⇒トピック往来

☆ファンドマネージャー

☆ファンドマネージャー

   ことし5月11日に放送されたNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にファンドメネージャーとした出演した新井和宏氏(鎌倉投信株式会社資産運用部長)。ある意味で硬派な、この番組に金融関係者が主役になるのは珍しい。金融というと、経済状況がよいときは盛んに投資を勧め、悪くなるとさっと逃げてしまうという、怪しい印象がある。昨日(22日)金沢大学での講演会(「NPO法人角間里山みらい」など主催)で初めて新井氏の話に耳を傾けて、「この人は逃げない」と思った。

   番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、慈善家的なファンドマネージャーとして描かれていたが、講演ではその話しぶりからプロとしての人柄がにじんでいた。数兆円を運用していたそれまでの資産運用会社を体調を崩して辞め、7年前に仲間3人とともに金融ベンチャーを立ち上げた。鎌倉にある古民家を4人で修復して、オフィスとしている。現在8千人の投資家から140億円を託されている。資産運用部長として新井氏が株式を通じて投資しているのは46社だ。ツムラやヤマトといった大手企業から、赤字や非上場の中小零細まで新井氏が「いい会社」を発掘して、その全てに同じ金額を長期で投資している。ある1社の株が暴落しても、ダメージを受けないようにする、リスクヘッジでもある。

   どのような方法で「いい会社」を探すのか。講演の休憩の合間に、名刺交換をさせていただいたが、その名刺にヒントがあった。点字付きなのだ。新井氏がこだわっているのは、社会的に意義があるなど、その事業に心から共感しないと、投資先にはしない。そして、その候補先の真価を見極めるため、社員面談を欠かさない。会社が苦境に陥ったとき、社員が踏ん張れるかどうか、その見極めは「社員の仕事に対する気持ちだ」と新井氏は強調した。社員と直接会うために、その社員が視覚障碍者であっても面談して、会社に対する気持ちを聞く。そのための点字入りの名刺だ。

   新井氏は、著書「投資は『きれいごと』で成功する」(ダイヤモンド社)でこう書いている。「人間には、健常者もいれば障碍者もいる。でもその区分けは、とても微妙だとも思います。たとえば、知的障碍者は、物事を処理するのに時間がかかります。でも、健常者との違いはそれだけ、とも言えます。」と述べて、エフピコを事例を紹介している。広島県福山市に本社がある同社は食品トレーや弁当・総菜容器最大手で、障害者雇用率は16.10%、人数にして369人(「CSR企業総覧」2014年版)。障碍者は、回収した使用済み容器の選別工場、折箱容器の生産工場を中心に、全国21カ所の事業所で雇用されている。単純作業と見えるかもしれないが、黙々と達成感をもって仕事をする彼らこその現場の戦略となっている。慈善やCSRで障碍者を雇うのではなく、「本当に彼らを活かせる会社は、『時間がかかる』を『粘り強い』と読みかえ、能力が最大化される場を見つけて配置します。そして自分の場所を見つけたら、人はキラキラと目を輝かせて働きます。」(「投資は『きれいごと』で成功する」)

   話はまた番組に戻る。番組の後半に、フェアトレードの代表者と新井氏が話し合う場面がある。代表が「融資というかたちで私たちの活動に参加して欲しい」と訴える。が、新井氏はそれに対しては返事をしない。もし、新井氏が視線が支援途上国の人たちの支援にあれば、おそらく「イエス」だろう。でも、新井氏はファンドマネージャーだ、当然、投資家に目線がある。社会的に意義のある団体や企業に投資することと、ボランティア団体への募金を一緒にしてはならない。ファンドマネージャーはあくまで投資対象の企業価値を見ている。投資家を慈善家にしてはならない。そんな厳然とした意志が見えた場面だった。

※写真は後援会のチラシ

⇒28日(日)朝・金沢の天気   はれ

  

