⇒トピック往来

☆震災の語り部による「能登のいま」 自然の美と心の温かさ守る

☆震災の語り部による「能登のいま」 自然の美と心の温かさ守る

前回ブログの続き。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目は能登金剛を訪れた。ここで遊覧船の事業を営む木谷茂之さん・由己さん夫妻から話を聴いた。

能登金剛は志賀町富来海岸の一帯を指し、その中心となるのが能登半島国定公園を代表する景勝地、巌門(がんもん)である。松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台としても知られる。清張の歌碑がある。『雲たれて ひとり たけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅』。清張が能登で初めて見た荒海の情景。人は出世欲、金銭欲、さまざまな欲望をうねらせて突き進むが、最後には自らの矛盾や人間関係、社会制度に突き当たって一瞬にして砕け散る。ズドンと音をたてて砕ける荒海から、サスペンスのイメージを膨らませたのかもしれない。

木谷さん一家は初詣に向かう車の中で能登半島地震に見舞われた。大津波警報と避難勧告が出され、その後、避難所に身を寄せることになる。巌門の現地に行くと、所有する3隻の遊覧船のうち2隻は引き波に50㍍ほど流され、岸壁の堤防に引っ掛かった状態になっていた。自宅も土産店も倒壊は免れたものの、商品棚は倒れ、水道復旧には2ヵ月かかった。そして巌門に通じる道はゴ-ルデンウイークには間に合い店を再開。被災した2隻の修繕を終え通常運行を再開したのは7月だった。「人が戻り、笑顔が戻る。かつてのにぎわいを取り戻すには時間がかかります。そのためにも自然の美しさと人の温かさ守りたいですね」と語った。

能登は水産加工品の拠点でもある。加工会社を経営する沖崎太規さんを訪ねた。製造販売しているのは「丸干しいか」、「干しほたるいか」、「ほたるいか沖作り」、「いしりするめ」とイカにこだわった商品。スルメイカなどは日本海で獲れる。「干しほたるいか」は、親指ほどの大きさの生のホタルイカを、ひとつずつ並べ干していく。触腕と呼ばれる長いイカの足も一つ一つ手作業で伸ばす。また「丸干しいか」は「もみいか」とも呼ばれ、手でもみほぐし干すという伝統の製法を守っている。能登で醸造された「いしる」と称される魚醤が隠し味になっている。

沖崎さんは昼寝から覚めたところで、震度7の揺れが来た。自宅の倒壊は免れた。工場に駆けつけた。経験があった。前の能登半島地震(2007年3月25日)でダメージを受けていたので、今回は修復できるかどうか見極めたかった。「そこらじゅう傷んでいて、立て直すのは無理とそのとき思った」。ただ、唯一の救いが停電にならなかったため冷凍庫にあった商品がすべて無事だったことだ。その後、銀行の融資を取り付けて動き出したのが9月だった。修理をほぼ終えて製造ラインが稼働したのがことし3月となった。

西海水産公式サイトでは、消費者へのあいさつをこう結んでいる。「これからも、能登を愛し、いかを愛す。(中略)皆様に愛される商品作りを心掛けてまいります」

(※写真は上から、遊覧船事業を展開する木谷茂之・由己さん夫妻、海から眺めた巌門、水産加工品会社を経営する沖崎太規さん=人物写真は志賀町観光協会公式サイトから)

⇒18日(土)夜・金沢の天気   あめ

★震災の語り部による「能登のいま」 復興ツーリズム

★震災の語り部による「能登のいま」 復興ツーリズム

去年元日の能登半島地震の現場を訪ねる「復興応援ツアー」(今月15、16日)に参加した。震度7の揺れが起きた、半島の中ほどに位置する志賀町の一般社団法人「志賀町観光協会」が企画した。震災を体験した地域の人たちが「語り部」となり、「能登のいま」を共に考える意義深い1泊2日のツアーだった=写真・上=。

