⇒トピック往来

★加速する北陸新幹線

★加速する北陸新幹線

 当地では北陸新幹線金沢開業(2015年春)にかける期待が大きい。金沢と東京がダイレクトで2時間30分という時間短縮もさることながら、その経済効果である。日本政策投資銀行は「北陸新幹線の開業にともなう石川県、富山県のへの経済波及効果をそれぞれ124億円(石川)、88億円(富山)を試算し、特に観光・ビジネス客が年にして石川32万人、富山21万人増えると予測している。

 そうした希望ある試算が奏功してか、新聞やテレビなどでは連日のように、「おもてなし」のキャンペーンをどう繰り広げるかといったたぐいのニュースが掲載されている。面白いのは、石川県が先月27日、金沢開業のPRのために新たに作ったマスコットキャラクター。その名も「ひゃくまんさん」。加賀百万石にちなんだ名前だそうだ。郷土玩具の「加賀八幡起き上がり」をモチーフに、だるまに手足が生えたようなデザインだ。都内で開くイベントに向け、着ぐるみを現在制作中だとか。伝統工芸の加賀友禅を思わせる図柄に金箔や輪島塗もあしらうそうだが、マスコットキャラクターにしては面白味がない。そもそも、加賀百万石はキャラクターになりにくいイメージだ。そもそも「百万石」の意味すら理解できない人が多いだろう。たとえば、徳川幕府は何万石だと問われて、回答できる人や、1石を説明できる人すら少ないだろう。現代では死語なのだ。そんなものをテーマにマスコットキャラクターにしてどうキャンペーンを展開するのだろうか。むしろ、「けんろくくん」が分かりやすい。

 北陸新幹線の名称に関しては、ずっと論争があった。ながらく「長野新幹線」としていたので、「長野」の名前を残すか検討されていた。JR東日本は「北陸新幹線」とした上で、一部の駅で括弧書きで「長野経由」との表記をつけると発表した。特に東京駅などは「北陸新幹線(長野経由)」と表記する。現在の長野新幹線の名称が定着しており、「長野」の表記をなくすと利用者が混乱する可能性があるため、残すことを決めたらしい。

 運行様式は、東京-金沢間の運行体系は停車駅を少なくして早く目的地に到着する「速達タイプ」、停車駅を多くする「停車タイプ」、東京駅と長野駅を結ぶ「長野新幹線タイプ」、それに金沢駅と富山駅を結ぶ「シャトルタイプ」の4タイプをで運行する。このシャトルタイプは、JR西日本が新幹線開業後に金沢と富山を結ぶ特急を廃止するため、名古屋や大阪から富山に行く場合の利便性を確保したものだ。

 車両名は「つるぎ」「たてやま」が有力だ。北陸新幹線の沿線で実際に見える山の名前だ。最近の記事によると、JR西日本が特許庁に商標として出願している。ただ、審査が続いており、まだ登録されていない。立山(3015㍍)と剣岳(2999㍍)はともに富山県にあり、日本百名山でもある。石川県では白山が有名だが車窓から見えないので、今回は難しい。ただ、北陸新幹線の福井延伸が今後進めば、「はくさん」も浮上してくるのかもしれない。

⇒9日(水)夜・金沢の天気   くもり

★吉か凶かTPPの行方

★吉か凶かTPPの行方

  TPP「聖域」撤廃。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉で、政府・自民党が農業の重要5分野の関税を維持する従来方針から転換したと新聞・テレビディアが一斉に伝えている。これが、今後の日本の政治や政治にどのような影響を及ぼすのか。

  
  自民党の西川公也TPP対策委員長は、TPP交渉が開かれているバリ島で記者団に対し、「聖域」として関税維持を求めてきたコメなど農産物の重要5品目について、関税撤廃できるかどうかを党内で検討することを明らかにしたのだ。自民は前回の衆院選で、「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」との公約を掲げていた。こうした公約を放棄したともいえる。