☆「酒蔵の科学者」の引退

☆「酒蔵の科学者」の引退

 昨日の地元紙の朝刊に、酒造りの名人と言われた農口尚彦(のぐち・なおひこ)さん(82歳)が杜氏(とうじ)を引退したとの記事が掲載されていて、能登町のご自宅を訪ねた。金沢大学の共通教育授業として「いしかわ新情報書府学」という科目を担当していて、非常勤講師として農口さんに語ってもらったことが縁でこれまでご自宅や酒蔵を何度か訪ねた。

 日本酒の原料は米だ。農口さんは、米のうまみを極限まで引き出す技を持っている。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした作業だ。酒造りのデータを熱心に記録する姿を見て、「酒蔵の科学者」との印象を強くしたものだ。

 冬場は酒蔵に住み込む農口さんは、夜中でも米と向き合い、米を噛み締める。持てる五感を集中させて、手触り、香り、味など米の変化を感じ取る。そのため、40代にして歯を失った。次に行うべき適切な仕事とは何かを判断するためだ。農口さんは言う。「自分の都合を米や麹(こうじ)に押し付けてはならない。己を無にして、米と麹が醸しやすいベストな状態をつくらなければ、決して良い酒は出来ない」。酒造りに生涯をささげた人の言葉はふくいくとした深みがある。農口さんは全国新酒鑑評会で連続12回、通算27回の金賞に輝き、「四天王」や「魂の酒造り」「酒の神」と呼ばれるまでになった。

 農口さん自身は下戸(酒が飲めない)なので、酒の出来栄えや批評は、飲める人の声に耳を傾ける。それでも、「一生かかっても恐らく、酒造りは分からない。それをつかもうと夢中になってやっているだけです」と能登方言を交えた語りがいまでも耳に残っている。「魂の酒造り」のゆえんはここにある。日本酒は欧米でちょっとしたブームだ。ワインやブランデー、ウイスキーなどの醸造方法より格段に手間ヒマをかけて醸す日本酒を世界が評価しているのだ。

 授業では、農口さんを紹介するビデオを流し、「神技」とも評される酒造りの工程を学生に見せた。授業の終わりに、農口さんが持参した酒を何人かの学生にテイスティングしてもらった。「芳醇な香り」「ほんのり感が漂う」「よく分からないけど、のどを通るときにふくよかな甘さを感じる」。最近の学生は意外と言葉が豊富だ。「生きた授業」になった。訪れたご自宅ではそんな懐かしい話もさせていただいた。

 自宅を辞するとき、農口さんから「これ一本持って行きなさい。これで最後だよ」と生原酒をいただいた。名工の最後の一本、ありがたく頂戴した。(※写真は、金沢大学の授業で学生たちと語り合う農口尚彦さん=右)

⇒21日(祝)夜・金沢の天気    はれ

★「奇跡のイラスト」

★「奇跡のイラスト」

  今年度から小学校で使われている1年生の国語の教科書に、制作上のミスから腕が3本あるように見える女の子が描かれたイラストが掲載されていたとして、発行元の三省堂が自主回収と交換を始めたとニュースになっている。「まさか」と一瞬思った。文字一句でも厳しい、あの教科書検定のチェックをスルリとかいくぐって、である。※掲載画像と本文はリンクしていません。

  ニュースを総合すると、女の子が花輪を両手で持っているにもかかわらず、もう1本の手が背後の机にあり、腕が3本あるように見えるという不思議な状態になっていた。教科書は、東京都世田谷区などの小学校で使用されていて、世田谷区の教育委員会から5月に、「イラストの子供の腕が3本あるように見える」と三省堂に連絡が入り、イラストを調べたところ、下書きを消し忘れたままの状態で印刷されたことが分かった、という。

  三省堂では、文部科学省への訂正の申請を行い、誤りを正した教科書1万冊を、教科書を使用している地区・学校に連絡し、順次、新しい教科書への差し替えを行っていく予定だという。三省堂のホームページを調べると、真摯なお詫びのコメントを掲載されていた。以下。