このツアーは観光協会の事務局長、岡本明希さんが企画した。岡本さんは能登地震で志賀町の自宅で被災した。初詣を終えて台所で正月のお膳の準備をしていた午後4時すぎに強烈な揺れに見舞われた。地域の小学校で避難生活を経験し、その後、羽咋市の親戚宅にいまも身を寄せている。この経験を踏まえ、復興の歩みや地域の現状を全国に発信したいという想いからツアーを企画した。「きのうは変えられない。でも、あすは変えられる」。自らもいまと未来を語り続けている。

ツアーの初日の語り部は、北前船の寄港地だった福浦港と航海安全を祈願した絵馬が並ぶ金比羅神社の歴史について語った松山宗恵さん=写真・中、志賀町観光協会公式サイトから=。語り口調が穏やかで、言葉を選んで話すので分かりやすい。福浦港近くの街中にある福専寺の17代目の住職とのこと。語りに慣れている。震災についての体験も身振り手振りで語った。

去年元日は帰省した娘や孫たちと過ごしていた。「ちょうどトイレに行って手を洗っていたら、ガタガタとものすごい揺れだった」。トイレのドアが開かなくなり、足で蹴破って出て、子どもや孫たちとテーブルの下に潜り込んだ。そして、大津波警報のアラームが街中に鳴り響き、家族とともに高台にある旧小学校に避難した。津波は寺の目の前まで押し寄せていて、本堂は本尊が一部損傷し、中規模半壊(後の判定)だった。その後、金沢市に住む三女の家に避難し、毎日のように福浦に通った。被害があった墓地の現状を確認し門徒に報告した。そして、真宗大谷派から届いた毛布や食糧、灯油、水などの救援物資を門徒や地域の人たちに届けた。

松山さんは地域の歴史や文化、伝統工芸などの魅力を、この地を訪れる人々に伝える「いしかわ文化観光スペシャルガイド」でもある。先に述べた金比羅神社脇の細い坂道を登っていくと、木造の白い建物が見えてくる。日本最古の西洋式灯台、旧・福浦灯台=写真・下=。現在の灯台は1876年に明治政府によって建てられたが、起源は1608年にさかのぼる。北前船の歴史が金比羅神社とつながる、分かりやす説明だった。

地域の歴史の文化と同時に語る、自身が体験した地震や津波のリアルタイムな話だ。防災教育に訪れる高校生たちは被災地の現状を学ぶと同時に地域の観光資源を活かした復興ツーリズムの可能性についても学ぶ。「地震と復興の語り部」でもある。

⇒17日(金)午後・金沢の天気   はれ

☆「真っ赤なバラのようであれ」 毅然と立ち向かうトゲを持て

☆「真っ赤なバラのようであれ」 毅然と立ち向かうトゲを持て

金沢にバラの名所があり、秋咲きのバラが見ごろを迎えている。自宅近くにある金沢南総合運動公園内にあるバラ園にはきょうも朝から市民が観賞に訪れていた。このバラ園には170品種・1800本ものバラが植栽されている。公園を管理する公益財団法人「金沢市スポーツ事業団」の公式サイトによると、このバラ園は、金沢市で議決された「緑の都市宣言」(1974年)の10周年を記念して、1984年に整備された。ことしでオープン41年となる。きょうはあいにくの曇り空だったが、鮮やかな赤色のアレックスレッド=写真=や。濃い紫色のオクラホマなどが競うように咲いている。今月中旬ごろまでが見ごろのようだ。

話は変わる。メディア各社の報道によると、自民党の高市早苗氏が総裁に選出されたのを受け、共同通信社は全国緊急電話世論調査(今月4-6日、回答1061人)を実施した。それによると、高市氏に「期待する」との回答は68.4%だった。一方で、総裁選で派閥や旧派閥の影響力を感じたかを尋ねた項目では、「ある程度」と「感じた」が81.1%に達し、微妙に評価が揺れている。

