⇒トピック往来

★「十人十色」なSDGs

★「十人十色」なSDGs

   SDGs(国連の持続可能な開発目標)と日本語に親和性を感じことがある。「これってSDGsのことだよな」と。先日金沢の隣の野々市市を自家用車で移動していて、中学校の校舎に掲げてあった横看板=写真=もそうだった。「十人十色、みんなちがってみんないい」と。十人十色はそれぞれの個性や考え、立場をお互いに尊重するという意味合いでよく使う言葉だ。この言葉をSDGsの視点で考えれば、まさに基本理念に掲げる約束「誰も置き去りにしない」と同意義だろう。

   看板には「生徒会目標」と書かれている。看板の文字のバックの色合いを眺めてみると、10色ほど使ってあってなかなか芸が細かい。生徒たちのアイデアなのか、教員の指導なのか。ひょっとして最初からSDGsを意識したスローガンなのだろうかと思いながら校舎を後にした。

   小学生のころから「来た時よりも美しく」という言葉をよく使った。今でも大学のフィールド実習を終えての帰り際に学生たちと宿泊施設の清掃をするが、「来た時よりも美しく」と自身が声を出している。この「来た時よりも美しく」という言葉こそ、SDGsの目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」のキ-ワードとなっているアップサイクルに通じる。持続可能なモノづくりを目指す場合に、単なるリサイクル(素材の原料化による再利用)ではなく、元の製品より付加価値の高いモノづくりへとイノベーションと研究開発を進める。このアップサイクルの精神こそが「来た時よりも美しく」ではないだろうか。

   偉そうに言うが、アップサイクルという言葉を知ったのは3ヵ月前だ。「第1回地方創生SDGs国際フォーラム」(2月13日・東京)で、基調講演の黒岩祐治神奈川県知事が鎌倉市由比ガ浜で打ち上げられたシロナガスクジラの胃の中から大量のプラスチックごみが発見されたことを機に、プラスチックの代替となる新素材の開発を進めていることを「アップサイクルの実証事業」と紹介していた。このときに、アップサイクルは「来た時よりも美しく」ではないだろうかとひらめいた。

   古くから伝えられる近江商人の心得「三方よし」という言葉もSDGsとつながる。売り手、買い手、作り手がそれぞれに納得して利を得る。SDGsの目標8「働きがいも経済成長も」のモデルのような調和の経済循環ではある。

⇒18日(土)夜・金沢の天気     くもり

★百花繚乱、五月晴れ

★百花繚乱、五月晴れ

   10連休も後半に入り、ようやく五月晴れに恵まれるようになった。まぶしい日差しの中で庭のイチリンソウ(一輪草)=写真・上=の花が白い輝きを放っている。「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるように、早春に芽を出し、白い花をつけ結実させて、初夏には地上からさっと姿を消す。春の一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける様子が「春の妖精」の由来だろうか。

   1本の花茎に一つ花をつけるので「一輪草」の名だが、写真のように一群で植生する。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こすといわれる。手ごわい植物でもある。

   同じく白い花をつけているのがヤマシャクヤク=写真・中=だ。丸いボール型に咲く「抱え咲き」の白い花は実に清楚な感じがする。名前の由来の通り、もともと山中に自生している。根は生薬で山芍薬(やましゃくやく)といわれた鎮痛薬だ。薬名がそのまま花名にもなっている。かつて乱獲され、今では環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に登録されている。花言葉をネットで調べてみると「恥じらい」「はにかみ」。日陰にそっと咲くからだろうか。

   白い花はまだあった。ナルコユリ(鳴子ユリ)も咲き誇っている。鳴子百合の名前の由来をネットで調べてみると、こんな説があった。「この花姿が鳴子(なるこ)=田や畑で鳥を追い払うための音を出す道具に似ていることから」という。かつての農村の風景を思い出す。鳴子を稲はざの周囲に下げて、カランコロンと音が響いた懐かしい時代だ。