      『しょうがくせいのこくご 一年上』イラストの誤りについてのお詫び

 このたび、弊社の国語教科書『しょうがくせいのこくご 一年上』5ページの絵に誤った箇所が見つかりました。教科書において、このような誤りを起こしてしまいましたことを衷心よりお詫びいたします。誠に申し訳ございませんでした。つきましては、文部科学省に訂正の申請を行い、誤りを正した新しい教科書をご用意いたしました。弊社の教科書をお使いいただいている地区・学校にご連絡して、順次、新しい教科書に差し替えさせていただく所存です。児童の皆さま、そして保護者の皆さまには多大なご迷惑をおかけすることになりますが、どうかお許しください。

 今後はこのようなことを起こさぬよう、全社をあげて慎重に編集作業に取り組んでまいりますので、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます。

  以上がコメントである。とくに「どうかお許しください」「何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」と丁寧に謝っているのが印象的だ。出版社は文字表現で生業(なりわい)を立てている。言葉でその真摯な気持ちが伝われなければ企業としての価値はないと思い、あえて謝罪のコメントをチェックした次第である。

  ところで、教科書は文部科学省の管理下にある。学校教育法により、小・中・高等学校の教科書については教科書検定制度が採用されている。教科書の検定は、民間で著作・編集された図書について、文部科学大臣が教科書として適切か否かを審査し、これに合格したものを教科書として使用することを認める制度だ。今回の教科書にしても、何人もの検定員の目で確認されているはずだ。その目をかいくぐって、世に出たイラストとなる。もう少しうがった見方をすると、文章表現は一字一句を細かくチェックするが、イラストなど図や写真に対してはそんなに厳しくないということか。

  それにしても、このイラスト、教科書検定制度下にあって、ある意味で奇跡のデビューを果たしたと言えなくもない。

⇒24日(水)朝・金沢の天気    はれ

☆USJ、見て歩き

☆USJ、見て歩き

  GW旅行の3日目は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った。1日しか時間が取れなかったので、エクスプレスパス(税込7200)をあらかじめ購入して主なところを回った。ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーやバックドラフト、バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパーダーマンTM・ザ・ライド、ウオーター・ワールドなど。

  東京ディズニーリゾートはこれまで計5回、かたや、USJは今回初めて。この2大テーマパークのコンセプトの違いは何だろうか。USJは、炎を使った演出が多い、ディズニーリゾートでも炎を使った演出はあるが、USJは過剰なくらいに演出がされている。もう一つが、サーカスと思えるほどの空中を舞うアクションの迫力さだ。ちょっとでもミスしたら惨事になりかねないと思えるほど。迫真の演技はディズニーリゾートではお目にかかれない。

  炎の演出は、バックドラフト。果敢な消防士の物語を描いた映画「バックドラフ」をテーマにしている。入場すると、3つの部屋に分かれていて、AD(アシスタント・ディレクター)と称する女性が案内してくれる。1番目の部屋では映画「バックドラフト」の説明を。2番目の部屋では「映画のロケとは何か」の説明を映画のキャストのVTRを交えて。そして3番目の部屋が「映画シーンの再現」だ。化学工場の火災を再現して、タンクや貯蔵庫などいろいろな場所から炎と火花が飛び散り、その炎の勢いは本物の火災のよう。最後に、頭上からパイプが落ちてきて、ガクンと実際の床が下がり、キャーと観客(ゲスト)の悲鳴がする。自分自身もちょっと肝をつぶした。

  迫真の演技は、ウォーターワールド=写真=。1995年のSF映画が題材で、地球温暖化によって北極と南極の氷が溶けて海面が上昇し、海だけが広がる海洋惑星となったとの想定。陸地「ドライ・ランド」の情報をめぐって、武装集団が押しかけて来るとのシナリオ。面白いのが座席の色だ。水色は前方、茶色は後方に設置されていて、水色は「濡れる危険が大」の座席で、茶色は「濡れる危険が小」の席となっている。水色の席に座るゲストはビニールのポンチョを頭からかぶっている人がほとんど。そして、仕掛けが大きい。飛行機がシアターに突っ込んでくるシーンもある。水上バイクがステージを勢いよく走り回り、その水しぶきが前列にいる水色の座席のゲストにかかるのだ。炎と水しぶき、USJのアトラクションを表現すればこれに限る。

