★松井、NYの存在感

  日本のどんな小さなローカル局でも、アメリカ大リーグ(MLB)の映像を使おうとするとシーズン契約の映像使用料として150万円以上は覚悟しなければならない。これが日本全体のテレビ放映権料となると330億円にも積み上がる。そして、ヤンキースタジアムには建設機械メーカー「コマツ」など日本企業の広告が目立つ。こうした経済効果はニューヨークに拠点を構える松井秀喜選手の影響が大きいのは言うまでもない。

   ここ数日、テレビも新聞もヤンキースと4年で総額5200万㌦(61億8800万円)で再契約した松井選手の話題で持ちきりだ。16日、ヤンキースタジアムでの記者会見に日米70人もの報道陣が詰めかけた。会見内容を報じた新聞記事によると、会見に同席したブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)は「彼は、チームの勝利に貢献するだけではない。日本からの関心を呼んで、ビジネス面でもニューヨークに貢献した」と好条件で契約した理由を述べた。要は、多大なジャパンマネーをもたらしてくれる松井選手を4年間囲い込んだ、と説明したようなものだ。

   およそ100年前、同じニューヨークで存在感をアピールした、松井選手と同じ北陸ゆかりの人物を思い浮かべる。高峰譲吉博士だ。加賀藩典医の長男として生まれ、長崎をへてイギリスに留学、1890年 に渡米した。高峰博士は世界の常備薬ともいえる「タカジア-スタゼ胃腸薬」の発明者であり、アドレナリン(副腎髄質ホルモン)の発見者として知られる。

   ただの化学者ではなかった。世界的な発明と発見で財を成した高峰博士は1905年、ニューヨークに日本人クラブを創設して初代会長に。外交官的なセンスも持っていて、当時のウィリアム・タフト大統領の夫人がポトマック川に桜の植樹をする計画を公表したのを知り、東京市長(尾崎行雄)から桜の苗木3000本を贈ってもらい、自らニューヨークで桜の植樹運動の中心となった。その桜が育ち、今では、全米各地の「桜の女王」が集いフェスティバルが開かれるなど日米親善のシンボルとなっている。

   いまの松井選手の業績は高峰博士に届いているか。否である。ヤンキース在籍3年間の成績は487試合に出場し、70本塁打、330打点、打率2割9分7厘をマークしているが、物足りない。しかも、上記のGMのコメントのように、彼の球団での存在意義は日本人と日本企業がもたらす経済効果によるものなのだ。自らのバットでワールドシリーズ制覇という金字塔を打ち立てなければ確たる存在感は示せない。それを実現して日米野球のシンボルとなれ、と。応援したい。

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