⇒トピック往来

☆能登被災地・町野のFMラジオ NHK連続ドラマのモデルに

☆能登被災地・町野のFMラジオ NHK連続ドラマのモデルに

能登がNHKの連続ドラマの舞台となるのは2015年放送の『まれ』以来ではないだろうか。NHKの公式サイトによると、来年2026年春放送の連続ドラマ『ラジオスター』の制作が能登の輪島市で始まり、NHKはきのう(27日)出演者のコメントを発表した。

ドラマは、主人公の柊カナデ(福地桃子)は大阪で働いていて、恋人の故郷である能登を旅行中に地震に遭い、避難所で松本功介(甲本雅裕)の世話になる。松本はコメ農家で米粉を使ったパン屋を営んでいたものの、地震と豪雨で田んぼと店を失い、妻と息子とは離れて暮らしていた。カナデはボランティアとして再び能登に入り、松本と再会する。そのころ、地元では笑えるFMラジオを開設する話で盛り上がり、番組づくりの経験がない主婦の小野さくら(常盤貴子)ら町の人たちが集まっていた。予算もない、スタジオもない、電波もない状況だが、気持ちは盛り上がる。そんな中で、恩人の松本からの頼みでカナデがラジオのパーソナリティーを担当することになる、というストーリーだ。

出演者のコメントによると、福地は「演じるカナデも生まれも育ちも別の場所で、いろいろなご縁があって能登にやって来ます。この町の人ではない彼女だからこそ、ドラマを見る人の心に届けられるものがあると信じています」とアピールした。甲本は「僕らはうつむいている場合ではなく、このドラマを明るくて楽しい作品にしないといけないなと思っています」と語った。『まれ』にも出演した常盤は「1ヵ月ぶりに能登を訪れて、いまの能登は(被災した建物の)解体が終わって時間がたち、『さて、ここからどうしよう』という局面に立たされているんだなと感じました。今だからこそ、みんなで盛り上げていきたい」と能登にエールを送った。

連続ドラマ『ラジオスター』にはモデルがある。輪島市町野町には地元の有志らがことし2月23日に臨時に開設したFMラジオがあり、当日、その様子を見学に行った。被災地のこうしたFM放送は「災害FM」と呼ばれ、災害の軽減に役立つ情報を伝える目的で開局が可能だ。この日は公開スタジオが設けられ、元NHKアナウンサーの女性とフリーパーソナリティの男性が司会を務め、地元の住民がゲスト出演していた=写真=。主催する団体「町野復興プロジェクト実行委員会」ではその後、クラウドファンディングなどで開業資金を集め、7月7日に「まちのラジオ」のネーミングで開局にこぎつけた。農家や医師、消防士など10人のボランティアが、パーソナリティも含めた運営を担っている。

被災者にとっては「情報こそライフライン」である。NHKの連続ドラマがさらに後押しとなって、地域の人たちの輪をつなぐ和やかなラジオ局となることに期待している。

⇒28日(金)夜・金沢の天気   あめ

☆能登震災復興の足音 「被災農地の再開7割」「祭り復活は5割」

☆能登震災復興の足音 「被災農地の再開7割」「祭り復活は5割」

去年元日の能登半島地震と9月の記録的な大雨の被災地をめぐると、農地のダメージがいたるところで目に付く。地震で水田や畑地に亀裂が入り沈下、農道や水路でも亀裂が目立つ。法面が崩れたため池も見かけた。豪雨では、水田に土砂や流木の流れ込みが目に付いた。そうした農地も徐々に以前に戻りつつあるようだ。

石川県のまとめ(11月14日発表)によると、能登地震と豪雨で被災した農地2800㌶のうち、7割にあたる2000㌶で営農が再開された。再開に至っていない800㌶のうち、水路の損傷など生産基盤に原因がある500㌶は被害規模に応じ3つに区分して再開を進めている。被害が小さい200㌶は2026年の再開を目指す。中規模被害の150㌶は測量設計などを進めて2027年の再開を目標とする。大規模な崩落など被害が深刻な150㌶は今年度中に復旧方針を決め2027年に工事に着手、2028年以降の再開を目指すとしている。(※写真・上は、亀裂が入った輪島の白米千枚田=2024年3月4日撮影)

