⇒トピック往来

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~7 伝統の生業がアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~7 伝統の生業がアート

   能登半島の最先端、珠洲市には伝統の生業(なりわい)が息づいている。それをモチーフにした芸術作品が展示されている。地場に古くから伝わる生業の一つが珠洲焼。現在30人ほどの作家が伝統の技法に新たな感性を加えて作品づくりを行っている。芸術祭の作品鑑賞に訪れた際も、「珠洲焼まつり」が開催されていて、20人余りの作家が出品していた。

   作品『漂移する風景』(リュウ・ジャンファ=中国)=写真・上=。珠洲焼は室町時代から地域の生業として焼かれ、中世日本を代表する焼き物として知られていた。そこで、作者は中国の第一の陶都・景徳鎮から取り寄せた磁器の破片と、珠洲焼の破片を混在させ、大陸との交流や文化のあり方を問う作品として仕上げた。2017年の第一回芸術祭では、海から流れ着いたかのように見附島近くの海岸に並べられ、第二回からは珠洲焼資料館に場所を移して恒久設置されている。

   珠洲焼はかつて地域経済の貿易品だった。各地へ船で運ぶ際に船が難破したこともたびたびあったようだ。海底に何百年と眠っていた壺やかめが漁船の底引き網に引っ掛かり、時を超えて揚がってくることがある。古陶は「海揚がりの珠洲焼」として骨董の収集家の間には重宝されている。

   塩づくりも当地の生業の一つ。このブログのシリーズの初回で取り上げた作品『時を運ぶ船』(塩田千春氏=日本/ドイツ)=写真・中=は公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品も2017年の第一回芸術祭で制作されたものだが、観賞するたびに感動を覚える。

   作者は珠洲を訪れ、400年続くとされる揚げ浜式塩田にモチベーションを感じ取った。作品名を着想したのは、塩づくりをする、ある浜士(はまじ)の物語だった。戦時中、角花菊太郎という浜士が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの塩田の仲間が命を落とし、角花浜士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後間もなくして、浜士はたった一人となったが、伝統の製塩技法を守り抜き、珠洲の塩田復興に大きく貢献することになる。技と時を背負い生き抜いた人生のドラマに、作者・塩田千春の創作意欲が着火したのだという。会場のボランティアガイドから聞いた話だ。

   『時を運ぶ船』の赤い毛糸は強烈なイメージだが、珠洲市を含む奥能登では、古くから秋祭りに親戚や友人、知人を自宅に招いてご馳走でもてなす「よばれ」という風習がある。そのときに使われるのが、漆塗りの赤御膳。刺し身や煮付のなどの料理が赤御膳で出てくると、もてなしの気持ちがぐっと伝わってくる。珠洲市の民宿で泊まったときも、夕食で出されたのは赤御膳だった=写真・下=。能登では赤はもてなしのシンボルカラーなのかもしれない。

⇒18日(水)午後・金沢の天気   はれ

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~6 人生の生き様アート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~6 人生の生き様アート

   奥能登国際芸術祭では多様なモチーフの芸術作品が展示されているが、「人生の生き様」をテーマにしたものもある。作品は『プレイス・ビヨンド』(弓指寛治氏=日本)。芸術祭の総合プロデューサーである北川フラム氏の案内で作品を鑑賞するチャンスを得た。 

   作品鑑賞のスタートは珠洲市の木ノ浦野営場というキャンプ広場。岬にある自然歩道を歩くが、真下は崖と海。急斜面の山道などを歩きながら作品を見ることになる。入り口の作品ナンバーの立て札に注意書きがあり、「暗くなってからの鑑賞は危険です」「猪に出会ったら静かにその場を離れましょう」などと書かれてあり、少し緊張感が走る。

   作品は指定された道沿いに設置してある立て札の文章=写真・上=を読みながら進んでいく。作品は、作者の弓指寛治氏が珠洲の地元で生まれ育った南方寳作(なんぽう・ほうさく)という人物=写真・中=が生前に残した伝記をもとに制作した。戦前に人々はなぜ満蒙開拓のために大陸に渡ったのか、そして軍人に志願したのか、どのような戦争だったのかを、立て札の文字をたどりながら、設置されている絵画を見ながら追体験していく。ただ、ストーリーが記された立て札は87枚、絵画は50点もある。立て札一枚一枚を読んで、さらに絵を鑑賞していると、いつの間にか時間が経って辺りが暗くなるのではと気にしながら読んでいく。

