⇒トピック往来

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

 そんな能登だけでなく、05年に世界農業遺産に登録されたフィリピン北部、イフガオ州の里山でも、同様の問題が起きていることがわかった。中村教授とフィリピン大学の研究者が旧知の仲だったこともあり、現地でワークショップを開催しイフガオの現状を話し合った。すると地元の町長が「過疎化が進み、耕作放棄された棚田が増えたため、美しい景観が失われつつあります」と。それは能登が直面してきた課題そのものだった。能登里山マイスター養成プログラムで培った知見を、なんとかイフガオで生かせないだろうか―。JICA草の根協力事業を通じて、金沢大学の挑戦が始まった。

                  イフガオ棚田、手さぐりながら人材育成が始まった

 中村教授らが着手したのは、「イフガオ里山マイスター」養成プログラムの設立だ。金沢大学のパートナーは、イフガオ州大学、フィリピン大学、地元自治体で構成する「イフガオGIHAS持続発展協議会」だ。まずは、学習カリキュラムの作成から。座学と実習の組み立て、農業や養殖、政策などの専門家による講義の手配、卒業課題の進め方などをアドバイスした。「プログラムを実施する地元の教員などの意見を聞き、現地に即した体制づくりを目指しています」と中村教授は話す。2ヶ月かけて、現地の大学、行政、住民代表らとの人材養成ニーズやカリキュラム概要をめぐる討論会をおこなってから、2014年2月には受講生の募集を開始した。約60人の応募者の中から、第1期生20人を迎えた。月2回、1泊2日の日程で1年間学ぶプログラムだ。年代は20~40代、職種も農家、大学教員、行政マン、主婦など、さまざまな経歴を持つ人が集まった。地元の農家、ジェニファ・ランナオさんは、「どうしたら村のみんなが豊かになれるのか学びたい」と参加した理由を話す。

 このプログラムでは、とにかく“考える時間”を受講生に与えるのが特徴だ。「棚田を荒らす外来種のミミズをどう駆除するか」「観光客を呼び込むにはどうすればいいか」「棚田でドジョウの養殖はできるか」…。どの講義日にも、受講生自身が挑戦したい取り組みを決めて、どうすれば実現できるのか、全員で話し合うようにしている。こういった学びを繰り返すことで、自らの課題を見つけ、解決する力が身に付く。

 「いつも受講生の熱意には感心します。伝統的な農業を守りながら、集落を発展させたいと、8時間かけて通っている人もいるんですよ」と、中村教授は、彼らの成長の可能性を感じているよう。受講生の一人、環境保全のボランティアに取り組んできたインフマン・レイノス・ジョショスさんは、「このプログラムでの学びを棚田の保全に生かし、地域の人たちにも伝えていきたい」と目を輝かせる。

 今年9月にはプログラムの一環として能登で研修を行う予定。イフガオと能登の若者たちが交流し、里山と農業の未来を語り合えば、新たな発見が生まれてくるはず―。世界農業遺産を守るため、国境を超えた連携が生まれている。

⇒7月18日(金)午後・金沢の天気    はれ

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

大学の同僚からその話を聞いたとき一瞬耳を疑った。ブータンの農村では若者の農業離れが目立ち過疎化が進んでいるというのだ。首都ティンプに出稼ぎにいったまま帰ってこない。道路網が整備され、観光など労働の在り様が多様化している。都市化したティンプへの一極集中らしい。GNH(国民総幸福)という言葉は、ブータンの代名詞となっている感があるのだが、どうやら現実は複雑なようだ。

 過疎化の話はむしろ日本で大問題となっている。衝撃的な試算が出された。このまま日本の人口が減ると2040年には896市町村が消滅し、全国の全国の1800市区町村の半分の存続が難しくなるとの予測をまとめた。人口推計は大学教授や企業経営者からなる民間組織「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会が発表した(5月8日付の新聞各紙)。

