⇒トピック往来

★梅の花と北陸新幹線

★梅の花と北陸新幹線

  我が家の庭の梅が満開となった。「老梅」で樹皮だけのような薄い幹が痛々しいほどに横に曲がり、支え棒がないと折れてしまいそうな形状なのだが、この時節にはちゃんとピンクの花を咲かせて楽しませてくれる。ただ、梅の実は数個しかつけていない。例年、この老梅が最初に一輪の花を咲かせるころに、造園業者に来てもらい雪吊り外しをしてもらう。ことしは今月19日だった。この梅の時節にやってきたのが北陸新幹線だ。

  今月14日に金沢開業にこぎつけ、2週間たっても連日のようにメディアをにぎわせている。きょう29日の地元紙の社会面の見出しはこうだ。「切符購入 あぁ窓口混雑」「東京出張 あぁ飛行機で」。この見出しだけでは何のことが理解できないので、少し読み解(ほど)く。「あぁ窓口混雑」は金沢駅のみどりの窓口に行列が出来て、15分以上も待つときがあり、乗客から券売機を増やしたり、窓口の対応を臨時に増やす対応をしてほしいと苦情が出ているという内容。

  「あぁ飛行機で」は新幹線延伸で富山県庁や富山市役所では職員の東京出張は飛行機でと呼びかけている、というもの。4月から6月の利用状況によっては今後、減便や機体の小型化が予想されるからだ。東京駅から富山駅は最速で2時間8分なので、それぞれの利用者にとっては都心、あるいは市の中心街へのアクセスを考えれば新幹線に利便性がある。しかし、空のネットワーク(富山‐羽田‐成田)で国内外へのフライトを考えれば当然、空の便も確保しておきたいと行政が必至になるのは当然だろう。

  これまで2度、北陸新幹線に乗車できた。20日と27日。その乗車の感想を。普通車はシートに格子柄をあしらい、明るい空間。すべての座席に電源コンセントが設置されていて、パソコンやスマ-トフォンの電源が確保できる。収納式の大型テーブルはパソコン作業にはありがたい。ただ、シートの幅が狭い、と感じる。隣に体格の良い人が座ると肩身が狭い。そこで、2度目の東京行きの帰りは、思い切って「グランクラス」に乗った。

  東京と金沢間は指定・片道で14,120円なのだが、グランクラスは26,970円と倍近い。東北新幹線の「はやぶさ」にも設けられている。車両は12号車、つまり最前列。上質な空間で本革張りのシートは電動リクラインニングだ。一列が左右それぞれ1席と2席で計3席なので、普通車と違い幅も広い。キャビンアテンダント(CA)のサービスで、和食か洋食の軽食が選べ、アルコールも自由だ。最初は梅酒のスパークリングを頼んだ。続いて、赤ワインを。さらに、欲張って日本酒をオーダーすると、「宗玄」が出された。飲酒を想定して金沢駅からの帰宅をバスにしていたので、能登の銘酒をゆっくり堪能できた。

  数日前にグランクラスを予約するとき、旅行会社に「かがやき」のグランクラスをお願いした。すると、「せっかくグランクラスの乗るのだから2時間28分の『かがやき』ではなく、3時間3分の『はくたか』の方がリラックスした時間が余分に楽しめますよ」と担当の社員がアドバイスしてくれた。なるほど。新幹線なのだから最速で目的地に着くことばかりを考えていたが、グランクラスなのだから優雅な空間とゆったり流れる時間の双方を4次元的に楽しまなければ「26,970円の価値」も薄れるというものだ。ということで、東京から金沢の乗車を「はくたか」にしたのだった。

  グランクラスは18席しかない。東京駅で乗ったとき13席に乗客がいた。私の前の列に座った3人はアジア系の親子らしく、CAも英語でサービスをしていた。この親子は軽井沢駅で下車した。で、この親子は香港か台湾系の華僑かと想像をめぐらしたりもした。そして、桜の時期には北陸新幹線にどのような話題が繰り広げられることになるのか。新幹線の滑りが酔うほどに心地よく感じられ、いつしか眠りに落ちた。

⇒29日(日)午後・金沢の天気   くもり

  

