★石動山ユリの花咲く姿 ひっそりと気品のあるやさしさ

能登半島の中ほど中能登町にある石動山(せきどうざん、標高564㍍)に登った。かつての山岳信仰の拠点の一つであり、最盛期の中世には院坊が360あり、衆徒3000人が修行を積んでいたと伝えられ、国指定の史跡でもある。この時季、「石動山ユリ」が見ごろで、きょう乗用車で山頂近くにある大宮坊の敷地まで行く。去年に続いて2度目だ。まさに白い華麗な花=写真・上=。よく見るヤマユリよりも大きく、ひとつの花で25㌢ほどだろうか。茎は点在していて、1茎に12の花をつけているものもある。

石動山ユリは、2007年に中能登町の町の花に指定され、いまでは130株ほどが植えられている。もともとは修験者が越後の国(いまの新潟県)から持ち帰って植えたヤマユリとの言い伝えがある。厳しい修行を見守っていた花なのだろう。

それにしても石動山へはところどころ急勾配で曲がりくねった険しい山道だ=写真・下=。今は乗用車で行くことができるが、かつては徒歩、あるいは馬に乗ってこの坂を上り下りしたのだろう。文献に出てくるのが、元禄9年(1696)に加賀藩の武士、浅加久敬が書いた日記『三日月の日記』だ。

浅加は馬に乗って、当時は「御山」と呼ばれていた石動山へ参拝に上った。七曲がりという険しい山道を、道案内をする地元の馬子(少年)が馬をなだめながら、そして自分も笑顔を絶やさずに一生懸命に上った。武士は馬にムチ打ちながら上るものだが、少年は馬を励まし、やさしく接する姿に感心し、日記に「されば・・・能登はやさしや土までも、とうたうも、これならんとおかし」と綴った。「能登はやさしや」はもともと加賀に伝わる杵歌(労働歌)に出てくる言葉だった。

話は戻るが、ヤマユリの花言葉の中に「飾らぬ美」「純潔」がある。気品ある姿や山野草としてひっそりと咲く誇らしい姿を表現している。ヤマユリの花言葉は「能登はやさしや土までも」にも通じるのではないだろうか。ひっそりと気品のあるやさしさだ。

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