⇒トピック往来

☆撮影禁止の威風堂々「百万石行列」

☆撮影禁止の威風堂々「百万石行列」

   新型コロナウイルス感染拡大の影響で3年ぶりの開催となった「金沢百万石まつり」(今月3-5日)が盛り上がって無事終わり、市民の一人として、めでたし、めでたしと思っていたが、ある問題が浮上している。メイン行事の百万石行列(4日)が行われた際、主役の前田利家役の竹中直人とお松の役の栗山千明の2人のタレントに対し、撮影禁止の札を持った数人の係員が大声で「写真を撮らないでください」と呼びかけていたようだ。自身は行列は見に行かなかったのでその場面は見ていない。
 
   いまの時代、沿道ではスマートフォンを掲げて写真を撮る人が多く見られる。これはごく普通の光景だ。わざわざ沿道に来てパレードを見学に来た観衆とすれば、見せ場を撮るなというのは解せないだろう。ツイッターでも相当な数が上がっている。「2022年6月4日の3年ぶりに開催された #百万石まつり 印象に残ったのは撮影禁止とSNSの投稿禁止を高らかに叫ぶスタッフの声でした、とても残念な印象だけが残った。周りので見てる方も困惑してた」(7日付)など違和感の声だ。
 
   金沢百万石まつり実行委員会の公式サイトをチェックすると、5月28日付で「百万石行列 観覧の方へ撮影・録画に関するお願い」と題して、「前田利家公役(竹中直人氏)、お松の方役(栗山千明氏)の肖像権保護のため写真撮影・録画及びSNSへの投稿をご遠慮ください」とある。さらに、31日付では「百万石まつり写真コンテストについて」と題して、「昨今、無断でSNSにアップロードするなどの肖像権に関するトラブルが多発しているという意見があることを受け、実行委員会として関係者等と調整した結果、中止の判断にいたりました」。屋外の公道をパレードするタレントに対し、撮影・録画を禁止し、さらに写真コンテストも中止の措置。前回2019年までは可能だったことがなぜ禁止に。

   そもそも、タレントの肖像権はどういう扱いなのか。いわゆる「人格権」としての肖像権はタンレント、有名人、一般人に関わらず誰にでも一律に認められている権利だ。ただ、「財産権」あるいは「パブリシティ権」としての肖像権は一般人には認めらず、タレント・有名人のみに認められている権利となる。では、街角でたまたまタレントをみかけて撮影し、その写真をSNSにアップしたとして、タレントが訴えるだろうか。多くの場合、タレント自身は「有名税」で済ませ、訴えたりはしない。タレント側としても裁判にかかる時間や経費、裁判所への出頭義務などから判断して、自分の写真を無断掲載されたからといって、その都度、告訴はしない。

 
   むしろ、タレントの肖像権をめぐるトラブルはメディアとの間のトラブルだ。社会的反響が大きい場合、肖像が無許諾で使用されることがある。しかし、メディア側は肖像権よりも「国民の知る権利」を背景に公に報道することの方が優越的利益ととらえて掲載する。

   観衆が集まる公道での公の行事でタレントの撮影禁止は誰もが納得いくだろうか。ツイッターで
金沢市議の広田みよ氏が市役所の担当者にこの件を質問した際の回答を載せている。「昨今、無断でSNS投稿するなど肖像権に関するトラブルが多発しているという意見を踏まえ、百万石まつりでは同種のトラブルはこれまで起こってないが、実行委員会として関係者等と調整した結果、お二人の肖像権保護のため、撮影・録画及びSNS投稿をご遠慮いただくこととした」
 
   これまでトラブルがあって、今回はやむなく撮影禁止にしたというのであれば理由がつく。それもないのになぜか。得体の知れない大きな問題がそこに潜んでいたのか。来年も同じ措置が講じられるのであれば、百万石行列は体育館、あるいは県立野球場でクローズの状態で撮影禁止の念書にサインした観衆のみ入れるということになるのではないか。(※写真は、ことしの第71回金沢百万石まつりのPRポスター)
 