☆3月14日ショック

☆3月14日ショック

  北陸新幹線の金沢開業のその日(3月14日)、メディアも新幹線一色だった。朝からテレビはどのチャンネルも中継番組、JR金沢駅周辺の道路では交差点に交通警察官が張り付き、空にはヘリコプターが飛び交うという、一種異様な感じさえした。ただ、空は晴天で新幹線金沢開業を祝福しているような雰囲気だった。

  最速型の「かがやき」は東京‐金沢(450㌔)を最短2時間28分で結ぶ。運行は東京‐上越妙高(新潟県)をJR東日本が、上越妙高―金沢間をJR西日本が担当するというダブル・システム。両社が共同開発した新型車両のE7系、W7系は最高時速260㌔だ。将来、北陸新幹線は東京から北陸をへて大阪までの700㌔を結ぶことになる。その波及効果も目を見張る。JR金沢駅周辺は、去年9月の基準地価で、商業地は全国一の上昇率となり、今もマンションやビル建設に加え、ホテルの開業が相次いでいる。金沢が得意とする全国規模の学術学会や国際会議が目白押し。日本政策投資銀行は、首都圏からの観光・ビジネス客は石川県で年間32万人増えると予想している。

  朝からのテレビ番組では「こうなると逆に北陸から首都圏へのストロー現象も心配」「地方創生が叫ばれる中、予想される太平洋側の大震災にそなえて大企業の北陸への分社化の動きも加速するだろう」と論義も熱かった。

  同じ14日の正午ごろ、今度はショッキングなニュースが飛び込んできた。殺人事件だ。福井大学大学院の前園泰徳・特命准教授が今月12日朝、福井県勝山市内に止めた車の中で、教え子の大学院生(女性)を殺害したとして逮捕された。報道によると、司法解剖の結果では、院生の首にはひもなどで絞められた痕がなかったが、手を使って犯行に及んだ可能性が高いとみて調べている、という。前園准教授は、勝山市で赤トンボの生態について進めていて、金沢大学が中心となって進めている北陸ESD教育の福井地区の主力メンバーだった。ESD(Education for Sustainable Development)とは聞き慣れない言葉かもしれないが、自然と生命(いのち)のつながりを感じたり、地域に根ざした伝統文化や人びとと触れながら多様な生き方を学ぶといった先駆的な教育手法だ。

  前園准教授と初めて名刺を交わしたのは昨年2014年2月22日のこと。金沢市内で私も関わっている「角間里山ゼミ」の設立記念ワークショップでお目にかかった。研究熱心で、子供たちへの環境教育のリーダー的な存在との印象だった。顔も鮮明に覚えていただけに、何かの間違えではなかと一瞬わが目と耳を疑ったほどだ。どのような背景があったにせよ、ショックという以外、言葉がない。

⇒15日(日)午前・金沢の天気   はれ  

★戻り寒波と北陸新幹線

★戻り寒波と北陸新幹線

  けさ6時20分ごろから、「雪すかし」をした。雪すかしは金沢では除雪のこと、「雪かき」と言ったりもする。ことしの正月三が日が雪すかしのピークで、2月に入ってからはほどんどスコップを持ったことがなかった。ご近所さんとも「雪が降らないので助かりますね」と言葉を交わしていた。それがここ数日の雪模様と荒れ模様、けさは我が家の周囲でも10㌢ほどに積もった=写真=。例年3月中旬ごろにチラチラと雪が舞い降りることがある。それを「名残り雪(なごりゆき)」と、冬の季節の終わりを告げる旅情的な表現にたとえる。しかし今回の雪は、昨日からの強風といい、積雪といい、まさに「戻り寒波」だ。

  けさ雪すかしをして感じたのは、雪がとても重いということ。水分がたっぷりと浸み込んでいるのだ。庭の枝木は大丈夫かと、つい見上げたほどだ。暖冬と言われていたので、ことしは樹木を積雪から守る「雪つり」を外す作業を早めに、またスノータイヤとノーマルタイヤの交換も早めにしとうと考えていたが、予期せぬ戻り寒波が来て、「早まらなくてよかった」と。と、同時に金沢の街路樹は大丈夫なのかと、ふと考えがよぎった。