問題は、金沢など他地域への避難や移住などで耕作が再開されていない、人的な要因による300㌶の農地。県では今後の営農意向を把握するため、本来の耕作者800人に現在、アンケートを実施している。今月(11月)末までに回収を終わらせ内容を分析する。結果をもとに「奥能登営農復旧・復興センター」(穴水町・2024年11月設置)が農地利用に向けた話し合いを本来の耕作者と進める。また、外部からの農業スタートアップの募集も視野に入れ、耕作を受託する農業者との仲介などマッティングも行うことで、営農の再開に結び付けていくとしている(今月14日・馳知事会見)。

話は変わる。これも県の発表(11月14日)。能登地震以降で中止が相次いでいた能登の祭りについて、ことしは地震前の半数となる119件まで復活したことが分かった。地震の前まで226件の祭りがあったものの、地震の後は担ぎ手が確保できないなど、去年は68件に留まっていた。県では神輿や奉灯キリコの担ぎ手を派遣する祭りボランティア「祭りお助け隊」を設置するなどし、祭りの復活を支援。あばれ祭(能登町宇出津)やお熊甲祭(七尾市中島町)など、要望のあった21の祭りに451人を派遣した。(※写真・下は、「イヤサカヤッサイ」と若者たちが声を上げて担ぐあばれ祭りのキリコ=2025年7月4日撮影)

馳知事は発表当日の記者会見で能登の祭りに意義について語った。以下要約。「祭りお助け隊として参加した方からは、祭りの開催に貢献ができ、貴重な経験となった。祭りへの参加を通じて能登がもっと好きになった。来年以降も是非参加したいといった感想が寄せられた」、「祭り実施団体からは、祭りの開催が復興に向けた弾みとなった。祭りお助け隊との交流を通じて、自分たちの祭りの価値を再認識し、祭りを継承する意志が強まった。こうした声をいただき、一つでも多くの祭りが再開し、能登が元気に復活することを願っております」

被災農地の復旧は7割、伝統の祭りの復活は5割・・・。能登のキリコ祭りは豊作・豊漁を祈る祭りでもあり、一次産業と一体化した伝統的な催しでもある。徐々にではあるが、こうした数値から能登復活の足音が響いてくる。行政のアイデアと努力には敬意を表する。

⇒20日(木)夕・金沢の天気 くもり

☆ブルゴーニューのワインは語りも「醸舌」 香箱ガニそばの満足度

☆ブルゴーニューのワインは語りも「醸舌」 香箱ガニそばの満足度

ワインとそばの話。先日、金沢市内のワイナリーでフランスのブルゴーニューのワインを学ぶ集いがあり、参加した=写真・上=。講師は、ブルゴーニュ地方にあるヴォーヌ・ロマネ村のソフィー・ノエラさん。6代目の女性オーナーだ。家族経営で25㌶の畑でブドウを栽培している。畑の管理にはこだわりを持っていて、伝統的な手法を大切にし、農薬や化学肥料を使わない。そして収穫期までに3度の見極めをする。一つは、開花から100日後のブドウの育ち具合。二つ目が畑で常にブドウの状態、とくに害虫などついてないかを見極める。三つ目がブドウを試食し刈り入れのベストなタイミングを見極める。ブドウの栽培には妥協を許さない。これが代々の教えだそうだ。

ソフィー・ノエラさんが目指しているワインは、豊かで複雑な果実味をもち、さらにフィネス(エレガントで繊細な味わい)にあふれたもの。熟成によりフィネスがさらに深まると考え、数十年熟成可能なワインも造っている。注目されるフランスのワインだけに、最近では外資系資本が入ってきて伝統的なワイナリーの経営が別の人の手に渡ってしまうことは珍しくないらしい。ただ、ブルゴーニュのワイナリーはフランスの中でも特に血縁関係で繋ぐ伝統が濃いため、外資系資本の影響は少ないようだ。

