★辺野古から-上
キャンプ・シュワブのゲート前、現場はものものしい雰囲気が漂っていた。正門の道路
を挟んだ向こう側には基地反対派のテントが張られて大音響で入れ替わり、立ち代わりアジテートの演説が行われている。タクシーでその前を走行すると、「辺野古新基地NO!」などのプラカードが車から見えるように道路側に差し出されるのである。正面で陣取っていた人がいた。「辺野古埋立阻止」のプラカードを持って、椅子に腰かけている。基地と歩道の境界線である黄色い線を超えないように、公道ギリギリのところでアピールしている=写真=。
旗を見ると「○○民主商工会」や「ヘリ基地反対協」、「平和運動センター」、「平和市民連絡会」といった組織の名前が目立つ。地元辺野古の街中では目立った反対の看板が見当たらない。タクシーの運転手によると、地元の辺野古地区では条件付きで辺野古移設を容認し
ている、という。地元と反対派は一体化していないようだ。
先日19日には現地でこのような事件も起きた。21日付の琉球新報によると、キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議行動に不満を持つ男女の集団が19日午後10時半ごろから20日午前1時すぎにかけ、反対派らが設置しているテント内の机をひっくり返したり、移設反対のメッセージなどを記した横断幕をカッターではがしたりした。傷害容疑で逮捕された容疑者は酒を飲んでいた。現場を襲った集団は「テントをどかせ」「(基地を移設しないと)中国が攻めてくるぞ」などと言いながら、反対派ともみ合いとなり、現場は騒然とした。集団は「民族団体」を名乗り、19日昼すぎから断続的に現れ、挑発した。警察車両が7台前後が到着し、警察官ら15~20人前後が駆け付けて対応したが、しばらくもみ合いが続き、20日午前1時すぎに沈静化した、と。
記事での続報がないので、現場で暴れた男女にどのような政治的な背景があったのかなどはわからない。沖縄に来なかったら、このような現地の騒乱はニュースとして目にとまらなかったかもしれない。
⇒23日(水)夜・那覇市の天気 はれ
ラムサール条約登録の湿地「名蔵アンパル」を見学できるというので、隣接する「石垣やいま村」というテーマパークに立ち寄った。八重山の古い民家も移築して保存されている。沖縄の民謡を三線(さんしん)で生演奏している家などあり、にぎやかな雰囲気だった。入口から東に向かって、途中、カンムリワシのケージを横目で見て、さらに坂を下りていく。ウッドデッキがあってマングローブの群生林に入っていく。
22日付の朝刊をホテルで読むと、琉球新報と沖縄タイムスの一面の見出しが躍っていた。琉球新報「新基地は『人権侵害』 知事、国連で演説 辺野古阻止 国際世論へ訴え」、沖縄タイムス「反辺野古 国連で訴え 知事、人権理で声明」と。沖縄県の翁長知事が21日午後(日本時間22日未明)、スイスの国連欧州本部で開かれている国連人権理出席し、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べ、アメリカ軍普天間飛行場の県内移設反対を訴えたという記事だ。両紙ともジュネーブに同行の記者を送っていて、署名記事だ。チカラが入っている。
石垣島の第一印象は、紺碧の空と海、そして赤土のサトウキビ畑だ。そして、東シナ海に面し、国境離島と称されるくらいに中国と接している。きょう(21日)は、とくに当てがあったわけでもないが、島を半周するつもりでレンタカーを走らせた。
した。この蜂起を知ったアメリカのイギリスの海軍が3回にわたり島に来て、砲撃を加え、武装兵が上陸して捜索を行った。クーリーたちは山中に逃げ込んだが、逮捕、銃撃された。自殺者や病没者も続出した。
り、地元の新聞紙を買った。安保法の成立を沖縄の地元紙はどう伝えているのか。
金沢大学での講演会(「NPO法人角間里山みらい」など主催)で初めて新井氏の話に耳を傾けて、「この人は逃げない」と思った。
ない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした作業だ。酒造りのデータを熱心に記録する姿を見て、「酒蔵の科学者」との印象を強くしたものだ。
か」と一瞬思った。文字一句でも厳しい、あの教科書検定のチェックをスルリとかいくぐって、である。※掲載画像と本文はリンクしていません。
イプが落ちてきて、ガクンと実際の床が下がり、キャーと観客(ゲスト)の悲鳴がする。自分自身もちょっと肝をつぶした。
く苦行の旅だったろう。そのときに浜辺のハマユウの白い花がなんともいとおしく思えた、そんな歌だったのだろうか。
以下、引用する。