⇒トピック往来

★「絵になる」イカキング その宣伝効果と経済効果

★「絵になる」イカキング その宣伝効果と経済効果

   この巨大なイカの像はすっかり観光名所になった。愛称は「イカキング」。イカ類の水揚げ量では全国で有数の漁港がある石川県能登町小木の観光交流センター「イカの駅つくモール」の広場に去年4月、突如として現れて話題になった。スルメイカの巨大モニュメントは全長13㍍、全幅9㍍、高さ4㍍、重さは5㌧のサイズだ。素材は航空機などに使う繊維強化プラスチックのFRP製。子どもたちが中に入って遊んだり、大人たちが写真を撮ったりと、けっこう人気がある。

   一方で物議も醸した。制作費2700万円のうち、2500万円が新型コロナウイルスの感染症対応として国が自治体に配分した地方創生臨時交付金だった。町役場には「コロナ対策に使うべき交付金ではないか。なぜモニュメントをつくるのか」と疑問の声が寄せられた。町役場では、臨時交付金には「地域の魅力磨き上げ事業」という項目があり、それに該当すると説明を重ねてきた。

   果たして「地域の魅力磨き上げ」効果はあったのか。町役場はきょう30日、ホームページに「能登町イカキング効果算出プロジェクト報告資料」と題するページにアップした。それによると、経済効果を5億9400万円、国内のテレビ報道における宣伝効果(パブリシティ効果)を約18億円と算出している。町役場では公募に応じた経営コンサルティング会社(東京)の男性社員の協力を得て作業を進めてきた。

   ことし6月から8月にかけて来場者にアンケートを実施。来場理由を尋ねると、総数1125人のうち45%に当たる506人が「イカキングを見たかったから」と答えた。この数字をベースに、レジ利用者数から入場者数(去年4月からことし7月まで)を16万4556人と推計。うち45%の支出額などを算定すると、上記の5億9400万円という数字になる。

   宣伝効果は国内のBSやケーブルテレビを含むテレビ番組でイカキングが取り上げられたのは36回、時間にして158分となる。これをテレビコマーシャルとして換算し、約18億円と見積もった。

   また、アンケートで来場のきっかけを尋ねたところ、「テレビ」が31%と最も多く、「家族・友人・知人からの口コミ」22%、「ネット検索」16%、「新聞・チラシ」8%、「SNS」7%の順だった。町役場では「SNSをきっかけとした来場が少なかった。SNSに投稿したくなるさらなる仕掛けが必要」と分析している。

   確かに、イカキングは「コロナ後」を見据えて、さらにPRする必要がある。その期待に応えてくれるのはインバウンド観光客かもしれない。欧米ではタコやイカはデビルフィッシュ(Devilfish)、「悪魔の魚」にたとえられ、巨大化したタコやイカと闘うアメリカ映画もある。その意味で、これから日本を訪れるであろうインバウンド観光客や留学生にとって、SNSに投稿したくなる、「絵になる」のがイカキングではないか。

⇒30日(火)夜・金沢の天気     くもり

★能登の縁 あの歌手、テニスプレーヤー、漫画家

★能登の縁 あの歌手、テニスプレーヤー、漫画家

   まったくの余談になる。今月23、24日に学生たちの「能登を学ぶスタディ・ツアー2022」に同行し、能登半島を一周した。その中で、能登にある地名や看板がバスの中で話題になった。国の史跡「雨の宮古墳群」は眉丈山(標高188㍍)の山頂にあるが、その山のふもとには中能登町一青(ひとと)という地名がある。そう、あの歌手で作詞家の一青窈の先祖の地でもある。台湾人の父とこの町出身の母親の間で生まれた。

   一青窈のヒット曲に『ハナミズキ』という曲がある。そして同町には花見月(はなみづき)という地名の田園地帯が広がる。「づ」と「ズ」の違いはあるものの、発音は同じなので、『ハナミズキ』は母親の故郷にちなんだ曲なのかとも連想した。この件を町役場のスタッフに問い合わせたことがある。すると、「その話はこの地を訪れた人からよく尋ねられるのですが、以前ご本人に確認したところ、偶然ですという回答で、花見月を想定した曲ではないとのことでした」との返事だった。町内を走るJR七尾線の金丸駅や能登部駅、良川駅、能登二宮駅などでは、列車の接近を告げるメロディとして、この曲が流れる。

