☆震災とマスメディア-5-

 28日付の産経新聞インターネット版で「『避難所にテレビを』岩手出身の小笠原が“お願い”」との見出しが目に留まった。記事によると、Jリーグ選抜の小笠原満男選手は「ひとつお願いがあるんですが…」と報道陣に切り出し、「被災地ではテレビを見られない人もたくさんいるんです。より多くの人に見てもらえる方法を協力してもらえませんか。避難所に小さなテレビを持ち込むとか…」と呼びかけたという。小笠原選手は、今月18日に高校時代を過ごした岩手県大船渡市と妻の実家がある陸前高田市の避難所を訪れている。「現地の実情を知るからこそ、の言葉だった。」と記事は報じている。

      「避難所にテレビを」放送インフラを急げ

 被災地に放送が果たす役割は大きいが、なんといってもインフラの整備だ。テレビを視聴できるようにすることだ。2007年3月25日、震度6強の能登半島地震では全体で避難住民は2100人余りに及んだ。多くの住民は避難所でテレビやラジオのメディアと接触することになった。注目すべきことがった、被害が大きかった輪島市門前町を含め45ヵ所の避難所すべてにテレビが完備されていたことだ=写真=。地震で屋根のテレビアンテナは傾き、壊れたテレビもあったはず。一体誰が。

 この「テレビインフラ」をわずか2日間で整えたのはNHK金沢放送局だった。翌日26日から能登の全避難所45カ所を3班に別れて巡回し、アンテナなどの受信状態を修復し、さらにテレビのない避難所や人数が多い避難所には台数を増やし、合計12台のテレビを設置した。用意周到だったのは、2006年5月に金沢放送局では災害時に指定される予定の避難所にテレビが設置されているかどうか各自治体に対し予備調査を行っていた。このデータをもとにいち早く対応したのだった。

 NHKは報道機関では唯一「災害対策基本法」が定める国の指定公共機関であり、災害報道と併せハード面のバックアップは両輪である。が、それだけではない。金沢放送局はこんなアフターフォローも行った。地震が起きたのは3月の最終週に入る日曜日とあって、被災者から当時人気だった連続テレビ小説「芋たこなんきん」の最終週分を見たいとの要望や、大河ドラマ「風林火山」を見損ねたとの声があり、著作権をクリアにした上で、要望があった13カ所の避難所に収録テープを届け、またビデオの備えがない7カ所にビデオデッキを届けた。こうした被災者のニーズを取り入れた細やかな活動があったことはテレビ画面からは見えにくいが、避難住民を和ませたのだった。

 しかし、東日本大震災は能登半島地震に比べとてつもなく広範囲だ。避難所は2100ヵ所もある。さらに、中継鉄塔などが損傷し、その対策も追われ、すべての避難所にNHK技術陣の手が回りきれていないのだと想像する。避難所にテレビがなく、情報が入らなければ余計に不安が増す。小笠原選手が取材陣に述べた「避難所に小さなテレビを持ち込むとか・・・」は、技術陣だけでなく、現地を取材するNHKや民放の記者やカメラマンにもできることだ。

⇒29日(火)朝・金沢の天気  はれ