 そして先日、総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査(今年1月1日現在)によると、全国の人口は前年同期より24万3684人少ない1億2643万4964人(0.19%減)で、5年連続で減少した。少子高齢化の進行で、死者数(126万7838人)から出生数(103万388人)を引いた「自然減」は7年連続で増加し、過去最多の23万7450人だった。つまり、山形市(25万)、宝塚市(22万)、佐賀市(24万)、呉市(同)クラスの都市が一つ消えたくらいの人口減だ。こうした過疎化する農山漁村とどう向き合えばよいのか。能登とフィリピンのイフガオの棚田での取り組みを紹介する。JICA広報誌「mundi」7月号に紹介された金沢大学の記事を紹介する。

                  加速する能登の過疎化と人材養成プログラム 

 能登半島山の斜面に積み重なる緑の幾何学模様。その先に広がる青い海。石川県能登半島にある棚田、白米千枚田はまさに絶景だ。この棚田のように、山や森林などに人が手を加えながら自然と共生してきた地域を“里山”と呼ぶ。能登の人々は、近代化が進む中でも地域ぐるみで里山を守り続け、2011年には、国連食糧農業機関(FAO)から伝統的な農業の保全・継承を目指す世界農業遺産(GIAHS)に認定された。

 しかし、新たな課題に直面してきた。「若者が職を求めて都市部に移住し、過疎化が急速に進んでいます。集落の維持が難しい地域すらあります」。そう話すのは、金沢大学里山里海プロジェクトの研究代表、中村浩二特任教授。このままでは人口は減る一方、能登の里山を守る人もいなくなってしまう―。この危機を打開しようと07年に金沢大学が立ち上げたのが、能登里山マイスター養成プログラム(12年から「能登里山里海マイスター育成プログラム」)だ。

 目的は、森林の管理方法や環境配慮型農法、農産品の販売促進などを伝え、里山を守る人材を育てること。プログラムは1年間で、隔週土曜日。参加者は「能登の美しい里山を守りたい」と、能登だけでなく、意外にも全国各地から集まった。これまでに農業者をはじめ、会社員や行政マン、デザイナー、主婦など84人が修了。能登の荒廃地にクヌギの植林をして付加価値の高い炭を生産したり、地元の食材を使ったお菓子販売を始めたりと、里山を維持する新たな担い手が育ちつつある。

⇒7月17日(木)朝・金沢の天気  くもり

☆イフガオへ-下

☆イフガオへ-下

フィリピンの1000ペソ紙幣の裏側に棚田が描かれている=写真・上=。高度1欧米人000-1500㍍に展開する棚田。この風景を見た欧米人は「天への階段」とイメージするそうだ。1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されてから、海外からのツアー客が格段に増えた。25日に宿泊したイフガオのホテルのレストランでは、英語だけでなく、おそらくオランダ語が飛び交っていた。アジア系の顔は我々だけだった。何しろ、マニラから直行バスで9時間ほどかかる。コメ作りが日常で行われているアジアでは、それだけ時間をかけて、田んぼを見に行こうという観光客はそういないのかも知れない。

       人材養成でソフト協力事業の国際モデルをめざす

 そのイフガオのホテルのレストランに一枚の棚田の大きな写真が壁面に飾られていた。写真の横幅は3㍍もあるだろうか。白黒の、おそらく数十年前の写真。紙幣にあるような、山並に一面に広がる見事なライステラス(棚田)だ。26日朝からさっそくそのビューポイントに撮影に出かけた。確かにスケール感があり、日本の棚田と比べても、イフガオ族の米づくりに対する執着というものが伝わってくる=写真・下=した。
 
 数十年前の写真と比較をしてみる。右下の三角状の小山は現在も同じカタチだが、全体に樹木が広がっている。とくに左下の棚田は林に戻っている。また、そして右真ん中くらいに展開していた棚田はすでに耕作放棄されているのが分かる。私は農業の専門家ではないが、素人目でもこのエリアは数十年前の写真を見る限り、20%ほどの棚田が消滅しているのではないだろうか。写真を撮っていると、民族衣装を着たお年寄りの男女が数人寄ってきた。「1人20ペソでいっしょに撮影できる」という。お年寄りの小遣い稼ぎだろうが、この現在の棚田の現状を見て、その気にはなれなかった。

