
「私にとって野球とは、人生そのものだというひと言に尽きる」。長嶋茂雄氏が2001年9月に巨人軍の監督を勇退するときに記者会見で語った言葉だった。プロ野球の世界では突出した、まさに唯一無二の存在ではなかっただろうか。その長嶋氏がきのう(3日)逝去したとメディア各社が報じている=写真・上=。
自身のこのブログでも、これまで何度か地元石川県出身の松井秀喜氏とセットで長嶋氏を取り上げている。 2013年4月1日、両氏に国民栄誉賞の受賞が発表されたとき。そして、2021年7月23日の東京オリンピック開会式で、両氏に加えて「ON砲」の盟友、王貞治氏と3人で聖火リレー走者として国立競技場の舞台に立ったときのこと。以下、2021年7月23日付「★五輪に野球復活、レジェンドの点火リレー」を再録する。
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今回のオリンピックでは3大会ぶりに野球とソフトボールが復活した。そのシンボルとして登場したのであろう、球界のレジェンドである松井秀喜氏と長嶋茂雄氏、そして王貞治氏の3人が新国立競技場内での聖火ランナーとして登場した。

その姿は含蓄が深かった。脳梗塞を患い右半身にマヒが残る長嶋氏の体を松井氏が支えての登場だった。松井氏がトーチキスで聖火を受け取ると、王氏がトーチを掲げ、3人はゆっくりと歩調を合わせながら行進を始めた。47歳の松井氏はジャイアンツ時代の恩師でもある85歳の長嶋氏に寄り添い、そして81歳の王氏はときに手を差し伸べていた。数分して、最後は松井氏から次の走者である医療従事者2人に聖火をつないだ=写真・下、NHK番組=。聖火が渡ると、一瞬だったが、長嶋氏は笑顔を見せた。
松井氏が長嶋氏に寄り添っている姿を見て、1992年11月に行われたプロ野球ドラフト会議のシーンがよみがえる。自身が民放のテレビ局時代、松井氏は星稜高校のスター選手だった。石川大会で4本塁打を3大会連続で放った「怪物」だ。さらに、1992年8月、夏の甲子園大会の明徳義塾高(高知)戦で5打席連続で敬遠され、強打者ぶりが「甲子園伝説」にもなった。その年のドラフト会議。長嶋氏は13シーズンぶりに巨人の監督に復帰していた。4球団から1位指名を受けた松井氏。抽選で交渉権を獲得したのは長嶋氏だった。このとき誰しもが2人の運命的な出会いを感じたに違いない。
その後、2人は2013年5月、国民栄誉賞を同時に授与される。さらに、今回こうして東京オリンピックの開会式に立った。まさに、点火リレーは絆(きずな)が輝いた瞬間だった。
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