  前回の「自在コラム」では、以下記した。「著者は着想はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とEUを比較して、日本に警鐘を鳴らしている。それは、TPPでは共通の通貨は持たないが、人と金、モノ、サービスの自由な流通を共通理念としている。これはEUと原則的に同じで、アメリカが主導するTPPはそういうことだったのかと気づかされる。」、「TPPでは不都合なところがあれば、今後の交渉で解決すればよいというが日本はドイツ並みに外交交渉が上手かとなるといささか疑問だ。2020年のオリンピック招致ではなんとかうまくやり遂げたが、国際舞台の交渉の場ではどうだろう。メルケル首相のような手腕を安倍首相に期待できるのだろうか。」、「EUの中のドイツと、TPPの中の日本は同じ役回りだとの下りは身につまされる。『ドイツから搾り取れるだけ取ってやれ』と思っている国はEUで多い。表現は露骨だが、「日本からいけだけるものはドンドンといただく」くらに思っている加盟国もいるのではないか、いや国とというもの大抵そうだと思った方がよいのかもしれない。」と。

  TPP交渉は、いわば共通通貨のない「太平洋版EU」を目指すものだ。もともと、そんな交渉だ。したがって、農業分野での関税障壁などもともと念頭にないだろう。おそらく安倍首相もそこを理解していて、オバマ大統領が不在時に一気にTPPの主導権をとったのだ、と解釈した方がよい。うがった見方をすれば、すでにオバマとは連絡をとっていて、アメリカの「不在」を助けたことになる。ここから後には引けない。TPPのリーダーシップをいかに取るか、だろう。安倍政権の正念場だろう。

⇒7日(月)昼・金沢の天気   はれ

☆山荒れて

☆山荒れて

 「国破れて山河あり、城春にして草木深し」はよく知られた、杜甫の詩『春望』の冒頭の句だ。戦い(安禄山の乱)で国は滅亡し、人々の心の拠り所はなくなってしまったが、山や川はそのままで、かつての城下には春が訪れ草木が茂っている、自然の中にわずかに安堵感を見出した、との解釈だろうか。ところが、現代はどうだろうか。「山河破れて国あり」の状態ではないかと思うことがある。

 局地的な豪雨が発生するたびに、全国各地で山の地盤が崩れ、流出土砂が川にたまり、砂防ダムや土砂ダムが決壊し、人里に被害が及ぶ。先月29日、石川県小松市周辺が豪雨に見舞われ、梯(かけはし)川流域の1万8000人に避難指示・勧告が出されたが、治水上の計画高水位ぎりぎりで氾濫寸前でとどまった。まだ記憶に新しいのは2008年7月28日の金沢市の浅野川水害である。集中豪雨で55年ぶりに氾濫が起き、上流の湯涌温泉とその下流、ひがし茶屋街の周囲が被害を受けた。当時、浅野川流域の2万世帯(5万人)に避難指示が出されたのだ。

 自分自身の記憶もまだ鮮明だ。大学への通勤途中で、かつての記者の心が騒ぎ、若松橋から川の流れをのぞいてみた。堤防ぎりぎりにまで水がきて、異様だったのは、根がついたままの木が橋の縁に何本も引っかかっていたことだ。そのとき思ったのは、上流で山林の崩壊が起きているということだった。濁流が運んだのは、洪水だけでなく流木だった。大量の土砂と根がついたままの倒木は一体どこから来たのか。1週間ほどたって、浅野川の上流を行った。やはり、山肌がえぐられていることろが随所にみられた。竹林、杉の植林地など。杉などの人工林は、放置され間伐が遅れると木が込み合い、日光が林に入らない。すると、下草が育たない。そして、落ち葉や下草のない土壌では、林地に表面侵食が起き、土砂崩れが起きやすくなると指摘されている。放置されたモウソウ竹林でも同じだ。

 浅野川で起きたことは、何も金沢だけに特徴的なことではない。水害の背景にある山林の荒廃、それは全国に発せられる濁流の警告でもある。8月に入って、毎日のように「集中豪雨」の予報が発せれている。気候変動と荒れた山林、そして想像以上の水害。まさに「山河破れて」の状態ではないのかと。ヤブと化した竹林、藤ツルが絡まった杉林、そんな山の痛ましい姿を見てそう思う。