 話は「イフガオ里山マイスター養成プログラム」に戻る。20人の受講生は月2回程度の集中講義を受ける。教員は6人体制で行う。その中心を担うのが、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのイノセンシオ・ブオット教授(生態学)。今回のプロジェクトの発案者の一人でもある。2013年1月、金沢大学里山里海プロジェクトが主催した「国際GIAHSセミナー」の基調講演で、「イフガオ棚田の農家が耕し続けるために、景観を商品として扱うのではなく、コミュニティの中で持続的に守るべきもの」と話した。その後、能登を訪れ、能登里山マイスター養成プログラムの修了生たちと懇談した。修了生の前向きな取り組みを聞き、「ぜひイフガオの若者のために、里山マイスター養成プログラムのノウハウを教えてほしい」と中村教授と話し合ったのがきっかけだった。

 受講生たちの学びの場はイフガオ州立大学となる。セラフィン・L・ゴハヨン学長は、「受講生には、イフガオのために自らが何かできるか考えてほしい。大学も彼らのために何ができるかを考えたい。今回のイフガオ里山マイスター養成プログラムをイノベーションモデルと位置付けている。そして、彼らに考える、研究するノウハウを生涯学習として提供していきたいと思う。それが大学ができることだ」と。日本からJICAプロジェクトが来たから、何か特別なことをするのではなく、地域の大学として持続的に支援していく。それが地に足のついた人材養成というものだ。

 よき提案者と理解者がいて、このプロジェクトは国をまたいでスタートする。人材養成というソフト協力事業の国際モデルとなるかどうか、いよいよ新たなチャレンジが始まる

⇒26日(木)夜・イフガオの天気   はれ

★イフガオへ-中

★イフガオへ-中

 25日午前、イフガオ州立大学でプロジェクトを推進する現地の組織「イフガオGIAHS持続発展協議会(IGDC=Ifugao GIAHS Sustainable Development Committee)が設立され、受講生20人を迎えての開講式とワークショプが開催された。目を引いたのが、「イフガオ・ダンス」。男女の男女円を描き、男は前かがみの姿勢でステップを踏み、女は腕を羽根のように伸ばし小刻みに進む。まるで、鳥の「求愛ダンス」のようなイメージの民族舞踊だ。赤と青をベースとした民族衣装がなんとも、その踊りの雰囲気にマッチしている。

     伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか     

 イフガオGIAHS持続発展協議会の設立総会には、プロジェクト代表の中村浩二金沢大学特任教授、イフオガ州のアティ・デニス・ハバウェル知事、イフガオ州立大学のセラフィン・L・ゴハヨン学長、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのメリンダ・ルマンタ副学長、バナウエ町のホン・ジェリー・ダリボグ町長らが出席した。持続発展協議会の設立目的は、能登半島と同様に、大学と行政が同じテーブルに就き、地域の人づくりについて手を尽くすということだ。中村教授は「希望あふれるGIAHSの仲間として、持続可能な地域づくりをともに学んで行きましょう」と挨拶。また、協議会の会長に就任したハバウェル知事は「金沢大学の人材養成の取り組みは先進的で、国連大学などからも高く評価されている。イフガオだけでなく、フィリピン全土でこのノウハウを共有したい」と述べた。

 午後からは、イフガオ里山マイスター養成プログラムの開講式が、第1期生20人を迎えて執り行われた。受講生は、棚田が広がるバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3つの町の20代から40代の社会人。職業は、農業を中心に環境ボランティア、大学教員、家事手伝いなど。20人のうち、15人が女性となっている。応募者は59人で書類選考と面接で選ばれた。

