きのう(16日)所用で中能登町役場を訪れた。入り口で町の広報誌があったので手に取ると、表紙を飾っていたのは歌手の一青窈さんだった=写真・上=。おちゃめなポーズで。2ヵ月前のブログ(10月12日付)でも記したが、この町は一青窈さんの先祖の地でもあり、「一青」という地名もある。彼女はこの町出身の母親と台湾人の父親との間で生まれた。ヒット曲に『ハナミズキ』という曲があるが、この町にも「花見月(はなみづき)」という地名の田園地帯が広がる。

10月12日に開催された町制20周年記念の音楽イベントでは、メインゲストとして出演。町と関わるエピソードも披露した。『もらい泣き』でデビューした時、町の酒造蔵から純米吟醸酒「一青(ひとと)」をお祝いにもらい感動したと話した。そして、去年元日の能登半島地震の被災者が入る仮設住宅を訪れ、入居する人たちと交流したことにも触れていた。
では、なぜ広報の表紙がJR七尾線の駅「能登部」でのポーズ写真なのか。これは町の人は知っていることだが、町ではJR西日本金沢支社に働きかけ、2015年に列車の発着を知らせるメロディーを『ハナミズキ』に変更してもらった。町内にある良川、能登二宮、能登部、金丸の4つの駅で、電車が通るたびにこのメロディーが流れる。「♪果てない夢が ちゃんと終わりますように 君と好きな人が百年 続きますように」。駅で列車が近づいてくると、このメロディーがじんわりと心に響いてくる。一青窈さんはこのことを聞いて駅に確認に行き、メロディーが流れるのを聴いてうれしくなったのかもしれない。それがこのおちゃめなポーズに。

話は変わる。 能登半島をめぐる幹線道路の国道249号は能登地震、そして同年9月の記録的な大雨により一部区間で不通が続いていたが去年12月末から全線で通行が可能になった。ただ、一部区間は1車線となり、地元住民や緊急車両に限っての利用となっていた。それが、今月23日から一般車両も通行が可能になる。
その一部が半島の尖端で「塩田村」として知られる珠洲市仁江町と観光ホテルなどがある同市真浦町を結ぶ2.7㌔の道路。本来通っていたトンネルが土砂で埋まり通行不能となっていたが、国土交通省がトンネルの海側沿いにバイパス道路を造成していた。日本海の荒波が岩場に当たって舞い上がり、地震で崩れた山の岩肌がむき出しになった場所をバイパス道路で通る=写真・下=。素人目線でも「絶景」という言葉が浮かんでくる。そして、この光景はまさにジオパーク(Geopark)ではないだろうか。大地の造形物が何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感する。一般車両も通行可能になる絶景海道をぜひ車で走ってみたい。
⇒17日(水)午後・金沢の天気 くもり