⇒8日(水)午後・金沢の天気     はれ

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

★渡り鳥シギが舞い降りる千里浜の風景

   きのう能登半島の「千里浜なぎさドライブウェイ」を久しぶりに車で走行した。波打ち際を車で走ると爽快な気分になる。乗用車やバスで走行できる海岸は世界で3ヵ所と言われる。アメリカ(フロリダ半島)のデイトナビーチ、ニュージーランド(北島)のワイタレレビーチ、そして能登半島の千里浜だ。砂のきめの細かさと、適度に海水を含んで引き締まっていることでビーチが道路のようになる。

   千里浜はもう一つの名所でも知られる。春と秋の波打ち際にシギやチドリといった渡り鳥の群れが次々と降りてきて、人々を和ませる。この日は、シギの一群が舞い降りていた=写真=。渡り鳥はオーストラリアから日本を経由してシベリアを往復する。この季節は、冬場をオーストラリア周辺で過ごした渡り鳥が夏場の産卵のためにシベリアで行うに向かう。その途中に能登半島に立ち寄る。

   シギのお目当ては全長5㍉ほどの小さなエビ、ナミノリソコエビだ。波が引いた砂の上に残るナミノリソコエビを次の波が打ち寄せるまでのごくわずかな時間でついばむ。このエビは環境に敏感なことでも知られる。砂質が粗くなり汚泥がたまると生息できなくなる。逆な言い方をすれば、シギやチドリが舞い降りる海岸はきれいな海のバロメーターでもある。

   いつまでも渡り鳥が舞い降りる千里浜であってほしいと願うが、難題もいくつかある。砂浜の浸食は以前から問題となっている。河川災害を予防するためにつくられた砂防ダムや、コンクリートの護岸が設置されて、陸からの砂が海岸に運ばれなくなった。とくに、金沢港に建設された長い堤防の影響で、砂を含んだ加賀地方からの海流がせき止められて、千里浜への流れが少なくなってしまった。県や関係自治体では2011年に「千里浜再生プロジェクト」を設置して対策を講じてはいる。

   砂浜の浸食だけでなく、能登半島の対岸の国で捨てられたポリタンクやペットボトル、食品トレー、医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着が相次ぐ。海洋プラスティックごみによって、海岸の汚染が懸念される。さらに、地球温暖化による海面の上昇も気懸りだ。気象庁の調べによると、1960年から2020年までの海面水位の変化を海域別に見た場合、北陸から九州の東シナ海側で他の海域に比べ大きな上昇傾向がみられる(気象庁公式ホームページ「日本沿岸の海面水位の長期変化傾向」)。

   海岸の浸食や漂着物、海面上昇によって、ナミノリソコエビの生息環境が失われつつあるのではないか。そんなことを案じながらの、なぎさのドライブだった。

⇒17日(火)夜・金沢の天気     はれ 

☆トキが再び能登の空に舞うとき

☆トキが再び能登の空に舞うとき

   では、能登が放鳥候補地に選定されたとして、トキの生息は可能化なのか。2007年、金沢大学の「里山里海プロジェクト」の一環として、トキが再生する可能性を検証するポテンシャルマップの作成に参加したことがある。珠洲市や輪島市で調査地区を設定した。まず始めたのは生物多様性の調査だった。奥能登には大小1000以上ともいわれる水稲栽培用の溜め池が村落により維持されている。溜め池は中山間地にあり、上流に汚染源がないため水質が保たれている。ゲンゴロウやサンショウウオ、ドジョウなどの水生生物が量、種類とも豊富である。溜め池の多様な水生生物は疏水を伝って水田へと分配されている。

    また、能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富である。また、能登はリアス式海岸で知られるように、平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な食糧を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にあることが分かった。ただ、14年前の調査なので、その後の環境に変化はあるかもしれない。

   2011年6月に「能登の里山里海」が世界農業遺産(JIAHS)に認定されて10年になる。候補地に選定されることで、トキの放鳥が里山里海のあり様を描く次なるメルクマールになるに違いない。

(※写真のトキは1957年に岩田秀男氏撮影、場所は輪島市三井町洲衛)