最後に、「ペティアン・ナチュレ」について尋ねた。自然酵母で発酵し、自然に安定、無濾過で瓶詰めされ、酸化防止剤は使用しない自然派志向のまさにワイン原酒。この原酒ブームはフランスだけでなく、イタリアでも「フリッツァンテ」などと称され人気のようだ。ソフィー・ノエラさんは「ワインの味わい方は時代を超えて楽しめること」とほほ笑みながら語った。

話は変わって、カニのそば。ズワイガニのメスの香箱ガニが一匹丸ごと入ったそばが金沢にある。季節を感じさせるそばなので3年ぶりだろうか、久しぶりに店に入った。注文したのは「香箱蟹の玉とじあんかけそば」。ほかの客のほとんどが同じメニューを注文していた。この店の名物メニューだ。

20分ほど待って、カニそばが運ばれてきた。そばの上に香箱ガニの身と内子、外子などが並んでいて、じつに食欲をそそる=写真・下=。香箱ガニはおでんとの相性がよく、そばつゆとも違和感がない。満足度がじつに高い。来月26日まで季節限定のメニューとして並ぶ。ちなみに値段は3900円。

⇒18日(火)夜・金沢の天気   あめ

★マツタケ不作で高値 ズワイガニ豊漁で割安

★マツタケ不作で高値 ズワイガニ豊漁で割安

金沢の近江町市場は季節の食材がずらりと並んでいる。少々驚いたのが能登産マツタケの価格。1本150㌘の大きさのものが3万8000円、小さいもの9本300㌘で4万8000円の値札がついていた=写真・上=。店の人に「いつもの年より(値段が)高いね」と声かけすると、「ことしは不作なんですよ。残暑が長く続いて、大雨もあったせいですかね」との返答だった。確かに、店頭には能登のほか国産のマツタケそものが少ない。店の人によると、例年より4割から5割ほど高値だという。むしろ、カナダ産や中国産、ヒマラヤ山脈産などが多く並んでいて安い。

店頭を眺めながらふと思った。以下憶測だ。マツタケが不作というより、クマの出没が多発していて、キノコ採りの人たちが山に入るのを控えているのではないか、と。石川県ではことしのクマの出没件数は336件(今月11日時点)、隣県の富山県内では843件(同10日時点)となっている。富山では過去10年で最多だった2019年の919件に迫るペースだという(地元メディア各社の報道)。クマのエサとなるドングリが凶作や不作に見舞われている。さらに「人馴れ」したクマが増えていて、人里に出没するケースが増えているとの見方もある。

マツタケの産地の能登ではクマの出没件数は少ないものの出るときには出る。今月5日正午ごろ、半島北部の穴水町の道路沿いで体長1㍍から1.5㍍ほどの一頭の目撃情報が寄せられている(石川県庁公式サイト「令和7年のクマ出没記録」より)。マツタケのシーズンは今月下旬までといわれているので、消費する立場の自身も複雑な気持ちだ。マツタケに手が届かないまま今季は終わりか、と。人里の安全のためにクマ駆除の早急な対応を政府や自治体を願いたい。

さらに近江町市場を巡っていて気が付いたこと、それは今月6日に解禁となったズワイガニの価格が手ごろになっている=写真・下=。オスの加能ガニは大きなサイズだと1匹2万2000円という高値のものもあったが、そこそこのサイズだと5000円から6000円の値段多い。年によって価格は異なるものの、例年より2割から3割安いのだ。鮮魚店の人に尋ねると、解禁以降、好天続きで水揚げ高も多く、「ズワイは表年(おもてどし)だよ」と笑顔で話した。ただ、カニの需要期は12月から冬場にかけてなので、この時期に荒天が続くと高値を呼ぶかもしれない。

