⇒トピック往来

☆「海女の島」舳倉 その歴史とアワビの価値

☆「海女の島」舳倉 その歴史とアワビの価値

   前回ブログで能登半島の輪島市から49㌔沖にある舳倉島(へぐらじま)の北北西250㌔に北朝鮮の弾道ミサイル2発が落下したことについて述べた。その続き。ミサイル落下をニュースで知って一番驚いたのは、舳倉島の海女さんたちではないだろうか。周囲5㌔ほどの小さな島ではあるもの、アワビが採れる島で「海女の島」として知られる。

   舳倉島にはアワビの長い歴史がある。万葉の歌人・大伴家持が越中国司として748年、能登を巡行している。島に渡ってはいないが、輪島で詠んだ歌がある。「沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包みて遣やらむ」。沖にある舳倉島に渡って潜り、アワビの真珠を都の妻に送ってやりたい、との意味だろう。この和歌から分かることは、少なくとも1270年余り前の昔からこの島ではアワビ漁が連綿と続いるということだ。

   輪島市や舳倉島を拠点に現在でも200人ほどの海女さんたちがいる。ウエットスーツ、水中眼鏡、足ひれを着用して、素潜り。アワビ漁の解禁は来月1日からなので、いまの時期は体調の整えなどで緊張するころだ。島から250㌔離れたところでのミサイル落下とは言え、緊張はさらに高まっただろう。

   今から38年も前の話になるが、新聞記者時代に舳倉の海女さんたちを年間を通して取材したことがある。深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。18㍍の水深を重りを身に付けて潜る。これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、海女さんの夫が船上で、命綱から引きの合図があるのを待って、海女の命綱を引き上げる。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と呼んでいた。信頼できる夫婦関係だからできる漁なのだ。

   海女さんから怖い話も聞いた。アワビが大好物なのは人間だけではない。ウミガメも好物なのだ。海女さんが採ったアワビをめがけてウミガメが食らいついてくることがある。そんなときは、アワビを捨てて逃げるのだそうだ。アワビが分厚い殻で岩にへばりつくのも、大敵ウミガメから身を守ることだったのだとこのとき知った。

   舳倉島でのルポルタージュは新聞で連載(分担執筆)され、その後『能登 舳倉の海びと』(北國新聞社)のタイトルで出版された。記者時代の思い出の地でもあるこの島や周囲に弾道ミサイルを落とさせてなるものか。そのような想いを込めている。

⇒17日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆「厄介もの」黄砂 「恵みもたらす」黄砂

☆「厄介もの」黄砂 「恵みもたらす」黄砂

   きょう12日は朝から雨模様だったが、午後には雨があがり、そしてどんよりとした「黄砂の空」になった=写真、午後3時35分ごろ、金沢市の野田山から市内中心部を撮影=。きょう夜にかけて、北陸や北日本、北海道はさらに濃度の高い黄砂に覆われるようだ(気象庁公式サイト「黄砂情報」)。

   日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って黄砂はやってくる。きょうのような日に外出すると、目がかゆくなる。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすようだ。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

   金沢では古くから「唐土の鳥」がまき散らす悪疫として、黄砂を忌み嫌った。加賀藩主の御膳所を代々勤めた市内の料亭では七草粥をつくる際に、台所の七つ道具で音を立てて病魔をはらう春の行事がある。そのときの掛け声は「ナンナン、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と。春になると、唐の国(中国)から海を渡って来る鳥が空から悪疫のもとを降らすというのだ。現代風に解釈すれば、肺がんやぜんそくなどを引き起こすとされる微小粒子状物質「PM2.5」が黄砂とともに飛来するとの意味だろうか。

   まさに黄砂は「厄介もの」だが、日本海に恵みをもたらすともいわれている。大量の黄砂が日本海に注ぐ3月と4月には、「ブルーミング」と呼ばれる、海一面が白くなるほど植物プランクトンが大発生する。黄砂の成分といえるケイ酸が海水表面で溶出し、植物プランクトンの発生が促されるのだ。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという海の食物連鎖があるとの研究がある。確かに、地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜクジラやサメ、ブリ、サバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、いろいろ要因もあるが、黄砂もその役割を担っているのかもしれない。