  というのも、市内メインストリートの街路樹の雪つりを外す作業はすでに今月3日から始まっている。今月14日に迫った北陸新幹線金沢開業を見据えて例年より1週間早く外す作業を始めているのだ。観光客向けに残すJR金沢駅東口のクロマツのほかは、市道や公園にある6万5千本余りの雪つりを外している。すでに雪つりが外された樹木の中には、今回の戻り寒波の重たい雪でボキリと枝が折れたものがあるのではないか。これは想像だ。

 県が管理する国の特別名勝・兼六園の雪つり外しは例年通り16日からの予定だというのでは、今回、樹木への被害はそれほどないだろう。北陸新幹線金沢開業に合わせて、早く「春の装い」を整えようとした金沢市の行政側の心意気は理解できるが、タイミングが外れたようだ。この戻り寒波は数日続くという。

⇒12日(木)朝・金沢の天気   ゆき

☆あれから4年,街は

☆あれから4年,街は

  前回のコラムの続き。畠山重篤さんの事務所を辞して、気仙沼市の海の玄関口「内湾地区」を訪れた。震災後の2011年5月11日に被災地を訪問しており、3年9ヵ月ぶりだった。地元の方々からこの表現はお叱りを受けるかもしれないが、街の様子を眺めて「がっかりした」が第一印象だった。何しろ、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われているのである=写真・上=。もう街並みは復興しているものだとばかり思っていたので、その視覚のギャップが大きかった。

  2011年5月の気仙沼訪問で目に焼き付いていた、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330トン)=写真・下、2011年5月撮影=を見ようと現場に行った。が、すでに解体されていた。その後のニュースでは、気仙沼市は「震災遺構」として共徳丸の保存を目指していた。ところが、所有する水産会社が市側に解体の意向を市に伝えていたようだ。最終的に2013年7月に市側が市内の全世帯6万5千人(16歳以上)を対象に、漁船を震災遺構として残すことへの賛否を尋ねるアンケートを実施したところ、回答数1万4千のうちおよそ68%が「保存の必要はない」で、「保存が望ましい」16%を上回った(以上、気仙沼市ホームページより平成25年8月5日の記者会見資料より)。被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも被災の面影を見たくはなかったのだろう。こうした住民の意向を受けて、市側は漁業会社の解体に同意し、共徳丸は同年10月に解体撤去された。

  それにしても、なぜ復興工事が進んでいないのだろうか。同じ市役所のホームページに、「気仙沼市震災復興推進会議について(開催概要)」とするPDFが上がっている。住民と行政側が復興の現状について意見を交わした議事録だ。この中で気になったいくつのケースを拾ってみる。たとえば、市役所の職員確保の状況について説明を求めた質問では、「全国の自治体に即戦力となる自治体職員の派遣を依頼する一方で、本市で雇用する職員募集をかけている。任期付職員については、専門性を必要とする土木・建築職員に関して地元の応募が得られず、今年から首都圏でも募集をかける予定である。」(2014年7月の第10回会議)との回答だ。全国から行政職員の応援をお願いしているが、それでも土木・建築系の職員が地元では集まらないという現実があるようだ。行政のマンパワーだけでなく、被災地は建設工事ラッシュなので、漁港施設、海岸、道路、河川、土地区画整理、宅地造成、下水道等の工事が同時進行している。しかも、国や県、各自治体が一斉に工事を発注するので、建設会社の落札に至らないというケースがあるようだ。したがって、工事ができず、さらに工期が伸びるとうい悪循環が起きていることが察せられる。

  しかも、全国総合開発をほうふつさせるアベノミクスの「国土強靭化計画」で全国で工事ラッシュだ。そうなると、優先されるべき被災地でも現場の作業員が不足するだろう。資材(採石、生コン、コンパネなど)や建設機械(ダンプトラックなど)の不足もあるだろう。工事に着手したとしても、工事が進まない、そんな気仙沼市の市街地を眺めながら、進まぬ復興の現実を考えさせられた。