⇒11日(水)夜・金沢の天気    くもり

☆ところ違えば重宝される「花はハス」

☆ところ違えば重宝される「花はハス」

   庭に「アメリカハッカクレン」が咲き競っている。ちょっと見ただけでは、どこに花があるのか分からない。ハスのような葉の下方に花を付けているので、近くで観察しないと分からない。漢字で表記すると「亜米利加八角蓮」。「八角蓮」は読んで字のごとく、八角形をしたハスの葉という意味のようだ。

   毎年この時節にアメリカハッカクレンを床の間に生ける。普通の生け方ではない。何しろ「蓮」なのだ。尊い花という意味合いの生け方になる。耳付き古銅の花入れ、そして敷板は真塗の矢筈板だ。掛け軸は『柳緑 花紅』(やなぎはみどり はなはくれない)、11世紀の中国の詩人・蘇軾の詩とされる。緑と白が浮かび上がり、凛とした感じで床の間を彩る。

   ハッカクレン はアジアでは中国や台湾が原産とされ、花は赤褐色。アメリカハッカクレンは名前の通り、北アメリカが原産で花の色は白い。学名は「Podophyllum peltatum」。英名で「May apple」。メイアップルは、5月に咲くこの花の後に付く実がリンゴの形に似ているので名付けられたようだ。さらにネットで調べる。ウィシスコン大学マディソン校の公式サイトで以下の説明があった。アメリカでは、山野草として扱われる。アメリカの先住民たちは根茎や根をポドフィルム根といい、下剤や除虫薬として重宝していた。別のサイトによると、悪性リンパ腫などの抗がん剤として研究も進んでいるようだ。   

   アメリカハッカクレンは他の八角蓮とは違って、葉の形がそれほど大きくないことから、茶花として重宝される。ふと思った。北アメリカでは単なる山野草なのだろう。しかし、日本では仏教の花「蓮」として格式高く扱われる。床の間の様子を北アメリカの人々が見たらとても不思議に思うかもしれない。メイアップルは日本では「聖なる花」なのだ、と。

⇒28日(木)夜・金沢の天気       くもり

☆やっかいな黄砂 めぐみの黄砂

☆やっかいな黄砂 めぐみの黄砂

    黄砂の季節だ。気象庁公式サイトの「黄砂情報」をチェックすると、あす27日午前中から日本海に黄砂が張り出して、午後3時ごろには北陸などが覆われる=写真=。日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で、風で砂が舞い上がり、偏西風に乗って極東アジアにやってくる。黄砂と同時に大陸の工場などから排出されたPM2.5(微小粒子状物質)も飛散してくるからやっかいだ。

   この時季、野外の駐車場に車を停めておくと、フロントガラスが白くなり、ガソリンスタンドで列について洗車をする。洗濯物も部屋干し。そして、外出してしばらくすると目がかゆくなることがある。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすとされる。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

   黄砂はやっかいだが、こんな側面もある。黄砂に乗って浮遊する微生物、花粉、有機粉塵などは「黄砂バイオエアロゾル」と呼ばれる。金沢大学のある研究者は発酵に関連する微生物がいることに気づき、採取したバチルス菌で実際に納豆をつくり、商品化した。この納豆の試食会に参加させてもらったが、日本の納豆文化はひょっとして黄砂が運んできたのではないかとの解説に妙に納得したものだ。

   また、大量の黄砂が日本海に注ぐことになる。3月、4月に「ブルーミング」と呼ばれる、海一面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促されるのだ。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという食物連鎖があるとの研究もある。地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜブリやサバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、いろいろ要因もあるが、黄砂もその役割を担っているのかもしれない。

⇒26日(火)夜・金沢の天気     あめ

★庭に咲き競う「白花の妖精」たち

★庭に咲き競う「白花の妖精」たち

   庭にイチリンソウ(一輪草)が白い花をつけている=写真・上=。いつの間にと思わせるほど一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける。「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるのもうなづける。花言葉は「久遠の美」。素朴な花の姿は昔から愛でられてきた。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こす、とか。その経験はないが。