もう一つ微妙に評価が分かれるのが政党支持率。今回調査で自民党の政党支持率は33.8%となり、前回調査(9月11、12日)の23.5%から10.3ポイントも上昇した。一方、高市氏の総裁就任による自民党の信頼回復は「できる」45.5%、「できない」48.5%で拮抗しているようだ。そして、派閥裏金事件に関与した議員の党役員や閣僚など要職への起用に「反対」は77.5%に上っている。高市氏は、萩生田光一元政調会長を幹事長代行に起用している。萩生田氏をめぐっては、政策秘書が政治資金収支報告書に派閥からの寄付金を記載しなかったとして略式起訴されている。萩生田氏の起用を世論はどう見るのか。

衆参両院で過半数を持たない与党がどの野党に協力を求めるのが良いかの問い(複数回答)では、国民民主党が34.4%で最多で、日本維新の会28.0%、立憲民主党26.9%、参政党17.2%と続いている。高市氏はどのように国民民主と向き合うのか。

高市氏はサラリーマンの父と警察官の母の間で育った。母親からは「真っ赤なバラのようであれ」と言われたそうだ。女性らしい華やかさを失わず、間違ったことには毅然と立ち向かうトゲを持つように、という意味のようだ。ゆがんだ自民党政治の「解党的出直し」を有権者も求めている。真っ赤なバラのような政治家としてひと花咲かせてほしいものだ。

⇒8日(水)夜・金沢の天気   くもり

★神棚や仏壇に供える「榊」についてあれこれ・・・

★神棚や仏壇に供える「榊」についてあれこれ・・・

近所のスーパーの花売り場では仏花などが並べられているが、以前から気になっていることがあった。サカキは家庭の神棚や仏壇に供えられる。古来から神事などに用いられる植物であり、「榊」という漢字があてられる。気になっていたというもの、生花店は別として、コンビニやスーパーで見かけるサカキのほとんどが「中国産」なのだ。買った人は、外国産のサカキを神棚に供え、合掌することに違和感を感じないのだろうか。そんなことを思ったりしていた。ちなみに、自身は生花店で国産を購入している。

きょう近所のスーパーに行くと、中国産の横に国産のサカキが並んでいた=写真=。これまで自身の見逃しもあったかも知れないが、この店で初めて見る国産サカキだった。ただ、値札をよく見ると、「国産ヒサカキ」と記されている。サカキとヒサカキはどう違うのか。以下、ネットで調べてみる。

サカキ(学名:Cleyera japonica)は、モッコク科サカキ属の常緑小高木。日本の神道においては、神棚や祭壇に供えるなど神事にも用いられる植物。語源は、神と人との境であることから「境木(さかき)」の意であるとされる。縁起木として扱われるため、常緑を活かした庭木としても使われる。本州の茨城県・石川県以西、四国、九州、沖縄に分布する。花言葉を、「神を尊ぶ」とする文献がある(Wikipedia「サカキ」から)。

ヒサカキ(学名:Eurya japonica var. japonica)は、モッコク科ヒサカキ属の常緑小高木。墓や仏壇へのお供えや玉串などとして、神仏へ捧げるため宗教的な利用が多い。これは、サカキが手に入らない関東地方以北において、サカキの代用としている。ヒサカキという名前も榊でないことから非榊であるとか、ひと回り葉の大きさが小さいので姫榊が訛(なま)ったとかの説がある。花言葉は、「神を尊ぶ」である(Wikipedia「ヒサカキ」から)。

サカキ、そしてヒサカキは国内では植栽分布が異なるにしても、日本では縁起の良い木として扱われてきた。冒頭から話はずれた。スーパーでの価格だが、中国産は一束が税込み174円、国産ヒサカキは一束が税込み262円となっている。値段は国産のヒサカキの方が高いが、輸入品は防疫の消毒液がかかるため、長持ちするのは国産ものだといわれている。それにしても、外国産のサカキを神棚に供え、合掌することに違和感を持つ世代はもう少数派になったのだろうか。取り留めのない話になった。

