
去年元日の能登半島地震の現場を訪ねる「復興応援ツアー」(今月15、16日)に参加した。震度7の揺れが起きた、半島の中ほどに位置する志賀町の一般社団法人「志賀町観光協会」が企画した。震災を体験した地域の人たちが「語り部」となり、「能登のいま」を共に考える意義深い1泊2日のツアーだった=写真・上=。

このツアーは観光協会の事務局長、岡本明希さんが企画した。岡本さんは能登地震で志賀町の自宅で被災した。初詣を終えて台所で正月のお膳の準備をしていた午後4時すぎに強烈な揺れに見舞われた。地域の小学校で避難生活を経験し、その後、羽咋市の親戚宅にいまも身を寄せている。この経験を踏まえ、復興の歩みや地域の現状を全国に発信したいという想いからツアーを企画した。「きのうは変えられない。でも、あすは変えられる」。自らもいまと未来を語り続けている。

ツアーの初日の語り部は、北前船の寄港地だった福浦港と航海安全を祈願した絵馬が並ぶ金比羅神社の歴史について語った松山宗恵さん=写真・中、志賀町観光協会公式サイトから=。語り口調が穏やかで、言葉を選んで話すので分かりやすい。福浦港近くの街中にある福専寺の17代目の住職とのこと。語りに慣れている。震災についての体験も身振り手振りで語った。
去年元日は帰省した娘や孫たちと過ごしていた。「ちょうどトイレに行って手を洗っていたら、ガタガタとものすごい揺れだった」。トイレのドアが開かなくなり、足で蹴破って出て、子どもや孫たちとテーブルの下に潜り込んだ。そして、大津波警報のアラームが街中に鳴り響き、家族とともに高台にある旧小学校に避難した。津波は寺の目の前まで押し寄せていて、本堂は本尊が一部損傷し、中規模半壊(後の判定)だった。その後、金沢市に住む三女の家に避難し、毎日のように福浦に通った。被害があった墓地の現状を確認し門徒に報告した。そして、真宗大谷派から届いた毛布や食糧、灯油、水などの救援物資を門徒や地域の人たちに届けた。

松山さんは地域の歴史や文化、伝統工芸などの魅力を、この地を訪れる人々に伝える「いしかわ文化観光スペシャルガイド」でもある。先に述べた金比羅神社脇の細い坂道を登っていくと、木造の白い建物が見えてくる。日本最古の西洋式灯台、旧・福浦灯台=写真・下=。現在の灯台は1876年に明治政府によって建てられたが、起源は1608年にさかのぼる。北前船の歴史が金比羅神社とつながる、分かりやす説明だった。
地域の歴史の文化と同時に語る、自身が体験した地震や津波のリアルタイムな話だ。防災教育に訪れる高校生たちは被災地の現状を学ぶと同時に地域の観光資源を活かした復興ツーリズムの可能性についても学ぶ。「地震と復興の語り部」でもある。
⇒17日(金)午後・金沢の天気 はれ