   能登町には神和住(かみわずみ)という地名がある。その近くには天坂(てんざか)という地名もある。これらの地名から、「天の坂を登りて、神が和して住む」とまるで天国をイメージさせるようなスピリチュアルな響きがある。日本人として初めて全米オープン(1973年)で3回戦へ進み、日本プロテニス界 のパイオニアと呼ばれた神和住純氏の故郷だ。

   能登町は軟式テニスが盛んな地で、両親はテニス通じて知り合い、神和住氏が生まれた。その後、両親とともに東京に転出する。神和住の地名の縁、さらに父親が同町出身ということもあり、神和住氏は「能登町ふるさと大使」となって、テニスの町をPRしている。1999年から同町内では本人も参加して「神和住エンジョイテニス大会」が開催されている。新型コロナウイルスで感染拡大で2年連続で中止だったが、ことし10月に3年ぶりに開催されるようだ。

   地名ではないが、輪島市内をバスで移動中に「永井豪記念館」の看板が学生たちの目に止まった。一人が「あの『マジンガーZ』や『キューティーハニー』の永井さんですよね」と。漫画家・永井豪氏の記念館は出身地である輪島市河井町の朝市通りある。2009年に自治体が信用金庫の空き店舗を買い取り整備したものだ。

   以下、正直な話。今から40年前、自身は新聞記者として輪島支局に赴いた。当時の永井豪氏の作品のイメージは、『ハレンチ学園』などギャグ漫画や、『デビルマン』などテレビアニメ作品だった。地元の人たちは永井氏が輪島出身ということを知ってはいたが、当時それを土地の自慢話として語る人はほとんどいなかった。むしろ、ローマオリンピックなどで銀メダルを獲得した競泳の山中毅選手の話はよく聞いた。

   評価が一転したのは日本のアニメが海外で大ブームとなり、永井氏の『UFOロボ グレンダイザー』などがヨーロッパで人気を博した。こうなると地元輪島でも世界の漫画家として評価が高まった。これが、永井豪記念館の設置へと動いた。その後、永井氏は2019年、フランス政府から芸術文化勲章「シュバリエ(騎士)」が贈られた。永井氏の作品は美術館で展示されるようになった。

   追記。演歌歌手の新川二朗氏が今月22日に亡くなった。能登半島の入り口に位置する宝達志水町の出身。自身が小学生の頃、テレビで流れていたあの名曲『東京の灯よいつまでも』は見よう見まねでよく歌ったものだ。初めて歌ったの演歌がこの曲だったかもしれない。享年82歳。

⇒25日(木)午後・金沢の天気    あめ

☆伝統の「くず湯」、ツアーの締めくくり

☆伝統の「くず湯」、ツアーの締めくくり

   前回の続き。「能登を学ぶスタディ・ツアー2022」の二日目は里山里海の生業(なりわい)と生物多様性がテーマだった。最初の訪れたのは、穴水町にある「能登ワイン」が運営するブドウ畑とワイナリー。能登の赤土(酸性土壌)はブドウ畑に適さないと言われてきたが、同社では畑に穴水湾で養殖されるカキの殻を天日干しにしてブドウ畑に入れることで土壌が中和され、ミネラルが豊富な畑となり、良質なブドウの栽培に成功している。栽培面積は委託も含めて24㌶におよぶ=写真・上=。

   白ワイン(シャルドネ)、赤ワイン(ヤマソービニオン)は国内のワインコンクールで何度も受賞している。また、最近では、8千年以上の長い歴史を持つワイン発祥の国、ジョージアの代表的な土着品種、サペラヴィの栽培に成功し、赤ワインを製品化している。ただ、温暖化のせいでシャルドネの栽培量が減少しているという。穴水湾のカキとシャルドネのワインがとても合うと人気だけに、現場も苦慮している。

   次に訪れたのが七尾市能登島の「のとじま水族館」。この水族館では500種4万点を展示しているが、その9割が能登の海で定置網などで捕獲された生きもの。その中でスーパースターがジンベエザメ=写真・中=。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気がある。それにしても、この水族館ではプランクトンから海草、イルカ、そしてジンベエザメにいたるまで見学できる。まさに、海の生物多様性の博物館だ。