  東京ディズニーリゾートとUSJの違いの気になったもう一つは再入場のこと。USJは再入場ができないのだ。その理由を考察すると、おそらく再入場を可能とすると、観客の多くはテーマパークの外の飲食街で食事を済ませてしまうからではないか。かたや、ディズニーリゾートは再入場は可能となっている。これはすぐ近くに飲食店街がないからだろう。もし近場にファミレスなどがあれば、再入場はNGになっていたかもしれない。儲けのためのシナリオも抜け目ない。

⇒4日(月)夜・金沢の天気   くもり   

★南紀白浜、見て歩き

★南紀白浜、見て歩き

  2日と3日の両日、ゴールデン・ウイークの連休を利用して南紀白浜を旅行した。特急「くろしお」の車窓からは、コバルトブルーの海とリアス式海岸の絶景が広がる。万葉の時代から、人々を感動させてきた絶景だ。

  「み熊野の浦の浜木綿 百重(ももへ)なす 心は思へど ただに逢はぬかも」は万葉集の歌人、柿本人麻呂が詠んだ歌。海辺を彩る涼しげなハマユウの花が人麻呂の想像をかき立てたのだろう。藤原京に出仕していた時代、気になるのはどのようにして「熊野の浦」にたどり着いたのだろうか。海岸の道を歩き、山を越えるルートは、熊野へ詣でる都人にとってまさしく苦行の旅だったろう。そのときに浜辺のハマユウの白い花がなんともいとおしく思えた、そんな歌だったのだろうか。

  JR白浜駅で下車して、バスで白良浜に向かった。白良浜(しららはま)の石英砂は目にまぶしい。ちょうど夕日が落ちるころだった。北陸の海岸でも、こんなに白い浜は見たことがない。明治から大正にかけてはガラス原料として採取されていたほど豊富だったが、現在は浜が痩せ、オーストラリア産の珪砂が入れられているとか。

  白良浜から徒歩3分、海を望む高台に建つホテルがきょうの宿だ。最上階の露天風呂や貸切風呂からの眺めも格別だ。夕食に赤ワインを飲むと一気に眠気が襲ってきた。ズボンを穿いたままそのまま寝込んでしまった。夜中の11時ごろだったろうか、ふと気が付くとドアをコンコンコンと小刻みにノックをする音がする。スコープのないドアなので、「誰ですか」と問うと、女性の声で「ドアを開けてください」との声がする。私はピンときた。その筋の人だな、と。古い温泉街の夜のビジネスが今でも生きているのだ、と。なので、放っておいた。その後はノックもなく。また、寝込んでしまった。後で思えば、その女性は同じフロアの客で部屋を間違えてノックしたのかもしれない、とも思った。これは自分自身も経験があるからだ。

  翌日(3日)朝、白良浜へ散歩に行くと、人が群れていた。水着になっている子供たちもいる。「海開き」と看板が出ていた。おそらく本州で最も早い海開きではないか。北陸だと7月だ。フラダンスの女性たちもいてなんともにぎやかしそう。その開放感に、さすが、南紀白浜だと実感した。

  バスで「アドベンチャーワールド」に出かけた。動物園と水族館、遊園地がまじりあった混合施設のよう。ここの名物のパンダは行列が長すぎて遠目で見ただけだった。メインイベントが動物たちのパレードだ。ペンギンやラクダが大音響のBGMのもとでエントランスの広場を行進するのだ。子供たちは目を爛々と輝かせながら見つめている。ただ、私には「動物虐待」という四文字が脳裏によぎった。

  夕方、アドベンチャーワールドから路線バスで白浜駅に向かった。車中はほぼ満員だ。出発するとき、運転手がこう説明した。「道路がとても混みあっているので、迂回して、まず白浜駅に行きます」と。このバスは路線バスなのになぜ迂回するのかと不思議に思った。道路運送法の違反だろう、と。ただ、多くの客は白浜駅に降りるので、客とすればその方がありがたいのだ、が。このとき、作家の司馬遼太郎の著書の記述を思い出した。「紀州方言には敬語がない」と。明治初めに紀州や土佐で自由民権運動が起こったのも、ある意味で合理的な考えの持ち主が多かったからだろう、と。

