☆マスメディア論と学生たち-4-

        きのう(6日)大学からの一斉メールで注意文が届いた。学生と教職員にあてたものだ。「カルト団体・悪質商法などについて以前から注意を促しているところですが、夏休み期間は勧誘の動きが活発化する恐れがあります。そのような団体・活動に関わると、学業・生活が破綻するまで追い込まれてしまいます。つきましては、以下のことに十分ご注意ください。」と。

    オウム真理教事件の死刑執行、それでも「カルト」はなくならない       

   さらに引用する。注意すべき点として、●カルト団体・悪質商法などは、本当の姿を隠して、言葉巧みに皆さんに近づいてきます。●身分を明らかにしないで声をかけてくる人物には注意が必要です。(身分を明らかにしていても、勧誘のために声をかけてくる人物には注意が必要です。)●国際交流やボランティア、医療・福祉など、一見普通の話題で近づいてくるケースがほとんどです。アンケートの回答依頼をはじめ、勉強会・集会・講演会・合宿・施設見学の誘いや、 教材・機器のモニター依頼には十分注意してください。●電子メールやFACEBOOK、LINE、Twitterなどの各種SNSを用いた勧誘もみられますので注意してください。その際は、名前や住所・電話番号、LINEのID等個人情報を安易に他人に言わないよう、注意してください。

   キャンパス近くの路上で学生たちに誘いかけをしているグループを時折見かける。「国際ボランティア」と称する少し怪しげなチラシが貼ってあったり、置いてあったりする。注意文にもあるように、そうした動きが最近活発なのではないかと感じることがある。ひょっとして宗教ブームが再び起きているのか。

   「マスメディアと現代を読み解く」の第5回「取材し伝えるメディアの技術」(7月11日)で、オウム真理教事件の関係者7人の死刑執行(7月6日)について取り上げた。オウム真理教が盛んに信者を獲得していた1990年代初頭はまさしく宗教ブームだった。1991年9月に放送されたテレビ朝日「朝まで生テレビ」では「激論 宗教と若者」と題しての討論に麻原彰晃が生出演した。部下だった上祐史浩、村井秀夫らの論客も出演し、他の新興宗教と激論を交わして、無名に近かったオウム真理教が一気に注目されるきっかとなった。いわば、「メディアに乗った」のである。ただし、このとき1989年11月に横浜市で起きた、坂本堤弁護士一家殺害事件にオウム真理教が絡んでいたことはメディアも知る由もなかった。

   当時、北陸朝日放送の報道デスクを担当していた私は取材を通じてオウム真理教と2度関わることになる。一度目は1992年10月。麻原彰晃が突然、石川県能美市で記者会見を行った。油圧シリンダーメーカーの社長に就任するという内容だった。メーカーの前社長はオウム真理教の信者で、資金繰りが悪化したために麻原が社長に就いた。間もなく会社は倒産し、金属加工機械などは山梨県上九一色村の教団施設「サティアン」に運ばれていた。その後の裁判で、その金属加工機械でロシア製AK47自動小銃を模倣した小銃を密造しようとしていたことが分かった。

   二度目は1995年3月20日の東京地下鉄サリン事件の直後、林郁夫(無期懲役囚)らが能登半島に潜伏していた。林郁夫は4月8日に石川県内で逮捕された。当時、メディア関係者の間で、なぜ能登半島に逃れてきたのかと憶測が飛んだ。潜伏していた場所が穴水町の「貸し別荘」だったことから、こんな憶測があった。ロシアのウラジオストクと富山県の伏木港を結んで、北洋材を運ぶロシア船が行き交っていた。「ひょっとして、穴水町から船を出し、ロシア船に乗り込んで、ロシアに密入国をはかる計画ではなかったのか」と。オウム真理教のモスクワ支部ができたのは1992年9月。前年にソビエト連邦が解体され、混乱していたロシアで一時3万人ともいわれる信者がいた。

   逮捕された林郁夫の供述によって松本サリン事件や地下鉄サリン事件の全容が明らかとなっていく。麻原彰晃が逮捕されたのは林郁夫逮捕から38日後の5月16日。2006年に死刑が確定し、そして今回の死刑執行となった。一連の事件が起きた時、学生たちは生まれてもいない。講義後のリアクション・ペーパー(感想文)には、「オウム真理教のニュース(死刑執行)にはとても驚きました。ついにという感じがしました。私たちが生まれる前には事件はすでに落ち着いていましたが、日本の歴史に残る事件だったのですね」(法・1年)と淡々と書かれてあった。メディアを通じて生身のニュースを見てきた世代と、その後に生まれた世代とでは、今回の死刑執行のとらえ方は異なって当然と言えば当然なのだが。

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