   南方寳作が9歳のとき、1931年の満州事変が起きた。当時、農村には過剰な人口と貧困がはびこり、日本政府は国策として、農村部の若者たちを中国・東北部の満州に開拓団として送り込んだ。南方寳作もその一人だった。その後、南方寳作は海軍に志願して水兵として戦地に赴く=写真・下=。1945年8月9日にソ連が対日参戦し、同月15日に終戦となる。ソ連の侵攻で満州は戦場と化し、開拓団は置き去りにされた。

   作品はそのときの南方寳作の気持ちを綴っている。「満州で生活し、厳冬の経験がある私はこれから急激な寒気が訪れる満州のことを思うととても不安になった。無事帰国できることを祈るのみ。満蒙開拓の夢も軍人としての地位も、敗戦と共に遥か遠い雲の彼方へ消え失せた」

   作品めぐりの終盤、歩道は三差路に分かれる。どの道を進むか、鑑賞者が選択する。そのとき、突然に強い雨が降ってきた。山の坂道だ。ガイド役として先頭を歩いていた北川フラム氏が滑って膝をついた。参加者が「先生、大丈夫ですか」と両脇を抱えると、北川氏は「ありがとう」と言い立ち上がった。通り雨ですぐ止んだ。一瞬の出来事だった。作品の内容、そして北川氏の転び。緊張感のある作品めぐりとなった。
 
⇒17日(火)夜・金沢の天気    はれ

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~5 民家でアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~5 民家でアート

  民家や蔵、倉庫を活用したアートをいくつか巡った。その一つが作品名『流転』=写真・上=。イランのシリアン・アベディニラッド氏はかつての漁具倉庫を展示会場に選んだ。倉庫には大量の漁網などが保管されていた。その漁網を倉庫の天井に張りめぐ らした。

   漁網の内側にキラキラとカラフルに光るものがあり、床に影が投影されている。よく見ると、酒瓶などのガラスの破片だ。説明書によると、作者は珠洲市の海岸に打ち寄せられているガラス類の破片を集めて作品に仕上げた。使われなくなった漁網、そして破片となったガラスを見事にアート作品として再生した。倉庫の外観はさびたトタンだ。中に入ると、異次元の世界に迷い込んだような錯覚に陥る。不思議な芸術空間ではある。

   薄暗い古民家の奥に進むと、和室の中央に朱漆と黒漆がまじりあったような立体作品が浮かぶ。作品名『触生』は田中信行氏(日本)の作品=写真・中=。部屋の中に入って見ることはできないが、漆の強い存在感が引き立っている。漆は英語で「japan」と呼ばれるように縄文時代から日本人は重宝してきた。作者はその漆と人のつながりの原点を描き出そうとしているのではないだろうか、と直感した。

   作者が「触生~赤の痕跡~」とのタイトルでコメントを文字で掲げている。「漆が私の本能を刺激し、意識を原初へと導き、制作へと駆り立てている。黒漆からは流れるような立ち上がった立体を、朱漆からは生の痕跡を塗りこめたような絵画的な表現を。塗りと研ぎを繰り返しながら生まれる漆の表現は、人為を超えて私自身を、そして見る者を無意識へと誘う。立ち上がった漆面は、鑑賞者を漆黒の闇に吸い込むかのように、日常と非日常の境界として空間に存在する」

   山中にある、10年ほど前に空き家となった民家。玄関の入り口には広い土間があり、おそらく収穫した稲や野菜などを広げていただろう。作品の『Future Past 2323』(原嶋亮輔氏=日本)は民家と民具をテーマとしている=写真・下=。長い時間(とき)を経た民具には魂が宿るとされる付喪神(つくもがみ)信仰がある。道具に宿る付喪神をアートにした、のではないだろうか。