   また、黄砂研究から商品化されたものもある。黄砂に乗って浮遊する微生物、花粉、有機粉塵などは「黄砂バイオエアロゾル」と呼ばれる。金沢大学のある研究者は発酵に関連する微生物がいることに気づき、採取したバチルス菌で実際に納豆をつくり、商品化した。空から採取したので商品名は「そらなっとう」。納豆特有の匂いが薄いことから、機内食としても使われている。日本の納豆文化はひょっとして黄砂が運んできたのではないかとの研究者の解説を聞いて、妙に納得した。

⇒12日(水)午後・金沢の天気   くもり

★能登の新たな風~見せる、担ぐ、輪島塗のキリコ~

★能登の新たな風~見せる、担ぐ、輪島塗のキリコ~

   能登の祭りと言えばキリコ祭り。キリコは能登特有の「切子灯籠(きりことうろう)」を「切籠(きりこ)」と略したものだ。大人たちがキリコを担ぎ、子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らす。集落や町内会を挙げての祭りだ。「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」「1年365日は祭りの日のためにある」。能登でよく聞く言葉だ。能登のキリコ祭りは2015年4月に日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定され、全国から見学や参加希望のファンも増えている。

   「輪島キリコ会館」に入った。2015年3月にリニューアルオープンしている。展示スペースには、高さ10㍍規模の大キリコが7基と、5㍍ほどのキリコが24基展示されている=写真・上=。直方体のあんどんに、屋根や四本の柱、担ぐための棒などには輪島塗が施され、昇り竜の彫刻に金箔を貼り付けた飾り物などが際立つ=写真・下=。若い衆が激しく動かす祭りのときのキリコのイメージとは違って、まるで装飾品だ。

   会館の職員の説明によると、かつては高さ12㍍の巨大なキリコを100人で担いだ時代もあった。電線がはりめぐらされる昭和の時代になって、5㍍ほどの高さになり、その分、飾りが施され、基数も増えた。

   能登の他の地区では、祭りが終わればキリコの倉庫や、解体して神社の倉庫に仕舞われるが、輪島のキリコはキリコ会館で展示されいて、祭りになるとそのまま担がれて街を練る。祭りが終われば、また会館で展示され、観光客を呼び込むというシステムになっている。輪島でそれが可能になったのは、キリコ会館の周辺には奥津比咩神社大祭(8月22、23日)、重蔵神社大祭(同23日)、住吉神社大祭(同24日)、輪島前神社大祭(同25日)と祭りが集中して、展示にムダがないせいかと推測する。

   館内には祭り囃子が流れ、いながらにしてキリコ祭りの雰囲気が楽しめる。そして、これらのキリコが祭りの日には勢いよく輪島の街を練り歩く光景が目に浮かぶ。観光客も楽しみ、街の人も楽しむキリコなのだ。

⇒8日(土)夜・金沢の天気    くもり 

☆能登の新たな風~CO²回収と「火様」を守る炭焼き~

☆能登の新たな風~CO²回収と「火様」を守る炭焼き~

   能登半島の尖端にある珠洲市で木炭製造会社を経営する大野長一郎氏を久しぶりに訪ねた。伝統的な炭焼きを今も生業(なりわい)としている石川県内で唯一の事業所で、二代目でもある。

   大野氏の話は「火様(ひさま)」から始まった。能登では囲炉裏の火を絶やさず守る「火様」の伝統があったが、燃料が電気やガス、灯油などにシフトする燃料革命でその伝統は風前の灯(ともしび)となった。去年の9月、能登で300年の火様の伝統を守っている人から声をかけられ、火種を分けてもらった。炭焼きの伝統技術に、新たに火様の伝統を受け継いだ。(※写真・上は、火鉢に入れた能登の伝統の火を受け継ぎ守る大野氏)