⇒7日(火)夜・金沢の天気   はれ

★北斎と広重の浮世絵236点 叙情豊かに迫る臨場感

★北斎と広重の浮世絵236点 叙情豊かに迫る臨場感

芸術の秋来る。金沢市の石川県立美術館で、浮世絵の二大絵師、葛飾北斎と歌川広重の展覧会が開催されている。タイトルが面白い。「北斎・広重 大浮世絵展 巨匠対決!夢の競演 あなたはどっち派?」=写真=。きょう鑑賞に行ってきた。

会場には北斎の『冨嶽三十六景』や、広重の『東海道五拾三次之内』など作品236点が展示されている。タイトルにある、北斎と広重の対決の第一章が「東海道五十三次」。解説書によると、広重は天保3年(1832)、江戸幕府が京都の朝廷へ馬を献上する「八朔の御馬献上」の一行に加わり京を目指し、その時のスケッチをもとに、翌年『東海道五拾三次之内』を刊行した。当時広重は37歳で、これが大ヒットし人気絵師となる。一方の北斎はこれより30年以上も前の享和~文化年間(1801~1817)に7種の『東海道五十三次』シリーズを描いている。

ポスターにある絵を鑑賞する。上はよく知られた北斎の『冨嶽三十六景』の「神奈川沖波裏」。北斎が生涯こだわりを持って挑み続けたのが「波」の表現とされる。この作品の波はまさに変幻自在に描かれ、海外では「The Great Wave」という名で知られる。今にも飲み込まれそうな小舟、小さく聳(そび)える富士山が大波の臨場感を引き立てる。そして、ポスターの下は広重の『東海道五拾三次之内』の「日本橋 朝之景」。朝焼けを背に国許(くにもと)へ帰る大名行列が橋を渡り始める様子が描かれている。箱持ちを先頭に毛槍と続き、陣笠の武士たちが整然と列をなしている。日本橋の手前には魚河岸から帰った魚屋や野菜売りがいて、人々の営みが生き生きと描かれている。

会場では広重の絵をじっくり鑑賞した。伝わってくるのは、自然をめでる人の感性に寄り添うような親しみやすさだ。『東海道五拾三次之内』の「沼津 黄昏図」から感じたこと。夕闇の中、宿へ急ぐ巡礼の親子と、その後ろに祭りの神「猿田彦」の面を背負った、おそらく金毘羅詣の旅人の姿がある。並木の間に月が浮かぶ。何とも風情ある光景だ。どんな気持ちで旅路を行くのか。日本人の感性として、画中の人物に感情移入したくなる。

北斎は巧みな線による大胆な構図と独創的な画風で風景を、そして広重は旅情を感じさせる光景を描いている。このほか北斎と広重の役者絵や妖怪絵、滑稽絵など浮世絵の競演が楽しめる。236点を鑑賞するのに3時間余り費やした。

⇒25日(木)夜・金沢の天気

☆能登に帰ってきた等伯の国宝「松林図屏風」 精細複製「楓図」も

☆能登に帰ってきた等伯の国宝「松林図屏風」 精細複製「楓図」も

安土桃山時代の絵師、長谷川等伯は能登半島の七尾で生まれ育った。等伯の代表作「松林図屏風」は日本水墨画の最高傑作とも言われ、東京国立博物館が所蔵する国宝でもある。作品が初めて能登に帰ってきたのは、2005年5月に開催された石川県七尾美術館の開館10周年特別展だった。その松林図屏風が20年ぶりに能登に帰ってきたので、きょうさっそく七尾美術館に見に行ってきた。美術館は去年元日の能登半島地震で休館が続いていたが、きょうが再開の初日でもある。