   そう感じたのは、稲わらで編んだ蓑(みの)と菅笠(すげがさ)が奥座敷で飾られているのを鑑賞したときだった。家人が身に着けたものにこそ魂が宿り、そして輝きを放つのだ、と。このインスタレーションがそう訴えているように思えた。

⇒16日(月)夜・金沢の天気   くもり

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~4 空がアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~4 空がアート

   今月14、15日と能登半島の尖端、珠洲市で開催されている「奥能登国際芸術祭2023」の作品鑑賞に行ってきた。その作品の感想をいくつか紹介する。先月に3回シリーズで紹介した「能登さいはての国際芸術祭を巡る」の続きを。

   能登半島全体で74基の大型風車がある。うち、珠洲市では30基の風車が回る。ブレイド(羽根)の長さは34㍍で、1500KW(㌔㍗)の発電ができる。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。能登半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件なのだ。

   この珠洲の山の上(標高300-400㍍)にある風車群をアートにしたのが、日本のグループ「SIDE CORE」の作品『Blowin‘ In The Wind』。車で曲がりくねった山道を登る。頂上付近に近づくとブォーン、ブォーンと音がする。ブレイドが回転している。山のふもとから見上げると小さな風車だが、近づくことでその大きさに驚く。

   その風車の下には作品の5点が設置されていた。風の動きによって動く風向計のようなもの、いわゆる「風見鶏」だ。上の写真は自転車と道路の崖をイメージした作品。風が出ると風車と風見鶏がいっしょに風に向って動き出す。そう考えると、風車も巨大な風見鶏のようだ。  

   この風景を眺めていて、ふと若いころに歌ったボブ・ディランの「風に吹かれて」を口ずさんだ。「風に吹かれて」の英名は『Blowin‘ In The Wind』。作品名と同じ。作者たちもこの歌を口ずさみながら制作したのかと思ったりした。

   珠洲市の外浦の海岸は大陸に面していて、強い風が吹く。海岸を見下ろすがけの上に船の帆をモチーフにした作品が現れる=写真・中=。作品名『TENGAI』(アレクサンドル・ポノマリョフ氏=旧ソ連「ドニプロ」/ロシア)。風が吹くと帆柱の網が振動して、下の酒タンクが共鳴してハープのように風の音を響かせる。まるで空の音色だ。珠洲の対岸にあるのはロシアのウラジオストクなので、作者は「大陸からの風で鳴る」との想いを込めているようだ。

   作品を鑑賞するために里山や里海を移動する。ふと空を見上げると、見事な「うろこ雲」が空を覆っていた=写真・下=。これも空のアートだと直感してシャッターを押した(撮影は14日午後4時39分・珠洲市内)。

⇒15日(日)夜・金沢の天気    はれ

★ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に

★ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に

   先日、能登半島の真ん中にある志賀町で開催された「健康づくり講演会」を聴き行った。講演の一つ、「ゲノムは人類の共有財産~ゲノム情報が健康管理に活用できる時代に~」のタイトルに興味がそそられた。

   人は誰もが遺伝情報(ゲノム)を持つ。親の病気を知ると、自身にも遺伝性の病気にやがて罹ると思ったりする。「ゲノム」という言葉を意識したのは10年前の2013年。アメリカの女優、アンジェリーナ・ジョリーが公表した乳がん治療だった。母親が乳がんで命を落としたことをきっかけに自ら遺伝子検査を行い、発症率が高いことが判明したことから、予防のために両乳房を切除・再建手術を行った。日本でも大きく報じられ、遺伝カウセリングや遺伝子検査が広まるきっかけとなった。そして、ことし6月には遺伝情報に基づき患者に応じた治療を推進する「ゲノム医療法」が国会で成立し、遺伝医療に弾みがついた。

   志賀町でゲノムの講演会が開かれたのも理由がある。2011年から金沢大学の予防医学による住民の健康の維持と増進に取り組むための調査研究が行われてきた。2019年度からは「スーパー予防医学検診」のプロジェクトが始まり、定点観測的にデータを収集し、さらに遺伝子検査など行い、個人に合わせた保健指導プログラムを開発している。講演会は調査に協力している住民へのフィードバックの意味を込めている。