   大野氏の火へのこだわりは多様だ。「炭焼きでカーボンニュートラルを起こすと決めたんです」。樹木の成長過程で光合成による二酸化炭素の吸収量と、炭の製造工程での燃料材の焼却による二酸化炭素の排出量が相殺され、炭焼きは大気中の二酸化炭素の増減に影響を与えない、とされる。しかし、実際は木を伐採するチェーンソーや、運ぶトラックのガソリン燃焼から出るCO²は回収されていない。「炭焼きは環境にやさしくないと悩んでいた」

   そこで、知り合った金沢大学の研究者と、自らの生業のCO²の排出について検証する作業に入る。ライフサイクルアセスメント(LCA=環境影響評価)の手法を用い、過去6年間の製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用までの各段階における環境負荷を検証した。事業所の帳簿をひっくり返しガソリンなどの購入量を計算。仕事の合間で2年かけて二酸化炭素の排出量の収支計算をはじき出した。また、環境ラベリング制度であるカーボンフットプリントを用いたCO²排出・固定量の可視化による、木炭の環境的な付加価値化の可能性などもとことん探った。

   得た結論は、生産する木炭を2割以上を不燃焼利用の製品にすれば、排出するCO² 量を相殺できるということが明らかになった。そこで商品生産の方針を決め、生産した炭の3割を床下の吸湿材や、土壌改良材として商品化することにした。

   付加価値の高い茶炭の生産にも力を入れている。茶炭とは茶道で釜で湯を沸かすのに使う燃料用の炭のこと。2008年から茶炭に適しているクヌギの木を休耕地に植林するイベント活動を開始。すると、大野氏の計画に賛同する植林ボランティアが全国から集まるようになり、能登におけるグリーンツーリズムのさきがけにもなった。(※写真・下はクヌギの木を材料とした茶道炭。切り口がキクの花模様に似ていることから菊炭とも呼ばれる)

   さらに、炭焼きの原木を育てる植林地では植物だけでなく、昆虫や野鳥などの生物も他の地域より多いことが研究者の調査で分かってきた。植林地に枝打ちや間伐など手を入れることで、生物多様性が育まれる。炭焼き業がカーボンニュートラルやバイオエコロジーに新風を吹き込むかもしれない。

⇒7日(金)夜・金沢の天気     くもり

★能登の新たな風~古刹の森にアンブレラスカイ~

★能登の新たな風~古刹の森にアンブレラスカイ~

   きょう能登の輪島市門前町にある総持寺祖院を訪ねた。2021年に開創700年を迎えた曹洞宗の寺で、禅の修行寺で末寺は1万6千余を数える。1898年、明治の大火で七堂伽藍の大部分を焼失した。これを契機に1910年、布教伝道の中心は横浜市鶴見に移る。能登の総持寺は「祖院」と改称され別院扱いとなった。その後の再建で山門や仏殿などがよみがえり、周囲の山水古木と調和して大本山の面影をしのばせる(総持寺パンフ)。2007年3月の能登半島地震でも大きな被害を受け、開創700年の2021年4月には修復工事が完了し落慶法要が営まれている。

   この寺で修行するドイツ人僧侶、ゲッペルト・昭元氏と久しぶりに面談した。ドイツのライプツィヒ大学で日本語を学んでいて禅宗に興味を持ち、2011年に修行に入った。「与えられたものを素直にいただく、能登での人生の学びも13年になります」と。曹洞宗のきびしい修行を耐え抜いた言葉の一つ一つが重く、そして心に透き通る。最後に、ドイツに戻っての布教は考えているのかと質問すると、「結婚し、子どもにも恵まれた。能登でさらに修行を積みたい」との返事だった。

   境内を歩くと、祖院最古の建物である白山殿前に六色仏旗にちなんだ青、黄、赤、白、紫などのビニール傘が飾られていた。寺の境内とは思えない遊び心のある光景だ。チラシによると、「sorahana」と呼ばれるイベント。全部で45本。天気が良ければ地面に写る影の色も楽しめただろうが、残念ながらこの日は曇りで、その光景は見ることができなかった。

   イベントのチラシによると、地域の人たちでつくる「禅の里づくり推進協議会」による行事で、4月からことし10月1日まで開催されている。ただし、台風などが来る場合はイベントは中止となるようだ。古刹に輝く傘の空、アンブレラスカイだ。