※写真は、クズが覆う金沢市角間の山

⇒15日(木)朝・金沢の天気    はれ

★木島平の里山から‐下

★木島平の里山から‐下

 地域と大学が連携する「学びの場」「地域活性化」にはいろいろなパンターンがある。平成19年の学校教育法の改正で、大学はそれまでの「教育」「研究」に加え、「社会貢献」という新たな使命が付加された。教育と研究の成果を地域社会に活かすことが必須になった。これを踏まえて、文部科学省ではこれまで地域のニーズに応じた人材養成として「地域再生人材創出拠点の形成」事業を、今年度からは「地(知)の拠点整備事業」(大学COC)を実施している。COCは「Center of Community」のこと。大学が自治体とタイアップして、全学的に地域を志向した教育・研究・社会貢献を進めることで、人材や情報・技術を集め、地域コミュニティの中核的存在としての大学の機能強化を図ることを目指している。

         「村格」こだわる気高い村の風土

 一方、総務省では地域の視点から大学とのつながりを重視する「域学連携」地域づくり活動事業を促している。過疎・高齢化をはじめとして課題を抱えている地域に学生らの若い人材が入り、住民とともに課題解決や地域おこし活動を実践する。学生たちが都会で就職しても、将来再び地域に目を向け、活躍する人材を育成することを促している。若者たちが地域に入ることで、住民が自らの文化や自然など地域資源に対して新たな気づきを得て、そのことが住民をの人材育成にもなると期している。

 文科省、総務省それぞに国費を投じた、こうした取り組みは、地域(自治体・住民)と大学(大学生・教員)それぞれにメリットがあるように、活動プログラムに工夫を重ね、知恵だしするプロデューサー機能が必要となる。ところが、予算取りには成功したが、実施段階でプロデューサー機能を構築しないまま、大学と地域でお互いの勘違いで勝手に動いているケースが実際にある。双方のどちらかが、メリットがないと気づいたとき、地域と大学の連携は単なる「迷惑」「おせっかい」にすぎないだろう。

 木島平村の場合、活動プログラムの策定から地域の人々と学生たちのつなぎ、食事のメニューを学生たちに考えさせ、その材料の仕込みまで、プロデューサー機能を果たしているのは教育委員会の中にある「農村文明塾」だ。教育員会には所属するものの、ある意味でのシンクタンク組織であり、全国でも稀である。その掲げるところは気高い。地域住民の活動と都市住民との交流を促し、①日本の農山村の有する価値と機能に改めて光を当て、「農村文明」の創生に向けて、農業・農村に愛着を持ち、農山村地域の持続的発展を支える人材育成を行う。②「農村文明」の創生に向けて、農村文明に関する調査研究を行うとともに、情報発信と有識者、全国の地域づくり関係者、自治体等との農村文明ネットワークの形成を進め、「農村文明」の普及啓発と全国運動の展開を行う。

 農村文明塾のホームページで塾長の奥島孝康氏(元早稲田大学総長)はその役割についてこう述べている。「農村自体の可能性をどのように探っていくのか、真剣に考えるときに来ています。それは、観光などではなく農村は農業を中心に考えることが大切で、農村の可能性を
『農村文明』という切り口で考えること、それが『農村文明塾』の役割だと思っております。」

 そして、木島平は、「村格」ということにこだわっている。農業のブランド化や都市農村の交流の拡大による地域の活性化を図ることはもちろん、農村ライフスタイルを、農山村で生活することへの愛着と誇りの醸成を進めたいのだという。これがベースだ。村の住民が幸福や生きがいを感じる地域の暮らしの質(自然環境、地産地消、健康長寿、相互扶助)をどう高めていけばよいか、その理想を追求している。