⇒3日(日)朝・大阪の天気  くもり   

☆頭上のリスク

☆頭上のリスク

  規制法はいつも後手後手に回り、犠牲者が出て始めて立法へと動き出す。信号機の設置ですらそうだ。犠牲になった人はまさに人身御供だ。これが法治国家、日本の現状といえる。

  前回、前々回のブログで小型無人機「ドローン」のことを書いた。現行法では、航空法で250㍍以下の飛行物体に関して規制はない。ただ、人の頭上にドローンを飛ばすな、と。当たり前のことを書いているだけだ。今月1日付の読売新聞で関連したことが記事になっていた。以下、引用する。

  富山県高岡市の伝統祭礼「御車山祭(みくるまやままつり)」の山車が集まる同市の交差点付近で1日正午前に、ドローンが上空を飛行しているのを大勢の見物客が目撃した。見物客が最も多く集まる祭りのハイライトとなる場所で、人混みの上空を上下したり、空中にとどまったりして、十数分間にわたって飛行したという。誰が飛ばしたのか分かっていない。高岡署の幹部は「人通りの多い場所での飛行は好ましくない」としたうえで、現状では法規制がないため、「危ないからやめるようにと注意はできても、強制的な措置は取れない」と話す。以上が記事の要約だ。

  祭りの実施者や見物客が頭上が気になって、祭りに集中できなかったであろうことは想像に難くない。いくら法律的な規制がないとしても、飛ばす方の無神経さがむしろ気になる。操作の誤り、電柱や電線、樹木などとの接触事故、電池切れ、そんなリスクを考えたら普通だったら人様の頭上を飛ばすことはためらう。早急に、操縦者の登録制、それに伴う適正検査、飛行エリアの基準、事前の届け出など、法的な規制でするべきことはいくらでもあるだろう。

  これは飛ばすことの権利や自由などとは次元が異なり、人身の安全の保障・担保という話だ。田んぼや野山なら、誰も文句は言わない。頭上にリクスを感じるから、やめてほしいと言っているだけなのだ。

⇒2日(土)午後・和歌山県白浜町の天気   はれ  

★ドローンの後始末

★ドローンの後始末

  やはり「テロ」だった。総理官邸の屋上で小型無人飛行機が見つかった事件で、24日夜、福井県警小浜署、40代の男が出頭して関与を認めたと、新聞・テレビのマスメディア報じている。

  警視庁は威力業務妨害などの疑いで調べているが、出頭した男は「反原発を訴えるために、自分が官邸にドローンを飛ばした」と話しているという。テロリズム(terrorism)とは、何らかの政治的な目的のために、暴力による脅威 に訴える傾向や、その行為のことだが、小型無人飛行機という空飛ぶ「武器」で、たとえそれがそれが微量であったとしても放射線を放つ汚染物質を直撃させたのである。これはある種の「テロ」とみなされる。

  解せないのは、男が「反原発」をその理由としていることだ。これには、法廷闘争などの手段でたたかっている原発反対の住民はおそらく憤っているだろう。「目的と手段を混同するな」と。むしろ、目的と手段を混同しているからこそ、「テロ」なのである。これは、クラジやイルカを守るためなら、日本の捕鯨調査船を襲撃してもかまわないというグループとスタンスは同じではないか。

  先のブログでも述べたように、政府・与党はさっそく小型無人機の飛行を規制するための法整備に動き始めている。報道によると、政府は航空法を改正し、小型無人機の購入時に氏名や住所の登録を義務付けることを検討している、という。また、自民党は、首相官邸や国会周辺に飛行禁止空域を設ける議員立法の成立を目指している。これに向けて、政府は、重要施設の警備態勢の強化や、運用ルールや関係法令の見直しなど分科会の設置して具体的な検討に入ることを決めた。今回のドロ-ン問題をめぐり、政権もどう規制すればよいか、後始末に追われているようだ。