   木陰ではシャガ(著莪)も白い花を咲かせている=写真・中=。花には青色の斑点がいくつも入り、中心部分が黄色く色づいている。ネットで調べると、原産地は中国東部からミャンマーといわれ、古くに日本に持ち込まれた帰化植物のようだ。もともと根茎は薬草で、生薬名は「シロバナシャカン(白花斜干)」と呼ばれている。喉に痛みが生じる扁桃腺炎などを抑える作用があるようだ。意外なことだが、花言葉は「反抗」。葉先は鋭い剣のよう、そして日陰に花を咲かせる姿にちなんでそのように言葉が付されたようだ。

   スノーフレーク(鈴蘭水仙)もスズランのような釣鐘型の白い花を咲かせている=写真・下=。雪がちらちらと落ちる様子にも見えるので、「snowflake」(雪片)と名付けられたのだろうか。原産地は東ヨーロッパだ。葉など外観がニラと似ているため、ニラの近くではスノーフレークを栽培しないように呼び掛けている自治体もある(広島県公式サイトなど)。有毒なアルカロイドを含有しているため、誤食すると吐気や下痢などの症状が出るようだ。花言葉は「純潔」「汚れなき心」。庭に咲き競う花を愛で、きょうという日を楽しむ。

⇒20日(水)午後・金沢の天気     はれ

★馳浩知事は「ジャイアントスイング」な地域活性化を

★馳浩知事は「ジャイアントスイング」な地域活性化を

   石川県の新知事、馳浩氏がきのう28日に初登庁した=写真=。今月13日の知事選では前金沢市長の山野之義氏を7982票の僅差で破り激戦を制した。馳氏の政治家人生は実にドラマチックだ。

   馳氏は母校の星稜高校で国語の教員をしていたときにロサンゼルス・オリンピック(1984年)のレスリング競技グレコローマンスタイルのライトヘビー級に出場。予選敗退だったものの、高校教諭でありオリンピック出場選手として県民は誇りに感じたものだ。それが一転、翌年85年にジャパンプロレスに入り、87年には新日本プロレスに入団してリングで戦う。北陸の精神風土は保守的だ。県民の多くは「教員辞めて、タレントになり下がった」という思いで受け止めていたのではないだろうか。

   そのタレント性を政治家として引き出したのが当時、自民党幹事長だった森喜朗氏だった。1995年7月の参院選で石川選挙区に森氏からスカウトされて立候補し、民主改革連合の現職を破り当選した。その後、タレント議員の巣窟のように称されていた参院から鞍替えして、2000年6月の衆院選で石川1区から出馬。かつての森氏と奥田敬和氏の両代議士による熾烈な戦いは「森奥戦争」とも呼ばれた。その代理選挙とも称された選挙で、民主党現職で奥田氏の息子・建氏を破る。しかし、03年11月の衆院選では奥田氏に敗れる。比例復活で再選。05年9月の衆院選では奥田氏を破り3選。プロレスラーは続けていたが、05年11月に文部科学副大臣に就いたので、政治家が本業となり、06年8月に両国国技館で引退試合を行った。

   その後も「森奥代理戦争」は続く。民主党が政権を奪取した09年8月の衆院選では奥田氏に敗れるも、比例復活で4選。12年12月の選挙では奥田氏を破り5選。14年12月の衆院選では、リタイヤした奥田氏に代わって立候補した民主党の田中美絵子氏を破り6選。2015年10月には文科大臣に就任し、翌16年8月まで務めた。ここまで実績を積み上げると、石川県における政治的な地位は不動となるとなり、17年4月には自民党県連会長に就任。同年10月の衆院選では田中氏を大差で破り7選。そして、21年7月に来る知事選への意欲を見せ、次期衆院選に出馬しないことを表明した。