 事務局長の井原満明氏と初日の夕食後にしばらく話し合った。総務省の「域学連携」地域活力創出モデル実証事業の採択を受けて、その助成金で学生たちが木島平に寄り集う「農村版コンソーシアム」などの事業を展開している。「問題は公的な助成ではなく、民間から活動資金をどう引き出すか、活動資金の比率を高めていくかですよ」と。「域学連携」に留まる活動であってはならない。全国の民間企業が木島平に目を向けてくれるような、そのようなスケール感のある活動でないと農村文明塾は発展しないと自らに課しているのである。

 2日目(9日)朝6時30分に曹洞宗の寺で座禅体験。午前中は村歩き。道端のホオズキがオレンジ色に染まっていた。午前11時ごろ、村内の有線放送のスピーカーが響いた。「昭和20年8月9日午前11時2分に長崎に原爆が投下され、多くの方々が犠牲になりました。冥福を祈り、1分間の黙祷を捧げましょう」。原爆の日の黙祷、この地では日本人としては極当たり前のこととして今でも続けられている。木島平はそのような里山である。

⇒13日(火)金沢の朝   はれ

☆木島平の里山から‐中

☆木島平の里山から‐中

  平成の大合併で全国で568あった農山村が184に減った。村は「自治の主体」から「中心市街地の周辺部」へと、その存在価値を落としてしまった。その時期と並行して、都市では「疲労」が見え始めた。都市では物が買われ消費される。商品が都市に人々を惹きつける魅力となる。その仕組みである、物流のシステム、物を交換する交易のシステム、欲望を刺激するシステム、労働のシステムなど複雑な社会の構造が出来上がった。が、制度疲労が出始め、「ブラック企業」と呼ばれる搾取企業、「無縁」と称される社会的な孤立、欲望の犯罪化などが都市生活者の不安を煽る。そして若い学生たちもの微妙にその都市の不安な空気を読んでいる。

     「3度の食事も自ら賄う」 学生が農村というフィールドで学ぶこと

  木島平村では「農民芸術」を目指す人々がいる。地域に残る民話を発掘してそれを朗読する「語り部」の運動だ。テレビ番組「まんが日本昔話」の語り部として知られる俳優・常田富士男はこの村の生まれ。平成16年(2004)に「ふう太の杜の郷(さと)の家」という古民家を利用した活動の場ができ、常田を代表として「木島平の昔話」の語りなど活動の輪が広がっている。

 8日午後3時ごろ、「ふう太の杜の郷の家」=写真・上=に入った。さっそく参加学生のうち東京芸大、国立音大の学生ら4人によるトロンボーンやユーフォニアム、チューバを用いたミニコンサート。「故郷(ふるさと)」(北信州で生まれた高野辰之が作曲)など。続いて、参加学生が昔話の朗読をぶっつけ本番で。テーマは「高社(たかやしろ)山と斑尾山の背比べ」。このとき、ちょっとしたハプニングがあった。

 語りはこうだ。高社山と斑尾山は隣同士で仲が良かった。ふとしたことから「高社山と斑尾山はどちらが高いか」という話題になり、両方とも普段は温厚な山がその日は激しい言い争いになった。斑尾山が「高さを測る良い方法はないか」と高社山に尋ねた。高社山は「樋(とい)をかけて水を流したらどうか」といった。水は低いほうに流れるから勝負がつく。高社山と斑尾山は、それぞれの頂上に樋の端を置き、水を流した。すると、水は高社山の方へどんどん流れていった。高社山は悔しがり、肩を火を噴いて、樋を真ん中で叩き割ってしまった。話がクライマックスになったその時、午後4時56分、会場の参加者の携帯電話が一斉にギュー、ギュー、ギューと鳴り出した。鈍い感じのアラーム音、緊急地震速報だった。一時会場は騒然としたが、揺れものなく、語りは続けられた。「樋を割って、そのときこぼれ落ちた水が、千曲川になったんだとさ」。後で誤報と分かったが、話のクライマックスとアラーム音の絶妙なタイミングが会場の気分を盛り上げた。