   最後に能登で一番高い山でもある宝達山(ほうだつざん、637㍍)のふもとの里山集落を訪れた。宝達山には旅するチョウ「アサギマダラ」が飛来することでも知られる。そして、この山はかつて加賀藩の金山だった。記録では天正12年(1584)に開山し、崩落事故が起きた寛永5年(1628)まで続いた。全国から鉱山開発や土木技師などのプロがこの地に集められ、「宝達集落」が形成された。

   金鉱で働く者たちの健康を支える漢方薬として当時から重宝されたのが「宝達葛(くず)」だった。山に自生するくずの根を掘り出し、デンプンを取り出して精製したもので、くず粉はまさに純白に輝く=写真・下=。いまでも、その独自の製法は地域の人たちに受け継がれている。地元の人たちから宝達葛の「くず湯」の振る舞いがあった。初めて口にした。とろりとしたほのかな甘さに伝統の味を感じながら、ツアーを締めくくった。

⇒24日(水)夜・金沢の天気   くもり

★夏の夜のキリコ祭り、ここに能登ある

★夏の夜のキリコ祭り、ここに能登ある

  きょうから金沢市内の学生たちと能登をめぐるツアーに出かけた。題して「能登を学ぶスタディ・ツアー2022」。一日目は歴史と伝統的な祭り、アート作品など多様な能登の側面が学びのテーマだった。

  最初に訪れたのは国史跡「雨の宮古墳群 」(中能登町)=写真・上=。文化財の学芸員から解説を聞いた 。北陸地方最大級の前方後方墳と前方後円墳が隣接する。4 世紀から5世紀(弥生後期)の古墳で、眉丈山の山頂にある。邑知(おうち)地溝帯と呼ばれる穀倉地帯を見渡す位置に古墳はある。能登の王は自ら開拓した穀倉地を死後も見守りたいという思いで山頂にピラミッドを築いたはなかったか。

   この地域は能登における稲作文化の発祥の地でもある。1987年、雨の宮古墳近くにある「杉谷チャノバ タケ遺跡」の竪穴式住居跡から、黒く炭化したおにぎりが発掘された。化石は約2000年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりと話題になった。稲作とともに仏教などの文化ももたらされ、奈良時代の718年に「能登国」が置かれることになる。雨の宮古墳群はそうした能登の歴史を刻むルーツの一つでもある。

   学生たちが目を輝かせたのは、珠洲市で去年開催された「奥能登国際芸術祭2020+」の展示作品だった。予約によって鑑賞が可能な作品の中から主に3つを選んだ。一つは、「スズ・シアター・ミュージアム『光の方舟』」。家の蔵や納屋に保管されたまま忘れ去られていた民具1500点を活用し、8組のアーティストと専門家が関わって博物館と劇場が一体化した劇場型民俗博物館をオープンした。音、光、民具がアートとなって見る側に感動をもたらす。

   芸術作家・山本基氏の作品『記憶への回廊』は旧・保育所の建物にある。真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれる。奥の遊戯場には塩という素材を用いた立体アートが据えられている=写真・中=。かつて、園児たちの声が響き、にぎわったこの場所は地域の人々の幼い時の記憶を呼び起こす。金沢美術工芸大学の教員・学生60人余りで市内の広々とした旧家の屋敷を借りて、作品を展示している。客間に能登産材の「アテ」(能登ヒバ)を持ち込み、波と手のひらをモチーフに全面に彫刻を施したもの。学生らがチェーンソーやノミでひたすら木を彫り込んだ力作に圧倒される。

   夜は「輪島大祭」を見学に行った。市内の重蔵神社の境内ではキリコが4本立てられ=写真・下=、太鼓や鐘の音が町なかに響き渡っていた。新型コロナウイルスの感染拡大で今年は3年ぶりの開催。ただ、コロナ禍は続いているので、本来ならば20本のキリコが巡行するが、4本に簡略化された。それでも、子どもたちの威勢の良い太鼓打ちに学生たちは圧倒されていた。夏の夜のキリコ祭り。ここに能登ある。