⇒12日(水)夜・金沢の天気   くもり

☆日常生活にクマ出没 駆除に自衛隊出動という非日常

☆日常生活にクマ出没 駆除に自衛隊出動という非日常

クマの駆除に陸上自衛隊が派遣された。前代未聞のことだが、まさに過疎化する日本を象徴する出来事ではないだろうか。メディア各社の報道によると、クマによる人身被害を防止するため、秋田県と陸上自衛隊第9師団(青森市)は5日、クマの捕獲に向けて協定を結んだ。自衛隊は箱わなの運搬などで県内市町村を支援する。きのうからさっそく、秋田駐屯地(秋田市)の隊員が鹿角市で活動を始めた。支援は自衛隊法100条(土木工事等の受託)などに基づき、①箱わなの運搬、②箱わなの設置や見回りに伴う猟友会員らの輸送、③駆除したクマの運搬や埋設のための掘削、④情報収集――の4項目。武器による駆除は対象外となっている。支援期間は今月末まで。

クマの市街地での出没や人身事故は秋田県だけでなく、全国的な問題となっている。近年その傾向が強まったため、政府はことし4月、クマやイノシシが市街地に出没し、建物内に立てこもったり、木の上に登ったりするなど膠着状態が続いた場合、それぞれの自治体の判断で発砲できるようにする「改正鳥獣保護管理法」を成立させた。そこで問題となっているのが、クマ対策に関わる人材の不足だ。山奥から人里に入って来るクマを途中で阻止するために仕掛ける箱わなは重さが200㌔のあり、それをクマの通り道を推測して各所に設置するというのは、人材不足で地方では手が回らない、というのが現実のようだ。

クマの出没は地方だけの話ではない。最近では「アーバンベア(都市型クマ)」と呼ばれ、市街地周辺で暮らし、街中に出没するクマも増えている。金沢市の野田山は加賀藩の歴代藩主、前田家の墓がある由緒ある墓苑だ。市街地と接しているが、供え物の果物を狙って出没する。野田山では「お供え物は持ち帰ってください」との看板が随所にかかっている。中心街にも出没する。周辺にオフィスビルなどが立ち並ぶ兼六園近くの金沢城公園で、たびたび出没したことから、捕獲用のおりを仕掛けたところ体長1㍍のオスがかかったこともある(2014年9月)。(※クマ出没に注意を呼びかける石川県自然環境課によるポスター)

環境省公式サイトの「クマに関する各種情報・取組」によると、今年度の上半期(4-9月)の全国のクマの出没件数(速報値)は2万792件だった。昨年度同時期の1万5832件を大幅に上回り、統計の残る2009年度以降で最悪のペースとなっている。これだけ出没が頻繁になってくると懸念されるのは人身被害もさることながら、動物から人に伝染する「ズーノーシス」(Zoonosis=人獣共通伝染病)ではないだろうか。人間の活動領域と野生動物の領域が混じり合いことで、間接的であったとしても野生動物との接触度が増えることで感染リスクが高まる。欧米を中心にかつて広まった感染症「サル痘」やエボラ出血熱などはズーノーシスとされる。

少々乱暴な言い方になるが、日本でもズーノーシスが起きるのではないか。感染したクマが人里や住宅街に頻繁に入ってくることで、人々に感染症をもたらすかもしれない。そんなことを懸念する。

⇒6日(木)夜・金沢の天気   はれ

☆季節の変わり目に体を労わる一杯「薬膳ラーメン」のこと

☆季節の変わり目に体を労わる一杯「薬膳ラーメン」のこと

年齢を重ねると妙に「薬膳」という言葉が気になる。地元新聞の企業商品の紹介記事で「薬膳ラーメン」とあったので、昼食にちょうどいいかと思い、ラ-メンチェーン店に行ってきた。「8番らーめん」。地元石川県発祥のチェーン店で、ある意味でソウルフードとして地元では親しまれている。もともと石川県加賀市の国道8号線沿いで創業したラーメン店で、屋号は「国道8号」にちなんだネーミングといわれる。自身がこのチェーン店に初めて入ったのは55年も前のことで、長らく親しんできた味ではある。。

店に入り、タブレットで注文したのが「野菜辣醤麺(ラージャンメン)。税込990円。10月31日から1ヵ月ほどの期間限定。商品説明を読んでいると、「季節の変わり目に体を労わる一杯」と、なかなか味のあるキャッチコピーだ。とは言え、試験販売のようなもので売れ筋になりそうならば一般メニューに追加して並ぶのだろう、などと思いながら待っていると、野菜辣醤麺が運ばれてきた=写真=。テーブルに置かれる。ごま油やシナモンの香りが漂ってきた。まるで、「薬膳ラ-メンですよ、お待たせ」と語りかけてくるような。