  農村文明塾の 「農村版コンソーシアム」プログラムは、今回は学生を対象にしている。首都圏などから学生が集まって、集落をフィールドに、日本文化のルーツともいえる「農村」を学び、体験を通して「生き方」を探る場としている。したがって、「お客さん」扱いをしない。学生たちが農村に入って、村人と交わって、感じ取るのだ。井原満明事務局長は「学生たちに農村調査を求めているのではない。『share your secrets』の自ら気づきを促し、それを参加者と分かち合うのです。気づき、発することで人は生きる感性を磨くのです」と話す。

  ふう太の杜の郷の家での夕食は、村のお母さんたちに交じって学生たちが料理、配膳、ご飯炊きを行った。「3度の食事は自ら賄う」も農村文明塾の方針。ここでは薪割りをする、その後にかまどでご飯を炊く。そして皆で合掌してから、食をいただく=写真・下=。こう説明すると、一見して修行僧のようで、堅苦しくも思えるが、つくる方は話が弾み、食も進む。朱塗り膳の後片付け、食器洗いを終え、宿泊研修施設の「農村交流館」へ。駐車場まで歩く。森林の暗闇は静寂そのもの。夜8時をまわっていた。  

⇒11日(日)金沢の天気   はれ  

★木島平の里山から‐上

★木島平の里山から‐上

  長野県の北部、「北信州」と呼ばれる地域は古くから農林業が営まれてきた日本の里山である。地形が盆地になっていて、山あいの小さな棚田から平野の広い水田まで見渡せる。「兎追いしかの山」「こぶな釣りしかの川」で有名な歌「故郷(ふるさと)」を作詞した高野辰之が生まれ育ったところだ。北信州の真ん中あたり木島平村(きじまだいらむら・人口4700人)がある。昨年秋、木島平を舞台にした小説が出版された。

        「農村文明」の村へとかき立てる「和算のDNA」

 警察小説の『ストロベリーナイト』で知られる作家、誉田哲也の『幸せの条件』(中央公論新社)だ。理化学実験ガラス機器専門メーカーで働く経理担当の24歳OLが、バイオエタノール精製装置の試作で休耕田でバイオエタノール用の安価なコメを提供してくれる農家を探せと、長野県に出張を命じられることから物語が始まる。先々で「コメは食うために作るもんだ。燃やすために作れるか」と門前払いされながらも、農業法人で働くことになる。米作りを一から学ぶことになり、そして農村の中で、「人として本来すべきことを、愚直にやり通す強さ。そのあたたかさ。よそ者でも受け入れ、食事を出す。他人の子でも預かり、面倒を見る。損得ではない、もっと大切な何か。利害よりも優先されるべき、もっと大きな価値観」を見出していく。

 大震災、原発事故、停電、都市機能のマヒなど現実に「いまそこにある危機」が日本、そして世界の都市を覆う。しかし、 収穫したコメを見れば、人は何が起きても生きていけると「自給自足=生存」本能に目覚める。それが「いまそこにある幸せ」ではないか。農作業を通じて「幸せ」を実感する、そんなストーリーだ。

 小説の農村・木島平で、「幸せ」の実感を共有しようという村の事業「農村文明塾」がある。このプロジェクトは「農村文明」の4文字を掲げ、平成21年(2009)に旗揚げした。「農村文明」は稲作を中心に森と水の循環系を守りつつ、自然と共生して農耕生活を行う中で営々と築いてきた歴史、文化、教育な価値、さらに地域で支え合う自治機能といった価値と言えるかもしれない。一言で表現すれば、自然と共存可能な持続型の文明、か。

 プロジェクトでは、全国の大学の学生、企業、自治体職員を村に受け入れ現地で文化や農業を学ぶ「農村版コンソーシアム」、村民自身が学ぶ「農村学講座・オープンカレッジ」、村民自らが地域を深く知る「村民研究員制度」などをプログラム化している。1泊2日の、ほんの触れただけの体験だったがプログラムに参加した。今月8日に村に着き、さっそく農村版コンソーシアムのプログラム(5日間)に学生たちに交じって参加した。参加者は、早稲田大、東京工大、金沢大学、東京芸大などの学生15人。