   1泊2日の短い旅程での能登散策。目にした能登の新たな光景をいくつか紹介する。

⇒6日(木)夜・輪島の天気     くもり時々あめ

★新学期、新年度、そしてエイプリルフールな「4月1日」

★新学期、新年度、そしてエイプリルフールな「4月1日」

   きょうから4月、新学期がスタートした。学校現場ではきょうからコロナ禍でのマスクの着用が原則、不要となるようだ。5月にはコロナ感染症法上の「2類相当」から、季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられるので、それに先立って学校現場では一足早くコロナ禍との決別となる。

   経済の新しい動きもある。賃金の支払いと言えば、これまで銀行口座への振り込みや、現金での支払いだったが、今月から決済アプリを使ったいわゆる「デジタル給与」も可能となる。もちろん、デジタル払いを導入する際には、企業の経営サイドは労働者と労使協定を結ぶことや、決済アプリの運営業者も厚労省の指定を受ける必要がある。

   ひょっとして社会の交通と物流インフラが劇的に変わるかもしれない。きょう1日から改正道路交通法が施行され、特定の条件のもとでドライバーがいない状態でも自動運転が可能な「レベル4」での公道走行が解禁となる。そして、来年4月からトラックの運転手の時間外労働の規制が強化されることから、運転手不足によって輸送量が激減することが懸念され、「2024年問題」とも言われている。ドライバーがいない車が人やモノを乗せて街を走る。そんな時代がやってくる。

   そして、きょうの地元紙の広告で、「ロケット乗務員大募集」という文字が目に飛び込んできた。「宇宙ビジネスに参入します。業務拡大につき。多様な人材を募集しています」とある。全面広告だ。ロケットが打ち上がる瞬間の写真付きの広告だ=写真=。さらに読み込むと、「英語を使ってインバウンドの仕事がした方 子育て中だけど空いた時間に仕事をしたい方 大きな車を運転できるようになりたい方 可愛い孫に小遣いをあげたい方」と妙にリアリティもある。地元のタクシー会社の広告だ。

   末尾に、「本日は4月1日 エイプリルフールです」とある。そうか、新学期、そして新年度の4月1日とばかり思っていたが、エイプリルフールか、と。それにしても、大胆で面白い。

⇒1日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆春分の花ドラマ WBC大逆転劇と仰天劇ウクライナ訪問

☆春分の花ドラマ WBC大逆転劇と仰天劇ウクライナ訪問

   きょうは春分の日。太陽が真東から昇り、真西に沈み、昼と夜が同じ長さになる。そして、春の彼岸の頃でもある。先日(19日)菩提寺で涅槃会(ねはんえ)が営まれ、先祖供養の後、恒例の「だんごまき」があった。寺では新型コロナウイルス感染が始まった2020年以降は、だんごを小さな袋に入れて配っている。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、春分の日は季節の大きな変わり目でもある。

   そして、春分の大逆転劇。WBC準決勝、侍ジャパンのメキシコ戦をテレビ中継で視ていた。4回で3点先制されて「これはアカン」と体が寒くなった。5回と6回に満塁のチャンスをつくったものの得点を奪えず。7回で吉田正尚選手がスリーランホームランを放って同点に追いつき、「よっしゃ」と心で叫んで体が熱くなってきた。8回で逆転されて、また「アカン」と気落ち。9回裏で大谷翔平選手がツーベースヒットで出塁して、「よっしゃ」と再び熱く気分が盛り上がり、村上宗隆選手の2点タイムリーヒットでサヨナラ勝ち。「三寒四温」の野球ドラマだ。

   さらに、アッと驚く春分の外交劇。岸田総理のウクライナ初訪問。インドを訪れていた岸田氏は、すでにインドを離れてきょう中にキーウに到着し、ゼレンスキー大統領と首脳会談を行うとの政府発表をテレビのニュースが伝えている。ウクライナへの連帯と支援を直接伝え、5月のG7広島サミットの議題の布石とする予定だろう。

