☆テレビが世論をリードする「テレポリティクス」時代の終焉

きょう(27日)東京株式市場で日経平均株価が初めて5万円の大台に乗せた。前週末と比べた上げ幅は1200円を超え、終り値は5万0512円台だった。報道各社の世論調査で高市内閣の支持率が軒並み高水準(FNN75%、日経74%、読売71%)だったことに加え、アメリカと中国の両政府による貿易協議でアメリカが100%の対中関税発動を見送る方向となったことが追い風となったようだ。

話は変わる。ジャーナリスト田原総一朗氏のBS朝日討論番組『激論!クロスファイア』(今月19日放送)での発言が波紋を広げている。番組では自民党の片山さつき氏、立憲民主党の辻元清美氏、社民党の福島瑞穂氏がゲストだった。問題発言のきっかけは、選択的夫婦別姓をめぐる議論で、導入に慎重な立場を取る高市自民党総裁(当時)に対して、田原氏は「何で高市を支持しちゃうの。あんな奴は、死んでしまえと言えばいい」と言い放った。収録番組だったにもかかわらず、問題発言をカットしなかった局側も問われ、番組は打ち切りとなった。

田原氏が司会をするテレビ朝日系番組『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ!』をこれまで何度も視聴してきたが、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としていた。同じくアメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏(1933-2021)の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだった。手法は似て非なるものだったが、要は相手に迫る迫力が聞き手(キャスター)にあるということだ。ただ、田原氏は御年91歳、この迫力をいつまで保つことができるか。

ある意味で田原発言はテレビの時代のターニングポイントになったのではないだろうか。「テレポリティクス」と呼ばれた、テレビが世論をリードする時代の終わりだ。全盛期の1990年代から2000年初頭にかけて、テレビ朝日の番組『ニュースステーション』で久米宏氏がキャスターとして、いわゆる都市型選挙の世論をリードした。田原氏も番組『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ!』で当時の自民党政権の政治責任を追及する先兵役を担っていた。テレポリティクスの象徴的な出来事もあった。1993年にテレビ朝日の報道局長が民放連の内輪の勉強会で、「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかと報道内部で話した」などと発言。この発言が新聞記事=写真、1993年10月13日付・産経新聞=で報じられ、国会での証人喚問(同年10月25日)という異例の展開となった。

テレポリティクスの終わりを示す数値がある。ビデオリサーチ社による調査「自宅内における各メディアとの1日の接触時間」(2000-2024年)によると、テレポリティクスの全盛時代の2000年の1日のテレビ視聴は208分だったが、2024年には116分に大幅ダウン。録画再生の23分と合わせても139分だった。一方、インターネット(PC・スマホ・タブレット・携帯)との接触は2000年は1日8分とわずかだったが、2024年は117分に伸びている。

事件や災害、スポーツの情報をリアルタイムで伝えてくれるのはテレビであることは間違いない。テレポリティクスなどと気負わずに淡々と報じてくれればそれでよい。田原総一朗氏の問題発言からそんなことを思った。

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