   では、馳氏の政治手腕とは何か。結論から述べると、提案型ではない。面倒見のよさなのだ。地域から課題が持ち込まれるとそれと徹底して向き合う姿勢だ。その話を聞いたのは、奥能登・珠洲市の泉谷満寿裕市長からだった。奥能登国際芸術祭(2017、2021年)を開催するにあたって、馳氏に相談を持ち掛けたところ、「文化庁との連携や国からの支援など、選挙区でもないのによく面倒を見てくれた」と。ちなみに、当時の馳氏の選挙区は石川1区(金沢市)、能登は3区。

   確かに、馳氏は知事選で真新しい選挙公約を掲げたわけでもない。むしろ、徹底した面倒見のよさを発揮させることが県政を盛り上げることになるのかもしれない。県政として新たな方針を打ち出すより、珠洲市のように県内の各自治体から地域創りや地方創生の本気度を引き出し、理にかなったものであれば県政として徹底的に面倒を見るという施策が必要だ。

   馳氏はプロレスラー時代、ジャイアントスイングが得意技だった。相手の両足を抱え込んで振り回し、放り投げるあの技だ。やる気のない県内自治体にジャイアントスイングをかける意気込みで県政を活性化させてほしいと願う。

⇒29日(火)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

★カニカマや大豆ミート  代替食品に手を伸ばす不思議

★カニカマや大豆ミート  代替食品に手を伸ばす不思議

   日本酒のつまみにカニカマを重宝している。ラップを外してそのまま箸でつまんで食べる。なんとなくカニの風味のあの味は酒の旨みをじゃましない。最近はスパークリングワインや白ワインのグラスの傍らにも置いている。

   この商品が世に出回ったころは高校時代だった。金沢で下宿をしていて、近くの食料品店で買って、おやつ代わりに食べていたことを思い出す。もう50年前のことだ。なぜそのようなことを覚えているのかと言うと、生まれ育った能登の水産加工会社「スギヨ」(七尾市)で開発された商品ということで印象深かった。

   ただ、正直言うと当時の若者言葉で「だっさい」、あかぬけしない商品だった。というのも、当時は「かにあし」という商品名で、細かく身をほぐしたような中身だった。いま販売されているようなカニの脚を模した標品ではなかった。風味はカニだが、商品イメージはカニとは異なった。当時のテレビCMも「カニようでカニでない・・」というちょっと言い訳がましいCMだったが、そのキャッチフレ-ズが話題を呼んだ。おそらく当時は「カニまがい商品」「インチキ」などとクレームが来て、スギヨはそれを逆手に取ってCMに仕立てたのではないだろうか。

   あれから半世紀、金沢のスーパーでは本物の香箱ガニの脚を再現したスギヨの『香り箱』という商品は練り物コーナーではなく、鮮魚コーナーに陳列されている。消費者は本物のカニではないと知りながらこの商品に手を伸ばす。不思議な食材ではある。

   さらに、肉もカニカマ化しているのかもしれない。「大豆ミート」「ソイミート」という商品がスーパーやコンビニ、ドラッグストアの棚に並んでいる。大豆を原材料とした肉のような加工食品だ。この商品も以前から商品として開発されていた。その後、発芽させた大豆を原料にすると、アミノ酸やビタミン、糖類などの栄養素が増えて肉の成分と似てくることから商品開発が進んだ。健康志向や環境問題への関心の高まりもあって、いまでは棚の一角を占めるようになっている。唐揚げ、炒め物、ハンバーガー、肉まんなど種類も豊富だ。

   カニや肉だけではない。「マツタケの味」の吸い物も商品化されている。日本人はこうした代替食品に違和感を持たない、考えてみればこれも不思議だ。

⇒9日(水)午後・金沢の天気     はれ

★晴れ間に浮かぶアートっぽい雪中の景色

★晴れ間に浮かぶアートっぽい雪中の景色

   北陸に降っていた雪もけさ午前8時過ぎには止んで青空が見えてきた。大雪は峠を越えたようだ。先ほど自宅周囲を物差しで測ると積雪は35㌢だ。きのうより8㌢かさ上げしている。晴れ間の庭の様子を撮影してみた。

   玄関で面白い文様が描かれている。玄関には横線が幾重にも入った門扉がある。日差しがその横線を雪面に映している=写真・上=。現代アートのようにも思えるが、見ようによってはシマウマが寝そべっているようにも。