⇒8日(日)午後・金沢の天気   はれ

★畠山重篤さんのこと

★畠山重篤さんのこと

  先月(2月)10日、宮城県気仙沼市に、畠山重篤氏を訪ねた。畠山氏といえば、あの「森は海の恋人」の提唱者だ。NPO法人「森は海の恋人」理事長。気仙沼の舞根(もうね)湾において今も家業のカキ・ホタテの養殖に従事している。畠山氏を訪ねたこの日、湾内は青空が映えて、なんとも静寂で、まるで鏡のようだった=写真=。

  畠山氏は、この海を守ろうと、1989年より環境が悪化した湾内に注ぐ大川上流の室根山で、「森は海の恋人」をキャッチフレーズに植樹活動を始める。子どもたちへの環境教育も積極的に行い、その活動は国際的にも評価されている。2011年の国際森林年で国連森林フォーラム(UNFF)よりフォレストヒーローを受賞、2015年のことし2月、地球環境の保全に貢献した人を顕彰する「KYOTO地球環境の殿堂」の殿堂入り者に選ばれている。

  これまで5度直接お会いしてお話をさせていただいた。最近では、2012年2月2日、仙台市で開催された、三井物産環境基金シンポジウム「東日本大震震災からの復興戦略を考える創造と連携」だった。パネル討論で畠山氏が熱弁をふるった。以下、話はちょっと長くなる(畠山氏の要旨)。

  総合地球環境学研究所(京都)のプロジェクトチームが7年かけて調べた結果は驚くものだった。ロシアと中国の国境を流れる世界8番目の大河、全長4500kmのアムール川の両側にある大森林で作られるフルボ酸鉄がオホーツク海に流れて、千島列島にあるブソール海峡の間を通る潮流が太平洋まで来ていることが分かった。つまり、アムール川沿いの栄養塩で三陸のわれわれも恩恵を受けている。森は海の恋人は世界に広がっているのです。では、三陸沖の魚を将来とも捕っていくにはどうしたらいいか。それは、アムール川の流域の環境をどう保全していくかにかかっています。相手は中国とロシアですから、容易ではありません。私は、教育しかないと思いました。つまり、ロシアと中国の子供たちの教科書にどうやって「森は海の恋人」の思想を入れていくか。日本海側に住んでいるわれわれは、目の前のことだけを見ているだけではなく、揚子江も見ないといけないのだと思っています、と。

  熱弁の後の懇親会の立ち話で、「いよいよ森は海の恋人を世界に向けて発信ですね」と水を向けると、畠山氏は「川の流域に住んでいる世界の人の心に木を植える運動が始まればと願っているのです」と嬉しそうだった。ニューヨークの国連本部で、国連森林フォーラム(UNFF)よりフォレストヒーローを受賞したのはその7日後のことだった。

  今回、畠山氏を訪ねたのは講演の依頼だった。70歳を過ぎてもツヤツヤとした髪と髭をしておられるので、「カキの栄養分が行き届いていますね」と切り出すと、「ことしのカキは最高によかった。(震災後)海は再生しているよ」と。2015年3月15日午後1時30分から、石川県珠洲市で金沢大学主催フォーラム「世界農業遺産『能登の里山里海』のこれから」で、「森里海の復興から地域再生へ」と題して講演いただくことになった。この講演はユーストリームで配信予定だ。

⇒7日(土)午後・金沢の天気   くもり

                       

★廻り 焼香

★廻り 焼香

  これまでいくつかの通夜・葬儀に参列した。今回、初めて「廻(まわ)り焼香」というものを体験させてもらった。24日逝去された角間俊夫氏(享年75歳)の通夜が昨夜(2月26日)、金沢市鳴和台のセレモニーホールで執り行われた。