⇒23日(火)夜・金沢の天気    くもり

★ジンベエザメと能登の海、そして水族館の共生

★ジンベエザメと能登の海、そして水族館の共生

   きのう(19日)オンラインでの講演会があり参加した。テーマは「能登の海の魅力とジンベエザメ」。のとじま臨海公園水族館の展示・海洋動物科長、加藤雅文氏が講演した。のとじま水族館は能登近海に回遊してくる魚類などを中心に500種4万点を展示している。その9割は能登の海で獲れたもの。水族館のスターは何と言っても、ジンベエザメだ。

   加藤氏の講演は、日本海を俯瞰する話から始まった。世界の海の広さから見れば、日本海は面積では0.3%に過ぎない。陸に囲まれているという立地から陸から流れてきた栄養分などが海底に積もっている。栄養素から植物プランクトンが発生し、動物プランクトン、そして多様な海洋生物が育まれる食物連鎖がある。地球規模から見れば、小さな海にブリやサバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのはそのためだ。

   能登半島をめぐる海の特徴として3つある。能登半島は海に突き出ているため、対馬海流の影響を受ける。塩分濃度が高く、時速4㌔の水流、そして暖海性の海洋生物が海流に乗って北上してくる。富山湾は岸から近い距離で一気に深くなり、1200㍍の水深となる。この「海底の谷」が海洋生物のかっこうの住処(すみか)となる。海そうが生い茂る場所を「藻場」と呼ぶが、能登半島は日本最大級の藻場の分布域でもある。この藻場によって、水質の浄化や生物多様性の維持、海岸線が保全される。

   こうした能登の海で、のとじま水族館は定置網漁などの漁業者と協力して、展示する海の生きものを得ている。2016年から5年間で漁業者から入手した生きものは598種類5万3117匹に上る。このうち、タケウツボやアオイガイ、ユウレイイカ、マンボウ、カスザメ、イトマキエイなど1匹しから見られない希少種も121種類あった。

   ジンベエザメの場合は、定置網で捕獲されると漁業者から連絡があり、スタッフが現場に向かう。定置網でのジンベエザメの大きさなど目測する。水族館の水槽は円形で高さ6.5㍍、直径20㍍ある。エサを与えると、ジンベエザメは立ち泳ぎして食べるので、体長が6㍍を超えるジンベエザメは水槽の底に尾ひれが触れてしまう。そこで、体長4.5㍍から5.5㍍のものでないと、水族館では引き取ることができない。

   スタッフが「じんべい丸」と呼ぶ、ジンベエザメ専用の細長い水槽を沖合に持って行き、定置網からこの水槽に入れる。じんべえ丸を陸揚げして水族館に運び、ジンベエザメ展示館の屋根に付けてある扉を開け、クレーン車で吊り上げて、そのまま降ろすと展示用の水槽に入る。

   水槽に入ったジンベエザメに対し、スタッフは「健康管理」と「馴致(じゅんち)」という作業を行う。健康管理は外傷の有無や遊泳行動の観察、そして血液性状の検査を御行う。馴致は水槽という環境になれさせるという意味で、水槽という環境に順応させるように最初はスタッフも水槽に潜り、いっしょに行動する。摂餌はエサやりの方法や場所をなれさせる。健康管理のため、定期的に採血も行う。

   ジンベエザメは体の大きさの割には威圧感がない。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気がある。ジンベエザメがいるので入館者数も増える。体長が6㍍になると、GPS発信機をつけて再び海に放す。回遊経路などがこれによって調査される。

   能登の海と水族館、そしてジンベエザメが共生する関係性が実によく見えた講演だった。

⇒20日(土)午前・金沢の天気   あめ

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

☆「札キリコ」と「祭りキリコ」のこと

   石川県内ではきょう新たに確認された新型コロナウイルス感染者は1995人となった(石川県庁公式サイト「医療・福祉・子育て」)。今月10日から12日までは2000人台に達していて、最多レベルの感染が続く。このような中、お盆の時季でもあり、金沢の街中や道路などは混雑している。3年ぶりに行動制限のないUターンラッシュだ。