  先のブログと繰り返しになるが、個人的にも頭上で小型無人機など飛んでほしくない。田んぼやら野山ならそれは構わないが、住宅地などに飛ばしてほしくないと思っている。

⇒25日(土)朝・金沢の天気    くもり

☆上空は誰のもの

☆上空は誰のもの

  小型の無人ヘリコプターが能登半島の田んぼで肥料などを空中散布している光景をたまに見る。田んぼに落ちないように、なるべく低空で飛び、肥料が他人の田んぼに拡散しないようにと農家の若い人が意外と気を使って操縦している。コンバインや耕運機とは違い、農業と空飛ぶ工学機械のコラボレーションという感じがする。

  昨日から報道されている、首相官邸の屋上で見つかった小型無人飛行機「ドローン」は不気味な気がする。事件なのか、事故なのか。報道によると、官邸の屋上で見つかった「ドローン」は直径50㌢ほどの大きさで、4つのプロペラで飛ぶタイプという。小型カメラと液体の入ったペットボトルの容器が付いていたようだ。問題は、この容器には「放射能マーク」があり、直径3㌢、高さ10㌢ほどで、ふたがしてあり、放射性セシウムが検出されたという。

  家電量販店で価格1万から15万円で買えるドローン。操縦しながら、VTRで撮影した映像をリアルタイムに手元のスマートフォンに見ることができるという機能があり、趣味の世界でも広がっている。ただ、むやみに上空を飛ばれては、地上の住民としては不安が募る。ドローンなど小型無人飛行機は航空法上、250㍍までの高さだったら自由に飛ばすことができ、オモチャの模型飛行機と同じ扱いとなっている。個人的なホビーユースから、建築施工など業務用まで多様な用途があるがゆえに、今後台数も増えればそれだけ、地上への落下というリスクや、犯罪に使用される、つまり武器としての懸念も出てくる。

  もし、ドローンを官邸に墜落させた人物から「誤って落とした」との名乗りがなかったなら、わざとセシウムを散布するために飛ばした武器、つまりテロとして判断されるのではないだろうか。今後、勝手に上空を飛ばさないためにも規制が必要だろう。庭木や電柱、鉄塔、高層ビル、人為ミスなど小型無人飛行機を阻むものは多々ある。田んぼの上空ならいざ知らず、ホビー感覚や業務用途で住宅の上空など勝手に飛ばしてほしくない。今回のニュースを見てそう感じたのは私だけだろうか。

⇒23日(木)朝・金沢の天気    はれ

  
  

★「加賀の茶」物語

★「加賀の茶」物語

  きょう(5日)金沢市内の茶道具店が主宰する茶話会に参加した。テーマは「加賀紅茶の話」。石川県茶商工業協同組合理事長の織田勉氏の講話だった。加賀藩と茶葉の関わりが面白かった。最近売り出し中の加賀紅茶「輝(かがやき)」、能登紅茶「煌(きらめき)」の仕掛け人でもある。まずは加賀における茶葉の歴史を、織田氏の話のメモから。

  加賀藩の3代藩主・利常が小松に隠居したことから始まる。茶問屋「長保屋(ちょうぼや)」の長谷部理右衛門が利常に願い出で、藩内で茶葉をつくることを進言した。それまでは、宇治や近江の国からの購入だった。それを藩内で生産してはどうかと長保屋が提案した。利常は進言に応え、茶種を山城や近江から購入し、小松付近で栽培が始まる。そして、小松の安宅湊からは北前船で「茶、絹、畳表」などが移出さるようになった。元禄4年(1691)の記録によると、加賀藩五代の綱紀が、徳川五代綱吉に献上したとの記録もある。

  当時、お茶は高級品だった。「お茶壺道中」という言葉があった。幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中と言った。この道中は、京の五摂家などに準じる権威の高いもので、茶壺を積んだ行列が通行する際は、大名といえども駕籠(かご)を降りなければならない、というルールがあった。街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどだったという。「ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺におわれて トッピンシャン ぬけたら ドンドコショ」という童謡がある。このわらべうたは、田植えなどの忙しい時期に余分な作業を強いられるお百姓たちの風刺だった。

