子供のほうがリスクが高いという評価が出ている。つまり、リスクを考えていくとき、どんなに小さい線量になっても、線量に応じてリスクは残ると考ええていると鈴木教授は述べた。

  福島に関連して以下言及した。放射性セシウムのセシウム134、セシウム137は、それぞれの半減期が2年、30年と長いため、環境中に長くとどまる。ただ、雨風によりセシウムが表土から流出するので、実際の環境中から半減する期間は、30年よりはずっと短くなること。そのセシウムは体に入ると、カリウムと同じような動きをし、消化管から吸収され、細胞に取り込まれる。代謝によって排せつされる。尿中に90%ほどが排泄され、大人だと100日で半分が排泄される。子供の場合は早くて、2週から3週で半分が排泄されることがわかっている。

  海外の事例が紹介示された。インドのケララ地方は、モナザイトという岩石から放射線が出て、高いガンマ線による被ばくがある地区。年間平均4ミリ・シーベルトぐらいで、多い人では1年間に70ミリ・シーベルトを被ばくする。ところが疫学調査が進められているが、ガンのリスクの上昇は認められていない。10年目の途中経過の報告なので、今後の報告が待たれる。

  「悲しい現実」として紹介されたのが、チェルノブイリ事故後の精神健康に対する影響。旧ソ連では自殺が増加し、心因性疾患が増加したと報告されている。また、旧ソ連だけではなくて、ヨーロッパ各国で堕胎が増加したという報告(一説にポーランドだけで40万人)がある。放射線に対する過剰な不安が、国民を不合理な行動に走らせ、そして堕胎という生命損失を招いた。福島でそのようなことがないように情報を提供していきたい、と。

  最後にキーワードは「リスクの認知と受容」だと述べた。年間5ミリ・シーベルトの被曝による健康への影響は、10歳の子供が生涯にがんで死亡するリスクが最大で0.1%上昇するといった大きさ。国際放射線防護委員会(ICRP)は、低線量の遷延被曝の場合、リスクは半分になると言っており、0.05%ということになる。そうなると、生涯がん死亡リスクは、10歳の男の子で、30%が30.05%になる、リスク上昇はそのくらい、と。むしろ、低線量被ばくのリスクを恐れて、園児に外遊びさせないということになれば、肥満によるガンのリスクが高まる。野菜不足も栄養面でマイナスだ。家にこもることも、心の健康を害したり、家族やコミュニティの崩壊を招く。リスクを自分なりに整理して、それをコントロールする知恵を身に付けてほしい。それが、環境中の放射線レベルを低減しながら、生活を守るということだ。あわてずに、計画的に生きよう、と。

  土壌学が専門の野中教授は「福島の90%の農地は除染が必要ないと考える」と述べた。大切なのは、農家が自分の田畑の土壌を「測定すること」の重要性、そして直売所で農産物の放射線測定をして「消費者に伝えること」が大切だ、と。これ以上田畑を汚染させないために、稲わら、落ち葉などを入れて腐植土をつくり、作物への吸収を減じることが可能だと述べた。そして「何百年と引き継がれた肥沃な土づくりを、除染で表層土壌を取り除いたり、深耕したり、天地返しで20㌢より深い土壌と入れ替えることは、農業者が農業を続けられなくすることに等しい」と強調した。

  野中教授は「除染よりむしろ大切なのは、事故前より、より良い農業・農村づくりを目指すことだ。それは可能であり、放射能を測って農村を守ること」と話し、「Man has lost the capacity to foresee and to forestall. He’ll end by destroying earth.(未来を見る目を失い現実に先んずるすべを忘れた人間。その行く先は自然の破壊だ)」と、医療と伝道に生きたアルベルト・シュヴァイツァーの言葉を引用して、会場を訪れた農業者を励ました。

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