  角間氏は食品・酒類の総合商社「カナカン」の元会長。2001年から07年まで北陸朝日放送の社長をされ、その間、私は同局の報道制作局長として在任したことがあり、仕事上も人生の先輩としても教えを乞うた。そのとき感じたことは人脈の広さだった。金沢商工会議所副会頭、全国法人会総連合会筆頭副会長といった名誉職だけでなく、食品など手がけるビジネス上の深いつながりというものを感じた。こんな話をしてくれたことを思い出す。「私は金沢の郊外の角間(かくま)という山間地に実家があって、幼いころ近所のおばさんたちが柿やナシなど道行く人に売っていた。そのとき、柿10個を売る際に値引きをするのではなく、2個おまけをつけるという販売方法だった。売価を下げず、インセンティブを与えるやり方だった。そんな姿を見て、ビジネスに興味を持った」と。人の話によく耳を傾け、自らの言葉で語る人だった。

  人脈が深く広い人だったので、通夜の当日はセレモニーホールの近くの主要地方道が一時渋滞になるくらいに大勢の弔問客が訪れていた。受付を済ませると列につく。焼香台まで80㍍はあっただろうか。スピーカーから流れる僧侶の読経を聴きながらゆっくりと前へ進むのである。その列の中にはかつてのテレビ局時代の仲間や、地元選出の代議士や大学の学長の顔見知りもいて、立ちながら軽く会釈をして挨拶を交わす。読経が終わり、葬儀委員長(会社社長)の挨拶の言葉もスピーカー越しだった。そのとき、「大勢の方々に弔慰をいただき、廻り焼香というカタチにさせていただきました」と聴いて、そんな言葉があったのだと初めて分かった。午後5時に葬儀場に入って、焼香を終えたのは同34分だった。焼香を終えたらそのまま帰るのだが、次から次と弔問客が訪れている。確かにこの「廻り焼香」という形式にしないと会場は大混乱になると思った。

  この「廻り焼香」は初めて見た葬儀形式だったので、これは著名人ならではなのかと思ったら、そうでもないらしい。インターネットで「廻り焼香」を検索すると、福井県ではこの廻り焼香が多いと解説があるページを見つけた。地域のつながりが深く、通夜や葬儀・告別式の弔問客が多かった頃の名残として、廻り焼香の風習が今でもあるらしい。通夜や葬儀・告別式の開式前から参列し、焼香を終えた人から帰るもので、多くの弔問客が滞りなく焼香を済ませるための知恵だったが、葬儀が小規模化した今でも廻り焼香の風習は生きていて、参列者は焼香を終えたら帰るのが一般的だという。

  おそらくきょう正午からの葬儀・告別式にも大勢の方々弔問され、廻り焼香だろう。人脈が人の波になって弔問の列が途切れることはない。角間さんらしいお別れのステージである。

⇒27日(金)午前・金沢の天気  くもり  
  

☆新幹線とリスク回避

☆新幹線とリスク回避

  ことし3月14日に新幹線が金沢まで開業する。東京駅から長野駅を経由して2時間28分の予定。現在は東京駅から金沢駅間は在来線越後湯沢経由で上越新幹線に乗り換えて3時間47なので1時間19分の短縮となる。呼称も今の長野新幹線から「北陸新幹線」に統一される。

  金沢市内の文教地区と称される一等地でテナントビルが解体されて空き地になっていたが、年末に「APA マンション・プロジェクト始動」という看板が立った。あのアパグループの帽子の女性社長の顔写真つきだ=写真=。「マンション・プロジュクト始動」との謳い文句なので、それなりに立派なマンションが建設されるのだろう。素人の見立てで、敷地はざっと1000坪ほどだろうか。金沢といえば、マンション需要より戸建て需要が強いのだが、いったい誰が買うのだろうか。

  確かに、北陸新幹線開業にともなってここ数年、金沢駅周辺のテナントや、飲食店向きの物件家賃が上昇しているともいわれる。宅地の地価も2013年前半からプラスに転じるところも出てきて、上ぶれ傾向にある。しかし、金沢駅周辺にはすでに単身向けマンションなど次々と完成していて、好調な販売が続いていると地元紙でも報じられている。地方のミニバブルの様相なのだ。もともとアパグループは、都市開発、建設業を中心に金沢に本社(後に本社・東京・本店・金沢)を構えていたので、金沢を含め北陸の不動産の動きには熟知していて、金沢駅と離れたところでも物件の需要は見込めるのだろう。