   雪吊りが施されたウメの木。かなりの老木なのだが、雪吊りに支えられて枝を保っている。その下にはイチイの木が植わっている。ふだんはウメを見て、イチイの木を別々に見ている。そこに雪が被ると、一体に見える。まるで、白い衣装をまとったバレリーナが踊っているかのように錯覚した=写真・中=。

   雪中の芸術といえば、やはり雪吊りと樹木、そして雪のマッチィングではないだろうか。青空を突きさすように伸びた雪吊りの先、そして天を上るような雲のようにも見える枝葉に積もった雪=写真・下=。雪吊りで代表的な「りんご吊り」で、五葉松などの高木に施される。木の横に孟宗竹の芯(しん)柱を立てて、柱の先頭から縄を17本たらして枝を吊る。パラソル状になっているところが、アートのように見える。と同時に「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった樹木への雪害を防いでくれている。

   この時節、周囲の庭木の雪吊りを眺めながら、スコップで雪すかし(除雪)をする。玄関前の雪を側溝に落とし込む。ちょっとした運動でもある。晴れ間に雪中のアートっぽい景色を楽しみながら、35㌢の積雪と向き合う。

⇒7日(月)午前・金沢の天気     はれ

☆「光で再生した古い家」と「金継ぎの皿」

☆「光で再生した古い家」と「金継ぎの皿」

   能登半島の珠洲市で開催された「創造都市ネットワーク日本(CCNJ)現代芸術の国際展部会シンポジウム」の続き。2日目(最終日)はバスで常設作品を見学するエクスカーションだった。印象的だったのは中島伽耶子作『あかるい家   Bright  house』。珠洲は珪藻土で屋根瓦や七輪などを生産する工場がいまもある。使われなくなった相当古い戸建ての事務所に入ると、まるで銀河の世界のようだった=写真・上=。外壁や屋根に無数の穴が開けられていて、穴から太陽光が差し込んでくる。

    よく見ると、穴の一つ一つには穴と同じ直径の透明の円柱のプラスチックが埋め込まれていて、雨や風などが入ってこないように工夫されている。それにしても、星空のごとく無数の穴を創るだけで相当の労力だ。柱や梁がしっかりと造られているものの、古いこの家をアートとして再生させた作家のモチベーションを聴きたくなった。

   6作品をめぐるエクスカーションの最後は「スズ・シアター・ミュージアム『光の方舟』」。このミュージアムのコンセプトは「大蔵ざらえプロジェクト」。半島の尖端にある珠洲は古来より農業や漁業、商いが盛んだったが、当時の民具などは時代とともに使われなくなり、その多くが家の蔵や納屋に保管されたまま忘れ去れていた。市民の協力を得て蔵ざらえした1500点を活用し、8組のアーティストと専門家が関わって博物館と劇場が一体化した劇場型民俗博物館としてミュージアムがオープンした。日本海を見下ろす高台にある廃校となった小学校の体育館だ。

   奥能登は「キリコ祭り」という伝統的な祭り行事がいまでも盛んで、人を料理でもてなすことを「ヨバレ」と言う。そのヨバレで使われたであろう古い食器などが展示されているコーナーを見学した。目に止まったのが「金継ぎ」の大皿だった=写真・下=。松の木とツルとカメの絵が描かれ、めでたい席で使われたのだろう。それを、うっかり落としたか、何かに当てたのだろうか。中心から4方に金継ぎの線が延びている。

   東京パラリンピックの閉会式でアンドリュー・パーソンズ会長が発した言葉を思い出した。器のひび割れを漆と金粉を使って器として再生する日本の金継ぎの技術について、「不完全さを受け入れ、隠すのではなく、大切にしようという発想であり素晴らしい」と述べて、金継ぎという言葉が世界でもトレンドになった。

   この家の大正か昭和の初めのころの皿だろうか。金継ぎの皿からその家のにぎわいやもてなし、そして「もったいない」の気持ちが伝わる家風まで見えてきたような思いだった。

⇒23日(日)夜・金沢の天気        くもり