  小松を中心として、能美・江沼西郡に増産体制が敷かれ、明和5年(1768)には地場生産1万6800斤、移入は近江茶2万3100斤、安永6年(1777)には地場生産2万7700斤、近江茶1万6100と逆転する。文化年間(1810頃)には25万700斤と地場生産は10倍に膨らんだ。25万斤は約375トンに相当する。ただし、当時でも上質なものは宇治から購入だった。

  安政6年(1859)に横浜港が開港して、その輸出品の先陣を飾ったのは日本の緑茶だった。加賀では茶の増産に拍車がかかった。小松の長保屋は能美郡内から生茶を集めて宇治風の茶を製造して、安宅港から敦賀に陸揚げして、兵庫に輸送、そこから海外へ輸出した。明治の初めごろには金沢の寺町台にも茶園が広がり50万斤と全盛時代を迎えた。ところが魔がさした。当時、好調な輸出に調子に乗った国内の茶商人は輸出先のアメリカに古茶を混入したり、ヤナギの葉を混入した業者もあった。加賀の生産者の中にもこうした悪質な製法に習った者もいた。こうした乾燥不良品やニセ茶に対してアメリカは明治16年(1883)年、「贋製茶輸入禁止条例」を国会で可決した。日本茶は一気に信頼を失った。

  こうした風潮を戒めようと、明治16年(1883)4月、金沢市の尾山神社では近藤一歩らが献茶式を開いた。加賀茶の庇護者であった藩主、前田家に対する感謝と粗悪茶の改善を誓うものだった。太平洋戦争が始まると、食糧増産が叫ばれ、趣向品のお茶からコメ作りにまい進することになり、茶の生産量は激減し、石川県内でも茶畠は徐々に消えていった。戦後は、加賀市打越地区などではその加賀茶の伝統は守られた。

  織田氏は、平成19年から打越製茶農業協同組合と県茶業商工業協同組合に仕掛けて、加賀茶の伝統を守ってきた打越地区で「加賀の紅茶」の生産を始めた。平成24年からはこのノウハウを「能登の紅茶」として商品化すべく、七尾市能登島町で紅茶の栽培を始めた。7アール1000本の植栽から始め、昨年は50アール4000本を植えた。品種はヤブキタ、オクヒカリだ。

  緑茶と紅茶の違い。緑茶は製造の第一工程で加熱により茶葉中の酸化酵素の活性を止めるのが特徴で、発酵が行われないため、茶葉の緑色が保存され緑茶と呼ばれる。紅茶は、発酵茶とも呼ばれ、茶葉を揉む前に葉をしおれさせ後に湿度の高い部屋で充分に発酵させるため茶葉タンニンの酸化で黒褐色となり、紅茶となる。北陸新幹線の名称にあやかった加賀紅茶「輝(かがやき)」、そして能登紅茶「煌(きらめき)」。加賀の茶の復活なるか。

⇒5日(日)午後・金沢の天気   あめ

☆トキは何を思う

☆トキは何を思う

   もう45年も前の1970年1月、本州最後の1羽のトキが石川県能登半島の穴水町で捕獲された。トキは渡り鳥ではなく、地の鳥である。捕獲されたトキはオスで、「能里」(のり)という愛称で地元で呼ばれていた。能里の捕獲は繁殖のため新潟県佐渡市のトキ保護センターに移すためだった。能里の捕獲と佐渡行きについては当時、地元能登でも論争があった。「繁殖力には疑問。最後の1羽はせめてこの地で…」と人々の思いは揺れ動いた。結局、トキ保護センターに送られたが、翌1971年に死亡する。論争がありながらも最後の1羽を送り出した能登の人たちの想いまだ記憶されている。穴水町に行く、今でも「昔、能里ちゃんはここら辺りを飛んでいたよ」と話すお年寄りがいる。「ちゃん」付けにトキへの想いがこもる。