 受講した動機について何人かにインタビューした。ジェニファ・ランナオさん(38)=女性・農業=は、「最近は若い人たちだけでなく、中高年の人も棚田から離れていっています。そのため田んぼの水の分配も難しくなっています。どうしたら村のみんなが少しでも豊かになれるか学びたいと思って受講を希望しました」と話す。インフマン・レイノス・ジョシュスさん(24)=男性・環境ボランティア=は、「これから学ぶことをバナウエの棚田の保全に役立てたいと思います。そして、1年後に学んだことを周囲に広めたいと思います」と期待を込めた。ビッキー・マダギムさん(40)=女性・大学教員=は、「イフガオの伝統文化にとても興味があります。それは農業の歴史そのものでもあります。そして、イフガオに残るスキル(農業技術)を紹介していきたいと考えています」と意欲を見せた。

 ユネスコの世界文化遺産でもあるこの棚田でも農業離れが進み、耕作放棄地が目立つ。若者の農業離れは、日本だけでなく、東アジア、さらにアメリカやヨーロッパでも起きていることだ。一方で、農業に目を向ける都会の若者たちもいる。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=持続型農業)を学びたいと農村へ移住してくる若者たち。ただ農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、その取り組みがイフガでも始まったのである。

⇒25日(火)夜・イフガオの天気  あめ

  

☆イフガオへ-上

☆イフガオへ-上

  フィリピンのマニラにいる。これからルソン島北部の山脈にあるイフガオに向かう。今回で3度目のイフガオ訪問だ。2012年1月、翌年2013年11月、そして今回だ。マニラから車で移動すること9時間余り。昨日も、正午すぎに小松空港から韓国・仁川空港へ、そしてマニラ空港に着いたのが夜中の11時ごろだった。つまり、2日がかりで現地に入ることになる。

           イフガオを支援する意義は何なのか

  金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成(「能登里山里海マイスター」育成プログラム)のノウハウをイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された。

  このプロジェクトを促進するため、同じ世界農業遺産の能登と佐渡を中心とした「イフガオGIAHS支援協議会」の設立総会=写真=が3月8日に能登空港で開催された。設立総会と記念ワークショップには、フィリピン側からアティ・デニス・ハバウェル (イフガオ州知事)、グレース・ハビア・アルフォンソ (フィリピン大学オープンユニバーシティ学長)、セラフィン・L・ゴハヨン (イフガオ州立大学長)の3氏が参加。金沢大学からは中村信一学長、山辺芳宣能登地域GIAHS推進協議会(羽咋市長)、石川県の堀畑正純環境部長らがホストだった。

  なぜイフガオ支援なのか。世界遺産遺産にも認定されている世界的に有名な棚田だが、近年、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されるほか、地域の生活・文化を守り、継承していく人材の養成が急務となっている。そのため、同様の課題を有する日本の世界農業遺産認定地域(能登・佐渡含む5サイト)が協力し、金沢大学の持つ地域と連携した人材育成のノウハウを移転し、同地において魅力ある農業を実践し、地域を持続的に発展させる若手人材を養成するプログラムの構築を支援することになった。また、GIAHS 理念の普及を通じた国際交流・支援を実施することにより、国内のGIAHSサイトにおいて、国際的な視点を持ちながら地域の課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成にもつなげていきたいとの思いもある。

  ピロジェクト代表の中村浩二特任教授の司会のセンションが「イフガオの現状と期待」と題して行われた。「能登と佐渡、そしてイフガオが抱える若者と農業の問題は世界の問題。この解決モデルを共に創りましょう」とハバウェル知事が訴えた。

  そしてあす25日、イフガオで「イフガオ里山マイスター養成プログラム」の開講式がある。いよいよプロジェクトが始動する。

⇒24日(月)朝・イフガオの天気   くもり

★3月の「大雪」

★3月の「大雪」

 きょうの朝(10日)起きて驚いた。一面の銀世界。さっそく自宅前の道路の「雪すかし」を行った。20数㌢の積雪だ。「雪すかし」は先のコラム(2月9日付)でも紹介したように、金沢の町内会の伝統的な暗黙のルールとも言える。一方で、朝の通学の児童たちのために道を確保するという、ちょっとした「思いやり」を持って除雪にあたっている人もいるかもしれない。