   ナルコユリと同じくぶら下がりの花はタイツリソウ=写真・下=もうそうだ。「鯛釣り草」と書く。面白い名前だ。花が枝にぶら下がった姿が何匹もの鯛が釣り竿にぶら下がった様子に似ていることからその名が付いたとされる。姿だけではなく、花の形も面白く、ピンクのハート形。そのせいか、ネットで検索すると花言葉は「心」に関係するものが多く、「恋心」「従順」「あなたに従います」「冷め始めた恋」「失恋」などいろいろと出てくる。

    花は実に個性的でイメージを膨らませてくれる。そして、シャクヤクがつぼみを膨らませている。「これまでの花は前座、次はいよいよ私の出番です」といわんばかりの生気を放っている。花が咲き競い、心を和ませてくれる。まさに百花繚乱の光景だ。

⇒3日(祝)午後・金沢の天気     はれ

★「ブルゴーニュ」で迎えた令和の幕開け

★「ブルゴーニュ」で迎えた令和の幕開け

   4月30日「平成の大晦日」の夜、金沢のワインバーで過ごした。じっとしておれない「わくわく感」がそうさせた。というより、テレビはどのチャンネルも「平成最後の・・・」のオンパレードである。誰に向けての番組コンテンツなのか、何を発信しようとしているのか、そしてコメンテーターやキャスターの敬語の乱用にも少々嫌気が差して、「オワコンだな」と思いながら外出した。

   店に到着したのは夜9時30分ごろ。休日の夜にもかかわらずカウンターがいっぱいだった。ソムリエのマスターに「さすが10連休ですね」と声掛けすると、マスターは「今夜は令和へのカウントダウンをしないのかと問い合わせ電話もありますよ。カウントダウンで盛り上がりますか」と。勧めてくれたワインが1976年産のブルゴーニュワインだった。ブドウ品種はピノ・ノワール。ボトルに「PREMIER  CRU」と書いてあり、「一級のブドウ畑」の意味だとか。ことし2月に日本とEUのEPA(経済連携協定)が発効して関税が撤廃、ヨーロッパ産ワインが求めやすくなったと同時に、フランス産の高級ワインも入ってくるようになった。

   目の前のブルゴーニュワインは初対面だった。マスターの解説によると、ピノ・ノワールは水はけがよい石灰質の土壌で冷涼な気候で育つが病気にかかりやすく、なかなかデリケートで栽培が難しい。農家泣かせのこの品種のことを欧米では「神がカベルネ・ソービニオンを創り、悪魔がピノ・ノワールを創った」と言うそうだ。40年余りも年月が経っているので、コルク栓が柔らかく崩れてなかなか抜けない=写真=。コルクがそーっと抜かれると、芳しい香りが漂ってきた。ヴィンテージものだがまだ果実味もあり、優しく熟成を重ねたブルゴーニュワインだった。

     ワインの話で盛り上がっているうちに、カウントダウンが近づいた。5月1日まであと10秒。カウンターの客が「9、8、7、6、5、4、3、2、1」と声をそろえた。令和が始まった。すると、マスターがシャンパーニュを振る舞ってくれた。改めて、令和の幕開けに乾杯した。時は過ぎていく。その一刻一刻をワインで事実確認した思いだった。

⇒1日(水)午前・金沢の天気    こさめ

☆平成の大晦日

☆平成の大晦日

   行く年、来る年を迎える日が大晦日ならば、行く時代、来る時代を迎えるきょう30日は「平成の大晦日」だろう。テレビ各社は朝から特番を組んで退位の儀式の模様を伝えている。午前中、天皇は皇居の宮中三殿にある天照大神を祀る賢所(かしこどころ)で、日本古来の言葉で記した御告文(おつげぶみ)を読み上げて退位の礼を行うことを伝えられた。きょう夕方には、宮殿「松の間」で催される正殿の儀では、安倍総理の国民代表の辞に続き、天皇が在位中最後のお言葉を述べられる。

   海外メディアもさっそく取り上げている。イギリスBBCテレビは「Japan’s Emperor Akihito is set to step down from the throne on Tuesday, make him the first Japanese emperor to abdicate in more than 200 years.(日本のアキヒト天皇は火曜日で退位する。ここ200年余りで途中で皇位を降りる初めての天皇となる)=写真・上、BBC‐Web版=。アメリカのニューヨークタイムズ紙は皇位継承の特集を組んでいる。「His Father Was Called a God. She Called Him ‘Jimmy.’(父は神と呼ばれたが、彼はジミーと呼ばれた)」。終戦から1年後の1946年の秋、学習院に着任したアメリカ人の女性教師が、12歳の少年だった皇太子に「このクラスでは、あなたの名前はジミーです」と名付けたピソードを紹介している。