   冒頭のタイトルで講演したのは金沢大学附属病院遺伝診療部の渡邊淳部長=写真=。人体の細胞の中にはヒトの遺伝情報を保存しているDNAが含まれていて、DNAは細胞の中の染色体と呼ばれる物質の中で折りたたまれている。ヒトは父と母からそれぞれ1組の染色体のセット(22本の常染色体と1本の性染色体)をもらうので、1つの細胞には2セットの染色体が入っている。ただ、DNAは必ずしも安定した存在ではなく、さまざまな要因により変化し、病気の発症と関連するものは「ゲノム異常」とも呼ばれる。

   遺伝子が関わる病気は多岐にわたる。がんや糖尿病などを含めると、およそ9割が生涯に何らかの遺伝性疾患に罹るとの説明があった。がんは遺伝すると思いがちだが、ゲノム異常で起きる病気と遺伝する病気はイコールではないこと、がんと遺伝に関しては正しく理解することが必要、と。ただ、患者が治療で医師から説明を受ける際、専門性の高い用語が使われることが多い。どう患者や家族に理解してもうらうのか。その取り組みの一つとして、「遺伝カウンセラー」の話があった。ゲノム医療を受ける患者と医師の間に立って、患者側を支援する人材だ。金沢大学では2021年度から遺伝カウンセラーの養成を行っている。

   ゲノム医療では遺伝情報を調べることで患者の最適な治療薬の選択につながる。一方で、予め病気のリスクがわかるため、医療保険の加入や就職などで差別や不利益を受けることにもなりかねないので、医療側は徹底した情報管理が問われる、と。最後に、2002年のノーベル生理学・医学賞を受けたジョン・サルストン(イギリス)の言葉を引用して講演が締めくくられた。「人間の出発点となるゲノムは、各人にとっての制約ではなく、むしろ可能性ととらえるべきである」

⇒12日(木)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

★街路を彩る花、ムクゲ、ヒガンバナ

   10月も半ばに入った。自宅近くの県道を歩くと、道路沿いにムクゲの花が競うように咲いている=写真・上=。真っ白な「祇園守」だ。花の中心部のシベが十文字になっていて、京都の八坂神社の護符の「祇園守」と似ているところから名付けられたとの説もあるが定かではない。清楚な花で、茶花として重宝される。ムクゲは梅雨の頃から咲き始めて夏に盛りを迎える。もうそろそろ見納めの頃だ。

   芭蕉の句がある。「道のべの木槿は馬にくはれけり」。道ばたのムクゲの花を馬がぱくりと食べた。芭蕉はその一瞬の出来事に驚いたかもしれない。花であっても、いつ何どき厄(やく)に会うかもしれない、と。中古車販売の「ビッグモーター」の店舗前の街路樹や植え込みのように、抜かれたり枯らされたりすることがないことを願う。

   道路の対面には赤い花が咲いていた=写真・下=。ヒガンバナ(彼岸花)は割と好きな花だ。ヒガンバナの花言葉は「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。秋の彼岸に墓参りに行くと墓地のまわりに咲いていて、故人をつい思い出してしまう。「悲しき思い出」を誘う花だ。

   植物に詳しい友人から、かつてこんな話を聴いた。ヒガンバナは茎にアルカロイド(リコリン)という毒性がある。昔の人は死体を焼かずに埋葬した。そこで、犬が近づいて掘り返さないようにと毒性のあるヒガンバナを墓地に植えたのだという。犬よけの花でもある。

⇒10日(火)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

★「ほったらかしの柿」を求めてクマやサルが出没する頃

★「ほったらかしの柿」を求めてクマやサルが出没する頃

   金沢地方気象台はきょう8日、石川・岐阜両県などにまたがる白山(2702㍍)で初冠雪を観測したと発表した。白山は平年より13日、昨年より17日早かった。例年10月に入ると、クマの出没が多くなる。金沢市内だけでも、今月に入って2回、9月以降で11回の目撃情報などが寄せられている。