  国の特別天然記念物であるトキの一般公開は全国で唯一、佐渡市だけで行われている。環境省は佐渡市以外でトキの飼育と繁殖に取り組む4施設(石川県・いしかわ動物園、東京都・多摩動物園、新潟県・長岡市トキ分散飼育センター、島根県・出雲市トキ分散飼育センター)でも公開を可能とする方針だが、地元石川の新聞メディアなどでは、佐渡市の地元では他地域でのトキの公開に難色を示す声が上がっていると伝えている。

  佐渡市の困惑は相当強いようだ。昨年10月2日付で佐渡市議会は以下の意見書を可決した。「1.あくまでも鳥インフルエンザ等の防止と絶滅の危機回避であり、非公開とすること、2.分散飼育する地域と施設については、科学的根拠と技術的条件に基づき決定し、これまでトキ保護に取組んできた佐渡市民の感情対策を講じること」と。佐渡の地元でこのような声が上がった理由についても意見書で記されている。「去る9月11日に開催された「第7回トキ野生復帰検討会」終了後、マスコミにより、石川県で分散飼育されているトキの一般公開が決定されたと報道された。現に石川県では一般公開施設の基本設計さえ行われており、環境省と石川県はトキ公開展示に向けた協議を進めているものと推測される。このことは、平成15年に野生絶滅したトキが佐渡市民の努力により361 羽まで増羽した事実を軽視し、さらに、平成18年3月27日、佐渡市が環境省の分散飼育にあたり行った下記要望に反するものである。よって、現段階における公開に強く反対するとともに、改めて、下記の取決めを遵守するよう強く求める。」

  この意見書では、一方的に石川県が環境省と組んでトキの一般公開を進めているとの印象なのだが、経緯があるようだ。環境省は昨年8月にトキの保護や増殖への国民の理解を深めるために、佐渡市以外でも公開する条件や手続きについて基本方針を策定した(「分散飼育地におけるトキの一般公開について」平成26 年8 月28 日付の環境省自然環境局長通知)。これを受けて、石川県は9月に計画書案を環境省に提示している。12月には出雲市も公開に向けて準備を進めると表明した(平成26年12月18日・出雲市議会全員協議会への説明)。

  これまでトキの保護のために佐渡が果たしてきた役割は大きいのはうまでもない。一般公開に関しても、佐渡ではようやく2013年3月に始まったばかり。また、トキを佐渡市以外で分散飼育と繁殖を行うようになったのは、鳥インフルエンザによる絶滅が危惧されたからである。いしかわ動物園では2010年1月に佐渡から4羽のトキが初めて移送された。これまで同動物園で繁殖した28羽が佐渡に移送され放鳥もされている。また、来月6日にはさらに10羽(オス5、メス5)が移送されることになっている。こうした経緯を見るとはリスクを分散したトキの繁殖計画は順調に進んでいるように思える。さらに、これまで放鳥は177羽、さらにペアリングが成功して31羽が巣立ちしている。

  こうなると、環境省としては次なる段階に入りたいと考えるだろう。それは、国費をかけての事業なので国民への理解だ。それが、分散飼育地での一般公開を進めるという段階なのだろうと想像する。というもの、いしかわ動物園へ行くと、「トキはどこのいるのですか」と子どもたちが係員に尋ねる姿を見かけることがある。今はライブ映像をテレビ画面でしか見ることができない。そのとき、親たち「トキは人が怖いので、とても臆病になっているのよ。(直接見れないのは)しかたないね」と諭している。こうした親子の光景を見ると、人とトキが離れた存在、つまり動物保護という教育的な観点からも離れた印象を受ける。

  一般公開された佐渡市の「トキふれあいプラザ」では年間20万人が訪れる観光施設になっているという。長年保護活動に尽くしてきた佐渡市民とすれば、他施設での一般公開はもう少し待ってほしいという心情も分かる。ここでもう一度、トキにとっては今何をすることが必要なのだろう。

※写真は、佐渡で放鳥されたトキ(メス)が最近能登半島に飛来している

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