   天皇退位で思い浮かぶのはやはり、天皇皇后が被災地を訪れ、丁寧に被災者を見舞われたお姿だ。避難所を訪れ、膝をついて対話する姿は被災者に寄り添うお気持ちが伝わり、国民の共感を呼んだ。平成3年(1991)の雲仙・普賢岳(長崎県)の噴火の被災地への見舞いから始まり、その後の災害復興状況の視察を含め37回にも及ぶ(宮内庁HP)。国民はマスメディアを通じて、いつの間にか、この姿が天皇のシンボリックなイメージとして定着しているのではないだろうか。

   膝をついての国民との交流は被災地だけではない。平成27年(2015)5月、第66回全国植樹祭が石川県小松市の木場潟公園で開かれた。天皇はクロマツとケヤキなどの苗を植樹され、美智子さまはヤマモミジの苗を緑の少年の団の女の子といっしょに植えられた。このときも、膝をついて丁寧にお手植えされる姿が新聞の紙面にも掲載された=写真・下=。

   平成の大晦日、私自身の一日は骨董市と草むしり。習い始めている茶道に必要な香合と風炉先屏風を買い求めた。香合は炭点前には欠かせないがそれらしいものがないのに気が付き、ようやく手にすることができた。草むしりは大いに苦戦している。チドメグサとの闘いは難題だ。むしり取っても、むしり取ってもしばらくしてまた生えてくる。しかも、芝生やスギゴケといったグランドカバーに潜り込むようにして生えている。「おのれ、許さん」と挑むが、戦いはエンドレスなのだ。あすの令和も、晴れれば地べたをはっている。10連休の醍醐味ではある。

⇒30日(火)午後・金沢の天気     くもり

★NHKへのシングルイシュー

★NHKへのシングルイシュー

  「NHKから国民を守る党」という政党がある。NHKに受信料を払わない人を応援・サポートする政治団体だとアピールしている。先の東京都の区議選(投開票今月21日)で、この団体からの立候補者が17人当選した。団体の党首のツイッター(22日)によると、「(今回の統一地方選で)47名立候補して、当選者が26名  現職13名と合わせて、NHKから国民を守る党の所属議員が39名になりました。7月の参議院選挙に挑戦する土台が出来ました」と。シングルイシュー(単一論点)を掲げる政党がこれほど議席を獲得するのは異例だろう。その背景には有権者のどんな思いが潜むのか、政治への不信なのか、NHKへの不信なのか。

   前もって述べておくが、私自身の自宅にはテレビがあり、選挙速報や異常気象、災害、地震の情報など、民放テレビ局では速報できないニュースをNHKがカバーしていて、その公共性の高さを考えれば、放送法64条にあるテレビが自宅に設置されていれば、受信料契約ならびに支払いは社会的にも認められると考える一人である。契約の自由を保障する憲法に違反するのかどうかが争われた裁判では、最高裁は合憲と判断している(2017年12月)=写真=。NHKが契約を求める裁判を起こして勝訴すれば契約が成立する。そして、テレビを設置した時点からの受信料を支払わなければならない。最高裁が出した答えは「義務」と同じだ。

   スマホ・携帯のワンセグへの課金も争われた。放送法64条では受信料の支払いは「受信設備を設置した者」と定められている。スマホにはワンセグのアプリがついている機種が多いが、普通に考えれば「設置」ではない。ましてや、テレビを視聴しようとスマホを求めた訳でもない。ワンセグへの受信料をめぐる判決は別れた。さいたま地裁判決は「受信契約の義務はない」と判断(2016年8月)、水戸地裁は「所有者に支払いの義務がある」と判断(2017年5月)、東京地裁は「ワンセグの携帯電話を持っていれば、契約を結ばなければならない」と判断(2017年12月)。控訴審で東京高裁は地裁の判決を支持した(2018年6月)。上告審の最高裁も高裁判決を支持し、NHK側の勝訴が確定した(2019年3月)。
    