   金沢市公式サイト「ツキノワグマ目撃痕跡情報」によると、直近で今月6日午前6時ごろ、同市末町にクマ1頭が出没。やぶに入っていくのが目撃された。近くには小学校や中学校、高校、大学があり、朝の登校時間だっただけに注意が呼びかけられた。

   ふだんは山奥にいるクマが人里に降りてくるのは、ドングリなどのエサ不足が主な原因とされる。とくに冬眠前になるとクマも必死にエサを探し求めて人里に降りてくる。ことし石川県自然環境課が8月中旬から9月上旬にかけて実施した「ツキノワグマのエサ資源調査」では、ブナ科植物(ブナ・ミズナラ・コナラ)は加賀地方の一部地域で「凶作」ではあるものの、全体として「並作」としている。「大凶作」や「凶作」が多かった去年に比べると、ことしはクマの出没回数は減るかもしれない。  

   山から人里に下りてくるのはクマだけではない。金沢の住宅街にサル、イノシシ、シカが頻繁に出没するようになった。こうした野生動物は本来、奥山と呼ばれる山の高地で生息している。ところが、エサ不足に加え、中山間地(里山)が荒れ放題になって、野生動物が奥山と里山の領域の見分けがつかずに人里や住宅街に迷い込んでくる、とも言われている。あるいは、野生動物が人を恐れなくなっている、との見方もある。

   その事例として知られるのが実りの秋の柿だ。クマやサルは柿が大好物だ。一度食べたら、また翌年も同じところに柿を食べにくると言われる。かつて里山や人里には柿が栽培され人々は食した。ところが、里山に人が少なくなり柿の実をもぎ取る人がいなくなった。そんな「ほったらかしの柿」をクマやサルが柿の木に登って食べに来るようになった。

   金沢市の近郊では、クマやサルの出没を恐れて、柿の木を地域ぐるみで伐採するところも増えているようだ。

(※図は石川県生活環境部自然環境課が作成している「令和5年ツキノワグマ出没マップ」。出没は能登、金沢、加賀と広範囲におよんでいる)

⇒8日(日)午後・金沢の天気   くもり

★金沢人の「おでん」好き その季節がやってきた

★金沢人の「おでん」好き その季節がやってきた

   きょうの金沢は晴れ間が広がり、昼過ぎには25度以上の夏日となったが、夕方になるとずいぶんと涼しくなってきた。この時節に友人たちと話していて何かと話題に上るのが、「おでん」だ。「そろそろ、源助だいこんやガンモの季節だね」とか、「ことしは、かに面が食えるかな」などと。そして、家庭の食卓にガンモドキなどおでんが出るようになるのがこの季節だ=写真・上=。

   金沢人のおでん好きは、「金沢おでん」の言葉もあるくらいだ。季節が深まるとさらにおでん好きが高じる。「かに面」だ。かに面は雌の香箱ガニの身と内子、外子などを一度甲羅から外して詰め直したものを蒸し上げておでんのだし汁で味付けするという、かなり手の込んだものだ=写真・下=。季節限定の味でもある。資源保護のため香箱ガニの漁期が毎年11月6日から12月29日までと設定されている。

   漁期が限定されているため、価格が跳ね上がっている。なにしろ、金沢のおでん屋に入ると、品書きにはこれだけが値段が記されておらず、「時価」としている店が多い。香箱ガニの大きさや、日々の仕入れ値で値段が異なるのだろう。去年1月におでん屋で食したかに面は2800円だった。それまで何度か同じ店に入ったことがあるが、数年前に比べ1000円ほどアップしていた。   

   値段が急騰したのは2015年3月の北陸新幹線の金沢開業のころだった。金沢おでんが観光客の評判を呼び、季節メニューのかに面は人気の的となり、おでんの店には行列ができるようになった。極端に言えば、「オーバーツーリズム」だ。

   この現象で戸惑っているのは金沢人だけではない。能登や加賀もだ。金沢おでんが観光客の評判を呼び、季節メニューのかに面は人気の的となった。すると水揚げされた香箱ガニは高値で売れる金沢に集中するようになる。それまで能登や加賀で水揚げされたものは地元で消費されていたが、かに面ブームで金沢に直送されるようになった。