テーマは開館30周年記念・震災復興祈念「帰ってきた国宝・松林図屏風 長谷川等伯展」=写真・上=。等伯は33歳の時に妻子を連れて上洛。京都の本延寺本山のお抱え絵師となり創作活動に磨きをかけた。一方で、京都画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争いがあったとされる。等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツの風景に等伯は自らの心を重ねたのだろうか。展示会場では、松林図屏風のほかに、能登半島地震で被災した能登各地の寺院から救出された等伯の作品を含め19点が並んでいる。等伯展は10月16日まで。(※写真・中は、国宝「松林図屏風」=国立文化財機構所蔵品統合検索システムより)

等伯の国宝「楓図(かえでず)」の高精細複製=写真・下=も同じ七尾美術館で展示されている。金色の風景を背景に、楓の大木の幹や赤と緑の葉が描かれていて、秋の自然がダイナミックに描写された作品だ。京都の智積院が所蔵する楓図を、精密機器メーカー「キヤノン」が独自のデジタル技術を使い、NPO法人「京都文化協会」と共同で複製したもの。キヤノンの担当スタッフの解説によると、カメラで分割して撮影したデータをつなぎ合わせ、特性の和紙に印刷。その上で京都の伝統工芸士が金箔などで装飾したものだという。

この複製品はキヤノンから地元の七尾市役所に寄贈され、美術館ではガラスケースなしで展示されていている。ある意味で等伯の技がリアルに観察できる。展示はあす21日午前中まで。

⇒20日(土)夜・金沢の天気  雷雨

☆スーパーに「ガイマイ」並ぶ 高騰するコメ価格への波及効果は

☆スーパーに「ガイマイ」並ぶ 高騰するコメ価格への波及効果は

金沢の自宅近くのスーパーでは「外米(ガイマイ)」が並ぶようになった。もう60年も前の話だが、小学生のころに遊び仲間と「ガイマイなんか食えるか」と言っていたことを思い出す。炊き上げがパサパサしていて粘りの少ないまずいご飯のことをガイマイと称していた。この言葉を覚えたきっかけは、学校給食が始まるころで、親たちは学校で集会を開き、「ガイマイを子どもたちに食わせるな」「内地米(ナイチマイ)を食べさせろ」と訴えていたのを覚えている。

その後、再びガイマイという言葉を聞いたのはそれから5、6年経ったころだった。能登から出て金沢の高校に通うようになった。下宿先の近くにラーメンのチェーン店ができた。高校の仲間と行き、このとき初めてチャーハンを食べた。仲間は「ガイマイのチャーハンは美味い」と称賛していた。自身もなるほど思い、このときからガイマイのイメージがプラスに転じた。それぞれの料理によって使うコメが変わり、チャーハンのほかにピラフやリゾットならばガイマイに限る。食の多様化とともにガイマイの裾野も広がっている。

ただ、冒頭述べたス-パーでのガイマイの販売は食の多様性というよりむしろ高騰するコメの価格が背景にあるようだ。売り場に並んでいたのはアメリカ・カリフォルニア産の「カルローズ米」。5㌔袋が税込みで3867円となっている=写真=。備蓄米より少々安価だ。政府は「MA(ミニマムアクセス)」と呼ばれる仕組みで、毎年およそ77万㌧のコメを関税をかけず義務的に輸入していて、このうち10万㌧を主食用として民間に入札で販売している。落札されたコメは、例年より3ヵ月早く、今月11日から卸売業者への引き渡しが始まっている。カルローズ米はこのMAで輸入されたもの。つまり、政府は国産米の新米の時季を見計らったタイミングでカリフォルニア米を市場に投入したのだろう。

NHKニュース(16日付)によると、1㌔当たり341円の高い関税が課される民間のコメの輸入も急増していて、財務省の貿易統計によると、ことし7月の輸入量は2万6000㌧余りで、去年の同じ月のおよそ200倍になっているという。国産米の新米の価格が高値となる中、割安なガイマイ(外国産米)が市場に出ることで、今後のコメの価格はどうなっていくのか。価格の高騰は抑えられるのか。

