前回ブログの続き。取り上げる順番は逆になったが、政府は2025年度の文化勲章・文化功労者を発表した(10月17日)。その中で能登の国際芸術祭や震災復興と関わってきた建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が文化功労者に選ばれている。坂氏の能登での仕事の一端を初めて見たのは、能登半島地震の前年2023年5月5日に震度6強の揺れが起きた珠洲市を訪れたときだった。以下再録。
同市に入ったのは10日後の5月15日だった。家屋などの被害が大きかった同市正院町を歩いていると、横から声をかけられた。市長の泉谷満寿裕氏だった。金沢大学の教員時代に同市との協働プロジェクトを手掛けたことが縁で、これまでも声をかけていただいていた。そのときに、「バンさんのマジキリがすごいので見に行かれたらいい」と。「バンさんのマジキリ」の意味が分からなかったが、「それはどこにありますか」と尋ねると、近くの公民館にあるとのことだった。

さっそく行ってみると、公民館は避難所となっていた。スタッフの人が案内してくれた。実際に見てみると、避難所でつくられた個室パーテーションだった=写真・上=。説明によると、坂氏は被災した人々にプライバシーを確保する避難所用の「間仕切り」の支援活動を行っていて、同市にも震災後にいち早く間仕切りが寄贈された、とのこと。間仕切りは木製やプラスティックなどではなく、ダンボール製の「紙管」を使ったもの。カーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない。中にあるベッドもダンボールだ。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に災害支援活動に取り組んでいて、このような「バンさんのマジキリ」を開発したようだ。

坂氏はその年の秋に同市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」では、日本海の絶景が見渡せる丘の上に長さ40㍍、幅5㍍の細長い建物「潮騒レストラン」を造った=写真・中=。一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だった。ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した日本初の建造物という。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。まさにこの発想はアートだと感じ入った。

もう一点。2024年元日の最大震度7の能登地震で同市では坂氏が監修した仮設住宅が整備された=写真・下=。木造2階建ての仮設住宅は木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を積み上げ、箱形のユニットとなっている。地元県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。観光名所でもある見附島近くあり、外装の色合いも周囲の松の木と妙にマッチしていて、まるで海辺のリゾート地のような雰囲気を醸し出していた。
建築を通じて社会貢献をしていきたい、社会課題を解決していきたいという提案型の作品をつくり続ける坂氏の美学、そして使命感が伝わってくるようだった。
⇒4日(火)午前・金沢の天気 はれ