   この勝訴でNHKへの不信が増大したかもしれない。学生たちからこんな話を何度か聞いた。NHKの契約社員(中年男性)がアパ-トに来て、「テレビがなくても、スマホでテレビを見ることができれば、NHKを見ても見なくても受信契約が必要です」と迫ってきた。学生が「親と相談しますから、帰ってください」と言うと、契約社員は「契約しないと法律違反になりますよ」と。学生が親と相談すると、法律違反になるくらいならと家族割の分を親元が払っている。

   学生たちは学ぶために親元を離れて仕送りをしてもらっているので実質的に「同居」だ。会社で働き自活するために親元を離れる別居とまったく状況が異なる。なぜ学生にまで受信料を課すのか。NHKは経済的理由で奨学金を受けている学生には全額免除するなど一部配慮はしているのだが。

   学生や若者たちのテレビ離れは加速している。「NHKから国民を守る」というシングルイシューが政治的な広がりを見せている背景は結構根深いのではないか。そして7月への参院選へと向かう。

⇒25日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆もったいない精神が創る「SDGsゆびぬき」

☆もったいない精神が創る「SDGsゆびぬき」

  金沢に古くから伝わる伝統的な裁縫道具に「加賀ゆびぬき」がある。針の背を押さえて縫ったり、針が滑るのを防いだりと、裁縫には欠かせない道具だった。絹糸の1本1本が隙間なく縫い詰められて、幾何学的な美しい模様を織りなす。そこで、最近ではアクセサリーとして指ぬきが注目されている。

  金沢大学の能登で実施している人材育成プログラム「能登里山里海マイスター」の修了生で、工芸作家の岩崎京子さんから加賀ゆびぬきの魅力について取材した。かつては加賀友禅をつくる仕立て人のお針子さんたちが自分たちの指にはめるために指ぬきをつくった。それも、友禅の作成過程で余った絹糸や布、真綿などをためておき、自分の好みの指ぬきを創作したという。岩崎さんの指ぬきは能登の植物を染色に生かす。廃材となった漆の木材チップや能登ヒバ「アテ」の葉、クルミの皮、海藻のホンダワラなどで絹糸を染める。漆の染め物は黒色や黄金色が鮮やかで高級感が漂う。「能登の自然を色という視点から見つめ直して、能登の自然を物語にしてみたんです」と。確かに指ぬきをじっと見ているとその色の背景にある里山里海の風景が浮かんでくる。

  最近創作を始めたのが、国連の持続可能な開発目標「SDGs」をテーマにした指ぬき=写真=。17のゴールを色として指ぬきに描く。その色が自然や文化を感じさせ、独特の存在感と輝きを放つ。森の恵みを活かして染めるという活動は生態系の保全への意識を高める環境教育にもなり、目標15「陸の豊かさも守ろう」につながる。海藻など活用した染色を通じて海洋資源を保全する活動は目標14「海の豊かさを守ろう」になる。友禅の作成過程で余った絹糸や布、真綿を活用することは目標12「つくる責任つかう責任」につながる。そのような発想から「SDGsゆびぬき」が生まれたのだと説明してくれた。

  話を聞いていると、日本人の「もったいない精神」が「加賀ゆびぬき」に彩りを添え、アクセサリーとしての価値を高め、そしてSDGsという新たなグローバルな価値創造へと向かっている。そんなふうに思えてきた。

⇒24日(水)夜・金沢の天気   あめ

★新元号、海外では理解されるのか

★新元号、海外では理解されるのか

   けさ3日の各紙は共同通信が1日と2日に実施した緊急世論調査(電話)の結果を報じている。新元号については73%が「好感が持てる」と答え、「好感が持てない」は15%だった。好感が持てると答えた理由は「新時代にふさわしい」35%、「耳で聞いて響きがよい」35%、「伝統を感じさせる」28%だった。逆に好感が持てない理由は「使われている漢字がよくない」42%、「耳で聞いて響きがよくない」38%だった。(※写真は総理官邸ホームページより)