⇒16日(火)午後・金沢の天気  はれ

☆「覆面のパロディ画家」バンクシーの作品 イギリス裁判所で物議

☆「覆面のパロディ画家」バンクシーの作品 イギリス裁判所で物議

けさ7時30分ごろ、金沢の自宅前の道路を登校する子どもたちのいつもの声が聞こえてきた。雨が結構降っていたが、その雨音に負けない子どもたちの元気な声だ。石川県内は、前線の影響で一時、大雨や洪水の警報が出されていたが、きょう8時すぎにすべて解除となった。日中は時折晴れ間ものぞく和らいだ天気だったが、気象台によると、このあとも大気の不安定な状態が続く見込みとのこと。

話は変わる。「覆面のパロディ画家」として知られるバンクシー。公共空間にスプレーと型紙で作品を描き去るストリートアーティストだ。ことし4月に金沢市内のデパートで「バンクシー新作版画展」の鑑賞に行ってきた。中でも面白かった作品が「JUDO」=写真・上、版画展チラシより=。柔道少年が大人の柔道家を投げるシーンが描かれている。2022年11月にウクライナの首都キーウ近郊にある街で発見された作品という。同年2月に始まったウクライナ侵攻でロシアは世界から批判にさらされることになる。プーチン大統領は柔道家としても知られる。少年がウクライナで大人の柔道家がロシアと見立てると、この絵は「ロシアに負けるな」というウクライナに対する応援メッセージと読み取れた。

バンクシー作品がまたメディアで話題になっている(※写真・下は、9日付・BBCニュースWeb版より)。バンクシーが9月8日に発表した新作。イギリス王立裁判所が入居する複合施設、クイーンズ・ビルディングの外壁に描かれた。イギリスの裁判官の衣装である黒いローブとかつらを身に着けた人物が、プラカードを掲げた抗議者を小槌で殴りつける様子が描写されている。抗議者は地面に横たわり、プラカードには血を思わせる赤い飛沫が飛んでいる。今回の壁画は9月6日にロンドンで行われたパレスチナ支持のデモで900人が拘束されたことへの抗議だという。

ただ、新作が発表されてすぐに、作品は大きなプラスチックシートと金属製バリケードで覆い隠され、2人の警備員による厳重な防御体制が敷かれていた。そして9月10日の朝、顔を覆い隠しヘルメットをかぶった業者によって、壁画は削り取られ、塗料で塗りつぶされたという。

バンクシーは大量生産や消費社会、そして時事性のある事柄を風刺してきたアーティストだ。今回、壁画は削り取られ、塗料で塗りつぶされたとなるとある意味でもったいない。ある見立てでは、壁画は最大500万ポンド(約10億円)で売れた可能性があったという。この一件でバンクシー作品の価値がさらに上がったようだ。

⇒11日(木)夜・金沢の天気  くもり

★イカキングの能登・小木のイカ 工夫凝らしラーメン限定販売  

★イカキングの能登・小木のイカ 工夫凝らしラーメン限定販売  

能登半島の先端部に位置する能登町の九十九(つくも)湾にイカの巨大モニュメントがある。全長13㍍、全幅9㍍、高さ4㍍のサイズ。素材は航空機などに使う繊維強化プラスチックのFRP製だ。名付けられた愛称は「イカキング」=写真・上=。能登のちょっとした名所にもなっていて、子どもたちが中に入って遊んだり、大人たちが写真を撮ったりと、けっこう人気がある。

イカキングと隣接するのは観光交流センター「イカの駅つくモール」。イカ料理などが味わえるレストランやイカの加工品を中心とした物産の販売コーナーがある。九十九湾にイカの巨大モニュメントや観光交流センターが設置されたのは、同湾にある小木漁港がスルメイカなどイカ類では全国屈指の水揚げを誇るからだ。能登町が特産イカの知名度向上と観光誘客を狙って2020年6月にセンタ-、イカキングを翌年2021年4月に設置した。