  以下、知り合いに不動産業者から聞いた話である。北陸新幹線の金沢開業にともなってのマンションのニーズは、金沢にあるのではなく東京にある。買っているのは首都圏の人たちなのだと言う。相続税対策や投資目的などさまざま。中には、いつかは来るであろう首都圏の震災を意識したセカンドハウス目的もあるという。そうなると購買層は富裕層に限られる。不動産業者は「金沢のマンションを見に来た人は、東京でいざというときに学校の体育館での避難所生活には耐えられないと言っています。金沢は雪は降るけど災害が比較的少ないと思われているので避難場所なんです。それが新幹線でぐっと身近になったということではないでしょうか」と解説してくれた。

  首都圏や関西の人たちとは違い、金沢の人は確かに震災に備えるという意識は薄いのかもしれない。金沢はいま、アパグループに限らずマンションの建設が盛んだ。それが「リスク回避というニーズ」にあるとしたら、そのニーズを今後どのように読んでいけばよいのか。

⇒3日(土)朝・金沢の天気      ゆき   

★ブログ955回目

★ブログ955回目

  このブログ「自在コラム」を2005年から始めて今回で955回目のアップロードとなる。当初は毎日にように書いていたが、最近では「気まぐれ」に書いている。毎回1000字以上を目標にして、写真やイラスト(著作権フリー)を1、2枚掲載するといういたってシンプルな体裁だ。

  政治・選挙からマスメディア、金沢大学のキャンパスでのことなどいろいろとネタにしてきた。それでも、ネタのトレンドというものがある。たとえば、2006年からは、能登に関することが増えいる。これは私の大学での業務が能登と関わることになったかからだ。これに関しては、2014年12月28日付の「★2014 ミサ・ソレニムス~5」で経緯を紹介した。「能登半島 里山里海自然学校」や「能登里山マイスター要請プログラム」などがキーワードとなる。

  そして、2008年から国際会議や国連機関と里山が動きが出ている。「国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP1)や「世界農業遺産(GIAHS)」「里山イニシアティブ」がキーワードだ。2013年ごろからはフィリピンのイフガオ棚田と能登里山里海マイスター育成プログラムの動きがブログのテーマになっている。ある意味でダイナミックなネタなのだが、ブログというより「報告」、リポート化していて面白味は薄れてしまっているのかも知れない。

  もともと、ブログを始めたきっかけは、秋田県のテレビ局の友人から勧められたものだ。インターネットに先見の明がある人物で、「宇野ちゃんはテレビ局を辞めて大学に入ったのだからいっしょに新しいことを始めようと」と当時まだ勃興期だったブログに誘ってもらった。もう10年前のことだ。その彼は、数年でブログを引退し、ミクシィ、ツイッター、フェイスブックとトレンドに乗って今でもどんどんと発信している。彼はもう61歳だ。

  私はブログ一本で955回目というわけだ。彼とは違って、インターネットの世界に入り込みたい、身を置きたいというわけではない。どちらかというと、書くことが好きでブログを続けているという感じだ。最近ではブログのことを周囲には「備忘録」とも称している。さあ、これからどうする。目指すは、まずは「1000回」なのだが、ネタがあるうちは続けよう。

⇒2日(金)朝・金沢の天気   ゆき
  

☆元旦の「雪すかし」

☆元旦の「雪すかし」

   元旦の朝、少々驚いた。一気に30㌢余りの積雪だ。昨晩(19時ごろ)は雨は降っていたが積雪はなかった。真夜中に雪に変わったのだ。天気予報では、「石川県内は31日夜から年明け2日にかけて冬型の気圧配置が強まり、北陸地方は荒れた天気となりそう。31日夜からから1日にかけて予想される最大風速は陸上で12㍍、1日の午後6時にかけて予想される24時間降雪量は山間部を中心に多いところで80㌢、平野部の多い所で30㌢の見込み」となっていたので、予報が的中した。