   世論調査の結果は、周囲の反応と同じだ。「語感がスマートでいいね」「万葉集からの出典が新しさを感じさせる」という知人が多い中で、「令という文字が命令を連想して気にくわない」と顔をしかめた人もいた。

   1989年1月に小渕官房長官が「平成」を発表したとき、「薄っぺらい文字だ」との印象だった。その後、『史記』にある「内平外成」(内平かに外成る)の言葉を知り、国内が平和であってこそ、他国との関係も成立するという意味だと理解した。軍部の台頭から大戦を招いた昭和の経験を平成の世に活かそうという意義が二文字に込められているとも教えられ、大いに納得したものだ。

   それにしても新元号の発表によって、内閣支持率が前月から9ポイント伸びて52%、不支持率は8ポイント減り32%となった。一過性の数字かもしれないが、それだけ新元号の評価が高かった、ということだろう。

   ところが、海外メディアの反応をリサーチすると、「the new Japanese Era」「REIWA」を伝えているが、全般に「冷たい」との印象だ。イギリス「BBCテレビ」Webニュースでは、Japan has announced that the name of its new imperial era, set to begin on 1 May, will be “Reiwa” – signifying order and harmony.(日本は5月1日に始まる新しい天皇の時代の名称が「レイワ」になると発表、これは秩序と調和を意味する)と、令をorderとあて、淡々と伝えている。

   1日付のアメリカ「ニューヨークタイムズ」には首を傾げた。見出しでJapan’s New Era Gets a Name, but No One Can Agree What It Means日本の新時代の名称は決まったが、誰もそれが意味するものに同意できない)。Agreeは単に「意味が分かりにくい」という解釈かと思ったがそうではなかった。政治的な意味合いだった。

  記事では、Naruhito’s reign will be called Reiwa, a term with multiple meanings, including “order and peace,” “auspicious harmony” and “joyful harmony,” according to scholars quoted in the local news media.(日本の報道によると、ナルヒトの治世は「レイワ」と呼ばれ、「秩序と平和」「縁起の良い調和」「喜びの調和」などさまざまな意味がある)と述べている。

  その後の記事で、Some commentators noted that Mr. Abe’s cabinet, which is right-leaning and has advocated an expanded military role for Japan, chose a name containing a character that can mean “order” or “law”.(一部の評論家は、右寄りの安倍内閣は軍事的役割を拡大することを主張しているが、「秩序」または「法」を意味する文字を含む名前を選んだ、と述べた)と。全体の文脈は、安倍内閣は軍国化を進めるために、 “order” or “law”を意味する「令」という文字を込めており、この政治的に意図された元号に国民は同意していない、となる。

  この記事を読むと、日本人の感覚と随分とずれていると感じる。それでは、同意していない国民の世論の73%が新元号に好感を持つと答えた理由をニューヨークタイムズの記者にぜひ分析してほしいものだ。

⇒3日(水)夜・金沢の天気     くもり

★時代を象徴する出来事と元号

★時代を象徴する出来事と元号

   5月1日の新天皇の即位にともなう改元について、政府はあす4月1日午前中に臨時閣議を開き、「平成」に代わる新しい元号を決定し、午前11時半から官房長官が発表するとしている。元号の文字は歴史的な事件や災害などととともに、日本人の頭の中にインプットされている。自らの脳裏に記憶されている元号をこの機会に時系列で整理してみる。

   最初に出てくる元号は「大化」だ。日本史で習う代表的な言葉が「大化の改新」。645年、中大兄皇子らによる天皇を中心とした国づくりが始まった。当時は西暦という概念はなかったので、君主が時間を支配するという中国の思想をそのまま導入した。その中国では清朝時代の終焉(1911年)とともに元号は消滅している。次が「和同」だ。日本に貨幣経済が導入されたことを象徴する「和同開珎」は708年に鋳造された。「天平」もよく耳にした。井上靖の歴史小説『天平の甍』は有名で、遣唐使として大陸に渡った留学僧たちの物語は映画にもなった。「延暦」は比叡山延暦寺から連想する。最澄が延暦7年(788)に比叡山に薬師如来を祀る寺を建てたのが最初とされ、その後、山に建立された数々の寺を総称して延暦寺と呼ぶようになった。

