
先日(今月12日)に能登半島の尖端の珠洲市に行くと、山の尾根の風車が回っていた=写真・上=。同市にある30基の風力発電は長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)で、日本海から風で悠然と回る光景は自然のエネルギーを感じさせ、ある意味で地域のシンボルでもある。それが、去年元日の最大震度7の能登半島地震ですべて停止した状態となった。メンテナンスを施せば再稼働するものの、山道などが崩れてアクセスがままならない状態が続いていた。それがようやく回り始めたようだ。

震災後、地域も動き出している。伝統的な焼き物でもある珠洲焼もその一つ。毎年秋に作品を一堂に集めた珠洲焼祭りを開いてきたが、能登地震で窯が全て壊れるなど壊滅的な被害を受けた。このため、去年は開催ができなかった。現在も18ある窯元のうち6つしか復旧していないものの、珠洲焼の陶工たちでつくる「珠洲焼創炎会」が共同で使用する窯を修復することで創作活動の再開にこぎつけた。そして、今月11日と12日、2年ぶりに珠洲焼祭りの開催が実現した。
会場となった珠洲市多目的ホール「ラポルトすず」前の広場では、17人の作家が手がけた数々の器や花入れなどが並んでいた=写真・中=。珠洲焼は黒に近い灰色が特徴の焼き物で、平安時代から室町時代に生産された後に途絶えたが、1976年に復活したことで知られる。今回も珠洲焼の復活祭と言える。会場は珠洲焼を求める人々でにぎわっていた。

珠洲焼祭りを見学した後、今度は炭焼き窯を見学に行った。山の中で製炭業を営む大野長一郎氏を訪ねた。茶道用の炭である「菊炭」を生産する石川県内では唯一の業者でもある。今回の能登半島地震で稼働していた4つの炭焼き窯が全壊した。2022年6月19日の震度6弱の揺れで窯の一部が大きくひび割れ、2023年5月5日の震度6強でも窯の一部が崩れた。震災のたびに支援者の力添えを得ながら修復していたが、本人は限界を感じていた。ことし5月に訪れたときには、「土で造る窯はもう無理。地震に強い鉄窯でやってみる」と語っていた。その後、クラウドファンディングを利用し、金属製窯の導入した=写真・下=。
鉄窯には先月17日に初めて火を入れた。気密性が高く、1回当たりの生産量は土窯より落ちるが、従来の半分の時間で焼き上がるため、1ヵ月の生産量は同じという。茶道用の菊炭もこれから手掛けるという。大野氏は「まだ満足のいく炭には仕上がっていないけど、これから完成度を高めていく」と意欲的だった。
珠洲市を含む能登は、少子高齢化と地震多発の日本の縮図でもある。珠洲焼祭りや大野氏の炭焼き窯を見学して、災害復興のモデル地区として再生して欲しい、そんなことを思いながら帰路に就いた。
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