 ただ、今朝の雪はとても重く感じられた。雪をかいて溝に運ぶスコップがずしりと腕と肩にくる。よく見ると屋根の雪もすでに落ちているところもある。外気温は3度。湿り気のある雪なのですでに溶け始めている。つまり、水分をたっぷり含んだ雪なのだ。ここで気になるのが、庭木の枝である。「雪つり」をほどこしている樹木はよいが、そうでないたとえば、ツバキやキンモクセイなど(それぞれの家庭によって異なる)はとても重そうで、枝がいまにも折れそうだ。そんなことを思いながら、子どもたちの声が聞こえ始める7時ごろまでに自宅前の雪かきを終えた。

 これまで3月中旬になってブログネタにした雪は「名残り雪」だった(2009年3月26日付)。ところが、きょうの雪は久しぶりの大雪といった風情の積もり具合である。こうしてブログを書いている間も降っている。ここ数日の冬型の気圧配置が居座っている。ただ、あすからは回復して晴れ間ものぞきそうだ。

 ことしの金沢は全般に「少雪」だった。東京で雪が降っても(2月14日)、金沢ではほどんど積雪がなかった。今回の「大雪」で少しは冬の名残をとどめた。そして、雪つりを施した甲斐があった、などと金沢の人は悠長に思っているのではないか。自分も含めて。

⇒10日(月)朝・金沢の天気   ゆき

☆ブラックアウト

☆ブラックアウト

これまでの携帯電話(ガラケイ)からスマホ(au「URBANO」)に替えた。そのときに携帯電話の取扱店からアドバイスされたのが、「落とさないこと」だった。確かに液晶画面がガラケよりも広く大きく、落とすと割れると思うと慎重になる。実は、これまでのガラケイも何度も落として、特に角がすり減ったようになっていた。

 過日、電器店でスマホのカバーを買った。全体のカバー(透明)と液晶画面の保護シート(フイルム)のセットだった。その翌朝から異変が起きた。スマホの液晶表示の画面が、電話の通話が始まると真っ暗にブラックアウトしてしまうのだ。それでも、相手と通話しているときには特に不自由もなかったので放っておいた。電話が切れると、液晶表示画面が回復すしたからだ。焦ったのは、相手が留守電なり、録音して切りボタンを押そうにも、ボランがどこにあるかわからないことだ。焦った。「3分間」延々と電話につながったままになった。

 その理由を「スマホ 通話になると画面が暗くなる」で検索し、調べた。するとauのイサイトでこんな質問・回答があった。「通話時に液晶画面が突然が真っ暗になる」。「ディスプレイに市販の保護シートを貼られていませんか。近接センサー等が誤動作している可能性があります。保護シートを一旦はがして、動作をご確認ください。」とういうものだった。

 近接センサーとは、本体に顔が近づいている状態で、スマホ本体から顔が離れた状態を検出して、自動的にタッチパネルのオンとオフを切り替える機能。顔を近づけるとタッチパネルをオフにして誤動作を防ぐのだという。すばらしい、近接センサーの機能なのだが、意外にも、保護シートで貼ることで、誤作動を起こし、通話が始まった段階でずっとブラックアウトしてしまうのだ。

 結局、せっかく1200円も払って買ったカバーセットだが、液晶画面の保護シート(フィルム)を外すことにした。落下によるスマホの損傷を防ぐために、保護シートを貼ったが、それが今度はスマホ本体の近接センサーの機能を阻害することになる。複雑な現代社会の一面がこのスマホに見て取れた思いだった。