   かに面をめぐるぼやきを上げればきりがない。季節に一度食することができるかどうか。できれば幸せ、それだけのことだ。

⇒4日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ  

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~3 青と白のアート

   国際芸術祭を案内してくれたボランティアガイドの語りで、印象に残る言葉があった。「震災に耐えた奇跡の作品があるんですよ」。ことし5月5日に能登半島の尖端を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、珠洲市は震度6強の揺れに見舞われ、市内だけでも住宅被害が690棟余りに及んだ。その強烈な揺れにもビクともしなかった作品がある。

   金沢在住のアーティスト、山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=だ。旧・保育所の施設を用いて、真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。保育園らしさが残る奥の遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられている。天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、今回の地震によるものではない。

   作品には10㌧もの塩が使われている。山本基氏が「塩」にこだわる背景には、若くしてこの世を去った妻と妹との思い出を忘れないために長年「塩」を用いて、展示空間そのものを作品とするインスタレーションを制作しているのだという。「塩も、かつては私たちの命を支えてくれていたのかも知れない。そんな思いを抱くようになった頃から、塩には『生命の記憶』が内包されているのではないかと感じるようになりました」(サイト「山本 基 – Motoi Yamamoto -」より)。

   それしても、塩に水を吹きかけレンガのように固めて階段状に積み上げたものが、なぜ震度6強の揺れに耐えたのか。ぜひ、作者に尋ねてみたいものだ。

   青と白のインスタレーション(空間構成)をまったく別の会場でも鑑賞した。リアス式海岸の特徴的な、海に突き出た鰐崎(わんざき)海岸。ここに石彫作家、奥村浩之氏の作品『風と波』(2023年制作)がある=写真・中=。25㌧の石灰岩を加工した作品。よく見ると、造形部分と自然石の部分が混在している。最初は塩の塊(かたまり)かと勘違いしたほど白く、そして青空と紺碧の海に見事に映える。そして、夕日に染まればまったく別の作品に見えるかもしれない。

   作品の周囲を見渡すと「巨鯨魚介慰霊碑」がある=写真・下=。「鯨一頭捕れれば七浦潤し」とのことわざがあるように、浜に漂着したクジラは漁村に幸をもたらした。説明板には、明治から昭和にかけて、シロナガスクジラなどが岩場に漂着し、それに感謝する碑と記されている。海の生き物に感謝する能登の人たちの心根のやさしさだろうか。

   奥村浩之氏はこの慰霊碑を横目で見ながら作品を創作したことは想像に難くない。山本基氏の「青と白」の生命の記憶につながるストーリーではないかと連想した。

⇒28日(木)午前・金沢の天気   あめ時々くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~2 丘の上のアート

   急な坂道を車で上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が広がる。芸術祭のために造られた「潮騒レストラン」に入る=写真・上=。水平線で区切られた空と海のコントラストを眺めながら、食事や喫茶ができる。地元の海で採れるアオサノリとサザエを具にしたパスタは海の香りを漂わせる。

   このレストランですごさを感じるのは一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した、日本初の建造物となっている。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長いレストランを建築設計したのは建築家、坂茂(ばん・しげる)氏。被災地や紛争地で支援活動を続ける建築家としても知られる。ことし5月5日に震度6強に見舞われた珠洲市で、被災した人々に避難所用の「間仕切り」を公民館に設置した。現地で見学させてもらったが、ダンボール製の簡単な間仕切りだが、透けないカーテン布が張られ、プライバシーがしっかりと確保されていた。

   このレストランの横に旧・小学校の体育館を改修した「スズ・シアター・ミュージアム」=写真・下=がある。同市の文化の保存活用のため2021年に開業した民俗博物館。家庭で使用されてきた生活用具を集約し、展示・紹介するとともに、アーティストらによる物語が展開される体験型の施設だ。この地に根付く農林漁業の生業と生活文化、民具、民謡、祭囃子が映像や光、音とともに空間に響き渡る。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   くもり時々あめ