さっそくすすってみる。野菜の旨味に、辛さ・しびれ・ほのかな酸味や、華やかな香りなどとても複雑な風味だ。まるで味のオーケストラのような。そして、体が内側から温まって来る。ネギや生姜などの香辛野菜のほか、唐辛子や山椒、コリアンダー、ヒハツなど薬膳効果がある食材が11種も入っているので、それぞれが楽器を奏でるように体内に伝ってくる。最後に、奥深い辛さの中にも、すっきりとした香りのアクセントを味わいながらラーメン汁をすする。楽しみが増えたような充実感だった。

これまで「8番らーめん」での定番は冬場の酸辣湯麺(サンラータンメン)だった。二日酔いに効くので以前から重宝している。独自のラー油「紅油」はゴマ油と赤唐辛子をベースに桂皮(シナモン)、陳皮(ミカンの皮)、山椒が加えてあり、額にうっすらと汗がにじんでくる。この瞬間から爽快感が出てきて、二日酔いが和らいでくる。それに比べ、野菜辣醤麺はシニアの老体を励ますコンセプトを感じる。1ヵ月限定とは言わずに、定番メニューに加えてほしい。付き合いの長いラーメンなので、勝手解釈を述べた。

⇒2日(日)夜・金沢の天気   あめ

★きょうから11月、冬の訪れ前に兼六園で「雪吊り」始まる

★きょうから11月、冬の訪れ前に兼六園で「雪吊り」始まる

きょうから11月。金沢に住んでいて、そろそろ冬の準備をしましょうと告げるのが兼六園の「雪吊り」ではないだろうか。毎年11月1日から雪吊りが始まり、唐崎松(からさきのまつ)などの名木に施される=写真、2022年11月撮影=。木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。唐崎松には5本の支柱がたてられ、800本もの縄が吊るされる。まるで天を突くような円錐状の雪吊りはアートのようにも見える。

なぜ雪吊りを施すのか。金沢の雪はさらさら感のあるパウダースノーではなく、湿っていて重い。庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。そこで、金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」といった雪害対策の判断をする。唐崎松に施されるのは「りんご吊り」という作業で、このほかにも「幹吊り」(樹木の幹から枝に縄を張る)や「竹又吊り」(竹を立てて縄を張る)、「しぼり」(低木の枝を全て上に集め、縄で結ぶ)など樹木の形状に応じてさまざまな雪吊りの形式がある。

毎年の光景だが、雪吊り作業の様子をインバウンド観光の人たちが珍しそうに眺め、盛んにカメラを向けている。とても珍しい光景なのだろう。兼六園はミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得てから、インバウンド観光客が多く訪れるようになった。名木を守り、庭園の価値を高める作業ではある。兼六園では12月中旬ごろまで、800ヵ所で雪吊りが施される。

季節の話題をもう一つ。今月6日には北陸の冬の味覚の主役、ズワイガニ漁が解禁となる。石川県内の店頭ではオスの「加能(かのう)ガニ」、メスの「香箱(こうばこ)ガニ」が並ぶ。ズワイガニはご当地独自の呼びかたがあって、山陰地方では「松葉ガニ」、福井県では「越前ガニ」、そして石川県では「加能ガニ」と呼んでいる。ちなみに、加能とは、加賀と能登のこと。

「初物七十五日」という言葉がある。旬の時期に出回り始めた初物を食べると寿命が「七十五日」延びるという意味。 四季に恵まれた日本ならではの季節感で、それほど旬の食材を大切にしてきたということだろう。この11月は兼六園の雪吊りに始まり、ズワイガニ漁の解禁と続き、季節感が漂う。