   きょう金沢市の南隣の野々市市と北隣の津幡町へ親戚の墓参に行ってきた。近隣であってもお盆の風習に違いがある。金沢市は7月中旬の新盆、野々市市と津幡町は旧盆での墓参りが多い。

   時季だけでなく、墓参りの仕方にも違いがある。金沢の場合は「札キリコ」を持参する。墓の前に札キリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は棒か紐につるす。札キリコには宗派によって、例えば浄土真宗の墓地ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」には墓参した人の名前を記す=写真・上=。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。

   これに対し能登・加賀では、札キリコを持参する風習はないが、墓参りの後にその家を訪ねて仏壇にも合掌をする。直接顔を見せる能登・加賀と、名前を札キリコに書き置きする金沢の違いがある。むしろ、金沢の方が独特なのかもしれない。以前、お寺の関係者から聞いた話だが、札キリコは江戸時代からあり、金沢では武家の間だけの風習だった。名刺代わりに札キリコに名前を書いて墓参した。それが、明治以降は庶民に広がったという説だった。

   キリコはもともと切子灯籠(きりことうろう)と呼ばれていて、行灯(あんどん)のようなカタチをしていた。金沢では、札キリコとしてコンパク化して名刺の役割を持つようになった。一方、能登ではキリコは巨大化した。能登各地で伝統的に催される夏祭りと言えば、祭りキリコ=写真・下=。神社の神輿の先導役として集落を練る。

   この祭りキリコは高さ10数㍍のものもあり、若集が数十人で1基を担ぎ上げる。鉦(かね)や太鼓が備えられ、祭りキリコが動き出すとにぎやかになる。では、なぜ巨大化したのか。祭りキリコは集落のシンボル的でもあり、輪島塗で装飾を施し豪華さを、あるいは、大きさを誇示することを繰り返して巨大化したとも言われる。

   「札キリコ」と「祭りキリコ」はもともと切子灯籠。地域によって用途が異なり、また独自の大きさとカタチに変化した。切子灯籠の進化論ではある。ただ、ルーツは同じなので「札キリコ」と「祭りキリコ」のカタチはなんとなく似ている。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

☆世界遺産めざす「佐渡金山」の価値とは

   ユネスコ世界文化遺産への登録を目指す「佐渡島の金山」をめぐって、ユネスコ側から推薦書類の不備が指摘され、来年の登録が困難になっている問題。さらに、霊感商法や献金強要によって巨額の金を集めが問題となっている「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)の名称変更をめぐる問題。所管する文科省と文化庁にとってはダブルパンチに違いない。

   去年10月、佐渡市で世界農業遺産(GIAHS)認定10周年記念フォーラムが開催され、個人として参加した。国連食糧農業機関(FAO)から2011年6月、日本で初めて佐渡と能登がGIAHS認定を受け、10年経ったことを記念するイベントだった。2泊3日のスケジュールの最終日にはエクスカーションがあった。

   ツアーのテーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。佐渡の金山跡に入ると、ガイドの女性が詳しく説明してくれた。島内には55の鉱山があり、江戸時代から約390年間に産出された金は78㌧、銀は2330㌧に上った。佐渡金山は幕府直轄の天領として奉行所が置かれ、金銀の採掘のほか小判の製造も行われた。鉱山開発の拠点となった佐渡には国内各地から山師や測量技術者、労働者が集まった。最前線で鉱石を掘ったのは、「金穿大工(かなほりだいく)」と呼ばれた採掘のプロだった。

   鉱山特有の難題があった。地下に向かって鉱石を掘れば水が湧き出るため、放っておけば坑道が水没する。そこで、手動のポンプ「水上輪(すいしょうりん)」が使われた。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したとされるポンプを応用したもので、ヨーロッパで開発されたものが幕府経由で佐渡にもたらされた。水を汲み上げて排水溝に注ぐ水上輪だが、ハンドルを回すのは相当な力仕事。水上輪だけでなく、桶でくみ上げる作業も必要となる。そうした坑道の排水作業は「水替人足(みずかえにんそく)」の仕事だった。