   8時すぎ、近所の方々の「雪すかし」が始まった。雪すかしは除雪のこと。スコップで敷地や玄関先の道路を除雪する。平面に積もった雪を空き地に立体的に積上げるのである。「おはようございます。ことしも一年よろしくお願いします」と新年のあいさつを兼ねたあいさつだ。こういう近隣のあいさつは近所付き合いの上で大切なので、当方ももちろん通りに出て、雪すかしのあいさつをした。「ことしもよろしくお願いします」(当方)、「それにしもよく積もりましたね」(近所)、「天気予報では10年に一度の大雪とか言ってましたが、その通りになりましたね。3日ごろまでこんな感じで降りそうですよ」(当方)、「いつもの雪より軽くて楽やけど、ことしの正月三が日は雪すかしで終わりやね(笑い)」(近所)、「本当ですね。ことしもよろしくお願いします(笑い)」(当方)

   たわいもない言葉交わしの中に、日常のさまざまな情報や感情がこもっている。確かに、今回の雪は12月のベトベトした雪より、軽いのである。地上の気温が下がったせいか、綿のような雪だ。ややパウダースノーに近いと表現したよいかもしれない。「正月三が日は雪すかしで終わりやね」は意味深である。「これだと初詣がぜいぜいで、外出もままならない、何とも手のかかる(労力のいる)雪すかしだけのつまらない正月ですね」と天気を恨んでいるのである。

   ところで、ご近所では雪すかしに暗黙のルールがある。まず、第一に道路の除雪は家の間口を決まりとする。つまり、道路に面する家の敷地が幅となる。10㍍あれば、10㍍の雪すかしとなる。しかし、道路に面している敷地でも、角地で玄関が横道に面している場合は横の道路が間口となる。玄関側の道路を「雪すかし」すればよいのである。道路に面した2方向を除雪する必要はない。

   また、道路の除雪は全面除雪ではなく、おおむね歩行者側の幅でよい。車が走る中央部は除雪しなくてよい。通学の子どもたちへの配慮のようなものだ。また、除雪は側溝に落としてもよい。もちろん、これは私が住む金沢市全体の暗黙のルールではない。街の成り立ちや町内会の歴史、町内会を構成する人々の顔ぶれに、高地低地の地域的な積雪量、面する道路が県道か国道か市道かによっても違い、まして道路幅にもよるだろう。それぞれの決まりごとはちょっとした条件で異なり、無理せず長く続くルールづくりが歳月をかけてつくられてきたのである。

⇒1日(木)朝・金沢の天気     ゆき   

☆上空に寒気の投票日

☆上空に寒気の投票日

  上空に寒気が流れ込んでいるせいかみ、14日朝から金沢の平野部でも10数㌢ほどの積雪となった。朝7時40分に自宅を自家用車で出発して、輪島市に向かった。途中、大学の関係者を乗せるため、小立野台と呼んでいる高台を走ると積雪が一気に30㌢ほどにも増えた。同じ市内でも高低差などでこれほど違う。そんな金沢の積雪差を指してこう言う。「香林坊は雨でも、小立野台はみぞれ、湯涌は雪」と。

  金沢から輪島に向かう縦貫道「のと里山海道」(全長83㌔)を走る。金沢から向かうので当然、積雪は金沢よりも多いと判断しがちだが、そうではない。「金沢が大雪でも。能登は小雪」ということもままある。そこで、9時ごろに目的地に電話を入れた。輪島市内の山間部でさぞかし大雪と思いきや、「20数㌢ほど。軽四でも大丈夫」との返事。「チェーンもスコップもいらない。スノータイヤで大丈夫」と安心し、車を走らせた。雪国に住んでいると日常的にそんなことをついつい考える。

  10時すぎに、目的地の輪島市三井町に到着した。「あえのこと」を撮影するためだ。ユネスコの無形文化遺産に登録されている「奥能登のあえのこと」は、田の神に感謝して、もてなす農耕儀礼として知られている。毎年12月5日、その家の主(あるじ)は田んぼに神様を迎えに行く。あたかもそこに神がいるがごとく身振り手振りで迎え、自宅に招き入れる。お風呂に入ってもらい、座敷でご馳走でもてなす。田の神は目が不自由であるとの設定になっていて、ピタリティ(もてなし)が行き届く丁寧な所作が特徴だ。