⇒1日(土)夜・金沢の天気  あめ

★トランプ韓国訪問と言えば、6年前あのサプライズ会談

★トランプ韓国訪問と言えば、6年前あのサプライズ会談

トランプ大統領のアジア外交をメディアでチェックしていて、若いころによく使ったタフガイ(Tough Guy)という言葉を思い出した。マレーシアではASEAN関連首脳会談などをこなし、日本では天皇陛下との会見、高市総理と首脳会談、きのう(29日)は韓国で李大統領との首脳会談に引き続き、きょう午前11時すぎから韓国プサンの韓国空軍の施設で習近平国家主席との首脳会談を行っている。午後からは、あすから始まるAPEC首脳会議の関連行事のみ出席し、きょう中に帰国するようだ。

まさに4泊5日の強硬スケジュール。さらにここで想起するのが、2019年6月30日の「板門店会談」のような電撃的イベント。6月29日にG20大阪サミットで日本を訪れていたトランプ大統領はツイッターで「While there, if Chairman Kim of North Korea sees this, I would meet him at the Border/DMZ just to shake his hand and say Hello(?)!」(北朝鮮のキム主席がこれを見たら、握手してあいさつするためだけでも南北軍事境界線DMZで彼と会うかも?!)と、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長(当時)との面談をほのめかしていた。そして、30日午後3時45分、DMZ(韓国と北朝鮮の非武装地帯)での電撃的な会談が実現した。

同日午前11時、韓国を訪れていたトランプ大統領は文在寅大統領と首脳会談を行う。午後1時、会談後の記者会見でトランプ大統領は「DMZに行き、キム委員長と会う」と明言。ヘリコプターで午後2時45分ごろに現地の監視所に到着した。この1時間後の午後3時45分、板門店でトランプ大統領と金委員長が面会する。ここからの様子をホワイトハウスはX(旧ツイッター)で動画を公開している。両者はゆっくりと進み、軍事境界線を挟んで握手を交わし=写真=、その後、国境をまたいで北朝鮮側に入る。現職のアメリカ大統領として、初めて北朝鮮側に入った瞬間だった。

この後、韓国側の「自由の家」で午後4時ごろから米朝首脳会談が始まる。その冒頭で、トランプ大統領はこう語った。「とても特別な瞬間であり、2人の面会は歴史的なことだ。ソーシャルメディアでメッセージを送って、あなたが出て来てくれなければ、またメディアにたたかれるところだったが、あなたがこうして出てきてくれたので、2人ともそうならずに済んだ。そのことに感謝したい」(2019年6月30日付「NHKニュース」サイト)。まさにサプライズ会談だった。

トランプ大統領はきのうの記者会見で、韓国訪問中に金総書記との会談は行われないと明言しているので(29日付・AFP通信Web版)、今回、サプライズはなさそうだ。

⇒30日(木)午後・金沢の天気   はれ

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

能登の小学生たちがことしも「田んぼアート」にチャレンジした。描かれた作品は「のと」の文字だった。輪島市町野小学校の5年生と6年生の9人の児童がデザインを考えて、田植えから始めた。少し赤い色は古代米の赤米、緑の色は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリの色だ。児童を指導したのは地元のベテランの農家の人たち。

きょう輪島市町野町に見学に行ったが、すでに田んぼの稲刈りが終わっていた。そこで、現地の関係者の方から写真を見せてもらった。左側の丸い顔のようなデザインが「の」、そして、すでに稲刈りが一部行われているが、右の部分が「と」の文字。面白いのは「の」を顔に動物の見立て、下が4本足の犬か猫のようなかわいい動物の姿に見える。(※写真・上は、地元の関係者からの提供)

児童たちの「田んぼアート」には歴史があり、2002年から始まった。最初は田植えと稲刈りを通じて、コメづくりの大切さを学ぶというコンセプトだった。コメは収穫期になると赤米、緑米、コシヒカリにそれぞれの色があることから、その色を利用して2004年から田んぼアートを行うようになった。

自身は去年初めて現地を訪れた。そのときの作品は「生きる」という文字と、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・中=。去年元旦の能登半島地震では家屋の下敷きになるなどして多くの人が亡くなった。田んぼアートに描かれた「生きる」というメッセージは、子どもたちが「亡くなった人たちの分も頑張って生きましょう」との想いを込めたのだろう。そして、ことしの「のと」は震災からの能登復興の想いを込めたのだろうか。そんなことを思い巡らしながら現地を後にした。