    ところで、政府やメディアは「元号」と称しているが、一般、とくにシニア世代では「年号」が普通ではないだろうか。その由来を探ってみる。明治時代に入り、旧皇室典範で「一世一元」が明文化されたが、昭和の敗戦で、連合国軍総司令部(GHQ)のもとで新皇室典範からは元号の規定はなくなった。つまり、戦後は法的根拠もなく、慣習として昭和という元号を使っていた。ところが、昭和天皇の高齢化とともに、元号について議論され、1979年6月に元号法が成立した。元号は「政令で定める」「皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元が復活した。この時点で、一般的には年号だが、公式には元号が使われるようになった。

    脳裏に残る元号の話を続ける。「延喜」は延喜式内社の言葉が浮かび、神社めぐりによく使う。「応仁」は応仁の乱(1467‐77年)で刻まれる。京都の人が「先の戦(いくさ)」と言う場合は応仁の乱を指すとか。「天正」と「慶長」は寒川旭著『秀吉を襲った大震災~地震考古学で戦国史を読む~』に心象深い。1586年の天正地震。このとき豊臣秀吉は琵琶湖に面する坂本城にいた。当時、琵琶湖のシンボルはナマズで、ナマズが騒ぐと地震が起きるの土地の人たちの話を聞いた秀吉は「鯰(ナマズ)は地震」と頭にインプットしてしまった。その後、伏見城を建造する折、家臣たちに「ふしミ(伏見)のふしん(普請)なまつ(鯰)大事にて候まま、いかにもめんとう(面倒)いたし可申候間・・」と書簡をしたためている。現代語訳では「伏見城の築城工事は地震に備えることが大切で、十分な対策を講じる必要があるから・・・」(『秀吉を襲った大震災』より)と。この話には続きがある。

    1596年に慶長伏見地震があり、このとき秀吉は伏見城にいた。太閤となった秀吉は中国・明からの使節を迎えるため豪華絢爛に伏見城を改装・修築し準備をしていた。その伏見城の天守閣が地震で揺れで落ちた。さらに、建立間もない方広寺の大仏殿は無事だったが、本尊の大仏が大破したことに、秀吉は「国家安泰のために建てたのに、自分の身さえ守れぬのならば民衆は救えない」と怒りを大仏にぶつけ、解体してしまったという話も。さらに、秀吉の「なまつ大事にて候」の一文は時を超えて「安政」の江戸地震(1855年)に伝わる。余震に怯える江戸の民衆は、震災情報を求めて瓦版を買い求めたほか、鯰を諫(いさ)める錦絵=写真=を求めた(『秀吉を襲った大震災』より)。震災後、幕府が鎖国から開国へと政策転換を図るときに起こした「安政の大獄」もこの混乱の時代を象徴する。

   江戸時代の「元禄」(1688‐1704年)は「浮世」と称せられるほど民衆文化が花開く。戦後の高度経済成長時代の天下太平ぶりは「昭和元禄」ともいわれた。時代の様子は元号とともに、その時代を象徴する言葉として我々の脳裏に刻まれている。あす発表される新元号はどのような意味や意義が込められているのか。

⇒31日(日)午後・金沢の天気      あめ後時々ゆき

★SDGsの「あいうえお」

★SDGsの「あいうえお」

   きょう23日、金沢市文化ホールで国連大学サステイナビリティ高等研究所OUIKが主催するシンポジム「地域の未来をSDGsでカタチにしよう~Localizing SDGs~」が開催された。SDGsは「国連の持続可能な開発目標」なのだが、ゴールは17もあり、これを地域でどう合意を形成して政策として落とし込んでいけばよいのか。人類の難しい課題ではある。