   そこで、ガイドの女性に質問した。「水替人足はどんな人たちだったのですか。島流しの人たちですか」と。すると、ガイドは「佐渡金山は流刑の地ではありません。水替人足は無宿人(むしゅくにん)と呼ばれた人たちが行いました。無宿人は凶作や親から勘当を受けるなどさまざまな理由で故郷を離れ江戸や大阪にやってきた人たちで、江戸後期(安政7年=1778)から幕末までの記録で1874人が送られてきたそうです」と。重い罪で島流しになった「流人」とは異なる人たちだった。

   島の農民はコメに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能も盛んになった。現在でも島内に能舞台が33ヵ所もあり、国内の能舞台の3分の1が佐渡にある計算だ。

   世界文化遺産「佐渡島の金山」として申請対象になっているのは「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2ヵ所。金銀の生産体制と技術に関して道具や記録、そして採掘された坑道が記録として残っている。さらに、鉱山と集落が「遺跡」として一体化して現存していることで世界遺産の価値が高まる。

   申請で問題もあった。対象時期を「戦国時代末~江戸時代」とした点だ。これまで報道があったように、この鉱山に戦時中、朝鮮半島からの人たちが強制労働をさせられたと韓国側からクレームがあった。もし、そのような歴史があるのであれば、無給で強制だったのか、有給だったのか、労働条件・待遇など、文書など記録を記載して、再申請すればよいのではないか。

   明治・大正、そして戦時下を経て、平成元年(1989)に資源枯渇のため長い歴史の幕を閉じた。最盛期の江戸時代だけではなく衰退に向かう歴史的事実もすべて説明したほうがよいのではないか。世界文化遺産は栄枯盛衰の歴史そのものに価値があるのではないだろうか。

⇒3日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆伊勢神宮で連綿と伝わる朱鷺色の美学

☆伊勢神宮で連綿と伝わる朱鷺色の美学

   東京にある地名の「赤羽」はトキの生息地が由来かもしれない。そんな話を聞いて、なるほどと目からウロコだった。先日(24日)、能登半島の七尾市で「能登地域トキ放鳥推進シンポジウム」があり、参加した。石川県は環境省が進めている国の特別天然記念物のトキの本州などでの放鳥場所について名乗りを上げていて、シンポジウムは能登地域トキ放鳥受入推進協議会(会長・馳浩県知事)が主催した。

      シンポジウムが開催された場所は、七尾市田鶴浜地区コミュニティセンターホール。田鶴浜は地名で、海辺の田んぼにツルが舞い降りるとしてつけられた縁起のよい地名でもある。

         基調講演で上野動物園の元園長、小宮輝之氏がトキの生態や人工飼育の歴史や現状について述べた。翼を広げて飛ぶトキを下から見上げると、朱鷺色と称される赤っぽい色をしている。江戸時代に書かれた文書には「紅鶴 千住」と書かれている。紅鶴は現代ではフラミンゴを意味するが、江戸時代に田んぼが広がっていた千住にトキをいたと考えられる。冒頭の赤羽もトキに由来する地名ではないかとの小宮氏の説だ。 

   そして紹介されたのは、葛飾北斎が描いた『富嶽百景』の中の「写真の不二」。トキのような鳥が柱のてっぺんに止まって、富士山を眺めている様子が描かれている。

   さらに聞き入ったのは、伊勢神宮の神宝とされる「須賀利御太刀(すがりのおんたち)」に、トキの羽根が飾られていることだった。太刀は平安時代の法令「延喜式」で、柄にトキの尾羽をまとまわせるように記されているという。太刀は20年ごとの式年遷宮で調製される御装束神宝の一つで、平成25年(2013)に新調された太刀は、いしかわ動物園で飼育されいるトキの自然に生え換わった尾羽が使用されたとの小宮氏の説明だった。千年以上も前から、トキの羽に美学を感じ尊んできた人々のものづくりの感性には驚くばかりだ。

   写真は、東京国立博物館で開催された第62回式年遷宮記念特別展「伊勢神宮と神々の美術」(2009年7-9月)の図録から。須賀利御太刀の柄の部分には、上下にはトキの尾羽2枚が緋色(ひいろ)の撚糸(よりいと)でまとってある。太刀は昭和4年(1929)のもの。