帰りに輪島市の白米千枚田に立ち寄った。稲刈りはすでに終わっていたが、多くの観光客が訪れていた。中でも目立つのインバウンド観光客だ。中には稲刈りの後の田んぼのあぜ道を歩いているグループの姿もあった。日本人の観光客の場合は展望台から眺める姿が多いものの、欧米からと思われるインバウンド観光客の場合は下りて間近に見学する行動パターンが多いように感じる=写真・下、ことし9月18日撮影=。

「ダークツーリズム(Dark tourism)」という言葉がある。戦場跡地や被災地などを訪れる欧米の観光スタイルを指す。危険な場所であったとしても、あえて現場に行く。ツーリズムそものが徹底した現場主義なのだろう。日本人の場合は「危ないところに行くな」と身内や周囲から止められるだろう。この違いは何だろう。

⇒24日(金)夜・金沢の天気    はれ

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

能登半島の中ほどに夕陽の絶景スポットとして知られる安部屋弁天島(あぶやべんてんじま)という陸続きの小さな島がある。夕暮れになると空と海と島が織りなす幻想的なシルエットが広がる。この光景を見続けることができる地域の人たちの穏やかな気持ちを察する。800年余り前の話。源氏と平家が北陸で戦った倶利加羅峠(くりからとうげ)の合戦で敗れた平家側の武将、平式部大夫がこの地にたどり着き、安寧の地と定めて定着した。憶測だが、そのきっかは弁天島の夕陽の光景だったのではないだろうか。その後、平家(たいらけ)の子孫は幕府の天領地13村を治める大庄屋となる。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目、弁天島の近くにある平家の屋敷と庭園を見学に入った。

屋敷を外から眺めると堂々としている。周囲の民家は屋根が崩れたままとなっていたり、公費解体を終えた家が目立ったものの、平家の屋敷や庭園は震災による被害を免れたようだ。茶室から庭が望め=写真・上=、書院の間から前庭が穏やかに広がっている=写真・中=。志賀町では最大震度7が観測され、住家・非住家含めた建物1万7600棟が損壊(うち全壊2400棟)に及んでいる。平家保存会の平礼子さんに被害がなかったのかと尋ねると、「昔の家なので柱と梁がしっかりしていてなんとか損傷は免れました。庭に亀裂が入ることもなった」との説明だった。

「大変なのは庭です」とのこと。庭園が1978年に石川県の指定名勝(面積750平方㍍)となったことから一般開放に踏み切り、入場料や自己資金で庭の維持管理をなんとか賄ってきた。しかし、コロナ禍や地震、記録的な大雨で観覧客が減り、維持管理費の支出が厳しくなり、「悩んでいる」という。確かに、庭木の剪定や苔の管理、落ち葉の清掃など並大抵ではない。こちらが「庭の掃除が大変ですね」と問いかけたことから、リアルな話になった。

その次に醤油蔵元「カヨネ醤油」を訪ねた。ここでも地震で崩れることなく、白壁と柱と梁が白と黒のコントラスを描いていた。カネヨ醤油は2026年に創業100周年を迎える。「カネヨの甘口」は能登の風土が育んだ味である。魚の刺し身に合う醤油だ。4代目の木村美智代さんから震災当時の話を聞いた。工場の建物は無事だったが、瓶詰めのラインは稼働できなくなり廃棄。醤油の浄化槽の横には大きな陥没ができた。さらに、店に買いに来る客はゼロになった。

売り上げを支えたのは木村さんが始めたオンラインショップだった。もともとコンピュータ関連メーカーで働いていた経験があり、すばやく取り組んだ。商品を買って被災地を応援しようと注文が全国から相次いだ。その後、2月になって醤油造りを再開。瓶詰めからペットホトル詰めへと製造ラインを変更した。「能登の食文化と醤油づくりの未来を守ること」。震災を乗り越え、創業100周年への意気込みを語った。

⇒19日(日)夜・金沢の天気   くもり