   シンポジウムでは、内閣府の「SDGs未来都市」に選定された自治体が参加してセッション1「地域でのSDGs推進における自治体の役割とは」=写真=、SDGsと地域課題に取り組む会社や団体、大学関係者らが意見を交わすセッション2「SDGsパートナーシップのデザインとは」の 2部構成でパネル討論があった。その中でキーワードがいくつか出た。その一つが「シビックテック」。Civic(市民)とTech(技術)を合わせた造語で、テクノロジーを活用して社会への市民参加を促し、市民自らが地域課題を解決しようとする取り組み。市民参加型で課題の解決法を考え、それをICTで実現する。2014年2月に一般社団法人化して金沢を中心にITエンジニア、デザイナー、プランナーら100人が参画している。

   「グリーンインフラ」はグリーンインフラストラクチャ―(Green Infrastructure)のこと。自然の多様な機能や仕組み活用した社会資本整備や防災、国土管理の概念を指す。昨年、石川県内の4大学の研究者らで「北陸グリーンインフラ研究会」が結成された。モットーは「自然を賢く使う 自然と賢く付き合う」だ。防災と減災、生態系の保全をテーマに、たとえば道路やビル屋上の緑化、遊水機能を備えた公園、河川の多目的利用などの社会インフラの整備を進めることで、従来のインフラの補足手段や代替手段として用いることができる。自然が持つ多様な機能を活用するのは人類の課題でもある。

   閉会のあいさつでOUIKの渡辺綱男所長は「SGDsの5P」と「SDGsのあいうえお」を紹介した。「SGDsの5P」はSDGsを理解する上で世界の共通語でもある。人間(People)、地球(Planet)、繁栄(Prosperity)、平和(Peace)、パートナーシップ( Partnership)。そして、「SDGsのあいうえお」とは。明日のため、今のため、宇宙と暮らしの視点で、笑顔で、多くの人の参加で。実に分かりやすい。

⇒23日(土)夜・金沢の天気      はれ

☆土佐人の「龍馬愛」

☆土佐人の「龍馬愛」

    今月18日から20日まで高知大学主催のシンポジウムに参加するため、高知市を訪れた。プライベートでは2012年5月に家族旅行で訪れている。7年ぶりの高知で、変わらないのは地元土佐の人々の「龍馬愛」だろうか。まず、JR高知駅の広場にある三志士像。左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の像=写真・上=だ。設置されたのは2011年7月だが、初めて見た。前回は小松空港、羽田空港、高知龍馬空港と空の便で往復したので気が付かなかった。当時は桂浜にある竜馬の銅像を見て圧倒されたものだ。
        
    三志士像は明治維新を動かした群像でもある。龍馬は開国と交易で日本を変革しようとした人物。その銅像はJR高知駅をバックに、太平洋を向いている。龍馬の盟友、中岡慎太郎武は陸援隊を率いて倒幕に奔走した。武市半平太は尊皇攘夷の中心人物で土佐勤王党を結成した。その中心に龍馬がいる。土佐人の誇りだ。

    市内に入ると、街角やホテルなどでは観光キャンペーン「リョーマの休日(Ryoma Holiday)」のポスターやパンフレット=写真・中=であふれている。リョーマは龍馬のこと。オードリー・ヘプバーン主演の映画「ローマの休日」とひっかけている。リョーマの休日は、「すべての人に、特別な時間が待っている。さあ、高知でパワーチャージ!」を合言葉に、県立牧野植物園や室戸ユネスコ世界ジオパークの見学など当地ならではの自然体験メニューを提供する。ことし12月まで実施している。

    2012年に訪れたときも「リョーマの休日」のポスターはあった。このときは、龍馬姿の当時の知事がスクーターに乗るパロディ化された写真が図柄に組み込まれていた。すでにその構図での木彫作品が発表されていて、著作権問題かとの議論もあった。今回はそうした図柄でもなく龍馬が万歳をしているデザインだ。

            喫茶店に入ると「龍馬カプチーノ」というメニュー(460円)があったのでさっそく注文する。すると、なんとクリーム状に泡立てた牛乳の上にココアパウダーで龍馬の顔が描かれている=写真・下=。「ここまでやるか」と思いながらも、土佐人の龍馬愛を感じた。薩摩人にとって「西郷どん」はある意味で敬いだろう。おそらく「カプチーノアート」にはなりにくいのではないなどと比較しながらコーヒーを味わった。

⇒20日(水)夜・金沢の天気     はれ