前置きが長くなった。回転ずしチェーン店「スシロー」は小木漁港で水揚げされた「船凍イカ」を使ったラーメンをきょうから期間限定(今月28日まで)と販売数限定(45万食)で提供すると記事で掲載されていた(9日付・新聞メディア各社)。イカのラーメンは初めてだったので、さっそく食べに行った。船凍イカは獲れたてのスルメイカなどを船内で急速冷凍したもの。メニューには「能登小木港いかのせ いか白湯醤油ラーメン」(460円)と記されている。

回って来たラーメン丼のフタを開けるとイカの香ばしい匂いがした。イカの煮付けと鳥むね肉のチャーシュー、そして海苔、刻みネギがトッピンクされている=写真・下=。スープもイカの旨みが漂っている。以下は憶測だ。白湯醤油は煮干しを煮詰めてつくったタレ、そこにスルメイカを煮込んだ出汁を加えているのではないだろうか。先の記事によると、スシローは去年6月から「ジモメシ」プロジェクトとして銘打って、地域のご当地グルメとコラボした商品開発を行っている。今回は第3弾となる。プロジェクトだけに相当の調味の工夫とアイデアを凝らしたに違いない。

それと、小木漁港の特産が選ばれたのは能登半島地震で被災した地域の海産物を商品化することで復興に寄与したい、企業のそんな想いが込められているのではないだろうか。温かなラーメンをすすりながらふと思った。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   くもり

★秋の夜長楽しむ「ひやおろし」 被災した奥能登の7銘柄も醸造

★秋の夜長楽しむ「ひやおろし」 被災した奥能登の7銘柄も醸造

残暑の酒、秋の限定酒、あるいは秋の夜長の酒とでも言おうか、石川県ではこの時節の日本酒が造られる。「ひやおろし」だ。冬場に仕込んだ酒を1度だけ火入れして保存し、夏の間は酒蔵でじっくり寝かせて熟成させ、この時季に瓶詰する。まろやかな丸みのある味わいが特徴で、ひやおろしを待ちこがれる酒通も多い。

酒通の知人から聞いた話だが、ひやおろしの歴史は古く、江戸時代の初期のころからあるそうだ。そもそも、ひやおろしの語源は日本酒で常温のことを「冷や」と言い、その状態で「卸す」、つまり蔵出しすることを意味する。江戸時代から秋の風物詩として親しまれていたようだ。

石川県の酒造メーカーでも個別にひやおろしの伝統を守ってきたところもあったが、2007年からは石川県酒造組合連合会が卸売酒販組合や小売酒販組合と連携して一斉販売を始めた。ことしは酒造メーカー23社が参加し、秋限定の日本酒「石川ひやおろし」を共通のレッテルとして、きのう5日に一斉発売した=写真、金沢市内のス-パーで撮影=。23銘柄はいずれも720㍉㍑入りで価格は1650円から2420円。メディア各社の報道によると、酒販店からの予約は前年とほぼ同数の3万4030本で好調のようだ。ひやおろしの販売は10月末まで。

去年元日の能登半島地震で被災した奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)からは前年より2社多い7社の酒造メーカーが「ひやおろし」に参加した。奥能登の酒造メーカーで酒蔵が倒壊したままとなっているところもあり、連携する加賀地方の酒蔵で醸造しているようだ。

ひやおろしに合う料理と言えば、なんと言っても9月1日に日本海側で解禁となった底引き網漁の新鮮な魚介だろう。刺身では甘エビやガスエビの甘さが、ひやおろしのまろやかな丸みのある味わいと合う。酒と料理のマリアージュで秋の夜長が楽しめる。

⇒6日(土)夜・金沢の天気  はれ