⇒8日(土)夜・金沢の天気   くもり 時々 ゆき

★雪かきのご近所ルール

★雪かきのご近所ルール

  昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。

  それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。

  金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。

  時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。

  「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。

  「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。

⇒9日(日)朝・金沢の天気   あめときどきくもり 

☆2014年を迎えて

☆2014年を迎えて

  2014年元旦の金沢は雨ときどき曇りだった。家族で金沢神社に初詣に行き、帰りに東山の茶屋街に立ち寄った。街中は静かだったのに、ここは観光客でにぎわっていた=写真・上=。午前中だったが、店も一部は開店していた。店の前で芸子さんが姿を現すと、珍しげに観光客が集まった。「写真撮らせていただけませんか」とスマートフォンを構えている。芸子さんが「いいですよ」と微笑むと、ちゃっかりと「ツーショットと撮っていただけませんか」と横に並ぶおばさんもいた。

  話は前後するが、初詣をした金沢神社の隣に兼六園管理事務所がある。事務所横の庭には、まだ背の低い松などが植えてあり、雪つりまで施してある。本来ならば、兼けんろ六園の園外であり、名木でもないのにコストをかけてまで雪つり施す必要はない。理由がある。これらの松は、兼六園の名木たちの2世なのだ。兼六園といえども、強風や台風、大雪も、そして雷などの自然の脅威には常にさらされている。そして、いつかは枯れる。

  そのときのために名木の子孫がスタンバイしているのである。これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。兼六園きっての名木「唐崎(からさき)の松」。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」に描いた松である。その唐崎の松は2代目だが、第13代加賀藩主が2代目の種を取り寄せて植えた松が兼六園の「唐崎の松」である。

  兼六園管理事務所では、滋賀県の唐崎の2代目の種子で成長した低木を譲り受け、管理事務所で育てている=写真・下=。若いが枝振りもよい。これならば雪つりを施す価値があると個人的にも思う。ただ、この子孫の出番はいつか分からない。100年後か200年後か。ただ、名木の2世のスタンバイは永遠という時空をつけている。兼六園は四季の移ろいを樹木などの植物によって感じさせ、それを曲水の流れや、玉砂利の感触を得ながら確かめるという、5感を満たす感性の高い空間なのだ。その空間に永遠という時空をつけて、完成させた壮大な芸術品、それが兼六園。

⇒1日(水)夜・金沢の天気   くもり

☆時代のウインク

☆時代のウインク

  冬の仙台市をライトで彩る「光のページェント」を初めて見た。14日夜、訪れた。定禅寺通の660メートルのケヤキ160本に、60万球の発光ダイオード(LED)が一斉に点灯して浮かび上がる。ことしのテーマは、「あたたかな光が創り出す『よろこびと感動のステージ!』」。今月6日に点灯し、31日まで。

  この日の仙台市内は冬型の気圧配置に見舞われ、雪だった。市内は数センチの積雪だが、光と雪の競演ともいえる風情だ。点灯時間は17時30分から23時まで。じっと見ていると、18時ごろに一瞬ライトが消えた。周囲は消えてないので、照明機器の故障かと思った。すると1分くらいして点灯した。ウオーと歓声が上がった。光のページェントを見に誘ってくれた友人によると、これは「スターライト・ウインク」という一つの演出なのだそうだ。18時から20時の1時間おきに、1分間消灯した後に再点灯する。

  人は光が消えると一瞬不安になる。そこで再点灯すると感動に包まれる。言葉を付け足すと、暗闇という緊張と不安を感じるところに行き、そこで光を見るとなんともいえない安心感を覚えるという人間の心理を巧みに生かした演出だ。これを大がかりに都市の復興の仕掛けにしたのが、阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興への希望を託し、1995年に始まった神戸ルミナリエだろう。

  近隣外交を含めて、不安定な時代に一瞬に光を与え、人々に勇気と感動を与えてくれる「時代のウインク」とは何か、仙台の夜のページェントを見て、雪道を歩きながらふとそんなことを考えた。

⇒14日(土)夜・仙台の天気   ゆき