⇒26日(火)午後・金沢の天気     はれ

★セミの合唱 祭りの心意気が夏を呼ぶ

★セミの合唱 祭りの心意気が夏を呼ぶ

   ようやく夏らしさを感じた。きのう庭先で雑草の草むしりをしていると、「ジージー」というセミの鳴き声が聞こえてきた。そのうち合唱となって夏を耳で感じた。北陸に住んでいると、夏はアブラゼミから始まり、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、そして夏の終わりのツクツクボウシ。

   ことしは梅雨が平年より25日も早く6月28日に明けた。その後、戻り梅雨のような空模様で季節感が途切れていた。ようやく夏は来ぬ、という感じだが、天気予報で傘マークはまだ続き、晴れマークが出て来るのは今月24日以降だ。ちぐはぐな季節感はもうしばらく続きそうだ。

   夏を呼ぶ祭りもある。能登半島の尖端、珠洲市の「燈籠山(とろやま)祭り」は毎年7月20、21日の両日催される。高さ16㍍にもおよぶ巨大な山車を、当地では「燈籠山」と呼ぶ。総漆塗りの山車が街を練る、鮮やかな祭りでもある。そして、地元の人たちが「キャーラゲ」と称する、独特の木遣り歌が街中に響き、祭りの情緒を盛り上げる。山車は深夜まで町の中を練り歩きます。別名はお涼み祭り、夏を告げる祭りだ。

   珠洲市では1ヵ月前の6月19日に震度6弱、翌日も5強の強い揺れがあった。祭りが行われる春日神社では鳥居が根本から倒れるなどの被害が起きた。同神社では、鳥居がなければ祭りにならないと、代替に「竹の鳥居」をこしらえ、本番に備えた。そして、祭りの山車には毎年異なった創作の人形が載せられるが、ことしは江戸時代の火消しが掲げられた。そのテーマは「火事場のばか力」。災害に負けない心意気が伝わって来る。

(※写真は珠洲市公式サイト「GO TO SUZU  飯田燈籠山祭り」より)

⇒20日(水)午後・金沢の天気    くもり

★能登の海 ジンベイザメは悠然と

★能登の海 ジンベイザメは悠然と

   きょうは18日は「海の日」。海の日が制定された1996年は「7月20日」だったが、2003年からは祝日法の改正で「ハッピーマンデー制度」が導入され、「7月の第3月曜日」となった。海の日でぎわっているのは、能登半島の真ん中、七尾市能登島にある「のとじま水族館」ではないだろうか。 

   ことしで開館40年となるのとじま水族館には最近まで毎年のように訪れていた。金沢大学の教員時代に、単位科目として「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」(2泊3日)を企画して、学生や留学生を連れて、能登の里山里海の生物多様性や文化多様性を学ぶフィールド実習に出かけていた。その目玉の一つがのとじま水族館だった。

   能登の海にはジンベエザメやクジラ、エイなどが泳いでいて、海の生物多様性に優れているといわれる。のとじま水族館は能登近海に回遊してくる南方海域に生息する温水系の大型魚類などを中心に500種4万点を展示している。その水族館のスターは何と言っても、ジンベエザメだ。水族館のジンベイザメは能登の地元の定置網で捕獲されたもの。

   体の大きさの割には威圧感がない。ジンベエザメは和名だが、模様が着物の甚兵衛に似ているからとの説も。小魚やプランクトンがエサで動きがゆったりしているので、人気があるのだろう。体長が6㍍になると、水槽としては小さくなることから、GPS発信機をつけて再び海に放される。ジンベイザメの回遊経路などがこれによって調査される。東南アジアからの留学生たちは珍しそうに、食い入るように見学していた。

   それにしても、地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜジンベイザメやクジラ、イルカ、そしてブリやサバ、フグ、イカ、カニなど多様な生き物が生息するのか。一つの説だが、春になると大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で舞い上がった大量の黄砂が偏西風に乗って日本海に注ぐことになる。3月、4月に「ブルーミング」と呼ばれる、海一面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促される。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという食物連鎖があるとの研究がある。

   話は冒頭に戻るが、海の日の趣旨は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことにある。能登半島から海を眺めると話は尽きない。

⇒18日(月)午後・金沢の天気     くもり