   きょうの金沢の天気はくもり時々はれ。自宅庭を眺めると、梅だけでなく草花も春の彩りを添えている。愛想を振りまくようにヒメリュウキンカ(姫立金花)が咲いている=写真・上=。艶のあるその黄色い花は、冬を超えて春を告げるように咲く。花言葉は「会える喜び」だとか。カンシャクヤク(寒芍薬)も赤紫や白い花を咲かせている。寒さがまだ残るこの季節、よくを花を咲かせてくれたと、いとおしくもなる。

⇒21日(火・祝)午後・金沢   くもり時々はれ

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

★本州最後の一羽のトキ「能里」が残した教訓

   本州最後の一羽のトキは愛称「能里(のり)」と呼ばれていた。能登半島で生息していたが、国の指示で1970年1月に捕獲され、繁殖のために佐渡トキ保護センターに移された。しかし、翌71年3月13日にケージの金網でくちばしを折ったことが原因で死んでしまった。もう半世紀も前のことだが、能登の人たちの中には、「昔ここには能里が飛んで来とった」と今でも懐かしそうに話すシニアの人たちもいる。

   こうした能登のトキへの想いが伝わったのだろう、環境省は去年8月、佐渡市で野生復帰の取り組みが進むトキについて、本州で放鳥を行う候補地として能登半島と島根県出雲市を選定し、能登での放鳥は2026年以降と発表した。これを受けて、石川県は先月15日に発表した2023年度の当初予算案で、放鳥のための生息の環境づくり関連費として1億360万円の「トキ予算」を盛り込んだ。また、国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げる。(※写真は石川県歴史博物館で展示されている「能里」のはく製)

   トキ放鳥のムードが盛り上がる中で、懸念も増している。このブログでも何度か取り上げた、能登半島で進む風力発電の増設計画についてだ。長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風車が能登には現在73基あるが、新たに12事業・171基が計画されている。

   自然保護の観点から懸念されるのはバードストライク問題であり、景観上もふさわしくない。そして、地域住民への影響もある。去年7月で開催された「能登地域トキ放鳥推進シンポジウム」(七尾市田鶴浜)で、地元の環境保護団体の代表と立ち話で意見交換をした。代表が住む地域の周囲には10基の風車が回り、「風が強い日の風車の風切り音はとてもうるさく、滝の下にいるような騒音だよ」「これ以上、増設する必要はない」と強調していた。

   石川県は今月5日、能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を作成。それによると、能登の9つの自治体などと連携し、トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保する方針で、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充していく。

   能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富だ。そして、リアス式海岸で知られる能登は平地より谷間が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な餌を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にはある。佐渡に次ぎ、能登半島が本州のトキの繁殖地となることを期待したい。

⇒12日(日)午後・金沢の天気    はれ

☆ 金沢名所めぐり~ピアノも弾ける円形劇場の図書館~

☆ 金沢名所めぐり~ピアノも弾ける円形劇場の図書館~

     金沢は伝統的な街並みのほかに、斬新な形状の建築物もあり、新旧の風景が楽しめる街でもある。そうした名所をいくつかめぐってみる。去年7月にオープンした石川県立図書館。入って圧倒されるのは、広い吹き抜けの空間に、何重にも円を描くように本棚が配置されている。まるで円形劇場なのだ=写真・上=。

   面白いのは形状だけでなく、従来の図書分類の枠を超えたコンセプトだ。吹き抜けに面して1階から上へと続く360度の円形書架には、12のテーマで7万冊の本が手に取りやすい形で並べられている。たとえば、「自分を表現する」という書架には、絵を描く、音楽を奏でる、写真を撮る、演じるといった芸術関連の本が並ぶ。それは芸術論ではなく、本を手に取って読むことで自らも表現してみたくなるような内容の本だ。司書が選りすぐった本なのだろう。ほかにも「暮らしを広げる」「文学にふれる」「仕事を考える」「体を動かす」などのテーマで本が並ぶ。