 手始めに村の資料館に入った。驚いた。見たこともない幾何学模様がずらりと並ぶ。「算額」だ。江戸時代、鎖国で海外との交流がほとんどなかった中で、日本独自の数学として興った「和算」。当時の研究者たちは難問が解けたときの喜びや、学問成就の願いを絵馬にして、神社や寺に奉納した。和算は、16世紀に関孝和によって大系化し、その後全国に普及したものと伝えられている。その和算が木島平で根づき、野口湖龍ら和算家を多く輩出する、「信州和算のメッカ」となった。冬閉ざされる雪国が醸し出した学問の風土といえるかもしれない。

 木島平は「農村文明」を掲げ、持続可能な社会を創造しようと挑戦している。ひょっとして難問に挑戦する「和算のDNA」がここに息づいているのかもしれないと思った。

⇒10日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆日米野球文化のアーチに-下

☆日米野球文化のアーチに-下

 指揮者・岩城宏之はプロ野球のファンでもあった。2004年と05年の大晦日、ベートーベンの一番から九番の交響曲を一人で振り切ったとき、ステージトークで「ベートーベンのシンフォニーは9打数9安打、うち五番、七番、九番は場外ホームランだね」と野球にたとえて述べていたくらいだ。松井もまた、2004年の大晦日に、岩城のベートーベンの9番連続指揮をCS放送でたまたま帰国した実家で視聴して、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという(テレビ朝日『テレメンタリー』2006年11月27日放送「松井秀喜への手紙~指揮者岩城宏之 Far Eastの挑戦者」)。

       松井だからなれる「日米野球文化の懸け橋」に

 岩城は2006年6月13日に亡くなる前、当時の松井に手紙を出していた。松井はその時、故障で休場を余儀なくされていた。

 「今回あなたの闘志あふれる守備のため、負傷したことは、誠に残念です。しかしながら、これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、(中略)一番都合の良い夢を見てすごしてください。(中略)私も30回に及ぶ手術を受けましたが、次のコンサートのポスターをはって、あのステージにたつんだと、気持ちを奮い立たせました。(中略)お互い、仕事の世界は違いますが、世界を相手に、そして観客の前でプレーすることには変わりはありません。私も頑張ってステージに戻ります。」(岩城から松井への手紙)

 岩城と松井の直接の接点はない。ただ、岩城は松井の故郷である石川県に拠点を置くオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督をしていた。そして常々、「このオーケストラを世界のプレイヤーにしたい」と語っていた。岩城さらも、20代後半にクラシックの本場ヨーロッパに渡り、武者修行をした経験がある。その後、NHK交響楽団(N響)などを率いてヨーロッパを回り、武満作品を精力的に演奏し、日本の現代曲がヨーロッパで評価される素地をつくった。

 岩城は挑戦者の気概を忘れなかった。2004年春、自らが指揮するOEKがベルリンやウイーンといった総本山のステージを飾ったときの気持ちを、「松井選手が初めてヤンキー・スタジアムにたったときのような喜び」と番組のインタビューに答えていた。クラシックのマエストロは、野球の本場ニューヨークで奮闘する松井の姿と同じ心境だったのだろう。

  もし、岩城が生きていたら、今の松井にこんな手紙を送ったかもしれない。「これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、一番都合の良い夢を見てすごしてください。あたなたは日本とアメリカの野球のことをすでに熟知された。これからはニューヨークに在住しながら、できればアメリカの大学に入って野球の歴史と文化を学び、そして日米野球文化のアーチ(懸け橋)になっていただきたい。あなただからそれができます。」

⇒31日(水)朝・金沢の天気   はれ

★日米野球文化のアーチに-上

★日米野球文化のアーチに-上

  今季限りで現役を引退した元プロ野球選手、松井秀喜氏(39)。28日に2003年から7年間在籍したヤンキースの本拠地で引退セレモニーがあった。テレビや新聞がニュース特集=写真=で報じた。ヤンキー・スタジアムの野球の本場らしい雰囲気がセレモニーを厳かにしていた。本塁上に用意された机で引退書類にサインをする風景などは日本では見たことがない。ピンストライプのユニフォームがはやり松井に合っている。テレビや新聞を見て、そんなことを思った。

