★能登と金大のいま‐上

 能登半島というとどんなイメージをお持ちだろうか。おそらく東京からみると、裏日本とか、どこか最果てのような感じをお持ちではないか。昭和36年、能登半島の先端の岬に立った俳人・山口誓子は「ひぐらしが 鳴く奥能登の ゆきどまり」と、非常に寂しいところに来てしまったという句を読んだ。かと思えば、この先端に立ったとき「アジアが近いね」と中国大陸の方を眺める人も多い。能登半島を日本の行き止まりと感じる人と、ここからアジアが見えてくると表現される人。おそらくそこは、その人の世界観ではないか。

    「大学らしからぬこと」

  石川県に3年ほど赴任したことがある国連環境計画(UNEP)のアルフォンス・カンブ氏は、日本海をじっと眺めて、「1976年に地中海の汚染防止条約ができました。日本海にも条約をつくって、日本海の環境を守りたいですね」と持論を述べたことがある。彼はUNEPで条約づくりに携わっている。また、金沢大学で黄砂の研究をしている岩坂泰信特任教授は「能登は東アジアの環境センサーじゃないのかな」と感想を述べた。大陸から舞い上がった黄砂が日本海をずっと渡ってくる。そのときにウイルスが付いたり化学物質が付いたりしていろいろ変化している。岩坂教授は昨年、「大気観測・能登スーパーサイト」構想を打ち上げ、観測拠点を着々と整備している。日本海を眺めながら、いろいろなことを考えている人がいる。

  能登半島の先端に金沢大学の人材育成拠点「能登里山マイスター養成プログラム」の拠点がある。ここでは、廃校になった小学校を珠洲(すず)市から借りて、研究交流施設として利用している。金沢大学からは約150キロ離れていて、常駐の研究者が6人いる。この能登プロジェクトを立ち上げた中村浩二教授の口癖は「大学らしからぬことをやろう」である。そして、能登半島にとうとう大学のキャンパスらしきものをつくった。

 中村教授は能登に非常に危機感を持っている。輪島の千枚田などは、海に浮き出た棚田で観光名所にもなっているが、その半分以上が後継者不足、過疎化などで耕されない田んぼであるという現実がある。さらに07年3月25日に能登半島地震があって家屋が多く倒壊した。こんな能登半島になんとか若い人を残し、活気ある社会を築いていくために、どうすればよいか。中村教授の結論は「能登に大学が出かけていくこと」であった。07年7月に金沢大学と能登にある輪島市や珠洲市など2市2町の自治体が協力をして「地域づくり連携協定」を結んだ。(次回に続く) ※写真は、能登半島の先端、珠洲市にある金沢大「能登学舎」。