
能登半島の中ほどに夕陽の絶景スポットとして知られる安部屋弁天島(あぶやべんてんじま)という陸続きの小さな島がある。夕暮れになると空と海と島が織りなす幻想的なシルエットが広がる。この光景を見続けることができる地域の人たちの穏やかな気持ちを察する。800年余り前の話。源氏と平家が北陸で戦った倶利加羅峠(くりからとうげ)の合戦で敗れた平家側の武将、平式部大夫がこの地にたどり着き、安寧の地と定めて定着した。憶測だが、そのきっかは弁天島の夕陽の光景だったのではないだろうか。その後、平家(たいらけ)の子孫は幕府の天領地13村を治める大庄屋となる。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目、弁天島の近くにある平家の屋敷と庭園を見学に入った。

屋敷を外から眺めると堂々としている。周囲の民家は屋根が崩れたままとなっていたり、公費解体を終えた家が目立ったものの、平家の屋敷や庭園は震災による被害を免れたようだ。茶室から庭が望め=写真・上=、書院の間から前庭が穏やかに広がっている=写真・中=。志賀町では最大震度7が観測され、住家・非住家含めた建物1万7600棟が損壊(うち全壊2400棟)に及んでいる。平家保存会の平礼子さんに被害がなかったのかと尋ねると、「昔の家なので柱と梁がしっかりしていてなんとか損傷は免れました。庭に亀裂が入ることもなった」との説明だった。

「大変なのは庭です」とのこと。庭園が1978年に石川県の指定名勝(面積750平方㍍)となったことから一般開放に踏み切り、入場料や自己資金で庭の維持管理をなんとか賄ってきた。しかし、コロナ禍や地震、記録的な大雨で観覧客が減り、維持管理費の支出が厳しくなり、「悩んでいる」という。確かに、庭木の剪定や苔の管理、落ち葉の清掃など並大抵ではない。こちらが「庭の掃除が大変ですね」と問いかけたことから、リアルな話になった。

その次に醤油蔵元「カヨネ醤油」を訪ねた。ここでも地震で崩れることなく、白壁と柱と梁が白と黒のコントラスを描いていた。カネヨ醤油は2026年に創業100周年を迎える。「カネヨの甘口」は能登の風土が育んだ味である。魚の刺し身に合う醤油だ。4代目の木村美智代さんから震災当時の話を聞いた。工場の建物は無事だったが、瓶詰めのラインは稼働できなくなり廃棄。醤油の浄化槽の横には大きな陥没ができた。さらに、店に買いに来る客はゼロになった。
売り上げを支えたのは木村さんが始めたオンラインショップだった。もともとコンピュータ関連メーカーで働いていた経験があり、すばやく取り組んだ。商品を買って被災地を応援しようと注文が全国から相次いだ。その後、2月になって醤油造りを再開。瓶詰めからペットホトル詰めへと製造ラインを変更した。「能登の食文化と醤油づくりの未来を守ること」。震災を乗り越え、創業100周年への意気込みを語った。
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