    松井秀喜の応援歌『栄光(ひかり)の道』と指揮者・岩城宏之の遺志

 ホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは伝説にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。話のついでだが、母校・星稜高校は28日に開かれたことしの全国高校野球選手権石川大会の決勝で、6年ぶり16度目の夏の甲子園出場を決めている。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本人で初の快挙だった。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井にとって20年間のプロ野球人生だった。

 では、松井はこれからの人生のビジョンをどう描いているのか。30日付の朝日新聞によると、ニューヨークの自宅の部屋には「野球のものが一つもない。目につく場所にボールやバット、写真もない。全部倉庫に入れちゃった。一つもなくなった。」と記者(星稜高野球部の同級生)に語っている。そして、ことし3月に生まれた長男の子育て中とか。また、石川県の地元紙は、8月上旬から10日間ほど日本に滞在し、この間、8日の全国高校野球選手権大会の初日観戦やトークショーなどのスケジュールをこなすという。

 でも、このことを指揮者の岩城宏之さん(2006年6月13日逝去、享年73歳)が聞いたら何というだろうかとふと思った。岩城は2004年と2005年の大晦日にベートーベンの交響曲一番から九番まで一晩で指揮した演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送でも生中継された。そして。松井の大ファンだった。自ら音楽監督をしていたオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で松井の応援歌をつくる構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。岩城が他界した後、応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』が完成した。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ…」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いた。

⇒30日(火)朝・金沢の天気  はれ

★GIAHS国際会議その後‐4

★GIAHS国際会議その後‐4

 来月8月25日から28日の旅程で韓国・済州島に行く。「持続可能な農業遺産保存•管理のためのGIAHS国際ワークショップ」に参加するためだ。主催は、済州発展研究院、青山島GIAHS推進協議会、共催は国連食糧農業機関(FAO)、中国科学院地理科学資源研究所(IGSNRR)、国連大学(UNU)、韓国農漁業遺産学会(KAHA)、韓国農村振興庁(RDA)、韓国農漁村公社農漁村研究院(RRI)。韓国でも、世界農業遺産への取り組みが活発化している。次回2015年の国際会議で済州島などの認定を掲げているようだ。

      海のGIAHSにも目を向けてみたい

 世界農業遺産国際会議の前日(5月28日)、金沢市文化ホールでは、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(UNU-IAS OUIK)が主催する国際会議のサイブイベントとしてワークショップ「アジアのGIAHSサイトにおける経験と教訓」が開かれた。この中で、国連大学の武内和彦上級副学長は「GIAHSの認定地域19のうち、アジアには11のサイトがある。欧州がユネスコの世界遺産をリードしたように、農業遺産はアジアがリードできる」と述べた。日本、中国、韓国のアジア3ヵ国が連携して、GIAHSを盛り立てていこうというグローバルな視野で語った。こうした国連大学側の思い、GIAHSの仲間入りを果たしたいという韓国側の思いが合致して、済州島でのワークショップが実現した。きょうど1年前の8月には、中国・紹興市で「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)が開催されている。

 今回の旅程で個人的に楽しみにしているは、25日に訪れる「海女博物館」だ。自分自身も新聞記者時代に輪島市舳倉島(へぐらじま)の海女さんたちをルポールタージュ形式で取材した。1983年ごろ、今から30年も前の話になる。いまでも、輪島市では200人余りがいる。ウエットスーツを着用して、素潜りである。そのころ、18㍍の水深を潜ってアワビ漁をしていた海女さんたちがいた。このように深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。重りを身に付けているので、これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、夫が船上で、命綱からクイクイと引きの合図があるのを待って、妻でもある海女を引き上げるのだ。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と今でも呼ばれている。輪島の海女、済州島の海女の潜り方、使っている道具、漁の仕方などを済州島の海女博物館で見学したいと思っている。共通性と違いはどこにあるのか、比較もしてみたい。