   上記のテーマを含め、分類別図書の本棚には並ぶのは30万冊。それにしても、これまでの県立図書館のイメージとはがらりと変わって「会話ができる図書館」で、おしゃべりができてやスマホも使える空間だ。子どもエリアにアスレチック施設も併設されていて、休日には子ども連れの若いカップルの姿もよく見かける。

   円形劇場のような吹き抜け造りなので、東西を結ぶブリッジが閲覧席になっている。ここからは館内全体を見渡すことができ、書棚とイスはまるでアート空間だ=写真・中=。そして、館内のいたるところで、県内の著名な陶芸家や漆芸家か描いた作品がさりげなく展示されている。

   ショパンの曲『ノクターン』を奏でるピアノの音色が聞こえてきたので、1階の屋内広場に行った。置いてあるピアノを誰でも奏でることができる「街角ピアノ」ならぬ「図書館ピアノ」だ。弾いていたのは中年の女性だった。「それにしても、図書館でピアノはないだろう」と一瞬思ったが、音色が柔らかで、図書館の空間と合わなくもない。ピアノの横にある説明書きを見ると、「能登ヒバ」でつくったピアノという=写真・下=。金沢の木材卸売業者が製作して、図書館に無償で貸し出しているようだ。ピアノも弾ける図書館、まさに文化交流のエリアではある。

⇒26日(日)夜・金沢の天気    あめ

☆ユネスコ世界ジオパーク「白山手取川」から学ぶこと

☆ユネスコ世界ジオパーク「白山手取川」から学ぶこと

          前回のブログの続き。ユネスコが定める世界ジオパークに、石川県白山市の「白山手取川ジオパーク」が認定される見通しだ。日本ジオパーク委員会公式サイト(2022年12月16日付)によると、専門家によるユネスコ世界ジオパーク・カウンシル セッション(評議会)で審査され、白山手取川ジオパークを世界ジオパークに認定することを勧告することが決まった。ことし5月10日にパリで開催される第216回ユネスコ執行委員会で承認され、世界ジオパークの認定が決定する。 

   白山は北陸3県ほか岐阜県にまたがる標高2702㍍の活火山であり=写真・上=、富士山、立山と並んで「日本三名山」あるは「三霊山」と古より称される。奈良時代には禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれた登山ルートが開拓され、山岳信仰のメッカでもあった。その白山を源流とする手取川は加賀平野を流れ、日本海に注ぎこむ。40万年前から火山活動が始まったとされる白山による噴出物によって大地がつくられ、その大地を手取川が削り、峡谷や扇状地、平野が形成されてきた。国内の世界ジオパークは、洞爺湖有珠山、アポイ岳、糸魚川、伊豆半島、山陰海岸、隠岐諸島、室戸、阿蘇、島原半島の9地域があり、白山手取川の認定が正式に決まれば10番目となる。

   白山と手取川が世界ジオパークの国際評価を受けると、ジオパーク愛好家やインバウンド観光客が世界から続々と集まってきて、大地を楽しみ学ぶジオツアーも盛んになるだろう。地元メディアの報道によると、白山市は当初予算案に国際セミナーの開催やツアー会社との連携など関連費3460万円を盛り込んでいる。

   観光もさることながら学びも積極的に入れてはどうだろうか。手取川は加賀平野の水田を潤してきた=写真・下、石川県庁公式サイト「くらし・教育・環境」手取川扇状地より=。一方で、「暴れ川」の歴史があり、いまも自治体のハザードマップでは下流域は赤く染まっている。昭和9年(1934)7月11日の大水害は、いまでも語り継がれている。白山の雪解け水に加え、1日の雨量352㍉という記録的な豪雨に見舞われた。「百万貫岩」と地元で称される推定4800㌧もの巨大な岩が鉄砲水で流され、また流域の死者・行方不明者も110人余りと記録されている。

   この流域では治水対策は永遠のテーマでもある。ジオパークの学びとして、リスクの視点から「7・11」の事例を紹介し、地域の人々が長年積み上げてきた水害対策の試みについて説明することで、白山手取川ジオパークの価値がさらに高まるかもしれない。

⇒17日(金)夜・金沢の天気      くもり