  こうした伝統的な農耕儀礼を踏襲しつつも、新しいスタイルで「あえのこと」を行っているグループがある。デザイナーの萩野由紀さんが主宰し、金沢大学の生物研究者たちが加わる生物多様性調査グループ「まるやま組」だ。毎月の田んぼや周囲の生物調査をベースに、調査で見つかった生き物の名前を記した「依り代(よりしろ)」をつくっている。この依り代を広げてみると、ことし確認された300種の植物と123種の水生生物、合わせて423種の名前と学名が記され、絶命危惧種は赤字、外来種は青字で示している。この依り代を手に田んぼで神様を呼び寄せて家に招き入れ、食の安全と豊作に感謝する。田の神という伝統的な概念を自然の恵みとも解釈し、生物多様性の保全と結びつけてる。

  解釈だけではない。田の神に感謝するのは生産者だけでなく、コメを食べる消費者も同じ視点でこの「あえのこと」の儀式に参加しようとグループでは呼びかけている。14日、関心を寄せて集まった人数は50人がそれぞれ田の神に捧げるお酒、甘酒、お菓子、煮物、漬物、ご飯、野菜など持ち寄った。これを輪島塗の赤御膳に並べて供し、そのほかは「お下がり」と称して、儀式の後、参加者全員でいただくのである。まるやま組の伝統儀礼と現代解釈の取り組みは、「国連生物多様性の10年日本委員会」が主催する「生物多様性アクション大賞2014」でアクション対象に選ばれた(11月30日)。日本の文化を大切にする、食べることを通じて生物多様性、自然のめぐみに感謝するといった、日本人の忘れかけている大切なことを今に伝えている、高く評価された。

  まるやま組の「あえのこと」を里山の新たな動きとして取材するため、カメラマンと金沢大学里山里海プロジェクトの研究代表、中村浩二特任教授に赴いたのだった。中村教授が現地でリポート(英語)、そしてインタビューした。昔取った杵柄(きねづか)で、収録ディレクターというのが私の役回りだ。一連の取材が終わって金沢に戻ったのは19時ごろだった。夕方からさらに風雪が強くなってきた。

  きょうは衆院選挙の投票日だ。いったん自宅戻り、近くの投票所(中学校体育館)に入ったのはギリギリの19時58分。ラストの投票者だった。一票を投じた瞬間に「ちょうど午後8時になりましたので投票所を閉鎖します」と係員の声が響いた。自宅に戻ると、テレビ各社の選挙特番が始まっていた。もうすでに出口調査で、自民は230議席と報じられている。まだ、開票前なのに、である。

  この日、もう一つ仕事が残っていた。21時30分、金沢市の開票作業始まるのに合わせて、金沢市営中央市民体育館(同市長町3丁目)に出かけた。学生たちを激励するためだった。新聞社からの依頼で、学生たち何人かに開披台調査の選挙アルバイトを勧めた。この調査は、双眼鏡で開票者(自治体職員)の手元を覗きながら、小選挙区の候補者名をチェックしていく。投開票日のその日には、テレビ新聞メディアは投票所では出口調査が、開票所では開披台調査を実施する。出口調査で大差がついていれば、20時からの選挙特番で「当選確実」の予想は打てるのだが、小差ならば開披台調査で当落を判断することがある。

  21時30分、新聞社の調査を勧めた学生たちが一人もいない。開票所に新聞社の連絡員がいたので、「どうなっているのか」と問うと、急きょ石川3区(能登地区)の開票所に学生たちが派遣された、とのこと。出口調査の段階で1区(金沢市)の自民と民主の候補者の間で12ポイントの差がついていた。3区では自民と民主の候補者の差が7.1ポイントの差だった。当然、開披台調査の主力部隊は3区に注がれる。3区の七尾市の開票所に向かおうかと一瞬考えたが、夜間なので路面の凍結(アイスバーン)のことが頭をよぎって、向かうのをためらった。上空の寒気に朝から夜まで惑われた一日だった…。

※写真・上は輪島市で執り行われた「まるやま組」の農耕儀礼「あえのこと」の様子。手前はダイコン、無効に押し花が飾られている。写真・下は金沢市中央市民体育館の衆院選石川1区の開票作業の様子(午後9時32分)

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