 海女の文化を伝えようと、ことし10月に輪島市で、全国各地の海女さんたちが集う「海女サミット」が開催される。これには済州島の海女たちも参加する。海女の伝統漁法と文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指しているのだ。私が知る海女さんたちは実に気高く、人に媚びようとしない。素潜りにより自然と向き合い、共生しながら漁をする海女さんたちの生き様、その知恵がもっと見直され、国際評価がされていいと考えている。

 万葉の歌人、大伴家持が越中国司として748年、能登を巡検している。輪島で詠んだ歌、「沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包み遣やらむ」。そのころから能登ではアワビが採取されていた。稲作とともに漁労も能登の特徴だ。能登のGIAHS認定のタイトルは「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」である。1260年余りも続き、アワビという資源を枯渇させない能登の漁労とは何か、そんなことも今後探ってみたい。

※写真は、大崎映晋著『海女のいる風景』(自由国民社)

⇒10日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆GIAHS国際会議その後‐3

☆GIAHS国際会議その後‐3

  世界農業遺産国際会議の終了後、「能登の里山里海」のGIAHSサイトの関係者が気にかけているのは「能登コミュニケ」(英文和文)の今後の実行のことだろう。コミュニケでは次の5の勧告がなされた。

       能登コミュニケの「モニタリング」「ツイニング」をどう実行していくか

1)GIAHS認定サイトでは、定期的なモニタリングが行われ、その活力が維持されるべきである。
2)農業遺産の保全や、世界の食料安全保障および経済発展への貢献を促進するため、さらにGIAHSサイトを漸進的に認定すること。
3)特に開発途上国において、現場での事業および取組を促進することにより、GIAHSを動的に保全すること。
4)既存のGIAHSは、開発途上国におけるGIAHS候補地が認定されるよう支援すること。
5)先進国と開発途上国の間のGIAHSサイトの結びつきを促進すること。

  2項目から4項目はひと括りにして、「世界の食料安全保障および経済発展への貢献を促進するために、積極的に世界農業遺産に認定していくこと」と理解してよい。問題は、1項目と5項目だ。「モニタリングと活力の維持」をどう測り(指標化)、そして「結びつき(twinning)」を見えやすくするか(可視化)。

  個人的な解釈だが、1項目の「定期的なモニタリングを行い、その活力を維持」には2つの意味がある。一つは、たとえば国内の5サイトが連携・協力して、国内外での知名度を高め、農作物のブランド化やツーリズムを推し進めれば、地域の活性化や次世代への継承に向けた確かな道筋ができる。つまり、前向きな指標となる。二つ目に、たとえばTPP(環太平洋連携協定)が意識され、農地の集約などによる効率化やコスト競争力などの農業の体質強化が重視される余りに、GIAHS認定地でも、その理念である農文化や生物多様性の維持がおろそかになる恐れがある。とくに里山のような中山間地の棚田では耕作放棄地も進んでいる。そうした地域では同時に、洪水の防止や景観保全といった農業や農地が持つ多面的な機能が失われつつある。そこで、農地の変化や生物多様性、地域の生態系サービス、農業文化(収穫の祭りの開催など)、地域住民の意識などをモニタリングする。これらが、現実を見る指標となる。この前向きと現実の指標を定点観測しながら政策提言やビジネスチャンスを創り出していければ、との期待である。

  5項目に関しては事例がある。昨年1月、能登と佐渡のGIAHSサイトの関係者たちがフィリピン・ルソン島のGIAHSサイトであり世界遺産でもある「イフガオの棚田」を訪れ、交流と同時にワークショプ(金沢大学、フィリピン大学など共催)を開催して情報の共有をはかっている。若者の農業離れによる耕作放棄地の増加などはそれぞれ共通の課題であることが認識された。今度GIAHSサイトの若者のモチベーションをどのように高めていくかなど、人材養成のあり方を含めて検討に入っている。

※写真は、2012年1月、フィリピンの世界遺産・世界農業遺産「イフガオの棚田」を訪れた、左から高野宏一郎佐渡市長、中村浩二金沢大学教授、メリー・ジェーン氏(FAOのGIAHS担当)。先進国と途上国のGIAHSサイト同士の交流が期待されている=バナウエイ

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